その反動か次回更新は間が空くと思いますのでご容赦ください。
1、
実のところ麻雀部に入ることに、京太郎はあまり乗り気ではなかった。
京太郎がしたいのはあくまで麻雀の腕を磨くことであって、部活ではない。一年ともなれば雑用をしたりもするだろう。それが部として必要なのは解るが、そういうことに時間を取られるくらいならば、勉強がしたかった。
だから麻雀部には顔を出さず、いつものように通える範囲の教室に通うつもりだったのだが、たった一人の存在が京太郎の足を麻雀部の部室に向かわせた。
宮永照。
二年で去年のインターミドルを制した最強の中学生である。その照がこの学校にいるということを、京太郎は入学してから初めて知った。情報収集というのはしておくものだな、と痛感したものである。部活に興味はないが、宮永照には興味があった。全国制覇を成し遂げた人間を近くで見る機会など、中々あるものではないからだ。
タイミングの良いことに、今日から全ての部活が仮入部の期間に入っている。京太郎の他にも、どこかそわそわした様子の新一年生が連れ立って廊下を歩いていた。
麻雀部は宮永照の影響か、盛況だった。仮入部の一年生がざっと見ただけでも五十人はいる。これでは捌く方も大変だろう。事実、対応に追われているらしい二年生は既に慌てふためいていた。何とか部室の中に入ることができた京太郎は、ぐるりと辺りを見回す。
ホワイトボードの進行予定表には『三年生と対局』と書かれていた。
三年生が誰を示すのかは、言うまでもない。これで相手が照でなければ暴動が起きる。集まった一年は皆、それを目当てにしているのだ。
大多数の一年は照と麻雀を打ちたいと思っているのだろうが、京太郎はその逆だった。照の麻雀を後ろで見る。それがここまで足を運んだ目的だ。インターミドルのチャンプとなれば探せば牌譜くらいは手に入るだろうが、実際に見るのとデータを見るのとでは感じられるものが大きく違う。情報は鮮度が高いほど良い。実際に牌を握っているところを見れば、その息遣い、意図までが感じられる。強者のそういう情報をこそ、京太郎は欲しかったのだ。
「はい、こんにちはー」
現れたのは赤毛の少女だった。その少女が登場すると、一年生が大きく沸く。
察するに、あれが宮永照なのだろう。暗い赤色の髪をした照は、集まった一年をぐるりと見回す。
「今日は仮入部期間ということで、私の対局者を募集します。私対一年三人です。25000点持ちの30000点返し。ウマはワンツー。このルールで三人の合計が私を上回れば、一年生の勝ちです。もし私に勝てたらそれなりに豪華な賞品を用意してますので、皆さん頑張ってくださいね」
おー、と沸く一年生とは逆に、京太郎ははぁーと溜息を漏らした。
一対三と聞くといかに全中チャンプ相手とは言え有利なように聞こえるが、実際はそうではなかった。一年三人の得点は合計されるのである。これだと照を三位以下に落とさないと彼女を上回ることは難しい。三人がきっちりとチームを組めるならば別であるが、今日あったばかりの連中にそんなことは不可能だろう。
この場における正解は、照がルールを開示した時に全員でブーイングでもすることだったのだろうが、このルールが照に有利とこの時点で気付いている一年が自分一人らしいことに、京太郎は眩暈を覚えた。
チャンプと打てるのが嬉しいのは良く解る。京太郎も、目の前にいるのがはやりんだったら同じ気持ちになっていただろう。
だが、状況を正確に把握するのが麻雀打ちとしての第一歩だ。不利なルールを押し付けられているというのに、それに気付きもしないというのは格好悪すぎる。
声を上げようと思った京太郎だが、その寸前で思い直した。自分が格好悪い連中の一味と思われるのは癪だったが、それで目立ってしまうのは避けたかった。他の連中と違って京太郎は照と打つのが目的ではない。照の後ろで眺めるためには、むしろこの状況は好都合だった。
他の連中は前へ、前へ出ようとしている。身体だけでなく気持ちまでが照に向かっているのが見えるようだった。こんな中では自分など目立ちはしないだろう。京太郎はそっと安堵の溜息を漏らし、照から視線を外した――
「じゃあ、打ちたい人、挙手!」
それがいけなかったのだろう。照の声に一斉に動き出す一年に、京太郎はただ一人動くのが遅れた。一人だけ違う行動をしているというのは、恐ろしく目立つ。それが密集した人間の中であれば尚更だ。
一人だけ手をあげていなかった京太郎は、正面から見ていた照にははっきりと見えた。
照の視線がこちらを向いているのに気付いた時初めて、京太郎は自分の失敗を悟る。
「それではそこの金髪の男子、私の対面に座ってください」
羨望の視線が京太郎に集中する。辞退することも考えたが、それを許してくれそうな空気ではなかった。観念した京太郎は照の対面に腰を下ろした。残りの面子は照が適当に指名する。二人とも女子だった。男子は京太郎一人。対局者三人誰一人として見覚えのある人間はいない。凄まじいまでのアウェー感だった。
「それでは、よろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
自動卓から牌がせり上がる。牌を開けると馴染みの感覚が京太郎を襲った。
(あぁ、こりゃ勝てないな……)
相対的な運量差を感じた京太郎は、正攻法ではどうやっても照に勝てないことを早くも悟った。持っている運が絶対的に違う。それに自分の放出した分の運を食った照は、まさに規格外のバケモノとなっていた。インターミドルで優勝したというのも頷ける。運の太さだけで言えば咏にも匹敵する、正真正銘の天才だ。
背筋がぞくぞくする。それをどうにかしようと試行錯誤するのが、楽しいのだ。相手を見て簡単に諦めるようなら、とっくに麻雀などやめている。できる限りのことをし、そこから得られるだけの物を得る。京太郎の麻雀はその繰り返しなのだ。
照だけでなく、脇の二人も観察する。運は一般人の範疇に納まるレベル。良くも悪くも普通だった。照が同卓しているからか、どちらも緊張して動きが鈍い。
その二人に比べて照の動作は滑らかだった。ツモって、手牌に乗せ、切り出す。その動作を何万、何十万と繰り返してきた人間の動きである。とにかく無駄のないその動きは惚れ惚れするほどだったが、京太郎はそれを見て『機械のようだ』と感じた。
照から情熱は感じられない。今は先ほどの営業スマイルとは打って変わった、無表情である。相手が一年だから退屈なのかと思ったが、そういう感じでもなかった。部の仲間からは不審な気配は感じられない。おそらくは、これが照の平常運転なのだろう。
いつもこうなら、麻雀など楽しくないのではないか。心から麻雀を愛している京太郎には理解できない感覚だったが、勝利者には勝利者にしかわからない苦悩があるというのは察することができた。
勝負とは競う相手がいるから面白いのだ。勝ちが確定しているゲームなど、面白いはずもない。それで適当に力を抜けるならば良いが、照はそんな器用なことができるタイプには見えなかった。この麻雀も全力で挑んでくるのだろう。どんな叩き潰され方をするのかを考えると武者震いが止まらない。
対面の照が牌を切る。切り出しに僅かに力が篭った。それまで一定だった動作に乱れが生じた。手牌にあった時ではなく、河に出てきた時にそれは生じた。おそらくテンパイ。リーチをかけないのは手代わりを待っているのか、それとも他に理由があるのか。
待ちはおそらく ②-⑤。だが値段はそれほど高くはないだろう。精々5200かその程度だ。まだ六順目であることを考えると早いテンパイスピードであるが、それだけだ。
そして上家が⑤を切った。終わった、と京太郎は手牌を手前に倒したが照からロンの声はかからなかった。ツモらない京太郎に、周囲の視線が集中する。京太郎は慌てて牌をツモり、切った。
(外れた?)
僅かに動揺した京太郎は照の河を見て分析をし直すが、今までの動きから見るに、②-⑤というのはそれなりに根拠のある読みだった。外れるにしてもカスりもしないということはないはずである。少なくとも筒子の下目であることは間違いはない。
照は上家の⑤に身じろぎもしなかった。注意を払っていなかったと言っても良い。手代わりを待っているならば見逃すということはありえるが、アガるつもりがなくてもアガり牌が出てくれば人間、それなりに態度に出るものである。
特にダマでいる時はその傾向が強い。それが全く感じられなかったということは、アガる気がないということなのだろう。
その理由が想像できない。自分に有利な条件をつけたことと言い、何か照なりの思惑があるのだろうか。
「ロン。タンピンドラ1、3900」
そうこう考えている内に、照に見逃してもらった上家が下家に振り込んだ。
照の言った条件を達成するならば、こうして振る役を決めて照が得点を稼ぐよりも先にそいつを飛ばすのが最も簡単な方法である。打ち合わせもしなくて良い。最初に誰かに振り込んだ人間が、自動的に振り役になる。後はテンパイしていることがわかれば、その人間に振るだけだ。手牌全てが当たり牌ということは中々ないが、逆に手牌の中に当たり牌が一枚もないということも中々ない。わざと振り込むのはそれほど難しいことではないのだ。
また、照が一度も上がらず、下家だけがあがって上家をとばすのでも良い。出親が上家のため、着順の関係で同点でも京太郎の方が上になる。三位に落とすことができれば、例えこちらからラスが出たとしても獲得点数の合計で照の上に立てる。彼女の言った条件を達成できるのだ。
いずれも机上の空論であるが、やってできないことではない。そういう方法も存在すると両脇が気付いていれば乗ってやることも吝かではなかったのだが、点棒のやり取りをする以外のことは、二人の間には何もなかった。宮永照との麻雀を、普通に楽しんでいるだけである。
京太郎は頭を抱えた。誰も条件を追わないのなら、出された意味がない。やってみろと言われたらそれに挑むのが醍醐味だろうに、脇の二人はそれをしようともしない。ふつふつと怒りが沸くが、自分があの立場だったらと置き換えて見たら幾分冷静になれた。そこに座っているのが照ではなくはやりんだったら、自分も考えることすら放棄しているかもしれない。
目の前にいるのははやりんではなく、宮永照だ。美少女ではあるが女性的に色々残念な彼女を見ると、心は段々と冷えていった。
大きく、溜息を吐く。
(下家にいるのが憧だったら……)
と思わずにはいられなかった。鳴きのセンスに優れる憧は鳴くべき時というのを理屈よりも先に直感で理解する。こんな特殊な状況であっても、憧ならばきっと対応してくれるだろう。トップを取り合う普通の麻雀ならば強敵であるが、共に戦う仲間としてこれほど心強い存在はなかった。
憧ならどうするだろう。そんなことを考えながら二局目の手牌に触れた時、京太郎は背後に言い知れない気配を感じた。
それは神境の中で霞と初美に散々嗾けられた『よくわからないモノ』の気配に似ていた。京太郎は咄嗟に椅子から腰を浮かしかけたが、肘掛を掴んでその寸前で止めた。相手に弱みを見せてはならない。あらゆるゲームの鉄則だ。
冷静に、冷静に。心の中で念じながら、周囲を観察する。錯覚という可能性はとりあえず排除するとしても、『これ』の元凶となるような存在は照しか考えられない。同時に一局目の静観はこのためか、と直感した。
運に目に見えた上下はない。これなら個人はもちろん場にも影響はない。あったとしてもそれは急激に作用するものではなく、段々と効果を発揮するものだ。
当座効果がないのであれば、それは今気にするべきことではない。まだ起こっていない危機の対抗策を考えるよりも、今目の前にあるものを観察する方が京太郎にとっては大事だった。
京太郎を見つめる照の目には、僅かに驚きの色があった。その視線には覚えがある。相対弱運のことを知られた時、麻雀のことを深く理解している人間ほど、今の照のような顔をするのだ。初めて出会った時の咏は東一局の手を開けた時にカラクリを理解したと言っていた。照ほどの運があれば、相対弱運の恩恵をすぐに実感できたことだろう。
照の視線の意味を考えれば、先ほどの嫌な感じの効果も見えてくる。能力の性質を見破るとか、そういうタイプの力なのだ。照ほどに運が太く、全中チャンプになるほどの技術があり、加えてそんな能力があれば鬼に金棒だ。
咏の焦土戦術のように解ったところでどうしようもない能力もあるが、玄の『ドラゴンロード』のようにメリットとデメリットがはっきりとしている能力もある。それは選手にとっての生命線だ。東一局でそれを見抜かれることは、致命傷に違いない。もし照がおしゃべりであれば、後の選手生活にも影響する。
多くの能力を持った選手が照のこの能力を忌避するだろうが、京太郎には全くもって関係がなかった。
この能力を恐れるのは、あくまで『プラス』の能力を持った人間だけだ。『マイナス』の能力しか持たない京太郎には、見られて困るものなど存在しない。
「ロン。1000点」
これからどうしたものかと考えている内に、照が平和のみをアガった。上家から照に点棒が移動し、照が点棒ケースをパタリと閉める。
その瞬間、じわりと運が動いた。照の運が明らかに良くなったのである。
雑な打ち方をすると運が逃げる。信心のない人間でも、麻雀においてはそういうジンクスを信じるもので、それは概ね正しい。麻雀をしている時に運が上下することなど良くある話だ。
運が動くには必ず理由が存在する。
それなのに今、確かに照に運が寄った。
彼女のしたことと言えば平和をアガったことだけだ。アガってリズムを作る選手もいるが、それにしたって1000点のアガり一つで僅かとは言え、ここまで運は動かない。理不尽、という思いが京太郎の中にわき上がった。
「ロン。2000点」
京太郎の思いを他所に、今度は下家が照に振り込んだ。点棒のやり取りが済むと、また照に運が寄った。先ほどよりも明らかに大きい。
東4局、照の親。
もしかしたら、と京太郎は思った。
照はアガる度に運が良くなるとでも言うのだろうか。加えてその度に打点が高くなるのだとしたら、京太郎にはもう対処のしようがなかった。
運が上がれば上がるほど、照の手は重く、相対的に早くなっていく。割り込むならば打点の低いうちにしなければならないが、照ほどの運と技術がある相手に、そのどちらも備わっていない人間が対抗するのは至難の業だ。特に軽い手を必要としない序盤は、照の手も早い。
コンビ打ちができなければ、普通の人間が照の能力に対抗するのは不可能だ。
憧がいれば。自分の意を汲んでくれる仲間がいれば、せめて一矢報いることはできたかもしれない。自分の無力を悔やみながら、京太郎はこの東ラスがオーラスになることを悟った。
2、
結局、照に12000オールをツモられたところで、両脇が箱を割った。順位だけを見れば二位であるが、全く嬉しくない。ありがとうございましたー、と力なく言う二人に合わせて挨拶をし、立ち上がる。ポケットから携帯電話を取り出し、メールを打つ。相手は憧だ。
『さっき、宮永照と麻雀した』
返信はすぐにあった。あちらも放課後。阿知賀に進学しなかった憧は、その学校の麻雀部に入ったと本人から聞いた。今は部活の時間のはずだが、メールの速度を見るに暇なようだ。
『うそ!? 飛んだ?』
憧の中でも須賀京太郎の負けは確定していたようだ。勝った? と聞かれるのも嫌味であるが、負けて慰めてほしい気分だった京太郎としては、せめて『どうだった?』と聞いてほしかったところである。
『ギリギリ残った』
『良かったじゃない。色々勉強になったでしょ?』
『まぁな。得るものはあった』
そうでなければやってられない。ただ負けた事実を受け入れるだけでは、それはただの苦行である。
『その話、聞きたいな。今晩話せる?』
『大丈夫だ。じゃあ、今日の夜に』
『良かった。楽しみにしてるね。ところで、チャンプは強かった?』
『強かった。ずっと隣にいるのが憧だったらって考えたよ』
メールに不自然な間が空く。それまですぐに返ってきたメールが突然返ってこなくなった。これで終わりなのだろうか。諦めて携帯電話をポケットに仕舞おうとしたところで、メールが来た。
『ばかっ!!』
怒られた。ご丁寧に『あっかんべー』した憧の写真が添付されている。両手が写っているから、友達にでも撮らせたのだろう。訳のわからない手間のかけ方をする、と思いながら、九時には絶対電話に出られることを伝えて、メールを打ち切った。
一週目の京太郎たちの対局が照圧勝の内に終わり、部員達が次の対局者を選出している。先ほどの対局が照の指名で行われたため、今度は公平を期してくじ引きで決めるようだ。一度対局した京太郎には、それに参加する権利はない。今度こそ、照の麻雀を後ろで見れる。早いうちに場所を確保しようと、まだ椅子に座ったままだった照の後ろにそっと移動し――
「必ず来るように」
京太郎にしか聞き取れないくらいの囁き声。それが照の声だと気付いたのは、彼女が自然な動作で手を動かし、京太郎のポケットに何かを差し込んだ後だった。
何が起こったのかすぐに理解できなかった京太郎を他所に、照は明後日の方向を向いて知らん顔だ。ポケットに入っていたのは、紙片である。手帳を切り取ったらしいその紙には、綺麗な字で『裏門』と書かれていた。
3、
仮入部のイベントが終わって。部に残って話を聞こうとする一年生を他所に、京太郎はこっそりと部室を後にし、照に指定された裏門に向かった。裏門と名前がついてはいるが、正門と反対の位置にあるというだけで、そこにも結構な人通りがある。自転車で、あるいは徒歩で帰宅する生徒を見ながら京太郎は一人ぼーっと照を待っていた。
「待った?」
そう声をかけられたのは、生徒の影もまばらになった頃だった。制服姿で無表情に立つ照に、『今来たところだ』と定番の答えを返そうとした京太郎は一瞬だけ考えを巡らせ、それをやめた。
「……それなりに。よく一人で来れましたね。一年生に囲まれてたんじゃないですか?」
「撒いてきた。放課後まで付き合う義理はない」
「そりゃあそうだ」
営業スマイルの欠片もない照が先立って歩き出す。京太郎はそれに、二歩遅れてついていく。
「家はこっち?」
「そうです。途中までは一緒みたいですね」
「良かった。話す時間がなかったら、どうしようかと思った」
美少女の先輩と下校する。男子が考え付く限り、最高のシチュエーションであるが、今の照からロマンスを感じることは不可能だった。営業スマイルをしていた時とは別人である。今の照は、全くの無表情だった。
「俺から聞いても良いですか?」
「構わない。呼び出したのは私だから、まずはそっちから」
「助かります。今日はどうして、あんな条件を?」
照が強者というのは誰もが知っていることだ。照とのエキシビジョンであるなら、彼女以外の人間に有利なルールを組まないと意味がない。にも関わらず今日のルールは照に有利に設定されていた。一年全員が照と打つことに目が眩んでいて気付いていなかったが、そうでなければ企画は破綻していただろう。部を発展させようと組まれた企画とは思えなかった京太郎は、その意図が知りたかった。
「一年生が私に勝つなら手を組まないと無理。だから合理的に手を組めるように条件を設定する必要があった」
「それなら誰か一人でも宮永先輩を上回れば良いってすれば良かったんじゃありませんか?」
京太郎以外の二人が普通に麻雀を始めてあっさりと飛ばされた原因は、照に目が眩んでいたこと。それから、照の提示したルールを理解していなかったことが挙げられる。
それだけ明確なルールであれば、急造の一年生トリオでも照に対抗することはできただろう。
「勝つためにどうするのかを考えるのは、とても大事。得点の合計だと条件が緩すぎる。だからちょっと複雑にした。でも、これは少し考えれば解ること。達成できないのは別に良い。実行しない、理解できないというのは一年生の怠慢」
「それはそれで厳しくないですかね」
「でも貴方は理解したし実行した。部長はそういう新人が欲しいらしい」
「宮永先輩みたいな有名人と打ったら、誰でも緊張すると思いますよ」
別に今日会ったばかりの同級生をフォローする義理もなかったが、チャンスは一度、みたいな照の物言いが気に食わなかった京太郎は、一度だけ、と心中で断りを入れてフォローした。
「そう? ありがとう!」
振り返った照は、惚れ惚れするくらいの営業スマイルだった。部室に足を運んだばかりの頃なら騙されていたかもしれないが、無表情な照を見た直後だと、笑顔が白々しく見えてならない。見た目は美少女なだけに、わざとらしさが際立って見えるのである。
「私からも聞きたいことがある」
正面に視線を戻した照の声音は、平坦なものに戻っていた。
「照魔鏡で貴方の素養を見た。相対的に運が弱くなる貴方は、実力に劣る相手にも確実に負け越す。それでも貴方は真摯に麻雀に向き合ってたし、私にも勝とうとした。そんなに麻雀が好き?」
「大好きです。多分、これから先もずっと」
「そう……それはとても幸せなこと。その気持ちは大事にしてほしい」
「宮永先輩は麻雀好きじゃないんですか?」
「他の物より向いてるからやってるだけ。他に得意なことができたら、多分やってないと思う」
努力して強くなろうとしている人間を激怒させかねない物言いだったが、それがチャンプの言葉だと思うと腑に落ちた。勝ち続ける人間は普通とは違う精神構造をしていると聞くが、照はその典型なのかもしれない。
「俺はできれば続けてほしいですね」
「どうして?」
「宮永先輩は麻雀に勝てる人です。勝てる奴は強いし、強い奴はかっこいいんです。中学生最強の宮永先輩は、だから日本で一番かっこいい中学生なんです。かっこいい人が麻雀やめるなんて、俺はしてほしくないです」
「随分勝手な話だね」
「でも、『日本で一番かっこいい』まではただの事実ですよ」
強い人間がいるからこそ、弱い人間はこうありたいと目標を持てるのだ。照は間違いなく強者であり、純粋に尊敬するに値する人物である。そんな人が麻雀をやめるなんて考えたくもない。勝手な願望ではあるが、それが京太郎の本音だった。
「部には入らないことを勧める。貴方は多分、一人で修行した方が強くなれる」
「教室に入れないものかと探してるところなんですが、どこか良いところ知りませんか?」
「中学生を対象にした教室は難しいと思う」
照はあっさりと首を横に振った。
確かに、小学生を対象にした教室は多いが、中学生まで受け入れてくれるところは少ない。厳密には受けいれてはくれるが、所属するのがほとんど小学生であるため実入りが少ないというのが現状である。
というのも、中学生ともなれば学校に麻雀部があるところがほとんどであり、強豪校は指導者も対戦相手にも事欠かない。月謝を払って教室に通うよりもよほどタメになる環境であり、部に所属することで学生選手権にも出ることができるようになる。本気で麻雀をやりたい人間は中学の内から強豪校を目指すし、そこにいけなかった人間も真面目に部活動に取り組むようになる。教室に中学生が少ないのも頷けた。
勿論皆無ではないが、中学生をまともに相手にしている教室となると、東京などもっと人口の多いところまで出なければならないだろう。長野は決して麻雀が盛んな土地ではないのだ。
「困ったことがあったら遠慮なく頼ってくると良い。ここで知り合ったのも何かの縁。できる限りの協力はする」
「すいません。何だか」
「別に構わない。強くなろうとする後輩に手を貸すのは、先輩として当然のこと」
まさに至れりつくせりだった。ここまで気に入られるようなことをした覚えはないのだが、先を歩く照の背中は、どうにも機嫌が良さそうに見えた。
しかし、手を貸してくれるというのを断る理由はない。まして照は全中チャンプ。現在日本で最強の中学生だ。
「俺、須賀京太郎と言います。遅れましたが、よろしくお願いします」
「宮永照。麻雀、強くなれると良いね」
4、
「そんな訳で新入部員をつれてきました」
「み、宮永咲です。よろしくお願いします!」
テンパリ気味の咲の挨拶を、部員達は暖かい拍手で迎えた。
「昨日の今日で良く捕まえてきたわね」
「元から入るつもりだったらしいんで。だから昨日は俺が偵察にきました」
「保護者のメガネに適ったっちゅうわけじゃな。高校生にもなって過保護じゃのー」
「こいつ、見た目の通り鈍くさいんで……」
京太郎のはっきりとした物言いに、咲はバシバシと背中を叩いてくる。いつも通りのやり取りに、京太郎は頬をひっぱることで報復した。むにー、と伸びる咲の頬は、いつひっぱっても面白い。
「ところで、宮永っていうとあの宮永照さんの妹さん?」
「あー……言われてみたら昨日みた写真にいた気がするじょ。京太郎の横にいた女子だな!」
写真? と首を傾げる咲に、携帯を操作して写真を見せる。みるみる内に、咲の顔が真っ赤になった。
「これ見せたの?」
「話の流れで仕方なく」
「もうやだ……」
一応、やる気を見せていたはずの咲がしおしおと萎んでいく。このままでは一人で帰りそうな気配を感じた京太郎は、咲の腋の下に手を回して持ち上げ、椅子の一つに無理やり座らせた。一人が卓についたら、それは『麻雀をやろう』という意思表示に他ならない。近い位置に陣取っていた面々が椅子取りゲームの要領で卓に着く。出遅れたのは和だった。
むー、とかわいくむくれてみせた和はすたすたと歩いて、京太郎の隣に立った。居心地悪そうにする咲の肩を、そっと押さえる。知らない人間に後ろに立たれて気分が良くないのだ。大丈夫、と肩を軽く叩くと、目に見えて咲は身体の力を抜いた。すっと、咲の雰囲気が研ぎ澄まされていく。意識が切り変わった証拠だ。
怯えた小動物だった咲の雰囲気が変わったことに気付いた久が、にやりと口の端を挙げて笑う。これは拾い物だ、と直感したのだろう。
「参考までに聞いておきたいんだけど、こっちの宮永さん、須賀くんが今まで打った中で何番目くらいに強いのかしら」
「咏さんと良子さんも入れてですか?」
「流石にその二人は省いてもいいわよ」
「そりゃそうですよねー」
ははは、と京太郎は軽く笑って、正直に答えた。
「最強の一角に数えても良いと思います。少なくとも、五指よりも外に出ることはありません」
照や衣、小蒔など甲乙つけがたい面々はいるが、既にインターハイで確かな実績を残している彼女らと比べても、咲の腕は遜色ないものだ。京太郎がはっきりと言い切ったことで、久の笑みが益々深くなる。
「楽しみね。それじゃ、はじめましょうか」
久の宣言で、サイコロがからころと回りだす。出親は優希だ。やってやるじぇ、と意気込む彼女を他所に、咲は振り返り京太郎に尋ねた。
「京ちゃん、どれくらい?」
「全力全開で行け。これからは誰相手にも手加減とかしなくて良い」
「うん、わかった。頑張ってみるね」
咲の視線が卓に向けられる。
これが後に本人には甚だ不評な『魔王』という二つ名で呼ばれることになる、宮永咲の高校デビュー戦だった。