桜ちゃん、光の戦士を召喚する   作:ウィリアム・スミス

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桜ちゃん、お別れする

 此度の聖杯戦争でのハサンさんの戦いは、本当に苦難の連続でした。本当に本当に苦難の連続でした……。

 

 いきなりマスターに隷属を強制されるわ、いいようにコキ使われるわ、幼女に襲われるわ、と思ったら無理矢理幼女に協力させられるわ、元マスターに特攻を命じられるわ、自分を残して皆殺しにされるわ、その皆殺しになった主な原因である幼女と手を組むことになるわ、あらゆる場面でチラチラと骸骨騎士を幻視するわ、散々でした。

 

 聖杯戦争だけではありません。生前においても、ハサンさんの人生は苦難と試練の連続でした。苦痛と困難に満ち溢れていました。そもそもハサン・サッバーハなんかになったのが災難の始まりであるとも言えましたが、それを本気で思ったら本当に()()()なので、考えないことにします。

 

 ハサンさんの戦いは苦難の連続でした。でもあの“娘”と仲間になってからは、いくらかマシになったのも本当でした。本音を言えば、桜ちゃんと組んでからの日々はとても充実していて、正直面と向かって言うのは気恥ずかしいですが、すごく楽しいものでした。

 

 桜ちゃんとハサンさんは、まるで本職の暗殺者ばりに暗躍し──これこそがハサンさんの望んでいた戦い方でした──元マスターとそのお師匠さまに一泡ふかせ、聖杯戦争の全貌を暴き、セイバーを追い詰め、バーサーカーと互角に戦い、一度は聖杯の器をこの手に奪取しさえしました。それはとても愉快で痛快な日々で、ある意味では、現時点で最も聖杯に近いのはハサンさんであったとも言えました。

 

 そう──()()()のです。

 

 もはや聖杯などに未練はなく、打破すべき存在であるとハサンさんは認識していました。ある日、彼女に連れられて悪に染まった“アレ”を見た時、自ずとそうするべきだと悟ったのです。

 

 聖杯への執着を捨て去るのに、苦悩はありませんでした。

 

 “彼ら”は暗殺者。闇に紛れて命を奪う者。暗闇の奉仕者。暗殺教団の翁。元々彼らの教義に『聖杯』など、ありはしないのですから……。

 

 誰かが言っていました──“聖杯などというものはない。妄想と狂信を混同してはならぬ”──ああ、確かに()()()()でした。聖杯などなく、あるのは邪悪に染まった器だけで、それは“彼ら”の信条ではあってはならないものでした。

 

 だからこそ戦う意義があるのです。邪を以て邪を征するために、挑む意味があるのです。もう、“鐘の音”は聞こえてきません。聞こえるのはそう……空を切り裂く風切音と、その中を駆ける自らの足音だけでした。

 

 緩慢と流れる世界の中で、ハサンさんは思い返していました。確かこの嵐が吹き荒れる前に、黄金のサーヴァントがハサンさんを見下ろして、こう言っていた気がします。

 

「──裏切り者め、()()()()()

 

 でも、ハサンさんはそれが聞こえる前に、もう駆け出していました。降り注ぐ黄金の財産も物ともせず、王を討ち果たさんとするために猛然と駆けていきました。

 

 勝てないのは分かっています。届かないのも分かっていました。いくら全身を宝具級の装備で固めたとしても、我と彼との間には埋めることの出来ない“格の差”が存在しているのです。勝機など万に一つもありはしませんでした。

 

 それでも挑みました。それでも臨んでいきました。少しでも、ほんの僅かでも彼女への礎になるために、彼女の勝利を確固たるものにするために、煌めく閃光の中を、ハサンさんは懸命に駆けていきました。

 

 右腕がもがれても、左脚が吹き飛んでも、宝具の串刺しになっても、その命がある限り、その魂がある限り、決して歩みを止めませんでした。決して届かぬ場所に届くために。決して至らぬ場所に至るために。“ハサン・サッバーハ”の全身全霊を賭けて、その道を踏破しきりました。

 

 そして遂に辿り着きます。黄金のサーヴァントの眼前に、英雄王の膝下に……。

 

「……なるほど、裏切り者ではあったが、その信念、その決意は本物であったか。良くぞ我が道程を踏破せしめたな、ハサン・サッバーハ」

 

 誰がそう言ったのか、ハサンさんにはもう定かでありませんでした。それでも、毅然とした態度でそれに答えます。

 

「はっ……他愛、ない……」

 

 血とともにそう吐き出して、彼女は双剣を振るいます。しかし、彼女の剣閃は、あと一歩というところで英雄王には届きませんでした。

 

 手から双剣が零れ落ち、程なくして彼女も崩れ落ちます。

 

 ハサンさんの体から、流れる血と同じように力が抜けていきました。霊核は完全に破壊され、再生はもう不可能です。後は消滅するのを待つばかりでした。夜空には星たちが輝いています。揺らいでいく星天を見てハサンさんが思ったのは、せめて最後にもう一度だけ“あの娘”の顔を──。

 

 そして、ハサンさんは見ました。遥か上空から竜の如く迫る、蒼き騎士の姿を……。

 

 

 

 

×       ×

 

 

 

 稲妻の如く撃ち下ろされた一閃は、英雄王の鎧に大傷を付け、彼の足を一歩後ろに引かせました。

 

「ッ──!?」

 

 驚きの声を上げる暇もなく、天空より舞い降りてきた『竜』が、そのまま自らの“牙”と“爪”で英雄王に襲いかかります。

 

 虚を突かれ、完全に懐に入り込まれたギルガメッシュさんには、それを避けようとするので精一杯でした。間一髪のところで槍撃を回避するギルガメッシュさん。しかし、完璧に避けたと思ったその竜の一閃は、因果律を操作されたのか、不可避の斬撃となってギルガメッシュさんに撃ち込まれます。側面からの刺突、薙ぎ払い、斬り払い、狂い咲く桜の華の如き槍撃。目まぐるしい連撃が続きます。

 

 竜の凶暴極まりない攻撃の数々に、一歩一歩ギルガメッシュさんの足が後退してきました。

 

「お、おのれぇッ!」

 

 英雄であり、支配者でもあるギルガメッシュさんは、それゆえに生粋の戦闘者というわけではありませんでした。かつて、財宝を持たぬ一人の男として在った時ならば、話は別だったのかもしれませんが、『王』としてここにいる以上、それは免れぬ事実でした。次々と繰り出されてくる『竜』の攻撃に、為す術がありません。

 

 それは君臨者として、絶対者として耐え難き屈辱でした。生き延びるために後ろに退くなど、あってはならないことだったのです。

 

 ギルガメッシュさんの中に、憤怒と激情が湧き上がってきます。如何にしてこの屈辱を晴らしてやろうかと画策していると、唐突に更なる屈辱がギルガメッシュさんに襲いかかりました。

 

 あろうことか突然、『竜』の攻撃が止んだのです。なんの脈絡もなく、なんの前触れもなく、まるで手心を与えられたかのように、槍撃が飛んでこなくなりました。

 

 くるっと『竜』が身を翻し、華麗にジャンプして距離を開けます。そのときギルガメッシュさんの足はもう、参道の階段端まで差し掛かっていました。あと一歩後退していれば、彼はバランスを崩し倒れていたはずです。この確かな勝機を、『竜』は敢えて見逃した──その意味のするところは……

 

「き、貴様ぁあああああッ!!」

 

 あまりの辱めに、ギルガメッシュさんは激昂します。ありったけの宝具を現出させ、『竜』に向かって照準を合わせました。

 

 それでも『竜』は槍を構えども、立ち向かってくる気配はありません。まるで“何か”を守っているかのように、そこに佇んでいます。

 

 その姿にギルガメッシュさんは、圧倒的な天竜の姿を幻視しました。それも一匹や二匹ではありません。複数の強大な天竜たちが、その(アギト)をこちらに向けて唸り声をあげていました。引けぬはずの足が、また一歩引いた気がします。

 

「……止めておけ、金ピカ」

 

 イスカンダルさんの声が、背後から聞こえてきます。腹立たしいことに、ギルガメッシュさんよりも頭上からです。その事実も、ギルガメッシュさんの怒りをより一層膨れ上がらせました。逆立った金色の髪が、更に天に向かって咆哮します。

 

「黙れッ! 雑種に指図される筋合いなどないわッ!」

 

 怒りに我を忘れてギルガメッシュさんは、そう振り返らずに言い返します。

 

「なら“ソレ”を撃ってみるがいいさ。それでどうなるか、分からぬ貴様ではあるまい?」

 

 イスカンダルさんから静かに敵意が溢れてきました。『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』の蹄がバチバチと鳴り、二頭の雷牛がブルルと低く唸ります。

 

「そのまま撃てば、余が貴様に斬りかかる。余に撃とうとしても、あやつが貴様に斬りかかる。そうでなくとも、はたして()()()()で、あやつを仕留めきれるかどうか……」

 

 確かにギルガメッシュさんには予感がありました。

 

 “これだけではアレを仕留めきれない”と、“仕留めるにはアレを抜く必要がある”と……。しかし、“アレ”を抜くのは今ではありません。こんな児戯に等しい戯れに、“アレ”を抜くのは笑止千万でした。下々の喧騒に、“アレ”は度が過ぎています。

 

 ギルガメッシュさんのマスターが、この場から離れていくのを感じました。どうやら目的は達成したようです。裏切り者の始末はできましたし、今日のところはここいらで引いてやっても構わないかもしれません。

 

「……良いだろう。今宵はここで引いてやる。だが心しておけ、今日、貴様らが命拾いしたのは、この英雄王の慈悲があったからに他ならないと……」

 

 そう言い残しギルガメッシュさんは、黄金の粒子となって消え去っていきました。圧倒的な怒気と殺気をその場に残して……。

 

 そして彼の存在が完璧に感じられなくなると、桜ちゃんはサッと『白魔道士』に着替え、ハサンさんに駆け寄っていきました。ずっと無表情だった顔を、不安と心配でいっぱいにしながら……。 

 

 

 

 

×       ×

 

 

 

 見るまでもなく、ハサンさんはもう手遅れでした。

 

 戦闘不能を超え、死が近づいてきています。それは、他でもない桜ちゃんが一番分かっていました。三つのヒーラー全ての能力を総動員しても無駄であると、純然たる事実として理解できてしまっていました。

 

 しかし、もう無駄であると分かっていても、もうどうしようもないと分かっていながらも、桜ちゃんは“ソレ”自体を拒絶するかのように、ハサンさんを必死に治療していきました。

 

 視界に何かが溢れてきて、前が見えなくなってきます。治療しなくちゃいけないのに、集中しなくちゃいけないのに、“それ”が溢れてきて止まりませんでした。

 

「あぁ……サ、クラ……」

 

 ハサンさんが囁きます。彼女が何を言いたいのか、桜ちゃんはすぐに分かりました。

 

 ハサンさんはお別れの言葉を言おうとしているのです。しかし、そんな言葉、聞きたくありませんでした。そんな台詞を聞くために、ここに戻ってきたのではないのです。だから桜ちゃんは必死になって訴えかけます。

 

「ダメッ! ダメです! 諦めちゃダメです! 諦めなければ──」

 

 そこで、桜ちゃんの言葉は詰まりました。頭の中に、誰かの“声”が聞こえてきます。

 

 諦めなければ──なんて言う気なの? 諦めなければ“次”があるとでも? 挫けなければ次があるとでも? そんなものがあるのは、そんなことが出来るのは、あなただけじゃない。それが出来るのであれば、()()はみんな死ななかった。()()を置いてくることはなかった。だから、彼女もここで──

 

「ヤダッ!!」

 

 桜ちゃんは囁き声を否定しました。

 

 頭に響くその“声”は、まるで自分の声のようで、事実、それは桜ちゃんの声でした。彼女の中にある冷静で残酷な部分が、そう訴えかけていたのです。彼女はここで、いま死ぬのだと。

 

 そう悟った途端、涙がとめどなく流れてきて、頭の中がぐしゃぐしゃになってしまいました。どうすればいいのか、どうしたら良いのか、もう全然分かりません。

 

 紡ぐべき詠唱も、かけるべき魔法も、今や形を成さず、ただのエーテルの霧となって四散していきます。

 

「いいんだ……もぅ、いいのだ……」

 

 うわ言のようにハサンさんが言いました。朧げに桜ちゃんに手を伸ばしてきます。桜ちゃんはそれを強く掴みました。もう彼女に出来ることは、それくらいしかなかったのです。

 

「おまえと、ともに戦えて……ほんとうに、よかった」

「良くないです! お願いごとは、夢は叶えなくて良いんですか!?」

 

 桜ちゃんは咆哮しました。何でもいいから生きる気力を、取り戻してもらうために……。

 

「ね、がい……」

 

 途切れ途切れにハサンさんが言います。朧げに、何かを思い出すように……。

 

 かつてハサンさんには、彼らの教義に背いてでも叶えたい願いがありました。

 

 自分自身でも把握しきれない程に増殖した自我に終止符を打つため、百の貌に分裂した自意識を統合するため、この戦いに参加したはずでした。それは他の人たちに比べれば、取るに足らない些細な願いだったかもしれませんが、どのサーヴァントにも負けないくらい強い“想い”を持って、ハサンさんはこの戦争に臨んだはずでした。

 

 その想いが今、ハサンさんの中にはぽっかりと穴が空いたように綺麗になくなっています。何時の頃からこうなってしまったのでしょうか? おそらくはきっと、桜ちゃんと出会って、そして仲間になった頃に変わったのでしょう。

 

 運命の言葉を交わしたあの夜、ハサンさんは『最後のハサン』になっていました。生き残ったのは自分だけ。把握してない自我でさえも死に絶えて、残った搾りカスの様な自分だけが、『ただ一人のハサン』として生き残っていました。

 

 だからもう、願いは──

 

「もぅ……とうに、叶ったさ……」

「で、でも……」

 

 反射的に桜ちゃんは否定の言葉を口にしました。しかし、次の句が出てきません。

 

 でも──なんて言えば良いのでしょう? ハサンさんの願いはもう、叶っていたのです。だからこそ聖杯に対する執着も消え失せていましたし、だからこそ桜ちゃんと協力することが出来たのです。

 

 ならばもう、これ以上引き止めることは桜ちゃんに出来ませんでした。ハサンさんは桜ちゃんのために戦い、桜ちゃんのために散っていくのですから……。

 

「だから、もぅ……悔いはない……悔いはないんだ……」

 

 最後にあった心残りも、桜ちゃんの顔を見たことで無くなっています。

 

 安らぎに包まれて、穏やかにハサンさんは微笑みました。その拍子にハサンさんの白い仮面が、ポロリと落ちていきます。あれだけの攻撃に晒されながらも、決して外れなかった暗殺者の仮面が……。

 

 もう受け入れるべきだと、桜ちゃんは理解しました。もう彼女を繋ぎ止めておくことは、桜ちゃんにはできません。だから桜ちゃんはハサンさんに優しく伝えました。お別れの時を、悲しみだけで終わらせないために。彼女の素顔を見た正直な感想を……。

 

「……ハサンさん、そういう顔をしていたんですね……目つきが悪くて……怖いです……」

「はっ、おまえこそ……なんて、不細工な顔だ……たまには……笑って、みたらどうだ……」

 

 最後に笑ったのは何時のころだったでしょうか? もう随分と前のような気がして全く覚えていません。笑い方すら、もう忘れてしまったのかもしれません。

 

 それでも桜ちゃんは大粒の涙を流して、不器用ながらも精一杯の笑顔を作りました。

 

「はは……もっと不細工に、なった……だが……悪くない……」

 

 それだけを伝えて、暗殺者は消えていきました。彼らの想いを宿した輝ける“イシ”を残して……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 さよなら、ハサンさん……

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