「……シスター、男を口が利ける所まで回復させてくれ」
「えっ?」
「こいつを死なせる訳にはいかん」
「は、はいっ!」
呪言により多少衰弱こそしたが、ダゴン殺しを強引に撃った腕以外に目立つ外傷が無かった蓮への治癒が終わり、タイミングを見計って政次郎がユーリヤへ男の治癒を指示する。
味方にも敵にも容赦の無い政次郎が口にした、意外な言葉にユーリヤは少し驚くが、政次郎もまた人の子であり優しさを捨て去ってはいないのだと思い、思わず笑顔で快諾した。
ユーリヤが男の容態を見る。血こそ夥しく流れてはいるが、全身の刀傷はどれも急所から外れているか、致死の深さまでは届いていない。刀を突き刺されたままの触腕はそれまでの剛力を感じさせない程萎んでおり、ぴくぴくと時折震えを見せるだけの姿にはもはや人並の力しか感じさせない。
ユーリヤは左半身の治癒を最低限に抑え、男の全身に刻まれた刀傷を魔術で塞いでいく。血液と共に流れ出た体力を戻しさえしなければ先程までの力はもはや発揮出来ないだろうと考え、ユーリヤは男の命を肉体へ繋げ直した。
「――ク、カハッ……」
「意識が戻ったか。妙な真似をすれば治ったばかりのその場所に風穴を開ける。こちらの質問に答えろ」
「……ふ、私の命を所望なのでは、無かったのか、ねっ……」
「質問に答えれば一瞬で楽にしてやる、答えなければ先程以上の痛みをゆっくりと与えた上でその命を断つ。野曽木よりもお喋りなその無駄口に、最期に一つだけマシな仕事を与えてやると言っているんだ」
「…………」
「ユーリヤ、何思ったのか大体察するけどこれが政次郎くんよ。真っ当な優しさなんて見せる柄じゃないわ」
男の意識が戻った直後に政次郎が始める無慈悲な尋問に、ユーリヤは浮かんだ笑顔を落とす。その様子を見た蓮が、ユーリヤの肩に手を置いて同情を見せた。
政次郎は力の抜けた触腕が暴れる力も無いと判断し、串刺しにする刀を右手だけで握りながら左手でサブマシンガンを抜き、男へと向ける。その目には一切の情の色は浮かべておらず、ただただ事実のみを告げている事を男へ示す。
政次郎の表情を見た男は、小さく溜息をついて諦めの表情を作る。大勢は既に決してしまっており、自分ではどうにも出来ないと悟る。むしろこれだけ徹底した姿勢を続ける、目の前の少年への敬意すら湧いた。
「……ふ、ふっ。素晴らしい、それなり以上に、面白い。完敗だ、これだけされては、ね。……わかったよ、少年。
「貴様への質問は一つだ。魔石はどこにある」
「……」
抵抗を諦めて政次郎の要求を受け入れる事で、男は逆に余裕を取り戻し、穏やかな顔で答える。
政次郎はそれに対してもなんらリアクションを見せず、淡々と自身の要求のみを口にする。男の顔を見据え、ただその目と体の動きに嘘が混ざるかどうかを待つ。右手に力を込めて刀が突き刺す触腕を通し、無言の脅迫を男の体へ伝える。
「……ふう。私は今晩、この場で儀式をするつもりでここに来た。そこの黒いお嬢さんの言う通り、”碑”の神を呼び出す為の、ね。そして儀式の途中だった為に、今私の手の中には無い」
「どこにある。ここに至り”失くしました”などと抜かすなら、楽な最期は許さん」
「っくく。心配せずとも、この場にあるよ。目印も無いここでは明確に示す事こそ出来ないが、少し離れた場所だ。五分も歩き回れば、転がっているのが目に見えるさ」
「そうか。伊達、この周囲を探してこい」
「へいへい」
男の表情に嘘をついている様子は無い。生殺与奪を握られて尚余裕を見せる男の口振りは多少癇に障る物があったが、質問に正しく答えている以上わざわざ責める必要は無かった。
十三は軽機関銃の給弾を終え、肩に担いでその場から離れる。目印も無くただ歩き回る事に対する億劫さはあるが、文句を言える状況でも無いので素直に視線を地面へ向け、左右へ振る。
女性陣は政次郎や男の様子から、事態の決着を理解して安堵を見せる。早期に動けた事により、最悪の事態は防ぐ事が出来た。もう少し対応が遅れていたら危なかっただろう、素直に今の結果を喜ぶ。
「……君の質問には嘘偽りなく、正直に答えた。私の命はここで終わりだろう、ならば最期に一つだけ私のささやかな望みを聞いてくれないかね?」
「随分と厚かましいな。内容次第では貴様の真っ当な死は無くなるぞ」
「せ、政次郎さん、さすがにそれは……」
「いいじゃないの、”命だけは助けてくれ”なんて情けない事も口にしてないんだし。その潔さに免じてあげましょうよ」
「”せめて痛みを知らずやすらかに”――」
「いやそういうニュアンスでも無いからね」
男の嘆願にも冷徹さを一切崩さない政次郎へ、思わず見ていたユーリヤや蓮がフォローを入れる。その横で真魚が何やら顔に穏やかさを伺わせながらいつもの様にボケてくるが、言い切る前に蓮が止める。
その声に反応し、男は政次郎へ向けていた視線を逸らして真魚を見る。口角はさらに上がりそれまで以上に愉快そうにしながら、声も出さずに笑い男は言葉を発した。
「そこの小さなお嬢さんも、只者では無いと思っていたら”あの”エミュレータの使い手だったとはね。それを実戦で使いこなす魔術師など、そうはいまい。見事なお
「……?おじさん、わたしのPCの事知ってるの?」
「知っているさ。今は未だ数も揃ってないが、それはこの界隈では最新鋭だ。頭の硬い老害共は自身の術に絶対の自信を持ち、邪道と評してはいるが……近い将来、それが生み出す”軍隊”を前にしてしまえば、腐りゆくだけのその口も自然と閉じる事となる」
「…………そういう言い方は、好きじゃない、かな」
笑いながら真魚へ語りかける男の言葉に含まれる意図へ、真魚が表情を僅かにだが確実に歪めて嫌悪を見せる。
真魚にとって、魔術エミュレータは最大の武器であり、父親が自分に残してくれた数少ない形を持つ思い出だ。心の半分はその価値や危険性を客観的に評価しながらも、もう半分には思い入れと情による熱を置いている。
この発展が引き寄せるだろう未来の最悪の形は、真魚にも理解出来ている。だがそれは父が想い、遺した願いを人の欲で歪めたものだ。それを口にする男へ、真魚は確かな反感を持った。
「おや、思いの外気分を悪くしたらしい。何をそれに重ねているかは知らないが、失礼をした。……とはいえ若くしてそれを手にし、狂気に呑まれずにいる君に対する敬意は揺らがない」
「……随分と買われてる。おじさん、ロリコンなの?」
「はっはっは!……っづ!いやいや、小さな
「本当によく喋る口だ。さっさと望みとやらを口にしろ、僕は野曽木よりお喋りな奴は嫌いなんだ」
「それ遠回しに私がうるさいって言ってるわよね、蹴るわ」
「蓮さんストップです!この件が片付いてからにしましょう!ね!?」
真魚へ笑いながら一方的に談笑する男の触腕を政次郎は刀で抉り、その刃に宿る魔力が男へ痛みを伝える。
突き刺された場所を中心とした激痛の点が、自身の安らかな死がもう確定したと考え、笑いを止めずにいる男の思い上がりを正す。
苛立ちから漏れる政次郎の本音に反応してその背中へ大股で近付こうとする蓮を、ユーリヤが羽交い締めにして止める。先程盾にされていた時の事もしっかりと思い出した蓮は、体の動きを封じられながらも政次郎へ近付こうとする怒りだけは保ち続けていた。
「フフ、すまないね少年。こんなにも、楽しいと思った事は初めてでね……私の望みはただ一つ、本当に小さな事だ。……最期に、あの月を見ながら逝きたい。それだけなんだよ」
「……センチな願いだな。構わん、いいだろう」
男の言葉を聞き、政次郎は体を抑える力を可能な限り抜かず姿勢を少し変える。半身を引いて首元を抑える膝を逆の脚に変えて、顔を覗き込む体勢を胸から上の上半身を俯瞰する体勢へと変えた。
男が妙な挙動をすればその瞬間に撃つ、その思いは一切揺らがさない。男はなんら不自然な素振りを見せず、抵抗を見せる事が無かった。
政次郎の体が顔の前から退かされた事により、地に磔となった男の目線は空へと向かう。輝く星々の小さな光と、最も大きく見える満月が男を見下ろしている。男は、穏やかな笑顔を浮かべて目を閉じた。
「――あぁ、本当にいい夜だ、いい月だ……。私は、これが見たかった……」
「つまらん事に拘る奴だ。これで満足か」
「ああ、有難う少年。私は最期に、これが見たかった」
満ち足りた、という顔で男は体の力を完全に脱力させる。政次郎の経験にも珍しい部類である、死を前に満足を見せる男の様子を奇怪だと政次郎は考えるも、狂人の思考など自身には元より理解の外であるし、何より興味も無い為すぐに考えを捨てる。
男に向けていた銃口を、頭の中央へ向ける。その頭蓋に先程の様な触腕でも潜んでいない限りは、確実に殺せる。銃を構え直す音に対しても男はなんら反応を見せない。
「……いい夜だ。どうせ死ぬのなら、こんな月の下で死にたい。そうは思わないか、お嬢さん方」
「僕はどうでもいい」
「まぁ、確かにいい光景ってのは思うけどね」
「――……」
「んー」
男の
政次郎が引き金にかけた指に力を込め始める。目の前の狂人が何を思い、何を口にしようとこの引き金が緞帳となる。今、この仕事の終わりを告げる銃声が鳴る。
「――
それまでの穏やかな笑いを一気に歪めた男へ、政次郎が銃火を放つ。脳天を貫く銃弾を阻むものも無く、男は一瞬で絶命した。
同時に、凄まじい大気の震えが蓮達へと届く。唐突に悍ましさすら覚える大量の魔力が離れた場所から湧き上がり、威圧感を伴う波が肌と髪を揺らして確かに体に震えを伝播させる。
魔力の元を見やる。眩く妖しい赤の光が地面から溢れ、そこへ近付いていた十三が、自身の手に持つ軽機関銃を地面へ構えている。
その表情は驚愕に満ちており、魔力の迸る先を睨み何かをしようとするものの、その体は目に見えぬ力によって気圧され、満足に動かす事が出来ない。
「――蓮、真魚ッ!
「何!?」
「ッやられた!
「こ、この気配、はッ!」
「おじさん画面撃って!!」
真魚の指示に従い、十三は地面に置かれた魔術エミュレータと血が巡る様に律動的に輝く魔石へ向けて銃を向ける。が、迸る赤い光を直視する事が出来ず、その場に広がる圧力が銃と体を大きく揺らす。
その場の重力が少しずつ増していくような威圧感が五人を支配する。魔石の放つ赤い光は徐々に増し、その下のエミュレータの表面に映る陣は画面の隅を文字列が走るにつれて画面にノイズが入り、画面が写り直すごとに陣は歪んでその姿を変えていく。
目の前で起こる異常事態に手を出すことが出来ず、不可視の力に気圧される自身へ舌打ちながら、十三は絶対の自信と信頼を置くその肉体を以てしても、その場に留まる事が限界だった。
「ダメです伊達さん、その場から離れて下さいっ!」
「ヤベーのは俺でもわかるけど逃げたらダメだろこれ!」
「
「ッくそったれが!!」
ユーリヤの叫びを聞き、銃を構えるのをやめた十三は見えない圧力から逃れる様にその場から素早く退く。魔石が輝く度に体は本能的に竦み、波打つ力に足元が掬われそうになるも、思考で体を律して体幹は崩さない。
十三が離れた数秒後、全ての光がその場から失せる。星の光すらも遮る見えない存在感が、目にする蓮達へ絶対的な恐怖を齎し、正常な精神を乱れさせる。
外の空気を確かに肌にしながらも世界が閉ざされたような錯覚から覚め、蓮達の目が正常な光を宿し直し、目の前の光景を映す。赤い光はその場から失われ、月が照らす宵闇が戻っていた。
「……なんて、悍ましい……ッ」
「……うっげぇ」
「きもい」
「――コイツは、なんだ」
その場にいた全員が、魔石の光があった場所に鎮座するその存在を見て一瞬言葉を失う。
影の輪郭を見れば、最も近いのは蝦蟇だろう。肥え太り広がったその体が野原の真ん中へ悠々と座り込み、その巨体によって嫌と言う事すら許さず姿を目に入れてくる。
顔に浮かぶ赤い瞳はあらゆる黒さを織り交ぜた様に濁り、整うという事から最もかけ離れた印象を与える。歪みと混沌に満ちたその眼球は、醜悪という言葉の概念を心へ強制的に理解させた。
無骨な短い両腕を顔の前に構え、さらに体のあちこちからは男が左腕に宿していた触腕――目の前の存在の巨体から考えれば、それは”腕”ではなく”手”や”指”といった程度の大きさだ――がいくつも生え、質量という器を持たぬようにうぞうぞと歪み、ばらばらに揺れている。
それと同調する様に体の外側はぼこぼこと歪み続け、ただの一時として決まった形を持たない。その様は嫌悪、憎悪、拒絶、狂気――人の心全ての反発を促し続ける。
「……”碑の神”、”魔女村の悪夢”、”
蓮が目の前の存在の威圧感と恐怖に圧される心を制し、頭の隅の冷静さで目の前の存在を表す言葉を一つ一つ思い出して口にしていく。
悍ましい大蝦蟇が自身を見つめてくる蓮達の存在に気付き、顔を向ける。狂気を孕んだ深い瞳が、蓮達一人一人の形を見定めていく。
その眼光に心の内から止められぬ嫌悪を感じながらも、蓮は持てる正気で喉元まで迫るそれを抑え込み、力の篭った喉でその名の音を成す。
「――”ゴル=ゴロス”ッ!」
有り得ざる大蝦蟇は、息を呑んで卑俗に大口を歪ませた。
中ボスは時間を稼ぐもの。
第三部は十四話で終わると約束したな(活動報告で)
ッそうだ大佐、た、助けてっ……(風邪)
あれは嘘だ \ウワアアアアアア↑/