セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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※原作『咲-saki-』は女子高生が麻雀をするマンガです。


34 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編⑤

 薄暗い道を歩きながら、湧は何度目になるか知れない溜息を吐いた。

 

 少し先を幼馴染で同じ六女仙の明星が歩いている。自分と一緒で薄い夜着姿だが、初恋の人である京太郎をして『男の子みたい』と評されたぺったんこなボディと違い、明星の身体には十分過ぎるほどの凹凸があった。同級生なのにズルいと思う。

 

 今日も二人で一緒に京太郎のところに押しかける予定だ。古風な表現で言うところの『夜這い』である。初体験が三人で、ということに抵抗はあったものの、霧島においてはそれほど珍しいことではない。何よりも男性をゲットすることが優先なのだ。数は多いに越したことはない。

 

 湧を憂鬱にさせているのは、相棒の明星のことである。中学生離れした明星が今晩の主役になるのだと思うと、同じ女として胸が痛い。男の人は胸やお尻が大好きで、京太郎は特に胸が好きであることを、湧も明星も知っていた。はんぶんこと言ってこそいるが、明星は自分の有利を疑っていない。

 

 嫌な考えになってきた。黒い感情を追い出すように、気息を整える。

 

 明星との同盟を受け入れた段階で、明星に対して文句を言うのは筋違いだ。共に戦い、霞たちに勝たなければならない以上、必要なのはチームワークである。元より、ライバルチームだって巨乳とぺったんこのコンビなのだ。メンバー構成としては、何も問題はない。

 

 相手は強力だからこそ、年下の自分達は早めに行動する必要がある。

 

 今夜決めちゃいましょうと言い出した明星に乗っかったのは、湧もそれなりに危機感を持っていたからだが、見た目に反して乙女であることを自認する湧は、手をつないだり待ち合わせしてデートしたりちゅーしたりしてから、こういうことをするべきだと思っていた。即物的な考え方をする明星とは対照的である。世間一般では多数派に属するだろう『手順を踏むべき』という考え方も、残念ながら神境では少数派だった。

 

 手を出せるのならば、さっさと出しておくべきというのが、神境の巫女の基本的な考え方だ。顔も解らないライバルはきっといて、それらは京太郎の近くにもいる。明星が焦る気持ちも理解できた。

 

 そんな攻撃的な幼馴染の背中を見ながら、湧はどうしても失敗した時のことを考えてしまう自分の弱さを反芻していた。これから一戦交えるというのに、気分がどんどん沈んでいく。もう少し延期はできないものか、と適当な理由を考えていた湧は――唐突に、背中から地面に倒れこんだ。

 

 考えるよりも先に、本能に従って身体が動いたのである。何故、と湧が考えたその直後、明星が吹っ飛ばされた。

 

(攻撃された!?)

 

 神境の中では考えられないことだが、明星が吹っ飛ばされたのは少なくとも事実である。湧は即座に跳ね起き、周囲を警戒した。

 

 人の気配はない。目に見える範囲に、不自然なものは見えなかった。

 

 気のせいか、と浮かぶ考えを即座に否定する。明星が吹っ飛ばされたのは紛れも無い事実だ。

 

 攻撃される理由は一つしか思い浮かばない。この先には京太郎がいる。そしてここは神境だ。男に飢えた巫女が多数集まる場所で、世間的には湧もその一人である。巫女が激突する理由は、家々の権力争いでなければ男を置いて他にはない。

 

 そして相手が誰かは、考えるまでもなかった。

 

 六女仙の邪魔をするのは、六女仙である。攻撃的な邪魔が入った段階で、湧は自分の不利をはっきりと悟った。六女仙の中で、湧と明星は最年少だ。年長の霞たちとは三歳も年が離れている。この年代で、修行した時間にそれだけ差があるのは致命的だ。湧も明星も同級生の中では五指に入る力を持っているが、霞たちと比べるとどうしても見劣りする。

 

 本来ならばこうなる前に勝負を決めるべきだったのだ。女の戦いならばまだしも、実力行使があったら勝てるはずがない。

 

 倒れた明星に外傷はない。彼女らが直接的な攻撃手段に及ぶとは思っていなかったが、幼馴染が無事なことに湧は安堵の溜息を漏らした。今なら明星を連れて逃げても、追ってはこないだろう。京太郎を目前にして離れると後で明星は文句を言いそうだが、ここに留まっても良いことは何もない。とにかく逃げるが勝ちである。

 

 受身も取れずに倒れる明星を、地面に激突する前に回収する。そのまま明星を抱きかかえた湧は、直感に従って大きく仰け反った。一瞬の後、湧の顔があった場所を見えない何かが高速で通り過ぎていく。

 

 風切り音がほとんど聞こえない。霊力を纏った小さく細いものが、高速で動いている。おそらく糸か、そのくらいの細い何かだ。種が割れれば相手の特定は容易い。妨害してくるならば霞初美のグループかと思ったが、こういうトラップを得意とし、好んで用いるのは春と巴である。

 

 コンビを組んだという話は聞かない。おそらくどちらかの単独だろう。相手が一人、というのは好ましい情報だったが、明星が気絶してしまった今、湧も一人だ。数が同じなら、相手が有利。年下の巫女は、徒党を組むか小細工を弄しないと、先輩の巫女には勝てないのだ。それに一応修めただけの湧と違って、あの二人は霊的な場を構築することを家業としている。専門的な知識の量は、湧とは比較にならない。こちらをハメるためのトラップなど、昼寝をしながらでも構築できる。相手の陣地で戦うのは、とにかく不利だ。逃げるが勝ち、という持論を補強した湧は、逃げ足を大いに早め――足の裏で、ぷつりと何かを踏み切った。

 

 絶賛周囲を警戒中の湧の感性が、自分の周囲に何かが大量に沸いたのを理解させた。

 

 その瞬間、湧は逃げることを諦めた。次に明星と組む時は、普通にデートに誘おうと心に誓いながら、湧は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひっそりと静まり返った神境の夜道を、春は一人歩いていた。着ているのは巫女服ではなく、真っ白な薄手の夜着一枚である。夏の鹿児島とは言え肌寒いくらいであるが、これを勝負服と決めた春の歩みに迷いはなかった。

 

 春は今晩、全てを決めるつもりでいる。

 

 小蒔と六女仙、都合七人で作った夕食は京太郎にも好評で久しぶりに凄く楽しい夕食になった。満腹になった京太郎は旅の疲れもあって今頃ぐっすりと眠っていることだろう。普段ならば春も眠っている頃合であるが、今日は違った。

 

 料理にはこっそりと、精のつくものを混ぜておいた。疲れていても、色々と元気にはなるはずだ。若いうちにそういう物は必要ないという考えの巫女もいるが、何事も勢いというのは大事だという巫女もいる。恋愛ごとにおいて、春は後者の支持者だった。

 

 春は勿論初めてで、話に聞く限り京太郎も初めてだ。気まずいことも、失敗することもあるだろう。そういう場面を切り抜けるのに、勢いはどうしても必要だった。

 

 滋養強壮の補助を受けた上でこちらから迫れば、京太郎も受け入れてくれる。霞や小蒔ほどではないが、春のおもちは十分に大きい。小学生の段階で成長が止まったらどうしようと焦り、入念に豊胸効果のあるとされるマッサージを試した成果か、同級生の平均を大幅に超えた今でも、おもちはすくすくと成長を続けている。

 

 自身の持つ戦力に満足しながら薄い笑みを浮かべていた春は、静かに足を止めた。

 

 京太郎がいる離れは、この道を行った先にある。見通しの良い一本道だ。何の変哲もない通り慣れた道であるが、巫女としての春の感性がここは危険だと告げていた。虫の知らせというのは神境の外でも良くあることだが、巫女の、とりわけ霧島の巫女の嫌な予感というのは良く当たる。

 

 何かある。おそらく何かトラップが仕掛けられているのだろう。ここは巫女の集まる地。それくらいの技術を持った巫女は沢山いるが、男を争うこの環境にあって六女仙に対抗することのできる人間は、六女仙しかいない。仕掛けられたのはトラップ。ならば相手は巴しか考えられない。

 

 京太郎に関して、巴は穏健派だ。夕食の時も夜這いには反対という姿勢をやんわりとではあるが示していた。精の付く料理を作ることこそ邪魔しなかったが、京太郎の同意なく、無理矢理行くことには反対なのだろう。その主張を通した結果がこのトラップと考えると、おそらく巴は単独だ。

 

 京太郎の元に行くにはこのトラップを解除するなり破壊するしかないが、この手の技術に関して巴は先輩だ。時間をかければ対応できるだろうが、安全を重視して作業をすると夜が明けてしまう。京太郎と一戦交える準備しかしていないから、こういう霊的なトラップに対応するための道具も持ってきていない。文字通り身一つだ。時間をかけすぎてしまうと、それこそ巴の思うツボだ。

 

「やっぱり、何かあるのね……」

 

 どうしたものかと途方にくれる春の背中に、聞き覚えのある声がかけられた。邪魔してくるならこの人と、心の中で思っていた人物だが、今や共に強大な敵と戦う仲間となってしまった声である。

 

 背後の茂みの中から出てきたのは、霞と初美。春と同じく薄い夜着姿で、特に霞の方は同性の春から見ても危険な色香を放っていた。意識的に帯を緩めにしているのだろう。零れそうになっているメロンのようなおもちには、決して小さくはない春でもふつふつと怒りが沸いた。

 

 声をかけるまで出てこなかったことには、突っ込まない。霞も初美も優秀な巫女だ。直感で何かトラップが仕掛けられていることまで理解したのだろうが、それがどんなものなのかまでは解らないはずだ。

 

 普通、こういうことは早い者勝ちである。後から来た人間に掻っ攫われる危険を冒しても、草むらの中に隠れていたのは、あわよくば後続の人間がトラップにひっかかり、その内容が明るみになることを期待してのことだろう。

 

 それを卑怯だとは思わない。春も霞と同じ立場にいたら、同じことをしたはずだ。

 

「何か手がかりは?」

「湧ちゃんと明星がなす術もなくやられたみたい。私達が来た時にはもう気を失って倒れていたわ」

 

 霞の視線を追った先には、彼女らが出てきた茂みがあった。その中に目を向けると、やはり薄い夜着の姿の湧と明星が倒れていた。見たところ外傷はない。服の汚れも倒れた時にできたものだけだ。物理的に強い衝撃を受けた、という可能性は考えなくても良さそうである。ここだけを見れば手がかりはないに等しいが……

 

 二人に歩み寄った春は、湧の服に複数の糸が付着しているのを見つけた。摘み上げて観察してみて、春はトラップの正体を正確に看破した。

 

「これは糸を使った結界の一種」

「結界ですかー」

「そう。道に糸を沢山撒いておいて、それを踏んだ人間のその周囲にある糸が踏んだ人に当たって、それを吹き飛ばす仕組み」

 

 糸に人を吹き飛ばすだけの力は、普通はかけられない。糸には霊力が込められており、それが明星たちを吹き飛ばしたのだ。糸もただの糸ではない。巫女が霊力を込めて自分の髪を縒った特注品である。大体、この手の糸は霊力の親和性を考えて自分の髪を使う。明るいところであれば髪の色などで使った人間を特定することも可能だが、この場合は、それも必要がない。

 

 六女仙の中でこの手の術を使いたがるのは、自分を除けば巴しかいないからだ。

 

「巴ちゃんね?」

「普通は警戒するだけだけど、実際に二人を吹き飛ばしたのなら近くにいるはず。踏んだことを確認してから、自分で動かしているはず。多分、京太郎の近くにいる」

「お姫様と一緒ですかー」

「ただ、この結界そのものに、防御の機能はない。霊力をぶつければ普通に吹き飛ばすことが可能なはず」

「それができれば良いんだけど……」

 

 霞の視線が初美に向く。

 

「この離れに限らず、分家分邸のほとんどは薄墨が設計したものです。普通よりも簡単に結界が張れるようになってる……というのは今更説明するまでもないかもしれませんが、残念なことに巴の設置した結界は、離れの結界の内側にあるのですよ」

 

 外からの攻撃に対して、結界は勝手に発動する。攻撃された、という事実に巫女は敏感だ。一撃でそれを打ち抜けるならば良いが、そうでなければ神境中の巫女が飛び起きるだろう。男関係のことについて大抵のことには寛容になってくれる環境であるが、深夜にたたき起こされたとなっては、無視することはできない。

 

 京太郎という美味しい果実を前にして、お説教コースは確定だ。

 

 そうなると、巴が設置した方の結界をどうにかするしかない。

 

 結界を設置するために使用した糸は、巫女が各々ストックしているものである。その性質上、それほど多くの数を持つことができない。同時に、何かあった時のためにストック全てを放出することもできない。一緒に糸を作った時に確認した巴のストックの量から鑑みて、

 

「10メートルもないと思う」

「それなら行けるわね。はっちゃん?」

「おまかせあれ、なのですよー」

 

 10メートルという数字にも、初美の声に気負いは見えない。ちなみに現在の走り幅跳びの世界記録は、男子で8メートル96センチ。女性でしかも身長の低い初美では到底達成できる記録ではないが、霊力で身体を強化した状態であれば、10メートルというのは十分に飛び越えられる距離である。

 

 助走のための距離も十分だ。

 

 問題はあのトラップを超えた先にさらにトラップが無いかということだが、この結界は設置するにもそれなりに時間がかかる。元よりここは滝見の離れであるから、狩宿の巴がこそこそと作業するのは問題なのだ。計画そのものは以前からしていたとしても、設置したのは今晩のはずだ。

 

 故に、他にトラップを作っている時間はないと、春は見た。

 

「補助はいるかしら」

「一人で十分なのですよ!」

 

 夜着に草履という決して走り易い格好ではなかったが、初美の動きには衣装の不利など感じられなかった。気息を整えると、初美の霊力は活性化し――

 

 そして、駆ける。

 

 アスリートも裸足で逃げ出すような速度で地を駆けた初美は、トラップの直前で踏み切り、10メートルの距離を易々と飛び越えていく。初美の足音はそのまま、遠くなっていった。後はしばらく待って、結界を踏み越えて行けば良いだけだ。

 

 いくら巴でも初美の相手をしながら、迎撃用の結界を動かすことはできない。初美に合流することができれば、3対1だ。できれば腕っ節の強い湧がいてほしいところだったが、彼女は今夢の中だ。仮に復活したとしても、すぐに巴と戦うようなコンディションまでは回復しないだろう。

 

 合流までの時間を待ちながら、春は考える。

 

 これぐらいの距離ならば、初美や湧は飛び越えることができる。当然、それは巴も知っていることだ。

 

 設置に時間をかけられない以上、他のトラップが同時に仕掛けられている可能性は低い。あれを飛び越えることができれば、後の障害は巴一人である。初美一人ならば巴は強敵だが、そこに二人が合流できれば、勝敗の行方は解らなくなる。他家の敷地にトラップまで仕掛けたのに、それではあまりにも危険が大きい。麻雀でも堅実に打ちまわす巴がそんなギャンブルをするとは、春にはどうしても思えなかった。

 

 何か別の手があるのかと考えてみる。

 

 一番手っ取り早いのは、他に協力者を作るということだ。一人協力者がいるだけで、設置と制御の問題を一度に解決することができるが、小蒔は既に就寝中で、湧と明星は既にリタイア。春たちは三人で今、徒党を組んでいる。声をかけられる人間はもういない。他の世代に声をかけるのは、本末転倒だ。六女仙の一人から招かれたとなれば、他の世代からの参戦に歯止めがきかなくなる。結果的にゲットできる可能性と、ゲットした時の取り分が減る可能性が増すことを考えれば、例え切羽詰っていても、その選択肢は選ばない。

 

 援軍の可能性は、ないに等しい。それは解っているのだが、春の中から嫌な予感は消えなかった。

 

「春ちゃんも心配性ね。はっちゃんなら大丈夫よ」

 

 春の心配を他所に、霞は安堵の表情で初美の去った方向を見つめている。

 

 しかし、相手は巴だ。初美の行動が上手くいったとしても、これから三人で巴と対決しなければならない。霞に緊張が見られないのは、彼女が巴と同級生で、公的には立場が上だからだ。年下で、後輩の春はそうはいかない。余裕のない春には、霞の態度が油断に思えて仕方がなかった。

 

 初美が跳んでから、既にそれなりの時間が経過している。巴があちらにいるならば、そろそろ接触しても良いはずだ。

 

「準備をしましょうか。協力して通路の糸を吹き飛ばします。その後は走って、はっちゃんに合流の後、巴ちゃんと対決。そういう手順でよいわね?」

 

 手順の確認、という建前の取り分の確認が行われる。この二人と組むことになってしまった時点で、春の取り分は大きく目減りした。既に二人は同盟を組んでいるだろうから、きっちり三等分とはならない。良いところ、4:4:2くらいのはずで、それが春の気分を盛り下げるのだった。

 

 本当ならば一人占めできていたはずだったのだ。それを考えると取り分が五分の一になったことは痛いが、締め出されるよりはずっと良いと無理矢理良い方に考えることにした。

 

 さて、と春も意識を切り替え、離れに視線を向けた矢先、霞の周囲に何か、影が見えたような気がした。春に比べ、霞の反応は早かった。影から距離を取るために跳び退るが、影の動きは霞の動きよりも更に早かった。跳び退った霞の更に後ろに回っていたその影は、目にも留まらぬ速さで霞のうなじを軽く叩く。それだけで霞は気を失った。

 

 地面に倒れないよう、優しく霞を抱きとめるその影の名前を、春は良く知っていた。

 

「巴さん……」

「こんばんは、はるる。良い夜だね」

 

 いつもの調子で、巴は笑みを浮かべるが、格好はいつもの巫女の衣装とは違っていた。

 

 襷がけされ、露になった白い腕には手甲。腰には刀が下げられている。それは儀礼用のものではなく、実用一点張りの真剣だ。神境からの支給品ではなく巴の私物である。気分を出すためだけに持ち出されたのではないことは、刀を下げたその立ち姿が異様に様になっていることからも伺えた。あまりの巴の本気具合に、春は一歩退いた。

 

 

 狩宿巴は、退魔師である。

 

 

 それは霧島の巫女の数ある役職の一つであり、小蒔や霞の神降ろしに並んで特殊な才能を必要とする役職である。同年代の中でも数が少なく、六女仙の中では巴一人。現在の十代の中では、巴も含めても十人に満たないほどの少数精鋭だ。

 

 その役割は、地位の高さと実力によって異なるが、全員に共通しているのは巫女の修行に加えて武術の鍛錬をしていること。古くは妖怪とも戦っていたという退魔師の腕は、そこらの腕自慢など問題にならない。

 

 いわんや、年端も行かない巫女をや、だ。

 

 結界設置の技術も然ることながら、実力において巴を危険視していたのは、一重にこの腕っ節の強さによる。実力行使となったら、本当に、巴に勝てる巫女は神境中を探しても、ほとんどいない。ある意味、霞以上に敵に回してはいけない人間なのだ。

 

 霞が打ち倒され、現在、春は一人で巴と相対している。初美を含めて三人で戦う想定をしていたのだ。一人で向き合った時点で、春の負けは確定的である。巴は、ギャンブル性の高い賭けをしない。初美がいて、三人で戦ったとしても巴ならば勝ちを拾える可能性があったが、それだとまだ、万が一のことがある。初美が離れるまで、出てくるのを待っていたのだ。湧は倒れ、その次に腕の立つ初美が姿を消した。春と霞の二人が相手であれば、巴に負けはない。 

 

「でも、それなら早く京太郎の所に行った方が良い。初美さんが京太郎を食べちゃった後では、全てが遅い」

 

 春の言葉に、巴が片眉をあげる。

 

 迎撃するはずの巴がこちらにいるということは、初美は今、フリーになっている。あちらにいない時点で、どこにいるかは察しがつくことだろう。同時に、時間があまりないことも理解する。霞と同盟を組んでいる初美であるが、全ての状況において義理立てしている訳ではない。チャンスとなれば、自分一人で突撃する可能性は高い。

 

 巴の目的が京太郎の守護となれば、今一番危険なのは、京太郎の近くにいるはずの初美だった。言葉の通り、食べられてしまった後では、全てが遅いのだ。春の言葉は、巴の危機感を刺激するためのものだったが、巴は春の言葉を受けても、余裕の態度を崩さなかった。

 

「あー、それは大丈夫じゃないかな。あっちには頼もしい助っ人がいるから」

「助っ人? ……まさかっ!」

「うん、そのまさかの人だよ」

 

 巴の言葉に、春が一歩下がる。巴はその場を動かない。多少の距離が離れても、一瞬で踏み込めるという自信がそうさせるのだ。

 

「一応確認するけど、今日はこのまま黙って帰るってことはない? そうしてくれると、私も心を痛めないで済むんだけど」

「そうはいかない。京太郎を手に入れるチャンスを、見過ごす訳にはいかない」

「そう言うと思った。そういう京太郎大好きなところ、私も好きだよ。でも――」

 

 巴の姿が消える。わき目も振らずに春は駆け出すが、巴の声が走る春の耳元で聞こえた。

 

 

「――大好き具合では、私もそれなりなんだ。悪いけど、夜這いは認められないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 侵入者を全員撃退し、離れに戻ってきた巴が最初に見たのは、簀巻きにされた初美の姿だった。特別な訓練を受けていない中では、初美も腕が立つ方なのだが、今回は相手が悪かったと言うより他はない。

 

「そっちも片付いたようだね」

 

 京太郎が寝ている部屋の前、制服姿で正座しているのは、巴の協力者である戒能良子だった。部活の引継ぎも終了し、プロになることも確定したことで、滝見の本家に挨拶に来たのだ。

 

 外様とは言え、春の従姉で滝見の一族である。本来ならば彼女がやってきたという事実を、一族である春が知らないのはおかしい。そこから話が漏れることを警戒した巴は、良子に一計を案じてもらった。

 

 良子は滝見の本邸に行かず、神境にやってきたその足でこの離れまで来たのだ。神境の中にも警備の巫女はいるが、それは神代の本家や、分家の本邸の周囲に集中している。年頃の男子の客人とは言え、離れの方までは警備の目も届き難い。良子の立場であれば、誰にも知られずにこの離れにやってくることは、それほど難しいことではなかった。狩宿の巴と異なり、一応良子は滝見の一族であるから角も立ち難い。

 

 とは言え、巴と共謀したとは言え、外様の巫女が六女仙を叩きのめしたという事実は、良子の立場を危うくするものである。本来ならば叱責の可能性もあることだが、ここは霧島神境だ。男を引っ張りこむことについては、大抵のことが許される。それにバラバラに行動していたとは言え、六女仙が五人もいて、二人の巫女に遅れを取ったのだ。体面のためにも、話はそこまで大きくはならない。

 

「ところで、良子さんはどうして私の味方になってくれたんですか?」

「幸い、私は来年から社会人だ。不自由はそれなりに増えるだろうけど、学生とは違った時間の使い方ができて、少しは金持ちになる。今勝負が決まるのは、あまり都合が良くないのさ」

 

 それが六女仙最年長の霞より二つ年上の良子の強みだ。巫女になることが決定的な霧島の面々と異なり、良子は麻雀のプロになれるくらいの実力と自由がある。巫女が麻雀をしているというよりは、麻雀打ちが巫女をしていると言ったほうが近い。良子はその立場を、大いに活用していた。愛媛から離れられなかったこれまでよりも、京太郎と接する時間は、増えるかもしれない。

 

「私としては巴がこちらにいる方が不思議だよ。話をもらった時には驚いた。巴一人でやってれば、負ける可能性はあるけど京太郎を独り占めできてたかもしれないのに」

「それは私も考えたんですけど……」

 

 自分から押しかけるのは、巴の好みではない。京太郎には多少強引に迫った方が効果があるのは自覚しているものの、やはりもっと甘酸っぱいことから始めてみたいのだ。

 

「乙女だね。霞にも聞かせてやりたいよ」

「いざとなったら、私も解りませんけどね。良子さんこそ、強引に行くのは趣味ではないんですか? 愛媛では、自室に京太郎を何度も連れ込んだと聞きますけど」

「毎回、欲望との戦いだったよ。楽しかったのは間違いなかったけど、あれはあれで辛い面もあったね。本当、あの頃の京太郎はかわいかった」

「あ、それだと今の京太郎がかわいくないみたいじゃないですか。今だって十分かわいいですよ? と言うか、今の京太郎が一番かわいいです」

「私としてはかっこよくなってほしいんだけどね……まぁ他ならぬ巴の言うことだ。信じてあげたいところだけど、最新の京太郎については実物を見てみないと何とも言えないね。と言う訳で、これから二人で京太郎の寝顔でも観察しないかい? 霞たちを撃退したんだ。今夜はもう襲撃はないだろう」

 

 襲撃の可能性があったのはそもそも霞達だけだ。自分以外の六女仙を全員撃退した時点で、京太郎の安全は保証されたようなものであるが、それとこれとは話が別だった。

 お姉ちゃんとしては、邪な目的に京太郎を巻き込んでほしくない。それも巴の本心だったが、巫女にも退魔師にも、そして年頃の女の子にも欲はあった。

 

「良子さんがそう言うなら……」

 

 結局、巴は良子の提案に乗ることにした。ズルいと自分でも思うが、ここまで良いお姉ちゃんでいたのだから、少しくらいは悪いお姉さんになっても良いだろう。霧島には沢山神様がいらっしゃる。一柱くらいは、女の子の欲の味方をしてくれる神様だっていらっしゃるはずだ。

 

「じゃ、行こうか。実は京太郎に話を聞いてから試してみたかった術があったんだ」

 

 薄闇の中、良子は手早く印を刻み、小さく手を合わせる。

 

 すると、良子の姿が薄れていく……ように見えた。実際には消えても薄くなってもいない。姿も見えるが、そこにいないように『思える』のである。本職の巫女である巴の目をしても、少し気を抜くと見えなくなってしまいそうだ。

 

「どうしたんですか、こんな術」

「京太郎が生まれつきこういう体質の女の子と知り合ったみたいでね。どういうものだと相談された時から、自分で研究して開発したんだ。おもしろいだろう? こうして――」

 

 声を顰めた良子が巴の手を取ると、良子を覆っていたものがじんわりと巴にも移ったのが感じられた。適用範囲を拡大した、というよりは最初からそういう術だったように思える。触れた人間も巻き込む隠行とは、何と悪戯向きの術だろう。

 

 一から開発したのではなく、元からあった隠行の術を改良したものだろうが、一人で開発し完成させてしまう辺り、良子の才能の高さが伺えた。これで巫女が本職ではなく麻雀プロというのだから、今代の六女仙の一人としては、恐れ入るばかりである。

 

「手をつなぐとその人まで消える。本物よりは強力になったのかな? 私は本人に会ったことはないから比較できないけれど」

「でも、この力を持ってるのは女の子なんですよね?」

「京太郎の反応を見る限り、美少女そうだね。頼めば写真くらいは見せてくれるかもしれないよ?」

「別に良いです。絶世の美少女だったら凹んじゃいますから」

「巴は十分美人だと思うけどねぇ……」

(それは貴女が美人だから言えるんです)

 

 呆れたように言う良子に、巴は内心で毒づいた。六女仙の中では従妹の春を差し置いて、何故か巴が一番波長が合った。それなりに交流があり、年が離れていても大事な友人だと思っているが、独特の間合いと相手に踏み込む時の思い切りの良さは、苦手に思うこともあった。

 

 ともあれ、今は京太郎のことである。良子と手をつなぎ、京太郎の部屋に入る。部屋の中央に敷かれた布団の上で、京太郎は静かに寝息を立てていた。初めて会った頃よりは随分と男らしい顔付きになったが、まだ幼さも残っている。たまらなくかわいい寝顔に、背筋がぞくぞくとした。身震いする巴に、良子は底意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「寝顔を見るだけで良いのかい?」

「ここで襲ったら霞さんたちと同じですからね。私はもっと、清いお付き合いがしたいんです」

「それで他の誰かに出し抜かれても?」

「……それはお尻に火がついてから考えます」

 

 記憶から消えないように、しっかりと京太郎の寝顔を焼き付け、ついでにその頬の感触を思う存分に楽しんでから部屋を出て行く。縁側に座り、身体の熱を追い出すようにそっと溜息を吐いた。

 

 長い片思いである。何かとがっつく皆に反して、お姉ちゃんとして振舞うようになって、随分経ったような気がする。

 

 狩宿巴は退魔師である。

 

 六女仙の中でその役目を負えるのは巴一人。バックアップである霞、霊的な守護を担う春たちに並んで、巴は小蒔の物的な守護を担っている。狩宿の巫女の中でも巴の霊力は特別高いものではなかったが、その扱うスピードだけは同年代の中でも群を抜いていた。

 

 それは古くは妖怪とも戦ったという退魔師には必須の技能であり、幼い時分にその才能を見出された巴は、巫女の修行に加えて退魔師の修行も行うことになった。人間以上の存在と戦うための修行である。それが生易しいものであるはずはなかった。辛い、痛い、と何度逃げ出そうと思ったかしれない。

 

 京太郎がやってきた頃は巴の人生の中で一番鬱々としていた時期だった。春と初美が顧客を請け負ったというから、試しに見てみようと思って行った先で、屈託無く笑い、真剣な表情で麻雀に打ち込む年下の少年の横顔に、巴は心惹かれた。

 

 一人っ子だという彼のお姉ちゃんとして振舞うようになってから、心にも余裕ができた。弟に、無様な姿は見せられない。あの人はかっこいい、綺麗だと思われるようになりたい。そう思った時、何かが開けた気がした。

 

 今でも修行は辛く厳しいが、何とかやっていけている。初恋が、狩宿巴を強くした。例えこの先、京太郎と結ばれることがなかったとしても、この気持ちは消えないだろう。

 

 かわいらしい笑顔も、真剣な横顔も、あの日よりも更に魅力的になっていた。久しぶりに見た麻雀に打ち込む時の横顔は、たまらなくかっこよかった。

 

 この思いだけで、辛い修行にも耐えていけるだろう。狩宿巴は、確かにお姉ちゃんだった。

 

「今日はこれからどうする?」

「ここで一泊、というのも魅力的ですけど、それだと京太郎が慌てちゃいますから一旦戻りましょう」

「まぁ、そうなるだろうね。ところで君以外の六女仙が全員気を失って倒れている訳だけど、彼女らを家まで送り届けるのは、もしかして私達の役目なのかな?」

 

 当たり前と言えば当たり前の良子の疑問に、巴は押し黙った。

 

 ここは京太郎の宿泊場所で、放置する訳にはいかない。仮にも同僚で、大切な友達だ。季節は夏とは言え、屋外に放置するのは気が引ける。送り届けるより他はないだろうが、五人というのは多すぎる。

 

「報酬は京太郎の寝顔一つか」

「なんだ。それで大分おつりが来るじゃありませんか。さぁ、二人で手分けして頑張りましょう」

「君も大概、京太郎のことが好きだね……」

「当然じゃありませんか。私は、お姉ちゃんですからね」

 

 姉とは自分以上に、弟の幸せを祈るものだ。少なくとも狩宿巴はそうだったし、そうありたいとも思っている。がっつき気味の一同の中で、一歩引いた目線でいられるのはその気持ちのおかげだ。

 

 友達と喧嘩することになったが、京太郎の安全を守ることはできた。おまけに寝顔を見て、頬を突くことができたのだ。

 

 お姉ちゃん的には、今日は良い日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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