※前編も大概でしたが、今回は群を抜いて地味です。ネギまssでこれほどまで地味なのは多分この作品ぐらいでしょう。喫茶店で駄弁っているだけなので当たり前といえば当たり前ですが。
※千雨メインの話なのに、後半の千雨の影が薄いです。中編・Ⅱでは活躍?します。
※書き終わって気づいたことですが、喫茶店内の人口比率が眼鏡100%です。
※読了後、何言ってんのコイツ?という感想を持つかもしれません。大丈夫、あなたは正常です。
上記の注意事項に留意した上で本編をご覧ください。
意外というわけではないが、実はマスターは博識な方で、しゃべっていると結構勉強になったりする。客に話題に提供するということも店内の雰囲気づくりの一環らしい。変なところで几帳面さを発揮するマスターに、ちょっと笑ってしまった覚えがある。マスターの密かな野望は客に『麻帆良の生き字引』と呼ばせることらしい。今のところ誰にも呼ばれていない。
そんなマスターから聞いたことなのだが、週末とは一般的には土曜日を指すらしい。週末と聞くと私はつい日曜日を想像してしまうが、正確には日曜日は週初めだ。週初めはイエスが十字架上の死から復活したとされる曜日で、それを記念するために礼拝日が設けられた。日本も明治時代に西暦を受け入れ、日曜日が休みになったのだという。マスターが若干ドヤ顔でそう語っていた。
礼拝日というのは文字通り、神に祈りを捧げる日のことだ。神に祈りを捧げるという行為がどういうものなのか、信仰心の薄い私には分らない。けれど神に救いを求める気持ちならば、ほんの少しは理解できるかもしれない。
そんな自分の考えに馬鹿馬鹿しいという烙印を押して自己完結。時間潰しにそんなことを考えている間に喫茶店に到着していた。軋みやすい押し戸を傷つけないように丁寧に開けると、客が一人マスターと談笑しているのが見えた。私以外の客はこの時間帯には珍しく、その客に視線を向ける。そして私の体は硬直した。
「いらっしゃいませ、長谷川さん」
マスターがそう言うが、私の視線はマスターではなく、マスターと談笑していた客に釘付けだ。間違いであって欲しいと思うが、現実とはかくも非情なものだ。
入口から右斜め前の場所のカウンター席にどっかりと腰を降ろしている人物を二度見し、私は不覚にも吹き出しそうになった。そこに座っていたのはやはり私の知っている人物だった。その人物は私が店内に足を踏み入れたことに気づいたのか、視線をこちらに向ける。向こうの方も私の姿は予想外だったのか、一瞬だけ驚いたように見えた。正直なところあまり関わりたくないが、こちらから挨拶するのが礼儀だろうと思い声をかける。
「こんにちは、高畑先生」
「やあ、千雨君。奇遇だね」
デスメガネ、もとい高畑・T・タカミチがそこにいた。
高畑・T・タカミチ。元2年A組の担任教師で担当科目は英語。
英語の教え方は上手かったし、頼りがいという点で言えば今の子供教師とは比較できないほどの隔たりがある。破天荒極まりない私達のクラスを曲がりなりにも纏めることができた手腕から考えると、教師としての力量はそこそこ以上にはあるのだろう。
こういう風にまとめてみると一見マトモそうに見えるが、一か月ほどの長期出張がしばしば入ったり、たむろっている不良達を笑顔で吹き飛ばしている姿を見ると、ああこの人もやっぱりおかしいんだ、と思わずにはいられない。異常のカテゴリに分類される中では比較的マシだが、それだけだ。
そんな高畑と私が一つ席を挟んだ至近距離にいるのだから人生不思議なものだ。離れた場所に座ればいいじゃないかという指摘がありそうだが、そもそもこの狭い店内だ。離れることができる距離には限度があるし、私が高畑を避けているように見えるかもしれない。だからいっそのこと、いつもの正面の指定席に堂々と座ることにした。開き直ったともいえる。
まあ、クラスメートとは違って高畑はちゃんとした……おそらくちゃんとした大人だから、こちらのことを無理に引っかき回したりはしないだろう。マスターにいつものコーヒーを注文し、できるだけ存在感を消してやり過ごそうとするが、
「……あの、高畑先生?」
「ん?なんだい、千雨君」
つい声をかけてしまったが、私は悪くない。いやこれはむしろ突っ込み待ちだったんじゃないか、と疑ってしまうレベル。
大抵の喫茶店はそうであるように、この喫茶店にもサンドイッチやホットサンド、ホットケーキといった基本的な軽食は置いてある。しかし高畑が食べているものは到底軽食と言えるものではない。
茶碗にはご飯が盛られ、漆器には味噌汁。小鉢にはほうれん草の御浸しが入っており、大皿にはキャベツと鳥の唐揚が乗せられている。定食屋でよく見そうなソレはどう見てもこの喫茶店とはミスマッチだ。
「何食べてるんですか?」
「唐揚定食だね」
私の目の錯覚であって欲しいという一縷の望みはあっさりとぶち壊された。
「いやなんで喫茶店に唐揚定食なんてものが・・・」
「いわゆる裏メニューというものです」
そう言ったのは私にお冷を持ってきたマスターだった。ついでに空っぽになりかけていた高畑のコップにもピッチャーの水を追加する。
「裏メニューですか?」
「ええ、飲食店を経営するにあたって必須のものでしょう?」
必須ではないと思うけれど、少年のように目を輝かせているマスターを否定するのも心苦しく、そうですかねと中途半端な返答をする。もちろん裏メニュー自体はあってもいいと思うが、何故そこで唐揚をチョイスしたのだろうか。時々このマスターという人物が分からなくなる。
「え?だって唐揚って大抵の人が好きでしょう?」
「それは確かに否定しませんが……」
脂っこいのが苦手という人はいそうだが、唐揚げそのものが苦手というのは聞いたことがなかった。私だって嫌いではないが、だとしても他の選択肢はなかったのだろうか。例えば、オムライスであったりとか、カレーライスであったりとか。旨そうに味噌汁を啜っている高畑の姿を見ると、間違った選択ではないとは思うが。
「まあ、他にも理由はあったりしますがそれはさておき」
柏手を一つ。私と唐揚にかぶりついている高畑を交互に見る。新しいオモチャを見つけたような、ちょっと意地の悪い笑顔。私をからかう時の顔と同じものだ。実に嫌な予感がする。
「高畑さんは確か教員と言っていましたね。長谷川さんは教え子なんですか?」
高畑は最後の唐揚とご飯を咀嚼し終え、マスターの問いに頷く。
「去年までは僕が担任だったんだよ。今は違うけれどね」
「そうなんですか。それで、長谷川さんはクラスではどんな様子ですか?」
「ちょっ――!」
突然始まった三者面談に狼狽する。私がどちらの口を閉じるべきか逡巡している間に、ノッた高畑が口を開いていた。
「そうだね、他の生徒とは一歩離れたところから物事を冷静に見ることができる、落ち着いた生徒かな。それに意外と面倒見も良いね」
やめてくれ、なんなんだこの羞恥プレイは。顔の熱さが尋常ではない。おそらく顔は真っ赤だろう。それはそれは、と満足そうに頷くマスターに、ハハハ、と吞気に笑う高畑。どうやらこの場に私の味方はいないらしい。
「そ、そういえば!高畑先生はよくこの店に来るんですか!?」
さらなる追撃をしようとマスターが口を開く前に、無理矢理話題を転換する。誰でもわかるような露骨なものだったが、高畑は私の意志を尊重してくれたのか、話に乗ってくる。
「もう2年くらいは通ってるかな。僕は海外出張が多いから中々行けないけどね」
ここのコーヒーは美味しいからねえ、と高畑。
「そう言ってくれると嬉しいですね。ワタシにとって『ここのコーヒーは美味しい』以上の褒め言葉はないですよ」
高畑が食事を終えたタイミングを見計らってマスターが私と高畑の前にコーヒーを置く。それ以上の褒め言葉はない、と言うようにマスターのいつもの微笑が通常より深く感じた。幼い子供が浮かべそうな純粋な笑み。それはきっとコーヒーに真摯に取り組んでいる証拠だ。
「いや、僕も結構コーヒーショップには詳しいんだけどね。ここ以上の店は知らないよ」
「コーヒーショップ?」
聞きなれない高畑の言葉に私はつい聞き返す。
「え?ここって喫茶店じゃないんですか?」
「いや、喫茶店ですよ。ただ喫茶店にも種類があるんです」
マスターの解説によると、コーヒーを主力商品として提供する場合はコーヒーショップ、紅茶を主力商品とする場合にはティーハウス、などと使い分けるのだという。この喫茶店には紅茶も置いてあるが、コーヒーのレパートリーが豊富で分類としてはコーヒーショップに当たる。成程、一つ勉強になった。
「へえ、千雨君とマスターは仲がいいんだね」
マスターの解説にこくこくと頷く私を見ていた高畑がそう言う。コーヒーを啜りながら言うその姿は映画に出てくるようなハードボイルドな俳優のようで様になっている。神楽坂が見たら鼻血でも噴き出しそうだ。
「千雨君もよくこの店には通っているのかい?」
「通い始めて半年くらいですね。週に1回のペースで通っています。……その、マスターには愚痴ってばっかりで迷惑かけてるかもしれませんが」
「迷惑なんて思ったことはないですし、むしろ頼られて嬉しいですよ。それに高畑さんだってワタシの店に来る時は大抵愚痴っていきますからね」
マスターからそんな意外な言葉を聞いた。今日もそのつもりで来たのでしょう?とマスターが問うと、高畑はバツの悪そうな顔をコーヒーカップを傾けることで隠した。
「……そうなんですか?」
「うっ……。いや、まあ、そんなことも……あったりするのかな」
高畑は逃げ道を探すような挙動不審な態度を見せるも、観念したのか最後には認める。誤魔化すように笑う高畑の表情は不良共に怖れられているデスメガネとはほど遠い。取引で失敗して凹んでいるサラリーマンのような、そんな一般人の表情。
「ほら僕だって人間だからね。ストレスだって溜まるんだよ。特に思春期の女子生徒と関わるわけだから色々と気を遣うしね」
特に私が詰問するわけでもないのに、高畑は言い訳染みた言葉を重ねる。先ほどまでのハードボイルドさと落差が激しい。今の印象は不倫がバレた時の言い訳をする夫、という感じだ。
「まあいいではありませんか。完全無欠な人間などいませんよ。誰もが苦悩を抱えて生きている、そうでしょう?」
そう私に同意を求めてくるマスター。先週同じような話を聞いた身としては頷かざるを得ない。ただ本当に高畑が悩みを抱えていることが意外だった。
「高畑先生、私が居て困るようでしたら出ますけど?」
なにせ三十路男の悩みだ。女子中学生にはあまり聞いて欲しくないだろう。気を利かせたつもりの私の言葉を高畑は首を振って否定する。
「生徒にそこまで気を遣わせるわけにはいかないよ。それに、千雨君にも聞きたいことがあるしね」
深くため息を吐き、高畑は語り始める。
「マスター、千雨君。君達は自分の人生が正しいものだと思えるかい?」
それは思いのほか、ヘビーな内容の悩みだった。
「それは自分の人生が正しいものなのか不安、ということですか?」
マスターの言葉に高畑は頷く。
「僕はもうそれなりの歳だ。今の生き方のレールを外れることはできない。好き勝手に振舞うことなんてできない。組織の歯車として生きることしかできないんだ。責任や立場や派閥、そういったものに雁字搦めになってしまってね。それに気づいた時、ふと思ったんだ。僕の人生はこれでよかったのかなって」
ここではない、どこか遠くを見るような高畑の目。私はどう反応していいか分からなかったし、軽々しく発言をしていいものでもないのだろう。大柄な高畑の背中がいつもより小さく見えた。
「自分の人生に後悔があると?」
「それは当り前だよ、悔いだらけだ。けど人生にやり直しなんてきかない。自分が取捨した選択肢の結果を最善だと信じてどうにかやっていくことしかできない。だからきっと僕のこの悩みなんて意味のないことなんだろうね。だって、もう選んでしまったんだから」
もうどうにもならないことなのだと、高畑自身気づいているのだろう。声は弱弱しく、今にも消えてしまいそうだった。私は義務教育中の女子中学生で、きっと私には高畑の苦悩の10分の1も理解できていない。けれど語る高畑の姿からその重さを推測することはできる。
「結局、そんなどうにもならない悩みを誰かに聞いて欲しかっただけだ。2人には詰まらない話を聞かせてしまったね」
高畑の話をつまらないとは思わなかった。教師というフィルターを通してではなく、高畑・T・タカミチという人間に直に触れることができた気がする。一気に喋って熱くなった喉を冷ますためか、高畑はコップの水を一気に飲み干した。
「千雨君」
高畑は空のコップを手の中で弄びながら私に声をかける。
「今の僕の話を聞いて、君はどう思う?」
言葉に詰まる。少しばかり私には想像しがたい話だ。マスターの方を見ると、マスターは神妙な顔で軽く頷いた。好きに喋った方がいい、という意思表示に私は感じた。
「……正直、よくわかりません。私はまだ中学生ですし、イメージしにくいです」
傍から見れば逃げの一手にしか見えないだろうが、これが私の偽りざる気持ちなのだからしょうがない。ただ、高畑の方はそんな私の答えにむしろ満足したようだった。
「それでいいと思うよ。君はまだ中学生なんだから、僕の話は実感できないと思う。でも近い将来、君は人生の大きな選択を迫られるかもしれない。その時にどうか僕の話を思い出してほしい」
予言めいた言葉。それはどこか確信に満ちていて、同時にどうか外れていてほしいという懇願の念が籠っているようにも感じた。
「マスターも済まなかったね、つい熱くなってしまった」
「いえ、構いませんよ。ワタシも若輩者とはいえ社会人ですから、多少なりとも高畑さんの気持ちは理解できます」
いつのまにか自分の分のコーヒーカップを用意したマスターはポットからコーヒーを注ぎ、「これはサービスです」と言いながらに既に空になった私と高畑のカップにもそれを注ぐ。私が普段飲んでいる水出しコーヒーとは違い、香りが強い。一口飲むと酸味の後味と、ほのかにシナモンのような香りが口の中に残った。ハイ・マウンテンという種類の豆を使ったのだとマスターは言った。
「ワタシはね、子供の頃は魔法使いになりたかったんですよ」
会話の途絶えた店内で、湯気の立つコーヒーの水面を見ながらマスターは脈絡もなくそうこぼした。メルヘンチック極まりないカミングアウト。昔を懐かしむようにマスターは透明な笑みを浮かべる。高畑は魔法使いという単語に何故か反応を見せた。
「魔法使い、か。それはまた、なんでだい?」
そう聞く高畑。かくいう私も興味がある。今思えばマスターのそういった話はあまり聞いたことがなかった。
「単純に憧れですよ。高畑さんだって子供の頃、思ったりしませんでしたか?魔法使いや英雄、そんなものになりたいと思いませんでしたか?」
「……ああ、思ったね。僕もそうなりたいと思っていた頃があった」
高畑の声には実感が籠っているように感じた。それは私の気のせいなのかもしれないけれど。
「でも、魔法なんてものはなかったんですね。少なくとも、私の周りには。だからワタシは魔法使いにはなれませんでした」
未だマスターがどんなことを言いたいか分からないけれど、マスターの言葉にはつい耳を傾けてしまうような、そんな不思議な魅力があった。それはもしかしたらカリスマというべきものかもしれない。
「結局ワタシは魔法使いになることを諦めて、他の色々なことを諦めて喫茶店を開きました。高畑先生、ワタシの選択は間違っていると思いますか?」
マスターの言葉に高畑は否、と首を横に振る。
「マスターのコーヒーは素晴らしいからね。ここのコーヒーがないなんて僕は耐えられないよ」
おどけるようにそう言う高畑の意見に私も追随するように頷く。この喫茶店が潰れてしまうことになったら冗談抜きで私は発狂してしまうかもしれない。そんな私達を見てマスターは嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、ワタシ自身もここで喫茶店を開いて良かったと思いますよ。高畑さんや長谷川さんに出会うこともできましたからね。だから私の生き方は間違いではない、と今では思います」
今では、ということはかつては迷いがあったのだろうか。いや、きっとあったのだろう。
「高畑さんと言う通り、一度選んでしまったらもうやり直すことなんてできません。でも人生なんて選択の連続ですよね。今日の朝食は和食にするか洋食にするとか、そんなものから仕事や結婚だってそうです。ゲームみたいにセーブポイントがあるわけでもありませんし、時間は有限です。ワタシ達は常に選択を迫られています」
4分の1ほどに体積を減らしたコーヒーを揺らしながらマスターは語る。私と高畑は静かにマスターの話を聞いていた。
「選択肢はたくさんありますけど、きっとベストやベター、正しいや間違った選択肢なんてものは始めから存在していないと、ワタシはそう思うんです」
例えベストだと思えるような選択肢をすべてにおいて選ぶことができたとしても、それが最善のエンディングを迎えるとは断言できないとマスターは言った。理想は際限なく高く、それに反比例して現実は常に低空飛行だ。理想とは手が届かない夢だからこそ理想なのだ、とどこかで読んだ名言が脳裏をかすめた。
「選んだ時の選択肢に差はありません。差があるように見えたとしても、それはほんの些細なものでしょう。選んだ後に、その選択肢をベストなものにしていくのだとワタシは思います」
選んだ時にその選択肢はベストなものであると言うことはできなくても、その選択肢はベストだったと言えるようになることはできるのだと、マスターはそう言った。そんなマスターの姿に、厳かな雰囲気の中で聖書を朗読するような聖職者を幻視した。
「すみませんね、人生の先輩にこんな失礼なことを言ってしまって」
「いいや、タメになったよ。最善の選択肢を選ぶのではなく、選んだ、選ばされた選択肢を最善に持っていく、か。僕もまだまだだね。年下のマスターに教えられるなんて」
高畑はそう言って朗らかに笑った。何の気負いもない少年のような笑顔だった。根本的な部分で悩みが解決されたわけではないだろうけど、慰め程度にはなったのか。
「もしかしてマスターって教師に向いてるんじゃないですか?」
何の気なしの私の発言だったが、高畑も同意見のようだった。
「ははは、本当だよ。僕なんかよりもずっと教師らしい。マスターはまだ若いんだし、今から教員免許でも取ってみたらどうかな?」
平日は教師で休日は喫茶店のマスターなんて生活はどうだい?という高畑の言葉は冗談のようで、半分以上は本気のように聞こえた。実際のところ、マスターは教育者として大成できるのではないかと思う。家庭科の授業でコーヒーの淹れ方を教えているマスターの姿が簡単に想像できた。もちろんエプロンは何時もの猫のアップリケ付き。
前向きに検討したいと思います、とマスターが言葉を返す。政治家のような物言いに私と高畑は笑みをこぼした。
その後にあったのはなんてことのない、数日後にはどんな内容だったか思い出すのが難しくなるようなただの雑談だ。昨日の野球はどうだったとか、麻帆良はやっぱりおかしいとか、今度ちょっといい豆が手に入りそうだとか、そんなとりとめのない内容。ただの日常の一コマ。それでも今の私にとっては大きな意味を持つものだ。
「――――さてと、僕はそろそろ帰るよ。千雨君も暗くならないうちに帰るんだよ?」
一段落したところで高畑が立ち上がり、革製の財布をバックポケットから取り出す。財布の中から出てきたのは万札だ。高畑はそれをテーブルに置いて、お釣りも貰わずにそのまま外に出ようとする。そんな高畑をマスターは慌てて引き止めた。
「高畑さん、お釣りがまだですよ」
「お釣りはいいよ。今日はそれだけの価値があった」
「いやしかしですね……」
「年長者のプライドだよ。そう思って取っておいてくれないかい?」
その後も言葉を交わすが水掛け論に終わる。結局はマスターが折れて渋々と万札を受け取ることになった。
「そうだね、じゃあ最後に一つ僕の質問に答えてくれないかな。それがお釣り分の料金だ」
不服そうな表情のマスターの顔を見て、高畑は苦笑しながらそんなことを言った。
「質問、ですか。分かりました。なんでもお答えします」
「そんな気負わなくてもいいよ。簡単な質問だから。――――マスター、君は子供の頃に魔法使いになりたかったといったね。ありえない仮定だけど、もし時間を遡ることができて魔法使いになることができるという選択肢があったら、君はその選択肢を選ぶかい?」
それは少なくとも私には意味がある問いかけには見えなかった。仮定尽くしで構成されたありえない質問。
「どうでしょうね。純粋な子供時代でしたら選んでいたかもしれませんね。けど今でしたらワタシは選ばないと思いますよ。喫茶店のマスターが、ワタシの天職だと今は信じることができていますからね」
天職だと信じている、ではなく、天職だと今は信じることができている。ちょっとしたニュアンスの違いだが、そこには大きな隔たりがあるのだろうと理解できた。
数多の選択肢から選択し、奇跡のような軌跡を辿り、マスターは美味しいコーヒーを入れるに至った。けれど、十全に人生を送ってきたわけではないだろう。もしかしたら始めは、喫茶店を開くこともあまり乗り気ではなかったのかもしれない。けれど今はこの道を選んで良かったのだ、と。きっとマスターは自信を持って言うことができる。
「高畑さんはどうですか?魔法使いになりたいと思いますか?」
マスターは高畑に質問を返す。高畑は意表を突かれたようだったが、それでも迷うことなく力強い声で答えた。昔を思い出すような、そんな柔らかな表情を添えて。
「ああ。僕もね、実は英雄に憧れていた時期があった。もしかしたら今でもそんな子供じみた夢を追っているのかもしれない。きっと僕は魔法の呪文すら唱えられないような落ちこぼれなんだろうけど、落ちこぼれなりに努力してなんとかやっているんだろうね。そして結局教職の道も捨てきれないで二足の草鞋を履いて、オーバーワークに喘いで、自分の行いに苦悩する。きっと僕はそんな道を行っていると思う」
それはやけに具体的な回答だった。けれど高畑の顔に冗談の色はなく、実際にその選択を突き付けられたら、迷わずその道を選ぶのだろう。そんな意味のない確信が私にはあった。
「なんというか、それはまた茨の道ですね。そんな人生を選んで本当に良かったのですか?」
苦労に溢れていそうなハードモードな高畑の人生に、マスターの顔が若干引き攣る。そんなマスターの問いに高畑は迷うことなく頷いた。
「たくさん後悔していると思う。これで本当によかったんだろうかってね。けどその後悔から頑張っていけばいいのさ。過去は覆らないけど、未来をより良くすることはできる。そして過去は変えることはできないけれど、そんな過去を懐かしんで笑えるようにすることはできる。君がそう教えてくれたからね」
そこが会話の終着点。
ごちそうさま、また来るよ。ありがとうございます、またお越しくださいませ。店を出るときに交わすそんな形式ばった挨拶も私にはどこか親しみに満ちているように見えた。
そうして高畑は出て行った。最後に、千雨君をよろしく頼むよ、という意味深な言葉を残して。
私はその言葉の意味を推測して少しばかり顔が赤くなってしまった。そんな私は顔を少し俯かせてコーヒーの追加注文をする。
苦味の強いマンデリンが、私の顔を誤魔化してくれると信じて。
他の二次創作では大体オリ主の噛ませ役程度にしか扱われないタカミチを登場させました。理由はこないだコンビニで会ったオッサンがタカミチそっくりだったから。本当は5000字以下だったのですが、タカミチ登場によって軽く10000字を超えたので、2つにわけました。一話完結の予定のはずがどんどん文章量が増えていきます。
時系列として4月初頭。桜通りの吸血鬼事件が起こる直前です。
筆者の頭の中ではタカミチは原作の中の魔法関係者の中では最もまともなキャラだと考えています。アニメでは木久蔵ラーメンもどきを啜ってる変人キャラでしたけどね。
彼は戦争というものを直に体験した経歴もあります。だから本当はネギと3―Aと関わらせたくないと思っていたんじゃないでしょうか。ガトウとの約束を破ってしまうことにもなりますし。
勿論英雄の息子としてネギを認めていたけれど、教育者として考えるとそれはちょっと・・・という感じ。
しかし麻帆良学園という組織に身を置いている以上、彼にも立場というものがあり、そのことと自分の考えが板挟みになってしまい、精神的に参ってしまうことがあったと思います。まだ10歳のネギと生徒に重荷を背負わせてしまうことに罪悪感もあったと思います。きっと自分に対しもどかしい気持ちもあったのでしょう。そうした考えが募り、こんな道で良かったんだろうか、と自問した結果が本編のタカミチです。全部筆者の妄想の産物なんですけどね。
感想、ご意見お持ちしております。