セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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40 中学生二年 三強激突編③

「あ~、びっくりした。もう、こういう悪戯やめてよね」

 

 史上最高の雀士は、妙に所帯じみた仕草で服の埃を払って立ち上がった。グランドマスターは思っていたよりも小さく、京太郎の目から見て頭半分ほど小さい。

 

「それで、どうしてこんなことしたの? はやりちゃんは別の場所でお仕事だった気がするけど」

 

 健夜の視線に、咏とはやりは押し黙った。はやりは健夜と同級生でインターハイでも戦った仲であるが、高卒でプロになった健夜の方がデビューは四年ほど早く先輩である。咏も高卒プロであるが、健夜やはやりよりも3つ年下で後輩だ。

 

 この場で最も立場が上の健夜であるが、年齢とかそういうものは彼女に対する敬意にはあまり関係がない。それ程までに、彼女の戦歴は比類のないものだった。どんなプロでも、小鍛治健夜に対しては敬意を払う。咏もはやりも麻雀プロの中では一目置かれる存在であるが、健夜は別格だ。何より京太郎のことについては、関わってほしくはない。一瞬の視線の交錯で、咏とはやりの心は一つになった。何とかやり過ごそう。だがそのために二人が行動するよりも早く、京太郎が口を開いた。

 

「すいません、何か麻雀で白黒つけるってことになって、誰でも良いからって面子を探してたんです」

 

 その言葉に、咏とはやりは天を仰いだ。二人のその仕草に、京太郎はすぐに自分が失敗をしたのだと悟る。ばつの悪い顔をする京太郎を他所に、健夜の視線が咏とはやりに向く。

 

 咏は今日、この会場で行われる大会の決勝戦に出る。試合前のプロは普通、神経質になるものだ。集中力を高めるために、一人になりたいという人間もいる。会場スタッフは元より、参加しないプロは当然、参加するプロに配慮をするものだ。それはプロとしての礼儀である。試合の前に調整をする人間もいるが『白黒つける』という表現は穏やかではなかった。スパーのようなものとはとても思えないが、仮にそうであったとしてもトッププロの一角であるはやりがその相手に相応しいとは思えない。

 

 咏が口の動きで『バカヤロー』と伝えてくる。自分が原因で師匠と憧れの人が史上最強の雀士に怒られそうになっているこの状況に、京太郎の心も痛んだ。何かフォローできないかと必死に頭を働かせるが、この年齢にしては頭の回転が早い京太郎が上手い方法を考え付くよりも早く、はやりは決断を下した。牌のお姉さんを襲名しているはやりは、教育者の端くれである。年端も行かない子供の前で、その子供を巻き込んで嘘を吐いて誤魔化そうとしたのだ。自分を恥じたはやりは、素直に咏と健夜に頭を下げた。

 

「ごめんね、咏ちゃん。はやりも少しムキになっちゃって……」

 

 友人の素直で殊勝な態度に、健夜もうんうんと満足そうに頷いていたが、謝罪を受けたはずの咏は僅かに渋面を作った。はやりの謝罪は本心からのものだろうが、両者同意のことで片方だけがつるし上げを食らうのは、咏の考えでは収支が合わない。

 

 ムカつくことも多々あるが、はやりも根は良い奴なのだ。忙しい合間を縫って態々激励に来てもらったという負い目もある。健夜に対し二人でごめんなさいをするのは当然のことだ。この借りは今すぐにでも返さなければならない。はやりの謝罪は自分を庇うためのものだということは理解していたが、言わずにはいられなかったのだ。

 

「いや、私の方こそすまなかったねぃ。態々来てもらったのにこんなことになっちまって。久しぶりにこいつの顔を見たせいかな。ガラにもなくはしゃいじまった」

「そう言えば、この子誰? 二人の親戚じゃないよね?」

「そいつは須賀京太郎って言ってねぃ。私の弟子さ」

「弟子!?」

 

 咏の言葉に健夜は目を剥いて驚きの声を挙げた。球団ならぬ雀団にプロが所属するようになって以来、この業界で師弟関係というのは珍しいものになった。そんなものを結ばなくても先輩は後輩の面倒を見るし、チームにはコーチもいる。だがそれも、お互いがプロであるという前提あってのものだ。現役のプロがアマチュアを弟子にするなど、少なくとも健夜は耳にしたことがない。

 

「いつから?」

「六年前かねぃ。私は高二でこいつは小学生だったよ。うちの高校が地元の子供向けに教室みたいなもんを開放してさ。そこでトリプル役満を直撃させた縁で今も面倒を見てるんだけどねぃ」

 

 健夜とはやりは顔を見合わせた。二人が思ったことは、一つである。

 

『小学生に?』

「こいつが当たり牌を出したんだからしかたねーだろ?」

 

 そうは言いつつも、咏はそれが苦しい言い訳であることを理解していた。しょうがないというのは、あくまでもやった側の言い分である。麻雀バカで特殊な精神構造をしている京太郎だから弟子にしてくれという流れになったが、ごく普通の小学生が相手ならば大泣きして麻雀を嫌いになっていてもおかしくはない。もっとも、京太郎であるからこそあのトリプル役満も出たのだがそれはともかく、インターハイ個人戦を制した当時最強の女子高生が小学生にトリプル役満直撃である。誰がどう見ても、オーバーキルだ。

 

「とにかくそんなこんなで、たまにはこいつに良い思いをさせてやろうと思って呼んだのさ。ここなら、大スクリーンもあるし邪魔も入らないしねぃ」

 

 プロの控え室には、観戦用の大スクリーンも常備されている。これから戦うプロには必要ないが、マネージャーなど選手の関係者が控え室に残る場合に使用する。観戦室にあるスクリーンよりは流石に小ぶりだが、少人数で観戦することを考えれば贅沢すぎる環境と言えるだろう。

 

「大事にしてるんだね」

「まぁね。私からすりゃあ初めてで、たった一人の弟子だからねぃ」

 

 心温まる言葉であるが、咏の目は温かいどころではなく熱すぎる程だった。はやりを見る彼女の目には『手を出したらタダじゃおかない』という威嚇の念が込められていた。普通の雀士ならばすぐにでも逃げ出す威圧感が込められていたが、はやりもトップ雀士の一人でありアイドル雀士の世界を生き抜いた豪の者である。その精神力は並ではなかった。咏の視線にも、びくともしない。

 

 全く効いた様子のないはやりに、咏は早々に視線を逸らした。元より一睨みでどうにかなるような相手ならば、そもそもこんな状況にはなっていない。はやりとは時間をかけてゆっくりお話する必要がある。そのためにも、今はこの状況を乗り越えることだ。

 

「そんな訳で、弟子に師匠は強いんだぜってとこを見せたくなったのさ。はやりんを華麗にぶっとばせたらそりゃあ、弟子も惚れ直すってもんだろ?」

「それはそうだと思うけど……」

 

 プロとしての倫理を持ち出すならば健夜もここでイエスと言えないのだが、人情としての話ならば頷ける。健夜に弟子はいないしいたこともないが、誰かにかっこつけたいという欲は誰しもが持っているものだ。魔物とか人外とかよく言われる健夜であるが、心根は別に鬼ではない。あの咏が弟子のためにと言っているのだ。力になってあげたいと思うのが、人情である。

 

 健夜の表情から大分こちらに傾いてきたことを悟った咏は、横目で京太郎を見た。このまま卓を囲めることになるかもしれないが、最後の一人が健夜だった場合、勝負が成立しない可能性がとてつもなく高いことを、咏と京太郎は理解していた。運が放出できる許容量を超えた場合、過去の例から鑑みるにその場で気絶することになるだろう。小鍛治健夜、三尋木咏、瑞原はやりと一緒に卓を囲めるのである。雀士ならば一度は夢見る光景であるが、京太郎の体質はその勝負を楽しむことを許してくれそうになかった。

 

 勝負が成立しないのならば、意味はないのではないか。京太郎はそんな風に考えていたが、咏は別のことを考えていた。京太郎の存在を知られてしまった以上、もう隠すものはない。使えるものは使えるだけ使って、京太郎の糧にする。幸い、はやりも健夜もトッププロである。咏一人では思いつかない指導方法を考えてくれる可能性は大いに合った。無論のこと、須賀京太郎の唯一の師匠であるという自負がある咏にとって、他の人間の手を借りることに思うところがない訳ではない。

 

 しかし、師匠は弟子のことを最優先に考えるべきだ。京太郎が一歩でも前に進めるのならば、そのために手を尽くすのは当然のことである。子供の頃からはやりに憧れていたことは咏もよく知っている。容姿に優れ、微笑みを振りまくことができ、おもちもあって麻雀も強い。京太郎からすればまさに理想の存在であるが、そのはやりを前に彼は一瞬の躊躇いもなく師匠は三尋木咏一人であると言ってくれた。

 

 嬉しいことを言ってくれた弟子に、何か報いてやりたくなったのだ。この先この二人が障害になったとしても、その時はその時だ。師匠パワーで焼きつくしてやれば、何も問題はない。

 

「そんなわけでさ、面子が一人足りないんだ。私を助けると思って健夜さん、この四人で卓を囲んでもらえないかい? なに、時間は絶対に取らせないからさ」

 

 改めての咏の提案に、健夜は腕を組んで唸り声を挙げた。ここまで言われたら、手伝ってあげたい気もする。後進を導くのは先達の役目であるし、このお弟子さんはまだ中学生だと言う。せっかくこっそりとこんな所まで来たのだ。良い思い出があった方が、楽しいというものだ。

 

 ファンサービスもプロの仕事である。咏がお願いをし、はやりを見れば彼女も乗り気には違いない。

 

 そして、事の成り行きをきらきらした瞳で見守っていた京太郎を見て、健夜は自分の主張を曲げることにした。あの咏が目をかけている弟子の腕がどれ程のものなのか、気にならないと言えば嘘になる。そもそも麻雀に触れるのが遅かった健夜などの例外はあるが、基本的に後にインターハイで大暴れするような選手は小学生、中学生の時から頭角を現しているものだ。小学生の時から咏の教えを受けている中学生ならば、雀士としてはある程度完成していると言っても良い。咏の弟子がどの程度の腕なのか、プロ雀士の一人として、健夜は大いに興味があった。

 

「じゃ、咏ちゃんもはやりちゃんも忙しそうだし、ぱぱっとやっちゃおうか? 東風戦で良いんだよね?」

 

 アマチュアが一人入っていても、残り三人はプロである。やると決まれば進行は早い。あっという間に席順は決まった。京太郎から見て、正面に健夜、上家に咏、下家にははやりである。麻雀ファンならば夢に見るような光景だ。こんな機会を作ってくれた咏に感謝しつつも、夢の時間はこの辺で終わることを、京太郎は誰よりも理解していた。サイコロが回り、健夜に出親が決まった段階で、京太郎は凄まじい息苦しさを覚えるようになった。

 

 咏とはやりは当然だが、それ以上に健夜に急速に運を吸われていく。最強の神を降ろした時の小蒔と比べても、圧倒的に強い。咏とはやりを足してもまだ足りない、とてつもない豪運だ。咏は事情を知っているが、健夜とはやりはそうではない。トッププロともなれば、運気の流れを感じ取ることができる。修羅場だって何度も潜った彼女らは自分の運がかつてない程に高まっていることに驚き、そしてすぐにその原因である京太郎に驚きの視線を向けた。

 

 流石に鋭い。仕込んでおいた悪戯が成功した時のような心地良さを抱きながら、京太郎は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 配牌を開けるよりも先に、京太郎は意識を失った。相対弱運を初めて味わう健夜とはやりはいきなりの展開に絶句していたが、健夜の参戦からこの展開を予見していた咏は、訳知り顔である。

 

「こういう奴なんだよ。レアな体質だろ?」

「……初めて見たよ。これなに? 自分の運を削って、他人に分けてるの?」

「分けてるって言うか、撒き散らしてるって感じかねぃ。上手くできてるもんで、運を撒き散らしすぎて命に関わるような展開になると、気を失うのさ。こんな風にね」

「一定の運を分けてる訳じゃないよね? もしかして相手によって分ける運量が違ったりする?」

「さっすがはやりん。インテリは話が早くて助かるよ」

 

 からから、と笑った咏は口を覆うようにして扇子を広げる。

 

「私達は『相対弱運』って呼んでる。色々検証しては見たが、概要は読んで字のごとく相手の運量に応じて相対的に京太郎自身の運が変動するってもんだ。運が太い奴には強く、運が細い奴には弱く。そして運がすげー太い奴には――」

 

 咏の手が伸び、健夜の手を開けた。

 

 

 東東南南西西北北白白發發中 中

 

 

「――すげー強くって寸法だね。いや、高校生の時の私はトリプル役満直撃だったけど、手ができるまでに三順かかった。でも健夜さんクラスになると、こうなるんだねぃ」

 

 知らんけど、とおどけた雰囲気で咏は話を結んだが、京太郎の能力と史上最強の雀士の運が合体するとここまで凶悪になるのかと内心では戦慄していた。健夜が京太郎とコンビを組み、出親を引いたらその瞬間にゲームが終わる。麻雀というゲームの存続のためにも、咏は京太郎と健夜を絶対に組ませないことを心に決めた。

 

「この能力ってオンオフはできないのかな」

「運が作用するゲームをする時は、常にオンだねぃ。試してはみたが任意にオフにはできないみたいだ。麻雀が一番強く効果がでるけど、他のゲームでも似たようなことになった。賭け事全般に弱いんだね。前世でよっぽど痛い目を見たんだろ」

「これで麻雀を続けられるって、凄い精神力だね……」

「本当に麻雀が好きなんだよ。私の知ってる限りじゃ、こいつが一番だね」

 

 大体のプロは麻雀を愛しているが、それはその本人が才能に恵まれ高い能力を持ちそのゲームに勝てるという要因があるからだ。そうではない、というプロも大勢いるだろうが、決して無視できる要因ではない。勝てないゲームに情熱を注ぎ続けることは、容易なことではない。勝ち続けた人間だからこそ、プロたちは良く知っている。そういう人間たちを叩き潰した結果、プロはプロになった。特に健夜は、自分に負けた人間が牌を置く様を何度も見てきた。

 

 圧倒的な力を持った人間を前に、多少の自信などあってないようなものだ。勝てないということが、負け続けるということがどういうことなのか。勝負に真摯に打ち込む人間こそ、それを良く知っている。麻雀を愛しているのならば、精神的なダメージも半端なものではない。京太郎は咏も認める愛情の深さを持って臨む麻雀に、ハンデを背負って立ち向かっている。心が折れていないのは、はっきり言って異常だ。

 

「ここまで心が強い子、久しぶりに見たよ。これも咏ちゃんの指導の成果?」

「いや、こいつは最初からこうだったよ。私が教えられたのは技術だけさ。それにしても物覚えは良すぎるくらいなんだが……」

 

 文句のような言葉を言いながら、咏はカバンの中からファイルを取り出す。大会で優勝した後、食事でもしながら京太郎に指導をするために家から持ってきたものだ。自分以外に使う人間のいないはずのものを、咏は躊躇いなく健夜に渡した。

 

「これ……大事なものなんじゃないの?」

「自分の師匠は三尋木咏だけとまで言ってくれたんだ。これで何もしなかったら女が廃るってもんだろ?」

 

 男が最大限の信頼を示したのだ。ならば女が示すのは、度量の広さである。指導する相手として、この二人は申し分ない。特に防御に優れたはやりは、京太郎とタイプが近い。憧れの人を近くに置く機会を増やすのは不安ではあるが、本人を前に申し出を拒否できたのだ。多少迫られたくらいで気持ちを傾けたりはしないだろう。ぐらついた時はその時だ。背中の一つも蹴飛ばしてやれば、正気に戻るだろう。

 

「私、本人に断られたばかりでちょっと傷ついてるんだけどなぁ」

「それくらいでへそ曲げるような心の狭い人間じゃないだろ? 頼むよ、牌のお姉さん」

 

 恨みがましく言ってみても、咏はへらへら笑って取り合わない。先程の京太郎の言葉が自信に繋がっているのだ。ちょっとやそっとの揺さぶりで、この自信は揺るぎそうにないとはやりは直感した。こういう状態になった女性というのはとても強い。

 

「解ったよ。他でもない咏ちゃんの頼みだもんね」

「よろしく。まぁ、師匠は私だけだけど」

 

 咏の挑発にはやりの額にも青筋が浮かんだ。正直ちくしょうと思ったが、それを口にはしなかった。京太郎が咏だけだと言った直後に、突っかかったのではただの負け犬である。彼はまだ中学生だ。時間はまだたっぷりあるのだから、まだ慌てるような時間ではない。

 

 ふふふ、と火花を散らして見詰め合う友人二人に、健夜はこっそりと溜息を吐いた。こういう経験がないからだろう。修羅場の雰囲気というのは苦手なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はやりん!!」

 

 意識が戻るのとほとんど同時に京太郎は飛び起きた。覚醒した意識で最初に考えたのは、何よりもはやりのことだった。昔からの憧れの人である。せっかく出会えたのだ。少しは交流を深めたいと思うのは、男として当然のことだった。

 

 しかし、憧れの人は部屋の中にはいなかった。この世で最も敬愛する師匠も同様である。京太郎以外に部屋の中にいたのは、一人だけだった。

 

「あ、気がついた? 良かった」

 

 京太郎が横になっていたソファの近くで、健夜は暢気にお茶を啜っていた。史上最強の雀士、『全冠(グランドマスター)』の小鍛治健夜である。凄まじい実力を持っているにしては、雰囲気が普通過ぎる。強い雀士には多かれ少なかれ強者の雰囲気があるものだが、眼前の健夜にはそれがほとんど感じられなかった。

 

「咏さんとはやりさんは?」

「咏ちゃんは決勝戦。次に戻ってくるのは二半荘後だね。はやりちゃんはお仕事に行ったよ。京太郎くんによろしくだって」

 

 はいこれ、と健夜が差し出したのは一枚の名刺だった。かわいらしい字体で瑞原はやりと書かれた紙の裏には、これまたかわいらしい丸文字で電話番号とアドレスが書いてあった。

 

「表のが仕事用、裏のがプライベート用。表のにかけないようにね? マネージャーさんしか出ないから」

「こっちに電話した人はがっかりするでしょうね……」

 

 アイドルが出てくれると思って喜んで電話したら、事務的なマネージャーが出るのだ。そのショックは計り知れない。その点、こちらの電話番号は話を聞く限り本物だ。そんな都合の良いことが自分にあって良いのだろうか。緊張している京太郎を他所に、健夜も名刺を差し出してくる。

 

「そうすると、京太郎くんはラッキーだね。はい。はやりちゃんの後だと渡し難いけど、これは私の」

「――いいんですか?」

「咏ちゃんにお願いされたからね。本当、京太郎くんは咏ちゃんに気に入られてるよ」

 

 健夜は苦笑を浮かべてスクリーンに向き直った。既にセッティングは済んでいる。画面の表示を見れば、1半荘目。咏の大量リードでオーラスである。これだけのリードがあれば咏ならば負けることはないだろう。咏以外の面子には既に諦めの雰囲気すら漂っていた。京太郎の目から見ても、今日の咏は圧倒的である。

 

「幸先が良いですね」

「相手の三人には悪いけど、この面子なら咏ちゃんが勝つんじゃないかな。調子が悪かったり気も漫ろっていうならアレだけど、京太郎くんがいるからかな、咏ちゃん絶好調だよ」

 

 それは京太郎にも解った。咏は気持ちが牌に乗るタイプだ。気持ちが凪のように落ち着いている時よりも、気持ちが高ぶっていたり機嫌が良い時の方が牌は集まり打点が高くなる。それにより気持ちが更に高ぶり、更に火力が増すのだ。こうなるともう手がつけられない。咏はその状態の、一歩手前にいるように見えた。もはや誰にも止めることはできない。

 

 残りまだ9半荘もある。これが消化試合になるとしたら、残りの面子には気の毒だった。

 

「それから、京太郎君が気絶してる間に咏ちゃんからこれを預かったよ」

 

 健夜が掲げたファイルには、京太郎も見覚えがあった。咏が指導の時に使っているファイルで、そこには京太郎の牌譜が保存されているはずである。師匠である咏は、京太郎が使っているネット麻雀のアカウントに自由にアクセスできるようにパスワードを教えてある。自由に牌譜や成績を閲覧できるようにするためだ。指導をする時はその牌譜をプリントアウトしたものを使っている。ノートパソコンでもあれば済む話だが、こういう時の咏はアナログ派なのだ。

 

「咏ちゃんから京太郎くんの指導について意見を求められたの。その時一緒にこれを預かったよ。これを見た範囲で良ければ助言もできるけど、聞いてくれる?」

「是非お願いします」

 

 史上最強の雀士の助言である。聞かない訳にはいかない。咏の試合は二半荘目が始まっていたが、既に無双が始まっていた。弟子としては見ておくべきなのだろうが、ほとんど勝ちが決まってる咏の試合よりも、今は健夜の指導である。後でバレたら怒られそうではあるが、自分で指導の助言を頼んだのならば蹴りを入れるくらいで許してくれるはずである。

 

 一言も聞き漏らすまいと居住まいを正した京太郎の前に、健夜はファイルに視線を落とした。

 

「じゃあ言うけど……基礎はばっちりだね。状況把握とか場の読みとかは、高校生のトップクラスと比べても遜色ないと思う。中学生で継続的にここまでできるなら、十分じゃないかな」

 

 プロである健夜の目から見ても、京太郎の対応は卒がなさ過ぎる。中学生という年齢を考えれば破格の能力と言えるだろうが、それでも勝利には繋がっていないのだから不憫というより他はない。

 

 しかし、負けないという一点においてはかなりの物を持っている。オカルトが通じ難いネット麻雀でもトップ率は二割に届こうかというくらいだが、ラス率は驚くほど少なく5%にも満たない。その脅威のラス率の少なさは放銃の少なさに依る。放銃するのは20半荘に一回。異常なまでの防御率の高さである。

 

 火力でゴリゴリ削るタイプの咏の弟子というよりは、はやりの弟子と言われた方がまだしっくりくる。師匠である咏はよりそのことを自覚していただろう。彼女ははやりと戦ったことがあり、更に自分が京太郎とは違うタイプであると良く知っている。更に、京太郎は誰に聞かれても好みの女性は瑞原はやりだと答えていたという。愛する弟子からはやりの方が良いと言われてしまったら、それはそれはショックを受けたことだろう。咏が京太郎をはやりに会わせたくなかったのも頷ける。

 

 だが京太郎は憧れの人を前にして、彼女ではなく師匠の咏を選んだ。それが咏の自信に繋がったのだろう。今ではこうして健夜まで、師匠の真似事をしている。自分にそんな機会が訪れると思ったこともなかった健夜は、この新鮮な感覚に少しだけ胸を躍らせていた。後進を導けるというのは、悪いものではない。

 

 京太郎のやり方はこぎれいに纏まっているが、若さ故かまだ見えていないものもある。普通は中学生にそこまで求めないものだが、事実としてこれだけのことができる人間ならば話は別だ。既に基礎は備わっているものとして、プロの後輩にするような指導を健夜は行った。牌譜から見える問題点を一つずつ取り上げ、懇切丁寧に説明していく。

 

 史上最強の雀士である健夜が、真面目に理論を語っていることに京太郎は驚いていた。

 

 プロなのだから理論は修めていて当然のものであるが、圧倒的な豪運を前に理論が齎す利点というのはほとんど誤差のようなものだ。麻雀というのは運が大きく作用するゲームである。その運の要素を埋めるために、多くの雀士は理論を学んで実践していく訳だが、運の高さが常に発揮されるのであれば理論は疎かになっていくものだ。衣が実力の高さの割りに、麻雀の理屈についてはさっぱりなのはそういう面も大きい。

 

 この世で最も理論が必要ない人間と言えるが、健夜は京太郎が話したことがある人間の中で、最も理論に精通していた。

 

「そんなところかな。何か質問はある?」

「これから俺は何をしたら良いんでしょうか」

「このまま勉強を続けるのが良いと思うよ。オカルトについては、専門外だから良く解らないけど治る見込みはないんだよね?」

「専門家の話では、これでも相当弱くなってるらしいんですが……」

 

 霧島でオカルトの修行をするならばいずれはコントロールをできるようになるかもとは言われているが、それには十年単位で時間がかかるとも言われている。そこまで時間はかけられないし、修行をしてやっぱりダメでしたでは話にならない。小蒔たちが強く勧めてこないのは、その可能性が高いからだろう。それならば、オカルトの修行に時間を割くよりも、能力と上手く付き合っていくほうが建設的というものだ。

 

「そう。オカルトの面倒を見てくれる人がいるなら、今後もその人に見てもらうのが良いと思う。私も一人心当たりがあるから、機会があれば紹介するよ」

「プロにもそういう人がいるんですか?」

「ううん、プロじゃないよ。私の先生」

「……小鍛治プロにも先生が?」

「私だって生まれた時からプロだった訳じゃないよ。京太郎くんたちと違って、麻雀に触れたのは遅かったけど、色々と指導してくれた人はいたよ。熊倉先生はその一人」

「どんな人なんですか? その、熊倉先生」

「優しい人だよ。ちゃんと私のことを見てくれて、色々と教えてくれた。私がまだ麻雀を続けてられるのは、その人のおかげかな」

 

 先生のことを語る健夜の目は、非常に穏やかなものだった。プロにあっても師弟関係というのは特別なものなのだ。あの健夜の先生ならばもう少し有名になっていても良さそうなものだが、京太郎は今までそんな存在を聞いたことはなかった。きっと、知る人ぞ知る人なのだろう。後で咏にでも聞いてみよう。

 

「後はそうだね。京太郎くんの場合ツモることに期待はできないから相手の余り牌を狙い撃つことになると思うんだけど、知り合いにそういうのが得意な人がいたら、コツとか教わっておくと良いかも」

 

 そんな都合の良い技術を持った人間が……と笑おうとした京太郎だが、脳裏に一人昔なじみの顔が浮かんだ。プロを除けば狙い撃つという技術に最も長けているのは彼女であり、幸いなことに知らない仲ではない。おまけに共通の友人は、そのルームメイトだ。その昔なじみ――リンちゃんこと弘世菫は、今でも連絡を取っている非常に仲の良い友人だが、狙い撃ちは彼女の麻雀の正に肝である。

 

 教えてくれと言って素直に教えてくれるとは思えなかった。菫の交友関係を全て知っている訳ではないが、おそらく彼女の男性の知り合いの中では、一番――とは言えなくとも、仲の良い方だと思う。それでも、解らない。菫は姉御肌で男前な性格をしているが、麻雀という勝負の世界に生きている人間だ。狙い撃つならばその仕組みは生命線と言っても良い。仲が良いからと教えてくれるか、と京太郎は考えたが京太郎のその反応を見て健夜は逆に脈アリと判断した。

 

「いるみたいだね。その人は男子? 女子?」

「女子です。二つ年上で、西東京の白糸台に通ってる――」

「白糸台なら弘世菫さんかな? 宮永照さんのルームメイトで、SSSでおなじみの」

「SSS? というのは初めて聞きましたが、二つ名ですか?」

「麻雀記者の人が言ってたよ。白糸台のシャープシューターの略だって」

 

 あー、と京太郎の口から思わず声が漏れた。元の二つ名でも少しアレなのに、アルファベット三文字は相当に痛い。菫の性格では到底受け入れられるものではないだろ

う。これは次に会った時にからかい倒してやらねば、と京太郎は決意を固めた。

 

「……前から思ってましたけど、二つ名ってどうやって決まるんでしょうね」

「皆が勝手に色々言い出して、一番通りの良いものが最終的に残る感じかな。最近は一つだけになる人が多いけど、昔は三つも四つも二つ名を持ってるプロが大勢いたみたいだよ」

「ちなみにグランドマスターというのはいつ決まったんです?」

「九冠達成した時だったかな。それまでは皆好き勝手に呼んでたのに、あの日から突然皆してグランドマスターって言うようになったんだよ。ほんと困っちゃったよ。私がグランドマスターなんて柄に見える?」

 

 見える、とは言えなかった。麻雀の成績こそ華々しいが、麻雀をしていない時の彼女ははっきり言うと地味で華がない。先ほどまで一緒にいたはやりや咏とは真逆の存在である。成績に比べると、健夜の露出はとても少ない。その華のなさも起因しているのだろうが、健夜にそれを気にしている素振りはない。こういう立場が肌にあっているのだろう。淡々と資料を見下ろす健夜の顔は、麻雀をしている時よりも活き活きしているように見えた。

 

「京太郎くんも、おかしな二つ名とか付けられたら私の気持ちが解ると思うよ」

「いやぁ、俺の腕ではそんな機会はないんじゃないかと」

「解らないよ? 高校生の時から二つ名を持ってる人だっているからね。京太郎くんのオカルトは特徴的だから、誰かつけてくれるかも」

「派手な二つ名とか付けられたら、SSSさんにからかわれそうで今から憂鬱です」

「良かったね。二つ名を付けられる苦労が解るよ」

 

 ふふふ、と楽しそうに笑う健夜の背後、スクリーンの中で咏が倍満を直撃させて一人を飛ばした。二半荘目が終了。この時点で五万点以上のリードである。これからインターバルで一度ここに戻ってくるだろう。

 

 祝杯が必要だ。浮かれて戻ってくるだろう咏のために、京太郎はお茶の準備を始めた。

 

 

 

 

 


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