がんばれ掃除屋ちゃん   作:灰の熊猫

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3.白い狭霧の中で

「……しかし、さっきから妙に視界が悪いわねぇ」

 

 何度目とも覚えていない休憩を終えて息を整えた蓮は、周囲を見渡そうとする。ある程度進んできた辺りから、森の中の空気に白い粉の様な物が漂うのを目にするようになった。

 最初はただの花粉か何かかと思って気にもならなかった――蓮一人だけ深呼吸した際に吸い込んで咳き込むような事はあった――が、先に進むごとに濃度は増してきた。

 先が見えずに進行が難しいという様な申告な度合のものでもないが、遠くが見渡せない為少々方向感覚が失われつつある。とはいえ、この森に入った直後から十三が定期的に地図とコンパスを確認し、通ってきた木に目印をつけている為、方角や帰り道がわからなくなる事は無いだろう。

 

「目に入ると痛いし、吸っちゃうとせきこむね」

「……真魚ちゃん、その装備だとそんな事ないでしょ」

「んー、防ぎきれてないのかなぁ、たまにむせるよ。こほ」

「私は”たまに”どころじゃないけどね」

 

 蓮が手のみで口元を隠しつつ、ジト目で真魚の顔を見る。空気に浮かぶ花粉が濃くなる前に、真魚は自分のザックからゴーグルとマスクを取り出して身につけていた。

 マスクを身に着けて息苦しくなるのではないかと思ったが、先程からの真魚の様子を見る限りそういう事は無いらしい。途中で「むれるっ」とかキメ顔――雰囲気だけで、表情はいつもと変わっていなかった――で言っていたが。

 とはいえ、マスクをつけてもたまに咳き込む事がある為、マスクの端の顔にフィットさせる為のワイヤーを定期的に触っている。そうやって触っている内に外の空気が入っているのではないか、と蓮は推測していた。

 

「レコーダーでも”視界が悪い”と言っていましたが、この花粉の事だったんですね……」

「いくらなんでも目に見えて濃いっつーのは不自然だなぁ。これ以上濃くなるんなら、さすがに出直す必要もあんじゃね?」

「……そうだな。最悪、人数分の暗視ゴーグルでも揃える必要がある」

 

 真魚と準備を同じくした十三も既にゴーグルとマスクをしており、政次郎も煩わしげにスカーフに口元を深めに潜らせている。ユーリヤは蓮と同様程度の用意しかされなかった為、マスクはしていない。

 空気の薄い場所を歩くのならばマスクはむしろ邪魔なのでは、という出費を減らすためだけに誂えた準備当時の蓮の理屈によって、二人はそういった装備は持ち合わせていなかった。花粉を吸い込み咳き込む度に、二人は三百円程のマスクすら惜しんだ事を後悔していた。

 

「……結構休憩したとはいえ、相当歩き回ってるのに手がかりらしいもの無いわね」

「これだけ葉が積もっていると、掘り返して足跡を探すというのも非現実的だからな。伊達、お前は何か見つけなかったか」

「いんや、救助隊も似たような目印をつけて歩き回ったと思ってなんか無いか見てっけど今ん所はねーな。範囲的にはまだ大して歩き回ってねーし、この付近には来てねーのかもな」

「……えっ?相当歩いたわよね、私達?」

「進軍ペース遅ぇからなぁ。まだ全体の五分の一ってとこじゃねえの」

 

 救助隊の手がかりについて、政次郎が十三に聞いたが、十三はそれに対して文字通りのお手上げという様に肩を竦めて掌を上に返し、肩まで上げて首を横に振る。

 さらりと述べられた”まだ五分の一”という事実に対し、蓮は耳を疑う。相当量の擦り傷を負い、脚が泥塗れになるほど歩き回ったというのに、まだまだ歩かなければいけないのかと考えると気どころか全身が重くなった。

 

「……野曽木が歩けなくなる前に、一度離脱するべきかもしれないな。今日中に終わるとは思ってはいなかったが、これ以上疲労するのは望ましくない」

「せ、政次郎くん……優しさって感情あったの……!」

「単純に調査効率の話だ。効率だけ考えるなら明日からお前を置いていくまで考えている」

「やっぱ政次郎くんだったわ」

 

 現在の進行状況を考えて、政次郎が撤退の提案をする。時間的な余裕はまだまだあるが、休憩を取る間隔は徐々に短くなってきており、このまま続ければ探索の体力が尽きかねない恐れがあった。

 それでなくとも疲労した状態で化物とばったり遭遇するというのは、考えられ得る限り最悪の状況だ。どんな敵がいるかもわかっていない状況で無理をして、こっちまでミイラになる気はない。

 後日のことを考えると、駐車場まで戻ってキャンプするのが最も良いと政次郎は考えた。車にまで戻れば、事前に準備してきたテントや食料も積んである為、数泊ぐらいは可能である。

 これまでしてきた調査する手間を省き、付けてきた目印を見て最短距離で戻れば、いくら蓮が疲労しているこの状況でもここまで歩いた時間よりは遥かに早く戻れる筈だ。

 

「――離脱に異論は無いな。一旦駐車場まで戻るぞ。ここまでの調査範囲についてのまとめと、後日以降も野曽木を連れて行くかどうかについて、話し合ってから一泊する」

「ちょっと待って政次郎くんマジで待って」

「十分休憩は取ったぞ」

「そうじゃなくて」

「安心しろ。一日分の調査費用は払う。今回の働き的に色々と差っ引く事にはなるだろうが」

「それだけは勘弁して政次郎くん!明日から頑張るから!明日本気出すからぁ!!」

「……蓮さん……」

 

 自身の報酬にまで関わる話になり、蓮は政次郎に必死の形相で詰め寄った。常に余裕のある姿――少なくとも蓮は真面目にそう振る舞っているつもりである――を仲間に見せるように心がけている蓮が、そういった考えを忘れる程に必死だった。

 想定外のコストカットを受けそうになって政次郎に縋る蓮を、身につまされる思いでユーリヤは見た。私はああならないように気をつけよう……そう考えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「す、すみません政次郎さん、こほっ、休憩、いいでしょうか……こほっ」

「……今度はシスターか」

 

 帰路についてから、これまでのペース以上に休憩が取られるようになっていた。その原因は今度は蓮では無く、概ねユーリヤが求めた事にあった。

 帰り道になって、これまでの行軍では体力に余裕を持っていたユーリヤが蓮以上に息を切らし始めた。蓮の方も例によって厳しい顔をしているが、蓮が音を上げるよりも先にユーリヤから休憩を切り出される事が殆どだった。

 

「すみません、急に疲れが……けほっ、こほっ!……本当に、すみません」

「無理して喋らなくていい。シスターの体力事情は優先度が高い、しっかりと回復してくれ」

「政次郎くん、私の時とすっごい扱いの差を感じるんだけど」

「シスターに出来る事は潰しが利かないものが多いからな」

 

 咳き込みながらも謝罪するユーリヤを、態度こそ変わらないが政次郎が(いたわ)る。自分が休憩を頼む時とは全く違う態度に対して、蓮の目は細くなる。

 実際、ユーリヤはこの面子における文字通りの生命線の役割を持っている。魔力に対する高い感知能力、異形の生物や魔術に特に有効な防護術、そして死の淵からも命を呼び戻す治癒術。

 特に治癒術に関しては、戦闘らしい事を行っていない現状でも使われていた。花粉のようなものが漂うエリアを探索する様になってから、大なり小なりこの場の全員が僅かだが体調に異常を感じている。

 疲労すれば咳き込みが止まらなくなったり、歩いた事による疲労とは別の倦怠感を感じたりしている。症状が目立ってくる度に、襲撃に備えてユーリヤは術によって仲間たちを治癒していた。

 ただ、その術による消耗は一つ一つは小さかれ、確実に精神力と集中力を奪い、そして時間が経つことでその影響が体力にまで及んできた。現状、仲間内で最も消耗しているのは間違いなくユーリヤだ。

 

「……野曽木、どう思う」

「どう、って?」

「この花粉、魔術に起因するものでないのはシスターの感知外である事からも確かだろう。だが、それ以外……人為的によって生み出された、なんらかの妨害である可能性は無いか」

「……可能性というか、まず十中八九そうよ」

 

 政次郎はずっと前からこの花粉について不信感を覚えていた。まず、出処が分からない。調査中に確認したが、これらの花粉を撒くような木や植物は目に映らなかった。

 次に、空気中の濃度。帰路にも関わらず、戻ろうと提案した時と同じぐらいの花粉が周囲を覆っている。風が吹いているわけでもない事は何度も確かめた。

 最後に、花粉の影響。マスクの有無に関わらず、この場全員が咳き込んでいることと、体力の衰弱を感じている。ユーリヤがここまで追い込まれている時点で、これらは自然現象と言うにはもはや無理がある。

 

「どういう事だ」

「落ち着いてきて今になってわかったんだけど、この粉は何かの毒よ。少なくとも、私の知る所ではないものの、ね」

「……毒だと?」

 

 蓮が断言し、政次郎が訝しげにする。蓮は真魚のザックからマスクを取り出し、ユーリヤに渡した。

 

「さすがにはっきりとした効力はわからないけど……妙に思ってさっき試しに耐性を下げてみたら、少しこっちにも影響が出たわ。まず間違いなく、未知の毒よ」

「お前もここまで同じ症状を起こしていたんじゃないのか」

「……咳は単に濃い所で吸ってたまにむせてるだけ。疲れてるのは自前よ」

「なんて紛らわしい」

「正直申し訳ないとは思ってるわ……自分でもちょっと前に”あれ?なんか皆と感じ違うかな”って気付いて、確かめたわけだし……」

 

 政次郎から冷たい目を向けられ、これまでの事もあって弁解の余地もない蓮は申し訳ない顔を向ける。とはいったものの、情報的に収穫である事は間違いない。

 毒と聞いてユーリヤはマスクをつける。余計に疲れを助長してしまう事は確かではあるが、このまま無防備に未知の毒を吸い込み続ける方が間違いなく危険というのが蓮の判断だろう。毒のスペシャリストである蓮の判断に疑問を挟む事は無い。

 

「しかし、毒か。シスターや十分に隠せてないだろう僕はともかく、マスクをしている伊達や真魚にまで効いているのは何故だ?」

「そっちはわかってるわ。皮膚に付着する事でも体に少しずつ浸透していくタイプだからよ。吸い込めば当然万全の効果を発揮するでしょうけど、そうでなくとも時間さえかければ全員同じぐらい体力を奪われるでしょうね」

「……厄介だな」

「遅効性なのが唯一の救いね。ユーリヤも疲れてきているし、帰るまでは私の能力で回復させるわ」

 

 人間、皮膚を晒さない服装などまずしない。耳まで覆いきる事も、顔全体を防ぐこともそう無いし、服の袖口の僅かな隙間からも肌は空気に触れていると言える。

 故に空気による接触感染というのは知らずに防げるものではない。空気というあまりにも大きな物に混ぜる分濃度が薄くなりやすく、命まで関わる程の事にはそう至らないのが幸いだが。

 蓮は毒に対抗する為の物質――薬毒を放出し、一旦仲間全員の顔全体をガスで覆う。と言っても、害を為すようなものではなく、文字通りの気体(ガス)であり、手っ取り早く顔に付着した毒物を浄化し、呼吸器官を治す為のものだ。

 

「おっ、なんか気分良くなったかも。なー蓮、今マスク外してもいいのか?」

「いいわよ、この場の毒に関してはそれで殺菌出来てる筈だし。あんまり深呼吸されるとこっちの維持操作が面倒だからやめてほしいけど」

「大分、楽になってきました。ありがとうございます、蓮さん」

「……お前の能力で治されるのは、わかっていても正直いい気分がしないな」

「気分が悪くなるレベルまで濃度上げるわよ政次郎くん」

 

 そもそも「全ての物質は有害であり、それが毒か薬かは量による」という言葉があるように、毒物と呼ばれないものもまた過剰な投与をすれば人に害となる。

 その逆も然りで、少量で毒とされる物質も微量であれば人体に必要不可欠なものが多くある。医薬品などの人の体を整えるモノもまた、同じようなものだ。

 蓮の能力は毒を操ることであり、その中身を致死レベルまで濃くすることも、薬品レベルまで薄くすることも自在だ。一口に”毒の操作”といっても、その幅は極めて広く応用が効く。やろうと思えば怪我すら無理矢理治す毒すら作れる。

 ……とはいえ、ユーリヤの術ほど治癒に適している訳でもなく、適切な毒を生み出すにも操るにも集中力を要する為、基本的には適材適所として仕事は分けている。蓮の能力が最も効力を発揮するのは、やはり生物に対しての攻撃だからだ。

 

「んじゃ、皆マスクつけて。……とりあえず即座に影響が出るタイプじゃないのは確かだから、休憩の度に今のガスを作るわ」

「今のガスを常時展開する事はできないのか?」

「出来ない事はないけど、四人分となると維持に集中力が持っていかれるのと、非常時に激しく動かれるだけで私の操作がおっつかないわ。立ち止まって休憩してる時じゃないと辛いわね」

「……野曽木で防げるとわかっただけ儲け物だな。ちなみに、皮膚に付着した分は殺菌しなくていいのか」

「帰ってからね。……正直、この状況で襲われないと思う?」

「僕が襲撃するなら、今しかないな」

「敵が来る事を想定するなら、消耗は最低限に留めたいわ。……今、確実に毒を受けていないと言い切れるのは私だけだからね」

 

 常に最悪の事態は想定する事。そして、自分が相手の立場だったらどうするかを予想する事。それらの観点から言って、既にこちらは敵の術中に嵌っている可能性がある。

 非自然の毒、山中に存在する化物、削られた体力。これらが全て知性のある者が引き起こした事であれば、この状況で易易と帰れるとは思えない。

 蓮と政次郎の会話により、自ずと五人は未知の敵による襲撃に備えて警戒し始めた。今見えている物、周囲の音、空気のざらつき。それら全てに、警戒を払う。

 

「――真魚、後ろだ!」

 

 何かの違和感を感じた政次郎が真魚へ叫び、十三が真魚の方向へ一息で跳ぶ。

 直後に真魚の後方から影が伸びてくるが、真魚に当たる直前で十三が間へ割って入り、ほぼ考えずにその影にすかさず左の豪腕を振るう。

 その影は拳に当たる前にうねり、振り抜かれた腕に絡みつき、その影の先が十三の胴部へ巻き付いた。

 

「……木ぃ!?」

 

 自分の腕に絡み付いた存在を確かめ、十三が大きく声を上げる。

 全員が影の正体を目で確かめた。筒の様に太い灰色の木の枝が十三の腕に巻き付き、楕円に広がった平べったい先端が胴体に巻き付いている。枝の大元を見やれば、四メートルはゆうに超えるだろう、巨大な影がある。

 まるで巨大な枯れ木の様だった。そのシルエットには幹と枝()()()()ものしか見えない。急激に空気が動いた事で、白い霧は少しずつ蓮達の後方へ流れていく。

 そして周囲の霧が薄まった事で気付く。その巨大な木の上部が不自然に丸いことと、その部分が()()()()()()()()、牙を覗かせていることを。

 

「十三さん、ほどいてッ!!」

 

 蓮が大声を上げると同時に、十三の体は地面から引っこ抜かれる様に、その巨木の”手”によって引っ張られ、強制的に宙に浮かされた。

 




「なんでいぶすたなのにareな事しないの?」って誰もが(自分すら)思ってるので触手プレイします。十三さんに。
そうじゃない?そんなことはわかっている  わかっているがなにかがおれを動かしている!!

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