桜ちゃんは聖杯戦争の参加者じゃない。
まさかまさかの真実を知ってしまったハサンは、隠しきれない動揺を感じつつも、安堵の気持ちも抱いていました。
桜ちゃんが聖杯戦争とは無関係ならば、ハサンさんが桜ちゃんを手伝ってもなんら問題はありません。
むしろ貸しを作ることによって、聖杯戦争を有利に戦えるようになったと言えるでしょう。
聖杯戦争とは無関係と言えども桜ちゃんの戦力は折り紙付きです。僅かな希望ですが、勝機が見えてきました。
貧弱となったハサンさん陣営の、大きな追い風となることでしょう。
それに、アンノウンが聖杯戦争と全く無関係な存在だったというのも、かなり有益な情報です。
目下最大のライバルと思っていたアンノウンと争わなくても良くなったのは、かなりの朗報でしょう。
一度不幸な行き違いがあったせいでハサンさんはもう死に体ですが、この際、そんな細かい事は水に流します。下手に刺激して蛇どころか龍が出てきたら、堪ったもんじゃありませんからね。
「つまり聖杯戦争とは、七組のマスターとサーヴァントが聖杯を目指す……そう、いわば競技会のようなものだ」
暗闇に包まれる冬木の街を疾走しながら、ハサンさんは桜ちゃんに聖杯戦争の概要を懇切丁寧に説明していました。
勿論、あまりにも物騒な内容はオブラートに包んでいます。
冬木の事件屋を自称する桜ちゃんに、実は街中でルール無用の殺し合いをしていますだなんて知られたら、大変なことになってしまいますからね。
「マスターはサーヴァントを召喚、維持し、サーヴァントはマスターの代わりに戦う。戦闘は原則深夜に行われ、街に被害が出ないよう細心の注意が払われる。戦争とは名ばかりの、クリーンな競い合いだ」
真実は隠していますが、嘘は言っていません、嘘は。
「ハサンさんも参加者だったの?」
「そうだ。街中に潜んでいたのは聖杯戦争参加者の情報を集めるためで、決して市民に危害を加える意図があったわけではない。断じて!」
危害を加える意図は無かった所を強調してハサンは言います。ワタシ、無害、安心、安全、オールオッケー?
「それは……ごめんなさい」
突然、ハサンさんはとてつもない罪悪感に苛まれました。
こんないたいけな幼女を騙くらかして一体何をしているんでしょうか? このままではハサン・サッバーハの名折……ああ! ごめんなさいごめんなさい、初代さま。お願いですからそのぶっとい剣をお納め下さい。
「い、いや、それはそもそも我らの方に非がある。返り討ちにあったとはいえ、先に仕掛けたのは我らだ。詫びる必要は無い」
そうでも言わなきゃ髑髏騎士の断頭台が飛んできそうです。
「……そう、ですか」
良かれと思ってやった事が裏目に出てショックを隠しきれない桜ちゃん。
実際には全然問題無いのですが、疑うことを知らない純粋幼女の桜ちゃんは気付けません。全くハサンさんはひどい人です。
「そ、それよりも今は誘拐殺人犯の方が優先だ! 市内にある目ぼしい潜伏先候補はあらかた調べ尽くした。それでも見付からないとなれば潜伏先は──」
ハサンさんは暗殺者としての眼光を煌めかせて、次の候補地を宣言しました。ハサンさんには外道が行きそうな所は手に取るように分かります。伊達に暗殺教団の頭首をやってはいません。
ハサンさんの視線の先には、冬木を二分する大きな川が流れていました。
無駄に行動力の高く脳内地図パワーがある桜ちゃんと、数日前から複数潜伏し、誘拐犯といった外道な人間に精通している暗殺者が力を合わせれば、連続誘拐殺人犯の潜伏場所を見つけることなんてお茶の子さいさいでした。
冬木を二分するように流れる未遠川。そこに流れ出る一つの大きな排水溝からきな臭い匂いを嗅ぎとったハサンさんは、この奥に誘拐殺人犯が潜んでいることを確信します。
「……ここだ。ここから血と汚物にまみれた外道の匂いがプンプンする」
「……くさい」
ハサンさんには分かるみたいですが、桜ちゃんにはただただ臭いという感想しか出てきません。なるほど確かに、これでは桜ちゃん一人では見付けられないはずです。
脳内地図の赤い範囲もここを示しているので、これは間違い無いでしょう。
特に躊躇する要素も無いので、桜ちゃんたちはぬるりと排水溝の中へと入って行きました。
排水溝の中は当然ながら薄暗く、湿っていて、陰気な雰囲気です。なんだか得体の知れない気持ち悪い化物でも出てきそうです。
そんな事を思っていると、案の定、桜ちゃんたちの頭上から、得体の知れない気持ち悪い化物が降ってきました。
「な、なんだ!? こいつは!?」
ハサンさんが驚きの声を上げますが、桜ちゃんにとっては待ち望んでいた展開です。
ネームカラーはレッド。名前は『海魔』。その名の通り、でっかいヒトデみたいな見た目です。生理的嫌悪を催すには充分な見た目でしょう。
海魔から敵視が飛んできました。
桜ちゃんは素早く手に持つ魔道書を翻し、『召喚獣』を喚び出します。
黄色く発光する岩の様な召喚獣が、桜ちゃんのそばに飛び出しました。まるで岩神の様な壮健さです。
それもそのはず、この召喚獣の正体は『岩神タイタン』の
諸々の事情があって最近使い物になってなかったタイタン・エギですが、“女の子”の情報によると近々改善されるそうです。タイタン・エギは耐久力が高いので、今回みたいなおとり役のいない状況では、非常に有効な存在でしょう。
タイタン・エギが海魔に殴りかかります。
桜ちゃんの認識では大した威力では無いはずですが、物の見事に海魔は一撃で粉砕されました。案外、脆いのかもしれません。
「油断するな! まだまだ来るぞ!!」
ハサンさんがそう叫ぶと同時に、おびただしい数の海魔が上から降ってきました。なるほど、質より量という事なのでしょう。
さながら夜空に流れる一億の星、といった感じです。ヒトデだけに。ロマンチックさは欠片もありませんが。
「クソッ! ただの誘拐犯じゃ無かったのか!?」
悪態を付きながらハサンさんは戦闘体勢を取ります。
二対多──数の上ではこちらが圧倒的に不利な状況。加えてどうやらアレは死体からでも復活するようです。更に、陰気なこの環境は海魔たちに有利に働きそうで──ドッゴーン!!
「……は?」
爆音と共に発生した光の柱に、ハサンさんの思考は停止しました。
立ち上る青白い光。桜ちゃんの背後に見えるドラゴンの影。あれだけ大量にいた海魔たちが、原形すら残さずにみんな消し炭になっています。どうやら、あそこまで徹底的にヤられると、再生すら不可能なようです。
「どうしたの? 早く行こう?」
壮絶な光景を作り出したというのに、なんでもないように言う桜ちゃん。
それを見たハサンさんは戦慄します。そして心底思いました。敵に回さなくて本当に良かったなぁ、と……。
桜ちゃんたちの快進撃は、物凄い勢いで進んで行きました。
実際はハサンさんはほとんど何もしていないので、実質桜ちゃん一人の功績なのですが、はたしてハサンさんの存在意義とは。
陰気な環境での病気魔法のばらまきに、囮となるタイタン・エギの活躍、ときおり背後に現れる竜神の影に、まんま召喚された竜神の破滅的なブレスには、海魔程度では手も足も出ません。まさにワンサイドゲームです。
ハサンさんは海魔たちに同情しました。下手すりゃあの攻撃に自分も晒されていたかもしれないので、無理もないでしょう。本当に味方で良かったぁ……。
奥に進むにつれて、巨大な海魔も出現し始めましたがもはや焼け石に水です。彼らは治しようもない病魔に侵されて死ぬか、光の柱になって死ぬかの二択でした。
そんな調子で順調に進んでいた桜ちゃんたちですが、ついには大きな広間へと辿り着きます。
「これは、貯水槽か何かの様だな……なるほど、これは隠れるにはうってつけの場所だ」
ハサンさんがそう呟きます。
広間はとても広いうえに照明は全くなく、当然ですが人気も全然ありません。それなのに陰気で陰湿な、血と外道の匂いがプンプンします。
この広間が誘拐犯の潜伏場所でまちがいないでしょう。
「二手に別れよう。これだけ広いと探すのも手間だ。私は右側を探す。桜は左を行け」
「分かりました」
真っ暗な暗闇の中をハサンさんは持ち前の暗殺者の技能で、桜ちゃんは“女の子”の謎パワーで捜索していきます。
広間に海魔の姿は無いようです。代わりに邪悪な気配が辺りに漂っています。
油断は出来ません。慎重に慎重に、気配を消して犯人を追い詰めていきます。そして──
「見つけた……」
遂に桜ちゃんは見つけました。
しかし、誘拐犯ではありません。
子供です。沢山の子供がいました。
ぐったりとして動く気配はありません。息は……桜ちゃんはそっと子供たちの様子を伺います。……良かった、ただ眠らされているだけの様です。
ほっと安堵の息を付くのも束の間、今度は桜ちゃんの知覚範囲が邪悪な気配を感知しました。
溢れる憤怒を隠そうともせず、這い寄るように桜ちゃんに迫ってきます。
この気配には身に覚えがあります。
あのお家で見た、気持ち悪い魚の様な顔の殺人犯の気配です。
ようやく……ようやく犯人を見付けました。
桜ちゃんが魔道書を構えます。
邪悪な気配がドンドン濃厚になり、その遂にその姿を現しました。
「我らが醜悪なる秘義を邪魔立てする匹夫めは、貴様かァアアア!!」
狂乱の叫びに合わせて、再び海魔たちが溢れてきます。
殺人犯への返事の代わりに桜ちゃんは、ソイツらにタイタン・エギをけしかけてやりました。
殺人犯と桜ちゃんの戦いは一進一退の拮抗した戦いになりました。
殺人犯──頭上のネームによれば名前は『ジル・ド・レェ』──は、キャスターとしては桜ちゃんに数段見劣りするレベルの存在でしたが、生憎な事に戦場がジルさんに有利であったのです。
桜ちゃんは背後で眠る子供たちを守らなくてはなりません。
そのために、タイタン・エギと大部分の範囲魔法を、子供たちを狙う海魔に当てなくてはならず、ジルさんにまで手を回せないのです。
それに加えて海魔たちは際限無く増えていくようで、倒しても倒してもキリがありません。排水溝にいた海魔とは比べ物にならないくらいの再生力です。
なんとか状況を打開しなくてはなりません。方法はあります。
“女の子”の長年の経験と知識から桜ちゃんは、ジルさんの力の根源を既に見破っていました。
海魔を召喚し、操っているのは、ジルさんが持っているあの禍々しい魔道書です。
あれを破壊すれば全てが解決するでしょう。その証拠に『
ですが方法が判ったところで手段がありませんでした。
ジルさんは安全を見越してか、桜ちゃんの射程外に悠々と佇み、近づこうとはしてきません。
桜ちゃんが接近しようにも、海魔たちが邪魔をして上手くいきませんでした。
ムムム、これは手詰まりです。
海魔たちは数が多いばかりで問題ありませんが、これでは千日手です。負ける気はしませんが、勝てる気もしません。
ハサンさんを呼ぶべきでしょうか? そもそもあの暗殺者は何をして──打開策を模索している桜ちゃんの脳裏に“声”が聞こえてきました。
『キャスターはライダーに弱い!
キャスターはライダーに弱い!
キャスターはライダーに弱い!
キャスターはライダーに弱い!!』
桜ちゃんは戸惑います。
必死そうで気持ちは分かりますが、生憎“女の子”の中には騎乗兵の
ただの太った鳥から原初の竜、古代文明の失われた兵器から最新鋭の魔導兵器まで、どんなものでも女の子は乗りこなす事が出来ますが、ほとんどが移動用で戦闘用ではありませんでした。
『キャスターはライダーに弱い!
キャスターはライダーに弱い!』
それでも“声”はガンガンと桜ちゃんに訴えてきます。ええい、うるさいです。
『キャスターはライダーに弱い!
キャスターはライダーに弱い!』
戦闘をこなしながらこの声は、クラクラして目眩がしてきます。集中できません。まるでマザークリスタルのお告げのようです……。
アドバイスしたいのでしょうが、正直言って邪魔にしかなっていません。
『キャスターはライダーに……だから、騎乗兵器なんて持ってな──ジャカジャカジャーン!!
突然、桜ちゃんの脳内に“声”とは全く別の所から、まるで戦隊ものの様なスチームパンクっぽい陽気な音楽が流れてきました。
パシッ、カチッ、クルクル、グーン、ヒュー、ドカン、ブーン!
無数の歯車が、地上の者どもに破滅を告げる!
あまりの唐突さに流石に桜ちゃんの動きが止まりました。
それでも音楽は続きます。ズンチャカ、ズンチャカ。
パキッ、ズンッ、パチパチ、バーン、ビィー、バカン、ズーン!
嗚呼、間もなく火花が散り、深紅の輝きが爆ぜる!
「動きを止めるとは何と愚かなッ!! さぁ! 醜悪なる者たちよ、彼女を贄とするのです!!」
ジルさんが叫びました。
不愉快な奴らの、足を止めろ!
海魔たちが桜ちゃんに迫ります。
信管を外してポンッ! 骨抜いてブチッ! 気圧下げて……
雪崩の如く殺到する海魔たち。
不愉快な奴らとは、取引拒否だ!
醜悪な肢体を舐めつかせて、桜ちゃんを蹂躙していきます。
だが、遅い、もう遅い、本当に遅い!
海魔に埋もれながら桜ちゃんは、音楽に合わせて叫びました!
「ブルートジャスティス・トランスモード!!!!」
本当だったら俺の魔導リーパーが大活躍するはずだったのに、どうしてこうなったんだ? ガーロンドォ?
ああ、何もかんもPLLが悪い……