セングラ的須賀京太郎の人生   作:DICEK

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18 中学生二年 モンブチーズ激闘編

 

 

 

 

 着座したその瞬間に他プレイヤーの運の太さが解る京太郎は、同時に彼我の実力差を感覚的に把握し、他プレイヤーを分類する。現状の力量でも頑張れば勝てるかもしれない相手か、それとも奇跡でも起こらない限り勝てない相手か。その二種類である。

 

 どちらも勝つために手を尽くすことに違いはないが、勝てない方の相手にはより集中して取り組んでいる。勝つべき手段が見えないということは、それを見出すことができれば一歩も二歩も前に進めるということだ。強者との麻雀は成す術なく一方的にやられることも多いが、得る物も多い。

 

 京太郎の目から見て、この三人は敬意を持つに値する相手だった。緩手は即座に敗北に繋がる。いつも以上に集中して打ちまわす京太郎の手は、いつも以上に進みが悪かった。底なし沼に際限なく沈んでいくいつもの感覚の他に不快感がある。見えない大きな手に身体を押さえつけられているような、そんな感覚である。

 

 その力の出先は衣だった。鼻歌を歌いながら打ちまわす衣の姿だけを見るとそんな強運の持ち主には見えないが、京太郎には運のやり取りについて、幼少の頃からの経験があった。見かけではもう騙されない。高校生を小学生に間違い、東一局でトリプル役満を振り込んだ時の経験が、今この時、京太郎を確かに強くしていた。

 

 東一局八順目。

 

 『五』を切った純を見て、京太郎は彼女のテンパイを確信した。衣が発している体を押さえつけるような力は、察するにテンパイスピードを鈍らせるタイプのものだ。現に京太郎には強力に作用しているが、しかし純はきっちりとテンパイしている。相手によって影響力が違うのだ。こういう力がオカルトによって成されるのならば、オカルトによって破られるのも道理である。京太郎にはできないことが、純にはできる。それは単純な力量差を示していた。

 

 不利を嘆かず、好調を羨まず。京太郎はただ事実だけを認識し、純の捨て牌を分析する。『五』でテンパイであるが、筋引っ掛けということはなさそうだ。索子の上目の待ちの順子系と判断する。理牌と切り出しの位置から、ドラの『①』はない。おそらく、高くても3900くらいだ。

 

 それほど高い点数ではないが、態と振り込むこともない。振込み回避と手を進める、その両方を達成できる『八』を切ろうとしたところで、京太郎は手を止めた。

 

 純に通るからと言って、他のプレイヤーにも通るとは限らない。下家の衣を見れば、テンパイの気配が濃厚だった。しかも間の悪いことに純には安全であるはずの『八』がかなり当たり臭い。

 

 切ろうとしてた『八』を諦めて、京太郎は頭にしていた西を切った。手を回すことになるが、打ち込むよりはずっとマシだ――と考える暇もあればこそ。

 

「ツモ! ジュンチャン、三色、ドラドラ。8000オールだ!」

 

 待ちは本当に間『八』だった。読みが当たったことに安堵しながら牌を伏せると、背後から小さな拍手が聞こえた。

 

「良く止めた。どういう読み?」

「天江さんの顔にテンパイしてるって書いてありましたからね。何故『八』かということですが、まずは捨て牌から。次に純さんの『五』に天江さんがしめた! って顔をしましたので。それでほとんど確信しました」

 

 麻雀が強くてもポーカーフェイスが苦手な人間もいる。クロやシズなどが良い例だ。逆に照やシロなど表情からは読み難い人間も少ないがいた。京太郎としては、表情がコロコロ変わる方が読み易く、人間的にも好みだった。今卓についているメンバーは察するに、全員が顔に出るタイプである。

 

 京太郎の言葉を聴いて、智紀は薄く笑みを浮かべた。

 

「打っている時、人まで見て打つ人間は少ない。貴方は見るからに運が細いけど、打ちまわしは冴えている」

「見ていても面白くないと思いますよ?」

「とんでもない。私はこういう麻雀が見たかった」

 

 智紀が顔を寄せてくる。女性らしい良い匂いがした。地味な外見であまり目立たないが智紀は結構なおもちだ。この場に玄がいたら狂喜乱舞していただろう。宥ほどではないものの、美女美少女との出会いに溢れた京太郎の人生の中でも、五指に入る見事さだった。じっと見たいが、これだけ近くでは少し視線を動かしただけでその行き先がバレてしまう。

 

 女所帯の中で卑猥なネタで男を下げることがどういうことか、想像できない京太郎ではない。おもちは名残惜しいが、顔ごとそむけて何でもない風を装う。

 

 苦しい動きなのは自分でも解っていた。自分で解るぐらいのことだから、智紀にはバレバレだったのだろう。笑みを深くした智紀はさらに身体を寄せてくる。智紀は明らかにこの状況を面白がっていた。さりげなく距離を取ろうとすると、自然に智紀もついてくる。それをじゃれていると思ったのだろう。衣が肩を怒らせて立ち上がった。

 

「ともき。対局中の助言はルール違反だぞ!」

「大丈夫、問題ない。彼の健闘を称えていただけ」

「珍しい。お前が興味を持つなんて、そいつは相当な打ち手か?」

「打ちまわしだけなら、私と並ぶかも」

 

 声音から京太郎にはそれが智紀の冗談だと解った。穏やかな性格をしていても、智紀も麻雀打ちだ。目を見れば、まだ負けないという意思がありありと感じられる。そういう負けん気が京太郎は嫌いではなかったが、言葉だけを受け取った衣と純は、それを本気と受け取った。弛緩していた空気が鋭い物に変化するのが、京太郎にも解った。

 

「ともきがそこまで言うのなら、相当な打ち手なのだろう。期待させてもらうぞ、須賀きょうたろー」

 

 本人は邪悪に笑ったつもりなのだろう。口の端を上げるだけの笑みが、確かに品がないと言えなくもなかったが、生来の可愛らしい顔立ちが、その邪悪さを台無しにしていた。これも『美人は得だ』という事例の一つだろう。

 

「こういう時は、『かわいいは正義』というべき」

「勉強になります。智紀さんは物知りですね」

 

 衣からの圧力は増していたが、冗談を言い合うくらいの余裕はあった。伊達に最強の雀士の一人の弟子をしている訳ではないし、怪物たちの相手をしてきた訳ではないのだ。逆境の中で戦うことなどいつものこと。見えないプレッシャーが増したくらい、どうということはない。

 

 東一局、一本場。衣の親が続行される。

 

 牌が上がってくると、運の流れに変化が起こった。僅かではあるが衣に流れが傾いている。アガったことで、運を引き寄せたのだろう。

 

 八順目。動いたのは衣だった。

 

「リーチ!」

 

 牌を横に曲げられた瞬間、京太郎は直感した。これは一発でツモられる。

 

 衣にツモ番を回してはいけない。純と視線が交錯する。このままではツモられると、彼女も感じたらしい。

 

 そうして純が切った牌は、京太郎にとって鳴きごろの牌だった。こちらの手を読んだ見事なアシスト、協力プレーである。純の読みとこの場で危険牌を切れる胆力に舌を巻きながら、京太郎はそれをスルーした。純が肩をこけさせるのが解ったが、須賀京太郎は鳴けないのだから仕方がない。昔、咏に言われた禁止令は、まだ解かれていないのだ。

 

 だがアシストする気があるなら話は早い。自分を犠牲にできるのだから、他人の犠牲には乗っかってくれるだろう。こちらがアシストすれば、純はそれを受け入れてくれるはずである。

 

 小考して、京太郎は『④』を切った。衣のリーチには無筋の、ド真ん中の脂っこい牌である。普通に見ればただの暴牌であるが、京太郎の目から見ればこれくらいはまだ安全だった。『素直な良い子』と評されるだけあって、衣の表情からは色々なことが読み取れる。きっちりした性格なのか、理牌も丁寧だった。

 

 テンパイをしているのか、値段はどのくらいか。そして、何で待っているのか、視線は卓上を動き、手牌と行き来する。それら全ては情報だ。良い子はこれらを総合した結果――つまりは手牌の中身が、顔と態度に出る。衣はその良い子の典型だった。強力な運で流れと点棒を持っていっているが、もし相手に降りる選択肢が存在するゲームだったら、ここまで一方的な強さは発揮できなかっただろう。相手が途中で降りることを許されない麻雀というゲームだからこそ、衣の運は相手を沈める方向に作用するのだ。

 

 

「ポン!」

 

 

 京太郎の切った牌を、純がポンする。ツモを飛ばされた衣は、目に見えてムっとした顔をした。顔に出る、という読みがますます補強される。改心のアシストをスルーされた純の機嫌は下降気味だったが、京太郎のアシストによってチャラになった。やるなお前、という視線に得意気な笑みを返し、ツモる。衣の一発ツモは『5』だった。

 

 それは京太郎の読みの本命だった。案の定、一発でツモっている。恐ろしいツモ力だが、何はともあれ一発は防ぐことができた。次に衣に行くのは透華のツモである。流石にこれでツモられるということはないと思いたいが、ここまでの運がツモ筋をズラしただけでどうにかなるとは考え難い。既にリーチをかけられている以上、早急に対処をする必要がある。

 

 衣以外の相手に打ち込むべきだ。衣に親ッパネをまたツモられれば、6100点のマイナスになる上、更に衣の親番が続く。衣くらいの打ち手に普通のルールで六万点を越えられると、挽回が難しくなる。他の二人はアガれば良いだろうが、京太郎はツモることに期待ができない。一度減った点数は、よほどのことがない限りそのままだ。衣だけでなく、透華や純がゴリゴリツモあがれば、最悪最初の親番よりも先に点棒が尽きる。

 

 これほどの実力者を相手に、初見で勝てるなどとは思っていないが、それではいくら何でも格好悪い。ギャラリーを背負っていることでもあるし、無様な麻雀は見せられない。打ち込む。京太郎の中で方針は決定した。6100以下ならば、進行料としてはまずまずの値段だ。捨て牌から、純の手の高さを推察する。高くはない――態と打ち込むのは好きではないが、背に腹は代えられない。

 

(当たれ!)

 

 という思いを込めて切った、京太郎の牌は、

 

「ロン。タンヤオドラ赤、3900の4200」

 

 無事、純に刺さった。注文通りの進行に、京太郎は済ました顔で点棒を支払う。横目で悔しそうな顔をしている衣を見ながら、京太郎は別のことを考えていた。京太郎にアガりを邪魔されたことで、衣の運の上昇は止まった。それでも一般人が及びもつかないところで留まっている運は油断ならないが、問題は純である。衣に傾いていた流れが、今度は差込によってアガった純に傾いていた。それは純本人も自覚しているだろう。これからの主役は自分だという自信が、純の全身から満ち溢れていた。

 

 運そのものは衣よりもまだ低い位置にあるが、運の総量よりも登り調子であることが怖い。次の局、警戒すべきは純だろう。先ほど協力して衣を打ち負かした相手が、すぐに敵に回った。前局の友が、今局の敵。麻雀では良くある話である。

 

(でも前局の敵が、今局の友ってこともある訳だ)

 

 敵が一人と定まれば、残りの三人は手を組むことができる。全員が純のような思考をしてくれれば、一人を抑えることも難しいことではない。期待を込めて残りの二人を見る。素直な良い子の衣は、そういう協力プレイに向いていそうになかった。そもそも彼女は一人でも強い。協力というのは単独では勝てない人間がすることで、強者にはそれが必要なかった。純真な衣は、自分の強さを疑っていない。彼女のアシストは期待できないだろう。

 

 となると、残りは一人しかいないが、透華に援軍は頼めない。今局の透華は親である。調子づいた純を抑えるのに力を借り、透華が調子に乗ったら本末転倒だ。

 

 今局は大人しくしていることに決め、京太郎は更に意識を集中させた。

 

「ツモ。4000オール」

 

 結局、東二局を最初に制したのは一番厄介な相手だった。京太郎は小さく溜息を吐き、点棒を支払う。この透華のアガリによって純の登り運は寸断されたが、今度は透華が運を持ってきた。しかも純より勢いが強い。これなら最初から純に振り込んでおいた方が良かったと後悔しながら、純に視線を送る。交錯は一瞬。それだけで意思疎通は完了した。

 

 順番を考えるならば今度は純がトス役になるのが筋であるが、この面子でそんなに温いことは言っていられない。相対弱運のことを把握しているならば、誰がアガるべきというのは理解しているだろう。純が自力でツモることを祈りながら、東ニ局、一本場である。

 

 透華の切り出しが早い。どれだけデジタルを追求した猛者でも、悩む時は悩むものだ。それなのに透華には一切の遅滞がない。良い手が入ったのだ。それも早くアガれる手ではなく、打点の高い手である。それが悩む必要がないくらいにまっすぐ進んでいる。アガりレースとなればアガれない京太郎には更に分が悪い。純を見る。まだテンパイはしていないようだ。衣を見ればこちらは表情が軽やかであるが、それでもリャンシャンテンくらいだろう。アガれるようになるまで、最低でも二順はかかるということである。

 

 透華より早くテンパってくれれば――と思いながら しかし願いはあっさりと裏切られた。

 

「リーチ」

 

 あぁ、と京太郎は思わず声を漏らした。明らかに調子付いている。一発かは解らないがいずれツモるだろう。どうして自分の周りに来るのはこういうツモ力の強い奴ばかりなんだと嘆きながら、それでもこの状況をどうにかするために考えをめぐらせる。

 

 純はテンパっていない。衣もまだイーシャンテンだ。差込はできないが、手を進めさせることができる。例えば『4』を切れば衣が鳴き彼女はテンパイするだろうが、『4』は透華のド本命である。親である透華への差込が、この局で最もしてはいけないことだ。京太郎の手牌にある中で、衣か純のアシストになりそうな牌は『⑤』である。確実に鳴けるかは解らない。その上、『⑤』を切ればこの手は死ぬ。純にアシストするということは、自分でのアガりを諦めるということでもあった。

 

 自分がやるよりも、他人が向かった方が早いし被害が少ない。それは理解しているのだが、落ち着いた気持ちで振込みを決断する時はどうにも気分が滅入る。しかしやらねば透華にツモられ、さらに勝利が遠のく。自分でアガる道筋が見えない以上、より被害を少なく打ちまわすのは、麻雀打ちとして当然のことだった。

 

「ポン!」

 

 期待していた声が、純から挙がった。『⑤』を鳴いた純は、透華に危険な『3』を通す。『4』に次いでの危険牌だが、透華からロンの声は挙がらなかった。これで純はテンパイ。後は当たり牌を読んで打ち込むだけだが……鳴いて形になった純の手が、京太郎の目にも鮮明になってきた。満貫くらいはありそうな高い手である。安手ならば差し込んでも良いが高いとなるとそうもいかない。透華にツモられた方が収支が安くなるなら、そもそも打ち込む意味がないのだ。連荘される危険を加味すれば、最終的な収支は安くなるかもしれないが……やはりすぐには決断できなかった。

 

 全員に通る西を通す。次いで衣のツモ番。衣は軽やかに『2』を切ったが――

 

「ロン! タンヤオドラ赤赤。一本場で8300」

 

 それが純に当たりだった。衣は自分が振り込んだという事実が、信じられないという様子だ。

 

「純には衣の支配が効いていないのか?」

「そうみたいだな。今の俺は京太郎のおかげで絶好調だぜ?」

 

 ハハハ、と豪快に笑う純には、確かに運気が満ちている。運量では衣の方が多いが、技量は純の方が上なのだろう。京太郎の差込を理解して打ちまわせる辺り、鳴いて流れを調整するという打ち方なのかもしれない。他人の助けが前提となる今の京太郎の打ちまわしには、大きな助けとなる。一緒に打っていてここまで頼もしいと感じたのは、憧以来だった。自分がトップを取るために、振り込んだり他人のアシストをしたり、と考えられる人間は少ない。

 

 東三局。

 

 その頼もしい純の親である。衣からアガった純には大きな流れが来つつある。連荘を阻止しなければならないが、衣に協力は望めないし透華は先ほどから反応が鈍い。麻雀にはしっかりと集中できているようだが、東屋での騒々しさが鳴りを潜めていた。

 

 〇〇をする時には性格が変わるという人間は結構いる。咲など普段は見事なまでに小動物だが、制限なしに麻雀をしている時は驚くほどに攻撃的になる。逆に麻雀をする時は喋らない人間というのもいた。かつて通っていた麻雀教室に大勢いた手合いである。より麻雀を強くなりたいというストイックなタイプに多い傾向だが、京太郎はあまりそういう手合いが好きではなかった。ぴりぴりした空気、というのがどうにも馴染まないのである。

 

 京太郎自身、麻雀に真摯に打ち込んでいる。それは自分一人で完結するもので、他人に強要するものではない。そういう人間と一緒に打っていても面白くないのは、京太郎自身が解っていた。麻雀は四人でするもの。こいつとは打ちたくないと思われ、誰も打ってくれなくなると、そもそもゲームが成立しないのだ。

 

 宮永姉妹にお節介を焼いた後では空しい主張であるが、そういう価値観に寄って見ると、透華の態度は境界線上にある。静かに打つだけならばまだ良い。機械のように麻雀を打つ人間はプロの中にだっている。問題はそうでなかった時だ。雰囲気から察するにどうも『それだけ』には見えない。

 

 同じ綺麗な金髪から、衣と血の繋がった親戚であると推察できる。その衣が場を『支配』しているのに、透華に何もオカルトがないとは考え難かった。敵を侮るのも危険だが、過大に評価するのも同じくらいに危険だ。

 

 オカルトがあるかもと想定して打つのは無駄に手を狭める危険な行為である。オカルトを持たない強者の方が、世間には多いからだ。普段であれば自分を戒め普通に打つことに専念しただろうが、今日この日に限って言えば確信を持って言えた。俯き、淡々と麻雀を打つ透華からは、冷え冷えとして空気を感じる。これで何も起こらないとしたら、詐欺だろう。

 

 それに、麻雀を愛する人間として、そういうオカルトを持った打ち手を生で見たいという気持ちもあった。普通に強い人間ならばそこかしこにいるが、オカルトを持った人間はレアなのだ。そういうプレイヤーとの対戦は、良い経験になる。オカルトがあるならばさっさと出して欲しいというのが、京太郎の偽らざる気持ちだった。透華は冷え冷えとした空気を発するだけで、爆発はしていない。

 

 スロースターターなだけならばまだ良い。兆候だけ見せて開花しないというのは勘弁してほしいところだった。

 

「ロン。3900の5800」

「またか!」

 

 考えながら打ちまわしている内に、また衣が打ち込んだ。先ほど振り込んだことが影響しているのか、打ち筋が雑になっている。オカルト力は強く実際に点棒を稼げてはいるが、捨て牌を見るにやはり技量はそうでもなく、いかにも麻雀を打たされているといった風であるが、それは衣本人の責任ではない。技術を真剣に学ばなくても勝てるのならば、大抵の人間は努力を放棄する。そうでなくとも、真剣に努力をしたりはしなくなる。

 

 衣ほどの才能があるのならば尚更だ。天賦の才能に恵まれても尚研鑽を怠らない、照や神境の巫女さんたちがレアなのだ。

 

 普段であれば衣が一人で勝つのだろう。

 

 しかし、相対弱運で底上げされた運が、その力関係をあっさりと覆した。テンパイスピードに制限をかける衣の支配も強力になったのだろうが、純の運はそれを上回った。加えて彼女には衣にはない柔軟さと技術がある。それでも運量は衣の方が勝っていたが、支配を突破するだけの運があれば、後は対抗できる。純にはそれだけの技術があった。単純な技術の勝負になると、オカルト重視の衣は後手に回らざるを得ない。純の手を読んだとしても、純はさらにその裏をかいてくるだろう。衣が純を上回るには彼女よりも先にテンパイし、ツモるか打ち取るより他はない。

 

「ロン。5200の7700、一本場で8000」

 

 また、衣が振り込んだ。東パツで親倍を上がった衣だが、二度の直撃を経て点差はひっくり返った。

 

 

  衣 22900

 透華 29000

  純 39300

京太郎  8800

 

 

 現在の状況はこうである。三度のアガりで純がトップに立った。加えてまだ純の親は続く。このまま独走を続けそうな勢いすらあったが、それで黙っている衣でもない。

 

「今度こそツモだ! 3000、6000の三本場で 3300、6300!」

「親っかぶりかよ畜生……」

 

 渋々と点棒を払う純に、衣が得意そうな顔を向ける。これでまた衣がトップとなった。凄まじい乱打戦。打ち込んだ以外はほとんど参加できず、点棒は東3が終了した段階で5500点しかなかった。下手な打ち回しをすると、南場を待たずに勝負が終わる。それでは如何にも格好悪い。加えて今日は珍しくギャラリーを背負っている。下手な麻雀を打つ訳にはいかないのだ。

 

 東四局。

 

 京太郎の親。配牌は四シャンテン。誰が見ても良くないと解る。周囲には運が良い人間ばかり。各局点を獲得できるのは一人だけという麻雀の性質上、一人だけ運が弱いというのは凄まじいハンデだ。それを何とかできないものか。それを考えることが京太郎の麻雀と言っても良かった。明確な答えはいまだに見つかっていないが、マイナスの能力を持っているからこそ、解ったことがいくつかある。

 

 麻雀は、運の転換点がそこかしこにある。例えばツモを変えるだけでもそれなりの効果があるし、普段はオカルトなど全く信じていない人間でも、チョンボをしたプレイヤーから運が逃げるという理屈は、何故か信じるものである。

 

 そして、運が弱い人間が全くアガれない訳ではない。物凄く細くなっているだけで、アガりのための道筋は残っているのだ。相対的に弱くなる性質上、自分よりも運で劣る人間と戦ったことがない京太郎であるが、それでも生涯の麻雀成績においてトップ率が一割を切らないことがその理屈を辛うじて証明していた。

 

 つまり、この能力を背負ったまま勝つためには、実力を高めることはもちろん、運量の差を可能な限り少なくすることが求められる。そのためには相手を調子付かせてはならない。流れに乗らせてはならない。したい麻雀をさせず、相手にプレッシャーをかける。それがおそらく、京太郎がするべき麻雀だ。

 

 咏に教えを請うようになって約六年。ようやく将来取るべき方向性が見えてきた。そのためには鳴き麻雀を極める必要があるが、いまだに咏からは鳴いて良いという許しは出ていない。まだまだ門前で学ぶことがあるということなのだろう。窮屈に感じないでもないが、制限がかかっている方がゲームというのは面白いものだと、無理矢理前向きに解釈する。

 

 いずれにしても、できないものを強請っても仕方がない。四シャンテンでも五シャンテンでも、麻雀は続き、誰かが勝ち、誰かが負けるのだ。

 

「リーチ!」

「リーチだ!」

 

 六順目。図らずも同順に、純と衣がリーチをかけた。両者ともに運の下降は見えず、流局は期待できない。このまま放っておけば、どちらがツモるにしても5順以内という所だろう。アシストがしたいがそろそろ点棒が厳しく、アシストに応じてくれそうな純はリーチをかけている。この運量、このタイミングでリーチのみということはあるまい。

 

 つまり、リーチ者に刺さったらアウトだ。安全と思われる牌のめぼしはついているから、やりすごすだけならばどうにかなるが、間の悪いことに京太郎は親。ハネ満以上をツモられたら、その時点でゲーム終了である。せめて振込みあってくれ、と祈りながら打ちまわしていると、

 

「ツモ。1300、2600」

 

 意外なところからアガりの声があがった。

 

 全員の視線が、透華に集まる。顔を上げた透華の瞳の奥に、京太郎は氷原を見た。

 

 

 その瞬間、透華の気配は反転した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おいおい……東場一回回しただけであっちになったのか? いくら何でも早すぎだろ」

「きょうたろのおかげで衣も純も感性が研ぎ澄まされている。透華の内なる力を刺激するのは、それで十分だったということだろう」

「だが、目覚めるのがちょいと遅すぎたな。これから下手にツモれば京太郎が飛ぶぜ?」

「それから先はどうするのだ? こうなれば衣たちも不利は免れんぞ。現にきょうたろの力も今は感じられない――」

 

 そこまで言って、衣は一つの事実に気付いた。

 

 京太郎の力が感じられない。自身の運を放出してまで他人に幸運を齎していた人間の力が、いきなり消えたのだ。それが意味することを理解した衣は、恐る恐る京太郎を見た。

 

 今日できたばかりの友人は、ぼーっと自分の手を見つめていた。今の感覚が信じられないと、自分の身体を確かめ、周囲を見回し、衣を、純を、最後に透華を見つめる。

 

「これは、透華さんの力ですか?」

「国広くんは『冷たいとーか』とか呼んでるな。どういう力があるのかは、まぁ、体験した通りだ。こうなるとこいつはつえーぞ? 俺も、衣も、国広くんや智紀だって苦戦する」

「ええ。でも、今の俺なら良い勝負ができそうです」

 

 自信に満ち溢れた物言いに違和感を覚えた純が、京太郎を見た。まるで主人公のような顔をした彼は、卓上の全員を見渡し、言った。

 

「どうも、今日の俺は人生で一番ついてるみたいです。今日勝てなかったら、いつ勝つんだってくらいにね」

 

 

 

 

「だから、この半荘。俺が勝ちます。ハンデなしで打たせてもらって何も成果がないんじゃ、師匠に笑われますので」

 

 

 

 




次回、モンブチーズ激闘完結編にご期待ください。


以降の予定
・モンブチーズ 衣ハウスお泊り編。
・モンブチーズ 皆で夏祭り編。
・現代編 清澄VSモンブチーズ
・須賀京太郎、西へ(前編)

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