セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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現代編
現代編01 清澄VS龍門渕 初戦その1


 龍門渕の屋敷を前に、京太郎以外の清澄の面々は絶句していた。

 

 庶民の反応としては当然のものである。二年前の自分もこうだったなぁと仲間の反応を懐かしく思いながら、京太郎は呼び鈴を鳴らした。

 

 反応はない。豪邸の前にぽつんと六人。咲たちが不安になるのが気配で解ったが、向こうに今日、この時間に来ることは伝えてある。

 

「ようこそお越しくださいました」

 

 しばらく待つと、門が開き中からメイドが出てきた。『メイドだじぇ……』と思わず声を漏らす優希を、和がこっそりとたしなめている。そのまま過ぎる反応であるが、普通、庶民はメイドなどに縁のない生活を送る。メイド喫茶というものがしばらく前に流行ったが、接する機会となればそんなものだろう。

 

 以前は京太郎もひらひらした制服とご主人様というワードにときめきを覚えたものだが、本物のメイドを前にした今では、ほとんどの興味は失せてしまった。

 

 それくらいに、本物とそうでない物の違いは圧倒的である。

 

 その本物のメイドであるところの歩は、余所行きの笑顔を浮かべると、スカートを摘んで一礼をした。自分たちと同年代に見える少女が行う完璧な所作に、清澄の面々から感嘆の声が漏れた。

 

「ご用意はできております。皆さん。どうぞこちらに」

 

 先に立って歩き出す歩に、久を先頭について行く。非常に、ギクシャクとした動きで、誰も何も話さない。あまりに退屈になった京太郎は、歩くスピードを上げ、歩の隣に並んだ。歩は視線だけを京太郎に向けると、にこりと微笑んだ。余所行きの笑みではない、気安い間柄の人間にだけ見せる本当の笑顔である。

 

「久しぶりだね。元気だった?」

「一応な。そっちも元気そうで何よりだ」

「ありがとう。それにしても、原村さんって美人だね」

 

 何を唐突に、と歩に視線を向ければ、歩は相変わらずにこにこと笑っていた。その笑顔の奥に殺気が見えるような気がするのは気のせいだろうか。地味な印象こそ否めないが、歩も十分に美少女である。それでも、和と歩の間には大きな隔たりがあった。

 

 どこが、と明確に指摘しないのは紳士の嗜みだ。温厚な性格をしている歩でも、それを口にした瞬間拳が飛んできかねない。

 

「何か。悪いな」

「何を謝ってるのかな。京太郎くんがおっぱい大好きなのは、智紀さんを見て知ってたから、私は別に、何にも怒ってないよ?」

 

 口調は穏やか、顔は笑顔。それなのに、雰囲気は不機嫌そのものだった。歩のつむじを眺めながら、女というのは器用なんだなと思った。言い訳が次から次へと思い浮かんだが、口にはできない。下手に言い繕うと、自分の立場を悪くするだけだと感じたからだ。

 

「歩は十分かわいいと思うぞ」

「ありがとう。おっぱいが大きくなったら、知らせてあげるね」

 

 べー、と小さく舌を出した歩は、表情を切り替えてメイドの顔に戻った。これ以上は取り合わないという友人の意思表示に、京太郎は小さく溜息を吐いた。

 

 気分を切り替えて、周りを見る。小声で話していたから誰にも聞かれてはいないだろうと思っていたが、世の中そんなに甘くなかった。振り向いた先には、実に嫌らしい笑みを浮かべた学生議会長様がいた。

 

 何を言いたいかは、顔を見ただけで解る。他の面々はと見れば、いまだにぎくしゃくぎくしゃく。屋敷の空気に呑まれていて、こちらの会話にまで払う注意はなさそうだった。

 

「黙っててくださいね」

 

 小声で言うと、久は更に笑みを深くした。『どうしようかな~』と、心の声が聞こえてきそうである。

 

「埋め合わせは必ずしますから」

 

 久は右手で輪を作り、ぱちりとウィンクする。練習しないと上手くできないらしいが、久のそれは実に様になっていた。鏡を見て練習する久というのも、想像できない。最初からできた、という方が久には相応しい気もする。

 

 暗い気持ちで龍門渕の屋敷を行き、ある部屋の前に立つ。

 

 京太郎も通されたことがある。屋敷にいくつもある応接室の一つで、前にきた時はここでプロジェクターを置き衣が見たいと言った映画を見た気がする。そんな部屋であるから、麻雀をやるには十分過ぎる広さがある。

 

「ようこそ、清澄の皆さん」

 

 案内されたのは応接室である。広い応接室の中央には見慣れた全自動卓が置かれていた。間違いなく透華の部屋にあったものである。京太郎が屋敷を訪ねた時、麻雀をするのは透華の部屋か衣の部屋であるから、この部屋に全自動卓があることに違和感があった。

 

「清澄高校麻雀部部長、竹井久です。今日はお招きいただいて、ありがとうございます」

「気にしなくても結構ですわ。衣と京太郎たっての願いですもの」

 

 何となく、『京太郎』という名前を強調されたような気がするのは、気のせいではないだろう。透華の視線はしっかりと、京太郎の方を向いていた。代表として一歩前に出ている久以外の全員の視線が京太郎に集まる。『どういうことなんだ』という心の声が聞こえてきそうな力の篭った視線が、胃に痛い。

 

 別に悪いことをしている訳ではないのに、そこはかとない後ろめたさを感じる。思えば、色々なグループに所属していた京太郎だが、違うグループが同じ場所に集まったのは、これが初めてだった。

 

 ちくちくと肌が痛むような感覚がするだけで、各々喧嘩腰でないのが救いと言えば救いであるが、二組だけでこれならば全てのグループが一同に会したらどうなるのか。

 

 想像するのも恐ろしいが、清澄、あるいは龍門渕が全国に駒を進めた場合、かなりの高確率で『そういうこと』になるのは目に見えていた。去年は何とかやり過ごすことができたが、今年もそうはいかないだろう。

 

 鹿児島の永水は小蒔を筆頭に、レギュラー全員が全て巫女で固められた歴代最強の布陣である。長いこと部員が三人だった宮守は、ついに五人のレギュラーが揃った。二月に会って来たが、実力は申し分ない。元々、最近の岩手はそれほど強豪がいないから、今の宮守ならば全国出場も夢ではない。千里山はエース怜の体調が不安ではあるものの、中堅にセーラ、大将の竜華と隙のない布陣である。懸念があるとすれば一年のレギュラーであるが、飛びさえしなければ他のメンバーがフォローしてくれるだろう。何しろ強豪千里山である。選手の層は全国でも厚い方だ。

 

 白糸台には淡が入学した。攻撃型の淡は照の推薦もあり、虎姫に加入。部内でも無視できない存在感を発揮しているらしい。色々と無神経なところはあるが、その辺りは部長の菫が何とかしてくれるだろう。強豪校ではあるが、特殊な方法でレギュラーを選出している白糸台は、実力さえあればある程度の我侭が通る環境である。淡にとってこれほど適した環境はないだろう。

 

 阿知賀ではシズたちが麻雀部を再結成した。部員は五人。ギリギリの人数であるが、顧問にはレジェンドが就任したという。奈良の王者晩成を崩せるかは未知数であるが、十年前にはそれを成し遂げることができた。シズたちにそれができないということは、ないはずだ。

 

 その全てが、全国に出場する可能性が非常に高い。彼女らが全員全国まできたら、果たして須賀京太郎はどうすれば良いのか。

 

 その内一つが清澄ならば、清澄を応援すればそれで良い。心情はどうあれ、今須賀京太郎が所属しているのが清澄であることは誰でも解る事実だが、もし清澄が全国出場を逃した場合は……そこで、京太郎は考えるのをやめた。何も、今から気を重くする必要はない。その時はその時と、力の限り応援することにして、未来の自分に問題を丸投げした。

 

「今日は卓を一つご用意させていただきました。お互いの高校から二人を出し、残りは採譜と観戦という形にしようと思うのですが、よろしいですこと?」

「構いません。ただ、採譜に慣れていない子もいるので、そちらのお手を煩わせてしまうことになるかも」

 

 ちら、と久が振り返る。探るように一同を見ると、咲と優希が耐えかねて目を逸らした。本格的に麻雀の指導を受けたことのない咲は単純に今までやったことがなく、優希はやり方は知っているものの、記述間違いをする上に手が遅い。

 

 京太郎を含めた六人のうち二人が参加するから、余るのは四人。もしその四人の中に咲と優希が含まれた場合、採譜をするのが自動的に残りの二人ということになる。

 

 対して、龍門渕はメイドの歩を含めて『5人』である。衣以外はきちんと採譜ができるはずだが、その衣の姿が部屋の中に見えない。

 

 対戦相手の情報を全く仕入れない一年生ズは絶対的エースの不在と、そして頭数が足りないことを全く気にしていないが、ある程度情報を集めていた久とまこは、部屋を不思議そうに見回している。『天江衣』の姿が見えないことに、気づいたようだ。

 

「申し訳ありません。衣は今、少々席を外しております。間もなく来るはずですから、先に始めてしまいましょう」

 

 それには突っ込むな、といった強い口調で透華が言う。後で来るというなら、こちらから突っ込む理由もない。最初に誰が参加するのか。後腐れないようにじゃんけんで決める中、京太郎は龍門渕の面々を見た。

 

 衣がいない理由を視線で問うと、智紀が苦笑を浮かべて肩をすくめた。何か良くないことがあった訳ではないのだろう。寝坊とか、そういうかわいい理由である可能性が高い。男である京太郎ならば、そのまま飛んでくれば良いが女の子である衣はそうはいかない。今頃は衣ハウスで、大忙しで準備をしているのだろう。

 

「では、早速打ちましょうか。お互いに二人ずつ出して、その後感想戦ということでどうかしら?」

「構いませんわ」

 

 軽く、透華と久の間で火花が散った。ここから情報戦は既に始まっている。こちらのカードを晒すのは、既に決まったようなもの。後はどれだけ相手の情報を集めることができるかだ。

 

 龍門渕麻雀部の歴史はそれなりに長い。近年まで風越の黄金期が来ていたせいでその後塵を拝していたが、県下には名門校として名前が通っている。麻雀を真剣にやろうとおもったら風越か龍門渕に行く、というのが長野県での常識だ。

 

 龍門渕も本来ならば風越に順ずるほどに部員がいたのだが、彼ら彼女らは皆透華たちが勝負を挑んで叩き出してしまった。麻雀部のレギュラーが実力で決まる以上、全国クラスの実力を持った人間が五人いれば、それだけで他の部員が入り込む余地はない。

 ならば個人戦でと思っても、透華たちで五人の枠が埋まってしまうことは明らかであり――衣が個人戦に出たがらないということを知っているほど、透華たちと親しい部員はいないらしい――仮に出ることができたとしても、五人と一人で完結している透華たちと連れ立って歩くことのできる人間は、部員の中にはいなかった。

 

 結局、麻雀部は開店休業状態。書類上の所属者は透華たち以外にもいるが、それは追い出した時に在籍していた生徒がまだ退部届けを出していないだけ。龍門渕では複数の部に所属することが認められているので、追い出された部員のほとんどは違う部に所属している。

 

 今の龍門渕麻雀部と言えば透華たちで全員だ。

 

 そして、彼女らは基本的に衣の意思に従って動くために、公式戦に参加した記録がとても少ない。精々が去年の全国大会とその予選くらいのもので、研究するにも牌譜の絶対数が少ない。

 

 後ろで採譜をする機会など、風越ならば喉から手が出るほど欲しがるだろう。

 

 情報の少なさでは清澄も負けてはいない。高校に入ってから公式戦に出たことのある人間はまだ一人もおらず、名前が売れているのは和だけ。マークされないという意味では、これほどの環境はない。

 

 勝つことだけを考えるのであれば、透華たちにも情報を与えるべきではないのだろうが、肝心の咲が今のままでは透華たちには勝てないというのが京太郎の見立てである。

 

 ならば今のうちに強敵と戦っておいて、後の糧にするしかない。胸を借りる相手として、透華たちは申し分ない。これで咲が目覚めることがなければ……また来年に期待するしかない。照が卒業してしまうことで、咲もモチベーションは更に下がるだろうが、親友の淡が残っていればどうにかなるだろう。

 

「なんだ、京太郎がこっちの採譜か?」

「ええ。俺は女子ではないので、参加しない時は仕事優先です」

 

 咲と久が今回は見物に回り、京太郎と和が採譜を行うことになっている。歩は給仕に専念するので、龍門渕から採譜に参加するのは透華と一だ。

 

「京太郎に麻雀を見られるのも久しぶり」

「そうですね、智紀さん。今日は勉強させてもらいます」

「犬よ、他校のおねーさんに粗相するんじゃないじょ?」

 

 わかってるよ、といつもの軽口で応えようとした京太郎の前に、智紀が手をかざした。あ、と小さく声を漏らしたのは純だったろうか。智紀が対面に座った優希に向き直る。

 

 京太郎から見えるのは智紀の背中だけだが、その背中から智紀の激情が見えた気がした。視線を正面から受け止めることになった優希が、椅子ごと後ろに下がる。顔立ちの整った智紀だけに、凄まれると言い知れない迫力があるのだ。物事に拘らない性質の智紀だが、それだけに怒ると怖いのだ。

 

「智紀さん」

「……解ってる」

 

 何で怒ったのかは理解できた。優希は悪くない以上、それをフォローするのは京太郎の役目である。声をかけると、智紀はすぐに冷静さを取り戻した。一度深呼吸をすると振り返り、京太郎に笑みを浮かべる。メガネの奥には、いつもの智紀の笑顔が見えた。

 

「大丈夫。何ともない」

「……すいません。そこのタコスとはいつも、そういう風にやってるんです」

「私の方こそ大人気なかった。迷惑かけてごめんね?」

 

 京太郎に小さく頭を下げ、智紀は正面を向く。優希への謝罪の言葉はなかった。何事もなかったように振舞う智紀に、困った優希が視線を向けてくる。京太郎は黙って首を横に振った。対局前の短い時間でフォローすることはできない。この蟠りを解くには時間が必要だ。

 

 からころと、サイコロが回る。出親は優希だ。

 

「貴女は私の大事な友達を犬と呼んだ」

 

 牌を取っていく過程で、智紀がぽつりと声を漏らす。底冷えのする声に、優希がびくりと身体を震わせる。運が重要な要素を占めるこのゲームで気持ちが風下に立ってしまうと、プレイングに大きな影響を及ぼす。気分屋である優希は特にその影響を受けやすい。萎縮してしまうと、本当に手に影響が出てくるのだ。縮こまった優希の姿を見て、課題はメンタルの強化だな、と確信する。

 

「それが普通なら別に良い。でも、この半荘だけは別。貴女は叩き潰す」

 

 珍しくやる気を出した智紀の宣言で、その半荘は始まった。

 

 所要時間は20分。宣言通りに無双した智紀が優希を飛ばし、半荘は終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……燃え尽きたじょ。おねーさん、ごめんなさいだじょ」

 

 真っ白になった優希を見下ろしながら、智紀はメガネを得意げに持ち上げている。優希の視点から見れば大惨事であるが、智紀を知る人間からするとここまで智紀が吹いたことに驚かされるところだ。データ派である智紀はそのせいか、流れに乗るということはめったにない。元々の運が太いせいか、それでも困ることはないが、運が太く、また流れに乗りやすいタイプとは相性が悪いのだった。

 

 本来であれば東場で吹く優希は智紀にとって相性の悪い相手だが、気持ちで風下に立たされた優希は、同時に牌の集まりも悪くなっていた。そこに、珍しい智紀の絶好調である。データの智紀に上り運となれば、もはや敵はいなかった。純もまこも抵抗はしたが、一度流れに乗った実力者を止めることのできる手段はあまりない。結果、智紀の独走を許す形となり、ラスが優希の指定席になったことで、残りの二人は二位を争うこととなった。

 

 結果は500点差でまこが勝利。龍門渕によるワンツーだけは防ぐことができた。面目を保ったまこは、椅子に背を預けて大きく息を吐いた。個々の実力は置いておくとしても、相手はチームとして遥かに格上。たかが練習試合とは言え、県大会で勝ち進んでいけばいずれ戦うことになる相手だ。優希が負けてしまったのが悪い例であるが、麻雀に限らず相手がいるゲームではメンタルが結果に大きな影響を齎す。

 

 ここで苦手意識を持つのは、得策ではない。最低でも、自分たちはやれる。負けても次は勝てると思って屋敷を出なければ、ここにきた意味はない。

 

 そうして、感想戦が始まった。

 

 この時、どうしてそういう判断をしたのか。各々が疑問に思ったところを、ホワイトボードを使って検討していく。司会進行は透華が行っている。普段から龍門渕の面々を引っ張っているだけあって、その仕切りも堂に入っていた。

 

 疑問として持ち上がったのは、純の打ちまわしである。提案したのは和。流れが見える、という純のスタイルは龍門渕の面々と京太郎にとっては既に馴染みのものであるが、初見の人間には奇異に映る。デジタル一筋ならば、尚更だ。

 

 和の質問を受けて純は少し考えるそぶりを見せたが、それだけであっという間に匙を投げた。純にとって流れというのは見えるもの、感じ取れるものであって、他人に言葉で説明できるようなものではない。同じような能力を持っているならば話は早いが、そうでない人間にはいくら説明しても本当には理解できないだろう。プロもトップクラスになれば、流れを肌で感じ取れるようになるというが、まだ高校生である和にそれを自覚せよというのも無理な話である。

 

「経験から来る勘……みたいなもので良いんじゃないですかね」

 

 京太郎は、適当に助け舟を出した。納得できそうな答えを選んだつもりだが、和はどうにも納得していないようだった。論理的に納得できる答えが欲しいと顔に書いてある。

 

 言葉で説明できるならそうしたいが、これを技術として処理できるとしても、その説明には専門家に登場してもらわなければならない。京太郎の知り合いで言えば良子など霧島神境の巫女たちがそれに当たる。彼女らならばこの不可思議な力、流れについても説明できるはずだが、それと和が納得してくれるかは話が別だ。オカルトの説明に巫女が登場するという如何にもな雰囲気が、和に馴染むとは思えない。

 

「さあ、次は私たちかしら?」

 

 名乗りを上げたのは透華。龍門渕からは一が続いている。去年のオーダーの通り、今度は中堅と副将が参加するつもりなのだろう。衣がいないからそうならざるを得ないという事情もあるが、オーダー順ということであれば、大将の衣がいないことにも、一応の言い訳になる。智紀が無双したせいで思いの他早く半荘が終わってしまったが、さらにもう半荘となれば時間稼ぎとしては十分だろう。

 

「和。次は私たちの番よ」

「はい、部長」

 

 清澄からは久と和が出る。実績という点では清澄一の和の登場に、龍門渕の面々が色めき立つ。中でも透華の反応は際立っていた。頭のホーンがぴんととがっているのは、激しく興味をひかれているという証である。

 

 だが、京太郎にはそこまで透華が興味を持つ理由がわからなかった。現段階の実力で言えば、透華の方が大分上だ。インターミドルを優勝したという和の経歴こそ華々しいものの、県大会を制し全国大会でも活躍した龍門渕の面々の活躍は、長野の麻雀ファンの記憶に新しい。目立っているのがどちらかと言えば和かもしれないが、麻雀という競技に関することで、和が勝っていることと言えばそれくらいのものだ。

 

 透華は相変わらず和に熱視線を送っている。その隙をついて、京太郎は近くにいた一に耳打ちした。

 

「透華さんはどうして和を目の敵にしてるんです?」

「どっちが本当のアイドルかはっきりさせたいんだってさ」

「透華さん、いつからアイドルを目指すようになったんですか?」

「目立ちたがりだからねぇ、透華は。色々調べてみたけど、今年の注目は去年全国にいった僕らよりも原村和に集まってるみたいだからね。それが堪らなく悔しいんじゃないかな」

「麻雀とは関係ない部分なのに……」

 

 麻雀打ちとして思うところはあるが、透華の性格を考えると無理からぬ気もする。実力で勝っているのだから、尚更、和の方が注目されるのが気に食わないのだろう。

 

「透華も気持ちが乗りやすいタイプだからね。このパワーを麻雀に変えてくれるなら、今日も良い勝負をしてくれるんじゃないかな」

「俺としては願ったり叶ったりです。強敵とぶつかった方が、和も良い経験になるでしょう」

「……すっかり清澄の一員だね、京太郎」

「今でも一さんたちのことは、掛け替えのない友人だと思ってますよ」

「嬉しいけど、いまいち嬉しくないな。友達としては百点だけど、男の子としては配慮にかける。でも僕は心の優しい友達だから、ぎりぎり及第点をあげるよ。これからも精進するんだね」

「今度、時間が取れたら遊びに行きますよ」

「純くんとは二人で出かけたりしてるんだろ? たまには僕らの誰かを誘っても、罰は当たらないと思うよ」

「はじめ!」

 

 エキサイトした透華の言葉に、一が駆けて行く。最後に一は肩越しに振り返り、口を動かした。

 

『わすれないで』

 

 休日の予定を空けないと許さないという、年上の女性からのありがたいお言葉だった。これは必ず、近い内に予定を空けなければならない。インターハイ予選も近く、麻雀部も決して暇ではないのだが、女性の言葉は絶対だ。脳内の予定帳をめくっていると、右隣に智紀が腰を下ろす。左がまこ、対面が純という席順だ。選手は有利不利が生まれないよう、同じ高校が並んで座らない関係で、採譜係も同様の配置になる。

 

「どうだった?」

「勉強になりました。清澄の皆も、勉強になったと思います」

「それなら良かった。ところで――」

 

「まさか一だけということはないよね?」

 

 拒否することを許さないといった智紀の声音に、京太郎は色々なものを諦めた。歩もしっかりと京太郎の方を向いており、視線を向けられると小さく手を振った。二人と歩の間には結構な距離がある。話が聞こえたというよりは、最初から三人で話をまとめてあったという風だ。

 

 それなら四人で出かけるのが手っ取り早い、思ったことをそのまま口にすることはしなかった。どう考えても、その言動は地雷を踏み抜くものだ。この所清澄の面々とばかりいたのも事実だ。顔を見たい、話をしたいと思っていたところでもある。予定を組むのに、否やはない。一人組むならば、二人も三人も一緒である。

 

 智紀と歩にOKのサインを出し、卓に集中する。

 

 透華と和という、全国でも指折りのデジタル派に、試合巧者の久。その三人に比べると、一は客観的な、解り易いアピールポイントが少ない。

 

 だが、京太郎から見て、この四人の中で最も学ぶべきものが多いのは実は一である。

 

 まず一は自分のペースを作り、それを崩さないことに長けている。

 

 ツモり、それを手牌の上に置き、切るべき牌を切り、河へ捨てる。この一連の流れに、一は全く無駄がない。一定のリズムを保ち続けるということは、メンタルにも大きく影響する。切るのが遅い人間にイライラし、打牌に影響が出るなど、麻雀をやっていれば良くある話だ。

 

 そんな中、一はどんな状況でも自分のペースを崩すことはない。自分らしくを貫くことができるのである。

 

 逆に、相手のペースを崩すのも一は上手い。呼吸の隙を突き、相手のペースを乱す技術が抜群に上手いのだ。

 

 早めに切っている訳でも、遅延行為をしている訳でもない。傍から見れば普通に切っているようにしか見えないのに、一の下家の挙動が一瞬遅れる場面を、全国でも何度も見た。

 

 他のプレイヤーも、多分に漏れずリズムに乗って麻雀をしている。呼吸を乱されることでプレイングに影響が出れば、その分、一は有利になる。小さなことかもしれないが、その積み重ねが最終的に大きな違いを齎すのだ。

 

 小手先の技術、と馬鹿にすることはできない。太い運と十分な技量があるからこそ、一の技術は生きるのだ。アピールポイントが少ないなどとんでもない。龍門渕のレギュラーとして恥じないだけの実力を、一は持っている。

 

 和と透華であるが、京太郎の見立てでは、透華の方に分があるように思える。頭の良さという点では大した差はないだろうが、高校生として全国の舞台を経験しているという差は大きく、また年上ということはそれだけ余分に研鑽を積んでいるということでもある。

 

 何より、透華には思考の柔軟さがあった。その時々で主義主張を変えることのできる柔軟さは、和にはないものである。デジタルだけでなく、いざとなったら龍門渕の血統に宿った力……一の言葉を借りるなら『つめたいとーか』となり、今までとは全く違った打ち方ができるというのも、本人の意思とは別のところで気持ちの余裕に繋がっている。

 

 本人はあの力を嫌っているが、去年は全国の準決勝で臨海のラーメンさんを追い込む寸前まで持っていった。結局不発に終わったが、それはラーメンさんが目標を飛ぶ寸前の相手に切り替えて、他の学校を飛ばしたからである。そのまま打ち合っていたら、とは京太郎だけでなく龍門渕の全員が思ったことだろう。

 

 あの日、準決勝で負けていたことを一番悔やんでいたのは透華だ。透華が飛んだりした訳ではないが、自分の順番で準決勝そのものが終わり、衣まで回すことができなかった。自分がもっと強ければ、力を発揮するにしても、もっと早く開放していれば。あれから力との付き合い方も、随分考えたらしい。意見を求められたことも、一度や二度ではない。

 

 結局、任意に引き出すことは今の透華でもできてはいないが、同時に、デジタルだけで勝ちきることも捨ててはいない。デジタルだけで相手を制することができれば良いが、透華ほどの実力を持ってしても、それは容易いことではない。良い悪いは別にして、力というのは勝つために必要なのである。

 

 それに対する和は、デジタルの完成度で透華に一歩劣っているように思える。決して質が悪い訳ではないのだが、完成しているとはいい難い。

 

 県内では三指に入る実力だろうが、全国まで目を向ければ和くらいの打ち手は沢山いる。デジタルだけで打ちまわすならば、更にレベルアップをしなければならない。

 

 それに和については気になることもあった。清澄で打っている時もそうだが、どうも彼女の思考にモヤがかかっている気がしてならない。本気で打っているのは間違いないが、全力では打てていない感じである。

 

 咲も、なぜか靴下を脱ぐと強くなる。和にも、そういう『これがあればリラックスできる』という環境ないし、アイテムが必要なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「勝ちましたわ!」

 

 激戦の末、トップは透華が勝ち取った。久は善戦したが二位に終わり、透華に頭を押さえつけられる形になった和は三位である。良いところのなかった一は始終大人しくしていたが、その間ずっと、視線は和と久を観察していた。打ちまわしに見る癖がないかチェックしていたのだろう。京太郎たちが情報を集めているように、一もまた情報を集めているのだ。

 

 そうして全員がホワイトボードの周りに集まり、二度目の感想戦が始まる。デジタル二人が参加していたため、進行も早い。和も透華も遠慮なく疑問をぶつけ合い、お互いがそれに答えを出していく。小気味良いやり取りをする二人に、他の全員が置いていかれている形だ。二位に食いついた久にも質問をしてしかるべきなのだが、和も透華もお互いしか見ていない。

 

 自分と同じタイプと出会えたことが嬉しいのだ。性格の全く違う二人であるが、麻雀論を交わすのにこれほど適した相手はいない。何しろ同じタイプの打ち手だ。和からすると、今まで出会ったことがないタイプなだけに新鮮に違いない。友達になれると良いな、と思いながら歩の淹れてくれた紅茶を飲んでいると、応接間の扉が少し開いているのが見えた。

 

 その隙間から綺麗な金色の髪と赤い兎耳のヘアバンドが見え隠れしている。

 

 誰もがホワイトボードに集中していたから、衣の登場に気づいたのは京太郎一人だった。そーっと部屋を覗き込んできた衣と、真っ先に目が合う。ちょいちょいと手招きをすると、衣はぱぁっと目を輝かせた。

 

「きょーたろ!」

 

 部屋を突っ切り、そのまま京太郎の胸に飛び込んでくる。突然部屋に現れた金髪ロリに、全員の視線が集中した。それが龍門渕の大将天江衣だというのは、清澄の面々にも解った。

 

 衣は京太郎の胸を心行くまで堪能した後、清澄の面々に向き直った。優希も大分小さいが、衣はそれよりも更に小さい。普通にしていれば小学生にしか見えない衣に、しかし、皆が言いようのないプレッシャーを感じていた。ここに集まった人間の中で、最も完成された麻雀打ちであるところの衣は、清澄の面々を見回して獰猛に笑った。

 

 

「天江衣だ。きょーたろが世話になっているな。今日は良い麻雀をしよう!」

 

 

 

 

 

 

 

 


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