セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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50 中学生三年 SMT編② 淡、戦う

「あー、おいしかった!」

 

 オムライスを綺麗に平らげた淡はご満悦だった。京太郎が前から行ってみたいと思っていた洋食屋でのことである。昼食時の日曜日ということもあって混んでいたが、中学生のカップルを周囲の人々は生暖かい目で見守っていた。髪の色から兄妹にも見えなくもないが、お互いに名字で呼んでいるからそうではないのが分かる。

 

 雑誌などに紹介されるだけあって、値段設定は少々お高めだ。中学生がランチをするには正直、少しばかり敷居が高い店だったが、京太郎には特に気にした様子はない。淡の分も旅費を持つのは正直痛い出費だったが、それは欠片も顔には出さなかった。

 

 男が女性を誘ったのである。特に申し合わせがない限りは、出費は全て男が持つのが筋というものだ。そもそも、大して話したこともない男の誘いに乗ってくれただけ、感謝すべきだろう。

 

「それにしても、歯磨きまでするって小学生みたいだな」

「私も普段は別にしないんだけどさ? 須賀と遊びに行くって話したら、お母さんが『ちゃんと歯磨きしなさい』って歯ブラシセット渡された!」

「余所に行くからじゃないか?」

「かもね。後、これお母さんから。須賀と一緒にご飯の後に食べなさいって」

 

 淡がポケットから取り出したのは、何の変哲もないミント味の飴である。大星母の意図が解らない京太郎だったが食後に飴というのも不自然なものではない。飴を受け取り、からころと口の中で転がしながら淡を見ると、彼女が転がしているのはレモン味だった。実は歓迎されていないのだろうか。会ったことのない大星母に申し訳ない気持ちになりながらも、淡を連れた京太郎は目的地を目指した。

 

 京太郎が師匠から指定されたのは、都心にあるとある雀荘である。麻雀好きの学生が気楽に遊べるように、都心には結構な数の雀荘が存在しているが、そういう雀荘とは明らかに一線を画している高級な店だ。看板を見た淡はその高級感に腰が引けていた。どう見ても子供だけで入るような店ではないし、こういう店に入るには自分たちの服装はカジュアル過ぎる気がしたのだ。

 

「ねえ須賀、こういう所って、ピアノの発表会みたいな服着ないといけないんじゃないの?」

「流石にそこまでじゃないんじゃないか。服をどうしろって言われてないし」

 

 ここまで来て服装で追い返されてしまったら、同級生の女子と東京までオムライスを食べに来ただけで終わってしまう。オムライスは美味しかったのでその点については後悔はないが、あの三人を集めて何もしないというのは麻雀好きとしては勿体なさ過ぎる。

 

 まごついている淡の手を引いて、店に入る。受付に立っていた初老の男性は、明らかに未成年な手を繋いだカップルがやってきたことに、目を丸くしていたが、

 

「三尋木咏さんの名前で予約が入ってると思うんですが、須賀京太郎です。取次お願いできますでしょうか」

 

 咏の名前が出たことに更に驚いた。確かに咏に後から『須賀京太郎という男性』が一人か二人ともなって来店するとは聞いていたが、それが未成年とは聞いていなかった。二人は、店の雰囲気にはっきりと浮いていたが、まだ日は高い。それに、これは日本を代表するトッププロの紹介だ。未成年とはいえ、それならば問題はない。

 

「かしこまりました。少々お待ちください」

 

 内線電話で確認して、しばし。今度はきちんと受付としての表情に戻った男性は、自ら京太郎の案内に立った。案内されたのはその店で最も高級な部屋である。時間が時間であれば酒も食べ物も出す部屋で、セットも巷の雀荘のように時間単位ではなく一晩、一日単位で借りる。

 

 店の内装の通り、借りるには高級な金額が必要になる。プロでもあまりこういう場所は使わない。使うのは麻雀好きのお金持ちだが、美味しい物を飲み食いができる以外に、大きなメリットが一つあった。秘密厳守。ここで起こったことは外に漏れることはない。

 

 例えばプロ三人がよってたかって中学生の少女を麻雀で袋叩きにするようなことがあっても、店はおそらく何も言わないだろう。部屋の扉を開けると、初老の男性は一礼して去っていく。

 

 まだ緊張した様子の淡に一度頷き、京太郎は扉を開けた。

 

 広い部屋の中央に、最新の全自動雀卓が一つ。向かって手前の席だけが空いており、他の三つの席は埋まっていた。

 

「ほら、やっぱり女だったじゃねーか」

 

 向かって右側、小柄な体には大きく見える椅子に座った着物姿の女性は、京太郎の師匠である三尋木咏だ。椅子の上で足をぱたぱたやりながら、扇子を広げて残りの面々に得意げに振る舞っている。

 

「えー、はやり的にはちょっと減点かな。女の子を連れて女の子に会いにくるなんて、感心しないぞ!」

 

 左側。相変わらず世界一かわいいのは、瑞原はやりである。京太郎が視線を向けると、彼女はにっこりと微笑んでくれた。憧れの女性の笑顔に思わず頬が緩みそうになる京太郎だったが、最大限の理性で押しとどめた。咏の鋭い視線が、身を貫いたからだ。

 

 京太郎がはやりの大ファンであることは、咏も知っている。彼女は弟子の趣味に口を出す程狭量な師匠ではないが、弟子が目の前でライバルにでれでれするのを受け入れられるほど、寛容な女性ではなかった。京太郎の反応と咏の態度は、はやりにも伝わる。京太郎の前で、はやりは咏に一瞬だけ勝ち誇った表情を浮かべてみせた。

 

 離れて見ていた京太郎には、咏に青筋が浮かぶのがはっきりと見えた。はやりと二人きりであったらこの時点で飛びかかっていただろうが、弟子の前では大人ぶりたいのが師匠というものである。弟子の視線があることを意識していた咏は努めて大人であろうとした。

 

 無理やり怒りを押し込めている咏を他所に、正面の席に座った最後の女性に視線を向ける。史上最強の日本人雀士。小鍛冶健夜がそこにいた。

 

「お久しぶり、京太郎くん。その子が、連絡の子?」

「ええ、その通りです。今日はお三方に、こいつを叩きのめしてほしくて」

「まぁ、私のらくしょーだけどね!」

 

 緊張している自分を隠そうとしているのだろう。必要以上に強がった淡が前に出て、三人を前に大見得を切る。

 

 仮にも、麻雀をやっている人間ならば、この三人の顔を知らないということはないのだが、麻雀を始めてまだ一週間程度の淡は、それまで全く麻雀というものに興味を持ったことがなく、最も有名な女子プロ三人と言っても過言ではない彼女らの顔を、全く知らなかった。

 

 日本を代表するプロ三人は、無知な中学生の蛮勇に苦笑を浮かべる。その中で、こういう向こう見ずな若者が嫌いではない咏は、いつもの掴みどころのない笑みを浮かべながら、淡に問うた。

 

「で、その心は?」

 

 咏の言葉に、淡は首を傾げて京太郎に視線を向ける。京太郎は、何で淡がこちらを向いたのか理解できない。助けを求めるように咏を見るが、咏は肩を竦めるだけだ。淡は淡で、自分が見てやっているのに、京太郎が他の女を見ているのが気に食わない。こっちを見ろと地団駄を踏んだ淡は、京太郎の顔を掴むと、その眼を覗き込んで言った。

 

「今の、どーゆー意味!?」

「…………ああ、そういうことか。『理由を教えろ、この小娘』ってとこかな」

「小娘ってなにさ! 私の方がおっきいじゃん!」

 

 正直過ぎる淡の言葉に、はやりと健夜は吹き出した。確かに咏は小さい。プロとして登録されている女性雀士の中でも、身長の低さではトップを独走している。合法ロリとその筋には大変人気で、普段であれば咏も中学生にからかわれた所で気にもしないのだが、長年の友人であるはやりと健夜がいる場所で、愛する弟子の目の前で小さいと言われたことは、地味に長い彼女の堪忍袋の緒をぶった切った。

 

「おーし、小娘そこに座れ。京太郎の頼みでもかわいそうだから半殺しくらいで勘弁してやるつもりだったが、九割くらいは殺してやるから覚悟しな」

「咏ちゃん大人げないよ。もう少し大人になろうよ」

「私は小さいらしいからな! 大人気(おとなげ)なんてもんは、今さっき捨てちまったよ! 知らんけど!」

 

 ぷりぷり怒っている咏は、既に手が付けられない状態になっている。それでも健夜は何とかしようとしていたが、咏の怒りが収まる様子はない。それを他所に、今度はこの時点では一番大人だったはやりが、淡に問うた。

 

「えと、淡ちゃんだったかな。らくしょーな理由をまだ聞いてないんだけど、教えてもらって良い?」

「いいよ! なんたって、私が一番若くてかわいいからね!」

 

 くるーり一回転して、軽くポーズまで決めている。様になったその態度を見て、こいつは本物のアホの子なんだなと理解した。蛮勇もここまでくると見事なものだが、そう思えるのは京太郎が傍観者だからである。相対的にばばあであると言われたに等しいはやりと健夜は、淡の物言いに大人であることをあっさりと放棄した。

 

「咏ちゃん、はやりも協力したくなってきたよ。これは全力全開でお話ししないといけない流れだよね?」

「私もそうしようかな。来年高校生になるなら、ちょっとくらいは世間の厳しさを知るのも必要なことだよね」

 

 やる気に火がついた三人を見て京太郎は寒気を感じた。卓に着いていないのにも関わらず、運を吸われているような気がする。本気の本気になったプロ三人に、流石に同級生として淡の未来が心配になった京太郎だったが、そんな彼の心情など知る由もない淡は、得意気な表情をしたまま最後の席に着いた。

 

 卓を前に、四人が揃ったのならばやることは一つである。言おうとしていたことを全て諦めた京太郎は、サポート役に徹することにした。

 

「それじゃあ、ルールの確認をします。アリアリの東南戦。25000点持ちの30000点返し。ノーレートでウマはワンツー。ダブロン、トリロンあり。四人リーチ続行。箱を割っても続行。發がなくても緑一色成立。スーカンツはカン成立時点で成立――」

 

 細かいルールを列挙していくが、明らかに淡は聞いていない。一週間前にルールを覚えて、麻雀部で腕試しをしたのなら、アリアリくらいでしか麻雀をやったことはないはずだ。やたらポンチーをしたがる性格だったら、こっそりナシナシのルールにされたら一発でチョンボだったが、麻雀部を襲撃した時の牌譜を見るに淡は面前派だ。

 

 初心者の傾向は主に二つ。ひたすら鳴いて役牌かタンヤオかトイトイを付けるか、とにかく鳴かずにリーチしてツモるかだ。淡の麻雀は後者であるので、よほど初心者を殺すルールでもない限りは、チョンボを受けることはないだろう。

 

 他に牌譜から解る傾向として、基本的に他人の手がとてつもなく遅くなっている。淡が座っていた局は例外なく5シャンテン。手が来ない時なんてものは良くあることだが、それが三人全員、ずっと続くということは中々あることではない。

 

 淡が意図的に引き起こしているとしたら、なるほど、確かに強力なオカルトと言えるだろう。これを突破するだけのオカルトか絶対的な運量を持たない限り、元々運が太い淡に対してハンデを背負うことになる。彼女が初心者であることを考慮に入れても、それはかなり大きなハンデだ。同級生相手ではそれこそ、全国までコマを進めても大抵の人間は相手にならないに違いない。

 

 勝ち続けたという事実が、淡に自信を与えていた。自分が勝つということを疑っていない淡は、三人を前にしても余裕の表情を崩していない。対して、咏たちは怖いくらいに落ち着いて見えた。怒り心頭でありつつも、相手を観察するその顔はプロの顔である。

 

 サイコロが回り、出親が淡に決まる。その瞬間、淡は力を解放した。癖のある淡の髪がゆらりと動くと、卓を力が包みこむ。間近で見るのは初めてだが、確かにこれは強い力だ。中学生の放ったそれに、プロ三人は僅かに眉根を寄せたが、それだけだった。咏に視線を向けると、小さく片目をつぶってウィンクされる。

 

 問題ない、ということなのだろう。麻雀における運の太さにおいて、この三人は常人とは比べ物にならない。淡から押し付けられたハンデなど、何の問題もないという風に振る舞う三人にプロの凄みを感じる京太郎だった。

 

 配牌を開けた淡は、理牌もせずに、点棒箱からリーチ棒を取り出した。

 

「リーチ!」

 

 一番端の牌を掴んで、河で横に曲げる。開幕、一発目からのダブリーである。短気な街のおじさんであれば牌をぶん投げたくなるような光景だが、5シャンテン縛りと同様、これが淡のオカルトである。ハンデを背負わされた上に棒攻め。救いがあるとすれば、

 

 ニ三四六六六678⑥⑧西西 ドラ9

 

 ダブリーのみで、この時点では手が安いということだろう。だが淡は特定の場所でカン材をツモってカンをして、その後にツモるか出アガる。しかもカン裏ドラが必ず乗るので、値段は最低でもハネ満になる。ドラがそれ以上乗るならばさらに手がつけられないことになるのだが、能力としてはおそらくこれくらいで打ち止めだ。

 

 淡は出親だ。ここから誰にもアガられず、淡だけがツモってゲーム終了。そういう半荘も牌譜にはあったが、相手はこの三人だ。淡々とツモって切る彼女らに、危機感は見られない。観察していると、何度かアガれるタイミングはあったはずだったが、三人が三人とも手を回すことを選んでいた。

 

 不穏な空気だ。ぶちのめしてくれと頼んだのは自分だが、これは想像を遥かに超えている。淡の精神は大丈夫だろうか。今さらながらに不安になるが、サイコロは回った。始まった勝負を途中で打ち切ることはできない。

 

「カン!」

 

 条件を満たした淡がカンをする。ここから数順以内に淡はアガるのだろう、普通であれば。

 

『リーチ』

 

 淡のカンを受けて、三人が同順にリーチをかける。たった一人を狙い撃ちしようという気配が、卓についていない京太郎にもひしひしと感じられた。

 

 同卓している淡は、それ以上に悪寒を感じているだろう。アガらなければやられるのは目に見えていた。とにかく淡は、アガるしか道はない。

 

 だが、その直後にツモってきた牌は九筒だった。無論のこと、淡のアガり牌ではない。リーチをかけている淡はアガり牌でなければそれを切らなければならないが、非凡な感性をしている淡は、この牌を切ってはいけないと肌で感じ取っていた。

 

「どうしたんだい、小娘。アガりじゃないなら、さっさと切ればいいんじゃね?」

 

 咏の煽りに、ぐぬぬ、と呻いた淡は力なく牌を切った。その牌に、

 

『『『ロン』』』

 

 三人の声が、当たり前のように重なる。

 

「まずは私からだな」

 

 ①②③③④⑤⑦⑦⑧⑧⑨北北 ドラ9 ロン⑨

 

「リーチ一発平和混一色イーペーコー赤1。倍満だな、16000」

「咏ちゃんてば優しいね。はやりはこれだよ!」

 

 一ニ三七八九11789⑦⑧ ドラ9 ロン⑨

 

「リーチ一発平和純チャン三色表1ウラウラ。三倍満だね。24000」

「さて、それじゃあ本命行ってみようか」

 

 ぱたり、と健夜の手が倒される。

 

 444⑨白白白發發發中中中 ドラ9 ロン⑨

 

「リーチ一発大三元四暗刻。役満の重複ありのルールだから、64000だね」

 

 大打撃が三回続いた。流石に淡の目も点になっている。三人合計で104000点。普段の麻雀であれば四回も飛んでいる出費だが、アホの子の淡は気持ちの切り替えも早かった。

 

「次! 次に行こう!」

 

 予想していた淡の主張に、京太郎は淡の肩をそっと叩いた。ルールの確認は、しつこいくらいにしろ。咏に麻雀を教わり始めた頃に学んだ事柄である。

 

 初めてからルールの認識の差に気づいても、後にはトラブルが残るだけだ。仲間内ならば、金や物が絡むこともあるだろう。金の切れ目が縁の切れ目である。注意すれば回避できるトラブルならば、回避するに越したことはない。

 

「大星。今回のルールは、箱下続行アリだから、このままだ」

「そうそう。なぁに。たかが10万点くらい、あんたが本当に天才なら取り戻せるさ。知らんけど」

「麻雀は、最後まで逆転を諦めちゃいけないんだぞ☆」

「後七局もあるし、最後の親番もあるからね。希望は捨てちゃいけないよ」

 

 欠片も勝たせるつもりもない大人たちが、淡を見ながら微笑んでいる。楽天的に、自分の勝利を疑わなかった淡は、この時初めて、恐怖で身震いした。

 

 


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