今回のインターハイ編は登場キャラが多く、また初めて出てくるキャラもニ、三いるため時系列順に掲載するのを見送りました。
便宜上①、②と振っていますが、若い番号の方が必ずしも前ということではないのでご注意ください。
共通ルールは
・咲さんは夏風邪を拗らせて寝込んでいるため、京ちゃんだけ先に東京入り。咲さんは個人戦が始まるくらいから合流します。
・モンブチーズは個人戦には参加してません。団体戦が終わったら個人戦を見ずに帰ります。咲さんとは入れ違いです。
・今回のシードは白糸台、千里山、姫松、臨海の4つです。白糸台と千里山がAブロック。臨海と姫松がBブロック。モンブチはBブロックで、姫松のグループです。
照の激励と差し入れのために白糸台の控え室を訪ねた京太郎は、その扉が見えるよりも大分手前で、白糸台の制服を着た女子二人に呼び止められた。
控室の近くということから、彼女らが麻雀部員だということは京太郎にも推測できた。刺すような視線を送ってきていることから、警備のような役目を負っていることも、何となく理解できる。同時に、自分が歓迎されていないことも肌で感じていた。
女子部ならばこんなものかもしれない、と京太郎は胸中で嘆息する。私生活では残念でぽんこつな照だが、外面がしっかりしている故に校内外にファンが多く、主に女子のファンからは照の周囲に男の気配があることを歓迎しない声が多いと菫から聞いていた。
眼前で通せんぼをしている二人は、おそらくそういう強硬派の人たちなのだろう。不審者でも見るような目つきが、中学生男子の心には痛かった。その目には、是が非でもここを通さないという意思がこれでもかという程に感じられる。
その気持ちは理解できなくもない。
何しろ今はインターハイの真っ最中だ。前年度の優勝校である白糸台は照が入学する前も強豪校の一つではあったが、全国優勝をしたのは、照が入学しての一度が初めてだった。インターハイ連覇というのは過去に例がない訳ではないが、そうあることでもない。これに、今後十年の浮沈がかかっているとばかりに、インターハイ連覇にかけ白糸台と麻雀部の意気込みは、半端ではなかった。
麻雀誌にグラビアが乗るなど、アイドル扱いをされている向きも照にはある。男の影がちらついては、スキャンダルにもなるだろう。故にあまり近寄ってほしくないという学校と部の言い分は解るのだが、京太郎にも譲れない事情があった。
ここを通してもらわないと照におかしを渡せないのだ。おかしは咲以外で、照の一番の原動力である。おかしを食べないと力が出ない……ということはないだろうが、モチベーションが大きく低下することは間違いなかった。咲が風邪をこじらせてここにいない以上、これを届けるのは京太郎の最大の使命だった。
「宮永照さんの後輩で須賀京太郎といいます。差し入れを持ってきたので、通していただけませんか?」
「試合前には誰も通すな、と監督から言われております。お引取りください」
取り付く島もないとは、このことである。
こんなことなら事前に連絡をしておけばよかったと後悔しながら、京太郎はスマホから『リンちゃん』を呼び出した。待つこと6コール。電話に出た菫は、声だけでも解るほど焦燥感に満ちていた。
『京太郎か? 照がイライラしてるぞ。さっさと来てくれ。今どこにいる?』
「控え室の手前の廊下にいる。関係者以外立ち入り禁止とかで、入れないんだけど」
『すぐに行く。そこを動くな』
スマホを仕舞い、まだ睨んでいる女子二人に背を向けて待つことしばらく。廊下の奥から菫が小走りでやってきた。真っ白なワンピースの制服に、長く黒い髪が良く映えている。京太郎には刺すような視線を送っていた女子二人は、奥からやってきた菫に慌てて直立不動の姿勢をとった。お疲れ様です! と最敬礼する後輩二人に、菫はぱたぱたと手を振った。
「連絡が行き届いていなくてすまない。こいつは大丈夫だ。監督にも許可をもらってあるから、入れてやってくれ」
「弘世先輩……でも、男子ですよ?」
「そうだな。実は女子であったりすると、話が楽にまとまるようなんだが、そんなことはないよな?」
「ねーよ」
真顔で冗談を言う菫に、京太郎は軽口で答える。二人の間ではいつものやり取りだったが、女子二人には違ったらしい。
照の後輩であれば最高でも自分達と同級生、その多くの場合が年下だ。そんな男子が菫と気安く口をきいているのが、彼女らにとっては面白くなかった。いきなり殺気だった女子二人に腰が引ける京太郎だったが、彼女らは睨むだけで二人のやり取りには口を出してこなかった。
文化部とは言え、学年、役職、実力による上下関係は絶対だ。
部内チーム戦では宮永照を擁するチーム虎姫がぶっちぎりのトップである。三年が引退し、今の二年が部内の最高学年になると、必然的に次の部長は虎姫の中から選出されることになる。照は対外的な態度は完璧すぎる程に完璧であるが、部を纏めるのに向いているかと言われればそうではない。監督もできれば照に任せたかったらしいが、向いていないことは誰の目にも明らかだった。
何より、部長というのは色々と煩雑な仕事が増えてくる。宮永照には麻雀と広報活動に専念してもらいたいというのが、学校の正直なところだった。ならば、と照の補欠で白羽の矢が立ったのが、部内で照を最も上手く御することのできる人間、弘世菫だった。監督のお墨付きと照の推薦という強力な後押しで次期部長が内定している菫は、まだ引退していない三年生と、実力において頂点に立つ照を除けば、部内で最も権力を持った部員だった。
そんな菫が大丈夫というのだから、平の一年生部員はどれだけ内心で納得していなくてもそれに従うより他はない。殺気立つ二人の後輩と、腰が引けている親友を交互に見た菫は、溜らず苦笑を浮かべた。
「二人とも、そんな顔をするな。こいつはこう見えて白糸台の恩人だぞ? こいつが白糸台を勧めなければ、照は間違いなく違う高校に行っていただろうからな」
菫の衝撃の告白に、女子二人は目を見開いた。反対に、何だか恥ずかしくなった京太郎は視線を明後日の方向に向ける。
本当は長野の高校、風越か龍門渕を推すつもりだった。白糸台を勧めることになったのは、パンフレットの表紙に載っていた白いワンピースの制服を着ている照を、見てみたいと思ったからだ。自分の煩悩のせいで大事な先輩である照が遠くに行ってしまったのだと思うとやるせないが、自分の行動が決め手になったことは、菫の言った通り事実である。
菫の言葉に京太郎が全く反論しないことで、女子二人は彼女の言葉が真実だと悟った。
それからの行動は早い。二人は京太郎に向かい、菫にしたように姿勢を正すと、深々と丁寧に頭を下げた。
『知らぬこととは言え、大変失礼いたしました』
素早い変わり身である。後輩への教育が行き届いていると言えば聞こえは良いが、実際にそうされてみると恐怖すら感じる。菫に対してこれでは、照に対してはもっとアレなのだろう。そんな環境に置かれたら京太郎は三日で逃げ出す自信があったが、その点照は肝が太い。不満があれば口にするタイプでもあるし、意見を吸い上げてくれる菫もいる。菫とは頻繁に連絡を取っている京太郎だが、彼女から照が不満に思っているという話は聞いたことはなかった。
「ちなみにこいつは、私の前の宮永係だ。照をコントロールすることに関してはおそらく、世界で一番の腕を持っているぞ」
菫の言葉に、二人はより深く頭を下げる。まるで黄門様の印籠を見た悪代官のようである。良くみれば二人とも、かたかたと震えていた。照をコントロールできるということは、白糸台の部内の勢力図に関与できるということでもあった。中学生の男子に大それたことができるはずもないが、『かもしれない』というのはそれなりに恐怖を生み出すものである。
菫を見れば、そんな後輩を面白がっているようで、腹を抱えて小さく笑っていた。やめてやれよ……と無言で口を動かすと、菫は小さく咳払いを一つ。次期部長の顔になって、二人に楽にするようにと言った。
「こいつには今日、照の大好物の手作りお菓子を持ってきてもらった。これがないとあいつは機嫌が悪くなるからな……ちゃんと大会最終日までの分は持ってきただろうな?」
「その辺抜かりはないよ」
「それは何よりだ。とにかく、こいつは連れて行く。引き続きよろしく頼む」
『了解です!』
直立不動の女子二人に見送られ、菫と共に京太郎は廊下を歩く。ちらりと振り返ると、どっと全身の力を抜いている女子二人が見えた。流石に今のやりとりはプレッシャーだったらしい。
「……高校の部活ってのは皆こうなのか? 随分物々しいんだな」
「宮永照を神格化してる輩が多くてな。後輩たちの間ではいつの間にか、あれが普通になっていた。止めろとも言い難かったから、無理矢理良い方に考えることにしている。周囲を生徒でガードすれば、照がぽんこつとバレる可能性も低くなるだろうしな」
「別にバレても良いと思うけどな、ぽんこつ」
かわいいし、と本音を漏らすと、菫はこれ以上ないというくらいに渋面を作った。普段から苦労している人間、特有の顔である。
「そう思えるのは世界でもお前くらいだ。あいつの外面の良さは知っているつもりだが、私はあいつが如才なくインタビューに答えている時でさえ、いつボロを出すのかと気が気じゃない」
「咲も一緒だったらリンちゃん、倒れるんじゃないか?」
「私は次席の宮永係だからな。NO.1はお前で間違いない。代わりたければいつでも代わってやるから、気軽に声をかけてくれ」
「そういうなよ。嫌いじゃないだろ、宮永係」
菫は顔を背け、まぁな、と小さく答えた。何だかんだで菫も、照のことが好きなのだ。高校に入ってからの付き合いであるが、照からも菫が大事な友達であることは良く聞いてる。同時に、こういうところが口うるさいという愚痴も良く聞くが、それも愛情の裏返しだろう。
「さて、ではついてこい。三年の先輩は監督と出払っているから、今の内だ」
「そりゃあ、俺には都合が良いけど、どうしたんだ?」
「照ほどの実力者になれば、多少の無理は通るんだ。精神統一だとかコンセントレーションを高めるだとか、もっともらしい理由をつければ大抵は上手く行くようになっているぞ」
「どっちも照さんのイメージには合わないんだけど」
「それは私も同感だが、使える物は使っておかないとな。その特権のおかげで、お前は照と旧交を温めることができる訳だ。懐かしいだろう顔も一つあるから、一緒に激励でもしてやってくれ」
菫の言葉に、京太郎は今年白糸台に入学したという昔馴染みの顔を思い出していた。菫が厳しいとほぼ連日愚痴を漏らす彼女だが、そのシゴキの甲斐あってか、三年卒業後のレギュラーに内定しつつあるらしい。かつては同じ教室に通っていた間柄だが、直接顔を見るのは二年前に釣りに誘ってもらって以来である。
旧友との久しぶり対面に心を躍らせる京太郎の前で、菫は控室のドアを開けた。
広い控室は、龍門渕のものと同じである。広々とした部屋の中には、見覚えのある赤毛の少女がいた。
「京太郎!」
「今年も応援に来ました。これ、クッキーです」
「いつもありがとう」
京太郎の渡した紙袋を、照は大事そうに受け取った。一日分ずつ小分けにした袋を一つ取り出し、早速口に運んでいる。ぽりぽりと餌を食べるハムスターのような姿を見ていると、二つも年上の先輩で、現在最強の女子高生とは思えなかった。咲に比べれば随分と大人びた顔立ちをしているが、こうして見ると姉妹だな、と感じるくらい面差しが良く似ている。
「須賀!」
「誠子さん、お久しぶりです」
おかしを食べる照をほんわかした気持ちで眺めていると、昔馴染みが駆け寄ってきた。短く刈り込んだ髪は相変わらずで、制服も照や菫のようなワンピ―スではなく、上は白いセーラーに下はスパッツと、まるで運動部員のような恰好だった。これだけを見れば麻雀部とは思わないだろうが、付き合いの長い京太郎は誠子のこういう恰好を見慣れていた。釣りに行った時も、そう言えばこんな恰好をしていた気がする。
気安い口調で昔話に花を咲かせる二人を、照はおかしを食べる手は止めないまま小さく首を傾げ、疑問を口にした。
「誠子は京太郎と知り合いなの?」
「小学生の時に教室が一緒でした」
照からの質問に、何も考えずに真実を答えた京太郎は誠子が一瞬強張った顔をしたのを見て、しまったと思った。二人は視線だけで、菫を見る。菫が一日だけあの教室にやってきたこと、それ自体は秘密にすることでも何でもないが、あの日菫が誠子に負けて半べそをかいて逃げ帰ってしまったことは、三人の間で――特に京太郎と誠子の間ではトップシークレットだった。
自分より年上の人間がおらず、実力的に劣る人間ばかりが相手だった中学三年の一年と、自分よりも年上の人間しかおらず、実力で勝る人間に囲まれた高校一年の一年では、どちらがよりタメになるかは言うまでもない。当時は拮抗していた菫と誠子の実力も、この一年で大きく差が開いてしまった。
何より菫は次期部長であり、誠子にとっては虎姫の先輩でもある。かつて勝ったことがあります、ということを吹聴しても誠子にとって良いことは何一つないのだった。
「……菫と京太郎は、同じ教室とか言ってなかった?」
「それは違う教室のことですよ」
照の指摘に、京太郎はとっさに嘘をついた。
京太郎が東京にいた時通っていた教室は誠子のいた一つだけなので、詳しく調べれば解ってしまうことではあるのだが、小学生くらいまでは複数の教室に通うということは良くある話で、その辺りは照の方が良く知っている。クッキーをもぐもぐしながら照はじっと京太郎の顔を覗き込んだが、やがて興味をなくしたのか、おかしに専念し始めた。色気よりも食い気を優先した照に、京太郎を始め三人はそっと溜息を吐いた。
菫があの教室に来たのは一日だけだ。顔を覚えている人間さえほとんどいないだろうし、仮にいたとしても白糸台の弘世菫と繋げるのは難しい。菫のあの敗北については、京太郎と誠子が口を噤んでいれば永久に闇に葬られる。誠子ももちろんそれをネタに菫を強請ろうとは思っていないし、菫もそれを恩義に感じて手心を加えたりはしない。かつての対戦相手が同じチームというのも奇妙な縁であるが、誠子が虎姫の候補に上り詰めたのは単純に、彼女の実力に寄るものである。
「亦野は知ってるようだから紹介は省こう。こっちが渋谷だ」
菫に促されて前に出てきたのは、いかにも内向的に見える少女だった。
清潔ではあるが洒落っけの少ない髪に眼鏡。俯きがちな視線に、やや猫背な立ち姿。これで三つ編みおさげだったらパーフェクトだ。麻雀牌を握っているよりは、図書委員でもやっているのが似合いそうな風貌である。もちろん、おもちなところも含めて。
「はじめまして、須賀京太郎です」
「渋谷尭深です」
眼鏡の奥のたれ目が、京太郎を見つめている。見てて癒される目だな、と京太郎が感心していると、尭深は不意に腕を差し出した。親指だけを立てた、いわゆるサムズアップの形である。その仕草をする意味が解らなかった京太郎は菫に視線を向けたが、彼女も意味が解らなかったのか僅かに驚いた顔で首を横に振った。誠子も同様である。
つまり尭深は、普段一緒に部活をしている人間すら意味の取れない行動を、初対面であるはずの京太郎に向けてしているのである。菫たちの反応を見るに、普段から奇矯な行動をするタイプではないのだろう。そうでなければ菫が、驚いたりするはずがない。
この仕草には一体どういう意味がと考えてみたが、やはり京太郎にはその意味が解らなかった。観念してどういう意味ですか? と視線で問うてみるが、尭深からの返答は腕をその形のまま、もう一度突き出すことだった。お前もやれ、という地味に強い意志を感じる。何故? という疑問は残るが、付き合うだけなら大した手間でもない。京太郎が腕を伸ばして親指を立てると、尭深は満足したように小さく微笑み、腕を引っ込めた。
「渋谷、お前何がしたかったんだ?」
菫の問いは照以外の全員の疑問を代弁したものだったが、尭深の返答はそっけなく。
「いえ。大したことではありません。お時間を取らせました」
用事は済んだとばかりに奥に引っ込んで、お茶を淹れはじめる。高そうな湯呑を見るに、おそらく自分用だろう。完全に自分に興味を失ったらしいおもちでメガネの美人に心中でがっかりしていると、とりあえずおかしに満足したのか照がつつ、と寄ってくる。
その頬にクッキーのくずがついているのを見つけた京太郎は、無言でポケットからハンカチを取り出すと、それを丁寧に払い落とした。照はされるがままである。年頃の少女が、というのも勿論だが、照はメディアにも露出している最強の女子高生雀士である。その宮永照が実はぽんこつ、というのは白糸台の麻雀部員ならば誰もが知っていることではあるが、お世話させる人間には地味に煩い照が、男子にされるがままというのは白糸台の部員には驚くべきことだった。
その代表である誠子は、京太郎と照のやりとりを見て、はー、と感嘆の溜息を洩らしていた。
「弘世先輩の前の宮永係ってのは本当だったんだな」
「菫には悪いけど、京太郎はとっても優秀。おかしも作ってくれるし」
「私だって作れない訳じゃないんだってことは、よく覚えておくようにな」
「それは解ってる。菫のおかしも美味しいし。でも、一番私好みのおかしを作ってくれるのは、やっぱり京太郎。ねえ、京太郎。咲と一緒に沢山稼いで一生面倒見るから、私のために一生おかしを作ってください」
「もったいないお話ですが……」
美少女からのプロポーズとも取れる言葉に、京太郎は一瞬も考えずにお断りの言葉を口にした。照なりの冗談、と理解していたからである。若干、気分を悪くするかと不安ではあったが、京太郎の言葉を受けた照は『残念』とだけ言って、京太郎に背を向けて再びおかしに戻った。
その時、微妙にふくれっ面をしていた照を見ることができたのは、現在の宮永係である菫だけだった。世界一の宮永係でも、解らないことはあるのである。