店、技官、教官と三足の草鞋を履いて相変わらず忙しいアーベルだったが、さらに彼を慌てさせる事件が起きてしまった。
当初は巡航パトロール任務に就いていたアースラが次元震の観測された管理外世界へと派遣され、そのまま音信不通となってしまったのである。
アースラにはアーベルの親しい友人、執務官クロノ・ハラオウンとその補佐エイミィ・リミエッタ、そしてクロノの母親リンディ・ハラオウンが艦長として乗艦していた。それだけに心配も一塩である。
その無事が確認できたのは、本局査閲部所属の査察官でありクロノと共通の友人であるヴェロッサ・アコースが、『たまたま』店に立ち寄ってアースラと連絡が取れたらしいことを『寝言』で口にしてしまったおかげであった。
「クロノ君の帰港予定に合わせて本局に戻ってきたんだけど、まあ、何にしてもよかったよ」
「まったくね」
ヴェロッサお手製のミルフィーユをフォークで崩しつつ、彼の義姉で魔法学院初等部時代の同級生であるカリム・グラシアから預かってきたという新作のフレーバー・ティーを味わう。
カリムはブロンドのお淑やかなお嬢さまでその上超のつく美人だが、同級生時代の印象はほとんど残っていない。ヴェロッサを間に挟んだことで、卒業してからの方が連絡を取り合っているほどだ。
「心配させることだけは昔から一人前なんだよ」
「まあ……いや、ともかくありがとう、ヴェロッサ。
僕はもうしばらくクロノとアースラの無事を祈っておくよ」
「うん、また何か解ったらまた『居眠り』でもしに来るよ」
肩をすくめたヴェロッサは、もう一杯と空になった茶杯を掲げて見せた。
後に聞いた話だが、クロノの乗ったアースラはこの次元震の一件から、PT事件───首謀者の名を取ってプレシア・テスタロッサ事件と呼ばれる───の主担当となったそうだ。
二週間ほどして再び聞かされたヴェロッサの『寝言』によれば、事件その物は無事に解決したようである。
連絡が再び取れるようになるまではやきもきさせられたし、取れたら取れたで今度は次元震の余波で航路が荒れていてしばらくは帰れないらしい。
それでもアーベルは、無事ならいいかと微笑んだ。
▽▽▽
更に数週間後。
ようやく戻ってきたアースラからクロノが通信を繋げてきたが、その第一報はアーベルを驚かせるに十分だった。
「アーベル、済まないがエイミィすらも手が放せない状況だ。
私的な買い物を頼みたいんだが、構わないか?」
「ああ、いいよ。
今日は午後からなら空けられるかな」
「助かる。
ではメモを送るが、洗顔用具等を含む生活用品一式、適当なタウン誌と女性向けのファッション誌、そして重要だが下着も含む女児用の───」
「……は?」
余りのストレスで、クロノは壊れてしまったのだろうか?
転送されてきたメモを見れば、大半は生活用品で主に子供向けだと解る。最近の巡航艦にはペットでもいるのか、メーカーと銘柄を指定したドッグフードまで記されていた。
「あー、うん……」
ヴェロッサの訪問より数週間、大事件だったとしか聞いていないが、それほどまでにクロノは追いつめられていたのかと、憐憫の目を向けてやる。
「……クロノ、君は休暇申請を出した方がいい。エイミィに代わってくれ」
「アーベル……?」
「本局に無事帰港出来た今なら、彼女とリンディさんと僕の証言があれば医療休暇の申請は受理されると思う。
しかし、箝口令だけは敷いておいた方がいいね。
誇り高き執務官たる君が女の子の下着を───」
「アーベル!」
無論冗談だが、これは人を心配させた罰だ。頼まれた買い物が、事件中に保護した子供か誰かの為だろうという想像ぐらいはつく。
だが、ヴェロッサはもちろん、アーベルも本当に心配していたのである。
「誤解だ! 僕が履くんじゃない!!
保護観察中の少女がいて、本当ならエイミィか誰かに頼みたいところなんだけどこっちは事後処理で明後日ぐらいまで誰一人動けないんだ!!」
「OK、君の名義でしっかりと女児用の下着を購入してくるよ」
「ちょっ、アーベル!?」
「わかってる。後でね」
「おい!?」
頼られた手前もあるし本当に忙しいのは通信越しにも解った。無事なことが確認できて安心もした。
だがクロノ、専門店で女性用下着を買う方の身にもなれ。
アーベルはそう言いたいのをぐっと我慢して取りかかっていた仕事を手早く終わらせると、営業表示を管理局出張中に切り替え店のシャッターを降ろした。
▽▽▽
“次に近いのは一層上のペットショップです”
「了解」
商業地区の繁華街で大型ショッピングセンターに入り、指定の品を取り揃えていく。無論、下着類は店員任せで、執務官クロノ・ハラオウン名義の領収書を切って貰うことに成功した。……流石にアーベルも羞恥心を刺激されたので店員への照れ隠しを半分ほど込め、エイミィにこっそりと連絡を取って少女の身長、体型、外見を聞き出すと、ブティックのウインドウに飾ってあった初夏物の女児向けカジュアルウェア一式を購入している。
平素から数十万数百万クレジット単位の取引が『普通』───普及機に比べ、ワンオフのデバイスは年収に比定されるほど非常に高価なアイテムだった───であるアーベルにしてみれば、クロノをからかうための出費としては安い。
それに、エイミィの話しぶりからもクロノを含めたアースラのスタッフたちが件の少女を気に掛けていることが伺えたので、受け取った彼女が喜んでくれればなお嬉しいところだった。
「……やれやれだよ」
“何事も経験です”
ついでに買った差し入れも含め、大きな手荷物をぶらさげて港湾区画に辿り着けば、アースラは次元跳躍攻撃を受けたらしく修理ドックに係留されているという。
巡航L級8番艦アースラは、間近で見れば非常に巨大な船である。その巨体を見上げつつ手荷物の持ち込み検査を待つ間に係員と雑談を交わしたが、やはり大きな事件だったらしい。
「第四技術部機材管理第二課所属、嘱託技官のアーベル・マイバッハです。乗艦許可をお願いします」
『お疲れさまです、マイバッハ技官。
今迎えを寄越しますので』
検査後、程なく迎えに来た男性局員は、幾度か顔を会わせた覚えのあるブリッジオペレータである。名はランディだっただろうか。
「どうぞ、艦内へ。
首脳部は全員揃っています。……というか、缶詰です」
「あー、そう言えばそんな話を……」
「まあ、いつものことですけれどね。
あ、荷物、お持ちしましょうか?」
「じゃあ、こっちをお願いします。
みんなへの差し入れですから、リンディさんに許可を貰ってから開けて下さいね」
「これはありがとうございます。
……おっと!?」
ランディに手渡したのは個包装されたプチ・ショコラの詰め合わせだが、乗組員全員に行き渡らせるほどとなれば結構な数量になる。当然重い。
「ランディです。マイバッハ技官をご案内しました」
『ブリッジへの入室を許可します』
ブリッジ内は静かだったが、実に悲惨な光景だった。
定員配置なら戦闘時でも埋まらない筈のオペレーター席はほぼ全席埋まっており、それぞれが複数の情報ウインドウを立ち上げている。いわゆる書類仕事の追い込み状態、というやつだ。
「アーベルくん、いらっしゃい!」
「済まないな、急に呼びだして」
「やあ、エイミィ、クロノ」
開閉音に気付いたのか、近場にいたエイミィが振り返りもせずに声を掛けてくる。クロノは簡単に片手を挙げただけだが、本当に忙しいのだろう。
ランディも仕事があるのか、差し入れをそのままリンディ提督の机に置いて席に戻った。
「ついでに手伝っていってくれると嬉しいんだけどなー?」
「うん、リンディさんに挨拶してくるよ」
「ひっどーい!?」
悪いねと二人に手を振って、提督席へと向かう。
アースラ艦長リンディ・ハラオウン提督は、クロノの実母である。
知らなければクロノの姉でも通るだろう若さと美貌の女提督だが、今は半分目が死んでいた。
「アーベル君、お久しぶりね」
「はい、ご無沙汰しています」
「お父様はお元気?」
「ええ、相変わらず工房で怒鳴り散らしてるみたいですよ」
クロノの亡父クライド・ハラオウンがアーベルの父の友人でもあったとは、かなり後になってから聞いた話である。その妻であるリンディがクロノのデバイス新造に合わせて第四技術部を訪れたのは、決して偶然ではなかったのだろう。
そして、総合力が優れているとは言え、ベルカ式デバイスが専門であった父がミッド式でなければならないクロノ用デバイスの製作を引き受けたこともまた……。
「いつも悪いわね。
……またクロノが我が侭言ったんでしょう?」
「まあ、それこそいつものことですから。
僕も頼み事はしてますし、友達ですから持ちつ持たれつが当たり前です」
「そうね。
でも母親にしてみれば、それはとてもあたたかで、尊くて、大事なことなのよ」
机の向こうで本人が恥ずかしがっているが、アーベルにしてみればからかい半分でも嘘は言っていない。
「あ、こっちは差し入れのチョコレートです。
それと、クロノが忙しそうなので……頼まれ物はどうしましょう?」
「いま時間を空けた!
僕が預かる」
クロノが席を立ち上がり、のっしのっしとこちらへ歩いてきた。
しかし残念なことに、クロノはアーベルよりも40センチ近く身長が低いので、迫力には欠ける。
「了解。
ああ、こっちは君宛のお土産。
似合うと思うよ?」
見上げてくるクロノに、アーベルはブティックの手提げ袋を押しつけた。
しかし、タイミングよく『打ち合わせ通り』にエイミィが袋を取り上げ、中身を披露する。
「あっ!」
「ほほう、シルキー・ブラックを基調にしたアクティブなラインのシャツにアクア・パールのミニスカート、スカーフで夏色を補ってニーソックスはボーダーと……。
うん、クロノくんにぴったりだね!」
「エ、エイミィ!?」
「あら、楽しそうね。
クロノ、折角だから着替えていらっしゃい」
「か、母さんまで!?」
お約束の展開である。
下着類はこれを見越して別の手提げに入れてあるので、問題にはならない筈だ。……あれは衆人環視の元、男性がしげしげと見ていい物ではない。
「アーベル! ぼ、僕は着ないぞ!」
「残念だなあ。
ま、君が着ないなら誰かにプレゼントしてあげるといいよ」
「……まったく。
最初からそのつもりで買ってきたんだろうに……」
「もちろん、エイミィには相談したけどね」
「……」
ふてくされるクロノをまあまあと宥め、じゃあその女の子にもよろしくとアーベルはアースラを後にした。
保護観察下にあるという少女のことは気になったが、任務とは無関係なアーベルである。理由はちょっと思いつかなかったし、ブリッジ内は本当に忙しそうだったのだ。
機会があればその内会えるだろうと、アーベルはクロノの頑張りに任せることにした。