翠屋で高町家の面々とすずかの姉忍にもユリア───フルサイズ・フレームの稼働時間を少しでも短縮するために、シュークリームを食べる間だけ変化させることにした───を紹介し、相当驚かれた後にシュークリームとコーヒーを堪能する。
忍はしばらく何やら考え込んでいたが、ユリアを膝の上に乗せて宣言した。
「話には聞いてたけど……流石異世界ね。
ユリア、私のことは『お姉ちゃん』って呼んでいいからね?」
「忍お姉ちゃん?」
「そうよ」
デバイスであることは予め話してあったが、流石にこの場で妖精サイズになるわけにもいかず、それは今度のお楽しみと言うことにしてもらう。
ただ、ユリアの方で食後に少し魔力運用ログに波が出てきたので、素早くトイレを借りて待機状態の指輪に変化させることになってしまった。紹介さえ済めば無理してまでフルサイズに拘る必要はないし、すずかと手を繋いでいれば三者での念話が出来るので問題ない。
ご馳走様でしたと礼を言い、またの再会を約して今度は八神家に向かう三人だった。
『ロード、次地球に来られるのはいつですか?
シュークリームは食べられますか?』
「あはは、シュークリームはともかく……いつになるかなあ。
すずかちゃんが夏休みに入るぐらいに、こっちの手が空いてればいいんだけど……」
「また旅行行きたいねって、アリサちゃんたちとはお話ししてるんですよ。
去年の旅行は、ほんとに楽しかったです」
「事前に連絡さえ貰えれば、来て貰う分には全然構わないよ。
うちの実家はあんな感じだし、母さん達も大歓迎……って言うか、また連れて帰ってこいってうるさいぐらいだからね。
ただ、僕が休みを取れるかどうか……」
「アーベルさん、忙しいですもんね」
たははと溜息をつき、すずかの手を握りなおす。
残念なことに、アーベルの昇進も絡んで課の改組はほぼ決定していた。……しかも、忙しくなる方向で。
聖王教会と時空管理局の融和への貢献も含め、大幅に予定を上回り過ぎた成果は流石に無視できないと、本局も技術本部も判定している。
当初、両者の協議で俎上に上がっていた内容は、成果と比較しつつ第六特機の規模と担当する任務の範囲をどうするかだった。
現在、管理局の持つ、ユニゾン・デバイスを含む古代ベルカ式デバイスについては、技術の管理から設計製造、運用試験の分析までを含め、ほぼ第六特機のみで対応している。
第六特機を開発専任にして主に古代ベルカ式デバイスを扱う新しい機材管理部署───一般整備や改造、技術指導も含めた日常業務を預かる課や室───を立ち上げても良かった……のだが、そうなると今度は一佐への昇進が内定しているアーベルが浮いてしまう。
アーベルがキャリア組にしろ叩き上げにしろ、正規の士官であれば階級に応じて別の内勤部局への転属も考慮されるが、横滑りで階級だけが立派な技術屋では仕事にならないことぐらい本人でなくても理解できたし、何のために管理局は高い給料を払ってアーベルを雇用しているのかということにもなりかねなかった。
そこで第六特機をベースに、現状に合わせた少し大きめの課に改組したいというのが技術本部と本局の意見であるが、少しばかり食い違いもある。
技術本部は第六特機を中核にして新しい機材管理課───仮称『機材管理第六課』を立ち上げ、カテゴリーBの新課設立で第四技術部の対応力強化と予算の充実を図りたいと考えていた。
本局は成果を上げた第六特機をこれまで通り残して研究開発の中核とし、今後予想される古代ベルカ式デバイスの一般浸透に合わせて導入や運用は各地のデバイス部署に一任したい様子である。現地部隊に実働を任せることで本局側の予算圧縮も図れたから、成果と併せて一石二鳥だ。
両者は平行線を辿っていたが、ここで横から口を挟んだのがカリム・グラシア理事官───正確には聖王教会である。
管理局内での古代ベルカ式デバイス使用者の増加は、得られる成果や技術的蓄積と同時に、騎士団が派遣する騎士達も整備を受けられ易くなる環境が整うことを意味した。
今は本局預かりの小さな分遣隊のみが試験的に稼働し、アグレッサーや臨時の増援として活躍しているが、専任のデバイスマイスターも居らず整備施設もない現状、トラブルが起きた場合はデバイスごと騎士を交代させて補っている。現在は所属する指揮系統の違いから声も掛けられない第六特機からのバックアップが受けられれば、騎士団側としても運用に幅が出るし稼働率も上げられるとカリムは主張した。
無論、無償であるはずもない。
教会騎士団が世話になるのですから、当然、第六特機の予算の一部を教会側で補うことになるでしょうと、彼女は静かに宣誓の挙手をした。
融和はそのものにこそ金銭を伴わなかったが、教会側は教会側で管理局内での勢力伸長と同時に聖王教への理解の浸透を企図しており、管理局も大筋でそれを認めている。
管理局の勢力は大きいが、必ずしも盤石ではなかった。管理世界へと大きな影響力を保つためには、次元世界中のあらゆる場所に信者が存在する教会勢力の利用は非常に有効なのである。その為の代償としてポストの一つや二つを与えるぐらいは簡単だし、融和が破綻するなら切って捨ててしまえばいい。
技術部の一課長の人事など、現場レベルではともかく遥か上から見下ろせばその程度のものだった。
夏休みの1日ぐらいはなんとしてもひねり出してやると、アーベルが意気込んだ時。
『“マスター、警告します”』
『どうしたの、クララ?』
『“不審な人物に囲まれています”』
『不審人物?』
流石にすずかは一瞬固まったが、アーベルが手を引いて何でもない振りをして歩みを進める。
ここは住宅街だが、確かに住人には似つかわしくない黒服が前方にいた。ちらりと振り返れば後方にも同様の黒服がいて、いつのまにか怪しげなワゴン車も止まっている。
正面の一際大きな体躯の黒服に視線を送れば、凄みをきかせた笑みで彼は頷いた。
あっと言う間に取り囲まれる。
「抵抗は無意味だ」
『アーベルさん、ど、どうしましょう?』
『ロード……』
『魔法さえ使えれば大丈夫、と言いたいところだけど……』
今向けられている拳銃───質量兵器ぐらいはアーベルも知っているが、その威力はどのぐらいかなど、正直言ってわからない。それに自分だけならともかく、すずかの身の安全が第一だ。
そのまま車に乗せられ、手を縛られる。
後ろから着いてくるセダンも彼らの仲間だろう。
身体検査は簡単なもので済んだ。アーベルがこちらの通貨を入れていた財布と、すずかの携帯端末が取り上げられている。
普通はデバイスを取り上げるのが先だろうにと考え、ここが異世界だったと改めて感じ入るが、人質への対処も違うらしいと納得した。
同時に危機感も半ば霧散してしまったが、それはまあいいだろう。
最悪、魔法を自由に使用すれば現在の状況は解消される。……その選択肢を選んだ場合、後々問題が長引いてしまうことは明白で少々躊躇いはあるが、いざとなったら腹を括ってやるしかなかった。
『ユリア、すずかちゃんも僕も大丈夫だから、そのまま指輪形態で大人しくしてなさい』
『はい、ロード!』
『クララ、リンディさんにクローズドで遠距離念話』
『了解。
……マスター、ご不在のようです』
『あらら』
中央の座席に並んで座らされたが、後部の二人は銃を抜き身で握っていた。
前席の大男も銃を持っているが、今は携帯端末でどこかに連絡している。
はやてはこちらにいる筈だが、彼女は今全力で魔法が使えない。
アーベルはすずかを庇うようにして、彼女と自分の頭をくっつけた。
『……落ち着いた?』
『はい。
アーベルさんがいっしょですから』
くすりと笑うすずかに、アーベルも苦笑を向ける。
「随分と余裕だな、月村すずか。
フン、二回目で慣れているのか?」
『……二回目?』
『……前にも誘拐されたことがあったんです。
その時は、アリサちゃんが一緒でした』
助手席から振り返った大男を、すずかは気丈にも睨み付けた。
なかなかどうして、すずかは波瀾万丈な人生を歩んでいるらしい。歳の割に落ち着いているのもそのせいかと、埒もないことを考える。
「おい、兄ちゃん。
日本語、分かるか?
Can you speak Japanese?」
「……それなりに」
「いいね、手間が省けた」
大男はそれきり黙り込んだ。
この誘拐、自分が原因ではなくすずか絡みであることはわかったが、それだけだ。
2回も娘が誘拐されるほどの資産家と言われれば、まあ納得もできる。
車は小一時間ほど走り続け、アーベルとすずかは山奥にある別荘地らしき場所で降ろされた。
しばらく歩かされ、並んでいる中でも一際大きな別荘、その地下室に押し込められる。
「ようこそ、月村すずか」
「……誰、ですか?」
移動はもう無いという意味か足まで縛られている最中に、痩身の中年男が声を掛けてきた。
見るからに後ろ暗い雰囲気とその年齢、人に命ずることに慣れた口調から言って誘拐犯のボスかなと、一挙一動を観察する。
「名乗っても意味はないが……月村安次郎や氷村遊のことなら多少知っている、とでも言えばわかるかね?」
「!!」
「まあ、私自身は吸血鬼ではない。……残念だとも思わないが。
ただ、利用させて貰いたいだけだよ。君たち一族の持つ資産や技術をね」
言いたいことだけを口にして、ボスは帰っていった。
吸血鬼とはなんぞと考える間もなく、入れ代わりに先ほどの大男が入ってくる。
車内で見せた剣呑な様子は全くないが、それがかえって不気味だ。
「へえ、兄ちゃんもずいぶん落ち着いてるもんだ」
「……そりゃどうも」
「それとも兄ちゃん、あんたも月村が吸血鬼の家系だと知っていて、その態度……ああ、その方が納得出来るか」
「はぁ!?」
「ありゃ、知らなかったのか!?」
アーベルと大男は、互いの見解の相違に思わず顔を見合わせた。
すずかは……僅かに唇を噛んで目を伏せ、アーベルから離れた。
第97管理外世界侮りがたしと、小さく溜息をつく。
誘拐犯がまともな大人かどうかは別にして、誘拐の理由に吸血鬼を掲げるのは、いくら管理外世界でも少しおかしいとアーベルも思う。
戯れ言と切り捨ててもよかった。
しかし、すずかの様子からして……事実なのだろう。
「おいおい……。
知らずにその余裕って、兄ちゃん、あんたもお雇いのボディガードか何かかい?」
「この状況だからなあ。
……どうとでもとってくれ」
アーベルは投げ遣りに応え、ごろんと寝ころんだ。さりげなく、すずかの側に寄る。
大男は肩をすくめ、大人しくしてないと色々困るから頼むぞとぼやいてから、部屋の扉を閉じた。
すずかはまだショックから抜けていない様子だったが、今は時間が惜しい。
『クララ、封時結界』
『封時結界、発動します』
見られて困る誰かがいないなら、魔法の発動に躊躇いはなかった。
二人の周囲だけを覆うごくごく小さな結界を発動させ、念話を繋ぐ。
『はやてちゃん!』
『……アーベルさん、どないしたんですか?
待っててもけえへんから、翠屋さんに電話しよか思てました。
もしかして、デート長引きそう?』
『ごめん、ちょっとトラブル。
誘拐されちゃってね、今から逃げるところなんだよ』
『……は!?』
『ミッドに転移するから、後で連絡した時にフォローお願いしたいんだけど、頼めるかな?』
『そら、かめしませんけど……』
『じゃ、ごめん。
また後で』
近距離転移プラス飛行魔法での脱出も考えたが、追いかけられて騒ぎになっても困る。質量兵器の正確な威力まではアーベルも知らないので、自分の防御魔法が通じるのかどうかも不安だ。
しかも、転移の準備など何もしていない。一番無難なハラオウン家も含めて座標データは持っていないし、その算定にも時間が掛かりそうだった。
だが手札には、もっと安全確実な方法がある。
次元世界への転移だ。
「アーベルさん。
あの、わたし……」
「あー……っと、すずかちゃん。
取り敢えず逃げてからにしよう」
「……はい」
今はすずかの安全が第一だ。後の面倒は、後でいい。
アーベルは暗唱できるほど良く覚えている座標を、次元転移魔法に織り込んで発動させた。