セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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51 中学生三年 SMT編③ 淡、泣く

 箱下アリの対局とは言え、麻雀にも現実的に考えてできることとできないことというのがある。戦っているのは日本を代表するプロの雀士、そのトップ3と言っても過言ではない。彼女らを相手に十万点の差がついてしまった。これは役満を二度ツモあがってもまだトップに立てない数字である。

 

 何が起こるのが解らないのが麻雀とは言え、ここで奇跡を期待するような人間は圧倒的な少数派。現に、楽天的に見える淡も、既に勝利を諦めたような悲壮感が、背中からも見えていた。

 

 実を言えば、これ以降会話もしてくれなくなることを京太郎は覚悟していた。麻雀とはこういうものだ、ということを理解してもらうためとは言え、これではオーバーキルも良いところである。ここまでやる必要はないと咏ですら、暗に言っていたくらいなのだ。やり過ぎなのは、京太郎も十分に理解しているつもりだが、やらずにはいられなかった。

 

 さて、どんな罵詈雑言を浴びせられるか。途中で投げ出しても、今回ばかりは何も文句は言わないつもりだった。淡の顔をちらりと見ると、彼女はべそをかいていた。勝気な少女にとって、人前で泣くというのは耐えがたい屈辱だろう。本当ならば今すぐにでも逃げ出したいに違いないが、淡はべそをかきながらも卓を立とうとしなかった。

 

 これには、咏たちも驚いている。勝ち続けてきた結果、今の立場にいる彼女らは自分たちが負かした人間を嫌というほど見てきた。その中には二度と麻雀はしないと決めて牌を置いた人間もいる。京太郎の知る限りでは、阿知賀のレジェンドなどが、近い状態まで追い込まれた。

 

 それ程までに、圧倒的な実力差というのは心を打ちのめすものであるが、淡はダメージを受けても途中で投げ出すことはしなかった。これはと思い観察しながらも、プロたちは手を緩めるようなことはしない。

 

 直撃しか狙わないという暗黙の了解と共に、容赦なく淡を攻め立てていく。最低が倍満という直撃の嵐に淡の点数はどんどん減っていく。その度に淡の顔色は悪くなっていくが、それでも歯を食いしばって耐え、そして考えていた。

 

 ここを乗り切るためには、どうしたら良いのか。淡は麻雀を憶えて一週間。素人以前の状態である。役も全て覚えた訳ではない。知らないルールもいくつかある。一人で雀荘に行ったら、右も左も解らなくなるだろう。おそらく点数計算もできない彼女が、何をすれば良いのか、自分で考え、そして行動していた。

 

 二つのオカルトのうち、まずダブリーをすることをやめた。自分がツモるよりも先に、相手に直撃を取られると悟ったからだ。棒攻めという言葉があるくらいだ。本来、リーチで相手を縛り、ごりごり削っていく攻め方はそんなに悪い物ではないのだが、ダブリー故に待ちが悪い上に、相手はプロ三人。理牌の癖などから待ちを一点で読まれ、振り込みなどは期待できない。

 

 ならば手が制限されるだけ、リーチをかけるのは無駄と淡は判断した。その上で、とにかく手を早く進めようと考えたのだが、これが中々上手くいかない。

 

 元の運と技術が違い過ぎる上に、既に大量の失点をしていて運は下降線をたどっている。これをどうにかするのが本来技術であるべきなのだが、淡にはそれが致命的にかけていた。試行錯誤しても、上手くいかない。その度に、点数はどんどん減っていく。

 

 もうここで止めても良いんじゃないか。何度も心は折れそうになったが、その度に歯を食いしばって耐えた。卓に集中して、情報を集める。何かないか。何も使えないのか。

 

 そうして、一つの結論に達した。

 

「チー」

 

 生まれて初めての鳴きである。はやりが切った牌を、淡は手弁当で鳴く。面前一辺倒だった淡の変化に、はやりの眉が僅かに動いた。とにかくアガりに向かう。点数結果など知ったことではない。そういう割り切りをされると、プロ側の優位は圧倒的に小さくなる。

 

 何しろ、積み上げた点棒の意味が全くなくなってしまうのだ。そうなると、どれだけ大量の点棒を奪っても意味はなくなる。精神的な圧迫感も、それなりに小さくなってしまうだろう。

 

 つまりは第一段階が終了、ということである。とことん凹ましてくれ、というのが京太郎からの依頼であれば、プロたち三人はその通りに行動するだけだ。はやりを始め、他の二人も同時に高火力から速度重視に切り替えたのである。

 

 そしてこういう時にこそ、地力の差が出てくる。プロの誇りにかけて、彼女らは通しなどは使っていないのだが、符丁など決めなくてもそれとなくサインを送る方法というのがある。プロというのは本来、相手になるべく情報を送らないように打ちまわすものである。表情一つ、視線一つ。大事なタイトルのかかった試合で、小さなそれらが命取りになることだってありえる。

 

 プロはまず、観察力が違う。プロの視点からすれば無遠慮な打ち回しをするだけで、他の二人は勝手に情報を吸い上げて、振り込まないように打ち回し、そして必要な牌を放出していく。実質的に、サインが出ていないだけで手を組んでいるに等しいのだが、唯一糾弾できる立場にある淡は、自分の手と河を見ることに忙しく、対戦相手にまでは目を配っていない。

 

 それではやられ放題である。このクラスの強者ががっちり手を組んだ時、素人というのは本当に何もできなくなる。プロ三人がギアを上げ、遠慮なく鳴き始めた所で淡はツモをする回数が激減した。最悪な時は、一度ツモって不要牌を切った、それで直撃を取られたりもする始末である。

 

 麻雀を始めたばかりの中学生の心が、がりがりと削られていく音が京太郎の耳にも聞こえる。ここで投げ出しても誰も責めたりはしない。むしろ、この三人を相手にここまで粘ったことは、麻雀をやっている人間ならば称賛こそすれ、責めたりはしない。

 

 淡も本心ではそうしたい。今すぐにでも投げ出したいが、それはプライドが許さなかった。適当な気持ちで始めた麻雀である。元々、そこまで思い入れはないし、今も別に好きではない。

 

 でも、自分の意思で始めたものを途中で投げ出すことは、絶対にできなかった。頭は決して良くなく、周囲にもアホの子と思われている淡だが、それでもプライドはあった。

 

「……ツモ」

 

 淡が最後のセリフを言った時、積棒の合計は200を余裕で越えていた。長い溜息は誰のものだったか。がっくりと肩を落とした淡に続いて、プロたち三人も力を抜いた。

 

「これで終了かな。途中から計算が怪しくなってたんだけど……京太郎くん、大体で良いんだけど誰がトップ?」

「健夜さんが大体70万点でトップです。後は咏さんとはやりさんが両方とも40万点くらいで――」

「くらいってなんだよ! 私の方が上ならはっきり言えって」

「京太郎くん、はやりの方が上だよね?」

「すいません、本当に申し訳ないんですが、その辺はどうもはっきりしなくって」

 

 途中、淡の打ち回しに夢中になり過ぎて、点数のやりとりを全く把握していない局がいくつかあるのだ。それ以外の点数を比較すると、咏とはやりの獲得点数は咏が僅かに300点上回っているだけ。勝負の行方は京太郎には解らない。本当のことだ嘘ではない。

 

「咏ちゃん、京太郎くんは優しいね。本当ははやりが勝ってるのに、咏ちゃんを思いやってうやむやにしてくれてるよ?」

「あんたの大ファンだから言えねーだけだって。知らんけど」

 

 結果がうやむやならば喧嘩はしないと思っていたら、そうでもなかった。うやむやな部分を各々が都合の良いように解釈し、そこから新たな火種が生まれている。お互い、相手よりも上でないと気が済まないのだろう。年齢は3つも離れているが、プロの世界ではあまり関係がない。実力が拮抗していれば、その時点でもうライバルなのだ。咏とはやりの縁は、小学生の頃から続いていると聞いている。昔からお互いを知っているだけに、他のプロよりも思うところがあるのだろう。

 

 この人たちが喧嘩を始めたら、京太郎が関わると余計に話がこじれることになる。思う存分喧嘩をさせようと心に決めた京太郎は、淡に向き直った。トッププロ三人を相手に、何とか半荘をやりきった少女はしばらく卓を眺めてぼーっとしていたが、京太郎が傍らに立っているのに気づくと、それまで目じりにためていた涙を溢れさせた。

 

 これはヤバイ、と京太郎が直感し、声を挙げるよりも先に、淡は決壊した。

 

「――須賀のバカーっ!! もっと優しくしてくれてもいーじゃん!!!」

 

 あわー、と全力で号泣する淡を前に、京太郎は久しぶりに同級生の女子を相手に狼狽えていた。伸びた鼻をへし折られてがっつりへこむ、くらいには考えていたが、ここまで泣くとは思っていなかった。とかく男は女の涙には弱いものである。それがここまで力強く泣いているのだから、女性に囲まれて生きてきた京太郎でも、どうして良いのかも解らなくなっている。

 

 たまらず、助けを求めるために師匠たちを見れば――

 

「あ、この間お友達から聞いたんだけど、北千住に美味しいモツ煮のお店があるんだって。京太郎くんは日帰りみたいだから、この後三人で行かない?」

「いいねー、モツ煮」

「女子会ってやつだね」

 

 既に全て勝負は終わったとばかりに、この後の話をしていた。心は既に麻雀からモツ煮と酒に移っている大人たち三人を前に、京太郎は切実に吠える。

 

「ちょっと待ってください。できたら助けてほしいなと思うんですが!」

「男と女が同じ部屋にいて女の方が泣いてたら、そこまでにどんな理由があったとしても悪いのは男の方だぜ? そもそも自分でここまで連れてきたんだ。最後まで面倒見るのが男ってもんだろ?」

 

 突き放すような物言いだったが、咏は京太郎と淡を交互に眺めた。どういう対応をするのか、興味があるのだろう。見れば健夜もはやりも、こちらに視線を向けている。観戦気分で、完全に他人事だ。頼んだのは確かに京太郎自身だが、咏たちが片棒を担いだのも事実である。

 

 友達のほとんどが女性という稀有な環境で育った京太郎だが、未だに女心というのは良く解らない。普段から気を付けているだけに、ここまで号泣する女性に相対したのは数える程しかないから不安なのだ。あわあわ泣き続ける淡を前に、あー、とかうー、とか意味のない言葉を発しながらも、どうにか淡を泣き止ませることができないか、考える。

 

「その、なんだ。楽しかったか? 麻雀」

 

 れーてん! とはやりが合いの手を入れる。淡が今大変複雑な気分であることは、泣いているのを見れば解る。確かにぼこぼこにされた直後に聞く言葉でもないが、他に聞くことも思いつかなかったのだ。

 

「たのしーわけ、ないじゃん……」

「まぁそうだよな。でも、途中で色々考えただろ? どうやればアガれるのかとか、そういうの。ダブリー止めたのは良い判断だったと思うし、点数を気にしないで早アガリに徹したのも良かったと思う」

「だって、他に早く終わらせる方法なかったし」

「途中でもうやだって言ったって良かっただろ? でも、大星はそれをしなかった。言い訳もできないくらいはっきりと負けたのに、それでも勝負を投げ出さなかったのは、凄いと思う」

「ほんとに?」

 

 泣き顔の淡に、ようやく喜色が浮かぶ。その顔を見て、こいつは褒められて伸びるタイプだな、と京太郎は直感した。既に中学での公式戦に出る機会はないだろうが、高校生としてのデビューはもう少し先だ。中学時代に全く実績がないということは、情報を隠す上でとても都合が良い。

 

 中学生でいられる時間はもう半年しかないが、まだ半年とも言える。淡くらいのオカルト持ちならば、今からちゃんと鍛えるという前提ではあるが、どこの学校でも引く手数多だろう。例えば、照の入学した白糸台であったとしても――

 

「俺が面倒みるからさ。もっと練習してみないか? 練習相手は用意するし、高校でも麻雀やりたかったら、凄い場所を用意できると思うぞ?」

「宮永テルーのところに、私でも行ける?」

「あの人たちは知らなかったのに、照さんのことは知ってるんだな……」

「私たちの学校の有名人だもん。で、あの人たち誰? 凄い強かったけど、テルーより強い?」

「日本で麻雀の強い人上から三人だよ。照さんよりもすごく強い」

「うそっ!!」

 

 ようやく気付いた淡に、咏たちはひらひらと手を振って見せる。現在、日本のトップ3である三人は、若者の育成には余念がない。今日は京太郎に唆されて叩きのめしたが、本来であればもっと段階を踏む。持っているオカルトは攻撃的で、判断力も悪くない。おまけに最後まで勝負を投げ出さなかったガッツは、勝負師として見どころがあった。

 

 今もきゃいきゃい騒ぎ出す淡に、快くサインなど書いてやっている。これくらいの実力を持つようになると、少しくらいアホで反骨心がある方がかわいいものだ。

 

「それで、麻雀の練習とかやるか?」

「やるっ!!」

「皆が皆、大星みたいに話が早いと助かるんだけどな……」

 

 とは言え、ちゃんと練習してくれるのならば京太郎としては言うことはない。京太郎にとって、麻雀の才能を持った人間が埋もれてしまうのは、大きな機会の損失である。競技者であると同時に、京太郎は観戦者だ。単純に凄い能力を持った人間が麻雀をしてくれるのだ。少なくない身銭を切って、東京まで出た甲斐もあったというものである。

 

 


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