はてさて早速、事件解決に向けて動き出した桜ちゃんですが、手始めに情報収集から始める事にしました。何事も最初は情報を集める事から始まるのが大切なのです。
片っ端から街行く人に声を掛けては、情報を集めていきます。街の人たちは少しだけ不思議そうな顔を浮かべながらも、快く応えてくれました。むしろ、かなり積極的に桜ちゃんを援助してくれている気がします。
ですが、残念ながらあまりコレといって有益な情報は得られませんでした。
仕方なく桜ちゃんは事件が起きた場所に行ってみる事に決めます。真犯人は現場に戻るとも言いますし、きっと進展がある事でしょう。
桜ちゃんはまず、犯行現場が確定している『図書館』へと向かうことにしました。
『図書館』は、既に警察の現場検証も済んだのか、平常通りの営業している様子で、お巡りさんたちはいないようです。それどころか、破壊された筈のシャッターも既に修復されていました。物凄い対応の早さです。
これはもう『事件屋』の出番は無いかも知れません。それでも念のためにと桜ちゃんは、図書館とその周りの調査を開始します。
(……本棚の所と、そこから真っ直ぐ行った壁のところ?)
ほんの僅かですが、そこから桜ちゃんは魔力の残り香を感じていました。
燃えるように猛々しく、やたらと自己主張の激しい元気な魔力の残り香です。それから申し訳程度にひ弱そうな魔力の残り香があります。
(この感じ、朝見たイスカンダルおじさんと同じ──)
桜ちゃんが魔力の持ち主に心当たりを巡らせると、ふいに意識が遠退いていきました。
夢うつつな気分の中、とある映像を桜ちゃんは幻視します。
(──これは、イスカンダルおじさん?)
真っ暗な図書館の中、我が物顔でノシノシと練り歩くイスカンダルさん。きょろきょろと周りを見渡し、何やら物色中のようです。
そして目当ての物を見つけたのか、まるで子供の様に顔を綻ばせて本を手に取り──そのまま壁を破壊して外に出て行ってしまいました。よもやまさかの泥棒です。しかも器物損壊。
今朝見た限りではそんな事をするような人には全然見えませんでしたが、そのあまりにも堂々とした盗みっぷりは、むしろ様になっていたと言えます。
(まさか、イスカンダルおじさんが犯人だったなんて……)
良い人そうだっただけに、内心ショックを隠しきれない桜ちゃんですが、街の平和を乱す悪党を、みすみす『事件屋』が見過ごしてやる訳にもいきません。
(後でちゃんと謝って、本を返すように言わなくちゃ……)
幸い、イスカンダルさんの居場所は分かっています。図書館の人たちもちゃんと事情を説明して謝れば、きっとそこまで怒ったりはしないでしょう。
唯一問題があるとすれば──
(イスカンダルおじさんか……ちゃんと話せるかな……)
豪快にして剛胆を地でいくイスカンダルさんに、桜ちゃんが気負けしないかが問題でした。ああいったタイプは桜ちゃんの苦手とするタイプなのです。
『図書館事件』の犯人を突き止めた桜ちゃんは、取り敢えず、イスカンダルさんの所に行くのは後回しにする事にしました。
ホシの潜伏先は既に割れています。「真実は、いつも一つ!!」っと突き付けてやるのは今でなくても大丈夫でしょう。決して、イスカンダルさんに会うのがイヤな訳ではありません。
桜ちゃんにはもっと早急に解決すべき事件が沢山あるのです。
そうです、これは優先順位の問題なのです。別にイヤな事を先送りにしている訳ではありません。
桜ちゃんには他に、桜ちゃんの助けを必要としている市民たちが待っているのです。具体的には頭に『お願いマーク』を浮かべた人たちが。
そう完璧な論理的思考で答えを出した桜ちゃんは、次は『新都』の中心地である繁華街を目指すことにしました。人のある所に事件あり、です。
桜ちゃんが『図書館』のある市民公園から、駅前パークやビル郡が立ち並ぶ繁華街へと行く途中──突然、強烈な違和感が桜ちゃんに襲いかかりました。
人通りも少なく、まるで都市開発から取り残された様に寂れたその一角──見るからに安そうなビジネスホテルの屋上から、その違和感は発せられています。
(この感じ、イスカンダルおじさんと似てる……)
しかし、イスカンダルさんとは違い、とてもイヤな感じのする違和感です。ジメジメとしていて陰湿な、体にねっとりとまとわりつく気持ち悪いイメージです。
桜ちゃんはその違和感の元に顔を向け、目を凝らし見つめてみますが、“ソコ”には誰も居ません。
(気のせい……?)
そう思った桜ちゃんですが、念の為、もっと近くできちんと確かめてみる事にしました。もしかしたら、何か事件解決への手掛かりが掴めるかもしれません。何の事件の手掛かりかは、まだ不明ですが。
件のビジネスホテルの目の前にくると、桜ちゃんが受けるイヤな違和感は、より一層強くなりました。しかし、更に注意深く観察してみても、やはり屋上には何も発見出来ません。
ですが、桜ちゃんの違和感は、あそこに何かがいると懸命に訴えてきます。
これまでの経験からいって、こういった違和感には全幅の信頼を寄せ始めていた桜ちゃんですので、桜ちゃんの中では既に、“あそこ”に何者かが潜んでいるのは、半ば決定事項となっていました。
もしかしたら、見つけるにはもっともっと近くに寄る必要があるのかもしれません。
さも当然の様にビジネスホテルに入った桜ちゃんは、ロビーとフロントをさらりとすり抜け、エレベーターに乗り、迷う事なく最上階のボタンを押しました。
一、二、三、四──っとエレベーターは上昇し、七階でストップします。音も無く静かに扉が開くと、桜ちゃんは最上階へと躍り出ました。
薄暗い通路を右、左と桜ちゃんが見渡します。簡素な廊下と、デザインが同じ扉が何枚も均等に並んでいます。ぱっと見、実に一般的なホテルの内装です。どうやらここはまだ、屋上ではないようです。階段らしきものも見当たりません。
どうしたものかと桜ちゃんが思案していると、通路の一番奥に、緑色に発光する標識を見付けました。子供でも見慣れた標識──非常階段の標識です。見た所、他に上へ昇れそうな場所は無いようです。
そうとなれば、選択肢は決まっています。次に取るべき行動を決めた桜ちゃんは、非常階段へと足を進めて行きました。
すると非常階段へ進む途中、扉が開き、部屋から女性が一人出てきたのです。
色白で真っ黒なストレートヘアの、とても綺麗な女性です。手には何やら雑誌の様な物を持っています。桜ちゃんが目敏く観察した所、それはガイドマップのようです。それも、ケーキとかパフェとかが載ったスイーツ専門の雑誌みたいです。
この人が違和感の正体でしょうか? 屋上ではなく、その一階下に居た彼女に違和感を感じたのでしょうか? しかしそれは何か違う気がします。現にこうして目の前に対峙しても、違和感は強くなりません。
女性がこちらに近づいてきます。
桜ちゃんもペースを落とさず、なに食わぬ顔で歩いていきます。何故だか分かりませんが、近づくにつれ、女性の顔が険しくなっていきました。
不法侵入しているのがバレたのでしょうか? そうだとしたらとても不味いです。幼女とは言え、確かに絶賛不法侵入中ですので言い訳のしようがありません。
このままではミイラ取りがミイラにならぬ、事件屋が真犯人になってしまいます。それでは本末転倒です。
出来るだけポーカーフェイスを気取って、桜ちゃんは女性とすれ違います。さもこの先に自分の部屋があるかのように……。
「レディ、私に何か用ですか?」
突然背後から声を掛けられて、びっくりして声を上げなかった事を、桜ちゃんは自分で自分を褒めて挙げたくなりました。
「……レディって私の事ですか?」
努めて冷静に桜ちゃんは返答します。
「ええ、そうです。この階には私以外に宿泊者がいない事は既に確認済みです。ですから、“ここ”にいる貴女は私に用があって来たのでしょう? レディ」
振り替えって女性の顔を見ると、まるで獲物を見付けた鷹の様に鋭い目付きで警戒を露にしていました。
さりげなく、腰の辺りで何かを探すようにまさぐっています。理由は分かりませんが、険しい目つきの反面、何故かとっても脅えているような印象を、桜ちゃんは受けていました。
「……屋上を見に来たの」
下手な嘘はつかず、桜ちゃんは正直に答えます。
「屋上?」
「そう屋上。ちょっと気になる事があって……」
「そこに“何が”あるのです?」
「分からない。何か“有る”かも知れないし、何も“無い”かもしれない……だから確かめに行くの」
桜ちゃんの言葉を吟味しているのか、女性が押し黙ります。
重い沈黙が通路を支配していきます。
ふと、桜ちゃんは床に落ちているガイドマップに目がいきました。どうやら何時の間にか女性が落としていたようです。表紙にはでかでかと『ケーキバイキング特集』と書かれていました。
「冬木ハイアットホテル──」
「……なんですって?」
「ケーキバイキングに行くなら、冬木ハイアットホテル一階のお店が良いと思います。街の人もそう言ってました」
当然、桜ちゃんはケーキバイキングに行った事なんか一度もありません。ですが、今朝、街で仕入れた情報によれば、そこが冬木一番のケーキバイキング屋さんらしいです。
桜ちゃんの言葉を切っ掛けにして、女性からの警戒が和らいでいくのが分かります。緊張の糸がゆっくりと緩んでいきました。
どんな女性でも甘い物と可愛い物には勝てないというのは、本当だったようです。
「……つまりレディ、貴女は私に用があるわけではない、そう言いたいと?」
「そうです」
「偶々、ここで私とすれ違っただけ、と?」
「そうです」
「目的は屋上で、これはただの偶然である、と?」
「その通りです」
「因みに、『キリツグ』という言葉に心当たりは?」
「何ですか、それ? 初めて聞きました」
「……」
女性は一度、ふぅっと息を吐き、慎重に落ちたガイドブックを拾うと──
「……分かりました。どうやら私の思い違いであったようです。失礼をしました、レディ」
そう言って、ようやく警戒を解いてくれました。
どうやら、余計な諍いは未然に防げたようです。
「私の方こそ、紛らわしかったみたいです。すみません」
「いえ、それはお互い様です。それに、実に有益な情報も得ました。感謝します、レディ」
「……そう言って頂けると嬉しい限りです。じゃあ、私はこれで……」
そう言うと桜ちゃんは踵を返し、非常階段へと再び歩み始めました。それと同時に、女性の気配がエレベーターの方へと離れていきます。
思いがけない窮地は、何とか回避出来たようでした。
それにしても──っと桜ちゃんは考えます。
まるで感情を失った殺人マシーンの様に無表情だったあの女性が、別れ際とはいえ綻んだ笑みを見せるとは、あの人は随分ケーキが好きなんだなぁ、っと思う桜ちゃんなのでした。
非常階段の扉を開けると、案の定上へと続く階段があり、そこを昇ると小さな踊り場と頑丈そうな鉄扉がありました。これは、学校とかで良くある屋上への鉄扉で間違いないでしょう。
扉のドアのぶに手を触れると、心臓がドキドキとし、イヤな違和感がひしひしと感じられます。引き返すならこれが最後のチャンスでしょう。ですが、このままオメオメと逃げ帰っては『事件屋』の名折れというものです。
桜ちゃんは意を決して扉を開け放つと、迷うこと無く屋上へと入って行きました。
屋上に足を踏み入れた途端、ずっと感じていた違和感が最大限にまで強くなります。
慎重に桜ちゃんは屋上の隅から隅まで視線を巡らせていきました。
(──いた)
桜ちゃんから見て左側の隅。屋上ギリギリの位置に、何やら得体の知れない不気味な存在がいるように感じられます。
姿はやはり見えません。ですが確かに
桜ちゃんの額から汗が一筋、流れ落ちました。
とてもイヤな予感がします。桜ちゃんの中にいる“女の子”が警鐘を発しているのでしょうか? 良く分かりません。緊張で頭がグルグルします。
桜ちゃんはそのイヤな予感を確信へ変えるために、そっと違和感へと近づいていきました。
そして丁度、屋上の中央部──違和感の中心からおおよそ十メートル手前といった所で立ち止まり、桜ちゃんは違和感に向けて声を投げ掛けました。
「誰かそこにいるの?」
桜ちゃんがそう言った瞬間──突如として目の前に白い仮面が現れ、手に持つ
薄れ行く意識の中で桜ちゃんが最後に感じたのは、真っ赤に飛び散る赤い鮮血と、ぼやけた赤い文字の『百貌のハサン』、そして「他愛ない」という言葉だけでした。
しきりで。