或いはこんな織斑一夏   作:鱧ノ丈

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 前回のあとがきで「次で修行編は終わり」と言ったな。あれは嘘だ。
騙して悪いが、予想外に延びそうなんでな。もう一話続く予定だ。
……有言実行できない作者でゴメンナサイ。

 というわけで修行編のクライマックス前半とでも言いましょうか。
前二回がネタに走りまくってふざけ過ぎも良いところだったので今回は終始真面目にやってみました。


第五十一話:夏休み小話集11 修行5

「夏休み修行編 final ~選んだ道は~」

 

 今より時を遡ること昔、間違いなく後世においても歴史的一大事と語れるだろうことは間違いなしとされるISの登場よりも更に十年以上は遡っての時だ。

東京郊外に居を構える夫婦に長男が誕生した。夫婦の家は巨大企業の創始者一族などというわけでもないため、世間一般での知名度こそ薄いものの官僚社会などの国家の実務に携わる業界では重要なポストに就く者を何人も輩出し、時には政界に馳せ参ずる者もいる間違いなく名家と言って良い家格だ。

そんな家に生まれ、ましてや父は若くして出世街道まっしぐらの花形エリートの典型とも言うべき人物であったため、生まれた長男もさぞやという水面下での期待が多々あったのは必然というべきだっただろう。

 

しかし、そんな周囲の期待とは裏腹に成長していき少年と呼べる年頃になった少年が見せた能力は決して突出したものではなかった。

まるで無能というわけではない。むしろ大多数と比較すれば十分に良いと言える方だ。怪我や疾病とは無縁、気性も落ち着いたものであり学業も突出しているというわけでは無いが十分良しと言える。しかし少年を見る大人、特に警察官僚という道を選び破格のスピードで昇進、大役を歴任していく彼の父と比べればどうにも見劣ってしまう。それが多くの、特に件の父に取り入ろうとするような者が大多数を占める者達の意見だった。

 そんな少年に人生の転換期が訪れたのは齢を十と少し過ぎた頃だ。健康に過ぎると言っても良いようなくらいに身体的に恵まれて育った少年は、そういう体である故の必然かスポーツなども精力的に行ったが、特に心を惹かれたのが数々の武道だった。

己の五体全てを駆使して、総身に刻みこんだ技で以って相手とぶつかり合い勝利を奪い争う。高度情報化が減速することなく一分一秒の間に進み続け、むしろ頭脳や策謀を競い合うことの多い現代社会においてその逆を地で行くような、人間の、生物のある種プリミティブな姿を進歩と共にぶつけ合う武術というものは少年の魂を一気に奪って行った。そんな少年に父はごく自然な流れで武道を始めれば良いと進め、少年は特に心惹かれた剣の道を志した。

少年の父親は時に"冷徹な機械"とも揶揄されることがあるほどに職務に対して実直に取り組み、その上で常に高い成果を上げてきた。詩情はまるで挟まず、守るべき者は守り助けるべき者は助ける。そして処すべき者は処す。相手が誰であろうと、それこそ学生時代の同期であったり昇進前の上司であろうと関係ない。常に眼前の仕事というものに対して速やかに最善手で処理を行ってきた。そのような人物だからさぞクソ頑固で厳格なのだろうと、おそらく少年の父をまるで知らない者であっても話を聞けばそう思うだろう職務における振る舞いをしている父だが、息子である少年に言わせれば一概にそうでもないというのが事実である。

 厳格、それについては否定はしないと少年は頷くだろう。だが超ド級のクソ頑固なのか、これについてはむしろ否と答える。

確かに厳格だ。求める結果も決して温いものではない。だが無理が過ぎたりするものや何が何でもと強要したりするようなことはしない。勿論、結果を出せば更なる向上を促しもするが、それもやはり無理は言わない。

言い換えれば結果主義者と言えてしまうのだろうが、相応の結果を出しているのであれば大抵のことは容認する、早い話が娯楽に興じようが特段咎めたりしない思考の柔軟性も持ち合わせている。

そして何より、あるいはこれこそが父が息子に与える愛情の表れなのだろう。少年が自らの意思で何かを為そうと思えば、それに最大の成果を出せるようできる助力はきっちり行う。そしてそれは少年が剣の道を志した時にも行われ、それこそが少年にとって人生を大きく動かすものとなった。

 

 キャリアを積み重ねていく過程で少年の父は多くの人物とコネクションを持っていた。

それは少年の父と同じ官僚の世界のみならず政財界を始めとして、学術や芸術など多岐にわたる分野に及んだ。少年が父に弟子入りを勧められた古流の剣術家もそんな父のコネクションの一部だった。

かくして少年は順調且つ健やかだった学生生活の傍らで剣術家としての道を歩み始めたのだが、それは剣から離れた学生生活とは程遠い域にあった。順調、健やか、そう言えるものでは無かったのか? むしろその真逆。順調という言葉すら過小に過ぎるほどに早い成長、そして天才、鬼才、神童、そんな表現すら生温い才覚の発露だった。

 かつて少年を父と比して才で及ばずと評した者たちは、ある意味では正鵠を突いていた。確かに、少年の父が歩んできた道、あるいは活躍をしてきた分野で見れば少年は父には及ばない。仮定として少年が父と同じ道を歩もうとしたとして、学歴という点に関しては一見すれば同等と言えるだろう。しかし、最高学府の域まで行けばその内部での序列では父には及ばないだろうし、更に先の官僚ともなればまず間違いなく父ほどにはなれない。これは何よりも少年自身が物心ついてから否定のしようもないと自認していることだ。

だがそれは少年が才に恵まれていないとイコールなのか? そうではない。仮に人一人が生まれ持つ才というものに総量が存在し、それが様々な分野に振り分けられているとしよう。結論だけを言って、少年の持つ才の総量は父ですら足元に及ばないほどに圧倒的なものだった。そしてその多くは"武"という存在に偏っていた。ただそれだけのことだったのだ。

これを知った時、少年の剣の師である翁は思わず言葉を失った。少年が弟子となってからやや時を置いてから弟子に、つまりは少年の妹弟子となった翁の孫娘、その幼少期に彼は内に秘める莫大な才覚を見て取り、当代でこれほどの才の持ち主はいないと思ったのに、それをあっさりと大きく上回る才の持ち主が現れたのだから。

そして少年は凄まじい速さで成長を遂げていく。一を聞いて十を知るどころではない、まるでそうなるのが当然、既定路線であるかのような、人生も円熟に達し並大抵のことでは動じない翁ですら内心で戦慄を感じずにはいられないほどのものだった。そうして年月が過ぎ、少年から青年となった彼は師から免許皆伝と共にこう言われた。「この先、お前の人生でお前より強い武人はいない。精々が、同格が片手で数える程度いるかどうかだろう」と。

 そして再び年月は経ち、老齢の師が世を去り流派の正当継承者となった彼――海堂宗一郎はかつて師より免許皆伝を授けられてよりおよそ十年の歳月が過ぎた今、自身も弟子を抱える師匠という身分になり、その生涯でも間違いなく重要と言える事柄を決めようとしていた。

 

 夜、宗一郎は広い庭の中央に佇み月を見上げていた。これからどこに出かける用事があるわけでもない、にも関わらず宗一郎はスーツに身を包んでいた。一般的なビジネススーツとは違う、特別に仕立てた彼にとっての仕事用であり、同時に特に心身の引き締まる戦装束の一つでもあった。そしてその手には鞘に収められた刀が二振り、握られている。

 

「師匠、来ました」

 

 母屋の方からやってきたのは胴着に身を包んだ一夏だ。胴着そのものは普段の稽古で着用しているものと変わらない。だがその身に纏う気配はいつも以上に引き締まっている。

一番気合の入る、ついでに動きやすい恰好で外に来い。何となく口数も少ない一日を過ごし、夕食を食べることもなくただ沈黙が大半を占める中で唐突に師より言われた言葉に従ったまで。しかし、言葉を掛けられた時の雰囲気から一夏は何かを感じ取り、それが自然と彼の気をいつも以上に引き締めていた。

 

「変わらんな、月は」

「え?」

 

 隣に立つ弟子を見ないままに宗一郎は語り掛ける。

 

「お前を弟子に迎え入れてもう五年だ。あの時も、夜はこんな風に月が顔を覗かせていた」

「まぁ、満ち欠けを繰り返しているだけですからね」

「お前を弟子にしたのは、篠ノ之の親父殿の頼みだったが、その後どうしている? あれ以来、殆ど連絡が取れていないのでな」

「まぁ、知ってることでしょうけど柳韻先生ンとこの家はちょっと複雑な事情持ちですから。オレも、正確に言えば姉さんですけど。そうですね、オレが師匠に弟子入りしてからか。どんどんコンタクトが取れなくなって言って、今じゃ音信不通状態ですよ。姉さんはどうだか知らないけど、多分同じじゃないですかね」

「そうか。いや、俺も学生時代には剣のことで少々世話になったからな」

「そうだったんですか?」

「あぁ。お前も分かっちゃいるとは思うが、うちの流派は俺やお前くらいしか使い手のいない超ド級の零細流派だ。それは俺が俺の師匠に学んでいた頃も変わらん。篠ノ之の親父殿には、その頃の俺が他流派のやつと交流試合をするのに何かと助けて貰ったというわけだ。その頃には、まさかその教え子の一人を弟子にするとは夢にも思わなかったがな」

「人の縁って本当に不思議ですよねぇ……」

 

 そのまま二人の間にしばし沈黙が流れる。おそらくこれが話の本題というわけではないだろう。だが、話を急くようなことを一夏はしない。本当に大事なことなら師はちゃんと話すだろう。だったらそれまで付き合えばいいだけのことだ。

 

「さっきも言ったが、月は何も変わってはいない。遥か以前から、何もな。だが、人は変わる。俺も、そして一夏。お前もだ」

「そうっすね。えぇ、昔とはだいぶ変わったと思いますよ」

「だが、変化が必ずしも当人にとって良いものとなるとは限らない。あるいは、明確にそうではなくとも、変わらないままの方が良かったのかもしれないと、変わったことは間違いなのかと、あるいはもっと別の変わり方もあったのではと悩むこともあるだろう。俺も、これでも人の子だ死んだ俺の師匠は俺のことを閻魔が鬼を人の姿にして人界に放り込んだなどと失敬極まりないことを言っていたがな」

「はぁ……」

 

 生返事を返すものの、一夏もその宗一郎の師匠という人物が言ったという言葉は存外間違っていないのではと内心ちょっと同意してしまうのだが、言うとろくなことにならなそうだから敢えて黙っておくことにした。

 

「故に、俺も時には人並みに悩むことだってある。あぁそうだ。自分のことを棚上げして、弟子にはそうならぬようにと考えていると自覚したりした時にはな」

「師匠……」

 

 心なしか宗一郎の言葉には僅かだが憤りのようなものが含まれていた。だがそれは一夏に向けられてのものでもなければ、この場には居ない別人へのものでもない。宗一郎、その本人に向けられてのものだった。

 

「これだけは断言できる。一夏、俺はお前という人間にとって間違いなく大きな変化を齎した要因だ。俺の存在が、お前に力を持つという変化を与えた」

「そりゃまぁ、オレの師匠なわけですからねぇ」

「そうだな。だが、ふと俺は自分自身でこんな仮定をしてみた。もしも、お前が俺の弟子にならなければお前はどうなっていたかとな」

「師匠?」

「あるいは、三年前のようなことにもならなかったかもしれん、ともな」

「師匠!」

 

 相手は師だ。だが関係ない。例え師であっても、一夏は声を荒げずにはいられなかった。

 

「勘違いするな。俺は三年前、お前がお前を捕えようとした五人を殺めたことを責めるつもりはない。だが、それは間違いなくお前の人生、その行き先を決めるお前自身の心にある種の楔を打ち込んだだろう。そしてお前がそうしてしまった要因は、まぎれも無く俺の存在だ。俺がお前に技を授けたからこそ、お前はあの選択を選ぶことができてしまい、そして選んでしまった。だからこそ、俺はお前の師としてこれだけは言っておかなければならない」

 

 そこで宗一郎はようやく一夏の方を向く。首を動かしてではなく体ごと向きを変えて。まっすぐに一夏の目を見つめる。

 

 

「すまなかった」

 

 

 予想だしなかった師の詫びの言葉に一夏の目が見開かれる。だが程なくして元の表情に戻ると師の言葉の続きを待つ。

 

「あるいは、お前がただ千冬の助けを待つだけしかできなかったのなら、お前はもっとマシな暮らしをできていたのかもしれんな」

「どう、ですかね。どっちにしろ、姉さんにも重荷を背負わせちまったのは変わらない。どっちにしろ、オレはそのことを悔やんでいたでしょうし、もしかしたらもっと無様にもがいていたかもしれません。大して何ができるってわけでもないのに大口叩いて粋がったりして……。あぁでも、強がりは今もそう変わんないですかね。それに、もしもそのままでISなんて動かしてたら、きっともう酷いくらいにとんだザマになってたと思いますよ。だから、オレは師匠に剣を、武を学んだことは間違いなくオレにとって良かったと思えてます」

「そうか……」

 

 一夏の言葉は嘘偽りの無い本心だ。やはり、弟子に直にそう言われたことは宗一郎にも効いたのだろう。その表情が幾分か柔らかくなる。

 

「そう、ISだ。それは、あるいは三年前のことを帳消しにするほどにお前の人生に強く影響するものになっている。だからこそだ、一夏。今一度、選び直すことができる」

「それは、どういう……」

「お前には俺の全てを伝えると言った。だがそれはあくまで俺の意思。俺が一つの武門の人間として、有り体に言えば欲だよ。自分が培ってきたものを後進に伝えたいという、義務だ何だと飾った独りよがりに過ぎん。だが一夏、お前の意思はまた別だ。俺の意思をお前が受けるか否か。お前が望むならば俺は教えよう。だが望まぬならばそれでも良し、教えをここまでとしても一向に構わん」

「なっ……!?」

 

 それはきっと今まで師に言われた言葉の中で最も衝撃的だったかもしれない。だが、そこで一夏の理性の一端がふと思考を開始する。

何故そんなことをわざわざ言うのか。つまりは自分がこれから先を選ぶかどうかというだけの話。少なくとも今後も学び続けるつもりだ。きっと師匠もそんなことは百も承知だろう。だが、それでも敢えて選択肢を与えてきた。それは、そうするだけの理由があるということだ。

 

「オレがこれから先を望むと望まない、そしてその更に先。それぞれは違うってことですね」

「あぁ」

「それは、具体的はどういう?」

「……あくまでビジョンの一つだ。だが、そうなる可能性が高いとも考えているがな。世界初の男性IS適格者、その肩書は否応なしにお前の将来の方向性を狭めにかかるだろう。どうせお前自身も乗り気なのだろうから、いずれはIS乗りの一端となる。そうだろう?」

 

 宗一郎の確認に一夏は黙って頷く。

 

「この選択は、そうなった時にどうなるかだ。そうだな、先に俺とのこの先を選ばなかった方だ。あぁ、別に俺とお前の縁が切れるわけじゃない。その気があれば剣の相手も付き合ってやるし、お前が俺を師と思い続けても構わん。ただ、もう何も教えることがないだけだ。

だがそうなった時、いずれお前の人生において重要な要素となるIS乗りという点においてお前は、少なくとも他多数と比べて優秀と言われるくらいにはなるだろうさ。だが、そこまでだ。少なくとも一線にいた頃の千冬に追いつけるかどうか、そこでお前は止まるだろう。

だが仮に今後も続けるというならば、断言してやる。一夏、お前を俺と同じ領域まで連れて行ってやる。武の極み、もはや余人とは比べることすら叶わない真の達人の領域、人を超えた超人の域までな。そうなった時、お前は千冬をも超えられるだろう。ましてやIS、ただでさえ属する者が限られるあの世界ならば猶更、並ぶ者無き真の頂点に至ることすら夢ではない」

「けど、それだけじゃあない」

 

 一夏の言葉に宗一郎はそうだと頷く。

 

「なぁ一夏。お前も曲がりなりにも学生だ。今の学び舎に、共に学び切磋琢磨する友も、ライバルも多くいるだろう。時としてそうした関係は長く続くものだ。仮に前者ならば、何も変わらない。お前や、その友やライバル達が世界に飛び立ったとしても、競い合い高めあう関係は何も変わることなく続くだろう。だがな、後者はそうはならないぞ」

 

 言われて一夏が思い出したのは他でもない実姉のことだ。"戦女神(ブリュンヒルデ)"、"世界最強のIS乗り"、彼女を讃える言葉は多くある。だがそれ故に彼女に近しくあろうとする者は殆ど居ない。

身近なところで言えば同じ学園に通う生徒ですら千冬を妄信的に信仰するような者は多くいるのだ。では調べる括りを世界に広げればどうなるか。同じようなものは本当の意味で千冬を理解しようとする者は限りなくゼロに等しい。きっとこの世で千冬を尤も理解しているのは自分、ギリギリ同等かどうかで千冬と互いに親友を自認しあう束くらいのものだろう。次点に来るとして、プライベートでの親交もある箒や鈴、弾や数馬、目の前に立つ師や副担任の真耶あたりだろうか。全く居ないわけではない。だが非常に少ないのも事実だ。そして普段の彼女を取り巻くのは、それら以外の理解のできていない者達だ。

 

「そう、千冬だ。ことISの業界では顕著だろう。あいつは強すぎた。故に、その世界においてある種の孤独に陥った。そして一夏、お前の場合ならばそれは千冬をも超える。この際だからはっきり言っておいておこう。お前が見据え行こうとする道、それはただでさえ着いてこれる者は少ない険しいものだ。その上で何者をも凌駕する力まで持てば、正真正銘お前は頂点ゆえの孤独に至るぞ。従う者、あるいはそれでも追おうとする者はいるだろう。だが、本当の意味で並び立てる者は居なくなる」

「……」

 

 宗一郎の言葉を一夏は黙って聞く。想像はできる。師が描いたビジョン、それが成就すれば……想像はできる。脳裏に浮かぶのは共にIS学園で学ぶ級友たちだ。専用機組みを始めとし、同じ一組に在籍する者達、同学年の別のクラスの者達、はたまた上級生、そしていずれ来るだろう下級生。知る者、知らない者、両方をひっくるめて考えの中に表れていく。

皆、良い仲間だと言える。だがそれ故に確信もできる。良い人物であるが故に、その殆どは一夏が見出した彼自身にとっての大義とは決して相容れることはないだろう。愚鈍な者は一人もいない。理屈の上では一定の理解を示す者はそれなりに居るだろうとは思う。だが納得し、賛同するかと言えばむしろノーだ。特に箒や鈴あたりは「ふざけんな」とどなり声を浴びせてくることは想像に難くない。思わず苦笑をしてしまいそうになるくらいだ。仮に同調してくれる者を挙げるとしたら、数馬くらいなものだろう。弾は、あえて肯定も否定もしない。ただいつも通りに自分と接し、時にはお節介でやり過ぎるなよとやんわり諌めてくるくらいだろうか。

千冬という身近な例を知っていて、そして彼女がそうした状況の只中にいる姿も見たことがあるだけに容易に想像はできてしまう。だが自分の場合はそれをも上回るだろう。

 

 だが――

 

「それでも、オレはこの先を望みます」

 

 今更ここで立ち止まるという選択肢は選べそうにも無かった。

自分で望んだこととはいえ、その果てにある誰にも理解を得られない心の孤独、本音を言えば怖いと思うところもある。だがそれ以上に、進み続けたその先を見たいという想いが強いのだ。

 

「腹は括ってるつもりですよ。オレは、オレがそうすべきだと、正しいと、そう思ったことを通したい。そのためにはオレ自身がもっと高みに行かなくちゃで、それには師匠。師匠の教えが絶対に必要です。それに師匠、オレは師匠を心底尊敬してるんだ。だから、師匠と同じところまで行きたい。勿論、門派の一員としての義務感だとかってのもあるけど、それ以上にオレがそうしたいんですよ」

「……そうか」

 

 あぁ全く、この弟子はつくづく自分に似ていると宗一郎は思わず天を仰ぎたくなるのを抑える。自分もそうだった。自分自身でも途轍もないと自負する速さで実力を付けて、妹弟子が身を置く世の闇というものに彼女よりも早く飛び込んだ。その時に父に問われたのだ。それで良いのかと。

怒鳴りつけて否定もしなかった。父はそういう人間だからだ。何かを為そうとする時、まずその当人の意思こそを重んじる。その上で成果を求める。

 かつての自分のそうだった。背を見てばかりだった父との数少ない面と向かい合った場面の一つ、若気の至りもあったが自分はその問いに応と頷いたのだ。自分にできるからこそ為すべきことを為したいと。

 

「あぁ、一夏。お前の意思は分かった。どうやら、揺らぎも無いようだな」

 

 この弟子も、自分なりに世の中というものを見てその結論に思い至ったのだろう。理解は容易い。自分もまた似たような道のりをたどってきたのだから。そしてその意思が固い以上、もはや自分も考え込むことは不要だ。弟子の先行きのため、師としてできること、すべきことを為すだけだ。

 

「ならばその意思、刀でも示して見せろ」

 

 その時は、今この瞬間からだ。

 

 

 

 唐突に宗一郎は携えていた刀の一振りを一夏に放って渡す。驚きつつも難なく受け取った一夏はそれが普段の稽古でも使用している訓練用の刃引きをした模擬刀であると分かった。

 

「明日には戻るのだ。故に、これが今回の修行の最後となる。一合いだけだ、本気でぶつかって来い。俺もまた、本気で応えよう」

 

 直後、宗一郎の総身から膨大なまでの量、そして途轍もない密度を持った殺気が放出され、その全てが一夏に向けて叩きつけられる。

その衝撃に感覚が一瞬にして麻痺、機能停止を起こしたのか声も出ない、指ひとつ動かすことも叶わない。死を悟るとはこういうことを言うのか、ただただ事実のみが意識に伝わってくる。

弟子入りして五年、ようやく垣間見た師の本気は一夏の想像を遥かに超えるものだった。千冬が本気で激したとしてもこれには及ぶまい。もはや同じ人類なのかと疑うほどに、ただ凄まじいとしか言うことのできない気迫だ。

 

「力は加減してやる。でなければ模擬刀でも殺しかねん。が、それ以外は別だ。一切の容赦はないと思え」

 

 ありがたいのか、それともぶっちゃけ意味が無いのかいまいち分からない気遣いだ。何せこうして身が竦みかけているのだから。

 

「どうした。これで臆するならばお前の望む先へ行くことなど夢のまた夢で終わるぞ。お前が望む域、そこは時として世界すら相手取る領域だ。この俺一人に臆して世界に挑めなどするものか。今この瞬間は何も考えるな、ただ飛び越えろ。そうして降り立った場所こそがお前の望む道だ。例え世界に異端(イレギュラー)と見られようとも余人には及ばぬ絶対にして超越の域だ」

「っ!」

 

 師の言葉に目を醒めさせられたような気がする。そうだ、言われた通りだ。例え絶大な力を持っていようと相手は師という一人の人間。ただ一人の意思に耐え切れずして、この先世界に挑む時が来てその重圧に耐えきれるわけがない。

 

「……っはぁっ!!!」

 

 腹の底から気勢を上げ、一夏もまた総身に気を満ちさせる。それは彼を縛っていた圧力を吹き飛ばし、ようやく五体の制御を取り戻させた。

数歩下がり一夏は手にした刀を鞘より抜くと、鞘を静かに地に置いて八相の構えを取る。宗一郎もまた、半身になり切っ先を向けた刀を目線の高さまで上げて構える。

 

「いざ……」

 

 相手は初めて相手にする本気の師だ。そして打ち合うのはただ一合いのみ。ならば後に続く余力など残すことは不要だ。この一撃に培ってきた全てを、織斑一夏という存在の全てを込める。

全身を躍動させるような爆発的な気が、勢いはそのままに一夏の体より殆ど漏れずに収束されていく。爆発と収束という矛盾を強引に押し通した禁忌の業は、しかしその無茶に相応しい成果を上げて一時的に一夏のポテンシャルを一段階上まで引き上げる。

それは一夏の体だけに留まらない。手にした刀にも一夏の心、気は及び徐々に一体化の様相を呈していく。より深く極めた宗一郎から見ればまだまだ未熟、だが確かに形にはなっている剣の道の深奥を一夏はここに体現していた。

 

「参るっ!!」

「来いっ!!」

 

 一夏が掛けると同時に宗一郎も動き出し、二人の距離は一瞬にして互いに間合いを捉えるところまで縮まり、その頃には両者共に剣を奮いはじめていた。

 

(届かせる――――!!!)

 

 勝ち負けも一夏の思考から吹き飛ぶ。あるのはただ、全霊を込めた一撃を師に届かせるということだけ。結果など意識せずとも勝手についてくる。

力、速さ、技、根幹を為す全てにおいて一夏は宗一郎には及ばない。それでも届かせる。どうすれば良いのか。考えるより先にまるで湧き水のように自然と脳裏にイメージが浮かび上がる。それは機を突くという余りに単純過ぎるものだ。

交差の只中に、どこかに突くことで師に刃を届かせられる機が存在するかもしれない。そこを見つけ出す。できるかどうか分からない、確率があるとしても小数点以下にゼロが幾つも並んでようやく1が出てきた程度の確率かもしれない。だが、やるしかない。

 

 脳の内側が沸騰しているような錯覚さえ覚える。全神経をこの一瞬に集中させる。音は既に意識から遮断された。他の感覚も曖昧になり、遮断される。ついには視界すらも暗くなっていく有り様だ。だがそれに反して一夏の意識はより怜悧になっていく。そして内で刻まれる時が引き伸ばされていく。

分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、埃、渺、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、虚空、清浄、阿頼耶、阿摩羅、涅槃清浄、一夏の内で、その魂が時を無限に加速させて広がるのと同時に彼の知覚する時は一瞬にも満たない、言葉で表現することすら叶わない域へと収束されていく。この瞬間、一夏はおおよそ世界の誰と比較しても圧倒できる程に空間というものを支配していた。それは今の彼が余人では及びもつかない程に"時"をモノにしていることに由来する。

少し考えれば分かることだ。同じ時間の流れの中にいるとして、その中の一部を対象とする。その一部の時間をどれだけ詳細に認識できるかという差がどれだけの優位を示すかは想像に難くない。今の一夏は一秒すら彼にとってはそれ以上の長い時間と感じる状態にある。一瞬一瞬が勝負の武の競い合いにおいてそれがどれほど有利に働くか。彼が為した一瞬を意識の内でそれ以上に引き伸ばし留めるという時の戒めは、そのまま相手の動きすら認識の支配下に置く。

 もはや己すらも曖昧な原初の闇の中、極めて微細な一つの光が灯った。次の瞬間には全てが元通りになっていた。五感はいつも通りに機能し、周囲の音を、匂いを、温度を、景色を伝えてくる。意識の中で流れる時間の流れもいつも通りだ。

そして肝心の立ち合いはと言えば、既に終わっていた後だった。目の前にはただ夜の闇が広がるだけで、背後には師の気配がある。一体どのようにしてどうなったのか。本来であればすぐに気になるところだろう。だがそこまで意識を割くことはできなかった。視界が揺れた、それに気付いた時には既に一夏の体は地面に向けて倒れ始め、完全に落ち切るよりも先にその意識は失われていた。

 

 

 

 

 




 割とマジな話、ネタ話書いてる時より筆が進みました。
だって今回の更新分、昨日今日で一気に書き上げたものですし、既に修行編ラストカッコマジも書き始めてるくらいですから。いや、我ながらビックリ。
 ただまぁ、勢い任せが強い分だけ自分でも「いやぶっ飛び過ぎでしょコレ」なんてのもあったりなかったり……
多分この調子で行くとそのうちマジカル剣術やマジカル拳法が跳梁跋扈するようなことになるんじゃないのかなぁって思ったりしてます。それはそれで面白そうだから書きたいですけど。

 さて、今回のお話。え? 師匠とのバトル短いですって?
いや、なんかダラダラ長く書いてもそれはそれでなぁ~って思いまして。敢えてスパッと短く、そこに全力込めたぜ~って感じで書きました。
ちなみに一夏がやった技的なもの、三つくらい重ね掛けしたりしてます。元が何なのか、多分分かる人は分かる。あと師匠でも悩んだのは一夏のことだから。何だかんだで一夏にはかなり甘いのがあの師匠。

 さて、今回はここまでとなります。修行編の本当のラストになる次回は、多分作者が頑張れば早目にお送りできるかもです。
 感想、ご意見はいつでもウェルカム。最近、これまで投稿した話全てにサブタイを付けました。割とネタ寄りなのが多いですが、そちらに関してのご感想も大歓迎です。
 それでは、また次回に。













余談
修行終わっても一夏の夏は終わらない。
まだ胃を締め付け頭と資材を禿げあがらせる「【本土近海邀撃戦】 本土南西諸島近海」ラスダンが待ち受けている。
一夏<死に晒せクソッタレ空母BBA!!!

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