セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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60 中学生三年 大阪で生まれた女たち編③

 

 

 

 

 

 千里山に京太郎が混じって行われた麻雀は、全くもって京太郎の予想の通りの展開になった。竜華もセーラも大阪で五指に入る選手であるが、それは女子高生の中ではという話。その相手をする雅枝も学生時代は竜華たちと同じポジションにいた上、その後はプロで活躍し、さらにその後は監督に転身し、常勝千里山を作り上げた立役者となった。

 

 一言で言えば年期が違う。二人にとっては師匠と言える雅枝が相手なのだ。これが結託して二人がかりの普通の麻雀であればまだ目もあっただろうが、一人一人でとなれば力不足は否めない上、今回のこれは普通の麻雀ではない。素の運量で最も勝る雅枝は相対弱運によって上昇した運を遺憾なく発揮した。

 

 竜華もセーラも力の限り対抗したがやはり実力差を埋めることはできず、結局セーラが雅枝にハネ満を振りこんでトビ終了となった。

 

 ちなみに京太郎は振らずツモらずの三着である。こういう乱打戦の場合アガれない京太郎でも棚ボタで二着三着を拾うことは大いにある。今日は残りの一人である竜華がそれなりにアガっていたので、その分の差が出て三着となっていた。

 

「後ろから見とってどないや、浩子」

「かなり筋はええんやないですか。判断は的確で迷いがありませんし、何より速いです。これだけ見れば千里山でも中の下くらいには余裕で入れると思いますけど……」

 

 そうなのだ。須賀京太郎の麻雀にはここから誰が評価しても『だけれども』という言葉が続く。

 

「びっくりするくらいにヒキが弱いですわ。五回に三回は裏目を引いとる感じです。これだけ効率通りに打てとるのに、それを全く活かせてないというか……」

「一言で言うてみぃ」

「技術の無駄使いってとこですかね」

 

 はっきりとした物言いに、京太郎は逆に感心してしまう。

 

 裏目を引く確率についてだが、それは同卓する人間の性質にも関係がある。今回の三人は全員運が太く、『相対弱運』を持つ京太郎は、その影響を大きく受けている。五回に三回も裏目を引くのは、京太郎の麻雀人生の中でも中々不調な部類に入る。普段は精々、有効牌をさっぱり引けないくらいだ。

 

「ところで須賀、何で一回も鳴かんかったんや? ポンチーしたら良かったタイミングが何回かあったやろ?」

「俺の師匠にポンチーカンはするなって言われてまして……」

「それを守っとるんか、律儀なやっちゃな。それ言われてどれくらいや?」

「小二の時に師匠に会って以来ですから……大体七年ってとこですかね?」

「…………お前、その間一回もポンチーカンしとらんのか? リアルでもネットでも?」

「そうですね。でも意外と楽しいですよ。鳴くとしたらこうやってみたいって案が、どんどん溜っていきますし」

「そりゃあ七年鳴かんかったらそうやろうけども……」

 

 浩子には考えられない縛りである。それを律儀に守る弟子も弟子なら、それを解除しない師匠も師匠だと思ったが、その縛りこそが京太郎の読みの精度を高めているのだとすると、その指導法にも一考の価値があるように思えた。

 

 浩子の視線が雅枝に向く。千里山でどうや? と意図を込めた視線だったが、姪の意図を正確にくみ取った千里山の監督は、特に考えもせずに首を横に振った。

 

 面前主義を持つ打ち手は、プロの中にも相当数いる。雅枝もどちらかと言えばその主義に傾倒している方ではあるが、面前主義の人間でもよほどそれに傾倒している打ち手でもない限り全く鳴かないという訳ではないし、鳴く打ち手を否定するものでもない。

 

 京太郎の言葉を聞くに、彼の師匠は京太郎の判断力を高めるためにそういう縛りを設けただけのように思える。

 

 つまりは最終的に、彼に鳴くことを許可することになるはずだ。その間に培われた経験はなるほど、普通に打たせるよりも濃密なものになるだろうが、京太郎ほど長期に打ち方に制限を設けることは、雅枝の立場では実質的に不可能である。

 

 多数の生徒を預かる身として、雅枝には生徒の将来まで考えた指導をする義務がある訳だが、同時に千里山の監督としての立場も忘れることはできない。結果を出せるチームを作ることは雅枝の命題だったし、高校時代の成績は教え子の将来にも直結する問題である。

 

 才能のあるなしに関わらず、できうる限り三年の間に何らかの結果を出してやらねばならないのだ。今の教えが全ての教え子に向いているとは思わないし、当然、全ての教え子の努力が身を結ぶ訳ではないが、京太郎のように長期間行動を縛ることは三年の間に結果を出すという点から考えると、好ましいものではない。三年も意に沿わない打ち方をさせて置いて、結果が出ませんでしたでは済まないのだ。

 

 京太郎のハンデに加えて、師匠との間に強い信頼関係があるからこそ成立しているのである。誰が誰にでも行えるような指導方法ではない。

 

「さて。せやったら、次は誰が抜ける?」

 

 雅枝の言葉に、セーラは無言で椅子にしがみついた。オレは梃子でも動かんで! という強い意思を感じる。そこまで運気が上昇する感覚が気に入ったのだろうか。素直で実直そうな人柄は、京太郎の友達の中で言えばシズにも通じるものがある。おまけに少年のようなこの容姿だ。先輩からは可愛がられ、後輩からは好かれている。千里山の部活風景を見た訳ではないが、セーラはそういう扱いをされているような気がしてならない。

 

 セーラがそういう強硬な態度に出たことで、枠が一つ減ってしまった。雅枝が監督としての強権を発動させれば流石にセーラも退くだろうが、こんなことで生徒との間にしこりを残すのも面倒な話である。後ろから見た場合と、同卓した場合のデータを取らせたいため、浩子はできるだけ長いこと同卓させなければならないし、何よりここにいるのは全員未成年である。

 

 感想戦をするとなると、実際に打てるのは後一、二回。なるべく生徒に打たせるのも監督としての務めだな、と雅枝が自分が抜けることを提案しようとした矢先のこと、

 

「私が抜けます」

 

 竜華が自分から手を挙げた。ええんか、と雅枝が確認するよりも早く、竜華は席を立ち、鞄の中をごそごそし始める。あっさりと抜けたことに疑問を感じないではなかったが、レアスキルの生データを取れる機会は早々あるものではない。じゅるりと舌なめずりをし、悪い顔になった浩子は竜華が座っていた席に、そのまま腰を下ろした。

 

「よろしく頼むわ」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 そんな二人のやりとりを余所に、竜華は京太郎の後ろにそそくさと移動した。怜に教えてもらったアイデアを実行し、京太郎と仲良くなるチャンスである。竜華は本人としてはさりげないつもりで――傍から見れば随分とわざとらしく咳払いをし、

 

「須賀くん、ゾーンって聞いたことあるか?」

「スポーツ選手とかがたまに言ってる奴ですよね。凄い調子が良い時にボールや選手が止まって見えるとか、そういう奴」

「今からその入り方を教えたる」

 

 えぇーと、京太郎の口から思わず漏れたのは、仕方のないことではあるのだろう。教えて何とかなるような入り方があるのなら、誰も苦労はしないし、その現象が特別語られたりもしない。勿論、本当に入れるのならば喉から手が出るほど習得したいスキルではあるのだが、そんなに上手い話があるものだろうか。

 

 助けを求めるように京太郎はセーラを見た。メロンソーダを飲みながら事の成り行きを見守っていたセーラは、京太郎の視線を受けてこくりと頷いた。

 

「竜華の言ってることはほんまやで。いつでもどこでもって訳やないけど、ゾーン行くで! って思うと入れんでも格段に集中力が上がっとる……らしいんや」

「らしいってなんですからしいって」

「なんや言われても俺は竜華と違うからな。そういう難しい話は好かんのや」

 

 頬を膨らませ、ちゅごー、とメロンソーダを飲む様は、二つも年上とは思えない程愛らしい。一緒に過ごした時間はそれ程でもないが、小柄で麻雀の強いこの先輩のことを京太郎は大分好きになっていた。

 

「まぁ、確実に入れる訳やないいうんは、今セーラに言われてもうたけどな。でも、集中力を増す方法、その一つを教える言うなら、悪い気はせーへんやろ?」

「そうですね。それは俺も色々試しました」

 

 実際に、一緒に麻雀を打った人間にはその集中力を褒められることは良くある。自分でも、他の同年代の人間と比べて集中出来ている方だと思うが、こういうことに終わりはない。より集中する方法があるというのなら、それを模索するのは当然のことだ。

 

 からころとサイコロの鳴る音を聞きながら、京太郎は肩口に竜華の存在を意識していた。まさに吐息のかかる距離である。普段であれば男子中学生らしくどきどきもしていたのだろうが、今は対局の最中である。おもちの美少女であっても、心の片隅にただの事実として残る程度だ。今の京太郎にとって、麻雀こそが全てである。

 

「ええか。集中するいうんは足し算やなくて引き算や。集中できない要素を全部斬り捨てて行けば、最終的に残るんは無我の境地いう訳や。こういう時はこうするってのを決めておくとええって話やで? そういうのをなんちゅーんやったかな……」

「ルーティン、やありませんか?」

「そう、それや。普段からそういう行動を心がけておくとええで。習慣が心を散らさず、集中させてくれるらしいからな」

 

 相対弱運の放出を経て、対局が始まる。運は相変わらず雅枝に偏っている。前回の反省を経て奮起しているセーラも、気持ちが入っているのか先の対局よりも運が上昇しているが、それでも雅枝との差を埋めるには至っていなかった。

 

「それから今度は逆のことを言うけど、集中する言うんは、引き算やなくて足し算や。これをすると集中できるいうんを一つでも見つけておくと、ええ感じになるって話やで」

 

 ええ感じ、というのも何やら無責任な話であるが、解らない話ではない。例えばシロは集中するには何より『リラックスできる環境』が必要であると言っていた。いつでもどこでも自然体であることに関して、シロの右に出る者は中々いないだろう。京太郎が同じことを試しても全くと言って良いほど上手くいかなかった。

 

 シロにはシロの、京太郎には京太郎の集中できる方法というのがあるということなのだろう。それを見つけることで更に集中力が高まる、というのが竜華の主張らしいが、つまりはゾーンに入れる竜華には、集中力を高める特定の方法があるということだろうか?

 

 京太郎が期待の視線を向けると、竜華は困ったような笑みを浮かべる。

 

「期待させてもうて悪いんやけど、私にそういうのはないで」

「特に何をしないでも、ゾーンに入れるってことですか?」

「普段から結構集中できるように環境を整えたりはしてるけど、これっちゅうのはないな」

「監督としてこういう言葉を使うのも嫌なんやけど、竜華のそれは才能や。同じ方法を千里山の二軍上位以上は全員試してみたんやけど、竜華以外一人も成功せんかったわ。集中力を高める良い練習にはなったけど、それだけやな」

「俺もやってみたいんやけどな、そのゾーン」

「あまりええもんでもないで。結構疲れるからな」

 

 例えにボールが止まって見えると持ち出される程の集中力である。それを発揮して身体に負担がかからない訳がない。咏に弟子入りしてからそれこそ、思考の体力を付けるようトレーニングを重ねてきた京太郎だが、極限状態の集中力を長時間維持する自信はない。

 

 ゾーンに入った竜華の視界は、どんなものなのだろうか。想像は尽きないが、未来が見える怜と言い羨ましくなるくらいの、頭の強さ(・・)である。

 

 ぞくり、と京太郎の背筋が震える。恐る恐る竜華を見ると、その雰囲気が一変していた。例えば淡などは、オカルトを発揮しようとするとどういう訳か髪が揺れたりするのだが、竜華にそういった見た目の上での変化はない。

 

 ただ、その目である。卓上に視線を向ける竜華の目には、言いしれない力が宿っているように思えた。狂人は目を見れば解るという主張を聞いたことがあるが、竜華のそれも、良い意味でそれに通ずるものがあった。雰囲気と言いその目と言い、今の竜華は明らかに普通ではない。

 

「って、言ってる傍から入ってるやん!」

「ん~? あれ、せやな、入っとるな?」

 

 不思議やなぁと、目力のある目で不思議そうに首を傾げる様は、女性に配慮するのが得意な京太郎をしても少しだけ不気味に思えたが、思ったことはそれだけだ。年頃の男子として後で反芻するのは間違いないが、それは後でのこと。今は麻雀に集中である。

 

 そしてゾーンに入っている竜華は京太郎の体調が良く解った。体温や心音まで感じ取れる今の竜華は、相手がどの程度興奮しているかが、手に取るように解る。

 

 その感覚によれば、京太郎は軽度の興奮状態にあった。興奮していない訳ではないが、これくらいならば日常生活でも十分にありうるレベルである。少なくとも、異性に近寄られてどきどきというレベルではない。

 

 その事実は竜華の乙女心を甚く傷つけていた。

 

 好む好まないに関わらず、幼い頃から美少女としてもてはやされてきた竜華である。自分の容姿が十人並でないことは自覚していたし、自分の容姿が京太郎の好みに合致していることはパーフェクト幼馴染を自認する怜に保証されている。

 

 竜華の予定では指導にかこつけてどきどきしてもらって、お姉さんっぷりをアピールするつもりだったのだが、京太郎は竜華の方をちらりと見ただけで、牌に視線を戻してしまった。照れて視線を逸らした訳でないことは心音が証明している。

 

 須賀京太郎という少年にとっては、好みの異性よりも麻雀の方が大事なのだ。女としてかちんとくるが、その横顔を見ていると、たかがその程度許せる気がした。

 

 怜は好きな京太郎の顔として、麻雀をやっている時の真剣な横顔を第一に挙げる。何だかんだで京太郎が麻雀を打つところを見るのは今回が初めてだったが確かに、三枚目寄りの京太郎が真剣な顔で卓に視線を落とす様は、竜華の乙女心を大いに擽った。

 

 ゾーンに入っているせいで、普段よりもはっきりと京太郎の顔を見ることができる。鋭敏になった感覚が伝えてくるのは、彼のではなく自分の心音だ。竜華の心臓は、五月蠅いくらいにどきどきと鳴っている。

 

 京太郎と仲良くなる計画にあたり、怜から与えられた指示は思う存分そのおっぱいを押し付けたれというものだったが、恋心よりも羞恥心が勝ってしまった竜華にそれを実行することはできなかった。

 

 次に京太郎に会えるのは、いつになるか解らない。それをよく解っていた竜華には確かにやるぞ、という気はあったのだが、実際に京太郎を前にすると乙女の気合は霧散してしまった。体を近づけるだけでも竜華にとっては精一杯のアピールだったのだが、麻雀を前にした京太郎に動揺はない。

 

 その事実に竜華は地味に打ちひしがれていたが、それで発奮できるようであればそもそもこんなことにはなっていない。それでも集中力についての指導をあれやこれや続けられたのは、千里山の部長として、また怜の親友としての責任感である。

 

 その竜華をして、京太郎の集中力は見事の一言に尽きた。ゾーンとまではいかないものの、自分以外の千里山の誰よりも卓上に集中できている。それでいて、竜華の呼びかけには逐一答えることができるのだ。見るとはなしに全体を見る。どこかの漫画で言っていた言葉らしいが、京太郎の視野は竜華が思っていた以上に広い。

 

 河や相手の手順を見ることはもちろんだが、さりげなく対戦相手の表情や仕草まで観察しているようである。顔に出やすいセーラはやり易い相手だろうが、部内でも表情が読みにくい浩子と監督だけあってポーカーフェイスが得意な雅枝は、京太郎も苦戦するはずである。

 

 竜華の希望的観測込みの指導を受けつつ、京太郎は対戦相手を観察する。竜華と浩子が入れ変わったことで、卓上の運の総量は幾分下がったが、データ寄りの打ち回しをするとは言え、浩子にもそれを結果に繋げられるだけの実力と太い運がある。流石に愛宕の血統だと思ったが、それ以上に雅枝の技量と運が輝いていた。

 

 前局、ハネ満を撃ちこんだセーラはそれを警戒した打ち回しをしていたが、それが逆に良くなかったのだろう。シズや淡と同様、明らかに気持ちが牌に乗るタイプであるセーラのその高まった警戒心は、この面子の中では比較的老獪な打ち手である雅枝にすれば、まさにカモだった。

 

 警戒心の更に上を行った形で、今度は倍満を撃ちこんでしまう。ロンと言われ値段を聞いた瞬間、セーラは卓に突っ伏してしまった。彼女にも名門千里山のエースとしてのプライドがあった。年が少し離れている上に男子であるが、京太郎はセーラにとって友人だ。

 

 久しぶりに顔を見た友人の前で、良い恰好をしたかったのだが、その野望は監督の手によって粉々に打ち砕かれてしまった。極悪人やーと強く思ったが、口には出さない。常勝名門校の監督だけあって、雅枝は怒ると結構怖いのだ。

 

「もう少し気合入れや、女子校生ども。他校の男子の前で活躍する機会なんて、そうそうあるもんでもないでー」

「せやったらもう少し手加減してくれません? 俺、大抵の女子校生には負けん自信ありますけど、流石に元プロの監督は相手が悪いですわ……」

「私が内気で引っ込み思案で美少女な女子校生だった頃は、誰が相手だろうがガンガン行ったもんやけどな……」

 

 内気で引込み思案な美少女は誰が相手でもガンガン行ったりはしないと思うのだが。おそらく内気でも引っ込み思案でもない美少女だったのだろうと京太郎が内心で納得していると、この場では唯一の親戚であるところの浩子が雅枝の話を補足した。

 

「おばちゃんの内気で引込み思案っぷりは近所でも有名だったそうで、5000円の小遣い突っこんだクレーンゲームで欲しいぬいぐるみ取れんことにキレて、筐体をガンガン蹴飛ばしていた程やったと、うちのおかんから聞いております」

「浩子、それは言わん約束……」

「ちなみに、そこに颯爽と現れ100円で目当てのぬいぐるみを取ってプレゼントしてくれたんが、私の伯父さんです」

 

 浩子の言葉に、竜華とセーラが驚きの表情を浮かべる。筐体を蹴飛ばすまでは雅枝には悪いがなるほど、らしいかなと思っていたが、そんな昔の少女漫画みたいな出会いをした少年と恋に落ちて後に結婚までしていたとは夢にも思わなかったのだ。

 

 雅枝としてはすぐにでも話題の切り替えをしたかったのだが、周囲の反応を見るに多少は自分の思い出話をしてやらないと収まりそうにない。大阪人として場の空気は理解しているつもりだったが、教え子の前で自分の旦那とのなれ初めを話すのは、想像していた以上に恥ずかしいものだった。

 

 竜華もセーラも聞かねば話が進まないと思っていたが、相手はあの監督である。どうやって切り出したものか考えている内に、時間ばかりが過ぎていく。この場で一番話を聞きやすいのは親戚であるところの浩子だったが、彼女は一人冷静に、京太郎の出方を伺っていた。

 

 怜があれだけ入れ込んでいる男がどの程度動けるのか見てみたい、という好奇心から来る行動だったが、浩子から意味ありげな視線を受け取った京太郎は、それだけで自分の役割を理解した。部外者だからこそ、聞きやすいことというのもあるだろう。正直京太郎も、雅枝と旦那さんのなれ初めは気にならない訳ではない。

 

「旦那さんのどこが気に入ったんです?」

「まぁ、その、なんや……そういう気の回せるところかな。いてほしい時に傍にいてくれるいうか、声が聞きたい時には電話かけてきてくれるところいうか」

「そのぬいぐるみは今も後生大事におばちゃんの部屋に飾られてまして――」

「お前はそろそろ黙っとき」

「了解ですわ」

 

 くくく、という浩子の低い笑い声と共に、場の空気も切り替わる。軽くではあるが、話はしてやった。それで義理も立つだろうと、雅枝は強引に話を締めくくった。

 

「私の話はもうええやろ。それより感想戦や。千里山のやり方でやるけど、須賀もちゃんとついてきてや?」

 

 感想戦にそう違いがあると思えないが、名門校のそれを体験できるならば是非もない。千里山のような部活動で使うことも想定している雀荘は、個室に選手の手元を追えるようなカメラが設置されている。メカに強いらしい浩子がそれらをモニタに繋ぎ、一人一人の手を順を追いながら検討していく。

 

 意外だったのはセーラである。見た目とキャラから座学が苦手かと思っていたのだが、雅枝の少し意地悪な問いかけにも淀みなく答える様は、流石に千里山のエースと言えた。

 

「なんや須賀、間抜け面しよってからに」

「セーラが理屈っぽいことに驚いてんねやろ。あんま賢そうには見えんからな」

「なんやと生意気やぞ年下のくせに!」

「見掛け倒しなよりはずっと素晴らしいと思いますよ。それに意外性があって良いと思います」

「……………………せやったら許したる」

(なんだこのかわいい生き物……)

 

 口にしたらそれこそセーラは怒るのだろうが、そう思わずにはいられなかった。

 

 吠えて立ち上がったと思ったら、すとんと椅子に腰を下ろす。怒っていたはずなのに、今はもう満更でもないという表情をしている。気分屋ではあるが、気持ちの良い落差である。

 

 きっと、この人と一緒にいたら楽しいだろうなと考えていると、セーラのコップが空になったのに京太郎は気づいた。

 

「セーラさん、取ってきますよ。何が良いですか?」

「すまんな。メロンソーダ頼むわ」

「了解です。皆さんは?」

「三人全員ウーロン茶で頼むわ」

 

 かしこまりました! と五人分のコップを持って京太郎は小走りで駆けていく。その背中を見送り、店主のおっちゃんと気さくに会話しているのを見届けてから、セーラは機嫌良さそうに声を挙げた。

 

「あいつ、ええ奴やな!」

「せやなー、ええ子やなー」

「……どないした竜華。何か雰囲気暗いで」

「別にー。私は普段からこんな女やー」

 

 セーラから視線を逸らした竜華は、小さくむくれて見せる。鋭敏な感覚は、京太郎のセーラに対する好意を明確に感じ取っていた。セーラに悪意はないのだろう。表裏のない彼女はそれ故に波長の合わない人間も出てくるが、一度気持ちがかみ合ってしまうと、ぐいぐい踏み込んでくる。

 

 竜華にとっても怜にとってもセーラは大事な友達であるが、友達とは言え、片思いの相手の気持ちが独占されるのを見るのは、恋する乙女としては面白くない。

 

(こんなはずやなかったんやけどなぁ……)

 

 はぁ、と小さく溜息を吐くと、京太郎が戻ってくる。セーラの前にメロンソーダ、雅枝と浩子の前にウーロン茶、自分の席にコーラを置き、竜華に渡されたのは、

 

「ホットコーヒー?」

「砂糖一つにミルク二つですよね? 何でしたら、ウーロン茶も用意してますんでそっちと交換しますが」

「いや、ちょうど飲みたい思ってたからええねんけど、どうして私のコーヒーの好みを……」

「怜から聞いてます。それに、集中すると頭が疲れるって聞きますから、甘くてあったかい飲み物が良いかなと」

「須賀くん……」

 

 むくれていたことも忘れてきゅんとする竜華に、今度は雅枝が小さく溜息を漏らした。竜華は部長だけあって責任感も合って視野も広く、麻雀も達者で将来性も期待できるのだが、麻雀以外の所で思い詰めるところがあり、気分屋のセーラ以上に、沈んだ時の沈みっぷりが凄まじい。

 

 今はまだ制御できているし、破綻する兆候も見えないが、高校生というのは多感な時期である。ふとした拍子に調子を思い切り崩すのではないか。長年千里山の監督を務めた雅枝をして、非の打ちどころがないと評される竜華のほとんど唯一の欠点だった。

 

(ええ男でも見つけてくれたらええんやけどなぁ……)

 

 ちらと京太郎に視線を向ける。こいつが大阪におったらなぁ。これから何度も思うことになる願望の、それが最初の一回だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 業界の関係者から声をかけられたら、逐一報告するべし。師匠である咏の教えに従い、母に手配してもらったホテルにチェックインした京太郎は、部屋でベッドに腰を下ろすとすぐに咏に電話をかけた。夜分に大丈夫かと思ったが、咏からすると業界関係者の話は『緊急』の部類に入るらしい。

 

 京太郎でさえスケジュールを把握しているようなタイトル戦の決勝前でもない限りは、いつでも電話してきてOKと本人の許しを貰っている。

 

 電話に出た咏に成り行きを説明すると、咏は呆れた様子で雅枝の提示した金額を口にした。

 

「30なぁ……」

「やっぱり高過ぎますよね」

「アホ。安過ぎる。横浜ならその10倍の300は出すぜ? 最低でもな」

「なんの話~?」

 

 電話の向こうからはやりの声が聞こえた。鬱陶しそうに電話を遠ざけた咏だが、話が話である。弟子の将来に関する話に関わらせたい相手ではなかったが、業界関係者の一例を挙げるに、はやりは適切な相手と言えた。やたら乗り気のはやりに状況を説明すると、彼女は明るい声音で言った。

 

「それなら大宮は、はやりが責任もって500は出させるよ!」

「どんどん吊り上っていく金額に、中学生としては恐怖を覚えるしかないんですが……」

「言っておくけど、はやりが言ってるのは最低でもって金額だからね。はやりたちはお金を出す立場じゃないし、これが上の人達が話し合って決めたって金額なら、もっと出ると思うよ」

「これはオカルトだけでの査定だからな。お前の能力込みなら、もっと引っ張れると思うぜ」

 

 そこまで評価してくれるのは有難いが、学生の内は評価と金額は直結しないものである。凄い評価をされているというのは理解できるが、自分が手にしたこともない金額を提示されても実感が湧かないというのが現状だ。

 

「それから大先輩のフォローをしとくけど、千里山は30しか出さないんじゃなくて出せないんだからな? 大先輩の評価は多分、あたしらとそう変わんねーはずだ」

「ご安心ください。それは俺も承知してます」

「上出来だ。あ、すこやんみっけ。なぁすこやん、京太郎チームに引き込めるとしたら幾ら出す?」

「うち二部のチームだよ……横浜と大宮は?」

「うちは300」

「はやりは500かな」

「つくばだと三桁は無理かな……」

「じゃあすこやん個人で雇ってみようぜ。それならどうだい?」

 

 うーん、と電話の向こうで健夜が悩む声が聞こえる。かつて世界二位まで上り詰めた女性だ。しかも実家住まいで倹約家――咏の言葉を借りれば『無趣味で金の使い道がない』――なので、相当ため込んでいるという噂である。個人資産は相当な額になっているはずだが、果たしてグランドマスターがどういう提案をしてくるのか。京太郎も好奇心で気になっていたが、

 

「…………京太郎くん、六本木ヒルズとか住んでみたかったりする?」

 

 咏とはやりが絶句しているのが電話越しでも解った。悩んだ末の苦心の提示、という風であるが、物に執着しないらしい健夜らしく、それも身銭を切って、という風ではない。自分の手持ちの中で、それが他人にとって一番価値がありそうだから提示したのだろう。有名な億ションも、健夜にとってはただそれだけの価値しかないのだ。

 

「あ、でも六本木からだとつくばに通い難いかな。必要ならつくばにマンションとか建てるけど」

「あー、まぁ、その、あれだ……相手が高校なら、報酬を理由に就職先を決めたりするなってことだな。プロの団体ならもっと出すってことは、これで理解できただろ」

「はい、重々理解できました……」

「まぁ大先輩もそこまで本腰入れてる訳じゃねーみたいだし、今回はスルーで良いだろ」

「そうします。夜分にありがとうございました」

「京太郎くん、またねー」


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