虚空に浮かぶ時空管理局本局内商業地区の中心部から僅かに外れた築三十年近い雑居ビル、その地下に小さな店があった。
店の名は『マイバッハ工房本局支店』、年若き店主の名はアーベル・マイバッハ。
デバイスの修理や改装を主に扱うが、カスタムパーツの製造販売からオーダーメイド品の受注まで、店舗は小規模ながら幅の広いサービスを旨とする新進のデバイスショップである。
▽▽▽
時刻は夕暮れもとうに過ぎていた。
普通の店ならそろそろ営業を終える時刻だが、地下にあって人工陽光さえ差し込まないこの店にはあまり関係ない。昼間シフトの勤務で帰宅途中の管理局員が上客であることを考えれば、稼ぎ時と言えなくもなかった。
予約や紹介が半ばお約束であるこの種の店で飛び込みの客は珍しいが、ひと月ふた月に一度ぐらいはそういった客がやって来る。その彼らを常連に育ててこそ、店が店として保たれると言えよう。……正直に言うと、本局の商業区に限ればデバイスショップは飽和気味で、A級デバイスマイスターの看板をぶら下げていれば向こうから仕事がやってくるというような美味い話はない。
“出力正常、定格での動作を確認”
もっとも、店主はカウンターに立たず、奥の作業場で仕事中である。
この店はカウンターと椅子ぐらいしか目立つ物がない店舗スペースに対し、バックヤードには休憩室、整備作業台、キッチンなどが広めに取られていた。
“耐久予測値、伝導率誤差、ともに許容範囲内です”
「OKだね」
仕事の合間にカルナログ産のコーヒーを一口。
酸味が少なく苦みとのバランスが取れており、最近のお気に入りであった。
「……ん」
マグカップを置いて、次のパーツを作業台にセットする。
今手にしているのは、最近になって比較的注文が多く入るようになった局標準仕様のストレージ・デバイスの改造パーツで、専用プログラムと併用することにより僅かだが魔力運用効率を上げることが出来た。
本局技術部の正式な性能試験と認証も通っているから、私製改造でありながら補助金が出ることもその流れを後押ししている。店に来てくれた武装局員に直接聞いた話では、それほど高価ではないので高給取りの士官以外にも手を出しやすいらしい。
“マスター、アリオスティ氏がご来店です”
「ありがとう、クララ」
愛機クラーラマリアの声に、今朝本店から届いた新着の改造パーツのチェックを行っていた手を止めた少年アーベル・マイバッハ───若いながらもこの店の店長だった───は、よいしょと立ち上がってカウンターに立った。クラーラマリアには階段に設置した来客センサーから部屋の空調、顧客や商品、税務の管理に至るまでを一任しており、仕事の内容だけを並べればどちらが店長かわからないほどだ。
程なく扉が開いて、初老の紳士が入ってきた。
三週間ほど前に新規の注文を出してくれた大事な客である。
「やあ、アーベルくん」
「いらしゃいませ。
こんばんは、アリオスティ様」
アーベルは丁寧にお辞儀を返してから、バックヤードに依頼の品を取りに行った。武装隊のアリオスティ氏は父より紹介された上客で、疎かには出来ない。来客の名を知っていてもわざわざ奥まで商品を取りに行くことには、丁重に扱っているのだと示す意味があった。
娘さんへの誕生日祝いと注文を受けて仕上げたカスタムメイドのデバイスは、少々手こずったが納得の仕上げである。
飾り箱とリボンはサービスだ。
「こちらになります」
「どれどれ……」
待機形態は女の子の好みそうなペンダント型で、デバイスコアを模した小さな青い宝石が銀地の台座にはめ込まれていた。デバイスとしてはミッドチルダ式インテリジェント・デバイスと呼ばれる比較的高性能かつ高価な型式であり、誕生日祝いとは言えおいそれと子供に買い与えるような品ではない。
ワンオフのインテリジェント・デバイスは、魔力量はもちろん出力特性や資質の有無、各種適性……それら全てを勘案した上で使用者に合わせた設計と調整を行わなければ、価格なりのうま味がまったくない駄デバイスに成り下がってしまう。
量産品として売られている汎用型のインテリジェント・デバイスは比較的誰にでも使いやすいが、性能の全てを活かしきれているわけではなく、余力を大きく取ることで受け止めているに過ぎなかった。……無論、設計の主眼を高いレベルでの汎用性に置いているのだから間違いではなく、一定以上の性能を維持しつつも量産効果で価格を下げていることにはアーベルも脱帽せざるを得ない。
「杖の状態も見せて貰えるかな?」
「はい、畏まりました。
……クララ」
“了解、整備者権限を行使します。
登録型式名称マイバッハ工房Mda09-0048Ci、メンテナンスモードにてスタッフフォームを起動”
“Maintenance mode, Set up”
アリオスティ氏の手にあったペンダントは、頂部に青い宝石持ったパステルブルーの杖に変形した。個体名称や愛称の命名は使用者の権利であり、こちらで名付けることはない。
標準使用形態はカラーリングこそファンシーなパステルブルーだが、スタイルはオーソドックスな長杖型である。使用者であるアリオスティ氏のご令嬢はまだ6歳、身長に合わせて少々短めに設定してあるものの、これから成長期を迎える少女に合わせて多少の調整はデバイス側で行えるようにしてあった。
「アリオスティ様のご要望通りランクA相当の魔力負荷に耐える設計にしてありますが、ご本人が当初の予想を上回って成長された場合などでも、最大AAまではインナーパーツの変更のみで対応可能です。
教育プログラムは局基準に準拠した民間用初等、中等プログラムのカテゴリーA、魔法の登録は基本的にご不要とのことでしたので、教育プログラムの範疇に入らないものは本体からは削除してありますが、こちらのメモリに初等部向けのセットが組んでありますので同梱しておきますね」
「ああ、すまないね。
……私が休みの日に教えて平日は練習というつもりだったが、学校で使うならそちらもあった方がいいな。
うん、ありがとう」
代金は既に振り込まれていた。……ちなみに総額428万クレジット、最新のセダンやスポーツカーは無理でも、CMでおなじみのファミリーカーならフルオプション付きで買える価格である。
アーベルはペンダントに戻したデバイスを丁寧に梱包して、箱にリボンを掛けた。
何かありましたらお気軽にどうぞと声を掛けてアリオスティ氏を送り出すと店を閉める時間になっていたが、もう少しで新着パーツの点検が終わるからとそのまま作業を続ける。どうせ店内にいるのだから同じこと、運が良ければ作業中に来店者がもう一人ぐらい来るかも知れない。
「なかなか目標額には届かないね」
“地道な努力が実を結びます”
実家の本店───というか幾つも整備棟や研究棟が立ち並ぶ本社ほどは無理でも、もっと大きな店を持ちたいという希望がアーベルにはあった。
……そうでなくとも営業日は週に三日の半予約制、一日は完全なオフにしているが残りは管理局へ出向くか、得意先への出張営業などにあてていた。本局内にあるデバイスショップはここだけではない。不定営業の店を維持するのは、なかなかに大変なのだ。
かと言って、管理局と縁を切るのは得策ではなかった。デバイス業界最大の顧客であり、予算は潤沢ではないと言いながらもその規模は巨大で、更には先のアリオスティ氏のように個人で注文してくれる客との繋ぎにもなった。
すっかり冷めてしまったコーヒーを一気に飲み干し、もう一杯煎れて作業を続ける。
粗方のチェックを終えた頃、クララが再び声を掛けた。
“マスター、クロノ・ハラオウン氏より通信です”
「ああ、戻ってきたんだ。
繋いで、クララ」
クロノ・ハラオウンは数年来のつきあいがある友人で、難関と喧伝されている執務官試験に史上最年少の11歳で合格した英才である。所属が海───時空管理局の花形である次元航行部隊───になったお陰で、この店のある管理局本局に戻って来ることは少ない。
それでも戻れば必ず声を掛けてくれるが、忙しいときはその通信一本で終わることもままあるほどだ。
2歳年下の友人は14歳に見えないほどの童顔かつ低身長で、老け顔ではないものの彫りの深い顔立ちで上背も180センチはあるアーベルと並べば大人と子供にも見える。……果たしてこの言葉でより深く傷つきそうなのはどちらか、微妙なところであった。
『アーベル、久しぶりだ』
「おかえり、クロノ。一ヶ月振りぐらいかな。
相変わらず忙しいのかい?」
『まあな。
そっちもこの時間まで大変だな』
ちらっと時計を見れば、既に23時を回っている。
「うん。
流石にもう店じまいするけどね」
『そうか。
明日、時間を取れるか?』
「明日は局の方に顔を出す予定だけど、急ぎの仕事は聞いていないから大丈夫だよ。
君のS2Uのメンテって理由なら、優先予約で時間は作れる。
……実際必要なんだろ?」
そうだと頷いたクロノに、了解のサムズアップを送る。
『ではこちらから行く。
朝は報告と手続きで潰れるから、昼過ぎでもいいか?』
「了解。
詳しいことは明日聞くよ」
『ああ。
お休み、アーベル』
「うん、おやすみー」
通信を切るとアーベルは作業机を片付け、明日の準備を始めた。
彼のデバイスは局標準のレディメイド品とは違い、『色々と』面倒なのだ。
クロノは少々真面目過ぎるのが玉に瑕だが、真面目度ならアーベルも負けていないとは、クロノと共通の友人ヴェロッサの言である。
さいどめにゅー
《アーベル・マイバッハ》
A級デバイスマイスター、マイバッハ工房本局支店長
技術本部第四技術部機材管理第二課所属嘱託技官
士官学校本局校客員講師(デバイス調整応用論)
魔導師ランクE、魔力量AAA
本SSの主人公です