蓮達が山荘から出て裏に回ってすぐの所に、それはいた。
周囲を包む白い霧と木々の陰による暗がりの中、緩やかに流れている沢を堰き止める様に、先日目撃したザイクロトランよりも大きな肉の塊が鎮座し、蠢いている。
その肉塊には生き物の内臓の様な脈動している生々しいモノが張り付き、体液を滴らせている。その体は沢の向こう岸へと不自然なまでに伸びて、地面に張り付いていた。
張り付いている所を見れば、地面とその肉塊の間に挟まれた人間の腕が見える。周囲の地面には、まるで破裂した様に真新しい血液が流れて地面に広がっている。
その光景を確認した直後、腕はその場から消えた。いや――
「……たべてる」
腕は肉塊に
人を喰う生物というのは蓮達にも馴染みは深く、そういった異形と戦う事は多かった。だが目の前にいるこの肉塊のした行動は、口や牙を用いて咀嚼するそれらとは全くの異種。
体全体を口に見立て、引きずり込む様に喰う――人の体が潰される音を聞きながら、今目の前にいる異形の”捕食”の仕方を冷静な頭が遅れて理解していく。
潰れる音が止むと、肉塊は地面に貼り付けていた体を戻し、僅かに向きを変える。直後、その体のあらゆる場所から巨大な目玉が剥き出し、その瞳孔が蓮達のいる方向へと回った。
「撃って!!」
蓮が声を上げるのと同時に、全員が銃を発砲する。異形の体へ連続して鉛の雨が叩きつけられ、体に数々の穴が作られていく。
巨体な肉塊の表面に剥き出た目玉は次々に潰されていき、弾丸が貫いた所から体液が噴き上がり、悍ましいその体が削り飛ばされていく。
時間にして数秒ほどの銃弾の嵐の後、肉塊は全ての目玉を潰され、体は崩れた粘土の様にボロボロになっていた。
「……んだよ、見かけより余裕――」
「皆離れて!!」
見る陰も無くなった肉塊を見て十三が気を抜きそうになった所で、蓮が焦りを混ぜて叫ぶ。
その直後に、肉塊の外側にへばり付いていた腸の様なものがこちらへ伸びてきた。
その場で最も前に居る十三へ向けて、人の胴よりも太く大きい腸が凄まじい速さで突っ込んでくる。後退しながらも直感的に間に合わないと悟った十三は、衝撃を防ぐ為に体を傾け、左腕を盾にする。
腸が左腕にぶつかる。衝撃と共に、後退する体の勢いが引き止められた。突き飛ばされる事に備えていた十三の思考が、一瞬困惑する。
盾にした左腕を見れば、伸ばされた巨大な腸が腕全体を覆い隠している。腕が圧迫される感触を感じる。刹那、直前に目の当たりにした死体の光景が脳裏を過ぎった。
――
「ッくそ!!」
盾にする為に力を入れていた左腕を脱力、同時に全身の力を振り絞って左肩を引っこ抜くように強引に腕を引っ張る。
圧迫される感触が急激に強くなるのと同時に、嫌な音を立てながら左腕を強引に引きずり出す。激痛が走るが、命の危機にある思考がそれを遮断する。
無理に腕を抜き出し体勢が崩れ、倒れる勢いを止めるべく踏ん張る。ふと目の前を見れば再びこちらへ詰め寄る腸と、その
「ふッ!」
「どきなさい!」
体勢を崩した十三をカバーするべく、政次郎が踏み込みの勢いを持って伸ばされた内臓を叩き斬り、少し離れた位置から蓮が毒の風を飛ばしてぶつける。
十三の目の前まで伸びてきていた先端は斬り落とされ、同時に猛毒に侵された腸の中腹が凄まじい速度で腐り落ちていく。それを見て、十三は体勢を立て直し終えて後ろへ飛び退く。
「十三さん、無事!?」
「ヒビ入って肩が外れた。完全に潰されてねーだけマシだな」
「すぐ治します!」
不自然に伸びた左肩を右手で触りながら、十三は潰されかけて血を流す自分の左腕の状態を確認する。自覚するのと同時に、先程まで脳が遮断していた分の痛みが遅れてやってきた。
すぐにユーリヤが動き、治癒の魔術を十三の左腕へかける。激痛にまで達しようとしていた痛みが嘘のように引いていき、左腕の正常な感覚が戻ってくる。
さすがに外れた肩までは戻らないようだが、これならば問題ないと十三は考える。
「……おいおいおい、なんだよありゃ」
腕が治癒されていく中、改めて目の前を見れば、銃撃によって削り飛ばされた筈の異形の肉体は、内側から肉が湧き出るかのように膨張し、そこへ内臓の様な器官が浮き出てはへばりついていく。
銃弾によって吹き飛ばされた肉や体液は確かにその周囲の地面に散らされているにも関わらず、体は先程銃撃する前と全く変わらない大きさにまで戻っていく。戻った場所からは、全て潰した筈の目玉が泡のように再び浮き出て、こちらを見つめていた。
「……気色悪ぃー。何あのキメラ肉団子」
「”ムナガラー”。グレート・オールド・ワンの一人、”クトゥルフの右腕”。かつて地球の海が一つしか無かった頃の海の支配者よ。……またとんでもないモノを召喚させちゃったみたいね、あの記録の主は」
今対面している肉塊の異形――ムナガラーを見据えて、蓮が吐き捨てる。
人類が生まれるより遥か昔の太古の支配者、旧支配者と呼ばれるものの一柱。普段は世界のどこかしらで眠っているが、魔術書にはそういった化物の力を借りる為に、存在へ呼びかける呪文、呼び出す呪文も往々にして記されている。
最も、概ねが邪神と呼ばれる旧支配者達は、呼び出した所でこちらの言う事を聞いてくれる訳ではない。下級の眷属種族とは異なり、それらは現れれば自身の思いのままに動く。
大方、召喚した者はザイクロトランを従属させた時の様に、ムナガラーを呼び出して自分の手駒にでも使うつもりだったのだろうが……招来した所で、目の前にいた丁度いい”餌”として食われてしまったのだろう。
「思わぬ大物ね……こんなのを野放しにしたら、この山全体が異界になりかねないわよ」
「それほどか」
「というより、この山の状況が悪いわ。今この山に流れる毒霧が記録にあった通りの呪術の産物だとしたら、ムナガラーの魔力と干渉し合う事で瘴気と化して、異界化を促すと思うわ」
撃った弾丸を再装填しながら、蓮が再生を繰り返して蠢いているムナガラーを見据える。
異界と化した空間は、現実が魔力によって変容する事によって閉ざされた空間となる。そうなってしまった
さらに言えば、異界と化した空間ではその場の生物が変異する事で異形が生まれる他、旧支配者の眷属が召喚される事も考えられる。
この状況を放置する事はムナガラーが山で暴れるだけに足らず、異界化によって山自体が他の異形を呼び、生み出す巣となりかねない。
「ここで倒すわよ。呼び出されて間もないなら、むしろこっちのチャンスだわ」
「当然だな。むしろ問題がわかりやすくなった」
「元より、見逃すなど出来る筈もありません」
「いえすマム」
「あいよ。……んぎっ!」
本来絶対的な力を誇る旧支配者達は、常に完全な形で降臨する訳ではない。招来の儀式が不十分であったり、呼び出された直後で十分な魔力や生気を得ていない時などは、本来よりも数段劣る力しか発揮出来ない。
倒すならば今しか無い。ここで立ち向かう事を蓮が伝え、全員がそれを了承する。十三は左腕を垂直に曲げて腹部の前に置いて拳を握り、右手で左拳を押すことで肩を嵌め直す。
十三が肩を戻すとほぼ同時に、ムナガラーがにじり寄りながら腸の触手が再び伸ばして来た。今度は一本だけではなく、全員を襲うべく何本もの触手が先程同様の速度で向かってくる。
「神よ、加護を!」
ユーリヤが声を上げると、淡い光が五人を包む。同時に政次郎と十三が前に出て、自身へ伸びてきた触手を刀で切り飛ばし、拳で弾き飛ばす。
残りの触手は多くが蓮の作り出した毒霧の壁に弱らせられ、真魚の起こした黒い砂嵐が弱った触手を吹き飛ばす。
それでも吹き飛ばせなかった二本の触手がユーリヤに襲いかかるが、ユーリヤを包む淡い光に触れた途端に弾かれた様に跳ね飛び、それを見てまとめてユーリヤがハンマーで殴り飛ばす。
「あまり受け過ぎれば加護も持ちません、注意して下さい!」
「了解した」
「うわなんか手についた!めっちゃベタベタすんだけどこいつの汁!」
十三の文句を聞き流しながら、次々に襲いかかる肉の触手を対処していく。溶かし、切り飛ばした先から再び体から湧き出るように触手が生え、再び蓮達へ飛んでくる。
防戦に徹していれば凌ぐ事は出来る。とはいえ、いくら触手を潰しても数秒もしない内に元通りになる底無しの再生力を見せているムナガラーと、捕まらないように神経を尖らせ続けている蓮達。
これまでの行軍による疲れもあり、長期戦になれば分が悪いのは間違いなく蓮達の方だ。ユーリヤの施した加護によって大事こそ防がれているが、あわや触手に呑まれる所という状況も出ていた。
「埒が明かんな」
「真魚ちゃん、デカいの一発お願い!皆は必死で凌いで!」
「おっけー」
真魚が手元を弄り、大規模な魔術を使用する為に魔術エミュレーターの中の魔術書プログラムを選択する。それと同時にエミュレーターが真魚の精神力を吸い上げ、プログラムが起動する。
精神に干渉する感覚で真魚の動きが僅かに止まり、そこへ触手が殺到した。
「光よ!」
真魚に
「鉄拳ぱーんち」
いつも通りの無表情で抑揚の無い言葉を吐きながら、真魚の前方の景色が僅かに歪む。それと同時に、こちらへ向けられていた触手が明後日の方向へ吹き飛ぶ。
その先にいるムナガラーの肉体が波打ったかと思えば、見えない力に殴り飛ばされた様にその巨体が後ろに流れる沢へと吹き飛び、叩きつけられた拍子に大きな水飛沫が上がる。
「畳み掛けるわよ!」
大きな隙を見せたムナガラーへ向けて、すかさず蓮達が攻撃を集中させる。
猛毒の嵐を叩きつけ、破魔の魔術が体を焼き、銃火が残る肉体を削る。最後に再び真魚が先程と同様の魔術を起動し、今度は生み出した力場を上から叩きつけて相手を押し潰した。
轟音と共に沢からは水柱が上がり、蓮達にまで飛沫が届いて身を濡らしていく。
「……どうだ?」
水飛沫を軽く払い、霧の向こうを見る為に全員が目を凝らす。
霧の奥を警戒して構えつつ、全ての舞い上がった水が落ちるのを待つ。ムナガラーが蠢く時に聞こえる肉が捩れる不快な音こそ聞こえてこないが、誰一人として安易な想像はしない。
漂っている水気が霧散し、視界が開ける。沢には潰されてバラバラになった肉片が散らばり、気色の悪い色の体液が下流へと流れて行っていた。
「――ふぃー。さすがにこんだけ跡形も無くなりゃ、再生のしようもねーだろ」
「……野曽木。海の神と言っていたが、体液の状態から再生するとかはあるのか」
「さすがに無いハズよ……」
ムナガラーの状態を確認して、一様に息をつく。掴まれば即潰されるという状況での戦いは、想像以上に気を削っていた。張っていた肩を落とし、体の力を抜く。
ただ、その場でユーリヤのみが怪訝な顔をしていた。
「どうしたの、ユーリヤ」
「……っ!皆さん、攻撃を!まだ気配は去っていな――」
ユーリヤが声を荒げた瞬間、沢が爆発する様に吹き上がる。そこから鉄砲水の様な激しい水流が低空に撃ち出され、蓮達へ飛び掛かってきた。
誰よりも速く警告に反応した十三が咄嗟に前に出た事で、後ろにいた蓮・ユーリヤ・真魚は水流のそのままの勢いから逃れ、その場で転ぶ程度で済んだが、庇った十三の体は水流の勢いに攫われるまま蓮達の後方まで転がされる。
「伊達さん!」
「無事だ、前から目ぇ離すな!」
後ろに吹き飛ばされた十三をユーリヤが確認する前に、十三が声で制する。
横っ飛びに鉄砲水を避けた政次郎が先程までムナガラーの肉片がいた場所へ向けて手榴弾を投擲するが、到達する前に地面から突き上がる様に現れた触手に当たり、爆発する。
「……あれでも潰しきれんか」
政次郎が悪態を吐く。視線の先には、蠢く臓物が肉片の間にかかり、粘着質な水音を立てながら散らばった肉片を繋ぎ再生していくムナガラーの姿があった。
触手プレイ(戦闘)再び
ちがっ……いやあってるんだけど……でも違う!