セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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63 中学生三年 六人の麻雀部編②

 

 

 エイスリンと豊音を交えた半荘、その東場は思っていた以上にすぐに終わってしまった。アガりの回数は10回。その内9回はエイスリンのアガりである。十回目、最後のアガりは連荘を阻止しようと動いた胡桃のアガりだ。

 

 色々検証してみたいと思った京太郎の意を汲んだかのように、トシの提案で小休止が入る。卓に入っていない面々で分担して取っていた牌譜を見てエイスリンの手順を分析した京太郎は、一目で彼女の異常に早いアガりがオカルトに依るものであると理解した。

 

 麻雀を始めたのは岩手に来てからだと聞いているが、エイスリンの打ち回しは京太郎の目から見ても非常に特殊である。アガりに至る過程が不規則なのに、結果としてその全てで最短距離を行っている。選手の行動の主な指針となるのは牌効率などの理論や、他選手を観察して入る情報などであるが、そのどちらでも説明できないようなことを、エイスリンは平然とやってのけている。

 

 一度、二度であればそういうこともあるだろう。適当にやったことが結果として最善の結果を生むというのは麻雀ではよくあることだが、エイスリンのアガりは連続して九回。しかもその全てで一環して、筋の通らない打ち回しを続けているのだ。オカルトを飼いつつも理論に沿って打ちまわす京太郎にとってこの打ち回しは異質そのものだったが、エイスリンはこの混沌さの中に正しさを見出しているのだろう。

 

 普通の教室であれば矯正されかねない打ち回しであるが、オカルトに理解のあるトシが指導者であったことも幸いしている。自分の適正にあった正しい指導。オカルトを持っていても開花しない選手もいるだろう中、エイスリンは幸運にも、良い指導者に巡り合うことができた。

 

 だがこのオカルト、場に対する支配力はあまり高くない。独特の視点はおそらくエイスリン自身にしか作用しないもので、分類上では怜の未来視と同系統のもの……と思われる。現状では、最速形でテンパイすることに特化しているようであるが、それだけに打点は低い。

 

 加えて胡桃が意図して邪魔できたように、支配力がほとんどないせいで途中で介入されることもある。照の積み重ねに介入するのは咲でさえ骨が折れたし、雅枝経由で入手した怜の分析結果によれば、彼女の予知は今のところ一回も外れたことがないらしい。

 

 能力そのものに照や怜ほどの確実性がないのか、エイスリン自身の能力が不足していて活かしきれていないのか、可能性は色々と考えられるが現状解っている範囲であくまでオカルト勝負で行くのであれば。邪魔が入るまでにどれだけ稼げるかが勝負になる。

 

 個人で戦うには、オカルトを前提にした戦略的な視点が必要になってくるだろう。アガるだけならば強いオカルトであるが、点数の多寡を競う勝負では、一回の打点が低いだけにアガり続ける必要がある。

 

 どれだけ強力なオカルトであったとしても、誰が何をしても確実に決まる超強力なものでもない限り、試行回数を重ねれば重ねるだけ、失敗を呼び込む可能性は高まる。失敗を受け入れ、それまでにどれだけ点棒を積み上げるかに重きを置いているようだが、この能力を防御にも使えるようになったら面白いと、京太郎は思った。

 

 ここには純粋にエイスリンの経験不足が出ているようだが、方針一つを既にここまで実行できているのなら、トシの指導力もエイスリンの技術も本物だろう。後は対外試合を積み重ねれば、感性も磨かれてくるはずだ。

 

 半面、打点を気にしなくても良い状況であるなら、このオカルトは別の活かし方が見えてくる。例えば団体戦。中継ぎとしてこれ以上の能力はないに違いない。

 

 団体戦で一番解りやすい勝ち方は五人全員がバカみたいに点数を稼ぐことだが、そうもいかないのが麻雀である。

 

 エイスリンくらい高確率でアガりを拾っていけるのであれば、自分の前の選手が稼いだ点を比較的安全に守ることができる。既に点数を稼げる選手がいるのであれば、団体のメンバーとしてこれほど頼もしい選手はいない。

 

 休憩中、そんな風に思っていたことを口にしたら、エイスリンは無言になってしまった。麻雀で、褒められることに慣れていないらしい。そう思った京太郎は、微妙に胡乱な目つきでトシを見る。これだけ貴重な才能を見て一度も褒めなかったのかと少し非難を込めて見やるが、トシは小さく肩を竦めてみせた。

 

「婆に褒められるよりは、年の近い男に褒められた方が嬉しいんだろうさ。見た目以上に初心だよ、その娘は」

 

 他に言いようもあるだろうに、この上なく正直に物を言うトシに、エイスリンは雀卓の上で頭を抱えてしまった。何だこのちょーかわいい生き物と思う京太郎だが、ここでじっと視線を向けているとスケッチブックが飛んできかねない。エイスリンに気づかれないように静かに観察することしばし、ようやく羞恥心と折り合いをつけたエイスリンが復帰し、休憩が終わった。

 

 最初からそういう取り決めだったのか、南場は前半のエイスリン無双とは打って変わって、豊音大活躍の場だった。まずは赤口から、とトシが言い出した時は何事かと思ったが、エイスリン以上に特殊なうち回しを、しかも六種類連続で見せられた京太郎は、対局中にも関わらず流石に唖然とした。

 

 家系としてオカルトを追及し、技術としてそれを修める霧島神境の巫女さんたちのようなケースは別にするとして、普通はどういうオカルトが良いかと選択する余地は個人にはない。本人の持つ才能の中でオカルトに足るものだけが開花し、日の目を見ているのだろうというのが良子の推測である。

 

 最も高い才能に肉付けがされ、それが日の目を見るというのであれば、外に出てくるオカルトは一つか、多くても二つというのが普通である。多才な人間は極めて少ないというのは道理であり、事実、シロも塞も胡桃も、これだと思える能力は一つしかない。エイスリンもこれは同様だが、豊音はこれをぶっちぎって六つの能力を持っている。

 

 六曜になぞらえているというが、ここまで象徴的なものも珍しい。咏に師事するようになって京太郎も色々なオカルトに触れたが、一人でここまでの数のオカルトを使いこなしている人間は、職業巫女である良子たちを除けば豊音が初めてである。

 

 流石にいつでもどこでもどんなタイミングでも使えるという訳ではないらしい。友引はそもそも裸単騎で待つ必要があり、その過程で四回牌を晒さなければならないと地味に条件が厳しい。先負は追っかけリーチで一発目、相手に当たり牌を引かせることができるという非常に強力な効果を持つが、相手のリーチが前提となるしそれまでにこちらもおっかけられる形にしなければならない。

 

 カンできる形でさえあればいつでもどこでも、という咲のオカルトに比べると六種類あるとは言え、その全てがそれなりに条件が厳しい。

 

 しかし、数は力だと言われてしまうと京太郎も納得せざるを得なかった。条件が厳しいというのはそこに到達するまでの話で、それは腕や運でカバーすれば良い。一緒に卓を囲んでみるに豊音の運は間違いなく太いし、腕も悪いものではない。

 

 これに六種類のオカルトが加われば、相当な難物になるだろう。加えて今年から麻雀部に加入する豊音やエイスリンは勿論、これまで麻雀部員だったシロたちも含めて一度も公式戦には出ていないために、公的にはほとんど記録が残っていないはずだ。

 

 これだけオカルト持ちが揃った五人を初見で相手にしなければならない岩手県の麻雀部員たちには同情を禁じ得ないが、監督するトシからすればこれ以上の条件はないだろう。オーダーを考えるのも楽しいに違いない。

 

「参考にしたいんだけどさ、あんたなら宮守のオーダーどう組む?」

「そうですね……先鋒はシロさん、大将が豊音さん。これは固いでしょう」

「理由を聞いても良いかい?」

「先鋒も大将も大きく点数を稼がないといけませんからね。五人の中で得点力というのならこの二人です。後はどちらをどちらということですが、真っすぐ解りやすい効果のシロさんに対して、豊音さんは状況を見て能力を選べる強みがあります。相手を突き放す場合でも追う場合でも、プレッシャーをかけられる方が良い。これで最後となったら相手も後がありませんから、破壊力が同程度なら手段は多い方が良いと思います」

「それで豊音が大将ってことか……他の三人はどうするね」

「三人とも安定感がありますが、シロさんはきっと稼いでいるでしょうから、二番手はエイスリンさんが良いと思います。全員が大きく稼げるなら言うことはありませんが、五人のチーム戦なら、2~4番手の役割は前に出るよりも固く守ることだと思います。驚異的な速度で面前テンパイできるエイスリンさんなら、最強の中継ぎになれるでしょう。後はどっちでも良い、というと怒られそうですが、塞さんの位置は対戦校の状況を見て決めたいですね。岩手県内にはこれは、ってオカルト持ちはいないんでしたっけ?」

「今のところはね」

「それなら中堅を塞さん、副将を胡桃さんで良いかと思います。シロさんが稼いで、エイスリンさんと塞さんで繋いで、胡桃さんで直撃をとって、豊音さんでシャットアウト。これですね」

「岩手県内って聞いたってことは、全国だと違うのかい?」

「調べた範囲だと福岡の新道寺がヤバいですね。どうも副将と大将がどういう訳か繋がってるみたいなんですよね。連動してるオカルトとでも言えば良いんでしょうか。副将も稼ぐんですがこっちがトス役で、大将がそれに連動した形でアガるというか……ともあれ、副将の行動が起因になってるみたいですから、塞さんの能力ならこれを防げるかもしれません」

「相手のオーダーを見て、全国ではオーダーを変えてみようってことか」

 

 トシが顎に手をあてて、ふむと小さく頷く。

 

 現行のルールでは、大会が始まってからはオーダーを変えることはできない。例外は、レギュラー五人の内にアクシデントがあった場合にそれを補欠と入れ替えることだが、一度補欠と入れ替えた場合、ひっこめたレギュラーがアクシデントから回復しても、レギュラーに戻すことはできないためあまり用いられることはない。そもそも、補欠のいない宮守にはあまり関係のないルールである。

 

 ただ、地方大会は予選という扱いであるが、予選と本戦で同じオーダーでなければいけないというルールはない。そのポジションに慣れさせるために変えてこない高校がほとんどであるが、例が少ないというだけでオーダー変更そのものはルール違反ではないのだ。

 

 他の高校が変更する可能性が少ないというのであれば、特定の状況に対応できる塞のようなタイプを何処に配置するかで、宮守の総合力は大きく変わってくる。副将に厄介な能力を持っている選手がいるのであれば、それにぶつけるということも可能だということだ。

 

「あまり受け身になるのもどうかと思いますが、それくらいの自由度はあっても良いかと思います。ただ、今までの傾向を見るに、解りやすいオカルトを持った人はあまり中継ぎには使われない傾向にありますから、中堅か副将かの二択であれば、副将で良いんじゃないかと思います」

「新道寺のことは私も知ってるよ。厄介な能力だが、塞と胡桃にだけオーダー変更の負担をかけるのもかわいそうだ。後で状況を見るくらいなら、最初から塞が副将ってことで問題ないだろう」

「それ以外は?」

「私の考えと大差ないね。今日あった二人のことも含めて、それだけ考えられるなら上出来だ」

「なら後は、このオーダーがハマることを祈るだけですね」

「全くだね。しかし、中学生の男子のくせに随分女子高生に詳しいじゃないか」

 

 からかうようなトシの声音に、女子高生たちの視線が集中する。邪な気持ちで情報収集したんじゃあるまいな、という内面がひしひしと感じられる視線に、京太郎は凄まじい居心地の悪さを覚えた。白望たち三人からこういうからかいというか疑いを向けられるのは慣れたものだが、今日あったばかりのエイスリンと、明らかに純真無垢なかわいい生き物である豊音にそういう視線を向けられると、心にぐさりと来てしまう。

 

「……俺も来年は高校生ですからね。麻雀部に入る予定なんで、少しは情報収集しようかなと」

「そうかい? そりゃあ良いことだけど。あまりウチの情報を喋ったりしないでおくれよ」

「それは安心してください。何があっても絶対に漏らさないので」

 

 にこにこ微笑みながらそう言う京太郎に、トシはじっと視線を向けた。あわよくば、京太郎から情報を仕入れるつもりだったのだが、彼の目には年齢にそぐわない強靭な意志力が見て取れる。流石にあの変わり者の三尋木咏の弟子なだけのことはある。これを落とすのは並大抵のことではないな、と悟ったトシは、あっさりと情報収集を諦めた。

 

 トシの情報網で確認できるだけでも、この少年は鹿児島の永水、北大阪の千里山、長野の龍門渕に西東京の白糸台など、全国でも名の知れた高校と接触している。未確認の情報だが、来年度の臨海の留学生や、先頃監督に昇格した姫松の赤阪郁乃とも、どういう訳か接触しているという話だ。

 

 それら全てが事実で、更に深い確度で情報を得ているのであれば、彼の知っている情報はそれこそ金に換えることのできない程の価値があるものだ。顧問として監督としてその情報に興味は尽きないが、それで生徒たちの不興を買っても面白くない。昔馴染みの白望たちは怖いくらいに京太郎に懐いていたし、今日会ったばかりのはずのエイスリンや豊音とも、すぐに打ち解けてしまった。

 

 元々『宮守麻雀部は六人』というのは白望たち三人が強く主張していたことである。正直、女子高生特有の夢見がちな物言いだと侮っていたトシだったが、実際京太郎をこの部室に放り込んでみても全く違和感がないことに、トシは少なからず驚いた。

 

 女子の中に男子が一人入れば少なからず浮くものだが、多少の違和感はあるものの、京太郎は見事に打ち解けている。これはこれで得難い才能だろう。咏が手放さない訳だな、とトシは納得した。

 

 ああでもないこうでもない、と感想戦が終わった後、長く息を吐き立ち上がった京太郎だが、

 

「京太郎」

 

 胡桃の声に振り向くと彼女は既に駆け出し、そして踏み切った後だった。京太郎の方にではない。京太郎の身体の向きと垂直になるように駆け出し、踏み切ったのは京太郎の右手前。受け身も何もあったものではない。力を抜いて背中を下に落ちていく胡桃の下に、京太郎は慌てて腕を差し込んだ。

 

 京太郎の腕に、胡桃の軽すぎる重みがかかる。大きな安堵の溜息を漏らす京太郎とは対象的に、胡桃はご満悦である。いわゆるお姫様抱っこをされたまま、手を伸ばした胡桃はいいこいいこ、と京太郎の頭を撫でる。

 

「よく動けたね。えらいえらい」

「心臓に悪いからやめてくださいよ……」

「でも、小学生の頃から受け止めそこなったことないよね? えらい!」

 

 受け止め損ねてしまったら怪我をするかもしれないのだが、誰に何度注意されても胡桃はこれを止めようとしなかった。今よりは体重が軽かった小学生の時分にはシロも塞もこれをやっていたのだが、当時とそれほど変わらない体重なのは今や胡桃だけである。自分の専売特許になったことを理解した胡桃は、前にもましてこの行為にチャレンジするようになってしまった。

 

「昔より安定してる気がするね」

「そりゃあ、俺も成長しましたからね」

 

 俺は、と言わないところが胡桃と付き合うコツである。京太郎の小さな配慮を目ざとく感じ取った胡桃は、腕の中でにっこり微笑む。おかっぱの髪と小さな身体も相まって、さながらかわいい座敷童といった風だったが、中学生男子の腕の中に、女子高生一人を預け続けて黙っていられるほど、宮守麻雀部に所属する一部の女子の心は広くないのだった。

 

 そのまま京太郎分を堪能しようとしていた胡桃を塞が回収する。わきの下に腕を差し込まれ、当てつけのように高い高いをされると、先ほどまでの上機嫌は何処へやら、胡桃は顔を真っ赤にして怒り出した。基本的に、子ども扱いされると一瞬で沸点を突破する胡桃である。

 

「ちょっと、塞やめてよ!」

「一人良い目をみたんだから、少しくらい我慢しなさいっての」

 

 まったく、と塞が溜息を吐いて胡桃を下ろすと、その隙を伺っていた白望が京太郎にのしかかっていた。全身の力を抜いたダルダルモードである。もう一歩も動かないといった様子の白望に、幼馴染の女子二人が抗議の声をあげた。

 

「シロ、こんなところでダルがらないの!」

「京太郎もシロのこと甘やかしすぎ! たまにはびしっと言わないと、シロが動かなくなっちゃうんだから!」

「いや、流石にそこまでは……」

 

 ないとは言いきれないのが怖いところである。塞が背中に張り付いた白望をひっぺがそうとするが、ダルがっている割に全力で京太郎にしがみついている白望は、中々離れない。ダルくないことをするためならば、いくらでも全力になるのである。普段からこれくらい熱意があれば、とひっそり溜息を吐くトシを他所に、白望は幼馴染二人にひっぺがされた。

 

「…………ダルい」

「少しそこでだるがってなさい。次はエイちゃんどう?」

『きょ、今日知り合ったばかりの男の子に、身体を触られるのは抵抗があるわ。チャロがどうしてもって泣いて頼むなら、やらせてあげなくもないけど!』

「エイちゃんなんだって?」

「いきなりはちょっと……的なことを言ってます」

「まずはお友達からってことだね。トヨネはどう?」

「興味はあるけど、でもほら、私こんなにおっきいし、きっと京太郎くんでも重いよー」

 

 悲しそうに微笑む豊音を見て、京太郎の行動は決まった。誰が何と言おうと、豊音をお姫様抱っこしなければならない。そのためには十分な準備が必要だ。さりげなく、京太郎は豊音の観察を始める。

 

 京太郎の現在の身長は180cm。成人男性の平均身長と比べても大分高いが、豊音はその京太郎が見上げるくらいに大きく、2メートル弱と推察できる。体重=(身長-100)×0.9として、豊音の推定体重は90キロ。細身だからもう少し軽いのではと一瞬思った京太郎だったが、彼の感性は豊音がおもちだということを見抜いていた。90キロ前後ということで、間違いはないだろう。

 

 さて、これが90キロの重りであるとすると、流石に京太郎も音を挙げていただろうが、相手は意識のある人間である。抱っこされるという意識のある人間はこちらが持ちやすいように動いてくれるため、腕にかかる体重は実際の体重よりも軽く感じる、というのが京太郎の経験則である。

 

 その経験を持ってしても、豊音をすんなりと持ち上げることができるかは微妙な線だった。ともすれば重いと顔に出してしまうかもしれない。心の中に湧いた弱音を、京太郎は意識して振り払った。

 

 幼い頃から教えられてきた。女性には優しく接するべし。女性を泣かせるような男は最低のクソ野郎だ。子供に教えることとしてはどうかと思うが、共感する部分は沢山ある。女性の泣き顔なんて見たくはない。豊音くらいの美少女ならば、笑っている方がかわいいに決まっている。

 

 ここで自分がへたれてしまうと、それだけで豊音は悲しむのだ。ならば何でもやってみせる。俺に不可能はないくらいの強い気持ちで、京太郎は言った。

 

「大丈夫ですよ。こう見えてそれなりに力持ちなんで、スリムな豊音さんくらいなら持ち上げられます」

「ほんと? 私、本当に重いよー?」

「問題ありませんよ」

 

 身構えていたおかげか、それ程重くは感じられなかった。確かに軽くはないのだが、持ち上げるのに苦労する程ではない。余裕が出ると、京太郎にも遊び心が出てくる。腕に抱えたままくるくる回りだすと、豊音はわーわーとはしゃぎだした。

 

「凄いよー! 感動だよー!!」

「豊音さん、軽いじゃないですか。これくらいなら何も問題ないので、いつでも言ってくださいね」

「京太郎くん、ありがとー! 私ちょー幸せだよー」

 

 軽く涙まで浮かべながら、豊音はにこにこしている。ここまで笑ってくれるならやった甲斐もあったな、と京太郎もほっこりした気持ちで豊音を降ろした。一仕事終えた京太郎に、今度は塞がそっと寄ってくる。

 

「京太郎、エイちゃんにもやってあげて」

「さっき断られたばっかりなんですが……」

「それはさっきの話。トヨネがやってもらったおかげで、エイちゃん一人仲間外れだよ。ほら、エイちゃん何だか黄昏てるし」

 

 塞の視線を追ってみれば、エイスリンはこちらに背を向けてスケッチブックに何か描こうとしては止めてを繰り返している。何か強く訴えかけたいことがあるのは見て取れるが、それを羞恥心が邪魔しているようだ。あれが抱っこして、というアプローチなのだとしたら豊音に続いてかわいい生き物この上ないが、既にエイスリンからは泣いて頼むならという条件を出されている。

 

 できるものならそうしたいが、いきなり泣けというのは京太郎にもハードルが高い。どうしたものかと困っていると、お母さん然とした優しい笑みを浮かべた塞が、大丈夫だよ、と京太郎を励ます。

 

「正直に、俺が抱っこしたいから抱っこさせてくださいって言えば大丈夫だよ」

「男子が女子に言う言葉としては全然大丈夫じゃない気がするんですが、それは大丈夫なんでしょうか」

「気にしない。エイちゃんも良い子だから、許してくれるよ。それとも京太郎はエイちゃん抱っこしたくないの?」

「したいです」

「じゃあ何も問題ないね。ほら、行った行った!」

 

 どうして宮守の人達は方向性が違うだけで皆押しが強いんだろう、と思いつつ、真っ赤になってうんうん唸っているエイスリンに京太郎は近づいた。エイスリンさん、と呼びかけるとエイスリンはスケッチブックを落として驚き、

 

『な、何かしら!? 私は今ちょっと忙しいのだけど!!』

『さっきの話なんですが、泣くのはちょっとハードル高いんで勘弁してもらえませんか?』

『…………どういうこと?』

『抱っこさせてください』

 

 大人しく頭を下げる。真摯な物の頼み方であると、ここだけを切り取ってみれば人は言うだろうが、言っていることは最低に近い。今日会ったばかりの金髪美少女に、貴女を抱っこしたいから抱っこさせてくださいと素面で言う中学生男子が、果たしてどれくらいいるだろうか。下げた頭で床を見つつ、エイスリンの返事を待ちながら京太郎は考えていた。

 

 仲間外れは可哀想だという塞の言葉も分からないではないが、会ったばかりの男子に抱っこされるのも、というエイスリンの言葉もそれはそれで本心だろう。7割くらいの確率でスケッチブックの角でぶっ叩かれるんじゃないかと京太郎は分析している。残りの三割は大人しく抱っこされるという希望的観測だ。

 

 塞に告白した通り、欲望に正直になるのであれば抱っこしたい。既に豊音も抱っこしている京太郎に怖いものはなかった。それでも角はやだなぁと思いながら待つこと、一分近く。

 

『……………………しょうがないわね』

『マジですか?』

『なに!? 不満なの!?』

『滅相もございません』

 

 自分で納得して決めたと言っても、恥ずかしいものは恥ずかしいのだろう。スケッチブックを胸に抱いたエイスリンは、耳まで真っ赤になっている。そういう態度を見ると悪戯心がむくむくと湧き上がってくる京太郎だったが、それなりに長い付き合いである塞は、京太郎のそれを見逃さなかった。すかさず、その後ろ頭にチョップを入れる。

 

「真面目にやること。いい?」

「了解です」

 

 表情を無理やり引き締めて、かちこちになっているエイスリンのひざ下に手を入れ、一気に持ち上げる。重めの豊音の後だと、エイスリンも軽く感じる。

 

『どうですか?』

『わ、悪くないんじゃないかしらっ?』

『それは良かった』

 

 豊音にしたようにくるくる回ると、びくりと震えたエイスリンが首に腕を回してくる。女の子な香りにどきどきしているのを顔に出さないよう、細心の注意を払ってくるくるするのを続けていると、正気に戻ったエイスリンと視線が交錯する。

 

 お姫様抱っこされ、しかも自分から少年の首に腕を回したのである。年頃の少女の羞恥心を刺激するには十分過ぎた。先ほどよりも真っ赤になったエイスリンは手に持っていたスケッチブックでバシバシ京太郎の頭を叩きだす。痛いです! と抗議をしてもうーうー唸るばかりで聞いてくれない。

 

 その様に、胡桃と塞は大受けである。笑う二人とおろおろする豊音。白望は相変わらずダルダルとしている。一番落ち着いている白望に助けてくださいと視線を送ると、白望は小さく首を傾げてきた後に、意味深な視線を向けてきた。

 

 ガラス玉のような白望の目に、一瞬、強い意思の力が見えたのを京太郎は見逃さなかった。何でそんな目をするんだろう。金髪美少女をお姫様抱っこしながら、その美少女にバシバシぶっ叩かれている京太郎は思い至らなかったのだが、岩手にやってきた時の宿泊先について、今の今まで例外があったことはない。

 

 一人で来ようが家族で来ようが、宿泊先は必ず小瀬川さんのお宅である。いつもは希望さんの夕食を皆で楽しみ、それなりのトラブルに見舞われて眠りに就くのだが、この時点で当事者家族の中で京太郎だけが知らない情報が一つあった。

 

 小瀬川夫妻は昨日から出かけており、帰宅するのは明日の夜になる。意味深な視線というのはつまりはそういうことだったのだが、この時の京太郎はまだ、それを知る由もなかった…………

 

 

 

 

 

 


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