アーベルがすずかを連れて転移した先は、第1世界ミッドチルダの北部にあるベルカ自治区の端の方、マイバッハ家の別荘だった。セーフハウスとしても機能できるように作られていたから、見かけ通りの山荘ではない。
最後に訪れたのはまだ初等部の頃だったが、何一つ変わっていないことを確認して肩の力を抜く。
「……ふう。
もう心配ないよ、すずかちゃん」
「……ありがとう、ございます」
「ユリアも戻っていいよ」
「はい、ロード!」
ここでなら魔法の行使に制限はない。
さくりと縄を切って、すずかも椅子に座らせる。
「すずかちゃん、大丈夫ですか?」
「う、うん……」
「連絡……っと、先に何か飲み物でも用意しようか」
すずかの顔色は、あまり良くない。
食料庫からパックのミネラルウォーターを取り出し、粉末ジュースを溶かし入れる。有難味は甘くて飲みやすいことだけだが、今はそれでいい。……小さなコップがなかったので、ユリアにもフルサイズのフレームを取らせた。
「さて……」
アーベルは先ず実家に連絡を入れ、迎えを出して貰うことにした。セーフハウスにも使われる山荘だけあって、とても歩いて街まで出ようなどと思えない距離に位置している。
続けて本局に繋ぎリンディに状況を報告、善後策を練ってはやてや第六特機にも連絡を入れて、戻るまでのプランをまとめ上げた。彼女は第97管理外世界在住の現役局員では最も階級が高く、いわば顔役である。
相手は質量兵器で武装した現地の犯罪者勢力で緊急避難は通るにしても、無許可の次元跳躍魔法行使に加えて、現地在住の協力者も無断で連れてきていた。書類上の面倒は、早期に手を打っておくにこしたことはない。
「今晩はこっちで一泊になると思うけど、忍さんにも連絡入れて貰えるように頼んだし、流石にあの誘拐犯達もここまでは追いかけてこないよ。
もう大丈夫だからね」
「はい。
あの……」
「……ああ、うん」
そう言えば、もう一つ問題が残っていた。
……吸血鬼については、どうしたものだろうか。
すずかはゆっくりと絞り出すようにして、吸血鬼───夜の一族のことと、それが引き起こしている様々なトラブルについて語った。
夜の一族は単なる吸血種に留まらず、筋力が人を越えて強かったり記憶操作や直感、長命と言った特殊能力の持ち主も多く、巷間への露見を嫌うと同時に社会的に身を守る為、特殊なテクノロジーや大きな財産を保持していた。月村家はそんな夜の一族の一家系で、海鳴周辺の裏側───人にして人にあらざる者たちの町内会的なものらしい───を統べている家だった。
しかし、過ぎたる技術や資産は争いの種となって、すずかの両親は早くに『事故死』していたし、忍も大怪我を負ったことがあると言う。心から信用できる親族は叔母ぐらいしか居らず、二人が誘拐犯から名前を聞かされた月村安次郎や氷村遊は一族の中の敵対者で、今はこの世にいないそうだが、決して争いが絶えたわけではなかった。
そんな夜の一族も、縁者、つがい、連れ合い、友……様々な呼び名をするが、『人間』と夜の一族であることを知られた上で関係を保つこともある。
拒否されれば一族の記憶を消してそのまま忘れて貰い、承諾が得られれば……身近な例ならすずかの姉忍となのはの兄恭也のように、恋人としてそのまま結ばれることも多いらしい。
「なるほどね。
……忍さんが魔法に寛容どころか、食いつくわけだ」
「あの……それだけですか?」
今にも泣き出しそうで、それでいて困ったような顔を向けるすずかに、小さな笑みを向ける。
答えはもう、決まっていた。
「話を聞きながら、ずっと考えてた。
すずかちゃんになら、血を吸われてもいい、って」
「……えっ!?」
「生命の根源と言う意味なら、魔力も血液もあまり大した違いはないって僕は思った。
……思ってしまったんだ」
「……」
「魔力ならユリアにさんざん吸われたし、はやてちゃんの蒐集もある意味魔力の吸収かな。
フェイトちゃんところのアルフなんかは使い魔だから、ほぼ常時フェイトちゃんとリンクして魔力を吸い上げてるよ」
完全にすずか贔屓へと傾いている心のせいだろうか、魔力が血に置き換わるだけならあまり大した違いがないような気がしていた。
闇の書事件があれほど問題とされたのは、災害もさることながら強制的な魔力蒐集という手段によるところも大きい。
しかしながらアーベルも幾度か体験していたように、分かっていて吸収あるいは蒐集されるなら心理的負担など無いに等しい。カートリッジへの手作業による魔力封入の方が余程手間だし、正直言ってだるかった。
「まあ、それは後付で。
……すずかちゃんが好き。だったら、それでいいかなって」
「!!!」
すずかも先ほど口にしていた。
恭也は夜の一族のことを知っていて、忍と恋人にあるのだ。
自分がそれを為せない、とは思わない。
そして、すずかのことを些細なこと一つでも忘れたいかと自らの心に問えば、それは否とはっきり答えを出せた。
「嬉しい、です」
「うん」
「わたしも、アーベルさんのこと、大好きです……」
「……ありがと」
どちらともなく立ち上がって手を伸ばし、指を絡める。
……すずかが少し背伸びをしたのに合わせて、アーベルは少し屈んだ。
「……ん」
「……ふう」
ユリアがこちらを見ているが、構うものか。
アーベルは、そのまますずかを抱きしめた。
▽▽▽
『そう、状況はわかったわ。
とにかくすずかが無事なら、それでいいのよ』
「うん。
お姉ちゃん、心配かけてごめんね……」
『本当に幸運だ。
アーベル君、感謝する』
忍とはすぐに連絡が付いた。
……それこそ、口づけの余韻を十分に味わう暇も無いほどだ。
もう既に、身代金と共に様々な要求が突きつけられているらしい。
とんだ道化よねと忍が笑い飛ばして見せる横で、恭也が頷いている。
『連中、最近静かだと思ってたらこれよ。
ま、はやてちゃんから先に連絡貰ってたから、それほど慌てなかったけどね。
それで、本物の誘拐犯アーベルくんからの要求は?』
「あー……。
要求と言うかですね、手続き済ませてすずかちゃんを月村家にお返しできるのは、どんなに急いでも明後日の昼前になります。
無断の渡航になっちゃったんで、きちんと処理しておかないと少し問題になるんですよ。……夏の旅行とか。
そこだけ認めていただけるなら、他は何も」
特に事務処理で不手際を起こしてすずかだけが次元世界への渡航が出来くなってしまうと、夏休みの旅行やその後のデバイスマイスター留学などの計画に影響が出て非常によろしくない。
『ふうん、明後日か……。
こちらからの譲歩なんだけど、一週間ぐらいそちらで預かっていて貰えないかしら?』
「お姉ちゃん!?」
『すずか、こっちはちょっとどころじゃない騒ぎなの。
始業式には間に合わないけど……そっちなら間違いなく安全でしょ?』
「う、うん……」
『アーベルくん、お願いしていいかしら?
……その間に叩き潰すから』
忍は恐い笑顔で凄んで見せたが、その後ろで恭也が深く頷いているところを見ると、二人とも怒りは頂点に近いらしい。
すずかと二人、顔を見合わせる。
「では……そちらから連絡を貰い次第、すずかちゃんをお返しするということでどうでしょう?」
『妥当なラインね。
あーあ、このぐらい物わかりのいい誘拐犯なら、いくらでもすずかを誘拐してくれていいんだけど……』
「あはは、もう一つぐらい要求した方がいいんでしょうか?」
『んー、誘拐犯からの要求なら仕方ないわね。
何かご希望は?』
「じゃあ……。
今後忍さんのことを、お義姉さんと呼ばせて貰ってもいいですか?」
『ちょ、ちょっとアーベルくん!?
えっ?
すずか!?』
『ぶっ……』
忍は先ほどまでの落ち着きはどこへやら大きく取り乱し、恭也は爆笑を我慢しているのか、後ろを向いてしまった。その肩が小刻みに震えている。
「お姉ちゃん、恭也さん。
アーベルさんは、全部受け止めてくれたんだよ」
『ほう……』
『……一族のことも?』
「うん!」
心の憂いをすっかり吹き飛ばしたすずかの笑顔は、アーベルにも輝いて見えた。