セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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6 小学校五年 奈良にて

 奈良で麻雀が強い高校と言えば晩成高校である。

 

 全国大会への出場を逃したのは過去35年で一度だけ。それ以外の年は県下で無双を誇っている強豪校だ。

 

 それでも、である。多くの人には34年分の勝利の歴史よりも、たった一度の敗北の時の方が鮮烈に記憶に残るのだった。

 

 その時晩成高校に勝利したのは、それまで無名だった阿知賀女子。優勝に導いたのは赤土晴絵、通称『阿知賀のレジェンド』。

 

 その赤土晴絵、今は阿知賀女子を卒業して大学生になっているという。どういう訳か大学麻雀からは離れているらしいが、そのレジェンドが母校阿知賀女子で小中学生向けの麻雀教室を開いていると京太郎は小耳に挟んだ。

 

 是非とも行ってみたいものである。

 

 京太郎は即決したが、問題は場所だった。教室が開かれるのは阿知賀女子。名前からも分かる通り女子高である。麻雀教室は別に男子禁制ではないらしいが、開催場所から女子限定の雰囲気を感じざるを得ない。聞けば参加メンバーも全員女子であるという。そういう下地があれば、男子が招かれるということはないだろう。主宰のレジェンドも女子しかいないところに、態々男子を呼ぼうとは考えないはずだ。そういうところに一人で足を運ぶのも、気が引ける。

 

 ならば、誰か既に参加している女子に紹介してもらうしかない。京太郎は頑張って、同じ小学校の中からその教室に通っている女子を調べ、その日のうちに見つけた女子が――

 

「高鴨、俺をレジェンドの教室に連れて行ってくれ」

「いーよー。じゃあ、明日の放課後ね」

 

 穏乃はにっこりと笑って、一発OKを出した。緊張していた自分がバカみたいだった。

 

 ともあれこれで目標は達成したも同然だ。麻雀の強い人の教室に参加できるというワクワク感を胸に、早めに床につこうとした京太郎の携帯電話が震えた。

 

 嫌な予感がする。自分の直感を何よりも信じる京太郎にとって、悪い予感というのは予知も同然だった。

 

 ちょっとだけ暗い気持ちで携帯電話を見ると、そこには予想通りの名前があった。メールの内容は意訳するとこうである。

 

『明日時間が取れました。そっちに行くから遊んでください』

 

 予定がある、と断りのメールを入れるのは容易い。本当に予定があるのだから、嘘ではない。

 

 通常、予定があると切り返せばそれは『貴方に時間を割くことはできない』と答えるのと同義であるが、人間誰しもが普通の対応をしてくれる訳ではない。メールの相手は京太郎の知り合いの中ではまさに、普通でない人間の筆頭格だった。そっちに行くと書いてある以上、彼女は京太郎の予定に関係なく奈良まで来るだろう。その時構わなかったとなれば、後で何をされるか分かったものではない。

 

 メールが来た時点で、京太郎の運命は決定していた。どうやって同級生に紹介しよう。そう考えながら、返信のメールを打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 高鴨穏乃は美少女である。

 

 屈託のない笑顔がかわいい。表裏のない素直さがかわいい。野山を走り回る奔放さも、またかわいい。

 

 サルとか野生児とか、他の男子の挙げる全ての要素が京太郎には魅力的に思えた。

 

 自分の感性には自信がある……つもりだったが、一度同級生にその話をしたら『お前大丈夫か』的な顔をされてしまった。どうやら同級生は本当に穏乃をおサルさんと思っているらしい。お前らこそ大丈夫かと問い詰めたい京太郎だったが、やめておいた。健全な男子としては特定の女子とカップルとして囃し立てられても困るのである。

 

「こんにちは京太郎」

「こんにちは。今日はよろしく」

 

 小学校の前で待ち合わせた穏乃は、京太郎の顔を見てにっこりと微笑んだ。それから、視線を京太郎の背後につつーっと移動させる。

 

「そっちの娘は?」

「ああ、こいつは――」

「はじめまして、須賀響です。京太郎くんとは遠縁の親戚になります」

 

 と、行儀よく頭を下げる。あげた顔に漂うどことない気品に、穏乃が一歩後退った。穏乃の周囲にはあまり見ない、礼儀正しさを持った少女だった。

 

 髪は染物ではない綺麗な赤みかかった茶髪。前髪は左半分がばっさりと切りそろえられており、左は額部分が空いている。後ろに流した髪はポニーテールにされていた。頭は京太郎よりも僅かに下にある。肌の白さは、普段は屋内にいることを思わせる。ポニーテールにされた髪からみえる、白いうなじが眩しい。

 

「えーっと、この娘も連れて行けば良いの?」

 

 紹介されたのは名前だけだが、自分よりも年下と判断したらしい、少女――響を視線で示しながら、穏乃が問うてくる。京太郎は無言で頷いた。響はそんなやり取りをにこにこ笑いながら見守っている。

 

 京太郎一人と思っていた穏乃は釈然としないようだったが、元々教室はオープンなものである。今更一人増えようが穏乃が気にすることではないし、響は京太郎と違って女子だから尚更気にすることはない。

 

 第一、ぐだぐだ悩むのは穏乃の流儀ではなかったのだろう。考えていたのは数秒。その後にはいつもの笑顔で、響の手をとった。響も無邪気な笑顔で穏乃の手を取る。見た目は微笑ましい小学生女性二人であるが、響の本性を知っている京太郎は和む気分になれず人知れず溜息をついたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 教室は本当に女子高の中にあった。足を踏み入れる時にこそ緊張したが、入ってしまえば一瞬。ずんずん歩く穏乃に先導される形で学校の中を行き、一つの教室の前で立ち止まる。洒落た印象の、麻雀部という看板があった。

 

「この学校、麻雀部はないのか?」

「部員不足でなくなっちゃったんだってー」

 

 レジェンドが全国大会に出たのもそんなに昔のことではない。それを思うと酷い栄枯盛衰だが、穏乃に気にした様子はなかった。

 

 こんにちはー、と勢い良くドアを開けて教室に入っていく穏乃。その後をついていく響。京太郎は最後尾だ。

 

「しずちゃんだー!」

 

 と、早速穏乃が低学年の女子に飛びつかれている。わははーと喜んで振り回している辺り、いつものことなのだろう。女子ばかりの空間でも野生児なことに男子として安堵の溜息を漏らす京太郎に、今度は女子達の視線が集まる。

 

 男子、と認識した段階で教室内に微妙な雰囲気が漂った。あまり歓迎されてないというのは、言葉にされなくても分かった。はっきりと拒絶されなかっただけマシなのだろう。女子の中に男子が一人なのだから当然のこと、と改めて思い直し、五年生というここに集まった中では比較的年上であることに感謝しながら、目当ての人間を探す。

 

「シズ、久しぶりじゃないか」

 

 目当ての人間はすぐに見つかった。この場における唯一の大人であるから、とにかく目立つ。髪の色は赤く、前髪は何というか特殊な形をしている。一見すると溌剌としているように見えるが、京太郎には何故だか影があるように感じられた。

 

「晴絵さん、今日は新しい子を連れてきたよ!」

 

 二人! とブイサインをするシズの頭を撫でながら、晴絵は視線を京太郎に向ける。

 

「男子とは珍しいね……教室始まって以来かな。居心地は悪いと思うけど楽しんでいきなよ。私は赤土晴絵。君は?」

「須賀京太郎と言います。今日はよろしくお願いします」

「うん。礼儀正しい奴は好きだよ私。で、そっちの娘は――」

 

 晴絵の視線が響に向き―ー不自然に固まる。晴絵は響を頭の先からつま先まで確認し、最後に視線をあわせた。響は悪戯そうに微笑んで、口元に人差し指を立てる。その仕草で、ピンときたようだった。驚きの声を直前で押し込め、晴絵はぎこちない笑みを浮かべる。

 

「はじめまして、須賀響です。京太郎くんともども、今日はよろしくお願いします」

「うん、はじめまして。こっちこそよろしく須賀さん」

 

 疲れた様子で、晴絵は教室を見回した。オーラスを迎えている卓が一つある。卓はほとんど埋まっていて、順番待ちをしている子供は少ない。どうやらすぐに打てそうだった。

 

「ちょうど空きそうだからすぐに入れるな。新人さんに譲るってことで、二人の須賀は――」

「いえ、私は最初、京太郎くんの麻雀を見せてもらいます」

 

 遠慮する響に、晴絵は出鼻を挫かれる。じゃあ、と教室内を見回し、最初に目をつけたのが――

 

「アコ! それからクロ。こっちで打ってくれないか」

 

 小学生の指導、というよりも面倒を見ていた二人の女子に白羽の矢が立つ。

 

 呼ばれてやってきた二人は、どちらも美少女だった。内、背の低い方には見覚えがある。穏乃のクラスメートで親友と噂の、新子憧だった。気さくな性格と少々活発ながらも女の子らしい可愛らしさに、穏乃と違ってまともな意味で男子に人気があるが、憧を有名たらしめているのはそんな外面によるものだけではない。

 

 京太郎がよう、と片手をあげると憧も手を挙げて答える。そんな憧に向けて京太郎が一歩踏み込むと、憧は反射的に二歩退いた。それを見て京太郎が一歩下がると、小さく安堵の溜息を漏らす。

 

 見ての通り、男子が苦手らしい。自分から近づく分には構わないのだが、男子から近づかれると距離を取る。それなりに仲良くやれている男子は多数いるが、手を握れるくらいまで近づいた男子というのは、皆無である。その手の届かなさが良い、というのが男子一同の共通見解である。

 

 その見解には京太郎も同意であるが、そんなマゾ的な良さを感じられて何故穏乃をかわいいと思えないのか、理解に苦しむ。自分の感性と同級生達の好みとの乖離に悩みながら、京太郎は穏乃を見る。何も知らない穏乃は相変わらず幸せそうに笑っていた。

 

 もう一人は、これまた美少女だった。長いロングの黒髪という絶滅危惧種で、スタイルも小学生にしては良い。立ち姿にはどことなく品を感じる。着物とか着ていると似合うかもしれない。身長も結構あるからおそらく六年生だろう。小学生の集まりでは一番のお姉さんということになるが、整った顔に浮かぶ柔らかな笑みは、穏乃とはまた違った親しみ易さを感じさせた。

 

「アコは知ってるな。そっちの黒髪のが松実玄。一応ここでは最上級生で、リーグトップでもある」

「よろしくなのです」

 

 笑顔で握手を求める玄の手を、握り返す。男子だからと言って、特に思うところはないらしい。憧は顔見知りということで、近づいてもこなかった。周囲の女子達は相変わらず、遠巻きにこちらを眺めている。外様っぷりに、そろそろ息が苦しくなってきた。

 

「赤土さんは入らないんですか?」

「私もそっちの須賀と一緒に、麻雀を見させてもらうよ。教室なんだから、先生っぽいことしないとな」

 

 晴絵がにやりと笑うと、ちょうど卓が空いた。ぞろぞろと卓を離れる下級生と入れ替わるように、卓の周囲に集まる。一番最初に辿りついた玄が牌の中から四枚を取り、裏返す。どうぞ? と玄が視線で促すと、穏乃が最初に手を伸ばした。

 

「どりゃ!」

 

 引いたのは『南』だった。続いて憧が牌をめくる。『北』である。続いて京太郎が引く。『西』だ。

 

「私が出親だね!」

 

 笑顔で『東』をめくる。玄が選んだのは彼女に一番近い席だった。玄が着席すると引いた牌に従って、残りの三人も着席する。穏乃が上家で、憧が下家である。ギャラリーとして、京太郎の後ろには響と晴絵が陣取った。他の女子は思い思いに、他の三人の席に散っている。

 

「ギャラリーの数ではもう負けてるね」

「仕方ないだろここにきたのは初めてなんだから」

「でも大丈夫。京太郎くんには私がいるよ」

「あんまり嬉しくないのはどうしてだろう……」

 

 世の不条理を嘆きながら、玄がボタンを押すのを何となく眺める。穏乃に頼み込んでまで参加した教室。その最初の半荘が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おかしい……)

 

 そう思ったのは東四局が終了して、南場に入ろうとした時だった。

 

 点棒状況は穏乃が35000でトップ。二位が憧で29000。京太郎は19000で三位。対面の玄が17000でラスとなっている。地味な上がりが続いてさらっと東場が流れた感じであるが、その中で京太郎は違和感を覚えていた。

 

 ドラも赤も一枚も見えない。

 

 河にはもちろん、手を開けた穏乃や憧の手の中にも一枚もなかった。勿論、京太郎の手の中にもない。ならば何処にあるのか。今まで全ての局で山の深いところにあったのでなければ、あがらなかった自分以外の誰かの手にガメられていたと考えるのが自然である。

 

(この人か)

 

 玄の手にドラと赤が集まっているのだと、京太郎は当たりをつけた。

 

 ガン牌やすり替えでなければ、そういう能力ということになる。自分にドラと赤を集める――というよりも、他人にドラと赤をツモらせない能力。こうして対面に座っていると、対面の玄は凄まじく太い運を持っているのが良く解る。流石に一番強い神様を降ろした時の小蒔や絶好調時の咏には及ばないが、玄は京太郎が今まで出会った中でも五指に入るほどの強運の持ち主だった。

 

 だが、点棒状況はご覧の通りである。おそらく他人にドラをツモらせないことに、勝負運の大部分が割かれているのだろう。ドラを持ってくる以外のヒキは大したことはなかった。

 

 それでも油断はできない。ドラとアカが全部集まるのだとしたら、玄の打点は凄まじいことになる。半荘で一回しかアガれないとしても、全て集めきった状態でアガれば最低でも倍満、他に役が絡めば数え役満すら簡単に狙うことができるのだ。それを誰かに直撃させれば、それだけでゲーム終了も狙える。玄がリーグトップというのも頷けた。相手が小学生なら、この高火力だけで勝つことも容易いだろう。

 

 眺める分には実にエキサイティングな麻雀だ。京太郎もテレビでこの能力を見たら、手に汗を握って応援していたかもしれないが、相手にすると厄介なことこの上なかった。

 

 

 南一局。玄に初めて動きがあった。

 

「リーチなのです!」

 

 自信満々にリーチ棒を出し、玄はむふー、と鼻息を漏らした。ツモる気満々の玄に呼応するように穏乃がおりゃーと力強く牌を切るが、それは玄の現物だった。小さく溜息をつきながら、京太郎がツモる。生牌。それも、玄に当たりが濃厚な油っこい牌だ。

 

「失礼」

 

 と断ってから、玄の捨て牌を見るふりをして思考する。

 

 自分の運が絶不調なのを感じる。このまま何もしなければ、おそらく一発で玄はツモあがるだろう。するとこの手を手なりで進めることに意味はない。とりあえず一発ツモを阻止しなければ、高火力の親のツモ。勝負がほとんど決まってしまう。

 

 ツモをズラすしかない。玄に振らずに、憧か穏乃が鳴けるような牌を切る。今が危ない時というのは感じ取ったのか、憧が視線を送ってきた。鳴ける牌ならば鳴く、そんな心の声が聞こえたような気がした。

 

 玄の現物で、憧が鳴けそうな牌。わずかに思考して、京太郎は⑨を切った。

 

「チー」

 

 阿吽の呼吸で憧がチーをする。一発を食い流した。狙いが成功して、京太郎の目にも炎が灯る。

 

(そう簡単にばんざいはしないぞ!)

 

「あ、ツモなのです!」

 

 努力空しくあっさりと玄は⑤をツモあがった。

 

「リーヅモドラ4赤3、裏は……ないのです!」

 

 それでも親倍8000オール。勝負を決するツモだった。失礼、と断りを入れて本来玄が一発で引くはずだった牌をめくる。赤⑤だった。何もしなかったら、一発に赤がついて三倍満だったということだ。そう考えると邪魔チーしたことにも価値はあったのだろうが……結局ツモられている辺りに、京太郎は麻雀の難しさを感じていた。

 

「さぁ、これからです!」

 

 勢いに乗った玄は、もう止まりそうもない。彼我の運量がさらに引き離されていくのを、京太郎は肌で感じた。これはもう勝てないだろうなぁ、と思いながら配牌を見る。

五シャンテン。見事なまでにバラバラだ。

 

 乾いた笑いを浮かべながら、それでも京太郎は勝つために牌を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ま、京太郎くんにしては頑張ったんじゃない?」

 

 卓に突っ伏した京太郎の点棒入れには2000点も残っていなかった。あれから玄は三本棒を積み、四本場で穏乃が親倍を振り込みゲーム終了。10万点を越える点棒をかき集めた上での圧倒的な勝利だった。響のどこか投げやりな言葉も、京太郎の心には響かない。ここまで圧倒的だと悔しさすら沸かないのだ。

 

 麻雀が楽しく勝つことが嬉しい。そういう内面を純粋に外に出せる人間は、得てして人に好かれるものである。それが美少女であるなら言うことはない。圧倒的勝利を引き寄せた玄に、教室の子供達が群がっていた。そんな子供達を、玄は得意気な顔で構っている。明らかに調子に乗っているその顔にも、愛嬌があった。

 

「じゃあ次は私がやろうかな」

「すっかり冷やしちまったけど、大丈夫か?」

「……誰にもの言ってんのかわっかんねー」

 

 けらけら、と響は笑いながら着席する。対面の玄は……立たなかった。空き待ちをしている子供達の期待の視線に背中を押されたからだ。憧と穏乃もそのままである。教室の誰もが、彼女らの中の強者である三人と、新たにやってきた子供の対局を望んでいたのだ。

 

「んーっと……このメンバーでやるの?」

 

 穏乃の問いに晴絵はしばらく逡巡し、首を縦に振った。『まぁ、良い経験だろうさ』という呟きは、隣の京太郎にしか聞こえなかった。

 

「さて、じゃーはじめるっかねー」

 

 バッグをサイドテーブルに置き、響は髪を解く。集中するために髪を結ぶ女子は多いが、響はその逆だった。ポニーテールにされていた髪が解け、明るい茶色の髪が広がる。すっと、響の目が細められた。それで、彼女の気持ちが切り替わる。雰囲気の変わった響の顔を見て、あ! と憧が声をあげた。『須賀響』の正体に気付いたのだ。真っ先に気付いた聡い少女にむけて、響はにやり、と底意地の悪い笑みを浮かべてみせた。

 

 そして、バッグから彼女のトレードマークとも言える扇子を取り出し、ばさりと広げる。

 

 誰もが響を注視していた。IH、特に女子の部は全国で中継され、ここ奈良でも当然見ることができる。毎度毎度怪物級のプレイヤーが出てくる訳でもないが、ここ十年は大豊作だったと言えるだろう。赤土晴絵も敗北を喫した小鍛治健夜は別格として、それに次ぐプレイヤーとして絶対的な強者を挙げろと言われたら、ほとんどの人間が彼女の名前を挙げるだろう。

 

 一昨年の団体戦優勝チームの先鋒にして、個人戦優勝者。卓上を焦土にする火力で持ってIHを蹂躙した、小鍛治健夜に次ぐ若手プロのNO2。

 

「まぁ、今更言うまでもないと思うけど、一応自己紹介しとくかね。はじめまして、三尋木咏だよ。京太郎の付き合いで今日だけの参加だけど、よろしく頼むねぃ」

 

 決して小学生を相手に真面目に卓に座って良いようなレベルの選手ではなかった。日本でもトッププロの咏が、小学生を前に獰猛に笑っている。今の咏の雰囲気を前に、手加減をしてくれるかもと期待を抱くのは不可能だった。表情といい仕草といい、皆殺しにする気がひしひしと感じられる。横で見ている京太郎ですらそれを感じるのだから、同卓している三人の恐怖はいかばかりか。怖いものがなさそうに見える穏乃ですら、笑顔の咏を前に引き気味である。

 

「あーそれから小娘ども、始める前に一つだけ釘をさしておくことがある」

 

 ぐるり、と卓に座った少女三人を見回した咏は、やがて憧に視線を止めた。

 

「この中なら、お嬢ちゃん一人かな」

 

 視線を向けられた憧は椅子から立とうとするが、先に動いた咏に扇子の先で肩を押さえられる。大した力ではなかったはずだが、タイミングが良かった。椅子に座らされる憧に、咏はそっと顔を寄せた。

 

「京太郎が欲しいなら、もっと麻雀の腕を磨くんだね。最低でも私に土をつけられるようでないと、手放してなんかやらないからね」

 

 この発言は憧以外の誰の耳にも届くことはなかった。顔を青くさせ、次いで顔を真っ赤にする憧を見て、何かロクでもないことを言ったんだなと察する程度である。毒舌で有名な咏ならばそれくらいのことは言うだろうと、誰もが考えていた。褒められたことではないが、それくらいは『三尋木咏』にとっては予定調和である。流石に憧が泣き出すようなことでもあれば晴絵が止めたのだろうが、憧は気丈にも咏を睨むと椅子から立ち上がる。

 

「良い顔だ。女はそうでなくっちゃねぃ」

 

 自分を見下ろす憧の姿を見て、咏は嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です」

 

 窓の傍で涼みながら外を見ていた咏に、晴絵は声をかけた。

 

 年齢では晴絵の方が上であるが、選手としての格は咏の方が大分上である。何より二人にはプロとアマという絶対的な壁があった。敬語で接するのも晴絵からすれば当然のことだったのだが、当の咏は『なんだそりゃ』とからから笑う。

 

「別にふつーでいいさ。私の方が年下だし。ま、そうしたいってなら止めないけどさ。そうした方が楽じゃね?」

「そっちが良いなら、私は良いけど……」

 

 相手が良いと言っているのに、自分一人で抵抗するのもバカらしい。何より、咏の人を食ったような態度に若干イラっときた。確かに咏はトッププロで人気もあるが、率直過ぎる物言いは酷く好みが分かれることでも有名だった。晴絵もどちらかと言えば、あまり好きな方ではない。

 

「京太郎に聞いてからあんたのことは少し調べたよ。凄いじゃないか。あのすこやんに一矢報いることができたのは、多分あんた一人だけだぜ?」

「それで力尽きてちゃ世話ないよ。あれからしばらく、牌を見るのも嫌になったからね」

「あれだけボコボコにされりゃそうだろうねぃ。私もやったことあるけどさ、すこやん手加減とかまるでしねーもん」

 

 やったことがある、というのは嘘ではないだろう。何かのタイトルマッチで対局しているところを、晴絵も見たことがあった。結果は思い出すまでもなく健夜の勝ちであるが、負けた咏にはあの日の自分のような、堪えた様子がまるでない。世間一般の基準で言えば、咏も十分にバケモノの部類に入る。それ故のタフさもあるのだろが、主因は彼女本人の精神性に寄るのだろう。それなりに色々な麻雀打ちを見てきた晴絵だが咏ほどつかみ所のない人間は、『牌のおねえさん』として有名なあの人くらいしか知らない。

 

「プロになる気はないのかい?」

「私じゃ無理だろ。声とかまるでかかってないし」

「トライアウトでも受けてみたらどうだい? あんたならそこそこのチームでも受かると思うけどね。何ならいくつかチームを紹介してやっても良いぜ?」

「そこまで気を使ってもらう理由はないよ。それに今はまだ、自分と麻雀を見つめなおしてたいんだ」

「阿知賀のレジェンドは中二病か……ま、別に良いさ。本来私には関係ないことだ。かわいい弟子が世話になるみたいだから、そのついでに言っただけだし」

「その弟子ってのは本当なのか?」

「本当だよ。私の初めてで、唯一の弟子だ。全くと言って良いほど勝てないけどね。そこがかわいくもある」

 

 咏の視線の先には、教室の子供達に囲まれている京太郎がいた。女子ばかりのこの教室に、京太郎は既に馴染んでいた。今は教室の中でも幼い部類に入る面々に請われて指導をしている。それは本来は最年長者である玄の役目だったが、晴絵から聞いても京太郎の説明は実にわかりやすく、また、聞き手が子供であることを意識してか論調にも気を使っていた。二つも下の人間に仕事を奪われては玄も立つ瀬がないが、彼女はそんなことを気にもせず『ふむふむなるほど』と熱心に京太郎の講義を聞いていた。

 

「京太郎の麻雀を見てどう思った?」

「効率重視のデジタル派かと思えば、場況にも目を配ってるし何より人を見てる。高校生だってここまで気が回る奴はいないだろう。小学生でここまでできたら、その内牌が透けて見えるようになるんじゃないか」

「かもね。でも、それ以上に奴には運がないんだ。だから見えるもの全部を分析して打てるようにって色々教えたんだけど、どれも不運を覆すには至ってない。神境にやってから大分マシにはなったんだけどね。それでもヒキの弱さは相変わらずさ」

「凄い奴ではあるけど、あまり『三尋木咏』の弟子っぽくはないね」

「あんまり言わないでやってくれよ。あいつが一番、気にしてるみたいだからさ」

 

 小学生を大人気なくも麻雀で叩きのめした人間の台詞とは思えなかった。弟子のことは本当に大事にしているようである。

 

 しかし、その大事にしているという弟子の存在を晴絵は聞いたことがなかった。三尋木咏はトッププロである。その咏に弟子がいるとなれば、誰も放っておかないとは思うのだが。

 

「そりゃあ、本当に師弟関係だと思ってるのが私と京太郎の二人だけだからだろうさ。高校にいた時は、部の仲間も一緒に教えたもんだけどさ、あいつらも皆、私が麻雀を教えてやった子供と思ってただけで、本当の弟子とは思ってないはずだよ」

「あんた達はそれで良いのか?」

「他人がどう思ってたって別にいーだろ。私はあいつの師匠で、あいつは私の弟子だ。それをお互い忘れなければ、後は何だって良いのさ」

 

 すらすらと言葉が出てくる咏を、晴絵は内心で凄い女だと思っていた。人に物を教える人間としての心構えが、自分よりも遥かにできているように思えたのだ。小学生を相手にしているのは同じなのに、咏は京太郎を勝てないまでも確実に強くしていた。理論を噛み砕いて子供相手に説明できるということは、自身がその理論を深く理解しているということでもある。子供にはよくあることだが、彼ら彼女らは打つことを優先して座学をおざなりにする。

 

 教室に通っている人間の中で、打つことよりも理論を学ぶことを優先しているのは、憧くらいのものだ。その憧ですら、理論の理解度では京太郎には遠く及ばないだろう。

 

「人生二週目って言われても、私は信じるな、あの子」

「二週目か! 上手いこと言うね、阿知賀のレジェンド!」

 

 けらけらと笑ってから、咏は笑いを引っ込めると、真剣な顔で晴絵に向き直った。

 

「麻雀は弱いけどさ、それでも私にとっては大事な弟子なんだ。強くしてくれなんて言わないからさ、あいつの面倒を見てやってくれよ」

「……私にどれだけできるか解らないけど、頼まれた」

 

 仮にも教師役を自分から始めたのだ。ついてきてくれる子供の面倒を見るのは教師の役目で、成長は教師の喜びである。幸い教室には特殊な才能を持つ玄がおり、独特の感性を持った穏乃がおり、理論に重きを置く憧がいる。京太郎にも良い刺激になるだろう。

 

「女ばっかりの所に男一人ってのは針の筵じゃないか?」

「三年前は私達が皆で教えたし、一昨年は女三人男一人でずーっと麻雀してたらしいし、去年は神境に放り込んで無事に出てきたんだから大丈夫だろ」

「大丈夫過ぎるのも困るんだけどねぇ……」

 

 教師としては親御さんから預かっている大事な子供達に、何かあっても困る訳だ。真面目そうな見た目を見るに自発的に間違いを起こすようなタイプには見えないが、晴絵には京太郎よりもむしろ、生徒達の方が心配だった。ギバードたちに熱心に麻雀を教えてる京太郎を、憧がぽーっと眺めている。あれは明らかに恋する乙女の顔だった。

 

 京太郎がやってきた時の反応を見るに、今日までは顔と名前を知っているくらいの関係だったはずだ。京太郎が良い男なのか、それとも憧が惚れっぽいだけなのか。晴絵にはわからなかった。

 

「師匠としてああいうのはどうなんだ」

「別にー? あいつがどんな恋愛しようと自由だろ。ま、麻雀弱い奴だったら私が叩き潰してやるけど」

 

 咏流の冗談なのかと思って晴絵は笑おうとしたが、憧を真剣に見つめる咏の横顔を見て考えを改めた。叩き潰すのは、どうも本気のようだ。

 

「京太郎は一生独りかもな」

「そしたら私が養ってやるさ。何たって師匠だからな」

 

 扇子を広げて、咏は笑った。今度は晴絵にも、それが冗談ではないことが最初から理解できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……三尋木プロはどこにでも出てくるのね」

「あの人実家が金持ちですし、自分で賞金沢山稼いでますからね」

 

 言われてあぁ、と久は納得した。

 

 京太郎が五年生だった当時から今まで、日本の女子プロ賞金ランキングで咏がトップ5から陥落したことはない。加えて実家が金持ちというなら、咏が金に困るということはないだろう。それに麻雀プロは普通の勤め人よりも時間を作りやすい。今をときめくトッププロが小学生の男子を追い掛け回しているというのも恥ずかしい話であるが、本人達が良いなら、別に良いのだろう。京太郎からは咏に対する尊敬の念がひしひしと感じられた。

 

 

 京太郎の後ろに座った久は、その手つき、打ち筋を牌譜を取りながら観察していた。

 

 手つきが非常に滑らかだ。全中王者である和よりも、牌をツモり河に切る動作がスムーズである。日常的に牌に触れ続けている証拠だ。

 

 視線は常に手牌ではなく周囲を見ている。特に注視しているのは河ではなく相手だ。視線の動き、牌の扱いを常に追っている京太郎の視線は動き続けていた。

 

 打ちまわしは実に利に適っている。牌効率に基づいた切り出しは和よりは若干遅いものの、それでも十二分に早い。これに人間観察による分析が加わった京太郎の麻雀はまさに『防御の麻雀』だった。とにかく固い打ち手である京太郎は、リーチに振らず、ヤミテンにも振らず、しかしツモれず、相手にツモられ続けた。

 

 自分で言っているだけあって、ヒキが圧倒的に弱い。牌効率に基づいたうち回しをしていても、裏目を引く確率が非常に高いのだ。牌に愛された子というのは良く聞く話であるが、京太郎はその逆で、今日出会ったばかりの久をして麻雀に嫌われていると確信を持たせるほどだった。

 

 ゲームが終了する。トップはまこで、ラスは優希だった。京太郎は一度もアガれなかったが、優希がそれ以上に点棒を吐き出した。東場で荒稼ぎするのに、南場に入ると集中が解け振込みが多くなる。思考力の持続が今後の課題だろうか。才能はあるのに、勿体無い後輩である。

 

 そんな優希をどこか優しい眼差しで見つめる京太郎の成績は、ラス、三位の逆連対。打ち筋には目を瞠るところがあるものの、点棒的には良いところがまるでなかった。正しい打ちまわしをしているのに勝てないのだから悔しいだろうに、京太郎は妙に晴れやかな顔で牌を見つめていた。

 

「……次はどのメンバーでやりますか?」

「そうね。次は私が入ろうかしら。まこ、変わってもらえる?」

「先輩二人が続けて抜け番か……我ながら、優しい先輩たちじゃの」

「自分で言ってたら世話ないじぇ!」

 

 わはは、と笑う優希の頭を小突くまこにバインダーを渡し、牌の中から東西南北の四枚を取り出す。今度は場決めからだ。全員が裏になった牌に手を伸ばしたところで、一斉に捲る。

 

「私が出親だな」

 

 東を引いたのは優希だった。南を引いた久は優希の右隣に座る。京太郎は久の下家に座った。防御の麻雀をする京太郎に対し、牌をケアするには絶好の位置であるが……

 

「そう言えば須賀くんは、ポンチーしないのね」

「まだ咏さんに許されてませんからね。それに俺の運で鳴き麻雀なんてしたら、手牌が危険牌で埋まっちまいますって」

「悲しい現実よね、それ」

 

 からころと回るサイコロの音を聞きながら、久は意識を切り替えた。今度は観察しながら打ってみよう。これだけ運のない、しかし技術のある人間がどんな麻雀をするのか。須賀京太郎という人間に、久は強い興味を抱いていた。

 

「で、六年の時に住んでた場所の話ですよね」

「自分から話したくなった?」

「結構場が持つんだということを、今更ながら理解しました」

 

 そんな面白い話でもないでしょうけど、と言い訳するように付け加えて、京太郎は話を切り出した。

 

 

 

 

 小学校六年。京太郎は愛媛に引っ越していた。

 

 

 




気付いたら咏さん無双してました。反省してます。
穏乃らと本格的に絡むのは中学生になってから、宥姉さんも出てきてからになるかも……と思いましたが中学時代はみんな疎遠なんですよね。
誰とどうやって絡むのが良いのでしょうか。今からおきます。

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