「ママ! 写真撮って!」
友人とのショッピングから帰ってくるなり、娘のエイスリンがリビングに飛び込んで来たのを見て、母であるソフィーは首を傾げた。家に帰って着替えもせずに、写真を撮ってとはどういうことか。
とは言え反対する理由もない。エイスリンからスマホを預かり、ソファに座った彼女の前に立つ。学校では常に持ち歩いているらしいホワイトボードに殴り書きで『His name is charo!!』と書かれている。彼、というのは腕に抱かれたぬいぐるみのことなのだろう。
見覚えがないから、今日のショッピングで買ってきたもののはずだ。燻った金色の体毛をしたとぼけた表情の動物は一見では何の生き物なのか分からなかったが、ぎゅっと抱きしめている辺り娘はこの謎の生き物を気に入ったのだと解る。
何カットか写真を撮ってスマホを返すと、エイスリンは急いでスマホを操作してどこかにそれを送信した。一仕事やり終えた感じの彼女は、間抜けなぬいぐるみを胸に抱きしめながらソファに寝転がっている。近年見たこともないくらいに嬉しそうなその態度は、他人にこの気持ちを打ち明けたくて仕方がないと言っているように見えた。
昔から顔や態度に出やすい娘だったが、ここまでというのも珍しい。よほど良いことがあったのだろうな、と気付いてはいたが、何も知りません気付いていませんと言った風にソフィーは問いかけた。
「機嫌が良さそうね。さっきの写真も随分と嬉しそうだったけど何かあった?」
「だってママ、ようやく生意気な後輩に仕返しできたのよ? 嬉しくない訳ないわ」
「……麻雀部に後輩はいなかった気がするけど」
「この間シロたちが友達を連れてきたって話したでしょ?」
「思い出したわ。遠くに住んでる男の子の話ね」
「そう、その男の子!」
タタ、とスマホを操作してエイスリンが写真を差し出してくる。中央にいるのがその男の子なのだろう。ぬいぐるみと同じ燻った色の金髪をした、中々ハンサムな少年である。顔を見て、ソフィーは彼がエイスリンの好みの線だと直感した。同時に、髪の色とぬいぐるみの色の共通点から、彼女がどういう意図でぬいぐるみを買ってきたのかも察する。
「この子がね、カピバラって齧歯類を二匹飼ってるらしいんだけど、その片方の名前がエイスリンなんですって」
「不思議な縁もあったものね」
「それにね、この子キョウタローって名前なんだけど、私が上手く発音できないからって笑うのよ? だからかわいい名前をつけてあげたわ、チャロってね」
ふふん、とドヤ顔のエイスリンである。この時点で、数分先の娘の痴態について予想ができたソフィーだったがそれも口にも態度にも出さない。
「そしたら今日、シロたちとショッピングにいった先で、この子を見つけたの! 何だか運命を感じたわ! だからチャロって名前をつけて可愛がることにしたの。おっきい方のチャロが恥ずかしがるのが目に見えるようだわ!」
ふふふ、と小さく笑うエイスリンは本人的には悪い顔をしていると思っているのだろう。母親としては子供が悪ぶっているようにしか見えないが、本人が幸せそうなので放っておくことにする。昔から『黙ってさえいれば正統派美少女』と評判なせいか、たまにどうしようもなくアホになるのだ。
「つまり貴女は、自分でニックネームをつけた年下の男の子と、同じニックネームをつけたぬいぐるみを買ったという事実を、その男の子に写真と一緒に知らせたということね?」
「そうよ?」
「……よっぽどその男の子のことが好きなのね。浮いた話のない子だから心配してたんだけど、貴女も人並みに恋をするんだと知って安心したわ」
「な、何を言ってるのママ!」
「だってそうでしょう? 異性と同じ名前をつけたぬいぐるみを持ってますなんてアピールをするなんて、『貴方のことが大好きです』という以外にどういう解釈をすれば良いの?」
「どうしようママ! もうメールは送っちゃったわ!!」
「今度からはもう少し考えて行動しなさい」
あー! と顔を真っ赤にしてごろごろ転がるエイスリンは、それでもぬいぐるみを離さない。これは本当に大好きの線かしらと微笑ましく見守っていると、エイスリンのスマホが震える。メールの着信のようだ。もたもたした手つきでエイスリンはそれを確認し――そのまま恥ずかしさのあまりしおしおと崩れ落ちた。
スマホの画面に表示されていた写真には、件の少年がとぼけた表情のカピバラと一緒に写っていた。ホワイトボードは用意できなかったのか使われているのはノートだが、そこには中々流麗な筆記体で『Her name is Aislinn!』と書かれていた。
中々ユーモアのある子だなと感心したソフィーの好感度は、こうして人知れず上がったのである。
小さい方のチャロ。英語で言うとリトル・チャロ。いや、奴は確か犬だった気がしますが。元々後書きに軽く載せる程度の予定だったものなので短めでした。
次こそ有珠山編です。