セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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回想で自然に導入できそうになくなったので、前日話という形で挿入することになりました。短いです。


29 中学生二年 須賀京太郎、西へ 後編0話

 霧島神境では、多くの巫女が寝起きしている。

 

 石戸霞もその一人だが、六女仙である彼女は、他の巫女とは少々立場が違った。

 

 神境に詰めている巫女は通常、専用の居住区画に部屋を持っている。年齢、立場によって個室か相部屋かは変わるが、普通はその区画で寝起きし勤めに出るが、役職を持っている巫女はその役目に相応の場所を用意される。

 

 例えば姫君の補佐をする六女仙は当然、姫君の傍で過ごさなければならない。神代本家の姫である小蒔は本家で寝起きしているため、六女仙も全員、本家に間借りをしている。

 

 現在小蒔が使っているのは本家の離れで、そこには小蒔のものも含めて部屋が七つある。小蒔の母もその母も、姫と呼ばれていた頃にはその代の六女仙と共にここで寝起きしていたという、実に歴史のある建物だ。

 

 その古びた部屋の一つ。石戸霞に割り当てられた個室には今晩、来客があった。

 

 六女仙次席であり、霞にとっては幼馴染でもある薄墨初美である。

 

 高校のジャージ姿でくつろいでいる初美は、霞が敷いた布団の上でごろごろしながら先日図書館から借りてきたらしい本を眺めていた。タイトルから察するに、水泳の教本である。身体こそ小さいが初美は運動神経は抜群だ。特に泳ぎは得意なようで、修行がない時には近くの浜まで熱心に泳ぎに行っている。趣味水泳と言っても良いだろう。

 

 そんな幼馴染の姿を微笑ましく眺めながら、霞は筆を止めた。和綴じの日記をぱたりと閉じて、肩の力を抜く。背の低い文机の上、その隅には古ぼけた写真立てが置かれている。その写真をぼんやりと眺めながら、霞は言った。

 

「はっちゃん」

「なんですかー?」

「最近、京太郎分が不足してきたと思わない?」

 

 その内容に、初美はぱたぱたと動かしていた足を止めた。

 

 普段の石戸霞という少女を知っている人間が聞いたら、その言葉の内容に彼女の正気を疑ったことだろう。石戸霞と言えば今代の六女仙の筆頭。姫君である小蒔を補佐するべき立場にあり、自他共に厳しい。まさに巫女の中の巫女という存在だった。

 

 それほど親しくない人間には、冗談を言うこともない。社交的ではあるが、どこか事務的でもある。誰に聞いても優しそうな人と答えるだろうが、同時にどことなく怖い人という印象を持たれるその少女の口から、悪意を込めずに男の名前が出てくるなど、誰が想像するだろうか。

 

 その言葉を聞くのは、霞とは最も付き合いの長い初美である。悪石島出身の巫女であり、六女仙の次席。霞が不在の時には残りの六女仙を統率する立場にあるその巫女は、本気とも冗談ともつかない霞の言葉に、しかし、真剣に対応した。

 

「そうですねー。私もちょうど、そろそろじゃないかなーと思っていたのですよー」

 

 間延びしているが、どこか飢餓感を覚える声が追従する。京太郎分という言葉に突っ込みはない。霞と初美の間で、その言葉は普通のものなのである。

 

「呼び出しますか? でもでも、私達の方から呼び出したら男の子の京太郎はきっと、調子に乗ってしまうのですよ」

「それはよろしくないわね……」

 

 ふんふむ、と霞は指を顎に当て考える。会いたいと思っているのは事実であり、ここに何ら恥じ入るところはないが、これを公言するのは女として憚られた。

 

 しかし、呼び出すには理由が必要である。相対弱運のメンテナンスはそれほど頻繁に必要な訳ではない。京太郎自身の理解が深まった今、何か深刻な事態でも起きない限りは、態々霧島まで足を運ぶ必要はない。

 

 小学生の時、京太郎が何度も神境まで足を運んだのは、彼が近くに住んでいたからだ。彼は今長野に住んでいる。彼我の距離は、会う頻度を下げる大きな理由になる。

 

 京太郎がこちらに来る費用を持つのは簡単だ。三尋木から紹介された以上彼は神境のお客様であり、それをおもてなしするのは巫女として当然と言える。建前としてはこれで十分だが、女の側におんぶに抱っこでは、男の京太郎は良い気分はしないだろう。

 

 ならば京太郎が自分で払うのが筋というものであるが、身銭を切るにしろ両親を頼るにしろ、長野鹿児島間の往復料金は中学生の身分としては決して安いものではない。今夏に呼ぶということは、しばらく呼べないということでもある。それはそれで……認めるのは癪であるが、少々寂しい。

 

 だが、今寂しいことに変わりはない。ならば今呼ぶ、ということで問題はないだろう。普段は自分を律する霞であるが、一部の欲望には忠実だった。幸い、隣には同じく京太郎分が不足している同士がいる。口裏くらいならば合わせてくれるだろうし、京太郎に会いたいと思っていない巫女は、六女仙の中にはいない。呼ぶことそのものについて文句をつける人間はいないはずだ。

 

 呼んで、滞在さえしてくれれば、後はどうとでもなる。彼はまだ中学生。世間的には大人ではないし法的に責任を取れるような立場でもないが、責任を感じるだけの感性は持ち合わせている。

 

 そろそろ勝負を決めても良い頃合だ。

 

 この霧島の地にいても、京太郎の周囲には女の影が見え隠れしている。自分たちと同様に、一年を近くで過ごした良子からして既に、京太郎に少なくない熱を上げているのだ。今京太郎の周囲で、より長い時間を過ごしている相手がいれば、踏み込んでくる可能性は高い。

 

 

「はるるが寂しがってるってことにしましょうか」

「そうね。嘘は吐いてないし、春ちゃんなら京太郎も悪い気分はしないでしょう」

 

 自分達が会いたいと思っていることを隠すために、二人はあっさりと後輩の巫女を売ることにした。

 

「とりあえず、半々ってことでどうかしら」

「了解なのですよー」

 

 携帯電話を取り出しながら、初美と高く掲げた手を打ち合わせる。ハイタッチ。巫女らしくない仕草であるが、これで同盟成立である。

 

 同盟の相手として、初美は心強かった。六女仙では自分に次いで席次が高く、付き合いも長い。公式の立場はともかく、修行の期間もほとんど一緒で年齢も変わらないから、プライベートの場で上下はない。何より『緩急』がつけられる。中国の故事にもあった。ずっとこてこてでは流石に男も飽きるらしい。お互いに持っていないものを補う。それが真の意味でのパートナーである。

 

 住所録から、京太郎を呼び出す。自分から、それも電話をかけるのはしばらくぶりだ。すっかり声変わりをした京太郎の声は男性の物になっており、それを耳元で聞くのは……はしたないことではあるが、ぞくぞくする。

 

 同じ趣味を持った初美が身体を寄せ、携帯電話にびたりを耳を当てていた。日焼けした小麦色の頬に、鮮やかな朱が差している。

 

 心臓がどきどきしていた。相手が電話を取るのを、今か今かと待つその姿は、誰にも『大人』と言われる霞を年相応の少女にしていた。

 

『もしもし、京太郎です』

「霞です。出るのが遅いから、居留守でも使おうとしてるのかと思ったわ」

 

 自然と、憎まれ口が出てくる。隣では初美がくすくすと忍び笑いを漏らしていた。懐かしいやりとりに、興奮してくる。

 

 京太郎が、霧島に来るのだ。

 

 それが今から、待ち遠しくて仕方がない。


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