セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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ヤバいくらいに青春ラブコメの話が進みません。
今月新刊が出るので、それで進めばよいのですがどうなることか。


22 中学生二年 一度目のインターハイ

 インターハイ。全国の高校生の頂点を決める大会である。競技によって会場は異なるが、麻雀はここ十数年東京で開催されていた。長野が地元の京太郎としてはできればもう少し近いところで開催してほしいものだったが、会場変更を促した結果、もっと遠いところに変更されたら元も子もない。適度に近く、適度に遠い東京で開催されるのはまだマシな方なのだ。

 

 ともかく、その会場である。照の試合に合わせて上京した京太郎は、咲と共に会場を訪れていた。全国大会決勝ともなれば、世間の耳目を集める。しかも今大会からは去年、一昨年とインターミドルを連覇した宮永照が参戦するため、注目度は高かった。インターハイ三連覇が冗談抜きで囁かれる久しぶりのホープの登場に、麻雀界は沸いていたが、京太郎たちがロビーに入った時、会場は思っていた以上に閑散としていた。

 

 西東京代表白糸台高校。照のデビュー戦は、今日の第一試合に設定されている。試合時間の差し迫った今、会場まで足を運ぶ人間でこの辺りをうろうろしている人間は、京太郎たちのように、その選手に会おうとしている人間くらいしかいない。

 

 ほとんどの人間は対局観戦のため、観戦室に移動しているのだろう。照の試合をモニタリングしている部屋は、この会場で一番広い部屋があてがわれているはずだが、席は満席。立ち見も出ているはずである。

 

 同じモニタで観戦するならばテレビでも良いのでは、と素人は思うのだろうが、流石に会場に設えられた観戦室となると、設備が違う。対局中の全員の手を同時に見られるようになっているし、対局者の表情を見逃さないよう、きちんとカメラも配置されている。一画面しかない家庭のテレビとは、迫力と情報量が違った。

 

 だからこそ、会場の席は競争率も高い。観戦のためにチケットなどは必要なく、早い者勝ちで席が決まる。照のデビュー戦のように、競争率の高い試合となると、出遅れたら立ち見は確定だ。隣の咲を見る。鈍くさい見た目相応に体力のないこの少女に立ち見を強いるのは心苦しいが、東京まで出てきて席を取っていてくれるような友人に心当たりはなかった。これも経験と、最悪の場合は肩くらいは貸してやろうと京太郎が心に決めた時、咲が顔をあげる。

 

「あ、お姉ちゃんだ」

 

 駆ける咲に合わせてベンチから立ち上がり、照の方を遠目に見る。いつか約束の通り、一番最初に見せてくれた白いワンピースの白糸台の制服は、照の赤毛に良く映えていた。似合うだろうなという自分の直感が間違っていなかったことに、京太郎は満足を覚える。もう何度も見た姿のはずだが、何度みても飽きない。

 

 ぽんこつでもお菓子大好きでも、やはり照は美人だった。

 

 その美人の隣に、今日はもう一人美人がいる。

 

 170の半ばに達した京太郎とそれほど変わらない身長は、女性にしてはかなりの長身だ。長い黒髪に、すらっとした長い手足。男よりも女に人気の出そうな、綺麗な女性である。照とは別の意味で目立つその女性に、京太郎の目は釘付けになっていた。女性の方も京太郎を見ていた。凝視されるのはこそばゆいが、それが美人であるなら悪いものでもない。

 

 女性からの視線のくすぐったさに耐えながら、照の横に立つ。直接会うのは、長野を出て以来。四ヶ月ぶりに再会した照は、長野を出た時よりも少しだけ大人びて見えた。

 

「久しぶり、京太郎」

「照さんもお変わりないようで。それと改めまして、インターハイ出場、おめでとうございます」

「約束、果たせそうだよ」

 

 嬉しそうに、照が微笑む。約束とは、白糸台に進学する前に宣言した『インターハイ個人、団体で三連覇』というものである。達成できればもちろん前人未到の大記録だ。三尋木咏も、小鍛治健夜も達成していない大記録の更新も、照ならばできそうな気がした。

 

 じっと見詰め合う二人の横で、咳払いが一つ。その主は、黒髪の女性だった。その女性は実に落ち着きのない様子で視線を彷徨わせていた。一刻も早くここを立ち去りたい、という内心が見えるようである。トイレかな、くらい気を利かせるのが男のあるべき姿だろう。京太郎も普段であればさりげなく気を回していたのだが、今回に限っては、その気遣いを全くしないことにした。

 

 黒髪の女性となるべく視線を合わせないようにしながら、ゆっくりと動いて距離を取る。ちょうど咲を盾にするような位置取りだった。普段は隠れる立場の自分が矢面に立っていることに気づいた咲が、京太郎に視線を向ける。普段ならば、咲の後ろに立つようなことは絶対にしない。不審に思うよりも先に心配そうにこちらを見つめる少女に、京太郎は肩に軽く手を置くことで応えた。

 

 それが合図と決めていた訳ではないが『黙っててくれ』という意図は、正確に咲に伝わった。後で説明してね、と振り返って苦笑する咲に感謝の念を送りつつ、京太郎は照が紹介してくれるのを待った。

 

 妹と京太郎、二人の視線が女性を向いているのに気づいた照は、遅まきながら女性の紹介を始める。

 

「この人が、弘世菫。私の同級生で友達で、寮のルームメイト。菫、この娘が咲。私の妹。こっちが京太郎。私の――後輩で良い?」

「OKです」

 

 京太郎は先輩を立てる後輩の礼儀として、菫に軽く頭を下げた。菫は落ち着きを取り戻した――風を装っている。何事もなくやり過ごすと腹を決めたのだろう。傍から見れば随分と不自然な態度に見えたが、これが初対面である咲は菫の不自然さに全く気づいておらず、照はそもそも他人の態度を気にしない。

 

 京太郎一人が気づかなければ、何事もなく終われる。そう判断した菫の態度は実に無害で大人しいものだった。京太郎はそれにあえて乗り、親しげな笑みを浮かべて、手を差し出した。

 

「『はじめまして』須賀京太郎です」

「照から話は聞いてるよ。私の前の宮永係だったそうだな」

「白糸台でもその名前が?」

 

 菫の手を握り返しながら、京太郎は苦笑を浮かべる。

 

 麻雀部に所属したことは一度もないが、京太郎は照のお世話係として周囲に認識されていた。インターミドルの大会にも部とは別のルートで行ったのに、気づけば麻雀部の身内として扱われ、会場でも照のお世話をしていた。常に誰かが張り付いていないと、照は勝手に迷子になるのだ。京太郎がいない時は女子部員が交代で面倒を見ていたが、京太郎がいるならば、と押し付けられた形である。

 

 照と一緒にいる時は大抵そういう役回りであり、咲も一緒にいる時は手間も倍になる。いつものことだと思えば苦にはならなかったが、二つも年下の男子に世話をされて果たして照の女としてのプライドは大丈夫なのかと心配になった回数は、両手の指では数え切れない。何度もそれとなく、自分はどこかに消えた方がと照に伝えてみたが、お前の居場所はここだとばかりに、照はその手の話にだけは取り合うことがなかった。

 

 結局、照がインターミドルを連覇し部活を引退するまで、京太郎は公的に照のお世話を続けた。『宮永係』という名前がついたのは、その頃の話である。

 

 自分が言い出したのではなく、自然発生したはずのその名前を、同じ中学の出身者ではない人間が口にするのは、酷く新鮮に感じた。同時に、目の前の人も自分と同じことをしているのだと思うと、言いようのない親近感が湧いた。同じ苦労を共有している。それだけで、人間は仲良くなれるものだ。

 

「ああ。不本意なことにな。私がその役を先輩からおおせつかった。こんなポンコツでも、うちのエースだからな」

「私はポンコツじゃない。京太郎の前で私のイメージを崩すのはやめてほしい」

 

 キリリとした表情で照が言う。インターミドルチャンプという肩書きと、宮永照という名前。この時、この場面だけを見れば照をぽんこつと思う人間はいないだろう。言い方は悪いが、照は外面を取り繕うのがとても上手い。ぽんこつ姉妹の妹の方である咲も照の言葉に同調するが、二人のぽんこつっぷりを知っている京太郎と菫は、顔を見合わせた。知らぬは本人ばかりなりである。

 

「私と同じことを彼がしていたのなら、ここで何を言ったところで、イメージに変化はないから安心しろ」

「京太郎と一緒にお風呂に入ったことはない」

「それを聞いて安心したよ。全て同じと言われたら流石に、私もお前との付き合いを考えなければならないところだった」

「でも、髪を乾かしてもらったことはある」

「……付き合いよりも先に色々と考えることができたようだな。まぁ、今は良い」

 

 菫が京太郎に視線を向ける。何か後ろめたいことがあると、顔に書いてあった。彼女が何を気にしているのか知っていた京太郎は、笑みを深くする。このまましばらく放っておいても面白いが、後でバレた時の報復が怖い。次に何かあったら、その時は正直に言おうと心に決めて、菫の言葉を待つ。

 

「ところで……須賀と言ったか。不躾なことを聞いて申し訳ないんだが、前にどこかで私と会ったことはないか?」

 

 その質問に、京太郎は思わず噴出しそうになった。聞かずにはいられなかったのだろう。思わず口を突いて出たという感じの声音に、直後、菫はしまったという顔をするが、吐いた言葉はもう取り消すことはできない。やり過ごすつもりならば、どれだけ不安に思っても、口にするべきではなかった。それが原因で記憶が掘り起こされるということだって、十分に考えられるのだから。

 

 もっとも、菫に問われるまでもなく京太郎は色々と思い出している。どれだけ警戒しようともはや無駄ではあるのだが、どうせ暴露するならいきなりが良い。自分は全てを知っているということを悟らせないように気をつけながら、京太郎は菫の顔をじっと見つめる。

 

 そうして顔をゆっくりと横に振ると、菫は目に見えて安堵した。

 

「そうか。それならば良い。おかしなことを聞いたな、忘れてくれ」

「別に良いさ。気にするなよ、リンちゃん」

 

 口にした瞬間、菫の時が止まった。

 

 いきなり砕けた口調になった京太郎に、宮永姉妹が不思議そうな顔をする。今までの人生で、年上の女性と接することが多かった京太郎は、上下の関係を無視することはない。年上、先輩にはきちんとした態度で接し、言葉使いも丁寧である。少なくとも二人は、年上の人間にタメ口で話すところを、見たことがなかった。

 

 にこにこと笑う京太郎と対照的に、菫は笑顔を引きつらせていた。弘世菫を『リンちゃん』と呼んだ人間は、過去に一人しかいない。須賀京太郎という名前には、覚えがあった。燻った金色の髪に、このあだ名。間違いであってほしいと願っていたそれは、儚く散った。

 

「覚えててくれて嬉しいよ。元気だったみたいだな。白糸台に入ったとは知らなかったけど」

「…………」

「実は前に照さんから名前は聞いてたんだ。でも、それだけじゃピンとこなくてさ。今の今まで忘れてたんだけど、顔を見て思い出したよ。変わらないな、昔と」

「…………あぁ、お前も変わらないな。そういう不躾なところが特に」

「菫、京太郎と知り合い?」

「昔、一度だけ会ったことがある。たまたま遠出をした時に知り合ってな、こいつに誘われて、当時こいつの通っていた教室まで一緒に行ったんだ」

「一度しか会ったことのない人を覚えてたんですか?」

 

 咲が目を丸くしている。確かに、忘れていても不思議ではないが、特別な思い出があれば別だろう。例えばその日、めそめそと公園で泣いていたとかだ。それはな、と京太郎が全てを話そうとすると、すぐさま菫から横槍が入った。顔の前に翳された腕を手を追って顔を見ると、黒髪の美少女はまるで夜叉の形相をしていた。

 

 それを話せば、お前の命はない。無言ではあるが、表情が全てを物語っていた。誰にも触れられたくないことはある。菫にとって『公園で泣いていた』という事実が、それに当たるのだろう。別に恥ずかしいことではないと思うが、羞恥の感覚は人それぞれである。嫌がることを、率先してやろうとも思わない。不思議そうに首を傾げる咲は、答えを待っていた。正直に答える訳にもいかない。何か当たり障りのない答えはないものかと考えをめぐらせた京太郎は、真っ先に目に付いた菫の容姿を理由にすることにした。

 

「昔からリンちゃん、この髪型だったからな。綺麗でまっすぐな黒髪って実はすげーレアだろ? 俺は見てすぐにわかったよ。あぁ、あの時の女の子だって」

「私も、お前のその髪の色は忘れようもない。私の記憶にある限りで、麻雀をやっている人間でそんな髪をしていたのは、お前だけだったからな」

「お互い目立つ特徴持っててよかったな」

「そういうことなら、髪を切っておけば良かったと少し後悔しているよ」

「なんだよ勿体ない。似合ってるのに」

「この髪を維持するのがどれだけ手間なのか、男のお前には解らんだろう?」

 

 会話をしたのとはあの時の一度だけ。正直、これまで出会ったことも忘れていたくらい、菫のことは忘却の彼方にあった。それなのに、言葉は次から次へと出てくる。まるで十年来の友人にするように、菫との間には気安い空気があった。記憶が確かならば、菫の方が二歳年上のはずである。この見た目で、あの性格だ。年下からタメ口を利かれるような人間ではないだろう。普通ならば、舐めた口を利いた瞬間に、厳しい叱責が飛んでくる。そんな雰囲気をしている。

 

 だが、タメ口を利かれている菫の方にも、それを咎めるような様子はなかった。この関係、この空気が当然であると、菫も思ってくれているのならば、嬉しい。今までの時間を取り戻すように言葉のやり取りは続いた。会話をしているだけで楽しいと思ったのは、久しぶりのことである。できることなら、いつまでもこうしていたいと思った京太郎を現実に引き戻したのは、ぽんこつ姉妹の妹の方だった。

 

 袖を強く引っ張られて初めて、京太郎は今ここがインターハイの会場であることを思い出した。参加するのは自分ではなく、照だ。激励にきたはずの人間を放って、会話に夢中になっていたのである。何とも恥ずかしい。慌てて照に頭を下げると、照は静かな声で『別に気にしなくても良い』と答えた。

 

 言葉とは裏腹に、明らかに気にしている様子である。拗ねてしまった、というのは誰の目にも明らかだった。菫の顔にも『不味いことになった』と書いてある。

 

 照と菫は部活の同期であるが、今の時点での立場は大きく違う。特待生で入学してレギュラーを勝ち取り、一年生でありながらインターハイ制覇を囁かれている照の重要度は、間違いなく部の中で一番高い。麻雀という競技はメンタルが結果に大きく左右する。照ほどの実力者ならば多少気持ちがブレても早々に負けることはないだろうが、それも程度に寄る。

 

 このことが原因で照があっさり負けようものなら、一緒についていた菫にも責任問題が及ぶだろう。部から追放などということにはなるまいが、特待生という立場のある照よりも難しい立場になるのは想像に難くない。

 

 何とかしろ、と菫が視線を送ってくる。こういう時、手綱が握れてこその宮永係だとは思うが、菫はまだ照と一緒になって三ヶ月である。寮では一緒の部屋だと言うが、それでも照を自由に動かすとはいかないのだろう。かく言う京太郎も、照の全てを知っているという訳ではないが、付き合っていた期間が長い分、その扱いも心得ていた。

 

「あー、照さん。忘れてました。これ俺が作ったクッキーなんですけど、試合の合間にでも食べてください」

 

 カバンから、長野で作ってきたクッキーを取り出す。本当はケーキとかの方が良いのだが、インターハイは長丁場だ。日持ちする物の方が良いだろうと、クッキーにしておいたのだ。全部で八種類。一日一袋として、八日は持つ計算である。

 

 照の目が、きらきらと輝きだした。拗ねていたことは忘れてくれたようだった。袋全てを渡すと、早速一つ目を開けようとする。照の機嫌が直ったことに安堵した菫は、早速その頭にチョップを落とした。おかしを邪魔された照はギロリと菫を睨むが、菫はそ知らぬ顔で手首をとんとんと叩く。

 

「そろそろ時間だ、後にしろ」

 

 照がそっと京太郎を見上げる。おかしが妹の次に好きな照は、捨てられた子猫のような目をしていた。どうにかしてやりたい気持ちがどうしようもなく湧き上がってくるが、白糸台のスケジュールに干渉するような権限は、京太郎にはない。今の京太郎にできることは何もなかった。

 

「今日作ったのはこれで全部ですけど、インターハイ優勝したら、ちゃんとお祝いをしますから」

「……ちゃんと私と咲のリクエストは聞いてもらう」

「もちろんですよ。俺は照さんの優勝を疑ってませんから、色々と準備して待ってます」

 

 インターハイが終われば、寮生活をしている麻雀部員にも帰省が許される。強豪と言えども、全く夏休みがない訳ではない。麻雀のような室内競技であるなら尚更で、更に全国優勝の立役者ともなれば、多少の休暇を取った所で文句は言われないだろう。

 

「それじゃあ、私は行く」

「観戦室で見てますから。頑張ってくださいね」

「お姉ちゃん、がんばって!」

 

 咲の声援を受けながら、照と菫は控え室に戻っていった。途中何度も違う方向に行きかける照の腕を引っ張る菫を見て、変わってないんだな、と安心する。

 

 照と菫が見えなくなると、急に咲がソワソワしだした。観戦室に向かおうとした矢先のことである。照が離れたことで気が緩んだのだろう。照と同じだけの付き合いがある咲が何をしたいのかは、京太郎にも良く解っていた。

 

「トイレならそこだぞ」

「京ちゃんのばか!」

 

 ばしばし背中を叩いてから、咲はトイレに駆けて行く。直球を投げてダメならどうすれば良かったのか、と逆に聞きたかったが、それを素直に口にすると、今度はデリカシーがないと言われそうな気もする。

 

 自問しながら、京太郎は近くにあったベンチに腰掛けた。ポケットからパンフレットを取り出す。見取り図を見ながら確認するのは、医務室などの救護用の施設の場所だった。観戦室は人で一杯だ。そういうものになれていない咲が気分を悪くした時困らないように、確認しておく必要がある。

 

 その時は一刻を争うかもしれない。迷わずにいけるように地図とにらめっこしていると、耳に慣れた声が聞こえた。

 

「久しぶりだね、京太郎」

 

 機械を通さずに直接聞くのは、随分と久しぶりである。懐かしい声に顔を挙げると、そこには予想通りの顔があった。整った顔立ちなのに、銀色の髪は二つに縛られていて、少々子供っぽく見える。それでもミスマッチに見えないのは、それだけ彼女が美人だからだろう。

 

「良子さん。ああ、お久しぶりです」

「本当に久しぶりだ。君が愛媛を出てからだから、直接会うのは二年ぶりだね」

 

 にこりと微笑む良子に、京太郎の胸も熱くなる。ベンチから立ち上がると、良子の頭は京太郎の目線よりも少し下にあった。

 

 二年前。京太郎は小学六年生で、良子は高校一年。今の照と同じ年だった良子は、当時の京太郎には随分と大人に見えた。その良子が自分よりも小さくなっているという事実に、京太郎は軽い衝撃を覚える。良子も決して小さい方ではないが、成長期に差し掛かった男子の京太郎よりは、やはり小さい。

 

 男女の性別差に驚いたのは良子も同じだったようで、京太郎を見上げるという初めての経験をした彼女は、苦笑とも何とも言えない笑みを浮かべていた。

 

「あの時の少年を、私はもう見上げてるよ。時間が経つのは早いものだね、本当に」

「全く。あれで止まったらどうしようかと思いましたけど、どうにか伸びてくれてます」

「物寂しくはあるけど、頼もしくもある。私としてはもう少し伸びてくれると嬉しいね。世の中には理想の身長差というものがあるらしいから」

 

 悪戯っぽく良子が笑う。誰から見たどういう理想なのかは言及しないで置くことにした。愛媛の思い出と共に、霧島神境で霞や初美に色々された時のことが京太郎の脳裏に蘇る。こういう顔をしている霧島の巫女に質問をして、ロクなことになった例がない。

 

 沈黙を貫く京太郎に、良子は軽く嘆息した。乗ってこないことを確信した良子は、中空に視線を彷徨わせながら、話題を探す。

 

「確か京太郎は宮永照の応援に来たんだよね?」

「そうです。妹と一緒に来ました」

「できれば私を応援して欲しかったところではあるけど、中学の先輩なら仕方ないな」

 

 照と同じ中学だったことは、良子にも伝えてある。インターミドルを連覇した時から、既に照は注目の的だった。後から調べてみたら、良子の高校も照に特待推薦の申し出を出していたという。選択如何によっては、チームメイトになっていた可能性もあったのだ。照一人でも全国優勝は磐石なのに、ここに良子が加われば鬼に金棒である。

 

 話題性が先行して今年のインターハイは照一色であるが、良子は良子でプロの注目を集めていた。何しろ良子は今年で卒業だ。プロに行くのか、行くとしてどこのチームに行くのか、行く先を気にする面々の話題は尽きない。予想はほとんど地元愛媛のチームであるが、霧島系の巫女であることから九州のチームに行くのではという見方もある。いずれにしても、プロに行く公算が高いというのが各機関の見立てだった。

 

 ふと、京太郎は良子が照をどう見ているのか気になった。良子はスカウトが注目する筆頭株である。二年間十分に経験を積み、全国の舞台も経験してきた。照ともきっと良い勝負をするだろう。照と良子が出るということで、出場選手のデータを集めてみたが、飛びぬけた実力を持っている照に匹敵しうると思えたのは、良子一人だった。

 

「良子さんから見て、照さんはどうです?」

「強いね。私を含めて今年参加してる女子の中では一番じゃないかな。とても一年とは思えないよ」

「良子さんでもダメですか?」

「それは宮永照を近くで見た君の方が解るんじゃないかな」

 

 意地悪く微笑む良子に、京太郎は押し黙る。照と良子。どちらも京太郎から見れば手の届かない位置にいる強者であるが、どちらが強いかと問われれば、照の方が強いと答えざるを得ない。

 

 言葉にしたほど明確な差がある訳ではないが、運の質と言い打ち回しと言い、照には非の打ち所がない。

 

 難点があるとすれば一度流れが途切れると打点がリスタートされるところであるが、今までの経験上、その頃にはもう取り返しのつかない程に点棒を積み上げているから、それ程問題でもない。

 

 そして照のスタイルは実力に開きがある場合にこそ、真価を発揮する。獲得点数の勝負である個人予選では、照を阻む者はいないだろう。打ち倒すとすれば決勝であるが、照に対抗する最有力である良子が戦う前からこれなのだから、他の選手がどう考えているのか想像に難くない。

 

 仮にも世話になった良子が相手である。自分でした質問だったが、京太郎は急に申し訳なくなった。

 

「何というか、すいません……」

「京太郎が謝ることじゃないよ。ちなみに、私も負けるつもりで打ったりしないから。やる以上は、勝つつもりでやるさ。一度くらいは、全国の頂点に立ってみたいからね」

 

 良子の微笑みにはどこか力がない。実力は確かであるが、良子はタイトルには恵まれていなかった。一年の時からレギュラーで、IHへの出場はこれで三度目。個人戦での代表は一度も逃したことはなく、去年は決勝卓にも座ったが、僅差で破れ二位となった。

 

 今年は三年。この夏がIHで戦う最後のチャンスである。今年を含めて三度チャンスがある照と違いがあるとすれば、そこだ。

 

 しかしながら、照は最初から三度優勝するつもりでいる。気持ちの強さでは、おそらく良子にも負けていないだろう。

 

 ならば実力で雌雄を決するより他はないが、当の良子が照を既に格上と認めている。勝つことを諦めていないとは言え、精神的な格付けが済んでいる状況では展望は厳しい。

 

「じゃあ私はそろそろ行くよ」

「もうですか?」

「さっきからトイレの出入り口の影で、こちらを伺っている女の子の視線が気になってね」

 

 良子の身体越しにそちらを見れば、確かに出入り口の影から咲の宮永ホーンが見え隠れしていた。知らない人間がいて、出るに出られないのだろう。堂々としていれば良いのにと思うが、性格は早々変わるものではない。

 

「あれが宮永照の妹かい?」

「はい。咲って言います。麻雀も強いですよ」

「姉妹揃ってか……これは、私が卒業した後も荒れそうだね」

 

 それじゃあ、と軽く手を振りながら良子は去っていく。入れ替わるように、トイレからこそこそと戻ってきた咲は、小さくなっていく良子の背中を見ながら、問いかけた。

 

「京ちゃんの彼女?」

「愛媛にいた時の先輩だよ。近所に住んでた人で、麻雀を教えてもらってたんだ」

 

 ふーん、と咲は小さく頷いた。明らかに納得していない様子であるが、京太郎には他に説明の仕様がなかった。

 

 確かに戒能邸に泊まりに行ったことは何度もあるし、彼女のチームメイトも含めて遊んでもらったこともある。二人で出かけたのも一度や二度ではないが、そのくらいは咲とだってしているし、照ともしている。別段、口にする程のことでもないだろうと判断した京太郎は、まだ良子の去った方を見ている咲の手を取って歩き出した。照の試合はもうすぐである。席は埋まっているだろうが、もたもたしていると立ち見すら危うくなる。

 

「行くぞ。ここまで来て外で見るのは、照さんにも悪いからな」

「ねえ京ちゃん。お姉ちゃん、優勝できると思う?」

 

 不安そうに問う咲に、京太郎は答えた。

 

「当然だろ。照さんに勝てる高校生なんているもんか」

 

 良子を心配したすぐ後に、これである。何とも後輩甲斐のない言葉であるが、照に優勝してほしいという気持ちは本物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、何で弘世さんがリンちゃんなの?」

「リンドウみたいに見えるからって俺がつけたんだ」

「…………」

「そんな顔するな。昔はかっこいいと思ったんだよ」

 

 


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