「京太郎ってさ、どのくらい強いの?」
「弱いよ」
「んー?」
程度を聞いたつもりだったのに、それさえ返ってこないことにネリーは目をぱちくりとさせる。
臨海女子のレギュラー、それも留学生組ともなれば同年代では世界にも名前が知られている選手だ。当然その実力は高く、明華などは高校生にして既に世界ランカーである。その辺の高校生とは訳が違うのだ。冗談でも誇張でもなく並のプロより強いのが自分たちだ。
これから戦おうというそんな人間を相手に、京太郎ははっきり『自分は弱い』と言ってみせた。日本人はケンソンというものをするらしいが、そういうものとは違う気がする。日本流の込み入った冗談なのだろうか。これだから異文化交流というのは難しいと、ネリーは困った顔で明華を見た。
本当に弱いなら会話をする時間も惜しいのだが、智葉たちが揃って推す人間に何もないはずがない。弱いというのはそれはそれで事実なのだろうが、それだけでは絶対にないはずだ。
「確かに弱いですね。でも、上手い人ですよ」
「明華より?」
「流石に私の方が上手いですけど、少なくとも私と普通にお話ができるくらいに上手いですよ」
「へぇ~、それは上手いね」
麻雀の合間に歌ったり屋内でも日傘を差したり、挙句の果てにはその日傘でメリー・ポピンズの真似をして空を飛んだりとネリーが出会った麻雀打ちの中でもとびきりおかしな人間が雀明華という少女だが、感性一辺倒な見た目と雰囲気に反して、その根幹にあるのは手堅い理論打ちである。
明華の故郷であるソフィア・アンティポリスはフランスを代表するテクノポリスだ。女手一つで彼女を育てた雀博士は麻雀の戦術論の研究者としてその筋では有名である。明華も幼い頃から強い打ち手と接する機会が多く、母の仕事場である研究室を遊び場に育った。
麻雀に限らず某かの競技で特待生を取れるくらい打ち込んでいる学生は学業にまで時間を割けないことが多いのだが、明華は学業においても優秀である。歌唱力も評価されており国内外の音大からも声がかかるなど、多芸さでは臨海女子の中の歴史でもトップクラスである。
これで麻雀世界ランカーなのだから神様というのは不公平だとネリーは本気で思う。生まれてこの方神様など信じたことはないが、もし存在するのであれば物凄い性悪でケチくさいのだろうと確信が持てた。
そんなヴィルサラーゼ式神様論はともかくとして、雀明華は感覚派だと思って襲い掛かってきた部員を明華は理詰めで何度も返り討ちにしている。同じレベルで話ができるのは部内でも慧宇と智葉くらいのもので、感覚派であるネリーなどはついていくのがやっとだ。
そんな明華とお話できるのだから、少なくとも理屈の面ではそれなりに優秀なのは間違いない。麻雀が上手いと明華が表現したのはそういうことだが、理論がしっかりしている人間は普通はそれ相応に実力が伴うものだ。ネリーたちと比べて弱いのは仕方ないとしても、それでもハシにもボーにもひっかからないということは
つまりは明華に追随するくらいの理論を持っていても、それを跳ね返す程のハンデが京太郎にはあるということだ。人前でオカルトと表現する時は大抵はその打ち手にプラスになるものだが、中にはマイナスにしかならないオカルトを持つ人間もいるとネリーは知っている。
そういうオカルトはあまり広まらない。自分の恥部を公開したがる人間はおらず、そういう研究をしたがる学者も少ないからである。利益が少ないあるいは不利益をもたらすからこそ、そのオカルトはマイナスと判断される。それを突き詰めてもやはり利益は少ないというのが彼らの言い分であるが、ネリーの考えは少し違った。
能力の価値は方向性ではなく強弱で判断するべきだ。本人にデメリットの強いオカルトでも強いなら使い道もあるだろう。京太郎のオカルトはまさにその分野であると思うのだが、果たしてそれは自分の役に立ってくれるものだろうか。明華が京太郎の能力について保証してくれたおかげで、俄然興味が湧いてきた。
「場決めは?」
「京太郎からどうぞ」
にこにこ微笑む明華に促された京太郎は東を引いた。それから年若い順番に牌を引いていき、明華が最後に牌を引く。結果、京太郎、慧宇、ネリー、明華の順番で座ることになった。京太郎の燻った金髪を正面に見ながら、一人身長が低いネリーは椅子をキコキコと調整し始める。
部室で打つ時には専用の椅子を決めて打っているので調整の必要もないが、外で打つ時にはそうはいかない。特にこういう高級そうな所はあまり年若い人間が来ることを想定していないため、普通よりも更に椅子が高めになっている気がする……というのは身長が低い人間の僻みだろうか。
「話には聞きましたけど、楽しみですね」
「気にいってもらえると良いんですが」
京太郎のオカルトを知っているはずの明華も、どこかうきうきした様子だ。見学にきたIHの会場で、京太郎とは偶然出会ったと聞いている。直接顔を合わせるのはこれが二回目だと言うが、それにしては距離が近くないだろうか。流石フランス人と何となく明華を横目に見ながら、椅子の調整が終わったネリーは椅子に浅く座った。
さて、と身構えるとサイコロがからころと回りだしたその瞬間、ネリーはそれを意識した。今日のために登り調子に調整しておいた運が、急速に高まっていく。自分の運気を感じ取れるだけあって、ネリーは他の麻雀打ちよりも遥かに、運気の変化に敏感な体質である。
そのこそばゆい感覚に反射的に椅子から立ち上がろうとして――地面に足がつかないくらいに椅子が高くなっていることに遅まきながら気づいた。きゃ、と椅子の上でバランスを崩したネリ-は小さく悲鳴を挙げる。まるで女の子のような振る舞いに自分で驚きながら、それでも傾いた椅子は床に倒れていく。痛みを覚悟していたネリーだったが、少し待ってもその痛みは訪れない。
「大丈夫か?」
恐る恐る目を開けると、自分の席から飛び出してきた京太郎がネリーと椅子を支えていた。小さな自分を見下ろすように、近くに燻った色の金髪と焦げ茶色の瞳がある。その瞳を見て、ようやくネリーは智葉たちが強く京太郎を勧めてきた理由を理解できた。万感の思いを込めて大きな溜息を吐き、息を吸う。
「京太郎!」
そしてその息と一緒に言葉を吐きだした時、ネリーはそれを行動に移していた。椅子を蹴飛ばして京太郎の首にしがみつき。自分の匂いを擦りつけるように身体を寄せる。あらあらと微笑む明華と溜息を吐いている慧宇。予想していた展開だが、いざ目の前にして見ると中々イラっとくるものだ。明華も顔こそ笑顔であるが、その手には妙に力が籠っている。
「欲しいものはなに!? したいことはなに!? 何でも言って!! ネリーが全部叶えてあげるから!!」
「大盤振る舞いは嬉しいがとりあえず落ち着いて椅子に座れ」
「落ち着いてられないよ! 気が付いたら売り切れなんてネリーのプライドが許さないからね! ネリーのできることなら何でもするから、今すぐネリーの物になって!!」
ぐいぐい迫ってくるロリに京太郎はドン引いていた。美少女に言い寄られて良い気分のしない男などいないが、物には限度があるのだ。 淡を始め押しの強い少女には何人も心当たりがある京太郎でもこれは極め付けである。イエスと言うまで離れないとばかりにぎゅーっとしがみついてくるネリーを何とか引きはがそうとしながら、助けを求めて周囲を見た。
「事前に話してあったんじゃ……」
「サトハとメグとも相談して、ネリーにはちょっと思わせぶりにしようと。ネリーのオカルトと京太郎はとても相性が良さそうでしたから」
それでこの惨状では目も当てられないが、事前に正確に伝えていたとしてもこうなるのが早くなっただけで問題は解決しなかった気もする。最悪異国生まれのロリさんが長野まで突撃してきたことを考えると、明華たちの判断はベストと言える。
「で、どうかな? 返事は? もちろんイエスだと思うけど」
「俺もネリーと同級生で高校生になるところだから人生の決め打ちはできない」
「ネリーのものになる以上にバラ色の人生ってそうないと思うけど……」
「そこまで自分に自信を持てるってのは尊敬に値するな本当に」
「ありがと。あ、もしかしてネリーみたいなのは好みじゃない? 別にネリーの隣に立っててくれるならいくらでも浮気してくれて良いけど」
「それはそれで怖いな……」
夕飯のメニューを聞いて何でも良いと言われるのと同じである。人間というのは行動の制限が少ないと自分の内面に沿った行動をするものだ。女性の中で育っただけあって女性には紳士的に接するように躾けられている京太郎は自由にして良いと言われた時こそ、その女性の視線を意識してしまって思うように振る舞えなくなる。
そういう条件を受け入れたとしても、結果的にネリーだけを見ることになるだろう。何をしても良いと言えば聞こえは良いが、精神的にはネリーだけのものになるのと同じことなのだ。
「むー、明華。京太郎の反応悪いよ? ネリー、結構良い条件出してると思うんだけどな」
「ネリーの性格を考えると破格の条件ですけど、京太郎も言った通りこの年で人生決め打ちさせるのは良くないですよ? 今日会ったばかりの異性に結婚を前提にお付き合いしてくださいと言われてるのと同じですから」
「結婚してくれって言ってる訳じゃないよ? ネリーのものになってって言ってるだけよ?」
「なお悪い、と思うのは文化の違いという奴なのでしょうか……」
人種的には京太郎に最も近い慧宇が首を傾げるが、京太郎も同意見だった。嬉しくない訳ではないがこの年で将来のことまで誓わされるのはネリーの見た目がロリロリしいことを除いてもとにかく重い。慎重に考えてと言いつつも、できれば考えを改めてほしいというのが正直なところである。
「一応言っておくけど、ネリーちゃんと初めてだよ?」
「…………なぁ慧宇。何で俺は今日あったばっかりの奴の男性経験を聞かされてるんだ?」
「私に聞かれても……」
「ねえ明華。男ってのはどこの国のどんな奴でも初めてをありがたがるって故郷で聞いたんだけど違うの?」
「選り好みしない男性だと解って良かったじゃありませんか。ネリーの未来は明るいですよ」
「だよね!」
いえー、とネリーは飛び跳ねて明華とハイタッチを交わす。発言がぶっ飛んでいるネリーもネリーだが、それに一々付き合っている明華も何だか怪しかった。何か企んでいる気配をひしひしと感じるものの、京太郎にそれを問い詰めることはできそうにない。年上の女性というのはそれだけで、京太郎にとっては強キャラなのだ。
「それでネリーは京太郎からはどう見えた?」
「運の質ってことか? あくまで俺が感じられることだけど、その時々で運量ってのは増減するもんで、今日勝ってたからって明日も勝てるって訳じゃない。ただ、どれだけ運を持てるかってのはほぼ生まれ持った個人差みたいなものがあって、そういうのを才能って言うんだと俺は思うんだが……」
「ネリーは、どう見えた?」
前置きはどうでも良いらしい。身を乗り出して聞いているネリーの瞳は爛々と輝いていた。
「今日の三人の中で明華さんを100とすると、ネリーは130くらいだな。運量で言えば頭半分くらい抜けてるぞ。それに何というか、運の流れが整然としてる感じだ。大量に流れることに慣れてる運というか……少なくとも自分の運の流れは自覚できるだろ。今日も登り調子になるように調整してきたんじゃないか?」
「いいね、いいね! 何の説明もしてないのにそこまで理解してくれるなんて嬉しいよ! やっぱりこれは運命とかそういうのだね!!」
「まぁその辺の話は追々しようぜ。とにもかくにも麻雀だ。俺の出親なのにまだ一個も牌を切ってないんだもんな――」
「ロン」
「…………なんだって?」
「だから、ロンだよ。京太郎がこれから切る牌で当たるよ」
「牌を実際に切る前の発声ってチョンボになるんですか?」
「京太郎が切る牌が何かに寄るのでは? もちろんそれでアガれなければチョンボです」
競技ルールでどうなっているかはともかく、この時点ではチョンボとして処理はしないということである。実際の競技でどういう処理がされるのか気にならないではないが、京太郎はネリーの自信たっぷりの振舞いの方が気になっていた。判断を自分に委ねるというのであれば、勿論続行だ。
「自信ありそうだな。もしハズれだったらどうする?」
「罰符を払って京太郎のことはとりあえず諦めるよ。とりあえずだけどね。でも、これで本当に当たりだったらネリーのこと少しは考えてくれる?」
「少しなら喜んで。俺も麻雀強い奴は大好きだからな」
やった! と喜ぶネリーを後目に、京太郎は自分の手牌に視線を落とす。
二三六④⑤⑧⑨356南西北 ツモ五 ドラ⑥
三人に運を吸い取られているにしては悪くない配牌であるが、それがここでネリーに当たるという前提のものだとすると面白くない。東1一本場。京太郎の出親である。普通に考えるのであれば切るのは北だが、既にネリーにロンを宣言されている。それは当たれる形になっているということであり、東パツに倒すだけの価値がある値段ということだ。
ハウスルールだと人和はないが、昔咏にトリプル役満を直撃させられたことを考慮すると一撃で点棒空にする値段であってもおかしくはない。危険を回避するのであれば順当な所を切らずに手を回すことも十分選択肢に入るのだが、判断材料はネリーの運だけだ。何で待っているかは見当もつかない。
普段一緒にいる咲ならば顔を見ただけである程度の判断はできるものの、感情が顔に出やすそうなタイプとは言えネリ-とは今日が初対面だ。待ちを絞り込むのは少々厳しい。かと言って手を崩して回すというのも負けた気がして嫌だった。
深々としたため息を吐いた京太郎は、時間にして数秒の思考の後、順当に北を切り出した。
「うん、やっぱりこれは運命だね!」
四四四③③③⑥⑥⑥444北 ロン北
「ロン、四暗刻。ダブルはないからシングルだね。32000」
北の単騎待ち。ルールによってはダブル役満になるが、ハウスルールではただの役満として処理される。どのみち持ち点25000点で箱下ナシのルールであるから飛んでしまうことに変わりはないが、それでもダブルでなくて良かったと安堵している自分に京太郎は苦笑を浮かべる。
加えて京太郎の欲しい牌ばかり暗刻で固められている。何かの間違いでロンを回避できたとしても、自身の不運を考慮すれば手が進む可能性はゼロに近かっただろう。
「ああ、運命かもな」
「でしょ? そんな訳だから少しはネリーのことも考えてね? 絶対に損はさせないからさ!」
「そうだな。よく考えてみるよ。俺も高校生になるしなー」
お互いに高校進学を控えている身であるが、早目に将来のことを考えて損をすることはない。こうして自分の腕一本で留学までしているネリーたちは、自分などよりもよほど将来のことを考えていると言える。彼女らほど自分の腕に自信がある訳ではないが、留学というのも選択肢の一つかもしれない。
自分の研鑽のために見たこともない土地に行く、というのはそれで心が躍るものだ。漠然とした不安もあるが、考えてみると結構楽しい。麻雀のために異国の地を踏むのはどういう気分か。麻雀中の世間話として悪いものでもない。
そうしていざ話を聞いてみようと京太郎が口を開きかけた時、明華が自分の唇に指を当てた。それに従い静まりかえる室内。すると外にヒールのこつこつという足音が聞こえた。京太郎にはこれが従業員のものでないことしか解らなかったが、心当たりがあったらしいネリーたちはその足音を聞いて顔に緊張を走らせた。
やがてノックもなしに部屋に入ってきたのは、涼やかな風貌の白人女性だった。
スレンダーなモデル体型とでも言えば良いのだろうか。その風貌と相まって会話をしなくてもデキる女と相手に感じさせる女性だった。日本の麻雀界では最も有名な外国人と言えるだろう。かつて欧州でプロとして活躍し、今は臨海女子の監督として知られるその女性は自分の生徒と京太郎を順繰りに見て、口の端を上げて小さく笑った。
「うちの子と仲良くなってくれたようで何より。ところで少年。臨海女子に就職しない?」