無職無能の最強双剣士 ~圧倒的努力に勝る強さはない~ 作:虎上 神依
俺は愕然としていた。
目の前に突如現れた巨大人面蜘蛛。
人面とはいっても蜘蛛の頭部に悍ましい紅蓮のギョロ目と鋭い牙を覗かせている不気味な口を付けただけの物だが。
胴体は朱と黒のストライプ、巨大な蜂を連想させるような見た目だ。
体長は恐らく縦も横も15メートル、高さは10メートル前後はある、足は蜘蛛と同じく八本、しかし前の二本の先は鎌のようにギラギラ光っていて刃物その物である。そして刃の先には、強力な毒が申し分なく塗りたくられていて斬られただけで致命傷にもなりかねないものだ。
だが、俺としてはその魔獣の見た目なんてどうでも良かった。
俺が愕然するほどに驚いているのは――ソイツの圧倒的なオーラである。
一言で言えば、信じられないほど悍ましく、邪悪で、凄まじいオーラだ。
オーラから判断するに奴の推奨レベルは300どころではない、下手したら500、いや600位はあるかもだ。
それに――魔獣には人一倍詳しい自信がある俺でも奴を見たことが無い、肉眼だけでなくいかなる本や情報においてもだ。
こんなオーラを放つのは伝説の魔獣しかあり得ない、しかしこの世界の伝説の魔獣にはこんな人面蜘蛛はいなかったはずだ。
じゃあ、何者なんだ……?
「な、何あれ……、ゼルさん、何なのアイツ……」
既にウルナは奴の強大過ぎるオーラに打ちのめされていた。体は痙攣するかのように震え、眼は泳いで焦点が合っていない。
『ゲハハッ、そのアホ面、気に入らんな。俺、怒っちゃうぞぉ?』
人面蜘蛛はウルナを抱きかかえる俺を見下ろしながらそう呟く。
そして右前足を振り上げて――
「――ッ!? 危ね――ッ!!」
目に留まらぬ速さで振り下ろされた前足は地面に深く突き刺さると共に、数十メートルに及ぶ地割れ起こし、ソニックブームを発する。
今の軽い一撃だけで射線上にある物は全て切断された。
俺は何とかウルナを抱えつつも『スプリントラッシュ』で回避、スライディングの要領で地面を滑りながら減速した。
直ぐ様ウルナを下ろし、剣を鞘から抜いて構える。
パワーと速さ共に桁違いだ、コイツ今まで合ってきた魔獣の中でも屈指の超強敵かもしれない。
本来であればここで俺は強敵に会えた嬉しさから燃え上がっていただろう、だが――コイツは違う。見ているだけでも心の中が変にざわつき俺を焦燥感に駆り立てた。恐怖よりも悍ましい負の感情を浮き彫りにされているような気分だった。
「ぜ、ゼルさ――」
「ウルナ、下がってろッ!! コイツは今までの奴とは次元が違うッ! 前に出てみろ、直ぐにでも殺されるぞッ!!」
『ゲッハッハ、そんな野蛮な事はしませんよぉ、俺は寛大だからねぇ』
どこが寛大だッ! 戦闘開始直後、顔が気に入らないだけで地面にヒビ入れたやがった癖にッ!
俺はその巨大で恐ろしい人面蜘蛛を睨みつける。見ただけで足が竦み、逃げたいという恐怖に駆り立てられる。
だが――ここで逃げた所で、俺達が生きて街に戻れる保証はどこにもなかった。
『テンション』さえ貯まれば……、何とかなるかもしれない。
エクストラスキル『オーバーテンション』は元々は『テンション』――俺の心の活気や興奮――を消費してステータスを上昇させるスキルだ。
だがこの『オーバーテンション』の本当の力――それはこのスキルを発動した状態で興奮や気持ちの高ぶりが一定値を越した時にようやく発揮される。そしてその次のステージこそが俺の第二形態でもあった。
だが逆に心の活気や興奮が無くなった瞬間、このスキルの効果は切れ、数時間程発動することができなくなる。
無論、強制的に『テンション』を上げる方法は一応存在する、だがこの状況でその手段を取るとしたら少なくとも3分は必要だ。
その3分間――奴が「はい、そうですか」と言ってなにもせずに待ってくれるわけがない。
クソッ、何か手段はなのか?
『うん……? その女。まさか――』
人面蜘蛛が俺のウルナの姿を舐め回すかのように見る、そしておどろおどろしい表情でほくそ笑んだ。
嫌な予感が俺の脳裏を走り抜ける。
『クッ、ゲハハハハハハッ!!! まさか、こんな場所で出会えるとはなぁ、ウルナ・ホメイロッ!! 探していたぞ』
「な……、なんだと!?」
「――ッ!!?」
俺はその人面蜘蛛の言葉を聞いた瞬間、悪寒が背筋を走り抜け、体が凍りつくような感覚に襲われた。
コイツ……、ウルナを知っているのか?
「ウルナ、コイツ知り合いなのか……?」
「――ううん、知らない……、私こんな蜘蛛知らないッ!!」
怯えきった表情でウルナは何度も首を横に振った。
『さて……、そこの無職の男よ、その女――ウルナ・ホメイロをこちらに渡すのだッ! さすれば、このファスタットは見逃してやろう』
奴は――俺が最も警戒していた言葉を人面蜘蛛は俺達を見下ろしながら平然と言い放った。
ウルナを渡せだと……? 俺はその言葉に全身が総毛立ち、冷や汗を流した。
そうか……、状況から判断するに奴はファスタットを滅ぼすついでにウルナを探していたのだろう。
奴がファスタットを滅ぼそうとしする目的は分からない、だが彼女を狙う理由は間違いなく禁忌の魔法、邪魔法だ。それが分かっただけでも十分である。
ならば――やることは一つッ!!
「仲間を渡せと言われて、はいそうですかって言う奴がいると思うか?」
『ほぉ……?』
「答えは否だッ! ウルナを、俺の仲間を、お前なんかは渡さねぇよッ!!」
『ほほう。無職の男よ、貴様は相当――死にたいらしいなぁ!!』
左足の鎌がゆっくりと振り上げられ――俺達に向かって振り下ろされた。
空を斬り裂く衝撃波、それを防ぐかのように俺は双剣を横に薙ぎ払い、衝撃波を生み出す。
目視できる2つ衝撃波が俺達の中央でぶつかり消滅し合う、だがその代わりに宙に浮く細かな土埃さえも綺麗さっぱり吹き飛ばすほどの凄まじい爆風が巻きおこる。
『無職でこの力――フハハッ! 鑑定魔法を弾かれたからまさかとは思ったが、俺の一撃を跳ね返すとは――激怒したぞぉッ!!』
人面蜘蛛はいきなり形相を変え、見るものを全て怯えさせる程激怒した。
尋常ではない覇気が焼け野原となった草原を駆け抜け、大気を大きく揺るがす。
『殺してやる、殺してやるぅ!! お前ら全員地獄行きだぁ!! ゲハハハハハッ!!!』
醜悪な笑みを浮かべ、見ることすらはばかられる程の形相で人面蜘蛛は動き出した。
「逃げろ、ウルナッ!!」
「……ぜ、ゼルさん?」
「速く逃げろって言ってんだよッ!! コイツはマジでヤバいッ!!」
「う、うんっ!!」
ようやく正気に戻ったウルナは全速力で走り始めた――だがその時だった。
『逃がすかぁッ!!』
人面蜘蛛はその大きさからは考えられないスピードでウルナを追い越し、前に立ち塞がってくる。
「あ……、あぁ……っ!!」
『貴様もここで痛めつけて、回収してやるッ!! デッドポイズンレインッ!!』
両前足を手の前に掲げ、直径5メートルにも及ぶ紫色の塊を創り出した巨大蜘蛛はそれを遥か空中に投げ飛ばす。
刹那――その塊は虚空で分裂し、幾多の針となってウルナの頭上に降り注いだ。
「い、嫌アアアァァァッ!!!」
彼女の心の叫びを聞き俺は反射的に体を動かし始める。
させない、あの時の様な事には絶対にさせないッ! 彼女は――ウルナは俺が守るッ!!
「させるかあああああッ!!!」
言葉を言い終える前に既に足は動き出し、呆けた顔で立っているウルナを押し倒し、空中から降り注ぐ毒針の雨から彼女を守る。
「グッ……、カハァッ!!!」
深く突き刺さった毒針が燃えるような激痛を引き起こし、背中に悲鳴をあげさせる。俺はその痛みに思わず吐血する。
「ぜ……、ゼルさんッ!?」
「う、ウルナァ……、お前だけでも――逃げろッ!!」
彼女の無事を確認し、安堵すると共に俺は空間魔法から時の結晶石を取り出して、彼女の手に握らせた。
彼女を助けるには――もうこれしかない。
「……えっ、ゼルさ――」
「【結晶石よ、彼女を二時間前にいた場所に】」
俺が魔法の詠唱を終えた瞬間、時の結晶石が輝き始め彼女を紫色の光で包み込んだ。
こんな所でウルナを死なせるわけにはいかない、世界に名を連ねるであろう金の卵を――ここで失うわけにはいかない。
「この蜘蛛は俺が命を掛けて止める、もしかしら勝てずに死ぬかもしれない。だけど――君は生き残ってくれッ!!」
「ぜ、ゼルさんッ! ちょ――」
ウルナは俺に何かを伝えようと口を動かした。だが彼女が言葉を言い終える前に、ウルナは紫色の淡い光だけを残して俺の前から一瞬にして消え失せる。
また……、役に立っちまったな。次元龍アイザック産のアイテムが――
『貴様……、ウルナをどこにやったッ!!』
「お前なんかに……、答える義理はない」
背中に刺さっている毒針を全て抜きながら俺は言った。幸い、俺は全状態異常に耐性があるため致死毒を受けた所で何とも無いが、こんな物が一般人に刺さったら……、想像もしたくない。
「さて――これで一対一だな」
『……クックック、自ら一人になるとは哀れな男よ』
「お前がこの『災厄』の元凶なのか……?」
『その通りだ。あの蜥蜴は全て我らの魔力で創造した無の幻覚、クックッ……』
人面蜘蛛は笑いつつも、ウルナを見失った苛立ちを露わにしていた。
お前なんかにウルナを渡してなるものか、ウルナは――俺の大切な仲間だ、互いに分かり合えた仲間なんだ。
「お前にはどっちも渡さねぇ、ウルナもファスタットもッ!! お前ぶっ倒して、平和を勝ち取るッ!!」
『いいだろう、その心意気、今すぐにでも捻り潰してくれるわぁッ!!』
人面蜘蛛は凄まじく邪悪な覇気を撒き散らしながらも俺を醜悪な形相で睨みつけてきた。
俺は恐怖で冷や汗をかきつつも人面蜘蛛と対峙しながらも思考回路を巡らせ、勝つための方策を練り始める。
正直今のままでは勝機は皆無だ、勝つとしたら必然的に『テンション』を溜めて第二形態になる必要がある。
――燃えろ、燃えろよ俺ッ! よっし、やる気出てきたッ! 俺は心中で自分を励ましながらも二本の剣を静かに構えた。
そして俺は人面蜘蛛を睨みながらも鑑定魔法を起動し――
一瞬にして背筋が凍りついた。
「な……ッ!? う、嘘だろッ!?」
鑑定魔法の結果を見た俺は――驚嘆した、心臓が止まるほどに。
そしてその瞬間――俺の頭の中を閃光が電光石火の如く駆け抜けた。
俺が過去に見てきたありとあらゆる事象――それが歯車のように繋がり、動き始めた。足りなかったピースが一つ埋められ、俺が求めて止まない『真実』に近づく。
その衝撃の事実に俺は体を震わせながらも人面蜘蛛を睨みつけ、言い放った。
「……、お前。何者だ――」
『ああん?』
「――お前は何者だと聞いているんだッ!!!」
鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をする人面蜘蛛――そしてニンマリと不敵に笑う。
『そうか――貴様、真実を知る権利を持つものだな?』
「ああ……、そうだ」
『ふっ、ゲハハハハッ!!! 面白い、面白すぎて激怒したぞッ!! 良いだろう、貴様には特別に教えてやる俺の名は――』
『――激昂魔将インセンドだ』