「ごめんね。騒がし過ぎて驚いたんじゃない?」
「……ちょっとはね」
「すごかったです……」
夕食後、彼女たちも疲れているだろうと少し時間を置いてから、家族で使っているサロンへと彼女たち案内して祖父らを改めて紹介した。今はそれぞれの客間に送っているところだ。
夕食は歓迎と紹介の意味も込めて、大食堂にて行われた。
当主である祖父を筆頭にマイバッハ家とその一族に加え、本社勤務でここに住み込んでいる社員と言う名の内弟子80人ほどが一堂に会するとなれば、まだまだ子供の彼女たちが疲れても仕方がない。
帰郷の挨拶を済ませるついでに、彼女たちに手を出せば管理局からエース級魔導師たちが巡航艦ごと飛んできて、工房を更地にした後アルカンシェルをぶち込むだろうと脅したアーベルである。ひとしきり笑いが収まってから、教会本部と騎士団がそれを支援するはずだと付け加えて彼女たちのマイバッハ家訪問が管理局と教会の融和の産物であることを示し、ありもしない政治的な意味も含ませて牽制しておくことも忘れない。
……しかし母には参った。
『すずかちゃんは、アーベルのお手つきですからね』
一瞬だけ場が凍り付き、大きな歓声。
祖父から乾杯を仕切るよう命ぜられたアーベルは、もうどうにでもなれという気分でワインを飲み干したような気がする。
その後すぐ兄弟子達からもみくちゃにされたので、よく覚えていないのだ。……ちらりと見えたすずかの笑顔だけは、しっかりと記憶に刻んだが。
母がすずかのことを知っていた理由は、あっさり判明している。
故クライド・ハラオウンと仲の良かった父を通じて知り合ったリンディとは、アーベルが生まれる前からのつき合いだと言われれば、それもそうかと頷くしかない。
ちなみに青雲の間で何があったかは、恐ろしくて聞けていなかった。
アーベルが駆け込んだときには三人とも笑顔だったが、すずかの頬に若干冷や汗が流れていて、アリサと母が実に『いい笑顔』でこちらを見ていたことは確認している。……ここでお茶をしているからと呼ばれたのは自分だった気もするが、女性だけのお茶会に男の乱入は無粋と追い返され、しばらく廊下で待ちぼうけをする羽目になった。
いくら広くとも、部屋から部屋まで何十分と歩くようなことはない。
客間へはすぐに到着した。
「何かあっても、枕元の端末を使えば夜勤の誰かが応対してくれる。
翻訳魔法は導入してあるから、デバイス持ちのメイドだけじゃなくて、通信越しなら誰とでも話せるよ。
ああ、こことそっち……かな?」
「はい、そうです。
おやすみなさい、アーベルさん、すずか」
ぽんとすずかの肩を押してにやりと笑ったアリサは、自分の客間にさっと入ってしまった。
……彼女なりに気を使ってくれたらしい。
「ア、アーベルさん」
「うん」
そのすずかは今朝ハラオウン家で見たときのように火照った顔をしていたが、なんとか声を絞り出そうとしているようだった。
彼女の頑張る姿に敬意を表し、待つことしばし。
「お……」
「……すずかちゃん?」
すずかは突然顔を上げると、華奢な腕からは想像もつかない強さでぐいっとアーベルの手を引いた。
バランスを崩したアーベルはたたらを踏んで前屈みになり……。
「おやすみなさい!」
すずかはそのまま客間に走り去った。
大きな音を立てて扉が閉じられる。
……倒れ込んだ時に打ち付けた腰骨よりも、口付けられた頬が、熱かった。
▽▽▽
翌日、旅行の2日目。
すずかは気まずい風もなく普段通りだったが、今度はアーベルの方がいけなかった。
彼女の顔が、いや、唇がまともに見られない。
仕事前にこれはいけないと、なんとか表情を保つ努力をする。
アーベルは教会本部への訪問が今日の仕事であり、彼女たちはその間見学を行う。
この訪問にはマイバッハ工房側の担当者として、ゲルハルトも同行していた。
「兄さんが教会本部に行くのって、何年ぶり?」
「さあなあ……。
初等部の社会見学以来かも。
あの頃は、工房での仕事も内勤だったし」
当時アーベルは本社第二工房の技師として主に仕事をしていたが、外回りの担当者が取ってきた依頼を指定の納期通り間に合わせるために走り回るのが常だった。営業の重要性を認識したのは、店を持ってからである。
「グレーティア、聖庁の前で止めてくれるかな」
「畏まりました」
黒塗りの社用車───今日は運良く空いていた───が聖王教会本部の敷地に入って数分、最奥に近い場所にある大きな建物の車寄せに止まる。
「お久しぶりです、アーベル殿、ゲルハルト殿」
「お迎えありがとう、シャッハ。
紹介しておくよ。
こちらは月村すずかちゃんと、アリサ・バニングスちゃん」
大きな建物に緊張しているのか、二人の表情は硬い。
まあ、シャッハならほぐしてくれるだろうと軽く自己紹介を交わして彼女に二人を預けると、アーベルはゲルハルトを連れ、別のシスターについて聖庁の奥へと入っていった。
すずかとアリサはアーベルの客と言うことで、案内のついた特別な見学者として扱われている。宗教云々はともかく、聖王教会の所有物には教科書に登場するような有名な建物や美術品、歴史的遺物も多いので、必然的に一般に開放されている場所も多いし見所も多かった。
観光に力を入れすぎだと揶揄されることもあるが、一番多い観光客は次元世界各地に散っている信者たち、次が結婚式と観光を兼ねたカップルとその招待客であり、概ね好評となっている。
「おはよう、カリムさん」
「おはようございます、騎士カリム」
「いらっしゃい、アーベルくん、ゲルハルトくん。
アーベルくんには繰り返しになっちゃうけど、よろしくね」
「そりゃあ、もちろん」
「緊張する……」
一度カリムの執務室へと寄り、そのまま更に内奥の議場へと案内される。
今日の訪問は挨拶とは言いつつも、後回しにされていたプレゼンテーションも兼ねていた。
▽▽▽
プレゼンテーションは既に動き始めているプロジェクトとあって根回しも済まされており、その後の質問も純粋な技術面での疑問や今後の展望についてのものが多かった。
概ね好評だったが、教会騎士団の本気具合も垣間見えてアーベルも驚いている。騎士団の知り合いなどカリムやシャッハ以外に誰かいたかなというぐらいで、彼女たちは既にそれぞれ真正のデバイス───剣を継承していたから、古代ベルカ式デバイスへの熱望度が今一つ伝わっていなかったことも原因かもしれない。
コア培養プラントは数日前に実働を開始、第一ロットは来月頭に製造が完了する予定だった。各種検査の後に第六特機を含めた関係機関へと配付され、試作機の製造に使われる。
そのプラントの費用である教会債の発行予定も既に決まっており、コマーシャル映像まで用意されていた。
その第一弾は訓練する騎士見習いと汗を拭くタオルを差し出す新人シスターという非常に分かり易いCMであるが、デバイスがアップになるカットが挿入されていたり指導するのが総騎士団長自らであったりと、イメージ戦略もばっちりである。
これがカリムの言うお祭りかと、アーベルは妙に納得した。
「試験開始は来月8月の中旬より、当初教会騎士団には非人格式の剣型4機が配備される予定となっております」
「人格式もその後、順次お届けする予定ですが、こちらは非人格式以上に長い試験期間が見込まれますので、そちらもよろしくお願いいたします」
騎士団長との会食後には教会本部の重鎮であるカリムの父やその他の聖職者とも挨拶を交わし、予定が終了する頃にはアーベルも少々身体が堅くなっていた。ゲルハルトは当初から工房の方に来客の予定があったから、昼に迎えが来て帰っている。
「お疲れさまでした、アーベル殿」
「シャッハもね」
「お二人をお迎えに行きましょうか。
いまは騎士カリムのお部屋で、午後のお茶を楽しんでおられるはずです」
シャッハに背を押されて執務室に戻れば、カリムとともにすずかとアリサが待っていた。
聖王教会名物のチョコレート菓子の甘い香りが、微かに残っている。
「失礼いたします」
「お疲れさま、アーベルくん、シャッハ」
「カリムさんもありがとう。
二人とも、どうだった?」
「素敵なところでした。
あんな大きいのに細密な壁画とか……」
「ほんと、すごかったわね。
すずかったらぼーっと見とれちゃって」
朝に比べて緊張も消えたのか、二人は幾分くつろいだ様子でアーベルを安心させた。
「二人とも、改めてありがとう。無理言ったね」
「いいのよ。
アーベルくんを忙しくさせちゃったのはこちらだし……」
「まあ、それは巻き込んだ僕にも原因があるということで……」
この共闘で教会騎士団は念願が叶い、アーベルも目的に一歩近づいた。
クロノが示した、皆が少しづつ得をして誰も困らない状況を作るという考え方は、アーベルにも大きな影響を与えている。
だがそこに至る道筋が極端に短くなったのは、父ディートリヒも含め様々な人々が教会と管理局の融和の為に尽くしたという経緯があってこそだった。