セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

40 / 96
38 中学生二年 三強激突編①

 三尋木咏というのは須賀京太郎にとって、唯一の麻雀の師匠である。

 

 この世で最も敬愛し、誰よりも尊敬している彼女から、先日試合の『チケット』が、『暇ならば応援に来い』というメッセージを添えて郵送されてきた。九大タイトル戦に次ぐ権威ある大会、その決勝戦である。幸い、本当に暇だった京太郎はその『チケット』を持って、会場のある東京まで旅立った。都内で一泊し、大会当日。

 

 まだ早朝と呼べる時間にも関わらず、会場は熱気に包まれていた。トッププロによる半荘十回戦。そのポイントの多寡によって今日、優勝が決まる。下馬評では咏が一歩リードとされているが、その相手はいずれもトッププロである。咏と言えども油断をすれば足元を掬われることもある。弟子として師匠に勝ってほしいのは当然であるが、一人の麻雀ファンとしては手に汗握る熱い戦いを見てみたいとも思うのだ。

 

 師匠不孝者かもなと、苦笑を浮かべながら京太郎は人の波を縫って、会場の隅へと歩いていく。観戦のためのモニタルームから離れた場所。関係者以外立ち入り禁止とされるエリアの直前には、初老の警備員が立っていた。その目が、京太郎に留まる。

 

 彼の仕事は、関係者以外をそこから先に通さないことだ。関係者とは参加する選手と、通行証を持ったスタッフである。務めて長い彼は選手の顔は全員知っていたし、京太郎の首にはスタッフであることを示す通行証はかかっていない。その身長こそ高いものの、服装、顔立ちから京太郎が未成年であることは明らかだった。警備員は当然の職務として、京太郎を呼び止める。固い表情を浮かべた彼に、京太郎は懐から取り出した『チケット』を見せた。

 

 それを見た瞬間、初老の警備員の顔に驚きが走った。京太郎が取り出した『チケット』はプロであれば必ず持っていなければならないもの――日本麻雀協会が発行した、京太郎の師匠である咏のライセンスカードだった。

 

 このライセンスカードはプロとしての身分を保証する意味合いも当然あるが、プロがプロとして公認大会に参加するためのパスとしても使用される。誰もが知っているプロだとしても、このカードを忘れた人間は大会に参加することはできない……という取り決めになっているが、実際にはそうではない。公認大会には必ず協会の人間がいて、彼らには臨時のライセンスカードを発行するための権限が与えられている。カードの持参を忘れたとしても彼らにお願いすれば臨時のカードを発行してくれ、その大会には参加することができる訳だが、カードの不携帯が本人の過失であった場合には協会の仕事をロハで引き受けるなどのペナルティが発生する。

 

 成績や獲得賞金に影響するものではないので決して重大なペナルティとは言えないが、問題はそれで回される仕事が本人の意思では全く選べないことだ。それ故に、思いもよらない事故が発生し、老若男女問わず仕事を受けたプロの心に、決して浅くない傷を残すこともしばしばあった。『小鍛治健夜牌のお姉さん事件』や『野依理沙テレビ麻雀教室で放送事故未遂』などはファンの記憶にも新しく、何でこの人がこの仕事を……という時は、大抵ライセンス忘れが原因というのがファンの間の通説である。

 

 そんなこともあって、麻雀プロは駆け出しだってライセンスカードを軽々しく他人に預けたりなどしない。翻って、他人のライセンスカードを預かっているということは、それだけそのプロに信頼されているという証明でもあった。応援に来いという咏の誘いに、京太郎が強いメッセージ性を感じたのはそのためである。

 

 警備員はその職務上、ライセンスカードを確認することが多々ある。彼は中学生の少年が出した、トッププロのライセンスカードを目を白黒させて眺めたが、それが本物であることをはすぐに解った。それが盗まれたものという可能性は否定できないが、今日は大会当日である。如何にプロの中でも自由な感性をしていることで有名な咏でも、手元になければ今の時間には気づいていないとおかしい。

 

 信じられない思いではあるが、このライセンスカードは本人から、某かの手段でこの少年の手に渡ったのだ。警備員は姿勢を正し、京太郎に問う。

 

「失礼ですが、名前を聞いてもよろしいでしょうか?」

「須賀京太郎です」

「あぁ、君がそうなのか。三尋木プロから話は聞いているよ。通って良し」

「ありがとうございます」

 

 すんなり通ることができて一安心だったが、話が通っていたにしては警備員の反応は少しおかしい気がした。ライセンスを大事に内ポケットにしまった京太郎は、興味深そうに自分を眺めている警備員の男性に、逆に問うてみる。

 

「うた……三尋木プロから話を聞いたと仰いましたが、三尋木プロは何と?」

「自分の大事な人間が『チケット』を持ってくるから、その人物を上客として扱って控え室に通すようにと。まさかチケットが、ライセンスカードだとは思わなかったけどね……」

 

 警備員の男性は苦笑を浮かべている。誤解を招くような咏の物言いは、きっと態とだろう。ここで取り乱してはあの人の思う壺だ。京太郎が深呼吸をして気持ちを落ち着けていると、訳アリと察してくれた初老の警備員は優しく京太郎の肩を叩いた。

 

「この仕事をしているとね、見なかったことにしておいた方が良いものを見ることも間々あるんだ。口が軽い人間にはできない仕事でもある。君達の関係を詮索したりしないし、他言もしないから安心してくれ。三尋木プロの控え室は、突き当たりの右側だよ」

 

 初老の警備員の人の良い笑みに頭を下げ、京太郎は関係者以外立ち入り禁止とされるエリアに足を踏み入れた。

 

 熱気に包まれていたロビー付近とは異なり、選手控え室を含むこのエリアは実に静かだった。空気もどこかぴりぴりとしているそこでは、明らかに未成年である京太郎の風貌はすれ違う人間の目をどうしようもなく引いた。ここでも呼び止められたらどうしようと戦々恐々としていたものの、すれ違う人間は皆不思議そうな顔をするだけで、京太郎に声をかけたりはしなかった。

 

 ここに入るまでには警備員がいるところを通るしかなく、そのチェックをパスしたということは即ち関係者であるということだが、納得していても全く気にならない訳ではない。不躾に向けられる視線に居心地の悪さ感じながらも廊下を行き、『三尋木咏』とプレートの付いた控え室の前に立つ。

 

 少しだけ緊張しながらノックをすると、中から間延びした声が聞こえた。

 

「入って良いぜ~」

 

 咏の声に、京太郎はドアの前で首を傾げた。まだノックをしただけで、名前を告げてはいない。そんな軽い対応で大丈夫なのかトッププロ、と不安になりながら、京太郎はドアを開ける。椅子に座って足をぷらぷらとさせていた咏は、弟子の姿を見るとにやりと笑った。自信に満ち溢れた不敵な笑みに、今日の咏が絶好調であることを知った京太郎は、思わず顔を綻ばせた。

 

「おっす。久しぶりだねぃ、京太郎」

「お久しぶりです。本日はお招きいただき、ありがとうございます。早速ですけど、相手も確認しないのは無用心ですよ?」

「私はお前の師匠だぜ? 弟子のノックくらい、聞きゃ解るさ」

 

 からからと笑う咏の言葉は冗談半分という気もするが、咏ならば解ってくれそうな気もする。これを追求するのは無粋な気がした。解ると言ってくれたことそのものが、京太郎にとってはとてつもなく嬉しいことだった。

 

「それよりもさ。ほれ。来たんならさっさとやってくれよ」

「そうなるんじゃないかと思ってましたけど、俺がやらなきゃダメですか?」

「師匠の世話は本来弟子の仕事だぜ? お前、私の弟子だろ?」

「解りました。腕を挙げてください」

 

 明らかに面白がっている咏を前に、京太郎はそっと溜息を吐いた。

 

 椅子から降りた咏は、京太郎に背を向けて腕を挙げる。

 

 京太郎は咏の脇の下から手を入れ、慣れた手つきで帯を解いた。自分一人ではまず着物など着ない京太郎だが、ほとんどを着物で過ごす咏の手ほどきで、小学生の時には着物の着付けができるようになっていた。練習相手は主に咏だったので、自分で着るよりも他人に着せる方が上手いくらいである。

 

 覚えたての頃には咏と同じくらいだった身長も大分大きくなり、今は咏の頭を下に見ている。跪いて咏の世話をしていると視線の高さが同じになり、出会った頃に戻ったような気分になった。紬を脱ぎ、襦袢一枚になった咏の背中はあの頃とほとんど変わらず、とても小さい。この身体のどこからあの火力が出るのかと物思いに耽る京太郎を、咏が肩越しに振り返った。

 

「いつものはそこな」

 

 咏が視線で示した先にあった風呂敷を開けると、中には見覚えのある赤い着物があった。重要なタイトル戦などで咏がよく着ている、ここぞという時のための勝負服だ。着せられる咏の方も慣れたもので、京太郎の動きの邪魔にならないように逐一腕を動かしたり身体の向きを変えたりしている。男女逆ではあるが、ここだけを見ると夫の世話をしている昭和の妻という風だ。

 

「そう言えばお前さ、お婆様の友達の孫と知り合いなんだってな」

「良子さんのことですね。咏さんは会ったことあるんですか?」

「ねーけど知ってるぜ。今年の高卒見込みのプロの中じゃ一番手だろ」

「そうですか、そうですか」

 

 やはり良子は、咏が認めるほどの実力者なのである。良子が褒められたことに嬉しくなっていると、咏は振り向きもせずに後ろ足で京太郎を蹴飛ばした。狙ったように腹部に直撃した蹴りに京太郎の呼吸も止まるが、咏はそんな京太郎を肩越しに見下ろしながら、それが当然の扱いだ、と不機嫌そうに嘆息した。

 

「師匠の前で他の女に浮気してんじゃねーっての」

「すいませんでした。以後気をつけます」

「解れば良いさ」

 

 ふん、と咏は小さく頷いた。初めて見る反応に、着付けを続けながらも京太郎は内心で首を傾げていた。京太郎の交友関係はそのほとんどが女性であり、今も交流を持っている者も沢山いる。師弟関係である咏にはよく彼女らの話をしたが、これまでに咏がこういう反応を見せたことは一度もなかった。良子の話も確かにした記憶があり、その時は間違いなく普通に聞いてくれていた。今とその時で何が違うのだろう。

 

「はい、できましたよ」

 

 疑問に思うが、一人では答えは出せそうになかった。疑問の追及は後ですることにした京太郎は最後に帯締めを結ぶと、咏から離れた。着物の袖を摘んだ咏は、その場でくるりと一回転。上品な匂いがふわりと舞い上がった。

 

「悪くないね。もしかして練習でもしたのかい?」

「こうなりそうな気がしたもので。浴衣を引っ張り出して練習してきました」

「殊勝な心がけだねぃ。付き人としてならこのまま、私のところで使えるぜ?」

 

 どうだい、と軽く問うてくる咏に、京太郎は苦笑を浮かべながら首を横に振った。

 

「ありがたい話なんですが、俺まだ中学生なんで……」

「それもそうだな。ま、こんな時勢だ。高校くらいは出といた方が良いだろうしな。食うに困ったら遠慮なく私のとこに来い。お前一人の面倒くらいなら見てやるから」

「なるべく、咏さんのお世話にならないように頑張ります」

 

 咏の冗談に、京太郎も冗談めかして答えると、彼女は草履を突っかけ、ぱたぱたと歩き出した。一人で部屋を出て行こうとする咏に、京太郎が問いかける。

 

「どこか行くんですか?」

「ちょいとヤボ用を片付けてくるよ。ここにあるもんは好きに飲み食いしても良いから、大人しく待ってな」

「ちょ、誰か咏さんを訪ねてきたら、俺はどうすれば」

「決勝戦直前のプロに好んで会おうなんて人間いねーって。知らんけど」

「このカードどうするんですか?」

「適当にその辺においといてくれ」

 

 ひらひらと手を振りながら、咏は控え室を出て行った。一人取り残され、手持ち無沙汰になった京太郎は咏の脱いだ紬を綺麗に畳んで風呂敷に仕舞うと、椅子に座って一息吐いた。

 

 咏がいないとびっくりするくらいにすることがない。好きに飲み食いをして良いと言われたが、別に空腹ではない。それ以前に咏のために用意されたものに手をつけるのも、弟子としては気が引けた。途方にくれた京太郎の目が、テーブルの上の二つの湯のみに触れる。鈍い赤色をした左側の湯のみは咏が高校時代から使っているお気に入りものだが、その隣、深い藍色をした湯のみは京太郎が神奈川に住んでいた頃、三尋木の家に遊びに行った時に使っていたものだった。

 

 持ち出したという話は、咏から聞いたことはない。本来であれば今も神奈川の三尋木家にあるはずのものだが、ここにあるということは咏が態々取りに行ってくれたのだろう。まだ高校生と小学生だった時分、一緒に使っていた湯のみがまた並んでいる。師匠の心憎い気遣いに嬉しくなった京太郎は考えを変えた。この湯のみでお茶をするのも悪くないと思ったのだ。慣れた手つきで茶葉を急須に入れ、懐かしい思いに浸りながら味わって飲もうと、葉が蒸れるのを待っている間に、控え室のドアがノックされた。

 

 京太郎の動きがぴたりと止まる。

 

 訪ねてくる人などいないのではなかったか。息を殺してドアの方を伺うが、ノックに声は続かなかった。ドアの向こうにいるのが男性か女性かも解らないが、少なくとも咏ではないのは確かだった。戻ってくるには早すぎるし、悪戯をするにしても、こういうことは咏の好みではない。弟子を驚かせるためには小学生のコスプレもできる彼女はもっと、直接的で意外性のある悪戯をする。

 

 人の気配は変わらず、ドアの前から動かない。弟子としては師匠の代わりに対応するのが筋という気がしないでもないが、ドアの向こうにいる彼、もしくは彼女の目的は咏であり、京太郎ではない。咏がここにいないのは間違いないのだから、居留守を使った所で責められはしないだろう。

 

 息を殺して、時間が過ぎるのを待つ。気配はしばらくドアの前にいたが、やがてこつこつとヒールの音がドアから離れていった。危機は去った。安堵の溜息を漏らし、急須を持ち上げたところで、いきなりドアが開く。

 

「残念でしたー! 居留守を使おうなんて咏ちゃんの考えは、はやりにはお見通しだよ!」

 

 得意げな笑みを浮かべて、控え室に入ってきたその女性は室内に咏がおらず、それどころか見ず知らずの少年しかいないのを見て、目をぱちくりとさせた。

 

 その女性が誰か、京太郎は良く知っていた。

 

 大きなおもちに可愛らしい顔立ち。高い知性に国内トップクラスの麻雀の腕。京太郎が女性の外面に求めるほとんどすべてを持ったその女性は、京太郎の目をまっすぐ見つめながら、可愛らしく小首を傾げた。

 

「君はだあれ? はやりにこっそり教えてくれる?」

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。