桜ちゃん、光の戦士を召喚する   作:ウィリアム・スミス

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桜ちゃん、調査中

 遠い昔、誰かに訊かれたことがありました。

 

 “ケリィはさ、どんな大人になりたいの?”

 

 その言葉になんて答えたかったか、今でも確かに覚えています。

 

 それになるために戦って、それになるためにずっと殺してきました。

 

 これが最善ではないと知りつつも、それしかないからずっと戦ってきました。

 

 その果てに辿り着いた『最良』の答え。

 

 でも『最良』だと思っていたその答えは『最悪』で、彼の望んでいたものとはかけ離れていて、だから──

 

 

 そこで、目を覚ましました。

 

 切嗣くんが意識を覚醒させると、そこはアインツベルン城のベッドの上でした。

 

「あ、気付きましたか。切嗣」

 

 ずっと看病してくれていたのか、目覚めた途端、アルトリアさんの声が聞こえてきます。体に痛みは──驚いたことに全くありませんでした。それどころか、これまでの連日の疲労すらも影も形もありません。

 

「……一体、何が? アイリは、アイリは無事なのか?」

 

 意識はまだ朦朧とし、記憶があやふやです。意識を失う直前、何があったのか──確か、アイリさんを見つけて、それで……。

 

「アイリスフィールは、その……今度は言峰綺礼に連れ去られてしまいました。すみません。あなたと彼女を人質に取られては、手出しができませんでした……」

 

 口惜しいと言わんばかりに唇を噛み、震えるアルトリアさん。いま彼女のことを罵倒して、虐げるのは簡単ですが、そんなことをしても状況は好転しないことは、切嗣くんにも分かりきっていました。それどころか彼女の話を聞く限りでは、足を引っ張ったのは紛れもなく切嗣くんです。馬鹿みたいに八つ当たりしている場合ではありませんでした。

 

「そうか……今度は言峰綺礼か……警戒するべきだと、分かっていたのに……」

 

 切嗣くんの綺礼くんへの警戒心は、桜ちゃんの登場によって大幅に減少していたことは否めません。注意が疎かになり、用心を怠っていたのは否定できませんでした。今回の失態は、その心の隙を突かれた切嗣くんのミスです。

 

「今は無茶をしないで下さい。私が切嗣を見つけた時、貴方は串刺しになっていたのですよ?」

 

 それを言われて、朧げながらに切嗣くんの記憶が蘇ってきました。ザクッという衝撃。体内に侵入してくる異物感。痛みはそれよりも後にやってきて、最後に見たのは目を見開くアイリスフィールさんでした。

 

「そうだ……なぜ僕は……生きている?」

 

 致命傷だったのは言うまでもありません。慈悲の欠片もない刺突は、間違いなく殺害を意識したもので、代行者であった綺礼くんが、仕留め損なうなどという些細なミスを犯すとは思えませんでした。

 

「分かりません。ただ、私が発見した時点で、貴方の傷はほぼ塞がっていきました。おそらくはアイリスフィールが何かしたのでしょうが……私には見当もつきません」

 

 アルトリアさんはそう言いましたが、切嗣くんには心当たりがありました。

 

 アイリスフィールさんに託していたもの。彼女を守護していた鉄壁の守り。切嗣くんは、自身の胸に手を当ててその名を想起します。『全て遠き理想郷(アヴァロン)』。それがいま、切嗣くんの中に入っているのでしょう。

 

「どうやら私が側にいると回復も早まるようなので、こうして側で看病していたということです。もっともまあ、やることと言えば貴方の寝顔を眺めるくらいでしたけどね……」

 

 ホッと一安心した穏やかそうな表情で、アルトリアさんは言います。切嗣くんはベッドに仰向けになると、彼女にいま訊くべきことを訊いていきました。

 

「……僕はどれくらい寝ていた?」

「ざっと半日といったところでしょうか? その間に、敵の襲撃はありませんでした」

 

 アルトリアさんが淡々と答えていきます。

 

「アイリの居場所は?」

「分かりません。どうやら言峰綺礼は発信器の存在に気付いたようです」

「アンノウンはどうなった?」

「監視していた舞弥曰く、逃げられたそうです。その際、ライダーが味方に付いたと……」

「そうか……最悪だな……」

 

 それは想像しうる最悪の事態でした。アイリさんは救出出来ず、アンノウンも仕留めきれず、むしろ味方を増やす形になってしまった。ですが、未だ彼らは健在です。ならばまだ、挽回のチャンスは残っているはずです。最低最悪な状況ですが、最後ではないのですから……。

 

「セイバーは、“あれ”を見たのか?」

「えぇ、見ました」

 

 暫くの間、沈黙が流れました。重苦しい静寂が続きます。

 

 これまで二人は、悲願があるから、叶えたい夢があるから、どんなに追い詰められても立ち上がってこれていました。

 

 でも“あれ”を見て、その思いが揺らいできています。はたして“あれ”は、彼らの求める願望器なのでしょうか? 切嗣くんにもアルトリアさんにも、その答えは出せずにいました。

 

 切嗣くんは一度深く深呼吸すると、再び口を開きます。 

 

「そうか……他に何か、報告することは?」

「二つ、あります。どうやらランサーの話では、『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』はアンノウンではなく、バーサーカーの手にあるようです」

 

 それは切嗣くんたちにとって朗報でした。奪われた宝具を取り返すのにアンノウンを相手にするか、バーサーカーを相手にするかでは、後者の方が圧倒的に気が楽だったからです。

 

 ようやく聞けた良い報せに重く息を吐いて、切嗣くんは続きを促します。

 

「……そうか。それで、もう一つは?」

「もう一つは──」

 

 アルトリアさんは一度そこで言葉を切って、僅かに曇っていた表情に鋭い闘士を漲らせ、言いました。

 

「そのランサーたちからの呼び出しです」

 

 どうやら切嗣くんたちに、悠長に考えている時間はなさそうです。

 

 

 

 

×       ×

 

 

 

 その日の深夜──

 

 指定された時間、指定された場所、どことも知れぬ廃工場の草むらで、ランサーとセイバーは相対していました。

 

 今さら、“どうしてここに呼び出されたか分かりますね?”などと問う必要はありません。皆まで言わなくても、アルトリアさんたちは分かっていました。これは決闘の申し込みに他なりません。

 

 同盟の締結は『討伐』か『奪還』がなるまで──アンノウンの討伐もアイリスフィールさんの奪還も未だなっていませんが、ケイネスさんの婚約者であるソラウさんの奪還はなっていました。

 

 実際には切嗣くんたちが誘拐し、ケイネスさんに匿っている場所を教え、奪還()()()のですから当然と言えば当然ですが、そうなった以上、この申し込みは正式なもので、受けるべき果し合いです。拒否することは許されることではありませんでした。 

 

「……条件は?」

 

 煙草を咥え、火を点し、一息吹いて切嗣くんが言いました。煙草の紫煙とも冬の白息(しらいき)とも知れぬものが、空に舞って消えていきます。

 

「尋常なる英霊同士の決闘だ。我々マスターはあくまで見届け人。手出しは無用だ」

 

 ランサー陣営が如何なる理由でその結論に至ったのか、切嗣くんには見当も付きませんでしたが、もっと劣悪な条件を突き付けられると思っていた以上、異論はありませんでした。

 

「……良いだろう」

 

 自分でも驚くほどにすんなりと、切嗣くんは了承の言を吐き出しました。

 

 ケイネスさんにとっても切嗣くんにとっても、あらゆる要素と条件を鑑みれば、これが最良の決闘方法に他なりません。

 

 ケイネスさんに残された礼装はアンノウンとの戦闘でもはやなく、彼自身の戦闘力は著しく低下しています。もう頼れるのはサーヴァントのみ。勝ち進むにはディルムッドくんに全てを託すしかありませんでした。

 

 切嗣くんにしてみても、これだけサーヴァントとの距離が近ければ、マスターを狙撃は不可能です。よしんば舞弥さんに強行させようにも、碌な武器が残っていませんでした。

 

 冷静に冷徹に判断、分析しても、どちらのマスターも自らのサーヴァントに全てを託すのが最善であると結論づけます。

 

 切嗣くんはアルトリアさんを一目見て、静かに言いました。

 

「──セイバー、()()()()

「えぇ、分かっています」

 

 切嗣くんの魔力の籠った言霊は、アルトリアさんの力となり、彼女の背中を後押しします。魔力が漲り、血潮が沸き立っていきます。いまアルトリアさんは、自らの限界をも超えた闘気に満ち溢れていました。

 

「ランサーよ──」

 

 ケイネスさんは自身のサーヴァントを呼ぶと、躊躇いがちに自らの手のひらを見ました。そこに刻まれた令呪は、もうあと一画しかありません。

 

 一度目はアインツベルン城で、二度目は桜ちゃんとの戦いの時で、あともう一度命令を下せば、もう“彼”を縛るものは何もなくなってしまいます。

 

 このさき戦いを続けていくには、この令呪は絶対に不可欠なものに思えました。

 

 礼装を全て喪失し、屈辱的にも頼れるものがディルムッドくんしかいなくなったケイネスさんは、ここに至ってもまだ勝利を諦めていませんでした。ソラウさんを拐われるという失態を演じて、彼女の信頼を失墜させたケイネスさんは、是が非でも聖杯を持ち帰り、名誉挽回する必要があるのです。

 

 この決闘は、そのための第一歩でした。しかしその一方では、はたしてこの戦いに何の意味があるのかとも思い始めていました。

 

 ソラウさんは散々ケイネスさんを罵って侮辱した挙句、何も言わず朝一の飛行機で帰国していってしまいました。彼女が側にいないというのに、この戦いに何の意味があるのでしょう? 意地や虚栄を張って、戦い続ける意味とは? 命を懸ける、その価値とは?

 

 この聖杯戦争はただの魔術儀式ではありません。真に命がけの血で血を洗う戦争です。それをこの戦いを通じて肌で感じたケイネスさんは、自身の目論みが甘かったことを認めざるを得ませんでした。

 

 ケイネスさんは命がけだと言葉では分かっていても、実感として理解はできていなかったのです。

 

 自分が死ぬかもしれない。婚約者を失うかもしれない。今まで積み上げてきたものを無為にするかもしれない。死ぬ覚悟など一片もしていなかったケイネスさんは、戦う理由の答えを出せませんでした。

 

 しかし少なくとも、彼のサーヴァントは答えを出していました。

 

 “最期まで主君に仕える”

 

 それはケイネスさんにとっては非常に愚かで理解不能な願いでしたが、少なくとも今は、それが()()の戦う理由でした。主は主らしく、従者は従者らしく、それこそが()()に残った唯一の戦う理由だったのです。

 

 そんな歪んだ信頼関係のみが、彼らを戦場に駆り立てる唯一のものでした。

 

 だからケイネスさんは、最後の令呪を失うことを恐れませんでした。たとえ令呪が無かろうと、彼は彼の従者であり、彼は彼の主であるのですから……。

 

「──令呪をもって命ずる。ランサーよ、全身全霊で勝利を掴め!」

「ハッ、必ずや!」

 

 決闘は、どちらからともなく自然に始まりました。

 

 槍兵が疾走し、剣騎士が迎え撃ちます。元は彼の愛槍だった二本の槍が、激しく交差し火花を散らしました。純然たる殺し合いのはずなのに、双方ともその表情はどこか楽しそうです。

 

 英霊たちの死闘は、かくも神話のごとき戦いとなりました。

 

 荒々しくも輝かしい決闘は、もはや芸術と言わしめるほどに高められ、正しく未来永劫に渡って語り継がれる、英雄譚に相応しい戦いとなりました。

 

 ただそれを最後まで見届けた者は二人しかおらず、この英雄譚の結末が誰かに語られることは、決してありませんでした。

 

 

 

 

×       ×

 

 

 

「……やはり、一歩、及ばぬか」

 

 悔しげに、でもどこか納得した様子で、ディルムッドくんは言いました。その手から力なく呪槍が零れ落ち、ほどなくしてディルムッドくんも地に倒れます。

 

「ですが、紙一重でした……」

 

 全身、不治癒の傷だらけになり、満身創痍といった様相でアルトリアさんが言いました。

 

 事実、アルトリアさんの言う通り、この決闘の結末は紙一重でした。ともすれば、倒れ伏していたのはアルトリアさんでも、可笑しくはなかったでしょう。

 

「紙一重か……あぁ、紙一重だっただろうさ……だが、大きな紙一重だった……」

 

 夜空を仰ぎ見ながらディルムッドくんは言います。人気のない郊外だからでしょうか? やけに星々が綺麗でした。

 

 アルトリアさんは紙一重だと言いましたが、ディルムッドくんにしてみれば、これは完敗以外の何物でもありませんでした。ランサーのサーヴァントが、得意な槍術戦で、誰よりも武器の性能を熟知した得物相手に、敗北を喫した。

 

 これが完敗と言わなくて、何と言うのでしょう。

 

「──ランサー」

 

 ディルムッドくんの耳に聞こえてきたのは、彼の主、ケイネスさんの声でした。不甲斐ない気持ちと同時に、全く逆の清々しい思いが浮き上がってきます。

 

「申し訳ありません、主殿。あなたに勝利を献上することが、出来ず……」

 

 ディルムッドくんは穏やかに言いました。

 

 そんな従者に対し、ケイネスさんはピシッと背筋を伸ばして毅然とした態度で答えます。

 

「……全くだな。こんなところで力尽きおって。何が忠義を尽くすだ。貴様は嘘つきの愚か者だ……」

 

 その怒りの言葉とは裏腹に、ケイネスさんの口調は淡々としていて怒気は感じられませんでした。ケイネスさんがいまどんな表情をしているか、夜の影に隠れて窺うことが出来ません。

 

「ハハ……返す言葉もありません……すみません、最後までお仕えすることができず……」

 

 いいように侮辱されたというのに、ディルムッドくんはどこか嬉しそうに笑い、返答しました。“全くもって主は最後まで主らしい”──ディルムッドくんは安らかにそう思います。

 

 最初から最後まで、ケイネスさんはそんな主君でした。

 

 でもだからこそ、ディルムッドくんも最後まで自分らしく戦えたのかもしれません。当初は内心“何でこんなヤツが……”なんてことも秘かに思っていましたが、今ではある意味感謝していました。最後まで主らしい主でいてくれた、と。

 

 もうディルムッドくんには悔いも憂いもありませんでした。しかし、まだ残すべきものはありました。

 

「セイ、バーよ……」

 

 力なくディルムッドくんが言います。

 

「なんですか? ランサー」

 

 ディルムッドくんはアルトリアさんを見ました。今となっては彼の愛槍を、彼よりも巧みに使いこなすアルトリアさんを……。

 

「ゲイ・ジャルグを……我が魔槍を、持っていくといい……きっと必要になる」

「それは……良いのですか?」

 

 アルトリアさんは躊躇いの言葉を零しました。それは“良いのですか?”というよりも“できるのですか?”と訊いているようでした。

 

「あぁ、“ソレ”はもう令呪によってお前の物になっている。俺が“そう”願えば、“ソレ”は俺が消えてもお前の手にあるはずだ……バーサーカーから約束された勝利の剣(エクスカリバー)を取り戻すのに、きっと役に立つだろう」

 

 ディルムッドくんが消滅しても宝具が残る確証はありませんでしたが、でもディルムッドくんはそれが出来ると確信していました。槍使いとして彼の上をいくと証明した彼女なら、ゲイ・ジャルグもきっと認めてくれるでしょう。

 

「……分かりました。ありがたく使わせて貰います」

「あぁ、そうしてくれ……」

 

 そこまで言って遂に力尽きたのか、ディルムッドくんの体がうっすらと半透明になっていきました。その身に宿る魔力が尽き、現世から消え去ろうとしているのです。最後の力を振り絞って、ディルムッドくんは彼のマスターへと顔を向けました。

 

「すみません、マスター。最後の最後でマスターの許可も取らず……」

「全くだ、敗者が敵に塩を送るなど、前代未聞だぞ。勝手なことをして──」

 

 ディルムッドくんが敗北してしまった以上、ケイネスさんの戦いはこれで終わりです。戦う理由がなくなってしまった以上、みっともなく足掻く気はありませんでした。不名誉極まりないことですが、甘んじて受け入れるしかありません。

 

 しばしの沈黙をおいて、ケイネスさんは夜空に浮かぶ星々を眺めサーヴァントに言いました。

 

「ランサーよ、満足か? 良い戦いだったか?」

「はい、我が生涯でも最高の戦いでした……」

「そうか……満足か……」

 

 ケイネスさんは柄にもなく思いました。

 

 最後まで不甲斐なく、思い通りにならなかったサーヴァントですが、最後までケイネスさんに忠義を尽くしたのもまた確かでした。その忠義者に、はたして自分は、どれだけ主らしいことをしてきたのでしょうか? 最期の最期くらい、主らしいことを言ってやっても良いのかもしれません。

 

 礼節を重んじ名誉を美徳とする魔術師として、長いようで短かったこの戦いに、本当の意味で終止符を打つためにも……。

 

「……良くやったな、ディルムッド」

 

 その思いがけない言葉にディルムッドくんは一瞬驚いた顔をすると、すぐに穏やかな顔をして言いました。その瞳からは一筋の涙が零れています。

 

「……えぇ、ありがたき、幸せ……」

 

 その言葉を残し、槍の英霊は満足そうにこの世界から消え去っていきました。

 

 

 

 

 

 

 

 




 ランサー組、お疲れ様でした……

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