岸辺露伴は動かない [another episode]   作:東田

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another:16 《耽美》

 S市市街地の喧騒を抜けて走ること1時間。小高い丘の上に立つ一軒家に露伴を乗せた車は向かっていた。

 

「不便そうだな。市内には引っ越さないのか?」

 

 窓の外を流れる景色を眺めながら、助手席の露伴は尋ねた。ずっと遠方まで広がる田園の合間に民家がポツポツと並ぶ。コンビニや大型商業施設を見なくなってしばらくが経った。日常の買い物も一苦労だろう。

 

「家からの景色がいいんです。あれを見たらビルの隣に住みたいなんて気は起きません」

 

 運転をする男はそう答えた。織山繁定(しげさだ)。S市大学病院勤務の外科医だ。彼と露伴が出会ったのは“地獄門”遭遇直後のこと。()()()()()()()露伴が外傷と勘違いされて最初に運び込まれた先がこの繁定だった。

 この男、どうも積極的に露伴に絡んでくるきらいがあった。露伴が有名人だと知ってすり寄ってくる輩は多い。だから繁定が露伴を自宅に誘ってきたとき、露伴は考えるまでもなくそれを断った。打算的な連中とプライベートで付き合っても碌な事はない。しかし彼の家に手塚治虫の『新寶島(しんたからじま)』初版があると聞いて露伴の気は変わった。再版を含めても100冊も存在するかどうかの作品。初版ともなるとこれまでに確認されたものは3冊しかない。まさに伝説の作品だ。出す所に出せば数100万の値だって付く。漫画家として、いやそれ以上に日本人として、そんな驚くほど貴重なものを目にする機会を逃すわけにはいかなかった。

 そうして結局誘われるがまま、露伴は繁定の車に乗せられたのだった。

 

 丘に建つ、モダンな空気を匂わせる洋風建築の前に車は止まった。大した趣味だ。露伴は目を細めた。3階建ての大型な住宅だ。中世のヨーロッパ貴族の邸宅のようなプロトタイプを想起すれば、まさに目の前にあるような建物が浮かぶ。

 

“16個”

 

 横に連なる窓の数を露伴は数えた。正面だけで50個近い窓が存在する計算になる。玄関に横付けるように停められた車を降りると、繁定の案内で中に足を踏み入れた。その先の光景に、露伴は思わず息を飲んだ。

 ちょっと値の張るホテルのフロントに居るようだ。3階まで吹き抜けた天井、そこから吊された煌びやかな照明。正面に始まる階段は左右二手に分かれ、外向きに弧を描くようにして上階まで続いている。足下のカーペットは靴底が沈み込むほど柔らかく、しかも埃ひとつ見当たらない。

 

「凄いな。本当に貴族みたいだ」

 

「大したものではありませんよ。一部に手を加えてはいますが、もとは中古物件です」

 

 だがこれほどの空間を清潔に維持するのは並の労力ではない。そのことを尋ねると、繁定は驚くことを口にした。

 

「全て家内一人の仕事です」

 

「この広さをか?冗談じゃないぜ」

 

 相当な重労働なはずだ。妻はよほどの綺麗好きなのか。あるいはこの男の人使いが異様に荒いのか。

 

「素晴しい妻ですよ。家の家事を全部そつなくこなす」

 

 そんな露伴の思慮を知ってか知らずか、繁定はそう補足した。

 

「妻は――どこに居るんでしょうね。おい!お客様だぞ!」

 

 繁定が声を張り上げた。ほどなくして、2階から妻が姿を現した。二人の正面の階段を降りる彼女を見た露伴は口をあんぐりと開けた。

 

「紹介します。妻の春江です」

 

 露伴はまるで我を失った。

 

“美しい”

 

 露伴の思考をその感情が奪い取った。骨格、顔立ち、肌の色合い、髪質...彼女を構成する全てが完璧だった。“モナ・リザ”や“ダビデ像”といった、誰もが美しいと認める造形。彼女はそれらとも引けをとらなかった。整形をしたかのような非現実な違和感こそ合ったが、もはやそんなものはどうでもよかった。種や性別を超越した、全能的な“美”がそこにはあった。そのことに露伴の思考は一次機能を停止した。見た感じ年齢も若い。40代近い繁定とはどうしても釣り合いが取れていないように見えた。

 

 唖然とする露伴を見て満足げに頷いた後、繁定は彼を現実へと引き戻した。

 

「さ、岸辺さん。ディナーにしましょう。妻が用意してくれています」

 

 春江が深々と頭を下げた。その顔に表情が見えないことだけが、唯一露伴にひっかかりを覚えさせた。

 

 1階のダイニングに通されると、テーブルの上には既に三人分の食器が揃えられていた。繁定が露伴を上座に案内し、春江が料理を運んだ。メニューは至って家庭的だ。白米、味噌汁の他に揚げ物や野菜類などのおかずが数点。もっとも、そこに使われている材料は都内の上物料理店が試用するような高級なものばかりだと繁定は自慢げに露伴に説明した。

 

 しかし、それにしてはもったいない味をしていた。不味くはない。十分に箸は進むし、味が濃すぎたり薄すぎたりということもない。ただただ平凡なのだ。レシピ通り、材料の分量をきっちり量って作ったような、何一つ間違いや工夫のない“普通の味”。繁定はそれを美味い美味いと口に運ぶ。露伴から言わせれば食材を生かしきれていない微妙な評価なのだが。これが“愛の味”とでもいうやつだろうか。ご飯を美味しそうに食べる男は好かれると言うが、それが二人の結婚理由にあるのだろうか。繁定も顔立ちは決して悪くはないし、収入も安定しているだろう。だがそれでも釣り合わない感覚は拭えない。ちょっとばかし嫉妬心も抱いている露伴なのだが、彼がそんなくだらない感情を認めるはずもなかった。

 

 しかし一体何だろうか。露伴は春江の方に目を移した。笑顔の繁定とは対照的に、春江はやはり無表情だ。冷徹だとか無関心だとか、そういう類いのものではなかった。そもそも感情というものが読み取れないのだ。機械的で、どこまでも淡泊。精巧に作られた人型のロボットを見ているようで不気味だ。料理を取り口へ運び、咀嚼。そして飲み込む。日常的で普段気にも止めないその自然な動作も、彼女が行うとどこかおぞましささえ感じられた。

 

“彼女――何を考えている?”

 

 思考が読めない。というよりも、思考がないように見える。一体どんな人生を送ればあんな人間が出来上がるんだ?

 

「一段落着いたことですし。例の本、お見せしましょう。先生はここで。あまり褒められた管理状態でないことを自覚してましてね。現場をお見せするのは恥ずかしい」

 

 卓上の料理があらあた片付き三人の箸も止まった頃、繁定が席を立った。春江も食器を下げ始め、露伴は食後のコーヒーを片手に一人暇を持て余した。

 

「酷く失礼なことを尋ねるが」

 

 露伴はふと春江に声を掛けた。春江は露伴に一瞥もくれない。

 

「どういう成り行きだったんだ?言っちゃあ悪いが、あの男が君を手にするヴィジョンが見えない」

 

 玉の輿、というわけでもないだろう。医者とはいえ片田舎の無名医だ。春江ほどの容姿であればもっと好条件な男なんていくらでも捕まえられたはずだ。かといって、それを蹴ってこんな不便な土地での暮らしを愛しているといった感じも受けない。入れ込んでいるのは繁定の方だ。考えれば考えるほど、彼女がここに留まっている理由が分からなかった。

 露伴はかつて出会った、歪んだ愛の上に成り立った夫婦を思い出した。この二人もまた、普通ではない愛の形に取り憑かれているのだろうか。

 

 春江は尚も反応を示さなかった。やはり質問がマズかったか。やれやれ、と露伴は小さく吐息した。

 

「悪かった。忘れてくれ。ところでお手洗いに行きたいんだが、この部屋を出て右か?左か?」

 

 春江は答えなかった。

 

「なあ、聞こえてるか?」

 

 無視にしても相当だ。そこまで嫌われたか?春江に近付き、彼女の肩を掴む。と同時にヘブンズドアーを発動させた。春江は気を失い倒れ込んだ。頭を打たないようそれを支え、彼女の記憶を読もうとする露伴。そこへ繁定が帰ってきた。

 

「何をしたッ!!」

 

「ちょうど良かった。彼女が急に倒れた」

 

 露伴は躊躇いなく嘘をついた。ヘブンズドアーはどうせ見えない。

 

「何だって?」

 

 それを聞いた繁定は血相を変えて駆けつけた。露伴は春江を繁定に引き渡すと二人から離れた。ヘブンズドアーを解除する直前、そっと適当なページを覗き見た。その目に飛び込んできた文字に露伴は戦慄した。

 

「まさか...」

 

 そんなことはあるはずがない。冷や汗がしたたり落ちる。何かの間違いだろう。緊迫した空気の中、春江が目を覚ました。繁定と露伴はほっと胸を撫で下ろした。

 

「大丈夫か?具合の悪い箇所はないか?」

 

 案じる繁定に春江は頷いた。

 

 <気のせいだろう>

 

 露伴は尚も動転する気を落ち着かせた。彼女が目を覚ました今、それはあり得ないことなのだ。

 

 そう、あり得ないこと。きっと見間違いだ。

 

 生きている人間に“死”の文字列が書かれることなどあり得ないのだ。

 

 

 

 

 

    *

 

 

 

「トイレは右の4つ目の扉です。私たちの寝室は階段を挟んで反対の突き当たりに。何かあったらそこの内線で呼んで下さい」

 

 夜、2階の一部屋に露伴を通した繁定は部屋の説明をした。部屋の一角に備えられた固定電話を指さしながら繁定は続けた。

 

「あれが内線です。私たちの寝室の番号は201です。後はいいかな。多分使うことはありませんので」

 

 露伴が案内された部屋は12畳ほどのフローリング。ベッドの他にテレビや冷蔵庫なども完備されている。下手なビジネスホテルよりも快適かもしれない。

 

「それと――基本的に建物の中は自由にしてもらって構いませんが、私たちの寝室の真下、1階の書斎にだけは入らないで下さい。散らかっていてね。見られたくないんです」

 

 ごゆっくり。言い残すと繁定は扉を閉めた。足音が遠ざかったのを聞くと、露伴は内鍵を締めてベッドに身を投げた。

 

「......」

 

 行くなと言われれば行きたくなるのが(さが)だ。露伴は二人が寝静まるのをじっと待った。

 

 午前2時。そっと部屋を抜け出した。廊下に灯りは点されておらず、月光を取り込む窓もほとんどない。携帯のライトが頼りだ。最近、何かとライトを使う機会が多い。ペンライトなんかを忍ばせておくといいかもしれないな。そんなことを考えているうちに、建物中央に位置する階段へと到着した。踊り場から下を覗くと、1階もやはり灯りに乏しかった。人気のないことを確認すると露伴は1階に降り立った。左手に伸びる廊下へと爪先を向けた。繁定らの寝室の真下であれば、部屋番号は101。しかし前方に灯りを認め、露伴は踏み出しかけた足を止めた。それは書斎と思われる、一番奥の部屋から漏れた光だった。扉が半開きになっている。何故?足音を立てぬよう注意を払いながら露伴はそっと近付いた。扉の横につけ、そっと耳をそばだてた。中からの物音はない。露伴はそっと室内を覗き込んだ。

 

 広い。露伴の案内された部屋の面積の二倍はある。窓際を覗いた全ての席が本棚で埋め尽くされていた。まるで図書館の一角にでも立ったような気分だ。その量の多さに露伴は感嘆した。部屋の中央にどんと据えられた机にも繁定の姿がないことを確認すると、露伴は書斎の中に足を踏み入れた。

 廊下側の壁にもズラリと本が並ぶ。天井までおおよそ3メートル。1つの本棚に100冊以上の本が収められているだろう。相当な読書家らしい。ジャンルも豊富だ。小説、図解、医学書、雑誌etc. 棚ごとにきっちりと分別されている。マンガやライトノベルが並べられた本棚を認めて露伴は驚いた。読書家のイメージとサブカルとが全く結びつかない。露伴の作品『ピンクダークの少年』も納められている。同じ棚の中に『新寶島』の文字を見付けて露伴は思わず飛び上がった。

 

「数百万だぞ?」

 

 心の声が漏れた。この棚にある他の全てのマンガを売り払っても到底届くことのない数字だ。そのなものが無造作に押し込まれている。露伴は他の棚を食い入るように眺めた。もしや、他にも貴重なものが眠っているのでは。

 

「おいおい!『吾輩は猫である』の初版じゃあないか!!」

 

 『新寶島』には劣るものの、珍しいものには変わりない。

 

「こっちは『七人の侍』のフィルム!?冗談じゃあないぜ!なんでこんなものがあるんだッ!」

 

 それだけじゃない。市場に出せば数十万円は下らないものがゴロゴロしている。あの男が価値を知らないとは考えにくい。露伴に『新寶島』を見せてきたときも、表の態度にこそ出さなかったが自慢げな空気が滲み出ていた。彼の逐一の言動やこの屋敷を見てもそうだが、価値あるものを粗雑に扱うことで自身の財力を誇示しようとしているふうに見えた。

 

 全ての棚を一通り見て回ったところで、露伴は中央に構える机に目を移した。深みがかった趣ある深茶色をしたその大きな机の上は整然と片付けられていた。露伴は机の正面に回ると椅子に腰掛けようとした。壁際に追いやられた回転椅子を机の側まで引っ張ってきたところで、露伴はその“穴”に気付いた。

 

 “穴”は机下のカーペットにぽっかり空いていた。幅は約1メートル。床下に向かって階段が続いていた。

 

「これは...」

 

 隠し扉だ。露伴は直感した。今時スパイ映画でしか見ない。階段に灯りは設けられていなかったが、下に広がっているであろうスペースからの光が漏れていた。露伴は書斎内を見渡すと、何の躊躇いもなく階段に足を掛けた。

 

 15段、一般的な1階分の高さを降りると地下室に繋がった。広さは8畳ほど。時代にそぐわない、天井から吊り下げられた白熱灯の光がコンクリートの壁に反射して不気味な空気を演出した。部屋の中央にはパイプベッドが一台。その上に春江が横たわっていた。

 露伴は静かに春江に接近した。繁定の姿はない。春江はまるで死んでいるかのようだった。やはりその容貌は美しい。露伴は我を忘れてしばらくの間魅入られていた。

 

「何をしている」

 

 不意の声が露伴の意識を引き戻した。

 

「少し席を離した隙に――やはり施錠しておくべきだったか」

 

 いつの間にか繁定が戻っていた。すっかり春江に気をとられて足音にも気付かなかったようだ。

 

「書斎には入るなとお伝えしたはずですが。聞いてなかったかな」

 

 繁定は露伴と向き合うようにベッドの反対に回った。

 

「ここがそうだとは思わなかったよ」

 

 露伴は白々しく言い返した。

 

「で?どこまで理解した?」

 

 春江の額を撫でながら繁定が尋ねた。春江はピクリとも動かない。

 

「生きてるのか?彼女」

 

 寝息も心音も聞こえない。本当に人形のようだ。繁定は大きく息を吐いた。

 

「患者にもよく居るよ。覚えておくといい。質問に質問で返すのはテストで点数の取れないバカがやることだ。話が成立しない愚か者はいっそ死んだ方が健全だよ。きみはどっちだ?何の生産性も持たない愚者か、それとも会話の出来る“人間”か」

 

「それで?」

 

 露伴の返答に繁定のこめかみがピクリと動いた。

 

「彼女は生きてるのか?それとも死んでるのかい」

 

「頭の中カビてんのか!このボンクラがぁ!死にたいならそう言え!今すぐその喉かっさばいてやろうかぁッッ!!」

 

 繁定が弾けたように身を乗り出し露伴の胸ぐらを掴んだ。荒い息を立て、今にも額と額がぶつかりそうな距離で睨み付ける繁定を、露伴は酷く冷めた目で見詰めた。

 

「美しい女性をものにしたいというのは男の“(さが)”だ」

 

 繁定は露伴から手を離すと後方の壁へ向かった。壁には棚が打ち付けられていた。棚には無数のガラス瓶が。その中身を視認した露伴は目を細めた。

 

「だが顔立ちも完璧で、かつ性格まで“できた”人間など存在しなかった。身も心も清らかな、優れた女性など居ない。どちらかが備わっていてもどちらか一方が醜い。どいつもこいつも下水に棲むドブネズミ以下の意地汚い奴らだ」

 

 心臓、肺、腎臓、眼球、指...あらゆる人間の器官が、人間の一部が液体漬けで並んでいた。露伴は突然噴き出した汗を拭った。

 

「私は幸い外科医だった。最も難しい問題をクリアできた」

 

 それらの瓶を繁定は愛おしげに撫でて回った。

 

「時間はかかったが――彼女の出来には満足しているよ」

 

「整形、という簡単な話ではなさそうだな」

 

 露伴は春江の正体に薄々感づいてきた。おぞましい。

 

「美しいでしょう?彼女」

 

「人――じゃあないのか」

 

「つくづくとまあ貴方は...」

 

 繁定は天井を仰ぐと露伴に詰め寄った。

 

「まず俺の質問に答えるのが先決だろうがぁぁぁッ!!耳がねえなら縫い付けてやろうかあ!?素材ならあるんだぜぇぇッ!!!」

 

「分かったよ。落ち着けよ。答えるよ。確かに美しい。正直見とれたぜ。ほら、これで満足だろ」

 

 ふぅう~と繁定は大きく息を吐いた。

 

「分かればぁいいんだよ。それで、質問は何だっけ?ああ、春江が“人”かどうかだっけ」

 

 さあね。繁定は首を横に振った。

 

「形態的には()()()()()ヒトと言えるだろう。だが“織山春江”と言う人間はこの世界には存在しない。戸籍上にも、他の誰の記憶にもね」

 

 繁定は再び春江の額に手を当てた。

 

「春江は――言うなれば“フランケンシュタインの怪物”ですよ」

 

 露伴はそっと春江にヘブンズドアーを発動させた。

 

<死死死死死...>

 

 やはり食後のあれは見間違いなどではなかった。春江は既に死んでいる。

 

「作ったのか...人間を」

 

 繁定は露伴を見上げた。

 

「『長谷雄草紙(はせおぞうし)』をご存じですか?平安時代の貴族、紀長谷雄(きのはせお)の物語を描いた絵巻物です」

 

「知らないな。何の話だ」

 

「その中に“鬼が死体から絶世の美女を作る”というエピソードがあるんです。日本版『フランケンシュタイン』――いや、編年を考えれば『フランケンシュタイン』が海外版『長谷雄草紙』か」

 

 どっちでもいいな。繁定は背後の瓶のひとつ、眼球が入った瓶を手に取った。

 

「私の場合は“死体”からではなかったけどね。鮮度が良いぶん、こっちの方がより“生きてる”」

 

「それで外科医か――」

 

「察しが良いね。正確には逆の順序だが――それでも“パーツ”集めには骨を折りましたよ。派手にやるわけにもいかない」

 

 繁定は持っていた瓶を春江の隣に置いた。

 

「これはストックですけどね。ここまで揃えるのには時間がかかった。ただ美しいパーツを集めるだけでは駄目なんですよ。分かりますか?」

 

「分かりたくもないね」

 

 吐き捨てるように露伴は答えた。

 

「美しいパーツを集めて組み合わせるだけじゃ、歪なものしか出来上がらないんです。黄金比ってあるでしょう?この世で最も調和の取れた形。それが生まれるように組み合わせないといけない。嵌めてみるまでピースの形が分からないパズル。途方もない作業です」

 

 繁定は恍惚の表情で春江を見詰めた。

 

「本当に素晴しい完成度です。紀長谷雄に送られた絶世の美女でさえ、春江の足下にも及ばないでしょう。モナ・リザをも凌駕する“美”の造形が、ダビデ像をも凌駕する“美”の体現が、私の手中にあるのです。地球の全史を探しても()()()に勝る“美”は存在しないでしょう」

 

「狂ってる――」

 

「狂っている?まさか。“美”とは世界の根源であり頂点です。宇宙構造、DNAの二重螺旋、雪の結晶、花...世界は黄金比に基づく“美”によって構成されている。そして我々人類はその“美”の創造に挑戦し続けてきた。モナ・リザ、ダビデ像、ミロのヴィーナス、ピラミッドetc. 私が追い求めたのもその“美”だ。何が悪い。どこが狂っている。先人に倣ったまでです」

 

 露伴は閉口した。よもやまともな対話が期待できる相手ではない。

 

「言ったじゃあありませんか。美しい妻を娶りたいというのは男の(さが)だ」

 

「君のその考えはどこまでも醜いがな」

 

 もういい。露伴は踵を返した。

 

「君とは意見が合わない。悪いが帰らせてもらう」

 

「おっと。勘違いしないで下さいよ。その足で警察に行かれたら困る。貴方を帰すつもりはありません」

 

「これでも僕は名が知れていてね。行方不明ともなればちょっとした騒ぎになるぜ」

 

「ひとまず殺しはしませんよ。貴方は強盗に襲われて私の病院に運ばれるんです。その後は精神的に不安定にでもなってもらいましょう。そっちの方に懇意の医師が居ましてね。一人くらい施設に入れるのは造作もない。いいと思いませんか?」

 

「僕が抵抗しないとでも?」

 

 プツン、と何かがキレた音がした。繁定が露伴に飛び付き、その耳を引っ張って叫んだ。

 

「何度も何度もいわせんじゃねえぞッッ!俺の質問に答えろ!テメェの質問はその次だ!!物わかりの悪い頭だな!バカにゃつける薬もねえんだよォォォォォッッッ!!!」

 

「ヘブンズドアーッ!!」

 

 繁定は糸が切れたかのように急激に力を失って倒れ込んだ。力任せに引っ張られた左耳をさすりながら、露伴は繁定の上に跨がった。

 

「君の方が精神科医に診てもらった方がいいんじゃないのか。情緒不安定にも程度があるぜ」

 

 ぼやきながら繁定の記憶のページを探った。

 

<17歳 高校の進路選択で何となく医学部を目指す。昔から大して勉強せずとも点が取れた。日本で一番の大学に入っておけばステータスになるだろう。

 18歳 難なく合格。日本一もたかが知れているらしい。知人友人からはべた褒めされて気分が良い。大して勉強していないと伝えるとみんな仰天する。優越感に浸れて至上の心地がした>

 

 逆の順序とはそういうことか。究極の“美”を求めることが医者になった動機ではないらしい。この頃から身の回りの全てを自身のステータスを飾る一部と捉え、それをひけらかす性格は変わっていないようではある。邪悪さの片鱗もない。露伴は続きを読み進めた。

 

<27歳 患者の女にプロポーズされた。これまで何人もの女と交際してきたが、それらに比べてこの女の容姿は平凡だ。そろそろ落ち着くことも考えるが断る。恥ずかしくてこの女とは並んで歩けない

 28歳 何度も通う女に折れる。条件付きでプロポーズを承諾。交際開始と同時に改造を開始する>

 

 医者として順調にやってきたようであったが、不穏な空気が流れだした。“改造”というおよそ人間に対してポジティブな場面で使われることのない単語に露伴は肌を震わせた。28歳の記述はもうしばらく続いた。

 

<   顔立ちを整えるために何度か手術を受けさせる。隣に立たせても恥ずかしくない美人にはなったが、どうも気に入らない。やはり他人の手に弄らせるのはよくないらしい。

 29歳 整形の勉強を開始。同時に郊外で売りに出されていた豪邸を購入、リフォーム。夢の書斎を持ち、書籍等の収集も開始。知識と道具を揃え、女の顔を仕上げる。

 

――30歳>

 

 露伴がページを捲ると、文字が酷く荒れた様子へと変貌した。繁定の中で何かが変わったのだ。

 

<30歳 度重なる整形に女の顔が耐えきれなくなる。まだだ。私の理想とはほど遠い。女が私を恨み始めたようだ。身も心も醜くなってしまった。

 31歳 患者の一人に勧められ、岸辺露伴 作『ピンクダークの少年』を購読。作中に登場した“黄金比”に衝撃が走る。これだ。私が求めていた“美”のあるべき姿を知る>

 

「なんだって?」

 

 この男に黄金比という“美”を教えたのは、他の誰でもなく露伴の作品だったというのだ。文字の荒れ具合は変わらない。

 

<   再び女の整形を試みる。今度は黄金比を意識して。しかし失敗。女が私を拒絶し始める。そんな折、『長谷雄草紙』と出会う。――死体から美女を作る。最後の1ピースが嵌まった!>

 

 徐々に狂い始めた繁定の軌跡が克明に記されていた。生きた人間では限界のある、究極に美しい骨格の造形。死体であればその創造も可能だと気付いた繁定は、ついに禁忌に手を出した。

 

<32歳 死体の入手は困難であるが、患者の肉体からであれば比較的容易に“パーツ”を手に入れられる。患者の体に美しい“パーツ”を見付けるたびに、偽の診断を下しパーツを入手した>

 

 繁定はそうして患者の体から完璧な“パーツ”を集めることに躍起になった。

 

<33歳 身も心も壊れた元妻を施設に放り込み離婚。思うように“パーツ”が集まらず焦る。脳や心臓は摘出のリスクが高いが、なんとしてでも手に入れる>

 

 しばらくの間“パーツ”集めに奔走する繁定の記憶が記された。そして昨年、8年の歳月をかけて“春江”が完成する。その間繁定が死に至らしめた人数は8人。そのほとんどは病気や怪我が死因というように改竄されていた。

 

「こいつが何をしようと僕には関係がない。僕に危害を加えたわけじゃないんだ。その罪を裁く権利も義務もない。だが」

 

 露伴は胸ポケットのペンを取り出した。

 

「僕も人の子だ。自己の利益のために、己の欲望のために人の命を手に掛けるような“悪”を放っておけるほど、僕は人の心を捨ててる訳じゃあないんだ」

 

 ()()()()なんて芸当がそう簡単にできるはずもなく、その手段も不明だ。だがヘブンズドアーに嘘はつけない。繁定が患者をだまして健康な部位を切り離し“春江”という人造人間を作ったという記憶は事実なのだ。そして春江の記憶が“死”の文字で埋め尽くされていたのも事実。春江は間違いなく死した人間だ。

 

 繁定は疑いようもない悪人だ。そして。

 

「この男は“美”を、自身を着飾るステータスとして考えている。こいつにあるのはあくまで自分をよりよく見せたいという欲望。それが気に入らないね!」

 

 この男はものの価値を知っている。知っている上でそれを利用する姿勢が露伴の癪に障った。

 

<自分の姿が醜く見える>

 

 露伴は新しくそう書き込んだ。

 

「君の持つその過剰な“美意識”に、君自身が追い詰められるといい」

 

 どれだけ身の回りを美しい、価値あるもので固めても、それに囲われた自分はいつまでも醜く見える。今後彼はどうするのだろうか。露伴の当てつけだった。

 

「しかしまあ、僕の作品がきっかけなのはビビったよ。健全な青少年のためのマンガだというのに」

 

 露伴は立ち上がると今度は春江に向き合った。

 

<あるべき場所へ還る>

 

 善意ではない。春江に抱く自身の感情や、繁定が彼女を妻帯することにムカついたからだった。春江の体はぽろぽろと崩れだした。

 

「そういう事例があるって事は知れたが――対策のしようがないぜ」

 

 どんな表現も結局、読者の解釈に委ねるしかないのだ。些細な演出が繁定のような狂った人間を生み出す可能性など、いちいち考慮していられるわけがない。手を離れた作品に対して作者はどうしようもなく無力だ。

 

 露伴は二人に背を向けた。

 

「ところで」

 

 荷物を纏めて部屋を出た露伴はふと立ち止まった。深夜3時。辺りには何もない。

 

「来てくれるのかな。タクシーは」

 

 歩いて帰るのには無理があった。途方に暮れて、露伴は空を見上げた。

 

「綺麗だな」

 

 ほどよく澄んだ空気と、街灯のない空間が星を際立たせていた。杜王町でもなかなか見ることの叶わない星空だ。

 

「景色が綺麗、って言ってたな。その感性だけは褒めてやるよ」

 

 露伴はタクシーを呼ぶことも忘れて、しばらく夜空に魅了された。




 1年以上前から書いてはボツ、書いてはボツを繰り返したアイデアが、ようやく形になりました。感無量です。
 お久しぶりです。2020年内に投稿しようと粘ったのですがどうも間に合いませんでした。どうも怠けた1年になってしまったので、2021年は頑張って5回以上の更新を目指したい所存。
 けれども別の作品のアイデアが良い感じに固まり出したりと、前途多難になりそうな予感。今年もこの怠惰遅筆マンにどうぞお付き合いください。

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