セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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32 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編③

 霧島神境にも居住区画というものがある。

 

 まず神代本家。神境の中に本邸を持っているのは本家だけである。神代姓を名乗り神境に勤めている人間のほとんどがここで暮らしている。

 

 その他には、分家の分邸があった。本邸は石戸ならば屋久島、滝見ならば喜界島といった風に離島にあることが多く、本来なら彼女らはそこから通うということになるのだろうが、流石に島から通うのに霧島は距離があり過ぎた。

 

 島から出てきた分家の人間が滞在するための分邸は、そんな事情で神代本家の周囲に設けられていた。神境にいる間、分家の人間は大抵そこに宿泊する。六女仙である霞たちは神代本家の離れに寝泊りしているが、これは数少ない例外だった。

 

 その他、研修に来た外の巫女が泊まるための建物がそれらの外周に設置されているが、これは本当に宿泊のための施設であり、分邸に比べるとその質は大きく落ちる。それでも巫女が暮らすだけあって清潔だった。研修に来たことを考えればそれも、妥当な境遇と言えるだろう。

 

 さて、では巫女ではない外部の人間が来た時はどうするのか。勿論、そのための施設も存在するが、これの数はとても少ない。基本的に神境は関係者以外立ち入り禁止であり、巫女や神職以外の人間が立ち入ることは歓迎されない。京太郎のように長期のメンテナンスが必要な顧客でも、通いか、そうでなければ神境の外に宿を取るのが普通である。

 

 ではどういうケースの場合、外部の人間が宿泊することが許されるのかという話であるが、それが神境のある種の風聞を広める要因となっていた。つまるところ、将来を考えている異性であれば、歓迎はされないまでも目を瞑るという暗黙の了解が神境にはある。施設の数が少ないのは、男を相手にするのを身内の集まる場所でやりたがらない巫女が多いからだった。とは言え、少ないながらも施設そのものが残っているということは、少ないなりに需要があるということでもある。

 

 基本的に、それらの施設は普段は使われておらず、修行中の年若い巫女がせっせと掃除をしに立ち入るだけだ。普段は静かなもので、ただひがな一日、日向ぼっこでもしながら過ごすには、とても良い環境であると言えた。

 

 京太郎が泊められるのも、本来ならばそこのはずであるが、彼が案内されたのは居住区画外周部にある来客用施設ではなく、その内側。分家の分邸が集まる区画だった。土地の人間ならばそこが滝見の分邸で、割り当てられたのがその離れということが見て取れることだろう。外周ではなく内側に引き込んだことで、その家の本気具合が見えるのである。

 

 これはやってきた人間よりも、内部の人間に知らしめる要素が大きい。うちは本気だぞ、ということを知らしめることで他の家の出方を見るのである。それで離れていくならそれで良い。自分一人で事を進めれば良い話だし、それでもなお残っているならば、その時はその時だ。色々と話をまとめて、将来に備えなければならない。

 

 京太郎が神境に泊まるのは、これが初めてのことではない。前にも何度か宿泊したことがあり、その時もこの滝見分邸の離れを使わせてもらっていた。京太郎本人はただの来客用の部屋と認識している。彼がここに泊められている理由を知るのは、本当に内側に引き込まれたその時だろう。分家分邸の区画にあるため、春たちが寝泊りしている神代本家からもそれほど遠くなく、いつでも遊びにこれる距離となっている。

 

 そんな馴染みの建物の前に、京太郎たちは立っていた。

 

 巴の先導で両脇には明星と湧がいる。二人はしっかりと京太郎の腕を取っており、離そうとしなかった。京太郎も一人っ子で男である。かわいい妹分が慕ってくれるのは非常に嬉しいが、柔らかい身体を押し付けられることには抵抗がないではなかった。妹分フィルターがかかっているため恥ずかしさはそれ程でもないが、喜び一色だろう妹二人に比べると、京太郎の表情は随分とぎこちない。

 

 できれば、二人にはそういう細かな機微を斟酌して欲しいのだが、兄さま兄さま言う彼女らにはそんなことを気にする気はないようだった。助けを求めて巴に視線を向けても、取り合ってもくれない。役得なんだから黙って歩いてね、と視線で優しく言われてしまっては、男の京太郎にはもう、どうすることもできなかった。

 

「ただいまー、京太郎連れてきたよー」

 

 巴を先頭に、懐かしい家に入る。内装もほとんど変わっていない。神境で過ごした日々を思い起こしながら、居間へと歩く。

 

 麻雀をやったり一緒に遊んだり、最も思い出の詰まった部屋に、思い出の中と寸分変わらない小さな巫女と、相応に成長したかわいい巫女の二人がいた。

 

「久しぶりだな、はるる」

「うん……久しぶり、京太郎」

 

 万感の思いの篭った春の声に、京太郎の胸にも温かいものが蘇る。色々と話したいことはあるがそれは後の楽しみとして、急だとは思ったが、カバンの中からあるものを取り出した。

 

「はるるならこれだろうということで、奈良の和菓子屋さんで見つけてきた。特製黒糖まんじゅう」

「!!」

 

 ずばっと、思い出の中とは比べ物にならない速度で動き、手を伸ばす春の手から黒糖まんじゅうの箱を遠ざける。手を上に伸ばすと、小柄な春はまんじゅうに手が届かない。それでも諦め切れない春はぴょんぴょんと飛び跳ねるが、それも無駄な努力だった。そんな春を見て、京太郎は口の端をあげて邪悪に笑う。

 

「もちろんタダでやるとは言ってない。そうだな、かわいくおねだりしてもらおうか。審査員はこちらの湧先生と明星先生だ」

 

 おみやげ一つに条件をつけるというのも人間の腐った話であるが、それを見ている誰も京太郎の行いを止めなかった。明星も湧も初美も、良識派の巴も、春の行動をわくわくしながら見守っている。助けはいくら待っても来ないことは、春にも解っていた。

 

 だが自発的に『かわいい』行動をするのは人間としてかなりハードルが高く、特に春のようなあまり活発な性格でない少女には無理難題も良いところだった。春の目には既に涙がたまっているが、京太郎は取り合わなかった。

 

 時間にして数秒。意を決した春が、視線をあげる。

 

「……………………ちょう、だい?」

 

 小さく首を傾げ、上目遣い。蚊の鳴くような声であるが、春の声を聞くべくしんとなっていた部屋に、それは驚くほどに響いた。自分の声と行動に春は顔を真っ赤にし、その場に蹲って顔を伏せる。そんな春を生暖かい目で見つめながら、京太郎は隣の明星と湧に問うた。

 

「判定は?」

「春さん、かわいいです!」

「かわいい!」

 

 無駄にかわいいを連呼し抱きつく妹分二人。ここまで来たら後はノリだ。大きなおもちと小さなおもちに挟まれて呻く春の前に、京太郎はそっと黒糖まんじゅうの箱を置いた。明星と湧に抱きしめられたまま春は箱に手を伸ばすが、ぎりぎり届かない。

 

「別に取ったりしないから、後で食べろって。それはもうはるるのものだから」

「こ、ここまで恥ずかしい思いをしたんだから、せめて手元に置いておきたい……」

「そんなこと言うなよ、かわいいぞはるる」

 

 ぐっ、と小さく呻いて春の手はぱたり、と床に落ちた。恥ずかしさに負けた春を明星と湧が部屋の隅に引きずっていく。

 

 続いて京太郎が向き直るのは、初美だ。危険な感じの巫女服の着こなしは相変わらずである。緩い襟元から見える肌には、水着の日焼けの跡がくっきりと出ていた。そのはっとするような白さと、小麦色の肌の対比が眩しい。京太郎自身、ふくよかでおもちな女性の方が好みだと認識していたが、そういう好みとは真逆の初美でもやはり、ちらちらと襟元から見える肌は、視線をひきつけるのだった。気にするなというのは、無理な相談である。

 

「改めまして、ご無沙汰してます初美さん。春と一緒に部屋の準備をしてくれたそうで」

「気にすることはないのですよー。一応私も、京太郎の担当ですからね」

 

 確かに直接メンテナンスをするのは春であるが、初美も一応補佐として仕事をしている。最初に紹介された通りだ。初美の専門は元からある流れを調整し、気を呼び込んだり、その強弱を調整したりすること――香港などが本場の風水師というのが近いだろうか――ともかく、春のようなお祓いや人間の気を調整するのは初美の専門ではないのだが、流石に六女仙次席と言うべきか、その習熟度は別として、大体のことはそれなりにこなすことができる。

 

 霞や初美だってお祓いはできるし、春や巴だって気の呼び込みはできるのだ。それとは別に、各々の家が得意としていることを専門としているに過ぎない。それ故に全ての技能を高いレベルで実践できる巫女は、実に少なく、初美たちの年代では戒能良子ただ一人とされている。滝見の縁者とは言え、神境の巫女が受けた仕事を外様の巫女に引き継ぐことができたのも、一重にその能力の高さに寄る所が大きい。

 

「姫様と霞ちゃんは、もうしばらく時間がかかります。それまでははっちゃん達が、京太郎のお相手をすることになっているんですが――」

 

 そこで、初美は言葉を止める。広めの部屋に、男と女。しかしその比率は男が一人に、巫女ばかりの女が五人。誂えたように部屋の中央に置かれた正方形のテーブルの下には、緑色のラシャが引かれているのだろう。前に泊まりに来た時にも見たことがある。部屋の隅にはひっそりと麻雀牌が置かれていた。このメンバーで、この部屋ですることとなったら、麻雀の他にない。

 

「麻雀をしたい」

 

 言い出したのは春だった。恥ずかしがりから復活した春の目には、小さく炎が燃えていた。京太郎を見つめる目には、強い意志が感じられる。これは、報復を考えている目だった。

 

「トップがラスに命令権の賭け麻雀を提案する」

「でもでも、はっちゃん含めて女の子ばかりですよー。京太郎がトップを取って、えろえろな展開になったらどうするんですかー?」

「命令権を求める以上、リスクを負うのは仕方がない」

「それもそうですねー」

 

 ふんふむ、と初美が頷く。春の物言いにも初美の態度にも、予め決められていたかのような硬さがあった。根回しは組織の基本であり、霧島は世間よりもずっと、そういう要素が強い環境である。巫女も女性で、彼女らは自然に多数派を作ろうとする生き物だ。今この瞬間の春による提案は思いつきだろうが、初美の同調は予定されたものだろう。白々しいやり取りに京太郎が呆れていると、初美がばっと手を挙げた。

 

「賭け麻雀に賛成の人、お手上げですよー!」

 

 手を挙げたのは、初美本人と春、明星の三人。それを見て、湧がおずおずと京太郎の方を気にしながら手を挙げる。賛成は四人。過半数を持って確定とするならば、『賭け麻雀』をすることはこれで確定だった。

 

「巴さんは良いんですか?」

「私が挙げなくても、賛成多数になりそうだったしねぇ……京太郎はどっちかと言えば、そういうのあまり好きじゃないでしょ?」

「それはそうですが……」

 

 京太郎がやりたいのはあくまで麻雀であって、そこに卓外の事情を持ち込むことは好みではない。とは言え、どういう風に麻雀を打つのかは人それぞれである。他人の考えを否定してまで、自分の主張を通そうという気はなかった。

 

 巴は京太郎の主張に合わせてくれた形であるが、他の巫女四人が賛成している中、一人だけ手を挙げなかったというのは、それなりに角の立つ行動である。そこまでして自分の味方をしてくれたことを嬉しくは思うが、逆に申し訳ない気持ちにもなった。巴は昔から、小さなことで味方になってくれた。変わらないな、と思いつつ、京太郎は気を引き締める。

 

 初美が提案し、他の三人が乗った。やると言った以上、それで決定である。決まったことについては、異論はない。どういう事情があっても麻雀は麻雀だ。全力を尽くして臨むだけである。

 

「それじゃ、京太郎にやる気も出てきたところで、面子を決めましょう。実はここにはっちゃん特製のクジがありますので、お好きなものをお引きくださいですよー」

 

 初美が用意したクジというのが、また怪しい。ここに霞がいたらコンビ打ちすら疑っただろうが、それができる程に意思疎通ができるのは初美と霞のコンビだけだ。しばらく見ない間に他の面々もその技能を修得している、という展開は勘弁してほしいが、さて――

 

「この四人ですねー」

 

 東西南北の書かれたクジを引いたのは京太郎の他には、初美と巴、それと湧の四人だった。湧は麻雀における細かい機微が理解できそうにないし、巴は何だかんだでこちらの味方をしてくれる。イカサマがなさそうな面子に、京太郎は内心で安堵しつつ、卓に着いた。

 

 出親が巴で、湧、初美、京太郎と続く。オーラスに初美が北家というのは、最悪の配置だ。

 

「それでは、よろしくお願いします」

 

 頭を下げると同時に、待ってましたとばかりに春が京太郎の背中に引っ付く。麻雀で面子に組み込まれない時の、春の定位置はそこだった。京太郎の身体の前に腕を回して、指を組む。小さく祝詞を唱える春の声を聞きながら、京太郎は身体の具合を確かめる。

 

 相対弱運は発動していない。背中の春が、きっちりと抑えてくれている。肌で運の流れを感じ取れないことに違和感があるが、元よりこれが普通なのだと、改めて気を引き締めた京太郎の後頭部に、春が思い切り頭突きをする。

 

 ごち、という鈍い音がした。何だ、と視線を向けると春は不満そうな顔をしている。どうして平然としてるの? 春が聞きたいのは、そういうことだろう。

 

 もちろん、京太郎だってどきどきしていない訳ではない、春は美少女で、霞ほどではないがおもちもある。中学生としては十分巨乳の部類に入るだろう。鼓動の音が聞こえるくらいに引っ付かれて嬉しくない訳ではないが、それ以前に相手は『滝見春』である。一年という短い間とは言え色々なことを一緒にやり、色々なことを話した同年代の『友達』だ。身体を押し付けられたことも、数え切れないくらいにある。

 

 今でも毎回どきどきするが、慌てる程ではない。役得だなぁ、くらいに感じる程度だ。今ではむしろ、春の方がどきどきしているくらいである。春としては『ずるい』と思うのも仕方がないことだった。

 

 今回も、春は京太郎が挙動不審になるくらいは期待していたのだろう。背中の春は頭をぶつけたりして絶えず抗議の行動をしているが、今は麻雀中だ。集中している京太郎は春の抗議にも動じず、視界の隅で揺れる春のくるくるを指で弄るだけだった。

 

 とにもかくにも、麻雀である。

 

 初見の相手は一人もいない。この面子で麻雀をしたことも何度かある。お互いがお互いの手を知り尽くしていると言っても良いだろう。年月が経ち技術は向上しているだろうが、本人の持つ性質までは大きく変化していないはずだ。

 

 小蒔と六女仙に限った話ではなく、霧島の巫女さんたちは皆、小綺麗な麻雀を打つ。

 

 修行の一環で麻雀をすることもあるといつか初美が言っていたが、まさに彼女らは修行のつもりで打っているのだ。それ故に手を抜いたりなど絶対にしないが、同時に勝利にもそこまで執着しない。正しい手順を踏むという過程をこそ大事にしている巫女さんたちは、無理に手を進めようとはしないし、先行されたら基本的に降り気味に打つ。

 

 つまりそれは、先行することさえできれば、大きなハンデを得られるということだった。巫女さんたちを相手にする時は、棒攻めが最も効果的な攻撃方法だと京太郎が結論付けたのは、小学生の頃だ。

 

 と言っても、京太郎の運では先行することそのものが難しいが、今は春のバックアップがある。相対弱運がなければ、いつもよりは大分マシな麻雀が打てるだろう。身体の軽い京太郎はアガりも軽く――

 

「ロン。2000点です」

「一番アガリが京太郎ですかー」

 

 初美から、平和ドラ1をアガった。幸先の良いスタートだが、でき過ぎとも言える。何より初美からアガったというのが、よろしくない。点棒を支払った時、初美の目がギラリと輝くのが見えた。

 

 小綺麗な麻雀を打つというのは、あくまで精神的にフラットな状態での話である。薄墨初美という少女は須賀京太郎に相対する限り、非常に攻撃的だった。たかが2000点とは言え直撃を食らった事実は、彼女の姉魂を大いに刺激していた。目にもの見せてやるのですよー、という心の声が聞こえてくる程である。

 

 お手柔らかに、と念じながら東二局。初美は南家だ。要所は彼女が北家の局であるが、初美としてはこの辺りでアガって弾みをつけておきたいところだろう。北家の時に本手が入る可能性が高いのだから、それ以外の局は軽めに仕上げてくるのは想像に難くない。事実、

 

「チーですよ!」

 

 三順目。初美は湧の四索を両面で鳴いた。晒した牌には、赤もドラもない。早くこの局を流したいという初美の考えが、見て取れた。軽い手ならば、初美のアガりというのも悪いことではない。この局は親である湧に少々不穏な気配があった。大物、とまでは行かないが、比較的高い手が見えているのが雰囲気で解る。手の軽さが見えるのは初美だけで、京太郎の手はアガりに遠い。

 

 ならば、絞り気味に打つ。

 

 湧の目がせわしなく、卓の上の行き来している。鳴きたい牌があるのだ。風牌。おそらくはダブ東。京太郎の手には、それが一枚あった。これを出さなければ、湧の手は大きく遅れる。元より前には出づらい手だ。京太郎はこの手牌と心中することを決めた。

 

 フリテン牌だって鳴かせない。それくらいの強い気持ちで河に目を配りながら打ちまわしていると、

 

「ツモ!」

 

 八順目。初美がタンヤオのみでアガる。支払いは300点。笑ってしまうくらいの小さなリードではあるが、まだトップだ。それをこの面子を相手にやっているのだと思うと、気分も良い。

 

 しかし、問題はここからだ。

 

 初美の親だが、次の局に賭けている初美はさっと流してくるだろう。安手の気配を出せば振り込んでくれるはずだが、鳴けない京太郎は手を加速させることができない。都合よく速くて軽い手が来てくれれば良いが、開いた手はどうにも遠い。相対弱運が消えて運が上向いているとは言え、素の運量において巫女さんズとはかなりの差がある。配牌ならば、こんなものだろう。

 

 自分の手が期待できないのなら、巴か湧に頑張ってもらうより他はない。絞り気味に打ちまわしながら、他の二人を観察する。行動に内面が出やすい湧は、打ちまわしのリズムから手の進行具合がわかりやすい。先ほどの高そうな手が見えていた時は、牌を切る指にも力がこもっていて、表情も明るかった。今はと言えば、普通の表情に普通のリズムである。高くもなく速くもなく、と言ったところか。初美の親をさっさと流したい現状には、そぐわないようである。

 

 対して巴は、真の意味でポーカーフェイスが得意で、動作からは進行状況が読みにくいが、

 

「チー」

 

 思い切りが良く、巫女さんズの中では一番デジタルな打ちまわしをする。親の初美がアガらせたがっているこの状況で、前に出ない手はない。初美が引き気味で京太郎と湧が遅いとなれば、後はもう巴の独断場だった。

 

「ツモ、タンヤオドラドラ。1000、2000」

 

 巴がツモアガリ、京太郎がトップから転落する。微差ではあるが、これで巴がトップであるが、初美が北家の時に親となった現在の危機的状況に比べれば、どうということはない。

 

 北家を引き、初美の気配と表情が凶悪なものになっていく。子供っぽい顔をしているだけに口の端を上げてにやりと笑う顔は、おさげをひっぱってやりたいくらいに小憎らしいものになっていた。

 

 初美の特性については、京太郎も研究した。

 

 簡単に言えば北家の時、『東と北を晒すことで、残りの風牌を引き込む』というものである。

 

 配牌を見てみると、かなりの確率で北と東がトイツになっており、遅くとも3順目までには他家から出たら鳴ける状態になる。これほど解りやすい特徴だ。ならば牌をガメれば手はできない……と思うと、初美に四枚全てが寄るようになり、どうあっても晒せるような状況になる。

 

 確定的な対策は、北、東が来るようならばそれを抱え込むことだが、そうでない場合はとにかく早アガリをして、初美の手が整う前に場を流してしまうことである。初美は一人だ。特性を理解している残りの三人が結託すれば、場を流すことはそんなに難しいことではない。通しなどを使わなくても、手が早い人間というのは意外と解りやすいものだ。

 

 しかし、である。

 

 それは逆に言えば、三人の中に一人でも初美に協力的な人間がいれば、初美の手はびっくりする程容易く完成するということでもある。今回の卓外ルールは『トップの人間がラスに命令することができる』権利である。良い目を見るのがトップ一人とは一言も名言されていない。例えば手を組んだ十曽某も一緒に良い目を見るべしですよー、とトップが言えば、その通りに叶えられるのだ。

 

 巴はそんな甘言に引っかかったりしないだろうが、間の悪いことにそういう甘言に超弱い人間が一人、同卓していた。予想できたことではあるが、当たり前のように東を切った湧を見て、京太郎は深々と溜息を吐いた。

 

「ポン!」

 

 初美がそれに食いつく。相対弱運は今はないが、初美に運が偏るのが見えた気がした。一応努力はしてみるが、一人があちらに流れた以上、初美の手を止めることはできない。ずーるーいー! と首を絞める明星をものともせず、湧は据わった目つきで麻雀を打ち続けている。明らかに賞品に目が眩んだ湧は、もうそれしか見えていないようだった。

 

 結局、その局で初美はあっさりと小喜和をアガった。親っかぷりをした京太郎は、そのまま押し切られてラスになった。釈然としないものを感じないでもないが、これも麻雀である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱり京太郎椅子は座り心地が良いのですよー」

 

 トップを取った初美が出した条件は、京太郎が椅子になることだった。身長が伸びた京太郎と小学生の時からそのままの初美では危険なくらいに身長差があったが、大きい方が椅子になるとなればその身長差も丁度良いものだった。深く腰掛けてくる初美の腰に腕を回しながら京太郎は落ち着かなさを感じていた。

 

 小さく細いだけあって肉付きの薄い初美であるが、それでも年頃の女の子であることに変わりはない。春に抱きつかれてもそれ程感じなかった居心地の悪さを、京太郎は全身に感じていた。危険なのは初美だけではない。背中には春の代わりに湧がひっついている。湧の要望は初美と同じく抱っこだが、自分がされるのではなく自分ですることを希望した。

 

 背中にひっついて京太郎分を堪能している湧は至福そのものといった顔であるが、そこを自分の居場所だと思っている春は当然面白くない。一塊になっている京太郎たちを見ながら、お土産の黒糖饅頭を大事に少しずつやけ食いしている。さらにその横では明星も恨みがましい目で湧を眺めていた。

 

 ずるいずるいと連呼してはいるが、湧の代わりに明星が入っていたとしても、あっさりと初美に付いていただろうから、同情はできなかった。

 

「罰ゲーム時間長すぎませんか?」

「時間は区切ってませんからねー。このまま霞ちゃんたちがやってくるまで続行して、見せ付けてあげましょう」

「何て恐ろしいことを……」

 

 温厚そうに見えて結構キレ易い霞にこんなものを見せ付けたら、精神的なプレッシャーが半端ではなくなる。それは何としても回避したい京太郎の内心を察した初美が、腕の中で振り返る。その幼い顔には悪い笑みが浮かんでいた。本当に、こういう顔をしている時の初美はロクでもない。

 

「京太郎の態度次第では、やめてあげてもいーですよー」

「それはもはや脅迫なのでは、と思わないでもないんですが」

「それならそれで別に良いですけどねー。あー、巫女さんをはべらせていちゃいちゃしてるのを見たら、霞ちゃんは何て言うんでしょうかー」

 

 わざとらしいその口調に、流石に京太郎もかちんと来た。ちょうど引っ張りやすそうな位置で、初美のおさげが揺れている。このおさげを引っ張って泣かせてやろうか……そんな衝動が京太郎を襲うが、理性がそれを推し留めた。初美を泣かせたら少しはすっとするだろうが、その事実は霞に対して『巫女さんをはべらせていちゃいちゃ』よりも相当に具合が悪かった。見た目の印象は親子ほどに離れているが、霞と初美は大の仲良しなのだ。親友が泣かされたとなれば、霞は喜んで報復してくるだろう。

 

「……どうかお許しくださいはっちゃん様」

「ふふふー、よきにはからえなのですよー」

 

 下手に出た京太郎に、初美はご満悦だった。下げられた京太郎の頭をよしよしと撫でると、京太郎椅子からぴょんと飛び降りる。そしてトリップしている湧を引き剥がすと、明星の横にぺいと放り投げた。一人で良い思いをした湧に飛びついた明星は湧が夢心地なのを良いことにあっさりと組み伏せ、腕を極めてしまう。

 

 夢見心地から一転した湧は女の子らしくない悲鳴を上げたが、いくら運動能力に優れていると言っても、こんな状態からは容易に逆転はできない。ばたばた暴れる二人を横目に見ながら、黒糖饅頭を抱えた春がすとん、と京太郎の前に腰を降ろした。

 

 春は何も言わない。無言で京太郎をじーっと見つめている。表情の乏しい春であるが、京太郎には彼女が不貞腐れているのが良く解った。自分の前で他の巫女を贔屓したのが気に食わないのだろう。それでも黒糖を手放さないのが、いかにも春らしい。

 

 京太郎は無言で、春を自分の膝の上に降ろした。無造作に頭をぐりぐりとやると、途端に春も大人しくなる。機嫌の戻った春から差し出されてくる黒糖饅頭をあーんされていると、腕を極められていた湧がそれに気づいて声を挙げた。

 

「明星、兄さまと春さんがいちゃついてる!」

 

 事実に気づいた年下組の行動は早かった。一瞬で極めた腕を放した明星は湧を助け起こし、その反動で持って二人して京太郎に思い切り飛びつく。とっさに避けようとした京太郎だが、膝に居座る春が邪魔して身動きが取れない。とっさの仲間への援護は巫女ならではである。二人の巫女に飛びつかれた京太郎は、春と一緒にごろごろと転がった。そんな京太郎を見て、初美は手を叩いて大笑いしている。

 

 巫女さんの山から抜け出そうともがくが、転がったことで京太郎の位置は一番下になってしまった。京太郎の上には春が乗っており、その上に湧と明星が乗っている。一人一人は重くなくても、三人となればかなりの重量だ。力を込めて動いてみても京太郎を放すまいと三人が結託して押さえにかかっていては如何ともし難い。

 

 そんな中、音もなく襖が開いた。

 

 ここにやってくる人間は、二人しかいない。兄さま兄さまと騒いでいた二人も、黙ってひっついていた春もぴたりと動きを止めた。

 

 襖を開けた巫女――六女仙筆頭たる石戸霞は、久しぶりに会う弟分と、それに圧し掛かって遊んでいる従妹を含めた後輩達を眺めて、にこりと微笑んだ。そこだけを切り取ってみれば、天女のような微笑と思っただろう。現に、霧島の外ではこの笑顔に騙される男性が実に多い。

 

 しかし、霞と付き合いの長い面々は、笑顔の時ほど霞は怖いということを知っていた。素早い動きで並んで正座する四人を前に、霞は一層魅力的な笑顔を見せた。

 

「それで、これはどういうことかしら?」

 

 誰がどう説明したものか。一瞬で答えを出せる人間は、その場にいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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