がんばれ掃除屋ちゃん   作:灰の熊猫

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幕間.高値と花

「これなんてどうかしら、蓮」

「……値段、高くないかしら」

「ちゃんとした服なんてこんなものよ」

 

 ショッピングモールの一角、婦人向けの服屋にて。蓮は数少ない友人である蜜柑と共に、服を買いに来ていた。

 先日の潜入事件の帰り道、唐突な襲撃によりキャリーバッグごと船での給与といくらかの着替えを失った蓮は、急ぐほどでも無かったが替えの服が必要だった。

 そこで前々から”時間でもあったら一緒にショッピングにでも行こう”と誘ってくれていた蜜柑に事情を説明し、こうして服を買いに来ていたのだが――

 

「じゃあこのドレスなんてどうかしら」

「さっきより高いわよぉ!蜜柑さんさっきから分かってて高いの選んでるわよね!?」

「そう見えるかしら」

「そうにしか見えないわ」

「まぁ、そうだからね」

 

 ふふ、と薄く微笑みながら蜜柑は次々に高値のタグ付きの服を見せてくる。”お勧めのものは何か”と聞いて、こちらの事情を知る身――むしろこちらの事情と一心同体にも等しい――でありながら、楽しそうに高値の服ばかりをチョイスしてくる辺り、本当にいい性格をしていると蓮は思う。

 しかし、微笑みながら服を見せつけてくるその様が妙に可愛らしく見えるのでどうにも嫌気が差さない。……恐らくその辺りも計算の内で、こちらをからかいに来ているのだろうが。

 

「やれやれ、折角半分ぐらい真剣に選んでるのに傷ついちゃうわ」

「……蜜柑さん、実は結構はしゃいでない?」

「あら、そう?」

「なんというか、いつもより楽しげに私をからかってる気がして」

「心外ね。私はいつも蓮で楽しく遊んでるわよ」

「”蓮で”て」

 

 こちらの反応を見て、再びくすくすと笑う。いつも表情を崩さないこの人にしては、今日はよく笑っている。目の形はあまり変わらないが、口の端が上がっているのを見るだけでも蜜柑の内心は十分に察せられる。

 ショッピングに行こう、と言われたのは借金を背負った直後の事だったが、それからしばらくは借金や利子の返済の為にひたすらあちこちの事件の解決に奔走していた為、その口約束は長らく守られていなかった。

 何気ない口調で言った事とはいえ、蜜柑本人はずっと覚えて気にしていたのかもしれない。そう考えると、少々申し訳無さが沸いてくる。

 

「……今回のショッピング、実は楽しみにしてたの?」

「別にそうでもない……と、思っていたのだけれど。いざこうして来てみると、新鮮だからね」

「新鮮?」

「ええ。ウチの仕事柄、こうして女友達とショッピングなんてそうそう機会が無いもの」

「……あぁ、納得」

 

 蜜柑の仕事とは、この市一帯の裏を取り仕切る”弥武(みぶ)組”……いわゆる極道稼業の事である。

 その規模と発言力は警察すらも無視できず、この市内の裏稼業に関わる者なら知らない者は居ないという位の大規模な組だ。

 また、蓮の背負った借金の肩代わりをし、現在進行系でその返済の要求をしている所でもある。

 

「お互いここの所忙しかったからねぇ……」

「どこかの誰かさんのせいでね」

「……ハイ、スイマセン」

「冗談よ。半分は」

「スイマセン」

 

 蓮の背負う事になった二十億という借金は、本来は総額で七千万ドル――六十億円相当という、現実感すら沸かせない程の物だった。それをあちこちのツテを使い、あらゆる方法によって肩代わりし、蓮本人の借金を二十億にまで抑えたのが、現組長代理である蜜柑だった。

 蓮以上の金の工面と返済に加え、蓮が任務の際に手に入れた真っ当でない品物の処理、銃器類の横流しなど、本業を含めると蜜柑の最近の仕事は考え切れない程に多い。

 本来ならばとうの昔に見限られていても当然な立場の蓮にとって、こちらを庇ってくれた上にまだ面倒を見てくれている蜜柑は頭の上がらない存在だった。

 

「そんなに気にしなくてもいいのだけど。最近は返済のペースも良かったんだし」

「……ここに来てヤマが見つからないの、蜜柑さんも知ってるわよね……」

「昔からこの手の仕事はこんなものじゃない。あまり慌てるから、変に焦れちゃうのよ。もう少しどっしりと構えちゃえばいいのに」

「どっしりと構えてる間に利子の請求が来て金が無くなっちゃうんだけど」

「人間、ヤっちゃえば出来るものよ」

「待って今変なニュアンスなかった?」

 

 蓮以上に頭を抱える立場である筈だが、蜜柑の顔にはいつも不安だとか焦りだとかは浮かばない。常にポーカーフェイスで、余裕を持って淡々と仕事をこなしていく才女。それが蓮から見た蜜柑という人物だ。

 実際、蓮はこういったショッピングに来る予定は少なくとも暫くは無かった。多額の借金を抱えた身でありながら、趣味嗜好に投じられる金も時間的余裕も無いと考えていたからだ。ここに来たのもあくまで仕方のない事だからという思いが大きい。

 

「全く、少ない機会なんだから楽しんじゃえばいいのに。買う気が無くとも、こういった服を見て着て楽しむのもまた服屋の楽しみの一つなんだから」

「……蜜柑さんほどのメンタルも余裕も無いのよ……」

 

 だが、それ以上に余裕の無い筈の蜜柑はこうして楽しげに服を物色している。切り替えが上手いというか、仕事(オン)休み(オフ)の住み分けが頭の中できっちりされているのだろう。

 蓮も目の前の服を一つ取り、真っ先にタグを見る。四桁の後半にさしかかった数字を見て、一瞬思考が停止し、すぐにこの金額でどれだけの生活用品や食料が買えるかが頭をよぎる。その後、手に取った服を真顔で元の場所へそっと戻した。

 

「さっきからそんなのばかりよ、蓮。手に取っては顔を引きつらせて、元に戻す。そんなんじゃ何しに来たんだかわかんないわ」

「……仕方ないでしょ……今の手持ち、利子一月分も無いんだし……こういう所で慎重にならなきゃ、金なんてすぐ無くなっちゃいそうだし……」

「いつも装備だとか弾薬だとかざっくりと買っていっていくのに。変な所貧乏性よね」

「あれは……その、仕事で何があるかわかったものじゃないし。準備はしっかりするべき、っていうか」

「それも本当だろうけど、単にそういう時だけ金銭感覚麻痺してるだけでしょ?」

「……ハイ」

 

 蓮の仕事は準備だけで何百万円とかかる事がザラにある。弥武組からの横流し品である銃器類・弾薬・防弾ジャケット類を始め、魔術や異形対策の品など、表では流通しない分信じられない程高価なものを買うことが多いからだ。

 ただ、こういった品に金を惜しむ事で痛い目を見る事を見ることは多々ある。まともな生物相手ならば凶悪極まりない蓮の能力は、決して万能ではない。

 以前に蓮の毒で対抗し辛い敵に多く直面した際、愛用のショットガンの弾切れを起こして「邪魔だから下がれ」とバッサリと政次郎に言われたのは記憶に新しい。

 そういった経験もあって、蓮は準備の際には一切金に糸目はつけないのだが……何十万とする品を一度にいくつも買ったり、銃弾や薬品を「買えるだけ」と総額も考えずに買おうとする為、高額の買い物に限っては金銭感覚が完全に死んでいた。

 

「そうやってまごついてたら、本当に全部私が選んじゃうわよ。……あ、ほら、このワンピースとかどう?絶対かわいいわよ」

「いやいやいやいや、何そのヒラヒラなの。絶対似合わないわよ」

「そう?結構あっちのビデオとかでは着せられてる女優多くないかしら」

「そんな所で同意を求められても困るし、さらっと私を売りに出そうとしてないかしら」

 

 蜜柑が見せてきたのは、いかにも清楚系といった薄い色を基調としたワンピース服だった。いかにもティーンエイジャー向けといった可愛らしい印象の服で、いつも着ている服とは正反対の印象を抱かせられる。

 というか、仮にも一般人がいる前で変な事を言うのはやめて頂きたい。言った蜜柑は何事も無いように振る舞っているが、一緒にいるこちらが恥ずかしくなる。

 

「まぁそれは冗談として、たまにはこういう可愛らしい系の服もいいんじゃないかしら。いつもこういう服着ないんだし、案外着てみたら気に入るかもしれないわよ」

「……いや、やめておくわ。蜜柑さんには悪いけど趣味じゃないし、それに……」

「それに?」

 

 蓮は蜜柑から少し目を逸らして呟く。

 

「ちょっと、嫌なことを思い出すから」

「……そう」

 

 それだけを伝えると、蜜柑は何も言わずに服を戻した。多くを伝えずとも触れて欲しくない所には踏み込まない、そういった蜜柑の心遣いを有難く思う。

 こちらにとって、別に”嫌なこと”は思い出したくもないという程の事でも無い。この稼業に入る前の、人並みの思い出。ちゃんとした家族がいて、悩み事があって、普通の幸せがあったというだけの事。

 ただ、ある事件に巻き込まれた事を境目にそちらへは戻れなくなった。今更その事に対して恨み言がある訳でもなく、自分の中では割り切ったつもりでいる。だからこそ、自分から昔へ戻ろうとは思わなかった。

 

「じゃあこれはどうかしら。ちょっと前に流行ったらしいわよ、このニット」

「いやそういうのもちょっと」

 

 空気が少し淀みそうになった直後でも、蜜柑はさっきまでと同様に服を勧めてくる。それが気遣いなのかどうかは、その変わらぬ表情からは読み取る事は出来そうになかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「結局、かけた時間の割には全然買わなかったわね、蓮」

「こんなものでしょ、元々失った分の着替え買いに来たんだし」

「色気が無いわねぇ。そんなんじゃ受け良くないわよ」

「別に、見栄えを気にするような相手なんていないわよ。蜜柑さんもわかってるでしょ?」

「いや、男優から」

「だから売る予定は無いわよぉ!!」

 

 結局あれから蓮は半ば押し切られる形で蜜柑の勧めた服を試着させられては戻すという事を繰り返し、最終的にはシンプルな部屋着と下着の替えだけを買う所に落ち着いた。

 どうせだから蜜柑にも同じ目に合わせてやろう、と思い少女服を取った矢先に「私の分はもう買ったわよ」と、いつの間にか服を確保していた蜜柑を見た時は流石に面を食らったが、何はともあれショッピングは終わった。

 「どうせだし色んな所を見ましょうか」という蜜柑からの提案で、ショッピングモール内の他の服屋や生活用品店などを回っていたら、気付いた時には日が暮れ始めていた。蜜柑の言う通り、買った物の数の割に随分と時間をかけてしまった。

 

「今日は結構楽しかったわね。次はいつにしましょうか」

「悪いけど、当分その予定は無いわよ……今回だって事故みたいなもんだったし」

「あらそう。残念ね」

 

 実際、そんな余裕は無い。前回の任務による報酬は預金に入ってはいるが、利子の支払いや緊急時に何か物資が必要になった時の事も考えると心許ない。しばらくは財布の中身と相談しながら、情報収集に走らされる毎日となるだろう。

 そんな事は付き合いの長い蜜柑にしてもわかっているだろうが、それほど今日が楽しかった、という事だろうか。

 

「……結構意外だわ。蜜柑さん、こういう無駄な休日って嫌いそうなものだけど」

「あら、心外ね。こういった休日は全然無駄なんかじゃないわよ。人間、張り詰めてばかりだとパンクしちゃうもの。仕事の合間には息を思いっきり吐いて、また吸う。何よりも必要な事よ」

「……今の私にはちょっとキツいわ……」

 

 蜜柑が胸に手を当て、深呼吸する振りを見せて諭してくる。その言葉は実際間違いではないと思うが、余裕のない今の身の上では少々実践し辛いものだ。

 

「それに、お互い危険な仕事をやってるもの。明日にはどうなるかわからない、だけど今はこうして遊んで、話していられる。それはとても幸せな事よ」

「――……そう、ね」

 

 ただ、二つ目の言葉だけは身に染みた。確かに、こうして日常にいられる事自体が幾度も命の駆け引きをしている蓮にとっては何よりも掛け替えのない事だ。蜜柑も方向性こそ違うが、一歩間違えれば生活を失いかねない稼業の中に身を委ねている。

 非日常に身を置くからこそ、日常を大切にしなければならない。危険な戦いにばかり身を置いてしまうと、どうしてもそれを忘れてしまい、思考が偏っていく。

 そういう状態が、最も危うい。……蜜柑は、そう伝えたかったのかもしれない。

 

「蓮が居なくなっちゃうとうちの抱えてる借金の返済も困るからね」

「……ソウネ」

 

 流れで一緒に少しの間でも忘れられた事情(ところ)にきっちりと釘を打ち込んでくる辺りは、蜜柑らしい厳しさだと思った。

 




いぶすたCG集発売おめでとう記念で何か書きたかったので書きました。
実は船編終わった直後にこの回を考えてたんですが、なんか面白くなかったので一度没ったヤツを書き直しました。もうどうにでもなれ(投身

いぶすたCG集を見て書きたい欲が復活してきたので、今必死こいてネタ探してます。次の事件はまだ待ってください……(土下座

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