セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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53 中学生三年 四人の大親友編②

 

 

 

 

 

 

 淡をモモに引き合わせるに当たって、唯一にして最大の懸念は二人が仲良くなれるかどうかだった。そんじょそこらのぼっちなど相手にもならない究極のぼっちであったモモは、友達が少ないどころか、友達付き合いの経験すら薄い。スマホのメモリに登録されている人数も、家族のみという有様だ。

 

 中学にあがって漸く、数少ない登録の中に京太郎と宮永姉妹が追加されるに至ったが、それ以前の経験不足が災いしてか、どうにも交友関係が狭い範囲で完結してしまう節があった。

 

 咲と友達になることでもっと積極的に他人と関わるようになってくれればと思ったのだが、一人親友ができたことでもうこれでいいっす……と更に内向きになってしまったモモは、相変わらず人付き合いの経験値というものが不足していた。

 

 そんなモモに、淡である。淡の自己主張の強さはとにかく個性的な女性を多く見てきた京太郎から見ても折り紙付きで、影が限りなくゼロに近いモモとの相性はどうなのだろうと、考える度に相性悪かったらどうしようと不安に思っていた京太郎だったが、咲の家で顔を合わせるなり、淡はモモの手を取って笑みを浮かべた。

 

「モモだよね! よろしく!!」

 

 咲から親友だと聞いていた淡は、ならば自分も親友であると最初から大きく踏み込んでいった。友達付き合いがないということはつまり、悪い言い方をすればころっと落ちやすいということでもある。人懐っこい笑みを浮かべた淡に手を握られたモモは、その瞬間にちょろっと落ちてしまい、二人の親友が三人の親友となって現在に至るという訳だった。

 

 今は宮永家の居間で、三人で話に華を咲かせている。そんな三人の声をBGMに聴きながら京太郎は夕食の準備を進めていた。メニューは淡のリクエストの通り、オムライス(グリンピース抜き)だ。照がいた時からたまに料理を作っていた宮永家の台所は、既に勝手知ったる場所である。

 

 慣れた手つきで調理具の用意をしながら、京太郎は次第に料理に没頭していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京太郎が台所に入り夕食の準備を始めると、後は女子の時間である。元々社交的ではない咲とモモだけだと、いかに親友同士とは言え会話が弾まないこともあるのだが、今日は淡という話をしていない時の方が少ないくらい喋る女子がいたため、親友同士の会話もかつてないくらいに弾んでいた。

 

 淡が主に好んだのは、今日初めて会うモモの話だった。ステルスの性質についての説明は京太郎が事前にしていたが実際に『それ』を目にすると、淡も目を丸くした。

 

 何しろ、今まで目の前にいたはずなのに気づいたら消えているのだ。モモ本人が他人に気づかれるための行動を取っていない場合、ステルスがきちんと機能していれば、例え目の前にいても見失うことが多々ある。見失ってしまったモモを不安そうに探す淡に、少しだけ心が痛んだモモが姿を現すと、淡は『閃いた!』という顔でモモの手を握った。

 

「一緒にいる時は、こうしてれば大丈夫でしょ? これで私もモモを見失わないね!」

 

 その時のモモの表情を何と表現すれば良いのか、比較的豊富な語彙を持っていると自負している咲も、その表現に迷ってしまった。きっと淡が男だったら、モモはここで恋に落ちてしまっただろう。京太郎に出会った時もその日の内に好きになってしまったというから、本当に惚れっぽい体質なのかもしれない。

 

 女の子同士とは言え、一緒にいる時常に手を繋いだままというのもどうかと思うのだが、モモと淡の二人が納得しているなら問題はなかった。

 

「ところでさ、サキー」

 

 どうにも百合百合しくなってきた雰囲気を打ち払うように、淡が声を挙げた。二人のやり取りにいつの間にか夢中になっていた咲は、その声で現実に引き戻される。

 

「な、なにかな?」

「サキーってさ、京太郎のこと京ちゃんって呼ぶよね。私も呼んでも良い?」

「別に私に許可を取る必要はないと思うんだけど……」

 

 と言うが、自分以外が『京ちゃん』と呼んでいるところを想像すると、もやもやとした気分になるのは否めない。大親友である淡やモモであったとしても、それは変わらなかった。咲の消極的な反応を、自分に都合よく許可する、という返答だと解釈した淡は立ち上がると、

 

「じゃあ、ちょっと呼んでくるね!」

 

 言うが早いが、京太郎の元へ走って行った。その背をぼんやりと見送りながらジュースに口を付ける咲に、モモが声をかける。

 

「良いんすか?」

「反対する理由ないもん。呼び方に文句をつけるような女だって、京ちゃんに思われたくないし……」

「そういうところもかわいいって思ってくれると思うんすけどね、京さんなら」

「モモちゃんも、実は京ちゃんって呼んでみたいんでしょ?」

「……………………ちょっとだけ、ちょっとだけっすよ? 本当にちょっとだけ、呼んでみたいと思ったことはあるっす」

 

 頬を染めながら小さな声で告白する親友に、咲は苦笑を漏らした。今なら淡やモモが『京ちゃん』と呼んでも、何だか許せるような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボウルに入れた卵をかき混ぜていた京太郎は、背後に猫のような気配を感じた。足音の大きさから、振り向かなくても淡だとすぐに解った。咲もモモも控えめな歩き方をするので、二人との区別はつきやすいのだ。

 

「どうした、淡」

「あわっ!」

 

 気づかれるとは思ってなかったのだろう。手が届くくらいまで近寄っていた淡は、声をあげて驚いた。

 

「……こっそり近づいたのに、どうして解ったの?」

「あれでこっそりしてたつもりだったのか、お前……」

 

 バレたのならば、話は早いと淡が近寄ってくる。あわよくばつまみ食いをしようという魂胆だったのだが、まだ食べられるようなものは何一つできあがっていない。残念そうに溜息を吐く淡に、京太郎は問うた。

 

「で、何か用か」

「ん? えーっとね? サキーとモモと話してたら、京太郎の呼び方の話になったんだ。サキーもやってることだし、その親友の淡ちゃんも挑戦してみようと思ったんだよね。聞いてくれる?」

「おう、良いぞ」

「ありがと、京ちゃん」

 

 呼び方というのはそれか、と京太郎は小さく安堵の溜息を漏らした。てっきり恥ずかしい呼び名で呼ぶのはこっちで、淡が耐えるものだと思っていた京太郎は、料理の手を止めないまま、横目で淡を見る。

 

 京ちゃんと呼んで、そこから何かあるのかと続きを待っていたが、淡は一度呼んでから微動だにしない。どうかしたのだろうか。十秒待つ、三十秒待つ。それでも淡は動かない。下準備も全て済、さてフライパンに火を入れようかというところで、淡は無言で京太郎に背中を向けた。

 

 淡にしては薄いリアクションだったが、今はオムライスだ。妙な行動のことは、食事の時にでも聞けば良いと、京太郎は再び料理に意識を戻した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わーっ!! あわーーっ!!!」

 

 戻ってきた淡は全力でクッションに頭を突っ込むと、声にならない叫び声をあげて、床をごろごろと転がった。

 

「やばい、これやばいよ! 今まで生きてきた中で一番恥ずかしいよこれ! 京ちゃんとか呼んじゃった! 呼んじゃったし!!」

 

 あわーと右に転がっては、あわーと左に戻ってくる。ころころごろごろと転がり、最終的にはモモの膝にぶつかって止まる。膝枕するようにぐりぐりと押し付けられる淡の頭を、どうして良いのか分からなかったモモは、助けを求めるように咲の顔を見たが、咲は咲で淡が呼び方一つで何故ここまで大騒ぎするのか理解できないでいた。

 

 呼び方一つ、ここまで恥ずかしがるようなものだろうか。京ちゃんと呼ぶことに、特に深い意味がある訳ではない。咲は親しい人間を呼ぶ時にちゃんを付ける。男の子でちゃんと呼ぶのは親戚の男の子を除けば京太郎が初めてだったが、そこに女子との明確な区別がある訳ではない。

 

 事実、モモも淡もモモちゃんであるし、淡ちゃんだ。高校にあがって別に友達ができれば、その子のこともきっとちゃんをつけて呼ぶだろう。咲にとっては別に大したことではないのだが、淡にとっては違うらしい。

 

「うぅ……実はサキーって大人の女だったんだね。こんなに恥ずかしいこと平気でやっちゃうなんて……」

「そんなに恥ずかしいっすかね、これ」

「恥ずかしいよ! 大人の階段だよ! モモもやってみれば解るから! ほら、次はモモの番!」

 

 淡に背中を押される形で、モモが台所に向かっていく。呼んでみたいと言っていたモモだ。この状況は渡りに船だろう。京太郎の元に向かう足取りも、どこか軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今度はモモか」

「足音で分かるんすか?」

「ここに三人しかいないからな」

 

 友達皆が大集合していたら、流石に個々の区別をつける自信はない。振り向かずに足音だけで区別がついたのは、その前提でならば三人の区別がつくからだ。足音が大きければ淡。控えめな足音で耳に馴染んでいる方が咲でそうでないのがモモだ。

 

「それで、モモは何の用だ? 淡は何だかよく解らないまま戻っちまったけど」

「淡ちゃんが言ったと思うんすけど、呼び方の話になったんすよね。私が知ってる中では咲ちゃんだけ、京さんのこと違う呼び方してるって」

「あぁ、そう言えばそうだな……」

 

 基本的に同級生か年上との付き合いが多かったため、名前で呼び捨てにされることが一番多かった。親戚を除けば、京太郎のことを京ちゃんと一度でも呼んだことがあるのは、ギバードを中心とした麻雀教室の年下組くらいである。同級生に限って言えば、咲が初めてだ。

 

「今まではどう呼ばれてたんすか?」

「京太郎って呼び捨てにされることが多いな。基本、どこにいる時も俺より年上の人がグループにいたし」

「ということは、同級生の娘も京太郎って呼び捨てにしてたってことっすか?」

「それが多いな」

 

 振り返ってみると、同級生の友達よりも年上の友達の方が多いというのはかなりレアな環境と言えるだろう。しかもそのほとんどが女性に偏っているのだから、我ながら奇妙な人生を歩んできたものである。

 

 京太郎の交友関係の中では数少ない同級生の友達であるところのモモは、今の話を聞いてむっとした表情を浮かべていた。男の過去にどんな女がいようと許してやるのが良い女というものだが、仲良し度において自分たちが一番ではなさそうだ、という見通しは恋する乙女にとってあまり気分の良いものではなかった。

 

 それで一瞬で決心が固まってしまったモモは、勢いでそれを口にした。

 

「じゃあ、京ちゃんって呼ばれるのはレアなんっすね?」

 

 確認という体で、あだ名を口にする。淡の言っていたことは、大げさだ。半ばそう確信していたモモだったが、自分の身に起こった劇的な変化に気づくと、京太郎の反応を待たずに、踵を返した。今日はいきなり目の前から消えられることの多い日だな、と軽い気持ちで考えながら、京太郎はまたも調理に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やばいっす! やばいっすよこれ!!」

 

 リビングまで戻ってきたモモは、勢いよく淡に飛びついた。ぎゅっと抱きしめてごろごろと転がっても、身体の熱は下がらない。羞恥心で真っ赤になった顔は熱を持ち、心臓は今もばくばくと言っている。あだ名を口にしただけなのに、何という破壊力だろう。今まで生きてきた中で一番恥ずかしいという淡の言葉にも、今なら頷くことができた。これはマジでヤバい。

 

「そうだよね? これ恥ずかしいよね?」

「間違いないっす。咲ちゃんは大人の女だったっすよ」

 

 二人して大盛り上がりをする親友を他所に、咲の気分はガンガン盛り下がっていく。これでは自分一人が変態のようで、複雑な気分だ。逆に、あだ名一つでここまで盛り上がることのできる二人が、咲からすればとても羨ましい。

 

「どうしてサキーは普通に京ちゃんって呼べるの?」

「どうしてって……気が付いたらそう呼んでたよ。私も最初は須賀くんって呼んでたし」

「そう言えばそうだったっすね。でも、私と会ったその日には、もう京ちゃんって呼んでた気がするっすけど」

「宮永テルーと麻雀やったんだっけ? じゃあ、サキーはその日に恋に落ちたんだね」

「そういう言い方されるとちょっと恥ずかしいかな……」

「私たちの恥ずかしさに比べたらどうってことないよ! それじゃあ、最後はサキーの番だよ。大人の女として、私たちにお手本見せてくれる?」

「……それは、京ちゃんって呼ぶためだけに、台所まで行って来いってことかな」

「そうだよ! 私とモモはこっそり後からついていくから、がんばってね!」

 

 期待に満ちた親友二人の視線に、実行しない訳にはいかない状況になったことを、咲は理解した。別に今さら京ちゃんと呼ぶことに抵抗がある訳ではないが、そのためだけに台所まで行くのはバカップルみたいで恥ずかしい。着いてくると言っているのだから、こっそりと誤魔化すこともできない。

 

(ああ、こういうのを羞恥プレイって言うんだね……)

 

 モノの本で読んだことがある知識を身をもって実感した咲は、ひっそりとした足取りで、お供二人を引き連れて台所に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「最後は咲か」

「うん。何か騒がしくてごめんね」

 

 どうにか逃げ出そうと、トイレに駆け込もうとして失敗し、押し込まれるようにして台所までやってきた咲ははにかんだ笑みを浮かべる。その後ろでは、こっそり隠れているつもりのモモと淡が目を光らせていた。当然、二人の視線には京太郎も気づいている。仲良しそうで実によろしいと、モモに淡を引き合わせることができたことに内心で満足しながら、今思いついた、というように京太郎は言葉を続けた。

 

「良いところに来た。ちょっと味を見てくれないか? ほら、say aah」

 

 スプーンに盛られたチキンライスに、咲は黙って口を小さく開けた。あー! と言ったのは、咲ではなく後ろで見ていた二人である。

 

「大声出すなよ。ほら、つまみ食いしたいならこっち来い」

 

 憎からず思っている男性に『色気よりも食い気』と判断されたことに地味に傷ついた乙女二人だったが、美味しそうな香りのするチキンライスには勝てなかった。打ちひしがれた様子で歩いていくと、チキンライスを盛られたスプーンを渡される。あーん、ではない。

 

 この差は一体何なんだろう。美味しいチキンライスを味わいながら、咲を見る二人の視線には、少なくない羨望が混じっていた。


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