セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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36 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編⑦

 

 

 

 

 

 

 

 数にすればたった三つであるが、広い神境の中を移動するのは中々に疲れることだった。心地良い疲労を感じながら部屋で一休みしていると、三々五々、夕食の材料を持った小蒔たちが集まってくる。美少女が集まって自分のために夕食を作ってくれている。自分はもしかして人生の絶頂にいるのではと考えた京太郎だったが、すぐに首を振ってそれを否定した。

 

 須賀京太郎。まだ十三歳である。ここで人生の絶頂を迎えたら、長い人生、後は転がり落ちていくだけだ。彼女もできないまま、下り坂に入るのはまっぴらご免である。まだまだ、もっと良いことがある。そう信じながら小蒔たちの用意してくれた夕食を食べていると、巫女さんたちの中に狩人の気配を発している人間がいることに気づいた。

 

 何でもない風を装いながらも、明星は明らかに何かを狙っている。ちらちらと時計を気にしている彼女の仕草から、京太郎はすぐさまその狙いが何なのかを看破した。

 

「……明星。俺が入ってる時に風呂に入ってきたら、しばらく口をきかないからな」

「そんな、兄さまっ!!」

 

 どうしてそんな仕打ちを、という真剣な表情で詰め寄ってくる明星の頭に、京太郎は軽く拳骨を落とすが、それでも明星はめげない。痛がるふりをしつつ抱きつこうとする明星の襟首を、湧が抜群のタイミングで引っつかみ引きずっていく。京太郎はそれを溜息を吐きながら見送るが、先の言葉は何も明星にばかり向けたものではなかった。

 

 そういうアクシデントを故意に起こすことを好む人間は、この中には意外と多い。

 

 鹿児島にいた当時は京太郎は小学四年生。一つ年下の明星と湧は三年生だった訳だが、長いこと望んでいた兄ができた二人は、泊まりの時は常に一緒にいたがった。当然、風呂にも一緒に入ったことがある。若い男女と言っても小学生だ。一緒に風呂に入ることにも、それほど抵抗があった訳ではない。ちょうどその前の年には、ダルがって何でもやらせたがるちょっとおもちの年上女子のお世話をしていたばかりだったから、京太郎にとっては一つ年下の少女の裸など何のそのだったのだ。

 

 しかし今はそうはいかない。中学生になった明星は見事なまでのおもちに成長したし、そもそも京太郎本人がそれまでよりもずっと多感な年頃になった。隣に裸の明星がいたら、いかに妹分のような彼女であっても間違いが起こってしまうかもしれない。自制心にはそれなりに自信のある京太郎だったが、美少女のおもちを前に自制できる自信はなかった。

 

 明星も、京太郎の押せば倒れるかもしれない自制心の弱さを察していたのだろう。止めなければ本当に風呂場に乱入してきたに違いないが、京太郎本人から入るな、と言われればそれに従わざるを得なかった。オカルト吹き荒れる神境も人間のコミュニティである。一番年下である明星の立場は、それ程強くないのだ。

 

 自分の目論見が崩れた明星は不満そうではあったが、それも自分と一緒にいたいと思ってくれていればこそだ。せめて今日くらいは優しくしてあげようと思った京太郎は、何かしてほしいことはないかと、明星に問うた。

 

 明星ははじめ、何を言われたのか理解できない様子だったが、しばらくして自分に幸運が舞い降りてきたのだと知った。彼女は顔をぱっと輝かせて京太郎に身体を寄せると、『あーん』と言いながら口を小さく開けた。何を要求しているのかは一目瞭然である。そろそろ巴か霞のゴーサインが出るころか。そう思って待ってみたが、誰も何も言わない。自分の出番だと思っていた湧は一人、肩をこけさせていた。

 

 巴も霞もまだ慌てる時間ではない、とばかりに静かにお茶を飲んでいる。これでは明星の独壇場である。

 

 ずっと口を開けされているのもかわいそうだ。誰も何も言わないのなら、と京太郎は自分のおかずの皿から卵焼きを取って、明星に食べさせた。

 

「兄さま私幸せです」

「そうかそれは良かった。そういう訳だから、風呂に突撃してこないようにな」

「兄さまの仰せの通りにします」

 

 ご機嫌な明星の笑顔を見ながら、これで静かな夜が過ごせる、と京太郎はそっと胸を撫で下ろした。

 

 それが勘違いだったと知るのは、今晩のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京太郎の泊まる離れの風呂には、素晴らしいことに温泉が引かれていた。これは神境の中では珍しいことではない。基本的に神境内部の全ての入浴施設には、温泉が引かれている。何も彼の使っている離れだけが特別なのではなかった。

 

 しかしそれも、使う人間にはあまり関係のないことである。

 

 一人の温泉を満喫しようと、京太郎は鼻歌交じりに脱衣所で服を脱いだ。風呂の時間に明星たちに突撃されることだけが気がかりだったが、今日の夕食の時にきちりと釘を刺すことができた。流石に公然と入ってくるなと言っておけば、無茶はしてこないはずだ。

 

 神境で一番怖いのは、何も準備ができていないうちに相手の術中に嵌ることだった。それを考えると京太郎の行動は遅いくらいだったのだが、相手が行動を起こすよりも先に言葉にできたのだから、セーフと言えばセーフなのかもしれない。

 

 カラカラと、風呂場の戸を開ける。無人で広い風呂場の何とすばらしいことだろうか。一人感動しつつ熱めのお湯を頭からざぶり。あ”ーと非常におっさんくさい声を挙げながら、髪についた水滴を払い、肩まで一気に湯に浸かる。

 

 熱い。熱いのだが……それ以上に気持ち良い。松実館でも思ったことだが、温泉というだけでこうも違うものなのだろうか。温泉哲学に耽る京太郎の耳に、しかし、小さな声が届いた。

 

「神境の温泉は一味違う。多分、神様の力と関係があると思う」

「そりゃあ霊験灼かそうだな――って」

 

 聞えるはずのない声を聞いて、京太郎はすぐさま振り向き――そしてそれ以上の速度で、振り返って見たものから顔を逸らした。振り返った先には同級生の巫女――春がいた。風呂場である当然の理屈として、彼女は何も身につけてはいなかった。温泉を引いている風呂の透明度はそれほど高くはなかったが、京太郎の目には湯気の中でも湯の中の肌色が見えてしまった。

 

「入ってくるなって言っただろ!?」

「私は待っていただけ。入ってきたのは京太郎の方」

 

 屁理屈を、と反論しかけた京太郎だが、口を開く直前でそれを押し込めた。言葉に不足があったのは、春の言うとおり事実である。言葉には従うという意思が一応とは言え向こうにはあったのだから、もっと具体的な言葉を使うべきだったのだ。

 

 息を吐き、気持ちを落ち着ける。

 

 春がここにいる理由は理解できた。しかし、言葉に不足があったのが事実でも、おもちで裸の美少女と一緒に入浴をする理由は――本音を言えばとてつもなく名残惜しいのだが――なかった。さっさと湯船から出ようとした京太郎の手を春がしっかりと掴む。振り向かずとも、絶対に逃がさないという彼女の強い意志が感じられた。

 

 同級生の巫女の強い自己主張に、京太郎は逃げることを諦めた。京太郎が肩まで湯に浸かるのを見て、春は安堵の溜息を漏らす。

 

「春一人か?」

「はるる。るが一つ足りない」

「はるる、一人か?」

「……私一人じゃ、不満?」

「いや、むしろ一人で助かってるけどそうじゃなくて。そういう一休さんみたいなことを思いついたのが、はるる一人とは思えないんだけど」

「良子姉さんとは話をつけてきた。たまには春が良い目を見ても良いだろうって」

 

 頼りになる年上のひとりが既に向こう側に着いていたことに、京太郎は落胆の溜息を漏らした。

 

「それに、私達にとって危険なのは深夜になってから。これくらいの時間なら、まだ大丈夫」

「なんだよ。神境には何か出るのか?」

 

 巫女でも神職でもない京太郎には、神様とか悪霊とかに出てこられるともうどうしようもない。京太郎が僅かとはいえ怯えているのが解ったのだろう。すす……と春が、湯船の中で身体を寄せてくる。

 

 小学生の時でもそれなりにあったおもちが、今はメロンのようになっている。押し付けられた訳ではないが、大きな裸のおもちがすぐそこにある気配に、京太郎の胸は高鳴った。

 

「ここは神様のおわす土地。悪いモノは入って来れない。でも、神様の中には悪戯好きの神様もいらっしゃるから。でも――」

 

 背中で春が『むー』とかわいく唸るのが聞えた。おもちの気配が近寄り、春の体温までもが身近で感じられるようになるとその息遣いまでが京太郎の耳元で聞えるようになった。総じて、いつも京太郎の近くにいることが多い春であるが、今晩は更に近い。

 

「思ったより慌ててない。もしかして、最近こういうことがあった?」

 

 流石に巫女さんである。妙なところで鋭い。春の追求に、京太郎は慌てず騒がず無言で首を横に振った。

 

 その直感はまさかの大当たりであるが、先週奈良で旅館の娘さんに背中を流してもらったことや、その前の週に一つ年上の金髪幼女と一緒に湯船に浸かったことは言わない方が良いのだろう。

 

 対抗心の強い春のことだ。正直に言えば同じことをしたがるに決まっている。ちゃんと服を着ていた玄相手でさえ、あんなにもどきどきしたのだ。全裸の春に同じことをされたら、意識を保っていられる自信がなかった。

 

「本当?」

「本当。キョウタロウウソツカナイ」

「その言葉はとても嘘臭い。ちゃんと私の目を見て答えて」

 

 ぐい、と思いも寄らない力で、振り向かされる。すぐそこには、春の上気した顔と、髪と同じ色の瞳が見えた。じっと、嘘は許さないと見つめてくる春から、京太郎は目を逸らすことができなかった。

 

「どうだ?」

「嘘は言ってないと思う」

「そうだろう、そうだろう」

「でも、そう思うだけ。私の京太郎に対する疑いは消えた訳じゃない」

「じゃあ、どうしたら俺を許してくれる?」

「ちゅー」

 

 躊躇いなく、そして間髪入れずにされた春の提案に、京太郎の目は点になった。春も流石に恥ずかしかったのか、耳まで真っ赤になっていた。

 

「ほっぺにちゅーで許してあげる」

「いや、言ってることが解らなかった訳じゃない」

 

 京太郎の顔は春に掴まれたままだ。おそらく自分の顔も真っ赤になっているだろうことを自覚しながら、京太郎は内心で溜息を吐くと、春の頬をつんつんと突いた。癖になりそうな程、春の頬は柔らかい。このまま延々と頬を突いていても楽しそうではあるが、はるる様にへそを曲げられるのは、もっと困る。

 

 何しろここは風呂場で、若い男女二人が全裸で向かい合っているのだ。状況は特に京太郎にとって優しくなかった。この状況で春に襲われたら、京太郎には抵抗する手段がない。どれだけ荒唐無稽なものでも、それが叶えられるものである限り、京太郎はそれを叶えるしかないのである。

 

「……じゃあ、するぞー」

「ん」

 

 何も着ていない首から下を見ないようにしながら、春の頬に唇を――触れさせる前に、がっちりと春の顔を固定する。抗議の視線を送ってくる春を、京太郎ははっきりと無視した。頬に唇が触れる直前で、顔の向きを変えることが表情から読めたのだ。

 

「いや、頬だからな。女子がちゅーを安売りするな」

「京太郎の初ちゅーを買えるなら、それでイーブン……」

 

 春の声が、段々と小さくなっていく。その眼前には、気まずそうに目を逸らした京太郎。春の巫女としての直感は、またも正しく働いた。

 

「ソレハドコノドイツダ」

「小さい時の話だよ。あれを初ちゅーとカウントするのは勘弁してもらいたい」

 

 まだ大阪に住んでいた頃の話だ。当時、何だかませていた怜に色々とさせられたことがある。ちゅーもその一つだった。もっとも、頻繁にそういうことをしていた訳ではない。特にちゅーについては、一度されてから恥ずかしくなって、とにかく逃げ回ったものだった。今思うと、凄いことをしていたものだと思う。

 

「口?」

「まぁ、口だな……」

 

 ぐぎぎ、と春の首に力が篭るのを、京太郎は全力で阻止する。あのちゅーは幼い時分、怜にいきなりされたから成立したのだ。中学生にもなって、冷静に、春を相手にするのは色々と不可能だ。

 

「て言うか、頬にするんだって普通は恥ずかしいんだぞ。口はハードル高すぎるだろ」

「大丈夫。私と京太郎の二人だけの秘密」

「そういう問題じゃないってのは解ってるだろ?」

 

 京太郎の諭すような声音に、春の抵抗がぴたりと止まった。巫女として直感の鋭い春であるが、旧来の友人である京太郎のことは良く観察している。その声音に僅かに苛立ちが混じったことから、これ以上粘ったら本当に怒らせてしまうことを敏感に察したのだ。

 

 春とて、京太郎を怒らせるのは本意ではない。ここで話が流れたら、頬にちゅーをさせるのもご破算になる。せっかく良子の協力を得てできたチャンスなのだ。乙女としては、何としても物にしたい。

 

「わかった。でも頬にはちゅーしてもらう」

「わかった、わかった」

 

 覚悟が決まると、京太郎の行動は早かった。春の気が変わらない内にと、そっと彼女の頬に唇で触れる。中学生がするにしても軽い、本当に触れるだけのものだったが、それでも京太郎にとっては心臓は張り裂けそうになるほどどきどきすることだったし、春にとってもそれは同じだった。

 

「ありがとう」

「どういたしまして。さて、お前がここにいるなら俺は一度出るぞ。出たら、声をかけてくれ」

「一緒に入らない?」

「はるると一緒だと長湯になりそうだからな。どうせ話をするなら、あがってからゆっくりの方が良いだろ?」

「じゃあ、そうする」

 

 春から離れ、湯船から上がろうとしたところで、京太郎は動きをとめた。春の視線が背中に張り付いているのを感じたのだ。肩越しに振り返ってみると、春は気まずそうに視線を逸らした。

 

「できれば後ろでも向いててくれるとありがたいな。尻をじっと見られるのは、男の俺でも抵抗がある」

「良子姉さんから京太郎のお尻は引き締まってて魅力的だって聞いたから」

 

 ぼそぼそとではあるものの、正直に理由を告白したのは春の美徳の一つと言えるのだろう。

 

 その行動に報いるように、京太郎はにこやかに微笑むと、洗面器一杯に掬った湯を、春にぶっかけた。




お風呂回ははるる一人でした。
次回、永水編最終回です。

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