セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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27 中学生二年 須賀京太郎、西へ 前編④

「あら、京太郎くん」

「覚えててくれましたか」

 

 高鴨屋を訪ねると、店先には穏乃の母――綾乃がいた。男子一人に女子三人という大所帯に彼女は目を丸くしたが、その中に京太郎がいるのを見ると顔を綻ばせた。一目で解ってくれたことが、妙に嬉しい。差し出された手を握り返すと、綾乃は感慨深そうな顔をして、大きな手ね、と微笑んだ。

 

「見れば解るわよ。本当に大きくなって。うちのシズは小さいままなのに」

「一応、俺は男ですからね。女の子ならまぁ、小さい分には構わないんじゃないかと」

 

 一部の女子にはぶっ飛ばされそうであるが、それが京太郎の意見である。

 

 男はそうでない可能性の方が高いが、女の子は小さい分にはかわいいと解釈される余地がある。背の高い純をどうこう言うつもりは身の安全のためにも勿論ないが、どちらがよりかわいいかと言えば大抵の人間は小さい方と答えるだろう。

 

 京太郎の感想に、どちらかと言えば小さめな女性陣から安堵の溜息が漏れる。小さい方が良いと思われたようだが、それについては、曖昧な笑みを浮かべてお茶を濁す。

 

 それはあくまで身長の話。一部の身体的特徴について、須賀京太郎が真逆の主張を持っていることは、教室に通っていた面々及び、宥は知っていることである。

 

 それも今更の話であるが、蒸し返されるのも面白くはない。

 

 このまま続けると余計なボロを出しそうだと判断した京太郎は、視線で玄と宥を促した。家の用事を思い出した二人は、綾乃の案内で、高鴨屋の奥に消えていく。奥にいるのは和菓子職人でもある穏乃の父親だ。松実父の古い友人で、和菓子職人として優れた腕を持っていると聞いている。奈良にいた時は良く、和菓子を食べさせてもらった。その味は小学生の時の、大事な思い出の一つだ。

 

「憧ちゃんも、久しぶりね」

「ご無沙汰してます」

「んー、女の子らしくなって……穏乃は本当に、本当に……」

 

 はぁ、という綾乃の溜息は深い。憧は複雑な表情を浮かべて、京太郎を見た。中学が別になったことで、穏乃とは最近、疎遠になっていると道中で聞いた。言われて見れば、最近は電話でもメールでも穏乃の話を聞いていないような気がする。中学も変われば、疎遠になるのも仕方ないこととは言え、あのシズと憧が離れているという事実は、中々にショックなことだった。

 

「シズのことですから、今も元気なんでしょう?」

「それは親として嬉しいんだけどねぇ……女の子なんだからもう少しかわいらしいことしてほしいのに、あの子ったらいつまでも子供のままで。服なんて制服とジャージしか持ってないのよ」

「普段着がジャージってことですか?」

 

 思わず聞き返した京太郎に、綾乃は頷く。深刻なその様子に憧は溜息を吐き、京太郎は思わず視線を逸らした。

 

 普通、成長すれば多かれ少なかれ服飾には気を使うもので、京太郎もその例に漏れない。と言っても、モモに言わせればそれは『やらないよりはマシ』というレベルで、憧やモモを基準に服装に気を使っているというのなら、なるほど、確かに自分は『やらないよりはマシ』だと京太郎は納得する。

 

 察するに、シズは自分の仲間であるらしい。服飾に関してどういう主義主張を持っているかは置いておくとして、ジャージが普段着というのは小学生の時から変わっていないということだ。男子ならばともかく、女子でそれは中々珍しい。綾乃が色々と考えてしまうのも頷ける。京太郎だって立場が同じなら、同じように思うだろう。

 

「ところで、今日はシズはどこに?」

「身体を動かしたいから外に行くって言ってたけど、珍しく財布を探してたから、どこか一人で遊びに行ったのかも」

「ゲームセンターとか?」

「あの子そういうのに興味がないから、スポーツとかできるところじゃないかしら」

「お金がかかって手ぶらでOKで、シズの興味を引きそうな場所と言えば……」

「鷺森レーン?」

「……だとしたら良い偶然かもな。これから行く先で会えるかも。シズが出たのはどれくらい前ですか?」

「お昼食べて少し昼寝してからだから、一時間くらいかしら」

 

 ふう、と綾乃は小さく溜息をついた。食う寝る遊ぶは、確かに女の子らしくはない。だがシズらしいとは思った。

 

「これから、宥さんたちと鷺森レーンまで行くので、行き会えるかもしれませんね」

「そう? じゃあ、京太郎くんからも言っておいて。スカートはいて、大人しくしなさいって」

「スカートが苦手な女子もいるんじゃないですかね。男としても無理強いは良くないと思うんですが」

「京太郎君、君を男の子代表として質問するけど、女の子に着せるとしたらスカートとジャージ、どっちが良い?」

「その二択はずるくないですか?」

 

 苦笑する京太郎に、綾乃は頼むわよ、と念を押す。昔馴染みとは言え男子に頼むのだから、綾乃もかなり切実なのだ。

 

「ちょっと、ちょっと」

 

 ジャージ少女にどうやってスカートを履かせようか考えていた京太郎の袖を、憧が引っ張る。なんだ、と憧を見ると、彼女は恥ずかしそうに俯き、しきりに自分のスカートを気にしていた。聊か、丈が短い気がしないでもない。話題に出た後だから、自然と京太郎の目は憧の真っ白な足に向いていた。夏の日差しに、その白さは眩しいくらいである。

 

 その足を凝視していたのは、数瞬だ。わざとらしくならいように細心の注意を払いながら――傍から見ていた綾乃にはバレバレだったが――京太郎は、憧の足から視線を逸らした。

 

「ジャージより、スカートの方が良い?」

「じゃあ、憧。スカート履いてるお前にジャージ履けって頼む俺とか、どうだよ」

「……変態なんじゃないかって思う」

「だろ? 俺の感性は多分正しいと思うよ」

 

 ははは、と京太郎は笑うに、憧は安堵の溜息を漏らした。

 

 明確にスカートが良いと口にした訳ではないが、どっちが良いと思っているかは伝わっただろう。巨乳が好きなのと同様に、憧との間に今さら隠すことでもないが、男だって恥ずかしいものは恥ずかしいのだ。

 

「ジャージの件はともかく、シズに会ったら遊んであげて? あの娘、京太郎くんには結構懐いてたから」

「雇い主に了解が取れたらってことで」

「あぁ、松実館でバイトしてるのね。長野から奈良まで来てくれるなんて良い子ね……うちも手が必要になったら頼んでも良いかしら?」

 

 大人気だな俺、内心で自画自賛しながら『いつでもお声がけください』と返事をする。長野在住の中学生男子相手である。社交辞令なのは解っていたが、人から――それも大人の女性から頼られるのは嬉しいものだ。

 

「あぁ、すいません。お土産を買いたいんですけど、何がオススメですか?」

「誰に贈るかにも寄るけど、ご両親? それともクラスメイト?」

「松実館のバイトが終わったら、鹿児島まで行かなきゃならないんですよ。手ぶらで行くのも何ですから、何か見繕ってほしいんですが……」

「鹿児島? まさか霧島じゃないでしょうね」

「鋭いな、憧。流石神社の娘さん」

 

 京太郎の言葉に、憧は目に見えて不機嫌になる。

 

 霧島神境と言えば国内でも有数の巫女の修行地であり、神代家を筆頭とする派閥の総本山である。力ある巫女を多数排出する、日本でも有数のオカルトが蔓延する土地としてその筋には有名であるが、同時に『男に飢えた巫女の集まり』と陰口を叩かれてもいた。

 

 流石にそれは誹謗中傷の類ではあるものの、未婚の女性が多くいつでも男性との出会いを探しているというのは地元では公然の秘密である。それについて個人的に思うところは何もないが、女としては何となく――いや、はっきりと霧島の巫女たちは敵だった。京太郎と出会ったのが彼女らの方が先だというのもあるかもしれない。

 

 できることなら、霧島などには行ってほしくないが、京太郎の体質の面倒を見ているのは霧島の巫女であるという。麻雀にかける京太郎の意思が並大抵の物ではないことを、一年京太郎の隣にいた憧は良く知っている。彼の助けになるのなら、それを止める理由は憧にはない。

 

 それでも、それでもだ。好きな相手が遠い場所にいる女の所に行くことは、やはり悔しく、寂しかった。

 

 表情から複雑な内心を察してくれることを祈って、憧は京太郎の視界に入るように何度か移動したが、それは無駄な努力に終わった。京太郎は綾乃の案内でお土産を物色している。意識は既に霧島に向いているのだ。

 

 それを思うと憧は無性に腹が立ったが、同時に憧の脳裏に閃くものがあった。

 

(もしかして、巫女服好き?)

 

 それは天啓のごとき閃きだった。巨乳麻雀はやりん以外で、京太郎がどういう女の趣味を持っているのか、憧でも良く解っていなかった。解っている要素の内麻雀以外の要素はどうしようもない。女を磨いては来た憧だが、実の所攻め手を欠いていた。巫女服が好きというのなら、攻めようはある。何しろ実家は神社であり、自分用の巫女服も既に誂えてある。

 

 思わぬ収穫に憧の頬も緩むが、明晰な頭は同時に問題も見つけてしまった。京太郎の前で巫女服を着る理由がない。巫女として働いている望も、神社の外では巫女服を着ない。家の用事で外に出る時も着替えてから出て行くのだ。新子神社にとって巫女服というのは、境内で作業する時、もしくは地鎮祭など神主巫女としての仕事が必要な時に着る仕事着で、その他の用途には用いない。管理をしているのは母親だから、外で着るとなれば理由を問われるだろう。

 

 神主と違い巫女になるのに資格はいらない。憧が着てはいけないという事情はないが、外に着ていくとなると父にも母にもそして姉にも事情を聞かれることだろう。その時、好いた男が巫女服好きっぽいから、気を引くために着てきます、とは言えそうにない。

 

 だが、諦めるには惜しい。せっかく見つけた攻め手なのだ。できればこれを活かしたいと思うのが乙女というものである。

 

 どうやって巫女服を着るか。内心で葛藤している憧は小さく『くねくね』と動きながら呻き声を挙げていた。傍から見ると女子として随分と間抜けな姿であり、京太郎の土産物選びに付き合っていた綾乃は、娘の親友の奇行をばっちりと目撃していたが、綾乃も女性である。微妙に緩んだ表情から、色恋の難題にぶち当たっていることには察しが着いていた。そっとしておくのが女の嗜みというものである。

 

 憧の葛藤は、京太郎が土産物を選び終わり、宥たちが戻ってくるまで続いた。京太郎の声で正気に戻った憧は、反射的に拳を突き出し、それが元でプチ惨事になったが、それはまた別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ボウリングって久しぶりだね」

「私も。身体を動かすことはちょっと苦手で」

 

 恥ずかしそうに言う宥に、京太郎は微笑を返した。確かに宥は運動ができそうなタイプではない。宥はそれを恥じ入っているようだが、京太郎にはそれを魅力的と思うことができた。同じスポーツチームに所属しているでもなし。多少鈍くさい程度ならば、それをマイナスに思う男はいないだろう。宥のような美少女ならば尚更だ。

 

「シズでもボウリングなんてするのね。今でも野山を走り回ってると思ってたわ」

「身体を動かすことなら何でも好きなんだろ。球技が得意とは知らなかったが……」

 

 単純に身体を動かすことが好きだと思っていた。スポーツ全般は得意なのだろうが、道具を使うスポーツが得意というイメージはない。それでも、頭を使う麻雀が得意な辺り、全てが全てという訳ではないらしい。

 

 要するに本人が今、何を好んでいるかということだ。さしずめ、ボウリングをやりたくなったからここにきた。シズが考えているのは、そんなところだろう。より単純に、人生を楽しむ。シズは何より、人生を楽しんで生きるのが上手い。

 

「家の用事で来たのに、遊ぼうなんて話になってすいません」

「いいよ。ここが最後だし、ちょっとくらい時間を使ってもお父さんは何も言わないと思うよ」

「そう言ってもらえると助かります。さて、では行きましょうか。宥さん、玄さん、お先にどうぞ」

 

 姉妹の先を促し、ボウリング場に入る。夏休みということもあり、そこそこな人の入りだった。決して新しい施設ではないが、手入れをされているのが良く解った。受付には、人の良さそうな老婦人が座っている。この人が、鷺森のお婆さんなのだろう。宥と玄が挨拶に向かうと、彼女はにこやかに出迎えた。

 

 周囲にはいないタイプである。興味がないではなかったが、松実の家の用事に首を突っ込む訳にもいかない。老婦人と松実姉妹三人してこちらを見ていたが、気づかない振りをして周囲を見回す。

 

 さて、穏乃はどこだろう。

 

「よーっしゃー!!」

 

 憧と二人で施設内を見回していると、そんな声が聞こえた。間違いなく穏乃の声だ。憧と顔を見合わせて、苦笑を浮かべる。お互い、穏乃と会わなくなって久しいが、その声だけで今も変わっていないのが解った。それはとても、心強いことだった。

 

「最初に再会する役は譲ってあげるわ」

「そりゃありがたいけど、第一の親友は憧だろ? 良いのか?」

「私よりは京太郎の方が離れてる時間は長かったでしょ? 男としては嬉しいんじゃない? シズならハグくらいはしてくれるかもよ?」

「想像するに、ハグって感じじゃなさそうだな……」

 

 シズならば飛びつく、という表現が正しいだろう。教室の中では一番元気が良かった。数年ぶりの再会となれば、それくらいしてもおかしくはない。

 

 声のした、奥の方をみる。見覚えのあるジャージを来た少女が、これまた小柄な少女に向かってはしゃいでいた。相手の方に見覚えはないが、あれが鷺森灼だろう。玄と同じ年齢のはずだが、想像していたよりも随分と小さい。

 

 小さいと言えば、である。遠目だが、穏乃はその灼と同じか僅かに小さく見える。というか、小学生の時から全く成長していないように見えた。憧が美少女からスーパー美少女にランクアップしたのを見た後だけに、これは衝撃である。小学生の時から美少女には違いなかったが、全く変わっていないというのは、予想外だった。

 

 呆然としている京太郎の腹を、憧が肘で突く。あの頃のままの穏乃に、あっけに取られてしまった。聊か残念ではあるが、変わっていないなら別にそれで良い。咳払いを一つ。気持ちを切り替えて、穏乃の方に歩いていく。

 

 普通に話しても声が届くくらいの距離になって、穏乃がこちらに目を向けてきた。ぱちくり、と大きな目が瞬く。

 

「久しぶりだな」

「京太郎!」

 

 挨拶もそこそこに、レーンを飛び出した穏乃は京太郎に飛びついた。力の限り抱きしめてくる穏乃を、京太郎も抱きしめ返す。こうして触れ合うのは別れの挨拶をした時以来だが、お日様のような匂いは相変わらずだった。ぽんぽん。背中を叩く。自分の身体が大きくなったからだろう。穏乃の身体は、小学生の時よりも小さくなっているような気がした。

 

(本当に、全く成長してないな……)

 

 触れ合うことで少しは役得があるかもと淡い期待を持っていたが、それも見事に裏切られてしまった。小学生の時よりも柔らかな感触のような気もするが、誤差のようなものである。内心の落胆を顔に出さないよう、笑顔を浮かべて穏乃を持ち上げる。数日前、宥にした『たかいたかい』だ。

 

 腕をぱっと離し、落ちてきた穏乃を抱きとめる。もう一度、今までで一番強く腕を回して、穏乃を抱きしめた。

 

「本当に京太郎だ! 久しぶり。何で奈良にいるの?」

「松実館でバイトしてたんだよ。今日は玄さんたちと外回りでここに来た」

「じゃあ、わたしんちにも寄ってきたんだね。今日は暇? それだったら一緒に――」

「レーンの外では靴を脱いで」

 

 捲くし立てる穏乃を押し切って、灼が割り込んでくる。穏乃の腕を取って近くの椅子に座らせ、靴の底を雑巾で拭いていた。レーンは土足厳禁である。京太郎は苦笑を浮かべて、三歩下がった。穏乃に引きずられていたら、土足のまま踏み込んでいた。

 

 穏乃の靴を拭き終わると、灼が顔を挙げた。近くで見ると、やはり小さい。日本人形のようなおかっぱ頭に、釣り目気味の目。身長が伴えば美人と評されたのだろうが、どれだけ強気そうな雰囲気を持っていても、身長が小さいとそれを活かしきれない。京太郎にはこの年上の少女が、とてもかわいく見えた。

 

「はじめまして、須賀京太郎です。今日は宥さんたちについてここに来ました」

「鷺森灼。ここの従業員。君が噂のバイト? 松実館に婿入りするって聞いたけど」

「京太郎結婚するの!?」

「中学生が結婚できるかよ。ただの噂だ、噂」

「なーんだ。宥さんか玄さんと結婚したら、ずっとこっちにいると思ったのに、残念」

「人の人生勝手に決めるんじゃないの」

「……もしかして憧?」

「それ以外の誰に見えるってのよ」

 

 シズの言葉に、憧は腕を組み、不機嫌そうに答えた。美少女がそういう仕草をすると、様になっているだけに怖い。京太郎は思わず身震いしたが、シズはそんな雰囲気にも全く物怖じをせず、憧をじ~っと見つめていた。

 

 自分の成長を毎日見ていた憧にとっては自分が新子憧であるというのは不思議でも何でもないことだろうが、しばらく会っていない人間には、小学生の憧と今の憧を結びつけるのは難しい。それくらいに、憧は美少女になっていた。面影はあるが、にわかには信じられない。野生の勘を持っているシズでも、それは同じだろう。

 

 シズは顔を近づけて憧を眺め回し、ついで匂いをかいだ。犬のような仕草に憧が心底嫌そうな顔をするものの、自分の流儀で人物確認をしたシズは、ぱっと顔を輝かせた。

 

「憧!」

「あんたは犬か何かなの……」

 

 抱きついてくるシズを適当にあやしながら、それでも憧は苦笑を浮かべていた。性格は大分異なるが、不思議と憧とシズは馬が合っていた。長年かけて培った友情というのは、そう簡単に薄れるものではない。シズの背中に回した憧の手は、優しげだった。

 

「俺を含めて四人、1、2ゲーム遊んでいきたいんですが……」

「受付はおばあちゃんがやってるからそっちで、靴はそこ。サイズは自分で選んで。ボウルはここに。グローブ使うなら、お父さんが使ってたのがあるから貸すけど……経験者?」

「前に何度か」

「ハイスコアは?」

「173……だったかな」

「……数回でそれなら大分筋が良い」

 

 灼の声音が、それで随分柔らかになった。ボウリング場の関係者だけあって、ボウリングが好きらしい。ボウルを持ち、感触を確かめる彼女の背中には密かに闘志が燃えているように見えた。

 

この背中には見覚えがある。透華をうっかりチェスで負かしてしまった時、彼女はいつもこういう背中を見せるのだ。

 

 そういう時の透華は、勝つまでやめない。突然現れた見知らぬ男が、自分の得意な物でそれなりの結果を出したと言っている。負けず嫌いな性格なら、勝負を挑んで当然の流れだ。それで勝てるなら非常に良い気分になれるだろう。だが負けたら……

 

 そこまで想像して、京太郎は灼を見下ろした。身体は小さいが、気は強そうに見える。小さい知り合いには実はそれなりに心当たりがあるが、そのほとんどが多少のことではへこたれない、芯の強い女性である。衣しかり胡桃しかり。これから行く予定の鹿児島にも、小さくて気が強くてスナック感覚で関節技をかけてきて、ついでに不思議パワーで人を吹っ飛ばす泳ぐのが得意な巫女さんがいる。彼女も多分に、気が強く負けず嫌いだ。うっかり将棋で負かした時など、容赦なく将棋盤を放り投げてくるくらいだ。

 

 その点、憧と戯れるのに忙しいシズは大分大らかである。小さいのに素晴らしいことだが、灼の感性はシズよりもおちびの巫女様に近い気がする。うかつに勝つのは危険だ。どうあっても、灼には気持ちよく勝ってもらう必要がある。

 

 相手のコンディションが抜群で全くミスをしないなら良いが、人間、いつでもベストな結果を出せる訳ではない。グランドマスターだって、たまにはミスをする。運悪く、それが今この時に出ないとも限らない。

 

 そして、京太郎は自分の勝負における運の悪さを良く知っていた。こういう時に限って、自分の望まない結果が降ってくるのだ。偉大なるはっちゃん様の分析によれば、相対弱運とこういう勝負に関連はないらしいが、もはやジンクスと京太郎は割り切っていた。

 

 どうしようもないならば、諦めるより他はない。せめて不真面目と思われないよう、全力で取り組むだけだ。

 

「京太郎、ボウリング得意なの?」

 

 受付のため、入り口まで戻る京太郎に憧がついてくる。シズも着いてこようとしたが、ゲームの途中なので灼に止められてしまった。

 

「下手糞ではないと思う。でも人に教えるほどじゃないな」

「そう。そこまでだったら教えてもらおうと思ったんだけど、残念」

「鷺森さんは教えるの上手だと思うぞ。後はシズとか」

「シズが人に教えられると思う?」

 

 憧の問いに、京太郎は苦笑を浮かべた。感性で動くシズは、特に身体を動かすことについては人に教えるのが下手である。理屈ではなく本能で動いているのだろう。頭で理解できてはいるがそれだけで、言葉にできないのだ。

 

「まぁ、やる以上私も全力でやるわよ。チームでも組んで競争でもする?」

「それは玄さんたちと要相談だな。腕が離れてたら、個人戦じゃどうしようもないし」

「あー……宥ねえ、あんまり運動得意そうじゃなさそうだもんねー」

 

 憧の視線の先には、老婦人とにこやかに話す松実姉妹がいる。視線に気づき、にこやかに手を振ってくる二人に、京太郎も手を振り返す。灼とシズも含めて、一緒にゲームをするのは全部で六人。女性が五人に男は京太郎一人。両手どころか両足を使っても花が余る計算になる。

 

 周囲の男性の視線が地味に痛い。京太郎がいなければ彼らも存分に美少女たちに声をかけていたのだろうが、男一人いるだけでその願望は叶わない。その内一人はこのボウリング場の娘さん、二人は老舗旅館の娘さんということで、一部には顔が売れている。灼と問題を起こしたらここにはいられないし、地元の有名人である宥と玄との間に何かあれば、今後の生活にも関わってきかねない。

 

 行きずりの旅人ならば全く気にしないことでも、地元の人間ならば気にせざるを得ない。有名人に声をかけるのは、色々と複雑な事情があるのだ。

 

「シズちゃん、元気にしてた?」

「相変わらずでしたよ。今は向こうで鷺森さんと一緒にボウリングしてました」

「それじゃあ、シズちゃんも上手いんだね。私下手だから、どうしよう……」

「鷺森さんは経験者みたいだから、きちんと教えてくれると思いますよ」

 

 何事も、きちんと指導のできる人間から教わった方が良いに決まっている。ただやったことがあるだけの京太郎と違って、灼は真面目にボウリングを学んだはずだ。だから大丈夫、と断言すると、宥はぷいと視線を逸らした。微妙に頬が膨れている。『怒っている』とアピールしているのは明らかだったが、そのあまりの可愛らしさに思わず京太郎は噴出してしまった。

 

 とは言え、怒っているとアピールをされている以上、それがいくらかわいくても放っておく訳にはいかない。どうしたものかと考える京太郎に、隣の憧が深々と溜息を吐いた。

 

「その鷺森さんも身体がいくつもある訳じゃないんだから、誰か一人に教えてもバチは当たらないんじゃない?」

「さっきも言ったけど、俺素人だぞ?」

「別に教室に参加してる訳じゃないんだから良いの。皆で楽しくできればそれでOK。でしょ?」

 

 憧の言葉に、京太郎は頷いた。

 

 先ほど口にした言葉をもう撤回することになるが、憧の方が正論を言っているように思えた。

 

 素人だけどそれでも良ければ、と言うと宥はぱぁっと顔を輝かせた。足取り軽く靴を選び、灼と一緒にボールを選び始める宥を眺める京太郎の横に、今度は玄が立っていた。何が楽しいのか、にこにこと微笑んでいる玄に、京太郎は問う。

 

「楽しそうですね、玄さん」

「お姉ちゃんが楽しそうだもん。それに憧ちゃんがいてシズちゃんもいて灼ちゃんもいて京太郎くんまでいるんだから、楽しくないはずないよ」

 

 そうして、今度は京太郎の方が視線を逸らした。嬉しいことを言ってくれるものである。照れた京太郎の顔を覗き込むようにした憧が、にやにやと笑みを浮かべている。

 

 その額を小突いて、京太郎も靴とボールを選んでいく。その間、嬉しそうに顔が緩んでいたことを知っているのは、その顔を見ていた憧と玄だけである。

 

 奈良に戻ってきた。そんな気がしていた。

 

 

 

 




この後めちゃくちゃボウリングをしました。
次回麻雀回。面子はおそらく京ちゃん、アコチャー、シズ、クロチャー。
そして阿知賀編最終回かも。ご期待ください。

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