アーベルの店は、営業日が非常に不定な店として関係者や客には知られていた。勤め人は店主一人で、その彼が管理局に押さえ込まれているのでは仕方がないと思われている。
今日もその不在日だが、ここ半年ほどは定休に近い外回りの日と決まっていた。
「店番か弟子が欲しいけど、難しいだろうなあ」
“募集はされないのですか?”
「募集そのものより、そのあとがね……」
広告でも出せば、まあ誰某かが応募して来るのは分かっている。デバイスマイスターは次元航行船の船長や芸能人、管理局の執務官や武装隊員には及ばなくとも、不人気というほど忌避される職業ではない。
問題はその維持だった。給料は勿論、師匠として教育にも責任を持たねばならない。アーベル自身、取った弟子を一人前に育てる力量が果たして自分にあるのかという疑問にも、まだ答えが見つかっていなかった。
雑居ビルの地下室、その一部屋しかない今の店舗から、せめて通りに向いた表口のある普通の店を出せたら本格的に考えようか。
漠然とした考えしか持てていないが、覚悟が決まっていないだけかなとも思うので、口には出さない。
「さ、今日も頑張ろう」
“はい、マスター”
目の前には白く大きな建物が、幾つも並んでいた。
最初にこの医療区画第五病棟を訪れたのは、半年以上前になる。
いまも月に一、二回は通っているし、医師だけでなく仲の良くなった患者やナースとも交流が出来ていた。
医師、看護士、患者との『共闘』───同じ一つの目標に対し、頑張っているのは自分だけではない状況───は、アーベルにも良い影響を与えていた。
▽▽▽
その日、アーベルは非常に緊張していた。
ある意味、外回りの営業が実を結んだとも言える重要な日だった。
「失礼します、マイバッハ工房本局支店のアーベル・マイバッハと申します。
第五病棟のカルマン先生とお約束しているのですが……」
名刺代わりにIDを受付に示す。
今日訪れているのは、中央にある医療区画の中でも端の方にある、長期入院患者を対象とした区画である。
「少々お待ち下さい。
……第五病棟総合ですか? こちら本棟受付です。
カルマン先生にお客様です。
はい……ええ、そうです。はい。
……はい、畏まりました。
マイバッハさん、カルマン先生は第五病棟2Fの診察室にいらしゃるそうです。
そのまま向かっていただいて構いません」
「ありがとうございます」
受付嬢の示した地図で位置を確認、静まり返っている渡り廊下を歩いて指示された第五病棟に向かう。
医者というものは大変で、約束を取り付けていても、受け持っている患者の容態が変化すればそれどころではないらしいと聞いている。内容が内容だけに、こちらとしても肩すかしを食わされたからと怒るわけにもいかず、患者の回復を祈るしかないだろう。
「失礼します、カルマン先生はいらっしゃいますか?」
「おお、アーベルくん、おはよう。
遠慮なく入ってくれ」
「おはようございます、カルマン先生」
カルマン医務官は40代の魔導師で、若い頃は本局武装隊直属の現場に出る医務官として最前線を飛び回っていたという少々変わった経歴を持つ。現在はこの第五病棟のナンバー2で、医師と研究者を両立させながら日々を過ごしていた。
最初は機材管理第二課に訪れたカルマンに、コーヒーを振る舞ったのがきっかけだった。たまたま彼が別件で第四技術部に立ち寄った日、主任から紹介されたのだ。
そのうち雑談から話が弾み、よかったら一度病棟に来てくれと言われて今日の訪問となっていた。管理局への勤務は店に力を入れたいアーベルには重荷でもあったが、これも一つの営業か。まったく、何が幸いするか世の中は分からないものである。
「アーベルくん、早速だがこれを見てくれ」
アーベルが受けた仕事は、カルマンの研究を技術レベルでサポートすることだった。医療現場に於けるデバイスの可能性について専門家としての立場から助言し、また実際に機器を試作することも仕事内容に含まれている。
カルマン医務官は、場合によっては個人的な研究に留まらず管理局医療センターの研究会議に掛け、正式な依託研究にしたいと口にしていた。
「ここは長期入院が必要な患者さん、特に戦傷を負った魔導師の為の病棟だと言うことを前提に、話を聞いて欲しい」
「はい」
「これは以前、患者さんに今困っていることは何かと聞き取ったアンケートの一部でね、直接的なリンカーコア障害、純粋な体力の低下、部位の欠損……理由は様々だが、身体は治っても魔力の低下を補う方法は少なくて、せめて念話ぐらいはなんとかならないかという意見が一番多かったんだ。
それまで簡単に使えたものがいきなり使えなくなるというのは、精神的にもつらい。前を向こうとする意志を奪い取りかねないのだ」
「……」
「それから、私にはもう一つ別の事情が見えている」
「別の事情?」
「本当の重症患者は、声を出すのも辛いんだ。
アーベル君、声を出すという行為はね、実は全身運動にも近い体力の消耗を要求される動作なんだよ」
カルマン医務官の説明は続く。
例えば魔力ランクAAの魔導師が魔導器官リンカーコアに重い障害を受け、仮に5ランクほどのランク低下を受けたとすれば魔力ランクE、戦闘魔導師としては致命的だが念話の使用や簡単な魔法の行使には問題がない。ところが魔力ランクB───武装隊の一般隊員クラス───から同じだけ低下すると魔力ランクFを越えたランク外、つまりは魔法が使えなくなってしまう。
そもそも魔法というものは世界に広く存在する魔力素を操作して作用を発生させる技術であり、魔力ランクFとは、数値で言えば管理世界で規定されている測定方法にて平均魔力発揮値100を出せれば与えられるランクであった。訓練すれば距離は短くとも念話が出来て、攻撃魔法は無理でもデバイスを含めた各種魔導機器を操作できる最低限の魔力ランクで、これが出来れば魔導師として認定される。ちなみにアーベルは魔力ランクAAA、平均魔力発揮値は凡そ100万前後に達していたが、今はいいだろう。
カルマン医務官は、一般的なデバイスほど小型でなくてもよいので、魔力発揮値が100を大きく下回っている状態でも、患者の念話を増幅、あるいは出力装置に接続が出来るようなデバイスか魔導機器を作成して欲しいのだと、話を締めくくった。
「魔導機器全盛の時代とは言うが、痒いところには届かないのが現状なんだ」
「なるほど……」
続けて必須要件を幾つか並べ上げたカルマン医務官にアーベルが質問を重ね、仮称『医療用念話補助装置』と名付けられた試作魔導機器の仕様を決定した。
名前が医療用念話補助『デバイス』とならなかったのは、デバイスと同じ技術が使われていても手に持って使うような機器ではないこと、後々高機能化するとしても今は念話以外の機能を考慮しないでよいこと、そして大事なことだが、当面はカルマン医務官の自弁───私的研究となるので大きな予算を割けないことが理由となっていた。
▽▽▽
あれから半年。
患者だけでなく協力してくれるナースとのコミュニケーションを考えてクララの常用言語を完全なミッドチルダ標準言語───人と変わらない、いわゆる広い意味でのミッドチルダ語───に切り替えたり、実家にも試作機を送りつけて検証を頼んだりと、道のりは長かった。
当初試作した患者には使えないほど重いヘッドギアと、胸を圧迫する分厚いブレストパッドからコードが伸びてスーツケース大の本体へと繋がっていた巨大な装置は、今ではずいぶん小型化されている。
幾度もの改良を経たそれは、有用性を認められて医療センターから予算が付いたことで新品且つ小型のパーツや外装部品───それまではカルマンやアーベルの私物、あるいは他のデバイスショップや電気店のワゴンからかき集めた中古品から取ったパーツさえ使用していた───が使えるようになり、ようやく使用感や操作性への改良にも手を着けることになったのだ。
「やあ、アーベルくん」
「先生、お待たせです。ようやく出来ましたよ」
「おお! 早速見せてくれ」
アーベルが学生鞄ほどの耐衝撃ケースから取り出したのは、ヘアバンドに似た入出力装置と、トランプのケースを10個ほど重ねた大きさの制御ユニットである。
……実は今の段階でもデバイスの待機サイズ───次元圧縮された魔導制御空間に機構の大部分を配置する───と同等の大きさに出来なくはないが、余計な機能を突っ込んで価格を上げては意味がなかった。患者に使いやすく、病院の懐にもある程度は優しくないと普及は難しいだろう。
「これなら患者さんも重くはないだろうね」
「ええ。
頭部への締め付けがまずいなら、ゆるくする事もできます」
「性能はどうかな?
小型軽量化の弊害は大きい?」
「目標の基準はクリアできたと思います。
念話送信強度は魔力発揮値5で99%、それを制御ユニットが受け取って増幅します」
「前よりも低くなったが、実用上は問題なさそうだね」
「はい。この大きさの制御ユニットなら、ベッドのフレームにくくりつけられますし」
「よし、早速試してみよう」
カルマンは内線でナースを一人呼び出すと、ヘアバンドを手渡した。
「キャサリンくん、新型だ。頼む」
「はい、先生」
アーベルが居ることで、何をさせられるかあたりをつけたのだろう。
彼女は診療椅子に座ってナースキャップを外し、ヘアバンドととりかえた。
「クララ、モニタリング」
“はい、マスター”
カルマン用のモニターも別に投影し、そちらに向ける。
キャサリンは魔導師ではなく、一般人である。
先日精密に計測された彼女の平均魔力発揮値は3.2、最大値でも6前後と、この実験にうってつけであった。
非魔導師の一般人にも、精密な魔力計測をすると機器に反応は出るが出力がFランクにも届かない人々が若干居る。俗に残念組といわれるグループだ。
諦めきれずにトレーニングをする者もいたが、元となる魔力やその後の成長を考慮すると報われない場合が多い。よしんば努力が実ってFランクに到達したとしてもほんの少しだけ就職に有利で手当が付く程度、花形の戦闘魔導師になれるわけでもなかった。
「スイッチ、入れますね。
……キャサリンさん、お願いします」
「はい。
『あー、あー、カルマン先生、アーベル君、聞こえますか?』」
彼女の声と共にアーベルの耳にも念話が届き、機器が正常に作動していることが確認できた。
こればかりは、アーベルが身に着けて試すことが出来ない。元になる魔力量が大きすぎて、特殊な制御機材でも用意しないと絞りようがないのだ。無論、実験段階では改造した通信機の発する電子音での疑似念話テストを行っている。他にも微弱な魔力を扱うので機器側にも繊細さが要求され、それを守るために魔力ヒューズとブレーカーを二重に取り付けてあった。
しばらくはヘアバンドと制御ユニットの距離を変えたり、こちら側から念話を送ってみたりとテストをする。
ちなみに対象者の弱い魔力波を確実に受け取れるよう外部からの魔力で微弱なフィールドを形成するため、手を握ったり頭に手を置いたり───患者に触れている方が、補助プログラムのお陰で特定相手への送受信時には効率がいい。患者を元気付けるという看護の基本とも重なり、むしろナースたちには受けが良かった。
「うん、よさそうだね」
「ですね。
キャサリンさん、着け心地はどうでしたか?」
「うーん、念話はともかく、普通のヘアバンド、かな……?」
「はは、それは何よりです」
「まさに私たちの目指している目標だね。
キャサリンくん、ありがとう。
休憩中悪かったね」
「はい先生、お疲れさまです。
アーベル君もがんばって!」
「ありがとうございます」
彼女が退室すると、アーベルとカルマンは揃ってため息を付いた。
実験は成功だったが、やはり実用化には少々遠いのだ。
「量産効果が望めるほど数を作っても、売れないだろうな……」
「患者さんも身体が回復すれば、リハビリと同時に魔力回復トレーニングに入りますよね……」
現状、『医療用念話補助装置』の価格は、アーベルやカルマンの手間賃を考慮しない実費でも約600万クレジット、十分にインテリジェント・デバイスが買える価格だ。
特に外部の魔力波をカットするフィールド形成ユニット、患者からの微少魔力波を選択して正確に受け取る高感度なセンサー部、弱い念話と増幅器を同調させるシンクロナイザーの価格は誤魔化しが利かなかった。
滅多なことで必要とされない特殊な機材やパーツ───Fランク以下に対応した機材など当然ながらほぼ需要がない───は、量産されないので急激に価格が跳ね上がる。製品化するのであれば、まさかワゴンの中古品を一々探してきて手作業で作るわけにもいかない。それに小型化も出来なくなる。
あれば便利だが使用条件の幅が狭く、全ての患者に使えもしない特殊機器となれば、この価格帯で果たして採算がとれるのか否か、量産効果も期待できず微妙としか言い様がなかった。
「ふふ、医療用で無理なら売り方を変えようか。
デバイスサイズにすれば、持ち運びできるからね。
非魔導師でも微少魔力持ちの恋人同士なら、街を歩きながら念話で会話が出来るかも知れない」
ついでに量産化が決まれば、アーベルの手からは離れていくだろうことも予想が付いた。
カルマンとの連名で出された特許論文によって幾らかのパテントが支払われるにしても、主な研究予算は医療センターより出されているのであちらの方が権利の比重も大きいのだ。
「……えーっと先生、男もヘアバンドを?」
「ふむ、つけられなくもないだろうが……」
「僕はいやですよ」
「ははは、もちろん私もだ」
それでも実証実験段階で協力してくれた患者達の笑顔が以前より増えたことは間違いなく、正式採用後になんとか持ち出し分を取り戻したアーベルとカルマンは、『世の中捨てたものじゃない』と笑った。
さいどめにゅー
《魔力発揮値と魔力ランク》
平均魔力発揮値をベースに、瞬間最大魔力発揮値や魔力回復量、希少技能による補正を行って魔力ランクを算出する
魔導師の持つ魔力量の基準であり、各種術式の威力や魔導機器の出力基準ともなっている
+や-を付けてより細かな区分をつける場合もある
AAAランクで平均魔力発揮値約100万、Aランクで10万、Bランクで3~4万、魔導師として認定される最低限の要件を満たすFランクでは100が大凡の基準となる