「エイミィさん!」
「来た来た!
今、武装隊が結界張って、クロノくんが押さえ込んでる!
みんな、すぐ出られる?」
闇の書事件対策本部───マンションを借り上げた第97管理外世界現地出張所───のオペレーティング・ルームでは、エイミィがアーベルたちの到着を待ちかまえていた。
「レイジング・ハート!」
“Stand by ready.”
「バルディッシュ!」
“Yes sir.”
「僕も大丈夫です!」
「あたしゃいつでも行けるよ!」
「よっしゃー!
まとめて転送するからね!」
この状況で着任の挨拶もないなと、アーベルは勝手に椅子を借りて座った。
素人の自分が戦場に立つのはほぼ無意味である。職分が違う者は、邪魔をしないことが肝要であった。
「強装結界に問題は?」
『大丈夫です。
今のところ妨害もありません!』
眠い。
だが勝手に仮眠を取るわけにも行かず、戦闘を見守っていると、リンディが顔を見せた。入れ違いで、本局に戻っていたらしい。
「お疲れさま、アーベル君」
「ご無沙汰しています、リンディさん。
……失礼しました。
第四技術部機材管理第二課所属、嘱託技官アーベル・マイバッハ、只今着任いたしました」
「着任を認めます。
……って、酷い顔してるわね。眼の下が真っ黒よ。
大分無理させちゃったかしら?」
「無理も仕事のうちですから」
「……はぁ、いいから寝なさい。
あの子達が帰ってくるまで、どちらにしてももうしばらくあるわ。
あなたのお仕事はそれからが本番でしょ?」
「すみません」
「こっちよ、ついてらっしゃい」
リンディ自らに案内され、自宅よりも余程小じゃれた部屋に放り込まれる。
「なんだか上等のホテルみたいですね」
「疲れをとるのも仕事のうちだもの。
生活環境に気を使うのも、戦力維持の秘訣よ」
「はい、お言葉に甘えます」
「それから……」
「はい?」
「今は見逃してあげるけど、起きたら必ずシャワー浴びなさい」
「……ごめんなさい。
あ、それとリンディさん、クララを端末に繋げていいですか?
僕の権限で閲覧できるデータを寝てる間に自動で収集してくれるはずなんで」
「それなら問題ないわ」
「お願いします」
“おやすみなさい、マスター”
徴用命令を受け取った日から数えて都合四日、眠気覚ましにシャワーを浴びたのが48時間ほど前だっただろうか。
しかし今は誘惑されるまま、目の前のベッドにダイブしたアーベルであった。
▽▽▽
「おはようございます。
バスルームはどこですか……」
久しぶりにじっくり寝たアーベルは、時間も分からないままオペレーティング・ルーム───今はリビングに戻されている───へと現れた。とりあえずシャワーを浴びなくてはと、回らない頭で考える。
……挨拶をしてくれたのはクララだけだったが。
“おはようございます、マスター”
「……おはよう」
“現在は現地時間午後2時32分、戦闘配置は解除されています”
「無事に終わったのかい?」
“はい、被害はありませんでした。
フェイト嬢は学校、リンディ提督とアルフは交替待機で就寝中、エイミィ嬢はおられますが自室で報告書類を作成中です”
「そっか。
クロノとユーノくんは?」
“お二人は情報収集のため本局へ戻られました”
「ん。
……クララ、とりあえずバスルーム教えて」
“はい、右手の扉を奥に進んで下さい”
ざっくりとシャワーを浴び、アーベルはようやく一心地取り戻した。
水まわりは現地のものをそのまま使っているようだが、完全な手動および水圧式であることを除けばミッドチルダに比べても遜色ない。地方の観光ホテルがレトロ調を狙って施した内装よりも、余程味がある。備え付けのバスタブが大きく深いのを見て、アーベルは実家の風呂を思い出した。
「おー、アーベルくんおはよー!
ようやくまともになったね?」
「……まともというか何というか、とりあえず眠気は取れたよ」
「何か食べる?」
「そうだなあ……」
「お天気がいいから外に出るのもいいかもね」
背後から声を掛けられて驚く。
グレアム提督の双子猫の使い魔の片割れ、リーゼアリアだ。
「アリア、いらっしゃーい!」
「エイミィもおひさ!」
「こんにちは、リーゼアリアさん。
もしかして僕と一緒でこっちの応援ですか?」
「そうよ。
今頃ロッテはクロ助やフェレットくんと一緒に本局の無限書庫かな。
あのフェレットくん、掘り出し物ね」
「探索のスクライアは伊達じゃないってところですか」
流石に闇の書が関わっているともなれば、アーベルのようなバックアップスタッフだけでなく、直接的な増援も半端ではない。正に大盤振る舞いだなと溜息が出そうになる。
Sランクだけでもリンディ提督、リーゼ姉妹、AAAがクロノ、フェイト、なのは、更にユーノ、アルフに加え、本局武装隊からカテゴリーA───完全充足かつ出動準備が常に調っている第一線級の実戦部隊───の精鋭が一個中隊と、大規模な次元犯罪組織を殲滅してもなお余裕がありそうな布陣であった。
「そうだエイミィ、昨日の戦闘はどうだった?
被害はなかったとだけ聞いたけど……」
「いいとこまで行ったんだけどなあ……」
「リンディとエイミィが交替で寝てられるぐらいには、成果があったんでしょ?」
「うん。
あ、もちろん誰も怪我してないし、レイジング・ハートとバルディッシュも絶好調だったよ」
「はあ……」
確かにそのような状況でもなければ、留守役のエイミィがおちゃらけていられるはずもない。こう見えて、ムードメーカーでありながら締めるところはきっちり締めている彼女である。
「ま、昨日の今日だし、この世界での襲撃はないでしょ。
パターン分析には掛けてるけど、割と慎重派みたいだし……」
「ダメージは与えたのかなあ」
「……どうだろねえ。
ま、アーベルくんはお外でゆっくりご飯でも食べておいで。
クロ助もまだ帰ってこないだろうし」
「じゃ、そうさせてもらいます」
「アーベルくん、駅前に翠屋っていう喫茶店があるんだ。お勧めだよー。
クロノくん曰く、コーヒーが美味しいってさ。
あたしはシュークリームが好きなんだけどね」
「じゃあ、そこにしようかな。クロノが前に言ってた店かも知れない。
エイミィ、地図ちょうだい」
「はーい。
そうだ、アーベルくん」
「うん?」
「あ、た、し、は、シュークリームが好きなんだけどねー」
「……はあ、了解。
じゃあ行って……あ」
「どしたの?」
「あー、うん。
現地通貨持ってなかった」
「毎度ありー。両替はこちらになります」
管理外世界ながら、注意点は基本的に見て解るような魔法を使ってはいけないこと、出身地を偽ること───アーベルは現地にある国家ドイツの出身で、現イタリア在住の機械修理工という設定を貰っていた───ぐらいで、後は旅人らしくこちらのことはよく分からないと主張すれば大丈夫と、エイミィは笑顔である。
ついでに第97管理外世界独特の注意点なども軽く聞き取り、クララにも現地の一般情報と翻訳魔法をインストールしてアーベルは現地出張所を出た。
「ほんとにミッドと大して変わらないなあ」
“魔法文明と次元航行技術が皆無なことを除けば、文化レベルが極端に違うということもありません”
「そうだクララ、以後は念話で」
『“了解です、マスター”』
マンションから一歩出たのはいいが、眺めていても仕方がない。
クララのナビゲートに従い、アーベルはゆっくりと歩みを進めた。
すれ違う自動車が化石燃料式燃焼機関であったり電動機であったり、人々の服装は派手とも地味ともつかないがどことなくミッドに比べて違和感があったりと、それなりの異国情緒に溢れた街並みを満喫する。
『ふふ、ただの散歩なのに、なんか楽しい』
『“マスターの出身地であるベルカ自治区とミッド中央の方が、外観の差違があるかもしれません”』
『……しばらく帰ってないもんなあ』
せめて通りに向けた表口のある店を構えてから凱旋したいとは、ずっと思っている。出来れば結婚なり何なり……とも思うが、エイミィがいるクロノ、シャッハとの仲が楽しみなヴェロッサと違い、親友三人組の中では今ひとつそちら方面では成果がない。
『おー、あの家なんかはミッドに建っていてもおかしくないかも』
『“建築様式は似通っているようですね。
もちろん、魔導機器の反応は一切関知できませんが”』
それなりに交流のある女性と言えば、技術部のマリー、ヴェロッサの義姉カリム、おまけでフェイト、それから……エイミィとシャッハぐらいだろうか。しかし前三者にしてもマリーやカリムは恋愛にはほど遠い友好的中立に近く、フェイトに手を出せばそれはもう犯罪だ。
自分でも奥手だとは思っているが、焦っても仕方ない。父も結婚は二十歳過ぎだった。……まだ言い訳は十分出来る。
『あ、交通信号もわかりやすいなあ。
これはクララに聞かなくてもわかる!』
『“……マスター”』
『なに?』
『“マスターの隣で信号待ちをしている少女が、先ほどからマスターを見つめています”』
『えっ……?』
クララの指摘にそちらを見れば、右手に立っている白い服を着た紫髪の美少女が、じっとアーベルを見上げていた。静謐さと芯の強さを併せ持っていそうな顔立ちもアーベルの好みに近いが、残念なことにフェイトやなのはと同じ年頃に見える。
それはともかく……不思議そうにしているところを見ると、エイミィは何も言っていなかったが、やはり異世界人のこちらには何か致命的な違和感でもあるのか。
若干不安になってきたアーベルは背中に冷や汗が流れるのを感じつつ、取り敢えず首を傾げてみた。何とか誤魔化さなくては、色々と拙い。
「あ、あの……」
「はい?」
翻訳魔法は現地出張所を出るときに起動してあった。短いセンテンスながら、無事に通じている様子だ。
「アーベルさん、ですよね?」
「えっ!?」
『“……ご実家、ご友人、仕事関係、管理局、全てのデータに該当者ありません。
マスターとは初対面です”』
クララは実に優秀だが、流石に四角四面過ぎるかと頭の片隅で考える。訪れたこともない異世界で知り合いがいないことは、確認するまでもない。
「あの、わたし、フェイトちゃんの友達で月村すずかです」
「……あ!」
……いや、例外があった。フェイトの友達なら、確かにアーベルの顔を知っていても不思議ではない。
少し前にビデオレターへ出演して欲しいと頼まれて引き受けたことを思い出すと、アーベルは肩の力を抜いた。
「そっか、フェイトちゃんのビデオレターの送り先のお友達だったんだね。
はじめまして、こんにちは。
つい昨日から遊びに来ているアーベル・マイバッハです。
どうぞよろしく」
「こちらこそ。
それと、驚かせてしまってごめんなさい」
「僕の方こそごめんね。
実は最近ちょっと忙しくて、お返事は見せて貰ってないんだ」
アーベルの驚き方が面白かったのかくすくすと可愛く笑う少女に、頭を掻いて弁解する。
これは本当のことだ。
フェイトは嘱託魔導師になっていたし、裁判も大詰めだった。そこにきて闇の書騒動と、本当に暇がなかったのである。
「じゃあ、わたしの顔を知らなくて当然です。
あ、さっきまでフェイトちゃんたちと一緒だったんですよ」
「へえ。
……ああ、もう学校の終わる時間だったね」
「はい。
アーベルさんはお散歩ですか?」
「何か食べようと思って出てきたんだけど、ミドリヤ……だっけ?
そこを教えて貰ってね」
図書館に行くという彼女は、わざわざ寄り道して翠屋の見えるところまで案内してくれた。今日はいつもの友達が皆用事で忙しい───フェイトとなのはは昨夜の出撃もあって疲れているだろう───ので、一人の時間を過ごしていたそうだ。
「それで休み時間に質問攻めになって、フェイトちゃんが困っちゃって……」
「ああ、なんか目に浮かぶなあ」
歳の割に落ち着いた子で、エイミィよりも大人びているほど……と言ってしまっては彼女に失礼かも知れないが、フェイトよりはお姉さんかもしれない。無論、フェイトにはフェイトの事情があるし、アーベルもそれを知っていた。
「ありがとう、すずかちゃん。
じゃあ、またね」
「はい、アーベルさん」
実はこの出会いが運良くアーベルを救っていたのだが、アーベルがそのことを知ったのはしばらく後になってからのことだった。