セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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現代編17 長野県大会 個人戦編①

 

 

 

 

 

 

 

 10万点持ちの10半荘回しとは言え、オーソドックスなトーナメント戦で行われる団体戦に対し、個人戦の県代表は試合数を積み上げての総合点で県代表を決める。点棒のやり取りだけで勝敗が決定される団体戦に対し、個人戦は1半荘ごとに清算が行われるのだ。

 

 勿論現金ではなくポイントのやり取りである。二万五千点持ちの三万点返しでオカとワンツーのウマがつく。麻雀そのもののルールは団体戦と同じであるが、試合ごとの席順などあまり意識されない団体戦に対し、トップを取る旨味が非常にあるルールとなっている。

 

 男子女子共にこのルールは共通であるのだが、その進行に関しては若干異なり、まず女子は一日目に東風戦での試合を15回行い、その上位者が本戦に駒を進める。本戦は東南戦10回を行い、この上位三名が県の代表となる。

 

 翻って男子は試合数こそ同じだが、注目度に比して人数だけは多いため、一日目に一度足切が行われる。感覚としては予選が三回に分けられていると考えるのが良いだろう。

 

 一日目が終了すると本戦は男女ともに終日で行われる。予選は時間の関係で同時進行だったが流石に本戦まで同時進行では男子に悪いということで、通しの日程としては男子の本戦が二日目、女子の本戦が三日目というスケジュールになっている。

 

 予選の時は時間が被っているのでダメだったが、本戦は違う。一日目の予選は危なげなく突破していた京太郎を、清澄全員で応援しようと力の限り声援を送ったのであるが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「運がなかったのう……」

 

 衣を抱えて燃え尽きている京太郎に、まこは哀れみを込めて深々と溜息を漏らした。

 

 男子予選本戦最終戦。全10戦の内9戦を終え、京太郎の総合点は第三位だった。四位の選手とのポイント差は50ポイント。トップさえ取れば例え相手が大トップを取ったとしても滑り込め、2位3位でもよほど失点をしなければ相手がトップでも覆ることはない点差だ。

 

 手に汗握っていたとは言え、清澄の面々も半ば京太郎の全国出場を確信してたのだが――何が起こるか解らないのが麻雀というものである。

 

 壊滅的に流れが悪いと最初に理解したのは、運の流れを肌で感じることのできる京太郎だった。対面に座った選手が明らかに調子が良い。おそらくこの男が大トップを取ると直感する。

 

 京太郎にとって良い勘というのは錯覚であることが多いが悪い勘というのは良く当たるもので、牌をいくら絞ろうと振り込みを避けようと、とにかく対面はツモり点棒を積み重ねていく。極め付けはオーラス、京太郎の親でのダブル役満ツモだ。

 

 今回の競技ルールではシングルとして扱われるため16000点の出費で済んだが、これにより京太郎は箱を割り、ラスを引いた。最終戦の収支はマイナス50点ポイント。四位の選手は危なげなくトップを引いたため、順位は逆転。

 

 須賀京太郎高校最初の夏は、個人戦四位という形で幕を閉じた。

 

 良くも悪くも負け慣れている京太郎だが、全国の切符に指がかかっている所まで行っての敗北は堪えたようで、会場の隅で急遽開催された残念会でも、衣を抱えて隅っこの方で黄昏ている。目に見えて落ち込んでいる有様に、他の面々も声はかけにくい状況となっていた。

 

「きょーたろ。いつまでもぐずぐずしてないで元気を出すのだ。明日はとーかたちもさきたちも個人戦だろう。お前がそんなことでは皆元気が出ないぞ」

「あー、明日には元気になるよ。今はぐずぐずしたい気分なんだ慰めてくれ衣姉さん」

 

 いつになく後ろ向きな京太郎に流石に何か言ってやろうと口を開きかけた衣は、愛する弟に抱きしめられてか細い悲鳴をあげた。いつも手のかからない弟分が珍しく甘えてくれているのである。姉心を大いに擽られた衣が即座に絆され、お姉ちゃん風をびゅーびゅー吹かせることにした。

 

 ロリと戯れている男子高生というのは絵面的には犯罪であるが、事情が事情だけに他の面々は口を出すのを躊躇ってしまう。聊かふざけた調子とは言え、全力を尽くして負けて傷ついている男に、どういう言葉をかけたら良いのか考えてしまったのだ。まさかこれで心折れたりはすまいが、傷を広げるようなことになってしまっても忍びない。

 

 麻雀に真摯に京太郎が打ちこんでいることはここに集まった全員が知っていることだが、しかし、いつまでもこんな風にさせておく訳にもいかない。

 

 さてどうしたものかと悩む乙女たちの中から一人、歩み出た少女がいる。妹尾佳織。京太郎の母方の従姉であり、この場においては最も京太郎の付き合いの長い少女である。その佳織が見た目幼女を抱えて遊んでいる従弟を冷めた目で見やると、深々と溜息を吐いてぼそりと言った。

 

「……小さい子抱えていつまでもぐずぐずしてたって晶さんに言っちゃおうかなー」

「流石にぐずぐずするのはもうやめた方が良いな。衣姉さんありがとう」

「今更遅いんじゃないかなー。今の私の口は私と同じくらい軽いから何を言うか解らないなー」

「盆にそっちに行った時に何でも言うことききますから黙ってていただけると助かります」

「ほんと? 約束だから、忘れないでね!」

「もちろん。愛してますよ佳織さん」

「私もだよ京太郎くん」

 

 いえーと軽い声で京太郎とハイタッチをする佳織に桃子などは目を丸くする。鶴賀では何かと引っ込み思案であまり主張をしない佳織が、京太郎相手にはやけに強気だ。

 

 それに京太郎も自分や淡とするよりもまた違った気安さで、自分の見てない所ではこういう振る舞いをするのか、と改めて惚れ直すのである。

 

「きょーたろ。晶というのは誰だ? いじめられているのなら衣が行ってやっつけてやるぞ」

「俺の母さん」

「母君ならば仕方ないな! ちゃんと言うことを聞いて沢山孝行をするのだぞ!」

 

 よしよしと頭を撫でて、衣は龍門渕の一同の所に戻る。衣を解放した京太郎は大きく伸びをすると久に向き直った。

 

「そんな訳でぐずぐずするのは終わりにしました」

「お早いお帰りで嬉しいわ。と言っても、今からすることはそんなにないと思うけども」

 

 トーナメントの場合前日には相手が解りそのオーダーまで決まっているが、個人戦予選の対戦相手は当日試合の直前に決められる。強敵相手に対策を絞ったとしても、それは個人としてのものだ。自分以外の三人との兼ね合い、その時々の点差で方針が変わるというのは団体戦と同じものの、一人が一度に受け持つスパンが短く、かつ試合数そのものは団体戦の時よりもずっと多いため、具体的な対策というのは打ちにくい。

 

 精々が個々人の癖なり傾向なりを頭に入れておく程度であるが、それくらいであれば団体戦の前にもうやっている。たった数日で劇的に変化することもないではないが、

 

「根を詰めて対策を打つくらいなら、ぐっすり眠って英気を養うのが良いかと思います」

「奇遇ね我が大参謀。私も同じ意見よ」

 

 鷹揚に頷く久に京太郎はほっと胸を撫で下ろした。風越を除いた決勝メンバーで京太郎を核に何となく集まったという場である。既に日程を消化した京太郎と衣以外は明日の個人戦本戦に出るため、はっきり言えばライバルだ。ここでこのままフェードアウトできれば無駄にバチバチしなくても済みそうだ。

 

 自分を核にしているため言い出しにくかったが、久の言葉を起点に解散することができるだろう。下手な問題が起こる前に解散するべきだ。衣を抱えてぐずぐずしていたので気づくのが遅れたが、どういう訳かさっさと帰った方が良いとかつてない程の危機感が燻り始めた。

 

 隕石でも落ちてくるのかと空を見上げてみるが、快晴である。とりあえずこの場で物理的に吹っ飛ぶことはなさそうだと安堵しつつ、解散を提案しようとした、その直後――

 

「京くん!」

 

 耳に馴染んだ声にそちらを向けると、息を切らした美穂子の姿があった。今日は男子の試合しかないので女子高である風越の部員として用事はないはずだが、美穂子は制服姿である。

 

「美穂さん。どうしたんですか?」

「下から、京くんがいるのが見えたから、その、少しお話できたらって思って……」

 

 指を合わせてもじもじする姿は美少女を見慣れた京太郎をしても、お嫁さん系美少女と言って憚らないが、見る者全てを優しい心にする訳ではない。京くん発言からこっち、それを初めて聞く咲を始めとした、特定の思想を持つ少女たちから黒いオーラがぐおぐおと渦巻き始める。

 

 こうなることを半ば予想していた純と優希は示しを合わせてスペースの隅に移動した。俺たちはこの話に関わりありませんということを示すように、純は作る側の観点から、優希は食べる側の観点からそれぞれタコスの中身は何がベストかという建設的な意見交換を始める。

 

「試合見てたわ。おしかったわね」

「いやー、詰めの甘さが出ましたね。もっと精進しないと」

「良く打ててたと思うわ。それに、一年生で県四位っていうのも立派な成績よ。来年はきっと全国に行けるわ」

「美穂さんに言われると本当に行けそうな気がしてきますね」

「ありがとう。きっと応援に来るから頑張ってね」

 

 熟練のハンターも舌を巻く速度でオーラを絶った少女たちは、京太郎が振り向いた時には普通の状態に戻っていた。皆の変わり身の速さに衣は目を丸くし、透華などは呆れかえっていたが、それに気づいた様子もない美穂子は一歩進み出て小さく頭を下げた。

 

「ちょうどよかったわ。京くんから練習試合のお話聞きました。風越女子キャプテンの福路美穂子です。清澄と龍門渕と……鶴賀の部長さんは?」

「私だぞー」

 

 ひらひらと手を上げる智美に、身体が既にゆみの方に向いていた美穂子の動きがぴたりと止まる。少し慌てた様子で自分の方を向く美穂子を智美は気にした様子もない。

 

「えーと、うん、そう……風越は既にコーチの方に話を通しました。通常、風越は夏の大会が終わった後に新体制の合宿を行うことになっていますが、全国まで駒を進めた時は同じ場所で強化合宿をすることになってますので、既に会場そのものは押さえてあります。三校、場所に異存がなければ、こちらの会場を使うのはどうか、とコーチから」

 

 学校分、資料は三通のみ用意されていたので、学校ごとに固まって一緒に資料を見る。会場の広さは問題ない。学生には林間学校をやりそうな施設、と言えば伝わりやすいだろう。大所帯の風越が合宿で使う以上、宿泊施設としても問題ない。

 

 問題があるとすればそこまでどうやって行くかと練習試合の話が合宿になっていることであるが、

 

「送り迎えくらい、龍門渕で出しましてよ」

「いや、流石にそれは――」

「問題ありません。さて、練習試合ではなく合宿となると話が変わってきます。合宿ならば泊まりとなる訳ですが、そこは二校とも問題なくて?」

 

 話を持ってきた風越以外の二校に透華が問う。一日で済む所を足掛け二日かかる訳であるから予定を確認するのは当然のこと。特にこれから京太郎を含めて公式に全員で全国に行くことになる清澄は学校として忙しくなる。

 

 全員の視線が清澄の代表である久に集まる。一応考えるそぶりを見せるが、日帰りだろうと泊まりだろうと久としては問題はない。実質二年活動休止状態であったこと、代表五人の内三人が一年であるなど、清澄は選手としての試合経験が少ない。

 

 全国前に強い選手と本腰を入れて試合をできる場は、むしろ望む所である。久はぐるりと清澄のメンバーを見回すが、京太郎を含めて全員が肯定の意を返してくる。

 

「清澄は問題ないわ」

「鶴賀も問題ないぞー」

 

 元より了解が取れていたのか、智美の返事も迷いがない。二人の部長から同意が得られた透華は結構、と頷くと美穂子に向き直った。

 

「では今度は風越に質問です。龍門渕と清澄はこちらの京太郎の参加が絶対条件となります。女子の中に男子が混ざる訳ですが、問題なくて?」

「それは――」

 

 当たり前のように肯定しようとした美穂子は、口を開いた所で返答に詰まった。美穂子個人の意思としては勿論答えはイエスであるが、それは風越全体としての決定ではない。美穂子はあくまで部員の代表であるキャプテンである。部内のことであれば大抵のことは美穂子一人で決定をし、後付けで部員の同意を取ることで実行できるが、他校を巻き込んだ対外的なこととなると、美穂子一人の裁量では決めることができない。

 

 合宿をやるという話も、一度コーチに話を持って行き、承認を得たものだ。それも女子麻雀部三校と合同で合宿をやるという話でもぎ取ったもので、そこに男子が混じるということは普通想定されない。日帰りの練習試合であればまだしも、泊まりの合宿となれば話が変わってくる。

 

「俺が参加で問題あるなら参加しないでも問題ありませんが」

 

 企画が立ち上がった経緯は置いておくとして、今の清澄が何故合宿をやるのかと言えば、来る全国大会のために部員の実力向上を図るためだ。京太郎が個人戦で全国に行くのであればまだしもだが、全国に行くのは女子のみ五人である。京太郎の参加は合宿の意義に沿わない。

 

 麻雀を打つ機会に未練がないとは言わないが、自分の意思を通して咲たちの練習機会が奪われるのであればそれは京太郎としても本位ではない。男子と女子が競技で共に卓を囲むのは小学生までで、中学に上がってからはきっちり男女でリーグが分れており、今回の予選のように大会進行の方法まで違うこともざらにある。女子五人に男子一人で一つの麻雀部、という清澄が全国的には少数派なのだが、

 

「貴方は参加です。異論は認めません」

 

 透華の返答はにべもない。それでも反論しようとした京太郎に透華は視線を向けた。絶対に梃子でも動かないという強い意思に、京太郎はあっさりと白旗を上げた。

 

「お気遣いありがとうございます、透華さん。でも俺は昼間の練習が終わったら帰ります。それならコーチも説得しやすいでしょう?」

「それはそうなのだけど………」

 

 話を振られた美穂子は京太郎の言葉に表情を曇らせた。男性側の配慮としてはそれが当然で、それにより話がスムーズにまとまるのだから風越のキャプテンとしては諸手を挙げて歓迎すべきことだが、美穂子個人の感情としては別のものだ。

 

 返事に戸惑っている美穂子を見て、透華は溜息を吐いた。透華としては当然京太郎が泊まるものとして話を押し切るつもりだった。

 

 清澄は既に京太郎を交えて合宿をしているそうだから部としての了解は取れているし、龍門渕は問題ない。鶴賀の確認は取れていないが、今の段階で何も反論をしてこないのを見るにOKなのだろうと察する。

 

 問題がありそうなのは大所帯でしかも女子高の風越だが、それで難色を示すのであれば透華としては風越は必要ない。透華がしたかったのは京太郎を交えた麻雀お泊りイベントであり、風越提案の四校合宿というのはあくまでついでだ。麻雀の実力向上という観点からすれば風越というのは良い相手であるが、それで京太郎が参加できなくなるのであればイベントをやる意味がない。

 

 だがここで、京太郎本人が断りを入れてきた。自分は姉で京太郎は弟。姉権限で強行することは容易いが、こう言い切った時の京太郎はとても手強い。真っ先に言葉にしたことから意思も固いのだろうし、姉としては弟の言い分を尊重したくもある。

 

 お泊りイベント一つを棒に振るのは心苦しくはあるが、貸しを作ったと前向きに解釈するとしよう。透華は気持ちをさっさと切り替え、

 

「解りました。京太郎の意思を尊重します。風越の立場を考えるなら、この話の結論はここで出せるものでもないでしょう。練習試合ということなら問題ないようですし、それも含めて改めて話し合うということでいかが?」

「そうした方が良さそうですね……一度コーチに話を持ち帰ります。風越の方では話をまとめておきますので、個人戦が終わったら時間を取っていただくということでよろしいでしょうか?」

 

 美穂子の問いに、部長三人が頷く。微妙にこじれてしまった話もこれで一応まとまった。一仕事終えた美穂子は、それじゃあ、と踵を返す――と見せかけて京太郎の耳元に顔を寄せた。

 

「京くん、またねっ」

 

 囁くように、京太郎だけに聞こえる声での別れの挨拶。きょとんとする京太郎に、これまた彼だけに小さく手を振ると、ぱたぱたと足音を立てて美穂子は去って行った。何やら首まで真っ赤になっている。かわいいことをしてくれるものだとほっこりして振り返ると、

 

『あれは何っ!!』

 

 血相を変えて詰め寄ってくる咲たちに京太郎は思わずのけ反った。

 

「何もなにも……風越のキャプテンの福路美穂子さんだよ」

「そういう脊椎反射でも答えられるようなことを聞いてません! どういう関係だったらあんな甘酸っぱいことを平気でするようになるんですか!」

「……友達?」

「普通の友達は美穂さん京くんなんて呼びあったりしないよ!」

「いや、俺とお前だって京ちゃん咲だろう。呼び方くらい普通だよ普通」

「そ、そうかな……」

「絆されちゃダメっすよ咲ちゃん! さっきのは何というかこう……無駄に距離が近くて甘酸っぱく囁いてたっすよ!」

「あんな感じに淡と一緒に甘い物ねだってきたこと忘れてないぞ俺は」

 

 女性からの頼まれごとの多い人生を送ってきた京太郎だが、その中でも同級生の淡は飛び抜けて頼み上手だった。四人兄妹の末っ子として生まれ、少し年の離れた兄三人に大層可愛がられて育った淡は、少しでも難易度の高い頼みごとがあるとひっついてきて、耳元で甘い言葉を囁き続けるのだ。

 

 家では大抵それでお父さんお兄ちゃん相手に上手く行った。大星家の男どもが末娘を甘やかしているのを見るとすっとんできて怒るお母さんもいない。京太郎も男の子だから? 淡ちゃん様がかわいく迫ったら? イチコロに決まってるじゃん! の、はずだったのだが……良くも悪くも京太郎は女性からのスキンシップに慣れていたため、淡ちゃん様のお願い攻撃も効果はいまひとつだった。

 

 それならばと淡はモモに援軍を頼んで一緒に迫ってもらったのだが、それでも勝率はさっぱり上がらなかった。照れて挙動不審になるのならばともかく、苦笑されて頭をぽんぽん撫でられるのも女としてのプライドが傷つくもので、美味しいお菓子をもそもそ食べながら次は誘惑してみせるもんね! と淡は無駄に闘志を燃やしていたのである。

 

 しかし、元々そういうキャラで通している淡はともかく、男性どころか他人に甘えた経験も特にないモモには、淡に付き合ってそういうことをしているのは中々恥ずかしいもので、しかも当の本人にそれを持ち出されると背中がムズ痒くなるのだった。

 

「そ、そんなこともあったっすかね……」

「あったあった。淡がいなくなってからあんまりやらなくなったけど」

「甘酸っぱい回想は後にしてよ! なんでさっきのキャプテンさんは京太郎にだけ手を振ったりするのかな!?」

「それは――」

 

 特に美穂子だけがやっている訳ではなく、何なら龍門渕の人たちは一も含めて皆頻繁にやっているのですが、と反論するよりも早く、反論の内容を察した智紀が一の口を押えて屋上の隅に退避した。邪魔された一はもがもが激しく抗議するが、ここで話を通してじゃあそういうのやめましょうという流れになったり、ならなくてもやりにくくなってしまったら、損するのは龍門渕の子だけだ。

 

 普段は最初にそういうことに気づきそうな一も、お嫁さん系美少女の登場に頭に血が上っていて気づきもしない。屋上の隅で小さな取っ組み合いを始める二人を呆然と眺めていると、視界の隅で我関せずとひらひら手を振ってくる歩の姿が見えた。

 

 呑気に手を振り返すと、この間に落ち着いたらしい佳織が深々と息を吐き、訳知り顔で腕を組む。

 

「良く考えたらそんなに目くじら立てることでもないと思うんだよね。私は大体やったことあるし」

「京太郎くん! 貴方の従姉が私にマウント取ってくるんですがっ!!」

 

 従姉である佳織にとってはただの事実でも、最近出会った和にはそうではない。仮にマウントを取ろうという意図がなくても、和の立場では喧嘩を売られているに等しい。どうにかしろと京太郎の襟首を掴んでぶんぶんするが、女の言うことに逆らわないのと同様に、女の喧嘩にはなるべく首を突っ込まないのが京太郎の処世術である。とにかくぎりぎりまで関わらない。ここを過ぎると怒られるというラインの見極めが肝心なのだ。

 

「仲良くしろとは言わないけど喧嘩はするなー」

「従姉弟だもん、仲良しなのは普通だよねー。あ、盆にうちに来た時また一緒にお風呂でも入る? 何でも言うこと聞くって言ってくれたし、昔みたいに背中でも流してもらおうかなー」

「ほらーっ!!!」

 

 へろへろした和のパンチを受け止めつつ、佳織の冗談を受け流す。最近の和ははっきりと感情表現をするようになってきたと恵から聞いている。良くも悪くも無感動だった娘が、最近は家でも良く笑うようになったし、はっきりと怒るようになったと嬉しそうに語っていた。

 

 ブレない心というのは競技者としては理想の状態の一つだと思うが、精神が常に同じ状態というのは精神的な健康に良くないというのが京太郎の考えであり、麻雀の師匠である咏の教えだった。

 

 フラットな精神状態の方が良い結果を出せる京太郎のようなタイプも入れば、逆に感情の昂りがツモにまで影響を及ぼす咏のようなタイプもいる。要は自分の感情と折り合いを付けろということであるが、その点和は上手くできているようで全くできていなかった。

 

 ちゃんと感情表現をする様になったのは良い兆候だろう。友人の恵も喜んでいるし、これなら明日の麻雀も良い結果が出せるかもしれない。その気の緩みが良くなかったのだろう。顔を真っ赤にして怒る和に見とれていたのもあるだろう。

 

 へろへろのパンチとは言え、遮る物がなければまっすぐ進むのだ。あ、という声は誰のものだったのか。べちん。気の抜けた音が屋上に響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今後の予定

個人戦用の短編が一つか二つ挟まり(一つは南浦さんで確定)、個人戦そのものはさらっと流す予定です。
その後合宿編と、一方その頃全国の他の学校では編になります。他の学校では編は複数校まとめてで、合宿編と順番が前後するか、合宿編の途中に差し込まれるかも。
ともあれ次は個人戦編になりますので、よろしくお願いします。

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