セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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現代編18 長野県大会 個人戦編②

 

 

 

 

 

 

 美穂子を相手に乙女の心が一つになってから一晩明け、女子個人戦本戦である。咲を含めやる気を出した面々であったが、蓋を開けてみればどうにも結果が伴わない。

 

 予選は東風戦であったため優希の独壇場だったが、本戦は東南戦十戦のトータルポイントの多寡で争われる。あれだけ皆がやる気になっていたのだ。さぞかし混戦模様になるかと思われたのだが、結果は中々厳しいものとなった。

 

 前半五戦が終わってのトータルポイントは京太郎の予想の通り美穂子がトップである。五戦全て一着という連帯率どころかトップ率100%の非の打ちどころのない成績だ。風越の控室に戻る途中らしい美穂子を遠目に見たが、こちらに気づいた彼女はその場でかわいくガッツポーズを決めてみせてくれた。

 

 普段は自分の成績を誇ることなどめったにしない彼女がである。後から考えればそれだけ嬉しかったのだというのは解るのだが、その時はあの美穂子がいきなりそんなことをするものだから京太郎は動きを止めてぽかんと見とれてしまった。

 

 その顔がよほど間抜けに見えたのだろう。はたと自分が何をしたのかに思い至った美穂子は顔を真っ赤にしてぱたぱたと控室の方に駆けていってしまった。後でちゃんとかわいかったですよと連絡しておこうと思う。電話口でもだえる美穂子を相手にするのが今から楽しみだ。

 

 美穂子に少し離されての二着は去年のインターミドルチャンプである原村和である。二着一回一着四回というのは平素であればトップでもおかしくない成績だ。事実和は自分がトップだと疑いもしていなかったようで、『世界はこの私を中心に回っています!』とでも言いたげなそれは見事などや顔を浮かべてのしのし歩いて束の間の我が世の春を謳歌していた所から、自分の名前の上に美穂子の名があるのを発見し愕然とした表情を浮かべるまでの落差はこれ以上はないというくらいに芸術的でもあった。

 

 時間を無駄にせずしゃきしゃき動く和がその場に五秒も固まっていたら心配にもなる。この急転直下は流石の和でもショックだったのだろうと同級生のよしみで慰めようと近づくと、和は京太郎には目もくれずに猛ダッシュで清澄の控室に戻っていった。

 

 美穂子の強さは嫌という程理解しているだろうから、直接対決があった時に点棒をむしれるように少しでも対策を立てておきたいのだろう。誰か一人はそうなるだろうと予想して控室には既に片手で摘まめる軽食と飲み物と食後のおやつを用意しておいた。一時間のインターバルで大いに役立ててもらいたいものである。

 

 その他、美穂子相手に気炎をあげていた昨日の面々の多くが前半で結果を残した。予選落ちした佳織と睦月以外の決勝メンバー13人が決勝にコマを進めた訳であるが、十位までに四位の久、五位の純、八位の透華、九位の一、十位のゆみと和を含めて六人も名を連ねたのを始め、20位までに二名以外の全員がランクインしている。

 

 トップ2との差は厳しいものがあるが椅子は全部で三つ。残り五戦もあるのだ。ポイント数から考えてもトップ20くらいまでならば、上の状況次第では十分残りの椅子も射程圏内だと京太郎は考えている。まだまだ勝負はこれからだ。

 

 いくらかトップを狙うのに問題があるとすれば20位までにランクインしなかった二人だ。一人は鶴賀の部長の蒲原智美。ゆみと接していた時間が長い分予選落ちした二人よりは強いのだろうが評価はそこで止まってしまう。特筆することが他にないのだ。決勝にコマを進めた百人の中であれば大体中の中から中の下と言った所だろう。弱くはないが強くもなく順位も52位と相応のものだ。

 

 そして智美が相応であるとするならこちらはそうではない、我らが宮永咲である。着順は32213と順位は31位。団体決勝で劇的な逆転劇を演出した選手とは思えない微妙な順位であるが、こういうことが起こるのもまた麻雀である。

 

 そもそも咲は公式戦での対戦経験が少ない。今まで部活に所属したことがなく教室に通ったこともないため回数で言えば清澄麻雀部の中でぶっちぎりの最下位である。姉である照とお母さんがとても強いとのことで強者との対戦経験こそまぁまぁであるが、実力に大きく開きのある人間を交えた上でその中でできるだけ順位を上げるという行為を咲はほとんどしたことがない。

 

 久が呼吸をするように行うカモを狙い撃ちにするという行為が、咲はとても苦手なのだ。咲の感性は概ね自分がアガることと振らないことに特化しているため、理論込みで相手の手を予想するというのはびっくりするほど苦手である。

 

 さらに±0をしていた期間が長かったためか咲の麻雀は基本的にじりじりと足をためて最後の一アガりで全てを調整する、要はスロースタートな展開になりがちだ。早い展開だろうとおかまいなく足をため最後にドカンとアガる。言葉にすると労力が少なく玄人好みの理想的な麻雀に思えるのだが、自分で足を速めるということを基本的にはしないため例えば優希みたいな前半で押し切るタイプには本来相性が悪い。

 

 そしてヘボが一方的に凹むような展開に同調するのが一足遅く、今回の三着二回もそれが原因となっている。一回目は不用意な振込から下家が飛び押し出されての三着。最後はもっと酷く、東パツで二回連続で下家が親に振込み席順の差で三着となった。

 

 それでもラスを一度も引いておらず振込もゼロ。ポイントトータルで見てもプラスというのは麻雀を五戦やった結果としては決して悪いものではないのだが、困ったことに今回のルールはトータルポイント上位三人が全国出場という獲得したポイントの多寡が物を言うルールである。

 

 トップの美穂子と二位の和の後半の不調が今のところ期待できない以上、ここから逆転するには二十人以上をごぼう抜きにして三位に収まるより他はない。残りの五戦は全部トップで行くくらいの覚悟が必要だろう。地力で行けばそれも可能なはずであるが、前半五戦を鑑みるに何が起こるかが解らないのが麻雀だ。咲にとっても、苦しい後半戦となるだろう。

 

 全くもって京太郎が望んだ通りの展開だ。経験の少なさは逆風の吹く実践で磨くのが一番である。咲は地力はあるのだから、後は何としても勝つのだという闘争心と経験を積むこと。むしろこれくらいのハンデがあった方が咲にはちょうど良い。

 

 今頃控室でどんな顔をしているのか。楽しみではあるが、京太郎には一つ野暮用がある。

 

『あの爺さん、明日孫の応援に行くらしいぜ』

『京太郎くんの大好きなあの人、明日長野だって』

『例のあの人、そっちの予選見に行くらしいよ。お孫さんの応援だってさ』

 

 咏を始め複数の筋からの情報だから間違いはない。著書も持ってきたし準備は万全だ。とは言えあちらもお孫さんの応援なのだから時間は取れない。会場を一周ぐるっと回って清澄の控室に向かう。それでも見つからなければ諦めよう。見つからないのもらしいと咏たちも笑ってくれるだろうが、見つからないかもという不安は京太郎にはなかった。

 

 勝負運のなさには自信があるが、人物運とでも言うのか人に関する運が良いという自信がある。お孫さんとやらの成績が悪ければ会うことを見合わせることも考えただろうが、それらしい珍しい名字は三位にいたのできっと大丈夫だろう。今日ここに本人がいて、自分は会いたいと思っている。なら会えるだろうと楽観的に考えて京太郎は足を踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『後半もがんばってね! 数ちゃんなら絶対全国行けるよ!』

 

 数少ない――平易な言葉を使うならこの世でただ一人の友人からの励ましのメールを見て、南浦数絵は微苦笑を浮かべた。自分は大概に薄情な人間だと思っていたのだが、こんなメール一つで暖かな気持ちになるのだから、どうやらそうでもないらしい。

 

 長野県大会個人戦決勝。団体戦に出場しなかった数絵にとって昨日の予選が高校の公式戦最初の試合だった。東風戦という数絵を苦しめるためにあるとしか思えないルールの対局を何とか突破した今日からようやく東南戦となる。

 

 果たして自分の力がどこまで通用するのか。力試しの意味もあった今日の対局は、前半五戦を終えて総合ポイントで第三位。上位三名が全国出場であるから結果としては上出来の部類に入るだろう。

 

 出場圏に入ったことで他の選手からのマークも厳しくなる。リードを守ることを考えればトップで通過したかった所であるが、数絵の上を行った二名は県下でも有数の巧者だった。

 

 トップは去年も個人で全国出場を果たした名門風越女子の福路美穂子。去年は個人戦で全国出場。団体戦は三年連続でレギュラーを務め今年はキャプテンまでやっている才女は、前半五戦をなんと全勝で折り返している。県レベルであれば大抵の選手には負けない自信のあった数絵をして勝つビジョンがほとんど見えない相手だ。

 

 二位は去年インターミドルを制覇した原村和。数絵と同じ一年である。五戦四勝二着一回という成績で美穂子がいなければトップとなっていただろう彼女は、去年インターミドルを制した時にはあまり程度の高くないデジタル打ちをしていたように思うのだが、今年は見違えるほどに腕を上げていた。

 

 指導者が良かったのかと思えば、彼女の所属する清澄高校の麻雀部は部員五人――男子を含めても六人の弱小部。個人でも団体でもここ最近の出場記録がなくコーチはおろか監督もいないらしい。およそ部活動としては最悪の環境だ。

 

 部員同士で切磋琢磨したとでも言うのだろうか。確かに女子団体のメンバーは全員が目を見張るものがあった。六人しかいないとは言えあのクラスのメンバーが揃うのであれば練習でも相当に濃い密度となるだろう。数絵だって参加したいくらいである。

 

 その粒揃いの清澄の中でも特に数絵の目を引いたのは先鋒の片岡優希だ。自分と真逆の性質を持った彼女のオカルトは自分とは極端に相性が悪い。どうしても腰が重くなりがちな数絵からするとできれば一生相手にしたくない手合いであるのだが、それも技量が同じ程度であればの話。

 

 前半二戦目で対局した時の彼女は東場で安全圏まで逃げ切ることができず、数絵の餌食となってくれた。ノリに乗っている時に戦わなくて心底良かったと思う。調子の良い時に当たっていたら、前半三位という結果を得ることはできなかっただろう。

 

 全体的に運が向いている。一年で全国出場など甘いことはないと思っていたが、このままいけばもしかするかもしれない。

 

「調子に乗っていると足を掬われるぞ。私が言うんだから間違いない」

「それで大失敗をするのが南浦の血筋らしいですからね。おばあ様もお母さまも言ってました」

 

 その南浦の性質で苦労した面々が言うと重みがあるというものだ。数絵自身も眼前の祖父も南浦に嫁いできた女性からは耳にタコができるほど言われている。いくら家の性質と言ってもそれで足を掬われるのもバカらしい。どうせなら良い結果を出したいし全国にも行ってみたいし、何より友達の喜ぶ顔が見てみたい。

 

 ちらとスマホに視線を落とす数絵を見て、聡はうんうんと頷く。本当に色々あって自分が引き取ることになったが、通うことになった公立高校は麻雀部が部員一名で廃部寸前。個人戦の出場さえ危ぶまれたような環境に幼い頃から麻雀に打ち込む彼女を放り込む羽目になった時には、ただ一人の孫に何と言って詫びたら良いものかと頭を悩ませたものだが、部員一人の麻雀部に足しげく通うようになってからの数絵は、不器用ながらもよく笑うようになった。

 

 勝ちたいという気持ちにも厚みができれば、熱意もまた磨かれるというものだ。応援する人間がたった一人増えただけで、並み居る強豪を抑えて三位という結果が、数絵の好調を物語っている。祖父でシニアプロである聡の目から見ても、今の数絵は今までの選手生活の中でも最高の状態と言っても良かった。

 

「勝って友達に報告に行きたいもんだな」

「そうですね」

 

 中学の時は大所帯だったものだから、部活動で少人数での移動というのも初めての経験である。個人戦とは言え全国まで行くのだから、いくら弱小校の弱小部でも予算くらいは降りるだろう。部員は二人。全国ついでの小旅行というのも悪くない。

 

「今度うちにも連れてきたらどうだ? お前の友達だ。顔の一つも見ておきたいんだが」

「おばあ様からも今朝言われました。似た者夫婦ですね?」

 

 からかうように数絵が微笑むと、祖父は面白くなさそうに視線を逸らした。数絵と一緒に暮らす祖父母はどうやら昨日の夜に喧嘩をしたらしく、今朝もそれが尾を引いていた。どちらもへそを曲げて口を利かないなど頻繁になることなので気にもしていなかったが、孫としては仲裁の一つもしてあげたいところである。

 

「それはそうと喧嘩の原因はなんだったんです?」

「原因は些細なことだったんだが、奴が本のことを持ち出してきたもんでな」

 

 祖父の言う本というのは数年前に家族の反対を押し切って自費出版した本のことだ。二千冊も刷ったのに八割強がまだ祖父の部屋に積んである。出版に関しては素人の数絵から見ても、刷る桁を一つ間違えたんじゃないかと思う程の眩暈のするような在庫量だ。

 

 売れるつもりで刷ったのに八割以上残ったのだから誰がどう見ても大失敗と言えるだろう。自分の部屋に在庫を抱えることになった祖父本人もそのことは理解しているはずなのだが、大っぴらには是が非でも認めようとしないのである。

 

「三百冊しか売れなかったんですよね。そのご本」

「三百十二冊だ!」

「端数は綺麗に切り捨てた方が美しいですよおじい様」

「三桁の下二桁が端数なものかよ!」

 

 実売部数でからかってもこうして即座に修正してくる。売れなかった本なのだ。さぞかしつまらないのかと思えばそういう訳でもない。孫であるという贔屓目を抜きにしても、中々含蓄深い内容だったと思うのだが、一般大衆的にはそうではなかった。

 

 売れない本が面白くない本ということはなかろうけれども、売れていない以上その要因があると考えるのは当然のことである訳で、祖父はそれを他人のせいにしたりはしない実直な人ではあるからこうしていつまでも引きずることになるのである。

 

 そういう真っすぐな所が良いところなのよ、と祖母はこっそり耳打ちしてくれる。結婚してそろそろ四十年になろうかという夫婦であるが、仲良しなのは良いことだ。

 

 さて、と数絵は気持ちを切り替える。いつまでも祖父と談笑していたいのは山々であるが、今は大会のインターバル。応援に来てくれたシニアプロとは言え、目の前にいるのだから使うべきだ。何か身になるアドバイスでもないものか。

 

 数絵が身を乗り出した所で、ふと影がさした。顔を上げると学ランを着た背の高い少年が一人。小脇に見覚えのある本を抱えて、視線は祖父に真っすぐ向けられている。信じがたいことではあるが祖父のファンなのだろう。

 

 だが今祖父は機嫌が悪く、間に入らなければ無用なことが起こる。当然そうすべきはずだった数絵は少年の顔に一瞬見とれたせいで行動が遅れた。

 

 その間に祖父は少年に目を向ける。祖父とて長いことプロの世界で生きてきた人間だ。まして一般層にファンを広げようとプロ全体で苦心していた頃に若手だった祖父は、ファンを獲得することがどれだけ難しく、また失う時は一瞬であるということを骨身にしみて理解している。

 

 それでも、一瞬で気持ちを切り替えるというのも酷な話である。少年は数絵の方から来たので祖父は数絵よりも気づくのがさらに遅れた。機嫌の悪い顔のまま少年の方を向いた祖父の視線の先にあったのは少年の顔ではなく、

 

「南浦プロとお見受けします。よろしければ著書にサインをいただけませんか?」

 

 自分が書いて、部屋の隅に大量に売れ残りを抱えた本だった。読み込まれていることが一目で解るほどに傷んだその本の天からはいくつも付箋が見えている。強面で知られる祖父が一瞬で相好を崩すのを、数絵は生まれて初めて目撃した。

 

「おう良いぞ! サインでも何でも書いてやる!」

 

 ふてくされていたのから一転、孫の数絵でも見たことのないような笑顔を浮かべて祖父は少年から本を受け取った。あまりの変わり身の早さに、笑みを押し殺すのに苦労する。これで一か月は夕食の時はこの話題なのだろうなと考えつつ、数絵は少年の観察にシフトした。

 

 身長は高い。座ったままなので正確な所は解らないが、女性としてはまぁまぁ背が高い数絵が見上げるくらいには大きい。180を少し超えたくらいだろう。学ランが小さく見えるのは、まだまだ成長途中の証なのかもしれない。

 

 顔立ちは悪くない。二枚目かと問われると意見の分かれる所だろうが愛嬌のある顔立ちで、これが最も重要なことであるのだが、数絵からするととても好みの顔立ちだった。

 

 祖母からは常々言われている。殿方を選ぶ時は首から上にあるものを基準にしなさいと。顔――めっちゃ好み。身長――申し分ない。後は頭の中身であるが、

 

「あ、サインなんですが前の方には一度頂いているので、後ろの方にでも」

 

 少年の言い出した妙な言葉に、祖父と一緒に本を覗き込む。サインペンを受け取った祖父は普段そうしているように、本やら手帳やらの場合はできるだけ前の方にサインをしようとページを広げていたのであるが、そこには既に祖父のものと思しきサインがあった。

 

 今と同じはずのサインは、年月を経て少しかすれている。日付と、名前――サインを頼んだ少年のものだろう。須賀京太郎さんへ、と祖父の字で書かれていた。日付は今からおよそ四年前のものである。数絵は当然ぴんと来ないのであるが、サインをした当人は違った。

 

 プロとしてサインをしたことは数えきれないほどあるが、売れなかったこの本にサインを求められたケースは片手で数えられるほどしかない。その中でこの日付に合致するのは、変わり者で有名な後輩が珍しく自分から話しかけてきた上に、どこからか手に入れたらしい自分の本にサインを求めてきた時のこと。

 

 そして最近、麻雀業界に一つの噂が出回っている。いつだか自分にサインを求めた変わり者が密かに弟子を育てていたらしい。その弟子がどんな奴かと憶測が多分に混じった噂がいくつも業界に出回っている。本人が好んで触れ回る質ではないので確定情報はほぼなく、本人などの発言からおそらく年下で学生であろうというのが尤もらしく語られている。

 

 だがサインを書いた時にこの須賀京太郎ってのは誰だと聞いた覚えがある。変わり者はおもちゃを自慢する子供のような笑みを浮かべ『私の自慢の弟子さ』と答えた。その時は冗談だと思って取り合わなかったのだが、物証が目の前にあるとそれらしく思える。

 

「…………お前が、三尋木の弟子か」

「はい。その節はサインありがとうございました」

 

 それでも半分くらいは冗談のつもりで確認したのだが、少年は礼儀正しく頭を下げてきた。まさかの肯定である。とてもあの自由過ぎる三尋木咏の弟子とは思えない。誰が相手でも飄々とした変わり者がこんな弟子を育てていたとは実物を前にしても信じがたい。人は見かけによらないものだなと納得している聡を他所に、京太郎は今回のサインにも丁寧に礼を言うと踵を返した。

 

「それでは俺はこれで。会えて嬉しかったです」

「ああ。まぁ、後半戦も楽しんでいくと良い」

 

 全国のかかった大会当日に選手の孫とシニアプロの祖父が一緒にいるのだから取り込み中に決まっている。そういう配慮もあるにはあったが、選手のために何かしてやりたいと思うのは京太郎も同じことだ。狙い通りに目当ての人にも会えたのだからこれ以上の長居は無用だ。

 

 咲たちにどんなアドバイスをするか。前半の試合を思い返しながら考えをまとめる京太郎の袖を、しかし引っ張る者があった。視線を向けると何やら愕然としているお孫さんの姿があった。

 

 そのお孫さん、数絵の方も明確な意図があって行動した訳ではない。今まさに彼の袖を引いているこの手は、生まれて初めて機能した女としての勘が勝手に動かしたものだ。

 

 意図された行動ではないので、先のことは考えていない。呼び止められたのだから何か言いたいことがあるのだと察してくれた京太郎は、律儀に数絵の言葉を待っている。何か言わなければ。考えた末に数絵の口から出てきたのは、

 

「……参考までにお聞きしますが、このご本。どの辺りが参考になりました?」

「視点が違えば考え方も違う。こういうオカルトを持っている人が、どういう状況の時に何を考えてどういう結果になったのか。プロが自分のプレイングについて感想戦をしてるのは動画で結構見るけど、時間って縛りがあるのでどうしても痒い所に手が届かなかったりするんだ」

 

 すらすらと自分の言葉で思いを語ってくれる京太郎に、数絵はそっと安堵のため息を漏らしていた。嫌そうな顔の一つでもされていたら、呼び止めたことを心底後悔していただろう。自分のことを慮ってくれているのか、それとも単に麻雀バカなのか。その両方であったら嬉しく思う。女に配慮ができて麻雀バカなんて理想が服を着て歩いてるようなものじゃないか。

 

「一人が時間をかけて動画でも作ってくれれば解決する訳だけど、選手からしたらいくらファンサービスとは言ってもそこまで時間はかけられないよな? 究極的には自分が解れば良いんだから他人に解説するのは本人にとってはそこまで意味があることではないと思うんだ」

 

 少なくとも京太郎の師匠であるところの咏はファンサービスとして自分のプレイを解説することはほとんどない。出回っている動画の全てが仕事でやったもので、自分が進んでやったことは一回もないはずだ。例外は自分に教えてくれる時くらいだが、その辺りに京太郎はとてつもない優越感を覚える。

 

 逆にはやりなどはそれが仕事というのもあるが、自分の対局を例に挙げて解説をすることが全てのプロの中で一番多い。権利の関係で調整するのが簡単という事情もあるらしいが、自分が体験したことを元にしているだけに、説明上手のはやりの説明がさらに染み入るように入ってくる。牌のお姉さんとして長く仕事をやっていけているのも、この辺りに要因があるように思う。素人にも解りやすく、そうでない人間にも新たな発見がある。無料で見れる映像教材としては破格の出来だ。

 

 総合すると仕事だからやっているというプロがほとんどで、手の内を好んで語りたがる人というのは少ないのだ。その点自分のオカルトを全てつまびらかにした上で、本人の手で解説までしてくれるこの本は京太郎にとって実に得難いものだった。

 

 オカルトというのはプロにしてみれば飯の種である。秘密を明らかにするのはそれを失う可能性も秘めている。雑誌などで分析されどういうオカルトを持っている、というのはプロであれば世間に知れ渡っているようなものなのだが、本質的なメカニズムというのは他人では結局理解できないもので本人の理解と解説が不可欠である。

 

「その点、じっくり時間をかけて文字にしてくれると解説にも深みが出る。読む側も時間をかけて読めるしその時の動画とかあったりするとまた違った発見があって面白い。オカルトによるオカルトの対策論なんてめったに流通しないからな。自分以外を持ち上げるとたまに機嫌の悪くなる咏さんを拝み倒した見返りは十分にあったと思う」

「サインをいただいたばかりで悪いんですけど、そのご本貸してもらえませんか?」

「持ってるんじゃないのか?」

「はい。ですが、貴方の言う視点の違いというのを体験したくなったもので」

 

 それなら、と京太郎はサインをもらったばかりの本を差し出してくれた。その本を数絵は大事そうに抱えこみ代わりに名刺を一枚差す。名刺が作れるんだって! という友人に付き合ってゲームセンターで作成したできたばかりの一品である。

 

「この間友人と一緒に作ったもので恐縮ですが、私の連絡先です。改めて自己紹介ですが、私は南浦数絵と申します。平滝高校の一年で、貴方の同級生です」

「俺は須賀京太郎。清澄高校の一年」

「読んだら改めて感想を交換したいので、早めに連絡をくださいね?」

「おう。楽しみにしてるよ」

 

 今度こそ。来た時よりも幾分身軽になった京太郎は速足でその場を後にした。去っていく背中が見えなくなるまでひらひら手を振っていた数絵は、近くのベンチで缶コーヒーを片手ににやにやしている祖父の気配を思い出し、気持ち静かに彼の隣に腰を降ろした。

 

「てっきり存在を忘れられてるんじゃないかと思ったぞ」

「お待たせして申し訳ありませんでした、おじい様」

「いや、珍しいもんが見れたから良しとするさ。俺に似て麻雀バカなお前が男に興味を示すとはな。アレに教えてやったら喜ぶだろう」

「あまり大げさに話したりしないでくださいね」

「そんな必要もないだろう。あの南浦数絵が自分から連絡先を男に渡したとなりゃ、アレも大騒ぎってもんさ」

「おじい様!」

 

 珍しく声を荒げる数絵に、祖父は声をあげて笑った。本のことでからかった意趣返しだろうか。祖父の言う通り祖母は祖父の本のことなどそっちのけで喜ぶだろう。これで一か月は食卓でこの話題だ。羞恥で頬が染まるも不思議と悪い気はしない。

 

 腕の中の古ぼけた本を見る。彼からの連絡が今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 


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