最強チートのヒトバシラ~チート無し!ハーレム無し!無双無し!あるのは地道な努力だけ!~   作:独郎

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はじめに

「努力」

 

富や名声、その他諸々……

この世で幸福と呼ばれる物を手に入れるためには多くの場合、努力が必要だ。

 

中には天才だとか強運というのもあるが、

どんな人間でも努力さえ報われれば基本的にそれなりの幸福が手に入る。

 

しかし努力が一切報われない、

体にも頭にも成功するための技術や方法が残らない。

いくら努力をしても何かに吸われるように消えて行く。

 

そんな人間が居たらどうなるのだろうか?

生憎、それが俺だ。

 

俺の名前は「大神 佐助」

どこにでもいるただの高校生……とはいかなかった人間だ。

 

まずは、俺の過去を話そうか。

始めに聞かないほうがいいと伝えておく。

以前このことを話した後はなぜか皆げんなりしていたんだ。

しかも長いんだこの話は、なにせ短くも俺の人生全てを語る訳だから。

 

よほど興味の無い限り、断ることをオススメする。

俺の二度目の人生の話から聞いた方がいい。

 

最初の人生は俺の中でもぶっちぎりでつまらないものだった。

そんな話でいいなら聞くといい。

 

 

俺は小さな頃から、

落ちこぼれが努力によって成長する王道少年漫画が大好きだった。

 

俺は秀でた才能はなかったが、

努力をすればこんなにも凄い存在になれるのだと期待していた。

 

しかし、俺の現実は創作物なんて比較にならないほど

成功とはかけ離れていた。

 

小学生の頃はまだ問題なかった。

この頃はただ物覚えが悪いだけだと思えて幸せだった、

未来に不安なんてなかった。

 

友達も100人とは行かないまでも広く浅くといった感じに付き合いを持っていた。

 

学力だってなんとかついていけるレベルだった。

テストがあったってその場しのぎの勉強で切り抜けられた。

運動は特別得意ではなかったが体を動かすのは楽しかった。

 

高学年ともなれば多少は成績が悪いのが目につくようになったが、

親はそれほど心配していなかった。

 

義務教育六年が終わり、俺は意気揚々と未来に歩き出した。

 

中学校に上がった、初っぱなから選択肢を誤った。

俺はその時ハマっていたスポーツ漫画に触発されてバスケ部に入った。

 

スポーツ初心者の主人公が廃部寸前の弱小運動部に入り、

仲間と共に全国大会出場を目指すというありがちな汗と涙の青春スポーツ漫画だ。

 

体験入部で見せられた練習風景はその漫画そのものだった。

 

しかし、実際に入ってみると俺の描いていた幻想は実現しなかった。

練習が厳しい、コーチが怖い、そんなものならまだ良かった。

もっと違う理由だ。

 

スポーツというものは上達するとある程度の技術が身につくものだが、

そこで俺の「呪い」が問題になった。

 

俺はいつまでたっても全く技術が向上しなかった。

 

勿論、努力を怠っていた訳じゃない。

他のどの部員より早く来てどの部員よりも長く残って練習した。

それでも足りない所はコーチに頼み直接指導してもらうことで改善に努めた。

 

思えばこの頃から俺はようやく自分の異常さに気付き始めた。

 

ただ忘れるのとは違う、

思い出そうとしても気味の悪い違和感だけが込み上げてくる。

 

どんな努力をしたか自体はなんとなく思い出せるものの、

明らかに体に努力の記憶が刻まれていない。

 

俺がミスを繰り返すと練習が中断される、

酷いときにはチームメイト全員が連帯責任を取らされた。

 

俺のせいで練習が中断させられるとそれだけ効率が悪くなった。

 

疲れだけならまだしも他人に迷惑を掛けているという事実が、

ちっぽけな正義感と責任感が芽生え始めた

中学生になりたての俺の心を罪悪感で征服した。

 

最初の頃は先輩も同級生も

「お前はきっと上手くなれる!諦めんな!」とか

「迷惑なんかじゃないから気にすんな!チームだろ?」

 

なんて言ってくれていたが、

半年もすれば俺が成長しないことに気付いたらしく無言になった。

 

コーチにも見切りをつけられ、

チームメイトの無言は次第に悪態と舌打ちに変わっていった。

 

部活に入って一年が経ったある日、それがついに「イジメ」に発展した。

 

遅すぎるくらいだった、よく一年も我慢してくれたものだ。

 

最初は靴を隠される、金品をたかられるといった典型的なもの。

 

俺があまり苦しんでいないのに気づくと、

イジメは練習中に行われる嫌がらせに変わった。

 

ミスすれば顔面にボールが当たるようなパスをする。

 

俺が最高のパフォーマンスを発揮しても、

ギリギリ対応出来ない位置にボールを投げる。

 

それを取りこぼす度にバランスを崩して転倒したり、突き指や痣も増えた。

 

決して対応が難しいという訳でもないボール、

しかしそれは「バスケ経験者」であればの話。

 

つまりこの部活の中で一人だけバスケの経験が残っていない俺だけに脅威となる。

とても考えられたイジメだ。

 

周囲から見れば高度な練習に初心者が混ざっているように見えるだけ、

イジメのようには見えない。

俺がミスするのはそれほどに自然な光景だった。

 

その練習に明確な悪意を感じ取った俺は、

ようやく自分が必要とされていないことに気付いた。

 

俺がいたらいつまでたってもチームが成長しない、

純粋にバスケをしたい皆に申し訳ない。

 

俺は部活に行かなくなった。

 

 

 

イジメの理由が自分にある以上、誰にも相談しようとは思わなかった。

放課後になるとすぐに荷物をまとめ、誰にも気付かれないように帰宅する。

 

同じクラスにバスケ部員がいなかったのは好都合だった。

 

顧問には直接ではなく担任を通して連絡した。

「家の都合で早退するので部活には参加できない」と。

 

流石に毎回同じ理由では怪しまれもする。

俺はすぐに顧問に呼び出された。

 

顧問はいわゆる体育会系の熱血教師だった。

その指導は厳しく、彼の説教を部員たちは苦手としていた。

 

かつて彼に怒られるのが嫌で退部した奴もいるそうで、

生徒の間では伝説となっていた。

 

彼は俺が部活に来ないのが練習が辛いからだと勝手に勘違いし、

軟弱者だと非難した。

 

なぜか励ましてもくれたのだが。

 

残念ながら俺が問題としているのはそこじゃない。

 

部活に来なかったのは、

自分が下手で皆に迷惑を掛けるのが精神的に辛いからだと説明すると。

 

「一人は皆のために! 皆は一人のために! チームメイトに遠慮なんてするな、

 仲間同士フォローしあうのが当然だ。迷惑だなんて思っちゃいない!」

 

と言われた。いや、そりゃ最初はその精神だったろうさ。

皆は俺の成長の無さに呆れて迷惑に思ってるんだ。

そうじゃなきゃイジメなんかしない。

 

当然、イジメの事は話さなかった。

そもそも俺が悪いのだ、これ以上チームに迷惑はかけられなかった。

 

俺は早くバスケから離れたかった。

すぐに部活を辞めたいと相談したが顧問は猛反対してきた。

 

内申書に悪いというのは自己責任だから良いとしても、

俺が抜けた場合の部活の人数が問題だった。

 

当時は三年生が引退した直後で俺を含めても部員が二年生が五人、

一年生は一人しか居なかった。

 

新入部員が少ないのは恐らく俺の責任だ。

 

俺に対するイジメ練習が運悪く部活見学に来た一年生によって目撃され、

バスケ部はとても厳しい練習をしているという噂が

一年生の間で広まってしまった為、初心者が尻込みしてしまったのだ。

 

バスケは五人でやるスポーツだ。

俺が抜けると一応公式戦には出られるものの、

入ったばかりの一年生にいきなりスタメンを強いることになる。

 

少しでも練習すれば成長しない俺より遥かに役に立つだろうが、

五人だけでは出来ることに限界もある。

どうしても試合外で自由に動ける人間は必要だった。

 

早い話、俺にはもう雑用係としての価値しか無かった。

それならばと一応、マネージャーの勧誘なんかにも挑戦してみたが

戦果はゼロだった。

 

部活を辞めればもう迷惑はかからないと思ったら、部活を辞めても迷惑がかかる。

それが分かって部活を辞められなかった。

 

それから俺は呪いと正面から戦うことを決心した。

 

どちらにしても迷惑が掛かるのなら、なんとか解決出来そうな方がましだ。

 

部活に復帰すると二年生にはあからさまに嫌な顔をされた。

まあ、しょうがないな。

 

さすがに一年生が練習に馴れるまでは俺に対するイジメ練習は再開しなかった。

 

その間にどうにかして呪いの抜け穴はないかいろんなことを試し続けた。

始めに気付いたのは体の成長と呪いの関係だった。

 

俺の呪いは記憶に関係する、無くなるのは感覚だ。

 

努力して成功した過程の感覚が記憶と共に思い出せない。

 

なら体を鍛えるという努力は呪いに関係しないかもしれないと考えた。

実際、背なんかは縮んだりしていなかった。

 

毎日部活後に筋トレに力を入れた。

結果としては上々だった。

 

筋肉が完全に衰えるのが約三日と、常人と比べて異常に早かったものの、

毎日限界まで体を鍛えれば筋力を維持することができた。

 

高い筋力があれば、

ボールに反応するにしても今までより随分と楽になり、ミスも減った。

 

技術は相変わらず向上しなかったがこれが分かってからは部活が楽しかった。

 

ミスが減ったぶん練習もスムーズに進み、

一年生も練習に慣れてきてイジメも再開したが、

俺さえついていけていれば、その高度な練習はむしろチームのためになった。

 

身体への負担は増えたが罪悪感で精神が参ってしまうよりましだ。

 

しかし、ある日この方法に問題が発生した。

毎日限界まで体を鍛えていた俺は筋肉ダルマもいいところだった。

体脂肪率が危険な域まで低下し、免疫力が著しく低下した。

 

インフルエンザ、感染性胃腸炎、マイコプラズマ

とメジャーな感染症は一通り体験した。

 

中でも最も危険だったのが「結核」だ。

 

結核は空気感染する。

あらゆる病気に感染し、病院に通いづめだったために感染してしまったのだ。

 

本来であればワクチンで予防できるものだが、

その時の俺の免疫力は疲労も相まって皆無だった。

 

最初は風邪かと勘違いしたが二週間以上も不調が続いたため病院に行った所、

結核と診断された。

 

結核と言えば昔は不治の病として恐れられた病気らしい。

 

治るのか心配だったが医療技術の発達により、

薬を飲み続けることで治るようになっていた。

 

だが薬局に行くと尋常じゃない程の薬の山を渡された。

 

ちょっと目眩がした。

 

薬の副作用には悩まされた。

嘔吐、蕁麻疹、手足の痺れ、目眩、発熱、筋肉痛、下痢。

 

結核菌を殺すために作られた強力な薬なので当然副作用も強い。

 

「乳房の女性化」、「勃起困難」なんてのもあった。

 

笑えない冗談みたいだった。

 

心だって健康じゃなかった。

やっとチームが軌道に乗ったと思ったらまた途中で降ろされたのだ。

 

呪いを憎む心が闘病生活をしていく上での原動力になった。

 

言ってはいなかったのだが、

いつの間にか俺が結核の療養中であることがクラスに知れ渡り、

感染を恐れて誰も見舞いには来てくれなかった。

 

だが俺はむしろ安心した。

そもそも結核は見舞いに来ていい病気じゃ無いのだ。

 

誰かに感染させてしまっていたらそれこそ首を吊っていたかもしれない。

 

二ヶ月近く入院し、六ヶ月間薬を服用して治療した。

医師には再発防止のために免疫力を低下させないように厳重注意を受けた。

 

俺は幸運な方で半年間棒に振っただけで助かってしまった。

だが、これでもう体は鍛えられなくなった。

体脂肪率に気を付け、無理をしないレベルで再開しようとしたが、

やはり限界まで鍛えなければ衰えるスピードのほうが早かった。

 

部活に戻ると俺はまた邪魔者に戻っていた。

クラスでは厄介者を見るような視線を向けられた。

 

一方、俺のイジメに使われていた高度な練習は俺がいない間も続けられており、

その成果で他のチームメイトの実力は大幅に上がっていた。

 

中でも一年生は抜群のセンスを開花させ部内一の実力者になっていた。

俺が寝込んでる間にも周りは確実に成長している。

 

俺も体を鍛える方法がとれなくなった以上、別の方法を考えなくてはならない。

 

これまでの事から俺はあることが気になっていた。

 

俺の呪いが発動するのは努力した日の翌日ということだ。

今までも活動している時に突然努力の消失が起こった事はない。

 

一日中起きていれば、努力の消失の瞬間を体験することが出来るかもしれない。

 

思えば今まではどんなに突き詰めていても、

翌日のために睡眠だけは最低でも四時間は取っていた。

 

自分の知らないうちに何が起こっているのかが分かれば、

対策を立てられる可能性だってある。

 

早速、徹夜を実行した。学校生活に悪影響がないよう、連休の期間を選んだ。

翌日になると気分は最悪だったが、

朝の復習をしようとするとすぐに最高になった。

 

もともと呪いが発動する瞬間を体験するために始めたことだが、

思わぬ収穫があった。

 

一睡もしなければ呪いは発動しない。

 

ノートを読めば前日にやった授業の内容がハッキリと思い出され、

体を動かせば動きに昨日の練習の感覚が残っている。

 

素晴らしい成果だった。

やっと努力が報われて、やっと普通の人間になれた気がした。

 

これで呪いによって何が失われて、

何が残っているのかがおぼろげながら分かるようになった。

 

無くなるものはその日経験または学習した専門知識、

技術などとそれが成功したときの記憶。

 

努力をしても経験が蓄積されず、

成功を再現出来ないから結果に結び付かないのだ。

 

だが言葉は喋れるし、字も読める。

もっとも、字を読めるといっても自分の名前以外は書くことができないのだが。

 

一般教養のレベルは四則演算すらできないため、

毎朝小学校低学年レベルの学習の総復習を二時間ほどやっている。

 

基本的には誰でも出来ることと記憶、

無くなったら人として生きられないようなものは忘れないのだ。

 

あとはどうでもいい雑学や簡単な機械の使い方なんかも忘れないが、

なにかしら人の役に立つ仕事と人に認められたり、

評価される事柄においてだけ急に思い出せなくなる。

 

まるで鍵でもかかっているかのように、「成果」だけが出ない。

 

この呪いはどうも失うものと失わないもののラインが物凄く曖昧だ。

そして呪いのかからない例外も多い、この呪いの穴は俺でも思い付いた位だ。

 

ここでもうひとつ分かったのは、

呪いが発動するときは俺の意識がないときに限るということだ。

 

これは夜に寝なければ大丈夫だと思い、

調子にのって昼間の時間を睡眠に使う方法を考えた時と、

徹夜の影響で授業中に居眠りをした時に、

それまでの授業内容を全て忘れたことで気付いた。

 

まあ、この方法も完全じゃなかった。

 

それでも努力が失われない裏技を発見したのは大きかった。

分かった当初ははりきって徹夜した。

 

睡魔を疲労を栄養剤とカフェイン飲料によるドーピングで強引に押さえつけ、

一週間が経ったころ遂に過労でぶっ倒れて1日ほど入院した。

 

結核の時も思ったがやっぱり点滴は全身で味わう食べ物だ。

 

もしかしたらかなり好物かもしれない。

 

ヤバイな、違法薬物の勧誘には気を付けなくては…

一瞬で疲れがとれるなんて言われたら喜んで買ってしまいそうだ。

 

集中力が維持できて徹夜が続けられるのは最大でも四日が限界といった所だった。

それ以来この裏技は定期考査や試合前なんかにしかやらないことにした。

 

そうこうしているうちにも周りは着実に成長し、チームの実力は上がった。

俺が三年生になったころには県大会で優勝するレベルになっていた。

 

そうなると新入生もどんどん入って来て、

ついに部活内での俺の仕事は完全に無くなった。

 

ほどなくして俺は部活を引退、

当然ながら最後まで後輩にも好かれず先輩としても情けなかったと思う。

 

部活でそんな程度だったので、勉強なんてもっと酷かった。

俺の呪いにとって一番の難関となるのが勉強だった。

 

中学校生活初期、俺は部活に気を取られていて勉強を怠っていた。

 

小学校の時のテストの難易度は

直前の詰め込みでも十分に切り抜けられるものだったから、

完全に油断していた。

 

第一回定期考査で地獄を見た。

人生初の全教科オール一桁を取った。

保護者を呼ばれて校長室で説教を受け、親に初めて土下座した。

 

それからは授業を全力で受けた。

自分で言うのもなんだが授業態度だけは評価されるようになった。

 

それでも成果が上がっていないことが分かると、

教師達には哀れみの目で見られるようになった。

 

部活と平行して勉強にも力を入れなくてはならないのは

流石に疲れることだったが、精神的に辛くならないだけ部活の事より楽だった。

 

授業中は教師の言ったことをおおまかにノートにまとめて、

日記形式で授業内容を記録する作業と板書をとる作業を平行してやった。

 

それを家に帰ってから整理し直し、テスト当日までに最高のノートを作る。

 

そうすることで、当日に詰め込んでギリギリのラインを保っていた。

 

そんなことを部活への対処と同時にしなくてはならなかったために当然、

睡眠時間は削られた。

 

体には日に日にストレスがかかり、白髪や抜け毛、腹痛にも悩まされた。

 

徹夜の裏技を知ってからは少し点数は安定したものの、

体への負担が更に増えたため、テストの度にボロボロになった。

 

結核との闘病中も自分でやってはいたものの、

二ヶ月も学校に通わなかっためにその後のテストは散々だった。

 

だがその時ばかりは特別待遇をしてもらって、お咎め無しだった。

 

やれることを全てして、やっとのことで食らいついていたが、

それでも運命は邪魔をした。

 

どうやら俺は運命にも嫌われていたらしい。

 

高校入学前の大事な時期、受験シーズン真っ只中に行われる最後の定期考査前。

 

定期考査用のノート一式と受験対策ノートを紛失した。

 

しかも全教科。

 

俺は一気に青ざめた。

 

定期考査用のノートは一年、

ましてや受験対策用のノートは三年丸々使ってようやくまとめた、

 

言わば俺の努力の結晶とも言えるノートだったのだ。

 

勉強においてはそのノートが無ければ俺は無力だった。

 

あのノートはその内容を丸四日かけて徹夜で記憶すれば、

たとえ小学生だろうが選択問題の運込みで赤点回避が可能になる

俺の最高傑作だった。

 

そのノートが無くなったのだ。

 

俺は血眼になって丸四日寝ずに探し続けた。

 

何としてもノートを探さなくてはならなかった。

 

他のことは全てどうでもよくなっていた。

 

自分のことに精一杯でこれまでまともに友好関係も築いていなかったため、

ほとんど他人の協力は得られなかった。

 

定期考査まであと二週間となったところで我に帰り、

最後の足掻きをすることにした。

 

しかし、今回のテストの範囲だけでも最低三ヶ月分あった。

 

どう考えても時間は足らなかった。

 

 

 

人生で二度目の土下座をした。

 

 

テスト後に学年最底辺の奴が突然成績を上げて学年一位になったという噂が、

生徒の間で広まった。

 

今となってはどうでもいいことだが彼は手癖が悪く、

人のものをよく盗むことで有名だったそうだ。

 

ノート紛失による受験に対する不安で俺はその後、精神病になった。

 

この頃の俺はストレスと寝不足で髪はほぼ真っ白で、

成長期だというのに背だって一年に三センチ程しか伸びなかった。

 

しばらく学校も休んだ。

 

その精神病がきっかけで俺は取り返しのつかない事態を招いてしまったのだ。

 

三年生になった当時、俺に気になる女性がいた。

 

別に最初は恋愛感情があった訳じゃない、

初めは俺と同じように部活で苦労をしている者への

共感といったレベルの感情だった。

 

彼女は部活内で部長という立場でありながら皆をまとめられない

という苦悩を抱えていて、それを改善する為に努力していた。

 

その姿勢に感心し、それが段々と彼女自身への興味に変わっていった。

 

彼女は美術部の部長をやっていて、実はかなりの美人だった。

美少女ではなく美人、

中学生にして彼女にはそう思わせる大人びた魅力があった。

 

長い髪は腰まであり、夜の暗闇の中でも際立つほどの漆黒でとても美しく、

赤い眼鏡はその凛とした顔立ちにとても良く似合い、

その全てが美と調和していた。

 

美しさなんて人によって捉え方が変わると思うが、

俺は彼女の美しさに不思議な説得力を感じた。

 

しかし彼女自身は目立つのが好きではなくいつもマスクをしていたため、

ごく僅かな人にしか彼女の素顔は知られていなかった。

 

差別をしない性格で責任感が人一倍強く、頼まれごとを断れないタイプ。

彼女が部長にされたのはその性格から考えれば当然の結果だと言えるだろう。

 

そんな彼女が抱えていた問題は二つ。

一癖も二癖もある個性的な美術部員達に手を焼いているということと、

美術部自体に他の部からの偏見が向けられているということだ。

 

前者は彼女が部長として解決すべき問題であるためしょうがないことだが、

後者は完全に彼女の責任ではなく、

しかもそのことで部長である彼女が偏見を受けていたのが問題だった。

 

美術部に対して偏見の目を向けていたのは主に運動部の女子のグループだった。

自分達の部活の練習が苦しいことで生まれるストレスを

美術部をバカにすることで発散していたらしい。

 

彼女達の話を聞いていると、

まるで運動部が文化部より優れているような口ぶりだった。

 

「美術部は楽している」「真面目な活動なんてしちゃいない」

「運動部は毎日辛い練習をしているのに美術部は遊んでいる」 

「美術部は運動部の厳しさについてこれなかった負け犬が行き着く場所だ」

 

そんな会話が聞こえてきた。

 

初めはなにを言っているのかと呆れていたが、

実際に調べてみると根も葉もない噂ではなかった。

 

確かに

部自体の活動目的の曖昧さから噂通りの不真面目な部員は少なからずいたし、

部活が辛いという理由で運動部から転部する生徒は

美術部を選ぶケースが多かった。

 

彼女はその偏見を無くすようすぐに部活内容を改善しようとした。

 

規模の大きめなコンクールに部全体で定期的に参加させることで

不真面目な部員達に目的を与えた。

 

月に一回外に出て部内写生大会を行ったり、

部内コンクールを開催するなど、

部活の内容を至って具体的なものにすることで偏見を無くそうとした。

 

しかし、

一度植え付けられた固定概念をひっくり返すのは容易いことではなかった。

 

偏見を無くすどころか、

むしろ彼女が頑張っているのが気に食わない奴等が事態を悪化させた。

 

それから彼女は事あるごとに

運動部の女子らにちょっかいを出され陰口を叩かれた。

 

次第に面白がって運動部の男達も加わって

運動部全体が彼女を集中的に攻撃し始めた。

 

陰湿なイジメだった。彼女は集団の外へ隔離された。

 

それまで俺は陰から見守ろうとしてきたが、

このときから彼女に本格的に協力を申し出た。

 

協力を申し出た時、

彼女がとても安心した笑みを向けてくれた事を今でも覚えている。

 

その後俺は自分の事に加えて

彼女と美術部に対する偏見を取り除く為に動き出した。

 

無理を言って美術部の活動内容を生徒会発行の新聞に載せて貰ったり、

まだ偏見の薄い人たちを説得して回ったりもした。

 

そういった活動の甲斐もあってか、

一部の理解ある人間からの誤解は次第に溶けていった。

 

ある時、

最初にイジメを行った女子のグループが

彼女のマスクをバカにして外させようとした。

 

「どうせブスだから着けてるんでしょ?」 「カッコいいとでも思ってんの?」

 

そんな事を言った後、彼女から強引にマスクを取り上げた。

 

数秒後、クラスにどよめきが起こり、

その場にいた全員の視線が彼女に向けられた。

 

それもそのはず、

今まで異性の魅力などこれっぽっちも考える暇のなかった俺でさえ、

初めて見たときは彼女の美しさに丸一日中心を奪われてしまったのだ。

 

ましてや、

思春期真っ盛りである中学生男子達にとっては

少々刺激が強すぎるほどだった。

 

瞬く間に男子の間で噂が広がり、

男子によるイジメはその日を境にに無くなった。

 

代わりに彼女に最も近い俺を踏み台にするべく男共が近寄って来たり、

散々俺が妬まれるようになったが彼女の幸せを思えばどうでもいいことだった。

 

これに対して腹を立てたのが彼女をイジメていた女子グループである。

 

彼女らは恐らく彼女がブスであり

イジメがエスカレートすることを望んだのだろうが、

完全に思惑が外れてしまったのだ。

 

一部の女子はそれ以来彼女とは仲良くしてくれたが、

性格のひねくれた奴らのイジメはもっと酷くなった。

 

でも、彼女の回りには彼女を付け狙うとともに最高の盾となってくれる男共も、

少なからず彼女を理解する女友達もできていたので安心だと思っていた。

 

だがそれでも絶対に敵はいるのだ。

どんなに人より優れていようとも。どんなに多くの人に愛されようとも。

人がこの世に二人以上いる限りは、人から人への悪意は無くならない。

 

ある日、彼女から相談を受けた。

 

帰り道、誰かに付けられているらしい。

彼女の家は反対方向だったが彼女が心配になった俺はしばらくの間、

帰り道に付き添った。

 

俺が付き添っているときは例の視線も感じなかった。

 

やがてテスト間近になって俺のノートが無くなる事件が起こった。

テストの後、もう一度彼女から相談を受けたが、

精神的に参っていた俺は相談を受けることを断ってしまった。

 

「今の俺じゃ絶対に力になれない」

 

断言した。

 

それを聞いた彼女は黙ってその場を去った。

泣いていたようにも見えた。

 

今思えば、深刻な表情で俺の手を握ってきた彼女の手首には、

何かで切ったような傷痕がいくつもあった。

 

真っ先に俺を頼ってくれた彼女を俺は心ない言葉で突き放してしまった。

 

その翌日から俺は学校を休んだ。

 

俺が自分のしでかした事の重大さに気付いたのはそれから一ヵ月後の事だった。

俺は寝ぼけた状態でテレビの電源をつけて朝のニュースを見ていた。

 

ニュースの内容は帰宅途中の女子中学生が誘拐、監禁され、

複数の男に二週間に渡り酷い暴行を受けた後、惨殺されたというもので

犯行が行われたアパートの一室から覚醒剤などの違法薬物が検出されたことで

近年まれに見る凶悪事件として取り上げられていた。

 

初めはそんなことをするクズもいるんだなくらいの認識だったが、

ニュースの内容を聞いているとだんだんと奇妙な違和感を感じ始めた。

 

最近感じなかった努力が報われなくなる忌々しい呪いの感覚と、

他人事に感じられない、

まるでこの事件の一部を体験しているかのような感覚が心の中で混ざる。

 

被害者は数週間前からストーカーの被害にあっていたらしく、

今回の事件とも関連性があるという。

 

しかも事件が起きた場所はこの町だった。

 

この違和感の理由を俺は考えた。考えに考えてついにたどり着いた。

 

最悪の可能性に。

 

そしてその可能性を裏付けるようにテレビに映ったのは……

 

被害者という肩書きが付けられた。

 

彼女の

 

名前だった。

 

 

 


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