セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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52 中学生三年 四人の大親友編①

 放課後の教室。夏までに部活に打ち込んでいた生徒たちも、そろそろ本格的に受験モードである。教室が放課後の喧噪に包まれていたのも今は昔。塾や図書室に散っていく同級生たちの後姿を、咲はどこか寂しそうに眺めていた。咲は特に彼ら彼女らと親しい訳ではなかったが、今までと違うというのはそれだけで咲を寂しくさせた。

 

 咲のように、決して友達が多いとはいえない人間でもそう思うのである。交友関係の広い人間ならばその寂しさも一入だろう。そう思った咲は、自分の席で手作り感溢れる教本に目を落とす京太郎に視線を向けた。

 

 この学校に限って言えば、社交的な性格に反してそれ程友人は多くない。興味の大部分が麻雀に向いている彼は暇さえあれば教本を読むか、ネット麻雀に興じている。話しかけられれば勿論笑顔で切り返すが、そうでなければ自分から話しかけることはほとんどない。

 

 これだけを見れば寂しい男子に思えなくもないが、中学校に入るまで全国を飛び回っていた彼は全国に友人が沢山いる。それも、聞いた話では女子ばかりだ。頼めば一緒に撮った写真くらいは見せてくれるのだが、三枚も四枚も出てくるに至り、咲は問いかけるのを止めた。

 

 写真に写っているのが誰も京太郎と距離が近く、また美少女が多かったからだ。自分が地味な女に分類されることを自覚している咲は、そういう写真に敵対心を持ちこそすれ、知識欲が刺激されたりはしない。いかに憎からず思っている男性のこととは言え、何でも知っていたいと思う訳ではないのである。

 

 複雑な感情を抱えたまま、咲は京太郎の横顔を見た。

 

 真剣な表情で物事に取り組む男性の横顔が女を恋に落とすのなら、須賀京太郎の横顔は全ての女性を恋に落とすくらいに魅力的――というのは、流石に惚れた弱みだろうけれども、いつも笑みを浮かべている印象の京太郎が真剣な表情で教本に視線を落とす姿は、普段の彼を知っていればいるほど、強烈な印象を残す。

 

 わりと意地悪で、でもいつも優しくしてくれる京太郎と話すのも好きな咲だったが、こういう顔をした京太郎の横に黙って座っているのもまた好きだった。京太郎の背中を背もたれにして、お気に入りの本を読む時の何と至福なことだろう。

 

 もっとも、姉がまだ長野にいた時は一つしかないその背中を争って無駄に喧嘩をしたものだが、共通の友人であるモモが離れた場所に住んでいることもあり、照が東京に引っ越してからは京太郎の背中の独占状態が続いていた。

 

 場所は概ね、咲の部屋。男の子を部屋に入れることに緊張したのも今は昔。部屋に呼んで特に何をする訳でもないが、全自動卓を前に試行錯誤をする京太郎を見るのも、また楽しい。

 

 しかし、不満もある。それは京太郎のある癖についてだ。嫌だという訳ではないのだが、不満と言えば不満という咲としても表現に困るものだ。

 

 京太郎の肩越しに教本を覗き込もうとすると、当たり前のように伸びてきた京太郎の手が、咲の髪を軽く引っ張った。それ以上、何をする訳でもない。教本を読んでいる時は恐ろしく集中しているから、引っ張られた側が抗議の声をあげないと、ずっとこのままだ。無意識に、ずっと髪をいじり続けるのである。

 

 困ったことに完全に無意識の行動である。これは誰を相手にしても出る癖で、自分以外には照やモモも同じ目に合っている。髪は女の命とも言う。いくら憎からず思っている男の子相手とは言え、無遠慮に髪に触られることはあまり気持ちの良いことではないが、そも、どうしてこんな珍妙な癖ができたのか考えると、別の感情も湧き上がっている。

 

 京太郎が過ごしてきた今までの場所で、麻雀をしている時に触れられるような距離に、誰かの髪があるのが当たり前の環境だったことがあったのだろう。癖にまでなるのだから、その『女の子』も京太郎のことを憎からず思っているに違いない。オカルトのメンテナンスを担当しているらしい鹿児島の巫女さんが怪しいと思っている咲だったが、それの確認はしたことがなかった。

 

確認をしたところでどうなるものでもないし、仮に真実がどうであったとしてもそれが自分にとって都合の良い物でないことは十分に理解していたからだ。鹿児島の巫女さんはどうせ巨乳だろうし。

 

「あー!! 京太郎がサキーいじめてる!!」

 

 京太郎の横顔を見ながら咲が自分の感情と戦っていると、教室にやってきた淡が大声をあげた。流石に耳についたのか、京太郎は教本から視線を上げた。

 

 教室に残っていた生徒の視線を集めるがそれだけで、他の生徒たちはあっさりと興味を失った。珍獣三号が突撃してくるのも、教室で大騒ぎするのもいつものことで、目新しいものではない。

 

 歩みを進めた淡は京太郎から咲をひっぺがし、抱きかかえた。

 

「女の子の髪を引っ張るなんて最低だよ!」

「あー、すまん。またやってたのか。悪いな咲」

「別に良いけど……まぁ、ほどほどにね?」

「サキー、痛くない?」

「痛くないよ。ただ触られてるだけだし」

「…………気持ち良かったりする?」

「それはないかな」

 

 精神的な充足感はあるが、それで気持ち良いと思えるほど宮永咲は変態ではない。いかがわしい小説に出てくるような、髪や身体を撫でるだけで女性を虜にするようなテクニックなど、現実には存在しないのである。読書家である咲は夢とロマンを大事にしているが、それを発揮するべき時というのも同時に理解している。全てにおいて夢とロマンを前面に押し出すのは、夢想家とかロマンチストを通り越してただのアホだ。

 

「だよねー。ちょっと、安心した。気持ちよく髪を梳かしてくれるなら、京太郎にやってもらおうと思ったんだけどな。京太郎、女の子の髪とか梳かしたことある?」

 

 ふふん、と得意げに淡は笑っている。色々と話をして、京太郎の過去をある程度知っている咲やモモならば絶対にしない質問だったが、京太郎歴の浅い淡はその限りではなかった。咲が話題を逸らす暇もあればこそ、

 

「ないこともないな。何事もめんどくさがる先輩がいて、その人のことはよくお世話してたよ。小学校三年生の時だ」

「え…………でもでも、大昔の話でしょ? 最近はそういうことしてないよね?」

「毎年一回は必ず会うからな。一番最近会ったのは先月だ」

 

 荷物を片づけながら、何でもない風に答える京太郎に、淡は目に見えて落胆した。ふわふわと、淡の感情を表すように舞っていた髪も、彼女の感情が下降するに従ってしんなりとしていく。

 

 これ程、欲求が素直に態度に出る人間も珍しい。別に気持ち良くはないと自分で言ったばかりだが、ここまでしょんぼりされてしまうと、咲の中に眠った姉心が大いに刺激された。

 

「それだけ長いこと面倒みてるなら、それなりに良い腕をしてるんじゃない?」

「そうか? やったことの礼は言われたことあるけど、それだけだな。上手いな凄いぞとか褒められたことはそんなにないと思う」

 

 じっと京太郎の顔を見るが、それが本当かどうかは読み取れない。褒められたとしても、京太郎の性格だったらここでは言わないだろう。女性に囲まれて育った京太郎は変に教育が行き届いていて、麻雀に関すること以外、女性に対して自己主張や自慢話をしたがらない。

 

 だが、実際髪をいじっている時の手際を見るに、全く見込みがないということはないだろう。お世話をさせている人だって、全く見る目がなければいかに京太郎相手でも触らせたりはしないはずだ。一年に一度くらいとは言え何年も継続してやらせているのだから、それだけの価値はあるはずである。

 

「その人、髪は長い?」

「長いのはダルいって言って伸ばしたがらないな。短くはないけど」

「じゃあ、長い人の髪のお世話は『あまり』してないんだね。それなら淡ちゃんで練習しておくと、いざという時役に立つと思うよ」

 

 サキー! と淡から視線で感謝の念が贈られてくる。そんなに髪を梳いてもらいたかったのなら直接言えば良いのに、と思う。普段は思ったことをそのまま口にするようなタイプなのに、京太郎が関わると微妙に奥手になってしまうのだから不思議である。

 

「まぁ、咲がそこまで言うなら」

 

 釈然としない気持ちを抱えた様子のまま、京太郎は淡に後ろを向けと促す。淡はぱっと顔を輝かせると自分の櫛を押し付けて大人しく椅子に座った。京太郎は咲が想像していたよりも優しい手つきで淡の髪を取り、櫛を入れていく。

 

 多少癖があるだけで直毛の咲からすると、羨ましいくらいにふわふわな淡の髪である。普段髪を梳かしなれていない男性には、櫛を動かすだけでも注意が必要なはずなのだが、京太郎の手つきには危なげがない。よほど髪を梳かしなれているのだろうか。

 

 練習のためという建前を用意はしたが、京太郎の手つきは明らかに長い髪を梳かしたことがあるものである。髪を梳いてもらっている淡はあわあわとご満悦だ。漫画のようにその手際だけで女を落とすようなことはないようだが、これはこれで気持ちよさそうではある。

 

 もっとも、手際よりも誰にやってもらっているかの方が、淡には重要なのだろう。京太郎の手つきがよほど悪いものだったとしても、ぷりぷり怒りはしても、結局は笑顔で許してしまう淡の姿が目に見えるようだった。

 

「ほら、これで大丈夫か?」

「うん! ありがとー、京太郎!」

 

 ここで終わるのならば、ただの微笑ましい兄妹の営みにも見えただろう。珍獣とマイスターという関係が広まっているから、同じ学校で誤解するものは少ないが、髪が燻った金色と似ていることから街を歩いていると兄妹に見えると専らの評判である。

 

 その妹の方がにこにことしながら、爆弾を投げ落とした。

 

「今日の夜と、明日の朝もお願いね?」

 

 淡の発言に、流石に教室の中から音が消えた。言葉の意味を理解すれば、京太郎と淡が今晩同じ場所にいるだろうことは想像に難くない。男女が同じ場所で一夜を共にするとなれば『すること』は一つである。その想像は中学生の男女の好奇心を大いに掻き立てたが、それに水を差したのは、当事者の一人である京太郎の一言だった。

 

「俺は飯を作ったら帰るぞ」

「うそっ!?」

「当たり前だろ。女子三人のお泊り会に、男一人で参加できるか」

 

 男の欲望全開で判断すれば、参加したいな、という気持ちがないとは言えないものの、常識的に判断をするのならば参加を見送るのは当然のことと言えた。

 

 そも、今日宮永邸でお泊り会が企画されたのは、咲の父である界が仕事で週末家を空けることになったからである。ならば親睦を深めるためにと咲が提案し、普段あまり一緒に遊べないモモと遊び、そして淡を彼女に紹介するために企画したものだ。

 

 友人関係を考えるならば、そこに京太郎が参加してもおかしくはないのだろうが、そこはやはり男女の性別の壁がある。夕食まで一緒にするだけでも、ある意味では破格の扱いと言えるだろう。

 

「ほんとだよ、淡ちゃん。私もモモちゃんも一応誘ったんだけどね……」

「美少女三人と一緒にお泊りだよ? どうして断るの?」

 

 しかし、常識的な判断をしたはずなのに、特に淡は不満そうだ。常識という言葉から縁遠い所にいるからだろう。欲望に忠実である淡は距離感も近く、学校でもよく京太郎にひっついている。珍獣とマイスターが戯れているとクラスメイトは気にもしていないが、自分で美少女というだけあって、淡は美少女である。

 

 人気投票でイマイチ結果が振るわなかったのも、騒々しいという内面に影響されていたからだ。見た目だけならば十分にこの学校で一番を取れただろうし、京太郎もその分析に不満はない。強いてあげるならば若干おもち不足なことが気になるが、中学生という年齢を考えるならば十分な戦力を淡は持っている。

 

 これについては、すでに巨乳の域に達している春や、今年全国制覇を成した原村某が異常なのだ。ぐいぐいと腕を引きながらひっついてくる淡の、決して小さくはないおもちの感触に京太郎の自制心もぐらぐらと揺れるが、女性グループの中で鍛えられた理性が勝利した。

 

「そういうもんなんだよ。その代り、夕飯はお前の好きなもの作ってやるから、機嫌なおせ」

「ほんと!? じゃあ、オムライスが良い! 東京で食べたみたいな、ふわふわのお願いね!!」

「あーわかったわかった」

 

 はしゃぐ淡の中では既に、京太郎<オムライスになっているのだろう。色気より食い気というのも実に淡らしい。すっかり機嫌を直した淡を呆れた様子で眺めながら、京太郎は教本を鞄にしまう。今日はこれから一緒に夕食の材料を買いに行き、駅でモモと合流して宮永家に向かう予定である。

 

「きょーたろー! サキー! 早くいこーっ!!」

 

 お泊りセットを持った淡は、既に頭の中がオムライスになっていた。単純すぎる友達にお互い苦笑を浮かべた京太郎と咲は、ぶんぶん手を振る淡に従って歩き出した。

 

 


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