「――ふむ、良い月だ。月明かりというのは実に落ち着く。月そのものが光っている訳でもない、単なる太陽光の反射だというのに……あの光はどうしてこうも、心を惹き付けるのだろうかね」
丘陵地帯の道らしい道も無い林を抜けた先、生い茂る木々が唐突に開かれ、風に揺れる程の高さも無い草地と僅かに隆起した岩のみが見える自然のホールの中心に、場違いな男が立っていた。
星の光を遮る事の無い夜空に高々と昇った満月を仰ぎながら、黒を基調としたフードのついたローブで全身を覆い隠したその男は、ただただその光景に向けて嘆美の言葉を漏らしていた。
「こういう夜だ。私以外にもこうして今、月を見ている者も多くいるだろうな。この町、この国に限らず。世界のあちこちの人間が、夜に潜む化生達が……裏側にて眠り続ける、古き神々もまた」
男は誰に告げる訳でも無い独り言を話し続ける。語り口こそ静かだが、その口の形は微かな興奮と高揚に歪み、吊り上げられている。
音の無い空間に風が一筋抜けて行き、男のローブを揺らしていく。流れていく風の揺らぎの中に含まれる物を感じ取り、男は空から視線を外し顔を下げ、表情を固く引き絞り直した。
「……さて、と。思っていた以上に動きが早かったな。正直、それなりに慎重に動いたつもりだっただけにショックはある。が、過ぎた事だな。……一応は聞いておこうか」
風上から聞こえてくる、徐々に木々を掻き分け近付いて来る音へ向けて聞こえる様に、男は声を一回り大きくする。こちらの声が聞こえたのか、月明かりも届かない木々の陰にいる闖入者の足音はそこで止まる。
姿は未だ確認出来ないが、重なった移動音から考えて複数人。だが、警察や軍隊の様な大人数では無い。それならば問題無い。恐らくは同業、或いは内々に裏の事件を対処する隠密部隊の類だろう。
それならば、ここで処理してしまえば後は無い。余裕を持って、今もこちらの様子を見つめている今夜のゲストの応対に臨む事にした。
「目的は何かね。私の持つ物か、私が待つ神か。それとも――私の命か」
その瞬間、足音の方向より
男は左腕を瞬時に動かし、銃声へ向けて頭を庇う様に構える。左腕に当たった弾丸は腕を中心に、衝撃を男の体全体へと波及させ、それに伴い男の体は吹き飛ばされた。
足が地から浮き、体が衝撃に押されるがままに傾こうとする。男は
頭を庇った左腕を下ろし、再び銃弾が飛んできた方向と足音のした方向の二つを見据える。二度目の銃撃に備えて警戒していると、足音の方向からは四人の武装した男女が現れ、そこに遅れて後ろから長銃を背負った一人の男が小走りで合流した。
「……
「仕込むとは随分人聞きが悪い。”これが私の自慢の腕だ”、それ以上の返答がいるかね?」
「ふん、まぁいい。どういうカラクリかは、直接貴様の体で確かめる」
「やれやれ、話し合う余地すら無いとはそれなりに悲しい。……ところで、質問には答えてくれないのかな?」
「私達の目的が何か、だったかしら?……今の一発がどこを狙ったのか。それで十分でしょ」
「それも一つや二つではない……ぜんぶだ……」
「ごめん真魚ちゃん今そういう場面じゃないから」
不意を突いての狙撃をただ腕で防ぐという荒業を成した目の前の男を政次郎は疑わしげに見ながらも、それ自体はさして驚く程の事でも無いと言う様に、自然体のまま目の前の男を見据える。
先の一発が全ての答えである、と示した蓮の言葉に真魚が少々力の抜ける補足を入れてきた為、これ以上この場の空気を弛緩させられる前に蓮が真魚へ釘を刺した。
ライフル弾を体に受けているにも関わらず、さして痛みも見せずに飄々としている事もそうだが、気配を消しての政次郎の不意打ちに一瞬で反応して急所を守った目の前の男の動きは、間違いなく常人から外れている。単なる魔術師という訳では無く、体の何かしらを弄っている可能性が高い。
政次郎の急襲によってあわよくば命を取り、それが届かないまでも一気呵成に攻撃して優位を取って倒し切るという策は無くなった。ここからは慎重に、油断なく立ち回る必要がある。
蓮達は目の前の男を、その一挙一動も見逃さない様に睨みつける。そこに魔術は介入しているか、常人との違いはどこか、そもそも人間かどうか。各々の考えで、隙を見せないよう気を払いながら、男の様子に目をやる。
「ふうむ、随分と愉快な刺客のようだ。普通追手というのは、もう少し話をしたがる物だと思っていたのだが。……もしや、私の目的も既に何かしら見当を付けている、のかな?」
「”碑”の邪神の復活と招来。……そうでしょう?」
「なんと。美術館の強盗から、この短期間でそこまで突き止めたのかね。……なるほど、それなり以上に聡明なお嬢さん方らしい」
「その答えは合ってるって事でいいのかよ、人外の兄ちゃん」
「そこの強面のお兄さんは中々傷つく事を言う。私は見ての通り正真正銘の人間なのだが……ほら、頭に角が生えていたり、顔に目玉がいくつもあったり、肌に鱗があるわけでも無いだろう」
十三が手に持つ軽機関銃を片腕で支えて銃口を向けながら、探りを入れる為に言葉を飛ばす。それに応え、男は顔を隠していたフードを右手で取り払い、色は蒼白ながらも普通の人間にしか見えない顔を蓮達へ見せた。
男の言葉の通り、その顔に怪物の特徴の様な目立った変異や異常は見当たらない。平然と、或いは少し愉快そうに冗談を飛ばす口振りには狂人のような乱れも無く、落ち着きを持っていた。それは一見すれば平常な人間の様子と同じに見える。
……但し、それは銃器で武装した集団を前にした状況で無ければ、の話だ。
「おっと、質問に答えないのは失礼に当たるな。答えは”その通り”。私の目的は君達が邪神と呼んでいる、この世ならざる存在の顕現だ。……いやはや、素晴らしい慧眼だ。”碑”がある訳でも無いこの地ならばそう突き止められないだろうと踏んでいたのだが……残念な反面、感心も大きいよ」
「そうか」
やれやれ、と残念な声を上げつつ大袈裟に肩を竦めながらも、男は顔に笑みを浮かべる。その動きの隙を突き、政次郎は腰のサブマシンガンを素早く右手で抜き、さらに左手で素早く破片手榴弾を取り出して投げつけると同時に、添えた指で引き金を引いた。
片手による早撃ちによって銃口は大きくブレるが、それでも反動を上手くいなす事で数発の弾丸は男へ飛び掛かり、ワンテンポ遅れて先に投げられた手榴弾が男の目の前まで放物線を描いて届こうとする。
が、男のローブの左袖を
銃弾は触腕に軌道を逸らされながらも空気を切り裂いて飛び、男の後ろ斜めの地面を穿つ。遅れて手榴弾が遠くで爆発し、誰もいない空間を煙と共に吹き飛ばした。
政次郎の独断による攻撃に面を食らった蓮達は、手榴弾の爆発に備えて体を伏せ気味に構えていた。
「っだぁー!危ないでしょうが政次郎くん!何か合図くらい出しなさいよ!」
「そんな挙動を見せれば相手に警戒されるだけだ」
「……あの、こちらの方向に弾き返されてたら、私達皆死んでいたのでは……?」
「即死さえしなければシスターの魔術でどうとでもなる。さらに言えばそれを防ぐ為に同時に撃った。事実、こちらに飛ばす余裕は無かったらしい。あちらの手の内が判明した分、結果的にはプラスだ」
「こいつ本気で言ってんのマジタチ悪ぃわ」
「びっくりした」
結局は爆発した場所から距離があった為に、それほど破片はこちらに飛んでくる事は無かった。それに加えて咄嗟に十三が蓮達と手榴弾の間に入るように動いていた為、その場の全員には掠り傷一つ無い。
間に入った十三にいくつか飛んできていた破片は距離により勢いを失っており、それに加えて十三の力が込められた筋肉の鎧によって阻まれていた。十三が構えを解いて体を動かせば、同時に十三の体に張り付いていた破片が地面にぱらぱらと落ちていく。
奇襲を仕掛けた当の政次郎は遠くまで飛ばされた手榴弾の爆発には一切気を払わず、目の前の男の左肩で揺らぐ肥大した異形の触腕と、男の表情と様子の観察を続けていた。
男の顔にはそれまで以上の愉快さが浮かんでおり、喜悦といった様子でくつくつと笑っていた。
「くくっ、いい、実に面白いな、君達は」
「……結構理性的なのね。そんな気持ち悪い物、体にくっつけておきながら」
「ふうむ、少し傷つくな。先程言った通り、これは私の自慢の腕なのでね。まぁ最初の内は少々抵抗もあったが、”住めば都”……ああいや、”習うより慣れろ”、か。実際に使ってみれば、良い所も多いのだよ。君達の様な危険に対するお守りにもなってくれているしな」
「銃弾を弾くバケモンアーム仕込んだ不審者が何抜かしてんだよ」
「ん、でもさ。わたし達が危険っていうの、別に否定出来なくない?」
「……そ、それを自分から言っちゃうのは、ちょっと反応に困りますね……」
ローブで隠せなくなった男の左肩から先には本来ある筈の腕は無く、黒色の触腕達がうねうねと蠢いている。超自然的なそれは、ただ目にするだけでも生理的な嫌悪感を与えてくる。
人ならざる異形の腕を持ってなお、男の態度は理性的だった。魔術に関わる過程で、旧支配者やその眷属に”侵食”されるケース自体は多いのだが、大抵は体と魂の不一致により真っ当な知性は奪われるか、あるいは狂気に対する自己防衛の為に自ら思考を閉ざす事となる。
だが、目の前の男はどうやら異形に体を侵食されながらも、それを自身の意志で制御し、そこに疑いを持っていない。部分的にのみ侵食を抑えたまま力を振るう、”共存”の状態を維持し続けているらしい。
口振りから考えて、昨日今日こうなったという訳でも無いようだ。その上で、魔術も扱うことが出来るとなると、中々に手間な相手なのは間違いないだろう。眉を
「ここに辿り着いた聡明さ、瞬時に殺しにかかる容赦の無さ、それでいて自然体でいる度胸。成程成程、相当な場数を踏んでいるのだろうな。……どうやら、それなりに楽しい夜となりそうだ」
「政次郎くんと一緒くたにされるのは不服極まりないけど……まぁ、手を出すのが早いか遅いかってだけね。儀式の前みたいで良かったわ、ここでアンタを処理して一件落着と行くわよ……!」
「君達にとってはそれがベストだろうな。……しかし、そう上手くいくものかな?」
「余裕ぶっこいてんじゃねーぞ優男、コイツはどうだ!」
あくまで愉快そうに余裕を保ち続ける男へ向けて、十三は自身の持つ軽機関銃をしっかりと両腕で構え直し、目の前の”化物”へ向けてその引き金を強く、長く引いた。
フルオート機構による鉛弾の嵐が、小さな空気の風船を続けて割るような発砲音と共に前方の男へ放たれる。それを見た男は左肩を前に出すように体を傾け、巨大な触腕達を前方で揃え、壁にするように前に突き出した。
弾丸が到達するよりも先に、並べられたそれぞれの触腕がさらに一回り膨らみ、全体へ血管のようなものが浮き出る。月光を黒く照り返す触腕は、飛んで来た弾丸を岩を穿った様な音を立てつつも次々に受けていった。
引き金を引き終えて、十三は前に出された触腕の様子を伺う。銃弾を受けた所に僅かな凹みのような痕こそ見受けられるが、触腕の壁に歪みは無く、体液が吹き出るといった事も無い。銃の暴力は、触腕の頑強さのみを以て捻じ伏せられていた。
「……フザけてんぜクソッタレ!
「ふむ、こちらもそれなりに力を入れて防戦したのだが。何か気に障ったかね?」
「――強いて言うなら、懐に入られて尚油断している所だ」
「む」
男が十三の言葉に答えている時に自身の右側から聞こえてきた声に顔を向ければ、いつの間にか男の右側へ回り込む様に接近していた政次郎が刀を抜き放ち、胴体へ向けて刃を振るおうとする姿があった。
連射を弾く音に紛れて銃の射程から一気に距離を詰めていた政次郎は、直前にフードを右手で取り払った動きから、触腕は左腕にのみあるものと見当を付けていた。事実、こちらの声に反応した男は右腕を引き、左の触腕を動かしてこちらに対応しようとしている。
しかし既に間合いの中まで入り込んだ、政次郎の刀が体を切り裂く方が速い。一太刀で胴体を飛ばすつもりで、政次郎は渾身の力を込めて胴打ちを放った。
「油断に見えたのなら謝るが――ここまで辿り着いた君達相手に油断するつもりなど、最初から無いよ」
「……ッ!」
政次郎はその目を僅かに見開き、男の飄々とした声を聞きながら目の前の光景を見る。男の胴体には刃が食い込むどころか、ローブの布一枚を裂いただけでその刀が止まっていた。
明らかに
それを確認すると同時に政次郎が胴体から男の動きに目をやれば、政次郎へ向けて動かしていた左腕側の触腕の一つを、今まさに振り下ろそうとしていた。
「チ!」
後ろへ飛び退くにも弾丸すら弾く触腕の速さを考えれば難しいと考え、政次郎は胴体へ叩き付けた刀を翻して自身の前に掲げて構える。鞭の様に
常識を超えた力で打ち据えられた事で、刀身が一瞬曲がる感覚が両手へと伝わる。思考を挟まず、反射的に政次郎は後ろに跳びながら、刀の柄から手を離した。
その場に手放された刀は、触腕により轟音と共に地面に叩き付けられ、勢いのままに地面をバウンドして背丈よりも高く空中に投げ出された。
あのまま受けていれば刀が折られ、それに巻き込まれて余った勢いで自らの手首も折れていた。自身の得物がどこへ飛ばされているかを冷静に見送りつつ、目の前の男を見る。跳び退いた自身へ追撃しようと、別の触腕を構えていた。
今度は先程の様に防御されないよう突き込むつもりなのか、男は細く硬く引き絞られた触腕を真っ直ぐにこちらに向けている。今しがた刀による防御も成立させなかった力を以てすれば、恐らく腕を構えた所で防ぎきれないだろう。
――ならば、防御する必要は無い。
「政次郎くん!」
「やらせませんッ!」
触腕が政次郎へ飛ばされるよりも先に、政次郎とは逆方向に遅れて回り込んでいた蓮とユーリヤが動く。
蓮が注意を向ける為にダゴン殺しによる散弾を男の側面から放ち、その直後にユーリヤが背負っていたスレッジハンマーを手に持って男との距離を詰めるべく走る。
蓮の発砲の直前で反応した男は、政次郎へ向けようとしていた触腕も含めて左腕側の触腕を、軽機関銃の連射を防いだ時同様に目の前で壁の様に固め、散弾を防いだ。
「――ぐ」
「せええいっ!!」
十三の軽機関銃の銃弾を受け続けて尚、微動だにしなかった触腕の壁が散弾を受けた直後に揺れ、隙間一つ無く詰められていた触腕の列に乱れが生じる。
その瞬間をユーリヤは見逃さず、生み出された触手の隙間に向けて自身の魔力を込めた鉄槌を叩き込んだ。
「がっ……!く、見た目に似合わず荒っぽいお嬢さんなのだな……!」
ダゴン殺しの直撃によって乱れた隙間に、ユーリヤの鉄槌が捩じ込まれる。その鎚頭は男の顔の前にまで迫るも、触手を押し退けるのに大半の力が殺された為にそれ以上前へと動かせなかった。
触手の壁に埋まる形となったハンマーを、体勢の有利のままにユーリヤは自身の力の全てを使い押し付け、男を押し潰すつもりで動きを封じようとする。
が、いかに退魔師として鍛えているユーリヤの膂力を持ってしても、男の触腕の力には敵わず、徐々に押され返されて、逆にユーリヤが力づくで押し込められていった。
「く、うっ……」
「臆せず殴り掛かる勢いも、腕力も悪くはないが……まぁ、相手が悪かったと思いたまえ……!」
「シスター、離れろ!」
ユーリヤが手に持つスレッジハンマーごと男の触腕に押されて体が傾いている所へ、着地した政次郎が地面に片膝を付いて狙撃銃を構える。ユーリヤへの警告と同時に、政次郎は男の頭へ向けて発砲した。
その警告を耳にして、男は首だけ振り向きながらユーリヤを押さえ込んでいた触手の半分を後ろへ回し、政次郎の銃撃を最初の不意打ちの時同様に防ぐ。軽く溜息をついて、男はつまらなそうな顔を政次郎に向けた。
「……やれやれ、一度通用しなかった事を再び繰り返すのは感心しないな。あまりスマートとは――」
「――ッ!」
男が政次郎へ言葉を向けると同時に、依然触腕に押されているユーリヤが男の下半身に向けて前蹴りを放つ。男の足を蹴り飛ばしたつもりが、足裏から伝わる感触は硬い。ローブの下を守っている触腕が、足にまで伸びているのだろう。
しかし、それによって跳ね返る衝撃と共にユーリヤは後ろへ下がり、その力で触腕に埋まる形だったハンマーを引っこ抜く。武器が自由になったユーリヤは、素早く後ろへ跳んで男から距離を取った。
「……そう簡単に逃がすと思うかね」
大きくその場から跳んで離れていこうとするユーリヤを一瞥し、男は触手を伸ばそうとする。が、離れていくユーリヤの表情を見て違和感を覚えた。
その顔はこちらからの攻撃を警戒する様子では無く、焦りと恐怖が浮かんで見えた。こちらが触腕を構えている前から怯える、というのは少々妙だと感じる。
よく見れば視線も少々こちらの左腕からは外れていた。左腕ではなく、自分自身を見ているように……いや、それにしては視線が下向きになっている。まるで、足を見つめているような――
「ッ!?」
こつ、と足に金属が軽く当たる感触がする。それに目を向ければ、いつの間にか赤い缶が男の足元へ転がってきていた。
それを男が確認した瞬間、爆炎がその場に舞い上がった。
それは、全体を焼き尽くす暴力(火・全体・小ダメージ)
風邪で遅れた分は返します。文章量三割増しで。……まだ治ってないんですが筆が乗ったんだから仕方ない。