セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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58 中学生三年 大阪で生まれた女たち編①

 園城寺怜が倒れたと一報が入ったのは、土曜日の午前中だった。特に約束もなく家で教本片手にネット麻雀をしていた京太郎は、怜の父親からその一報を聞いてすぐさま準備を整え、部屋のへそくりを全てかき集めると電車に飛び乗った。

 

 長野から大阪は決して近い距離ではない。電車の中でイライラしながら貧乏ゆすりをし、やっと大阪に着いた京太郎は全速力でタクシーに飛び乗り、怜の病院に向かった。幼い頃からのかかりつけの医者がいる病院で、京太郎も何度か見舞いに訪れたことがある。

 

 受け付けで怜の状況を聞き、走る。病院の廊下である。全速力で走る京太郎を咎める声もあったが、幼馴染が危ないんです! と叫んで通り過ぎる。それでも後で怒られるかもしれないが、今はそれどころではない。走って走って走って、やっと怜の病室の前にたどりつく。

 

 ノックもせず、勢いよく病室のドアを開き――

 

『あ』

 

 と、声を漏らしたのは誰だったのだろう。病室の中には二人の少女がいた。一人は清水谷竜華。怜の親友でありメールや電話にその名前が出てこない日はない。今も千里山で同じ部活に所属している。二年の頭くらいから一軍レギュラーが定位置になり、三年が引退してからは部長も務めるようになった。大阪の女子選手の中では姫松の末原恭子、愛宕洋榎に次いで、京太郎が注目している選手でもある。

 

 もう一人は、幼馴染の園城寺怜だ。病弱を絵に描いた、という程ではないが、長期短期の入院を幼い頃から繰り返してきた怜は身体が弱く、運動もそれ程得意ではないことから身体は細く、肌も白い。それで胸はそれなりにあるのだから世の中解らないものである。

 

 さて何故いきなり胸のことなど考えているかと言えば、それは目の前で見えそうになっていたからだ。上半身裸になった怜が、竜華に白い背中を向けている。竜華の手には濡れタオルがある。京太郎もよくやらされた。汗をかいたからと身体を拭いてもらっていたのだろう。

 

 それも大阪に住んでいた頃の話。二人の男女の年齢がまだ一桁だったころのことである。少女怜は十代も半ばを超え、少年京太郎もその半ばを過ぎようとしている。大人から見ればまだまだ子供であるが、子供の言い分としてはそうでもない。精神的にも身体的にも成長期にある。そんな難しい時期の京太郎にとって、いくら幼馴染とは言え美少女の半裸姿というのは刺激が強すぎた。

 

 慌てて視線を逸らし、ドアの向こうに逃げようとするがそれを止めたのは怜である。

 

「待ちや、京太郎。何処に行くん?」

「いや、お前……ドアの向こうに」

「せっかく長野から飛んできてくれたんやから、廊下に立たせとくんも何やろ。こっちきて座り。椅子なんて沢山余っとるから」

 

 ほらほらーと、怜の口調は軽い。園城寺家は裕福であり、怜の病室も当然個室である。退路が断たれると、部屋の中には怜と京太郎、それからタオルを持ったまま硬直している竜華の三人だけになる。

 

「りゅーか、手が止まっとるで」

「いやいやいやいや! 乙女としてこれはあかんて! なんでそんなに落ち着いとるん!?」

「せやかて。京太郎にはもっと恥ずかしい姿を見られたこともあるしなぁ。背中見られるくらい今さらや。ちなみに私も、京太郎の恥ずかしい姿を見たことがあるで? どないや、りゅーか」

 

 どないやと聞かれても答えに窮する竜華である。どう答えても乙女力は下がる気がするし、何より憎からず思っている男の子の前だ。異性の前で良い恰好をしたいと思うのは、性別が変わっても変わることはない。怜の問いにぐぬぬと唸った竜華は、結局着替えを見られた女子が行う、テンプレートな対応をした。

 

「出てけーっ!!!」

 

 竜華の言葉に、京太郎は病室を叩きだされた。出るタイミングをうかがっていただけに、実のところ竜華のこの行動は京太郎にとってありがたかった。付き合いが長いだけあって、怜は京太郎の弱みを熟知している。京太郎自身が恥ずかしがり、やりたくないと思っていることでも怜の幼馴染パワーで強引に押し切られることもある。

 

 あのまま病室に残されていたら、竜華がいるにも関わらず体を拭かされていた可能性が高い。そういう羞恥プレイも好んで行う。何気にドSな幼馴染なのだ。

 

「なんや、見覚えあるけど見ん顔がおるな……」

 

 手持無沙汰で病室の前でぼーっとしていると、横から声をかけられた。銀色の髪に眼鏡。京太郎の年齢からすると妙齢の美女とでも表現するのが、当たり障りがないだろう。年齢を問うのに非常にデリケートな年代と京太郎は見た。

 

 直感から入って、思考に至る。このおもちな女性に、京太郎は見覚えがあった。雑誌の特集などでよくインタビューに答えている。千里山の監督の愛宕雅枝だ、つまりは怜や竜華の実質的な上司に当たる人である。当然、顔を知っているだけで会ったことも話したこともないのだが、向こうの方は少し事情が異なるらしい。

 

「おー、京太郎やないか」

 

 その影からひょっこり現れたのは、ラフな恰好の上に学ランを羽織った、女子高生にあるまじき恰好をした少女だった。怜と竜華の親友である、江口セーラである。大阪の女子高生雀士の中では、南大阪の愛宕洋榎と並んで、プロでの活躍が嘱望されている選手だ。見た目通りの付き合い易い性格で、たまにメールや電話をする程度であるが交流は続いている。怜が倒れたのだからなる程、同じ部活の彼女もやってくるのは当然と言えば当然である。

 

 ちらと、雅枝を見る。そう言えば、その愛宕洋榎はこの女性の娘だった。いつもにこにこしている、最近やたらと肩書が安定しない姫松の関係者さんによれば、その妹さんも麻雀が達者で、来年は安定したレギュラーも狙える位置にいるとか何とか。愛宕さんちは所謂、麻雀一家という訳である。麻雀をやるには、実に羨ましい環境だ。

 

「セーラさん、お久しぶりです」

「怜の見舞いか? でもお前、長野に住んでるんやろ。怜が倒れたのは午前やけど、長野からすっ飛んできたんか?」

「はい。いてもたってもいられなくて……」

「そりゃあ、怜も幼馴染冥利に尽きるってもんやなぁ。で、何で廊下で突っ立っとるん?」

「今清水谷さんが怜のお世話をしてるところで。男は出ていけと叩きだされました」

「あー、まぁ、そりゃあしょうがないな。がんばれ男子」

 

 ははは、と笑いながらセーラはばしばしと背中を叩いてくる。女子にあるまじき距離感の近さに、京太郎も思わず苦笑を浮かべる。

 

「セーラは知り合いやったな。この少年と」

「はい。入学式の時からの付き合いです」

「ほー。ま、その縁は大事にせなあかんで。さて、私も自己紹介しとこか。愛宕雅枝、千里山の監督や。お前のことは怜から聞いとるで。よろしゅうな」

「須賀京太郎です。聞いてる話が良い話だと良いんですが……」

「聞かん方がええでー、と忠告しとこかな」

 

 一体どんな話をしてるんだろうと気にはなったが、聞かないことにした。忠告に従ったというのも勿論あるが、あの怜が部活の仲間にしているくらいである。きっとロクな話ではないだろう。知り合ったばかりの人間の前で羞恥プレイに励むようなド変態な趣味は、京太郎にはないのである。

 

「うちも自己紹介してえーか?」

 

 声を挙げたのは雅枝に目元がそっくりな少女だった。一瞬、娘姉妹の妹の方かと思ったが、それはないなと思いなおした。これも姫松のとある関係者に聞いた話であるが、妹さんは母親に似て結構なおもちらしい。眼前の少女はぺったんこだ。よく似た他人というのでなければ、親戚ということだろう。ぺったんこだし。

 

「船久保浩子や。園城寺先輩らの一個下や。そんなに顔合わせることはないやろうけども、よろしゅうな」

「あぁ、怜から聞いてます。一言で言うとデータキャラってことで、凄く助かってるとか」

「集めたデータが役立っとるんなら何よりやな、ホンマはそれで自分の成績を上げたいんやけども……」

 

 はぁ、と浩子は大きく溜息を吐いた。所謂データキャラがバックスに回ることになるというのは、世の宿命とも言える。ただこの浩子さんは、レギュラー組のバックアップもしつつ、きちんとレギュラーの座をゲットしたデキるデータキャラであると怜も褒めていた。

 

 データの収集は誰でもできるが、それを使えるレベルにまで分析するには技術とセンスがいる。浩子はその両方持ち、さらに自分の麻雀に活かすことに成功した実力者だ。セーラや竜華ほど解りやすく結果を残せてはいないだろうが、京太郎自身が目指すところに近いのは、むしろ浩子の方である。

 

 とは言え、公式戦では全く結果の残せていない、会ったばかりの中学生が、名門校のレギュラーメンバーを励ますというのもおかしな話である。浩子には当たり障りのない励ましの言葉を送り、改めて雅枝に向き直る。

 

「それで、その……怜が倒れた理由っていうのは」

「須賀は怜からオカルトのことは聞いとるか?」

「一応は。実際に打っているところを見たことはありませんが、何でも一巡先が見えるようになったとか……」

 

 普通ならば冗談で済ませるところだろうが、京太郎にとって麻雀におけるオカルトというのは確かに存在するものであるので、ただオカルトというだけで否定することはできない。それでも怜の体調を心配する気持ちから何かの間違いでは、という希望を捨てきれなかったが、めきめきと伸びた成績がそれを否定した。

 

 牌譜も取り寄せて確認したが、次順に来る牌が解っているとしか思えない打ち回しが随所に見られた。牌効率を無視した打ち回しをする時は確実に有効牌を引き入れるし、何よりリーチをかける時はほぼ確実に一発でツモる。

 

 喜ぶべきことではあるのだろう。怜が努力していたこと、そしてそれが実を結んでいなかったことも良く知っている。オカルトに目覚めたことが原因とは言え、成績が上がったのだ。幼馴染としては喜んであげるべきことなのは解っているが、同時に怜の身体にかかる負担が気にかかっていた。

 

 オカルトというのはその全てのケースにおいて、血統などの持って生まれた才能によって発現する。それを技術で何とかするのが、霧島神境の巫女さんたちの手法なのだが、それはそれで高い霊力という絶対的な才能が必要となり、その霊力も大体の場合遺伝によって基本量が決まるため、一般家庭に突然霊力が高い人間が生まれることは稀である。

 

 咲や淡などは麻雀においては高い能力を発揮するが、日常生活で幸運だったり、他のゲームでも無双する訳ではない。万事に強運を発揮する衣や、他のゲームや日常生活にも影響が出る京太郎やモモのオカルトは、本職から見るとレアなのだ。

 

 希少性で判断すると、怜のオカルトもレアの側である。色々なもので検証した結果、ぐるりと回るもの全てに応用できるらしい。競馬など一周の時間が長すぎると負担が大きくなり、ルーレットなど短過ぎると意味がないなど使いどころは微妙なのだが、こと麻雀においては『そのために生まれた能力なのでは』と思うほどにしっくりくるという。

 

 この能力。怜は臨死体験によって発現したと解釈していたが、それは元々眠っていた力が臨死体験を切っ掛けにして目覚めただけの話である。外からやってきたのではなく、内なる場所から目覚めたのだ。

 

 これに当てはめて考えると、怜の身体というのは最初から、一巡先を見る能力に最適化された状態になっているはずである。仮に同じ能力を京太郎が使ったとしたら、アッと言う間に脳がパンクするだろう。京太郎は思考のスタミナとか呼んでいるが、身体の弱さに反比例して、怜は元々この能力が優れていた。

 

 常時一巡先が見える視覚を処理できるスペックを、全て思考に費やしていたのだから、そりゃあ持続力もあるだろうと今になって納得する。

 

 だが、いかに能力に最適化された身体であると言っても、本質的に怜の身体は弱く肉体的な体力は少ない。最適化されていると言ってもあくまで相対的な話であり、元の体力の少なさをカバーできるものではない。一応オンオフはできるらしいが、最近は麻雀をやっている時は常時発動しているという。

 

 事実として、今日も怜は病院に担ぎ込まれた。入院はいつものことだが、救急車が出てくるというのは穏やかではない。オカルトに目覚めたばかりで本人も手探り状態というのもあるのだろうが、こういうことが続くのならば自重してほしいとも思う。

 

 しかし、今まで三軍で燻っていたことを考えると、やっと努力が実った今の状況を手放させるのは忍びない。京太郎の中でも方針はまだ決まっていなかった。

 

 もうええでー、という竜華の言葉に導かれて病室に戻ると、怜はきちんと着換えてベッドに腰掛けていた。竜華と比べると顔色も悪く見えるが、想像していたよりは大分調子が良さそうである。休日の部活中に倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれた。京太郎が最後に聞いた情報はそれであるから、もっと悪い状況を想像していたのだ。

 

「皆が騒ぎ過ぎた……っちゅーのは、自分勝手かなぁ。ま、私にとってはいつものことや。心配してくれてありがとな京太郎」

「元気そうで何よりだよ。それで、倒れた原因っていうのは……」

「二巡先見えるかなー思ってやってみたら、これが思いの他ヤバくってなぁ」

 

 軽い口調で怜は言うが、それだけ能力が身体に負担がかかる証明ということでもある。怜のためにどうするべきか。ついさっきまで方針の決まっていなかった京太郎だが、怜のこの言葉で自分の言うべきことを決めた。

 

「なぁ、とりあえずお前の体調が落ち着くまで、様子を見ながら力を使うようにしないか?」

 

 それは千里山の関係者全員が思っていたことでもあるし、竜華などは実際に口にしたことでもあったが、怜はその言葉に従わなかった。同様に、怜の両親も同じようなことを言ったのだが、これにも怜は考えを改めない。身体を労わるようにする。そのために須賀京太郎というのは最後の手段だった。

 

 これで耳を傾けてくれなければ、怜は誰の言うことも聞かないだろう。果たして怜の反応は。京太郎を含めた全員が固唾を飲んで見守る中、京太郎の言葉に俯いた怜は、絞り出すような声で言った。

 

「なんでや……」

 

「なんで京太郎までそんなこと言うんや! ずっとずっとずっと、負けてた私がやっと勝てるようになったんやで? 私がどんな気持ちで三軍にいたか、知らん訳やないやろ!?」

「もちろん知ってる。努力が実を結ばないことの辛さだけは、誰よりも解るつもりだ。でも俺は、お前の成績よりもお前の身体の方が大事だ。せめてもう少し落ち着くまで……」

「嫌や。絶対に使うのは止めん」

「怜……」

「それに、そんなこと言うたかて京太郎もこういう力が羨ましいんやろ? 京太郎の力やと、どうやったって勝てんもんな――」

「怜!」

 

 流石に言い過ぎだ。怜を諌めようと踏み出した竜華は、最初の一歩で足を止めた。京太郎に暴言を放った、怜の表情である。体調が悪く、元々良くなかった顔色は京太郎の顔を見て真っ青になっていた。

 

「私は、そんなつもりじゃ……」

「私はただ、京太郎に『怜は凄いな』って褒めてほしかっただけや。もう嫌や……京太郎のこと泣かすくらいやったら、こんな力いらん……」

「泣いてないよ。だから、『こんな』なんて言うな」

「嘘や。私の目は誤魔化せんで。絶対泣いとる間違いない」

 

 感情が高ぶった怜は、それだけでふらふらと身体を揺らす。それを京太郎は当たり前のように腕で支えた。腕の中でなきじゃくる怜の頭を、優しい手つきで撫でる。最近はご無沙汰だったが、大阪にいた頃は感情が高ぶるといきなり泣き出すことがあった。

 

 普段はお姉さんぶるのに、こういう時だけ甘えたがるのである。懐かしい思い出に目を細めながら、ここぞとばかりに京太郎は言葉を続けた。

 

「お前、少し疲れてるんだよ。俺は明日もいるから、少し早いけどもう寝たらどうだ?」

「そうする。京太郎…………その、ごめんな?」

「気にしてないよ」

「そか。それなら、良かったなぁ」

 

 怜を安心させるように微笑むと、怜はすぐに寝息を立て始めた。本当に疲れていたのだろう。寝顔は実に穏やかである。根本的な問題は解決していないが、これで取り付く島くらいはできただろう。怜の寝顔を見て安心した京太郎は踵を返すと、足早に部屋を出ていく。

 

「少し風に当たってきます」

「ちょ――」

 

 待て、と言おうとした竜華の肩を、雅枝が掴む。抗議の視線を向ける竜華だが、眼鏡の奥の雅枝の瞳には有無を言わせぬ迫力があった。

 

「好きにし。ええ男っぷりやったで」

 

 雅枝の言葉に、京太郎は答えない。彼が病室を出ていくと、女子高生たちの視線は雅枝に集まった。三つの疑問の視線に雅枝は深々と溜息を吐く。本当に、こんな簡単なことも見抜けなかったのか。

 

「男が女の前で泣けるかいな。どれだけぐさりと来る言葉を吐かれても、ぐっと我慢するのが男ってもんや」

「京太郎の奴、ほんまに泣いとったんですか?」

 

 セーラの目には、全くそうは見えなかった。本当にそうであるなら、女子高生組の中では怜だけがそれを見抜いていたことになる。我慢している内心をその本人に言い当てられてしまったのだから、そりゃあ京太郎も否定するしかないだろう。流石幼馴染、と素直に褒めたいところであるが、怜の感性を褒めてしまうと相対的に自分が鈍感ということになる。女の機微に微妙な気分になっていると、面々の中で最も女力の高い雅枝が言った。

 

「泣いてへん、ってことにしたるのがええ女ってもんやで。せやから、泣きはらした顔で帰ってきても、それに触れたらあかんからな」

 

 男の見栄というのは大変なんだな、とセーラは素直に思った。この中では一番男性的な感性をしている彼女だが中身はそれなりに乙女をしている。趣味嗜好が男性よりなだけで、決して中身が男性な訳ではない。そのセーラをして、京太郎の男としての見栄というのはイマイチ理解しがたいものだったが、要はプライドの問題なんだなと納得することにした。

 

 簡単に割り切れるセーラはそれで済んだが、竜華は一人どんよりと落ち込んでいた。当たりのキツい怜の友達と思われている上に、ここで更に気の回せない女と思われるのは凄く嫌だ。千里山の入学式以来何も手が打てないまま、竜華は三年生になろうとしている。高校生でいられるのは後一年。プロになるにしても大学に進学するにしても、今までとはガラりと環境が変わってしまう。

 

 そうなる前に関係を修復――というのはおかしいかもしれない。元に戻すような正常な関係を構築したことなど、今まで一度もなかったからだ。望んでいるのは、正常な関係を始めること。今日のこれはまたとないチャンスなのだ。何しろ普段は遠くにいる京太郎が目の前にいるのだから。

 

 しかし、問題もある。大親友である怜はすやすや幸せそうな顔で眠っていて、起こせそうもない。明日も来るというから今晩は大阪に泊まっていくのだろうが、病院から出ていかれてしまうと竜華には引き留める理由がない。まさか自分の家に泊まりませんかと提案する訳にもいかない。泊まる先は本命がビジネスホテル、次点が怜の家というところだろう。清水谷家という選択肢が最初から存在しない以上、今日何かするためには、彼が病院を出るまでの間に提案しなければならない。

 

 考えを巡らせるが、良い案は全く浮かんでこない。そもそも、悪い状況を改善したいからこそ案を捻り出そうとしている訳だが、悪い現状で打てる有効な手立てというのも、中々存在しないものである。これが百戦錬磨の恋愛マスターであれば十も二十も打つ手があるのだろうが、竜華はこの年になるまで一度も恋愛をしたことがない。一人で妙案を出せというのも、無茶な話である。

 

「戻りました」

「お帰り。さて、そろそろ園城寺の親御さんも戻ってくる頃や。後は家族水入らずってことで、私らはそろそろ退散した方がええんやないかな」

 

 提案の形をしているが、実質的な帰るぞ、という号令である。千里山の麻雀部員三人は、監督の号令に反射的に肯定の返事を返し、京太郎もそれに従った。

 

 日は沈もうとしている。久しぶりの大阪の土地だが、今日はもう怜の顔を見れないとなれば他にすることもない。中学生一人ではチェックインも手間取るので、既にホテルは長野の母親に手配してもらっている。後はそこに移動するだけ。そのつもりでいた京太郎に、雅枝が声をかけた。

 

「須賀。今日はこれからホテルか?」

「はい。こっちに来る時は大抵は怜の家なんですが、今日は押しかける訳にもいかないので……」

「そか。つまりはこれからまだ時間はあるってことやな」

「そうなりますね」

「それなら、これからちょっと顔貸してもらえるか?」

「構いませんけど。一体何を?」

「この面子が集まって、他にすることもあらへんやろ」

 

 にぃ、と雅枝は口の端を釣り上げて獰猛に笑った。かつてプロで鳴らし、引退しては関西でも有数の麻雀部の監督を務める才媛である。今でこそ指導と管理に多くの時間を割いているが、本質的な部分は何一つ変わってはいない。目の前に妙なオカルトを持つ打ち手がいるのである。これで打たないという手はない。

 

「園城寺から力については少しだけやけど聞いとる。前から見てみたい思ってたんや。千里山女子のレギュラー三人に監督一人。悪い話やないと思うんやけど、どないや?」

「幼馴染が大変な時に何をって普通なら言うべきなのかもしれませんが……」

 

 

「……麻雀ならしょうがないですね。怜も許してくれるでしょう。解りました。というか、是非お願いします」

 




当初のタイトルは怜覚醒編だったのですが、思いのほか他の面々の出番が増えたのでタイトル変更しました。なお怜の出番はまだあります。

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