ーー窓に寄りかかり、夕暮れ時の学校風景を見つめていた時。
ふと、“前世”でのやりとりを思い出した。
「・・・なぁ雪ノ下。俺と」
「ごめんなさい、それは無理」
「だぁっ! まだ何も言ってねぇだろ」
俺からの「お友達になってください」発言を華麗にスルーしながら「くすっ」とおかしそうに笑って見せた彼女の顔を思い出す。
「前に言わなかったかしら。あなたと友達になることなんてありえないわ」
「そうかよ・・・」
「そうよ。虚言は吐かないもの」
失言も暴言もあるけれど、あの時の俺は確かそう感じてたはずだ。そして、こうも誓っていたと思う。自分のエゴを、理想を押しつけないと。俺も雪ノ下もその呪縛から解き放たれていい頃だと思う、と。
「いや別に嘘ついてもいいぞ、俺もよくついている。
知っているものを知らないっつったって、別にいいんだ。許容しないで、強要するほうがおかしい」
あの時の俺は、これだけで雪ノ下に伝わる。そう信じて言うべき言葉を選んで言った。俺が何の話をしていて、いつの話をしているか、雪ノ下なら伝わるに違いないと信じていっていた気持ちに嘘はない。
「・・・・・・嘘ではないわ。だって、あなたのことなんて知らなかったもの」
いつかと同じやりとりの焼き回しを、いつかと異なる二人で行い、いつかの時にはいなかった奴が乱入してくる今が、“あの場所”には確かにあった。
「・・・・・・でも、今はあなたを知っている」
その一言を放ったときの雪ノ下の表情を、笑顔を、俺は死んで生まれ変わって“あの場所とは違う今”を生きる身になっても忘れることが出来ずにいる。
ーー言葉は誤解のもとだからね。
ああ、まったくそのとおりだと今でも思う。思い続けてる。
だって、そうだろう? あの時からあの後に続いた俺たちの関係は言葉による誤解で溢れかえっていたはずだ。
他人と関わり介入し、他人との距離が縮まれば、その分だけ身近にいる誰かとの心の距離は遠ざかる。その愚かしいまでの繰り返しの果てに、“俺が死んだ水族館からの帰り道”が在ったはずなんだ。
どれ一つ欠けたところで今はない。雪ノ下の暴言も、俺の間違った選択も、由比ヶ浜という不確定要素もすべて引っ括めた未来の果てに今の俺は此処にいられてる。
意味はないのかもしれない。自己満足に過ぎないのかもしれない。単に、時間逆行転生なんていうラノベ主人公にありがちな経緯を送れた自分自身を特別な存在として祭り上げたいだけかもしれない。
そういう傲慢さは俺にもある。きっと雪ノ下にも、由比ヶ浜にだってあるだろう。人は欲がなければ生きていけない生き物だから。人類皆俗物だから。俺もお前もみんながみんな醜さを内包しながら、それでも何とか日々を生きてる。死なずにきてる。
ーーだったらさ、雪ノ下。一度死んだ人間だって、別人として生き返ったからには欲しい物を手に入れるために頑張っていいんだよな?
たとえそれが“あの場所”に至る道を閉ざしちまうかもしれなかったとしても。
昔から欲しかったそれとは、微妙に違ってしまっているのかもしれないけれど。
でも、欲しいと思った気持ちは嘘じゃない。大事なことに虚言は吐かない。
一向に手に入らないから諦めたそれに、もう一度手を伸ばすのを“あの場所”まで待てなくなってる俺の気持ちに嘘はない。失礼ではあるだろうし、暴論かもしれないけれど。それでも気持ちに嘘はない。俺は俺の信じたがってる本物にだけは虚言を吐かない。
見えてしまって触れてしまって手に入れられると思って間違えた答えを。
もう一度だけ、問い直そう。何度だって問い直そう。正しい結論が導き出せるまで、何度も何度も世界に向かって、世間に向けて問い続けよう。
俺たちにとっての正しい結論をーー
ーーいいや、違う。それは雪ノ下のやり方だ。俺のやり方はそうじゃない。
あの時とは違う俺の目的、あの時とは違う俺が願ってしまった“そうしたい理由”
俺の世界には俺しかいない。俺が直面する出来事にはいつも俺しかいない。それは今も続いている。
この世界に俺の前世を知る人間は俺しかいない。俺の変えちまった未来に責任をとれる人間は俺しかいない。至るはずだったルートを潰して、おまえたちと過ごした“あの場所”を消しちまった責任は一生涯俺一人でしか背負うことを許されない。
疲れたって肩代わりしてもらうことは出来ない。肩を貸してもらうことすら許してもらえない。
そういう道を、今から俺は選んじまうけど、許してくれよな雪ノ下。
俺はたぶん、生き返りとは関係ない理由で“あの場所”にいた頃の俺とは、違う人間になっちまってるんだと思うから。あの俺とは違う身体で違う人生を生き、同じ人たちと違う関わり方をしてきた俺は“あの場所”には行き着きたくてもいけなくなってしまっていると思うから。
俺たちは俺たち自身のことを誰よりもよく分かっているし、知っている。
相手のことも互い同士のことに限定すれば、他の奴らよりかは分かっていたと信じれる程度には知っていたつもりだ。
だけどお前は、俺がお前をどう思っていたかまでは知らないだろう?
当然なんだけどな。だって、今の今まで俺自身でさえ知らなかった俺の気持ちなんか、あの時あの場所にいたお前に知る術なんか無いもんな。
あの時あの場所にいた互いのことを、俺たちは知ることが出来ていたのかのしれない。
あの時の延長線上に水族館があったなら、それは俺たちの未来が既知でのみ成り立っていることを暗示していただけなのかもしれない。
でも、今の俺は“あの場所”にいた俺とお前を知っているけど、今目の前で泣きそうな瞳をして強がりという名の虚言を吐く弱い女の子の雪ノ下雪乃については何も知らない。
弱い雪ノ下に至っては、今の俺のことなど名前しか知らなかった程だ。
なら、出すべき答えは簡単だ。前を向こう。相手を見よう。自分の本当に欲しいものと向き合おう。今の俺と前の俺とにさよならしよう。
戻れないなら前へと進もう。手に入らないなら工夫しよう。
間違えてきた俺なら、お前を傷つけたことのある今の俺なら出来るかもしれないと信じて、もう一度だけでも踏み出してみよう。あれが最後の間違いだったとするためにも、これを最初の間違いじゃない答えに続く選択肢にするために、理想を押しつける勇気を出そう。
嘗ての由比ヶ浜がやってくれたことを、アイツがいない今に限っては俺が代わりにやってやろう。
さぁ、踏みだそう。間違いだらけの青春をリスタートだ。
死んで生き返ってまで同じ間違い方で間違えちまったら本当に『死んだって治らなかった馬鹿』にされちまう。お前が認めてくれた唯一の文系学力でさえ馬鹿にされるのはなんかムカつくからな。詭弁を弄させてもらうぜ?
「俺はお前と友達になりたいと思ってる」
「・・・さっきも言ったでしょ? 私があなたと友達になることなんてありえないって」
「“今は”そうかもしれない。でも、明日に同じ言葉を言われた時には答えが変わっているかもしれないだろう?」
「同じよ。変わらないわ。明日だろうと明後日だろうと、私は未来永劫あなたと友達になりたいと思う日なんかこないわ」
「そうかな? お前が拒絶できるのは今のお前が知ってる俺だけだろう? なら、お前が知らなかった俺を知った明日のお前が出す答えを今のお前が分かるはずない。
何も知らない相手の想いを、何も知らない自分の今だけで想定するのは“決めつけ”と言う名の傲慢だな」
「詭弁よ、そんなもの。どこにも正しさなんてない」
「ああ、そうだとも。正しさを追求するやり方なんて、俺が正しいと信じているやり方じゃあない。正々堂々、真正面から卑屈に最低に陰湿に、傷を舐めあうか、蹴落とし合うかの底辺同士のコミュニケーション方法。それしか俺は知らないからな。
やってきたことのないもんには手が出せない。だから俺はこのまま行く。このやり方で俺はお前と友達になってみせる」
「・・・・・・」
唖然とした表情を浮かべてポカンとしながら俺を見つめる雪ノ下。
然もあるだろう。学校にいる間中、独りぼっちで本ばっかり読んでたクラスメイトの女の子、その程度のことしか今の俺を知らないのが今のお前なんだからな。
「お前が俺を拒絶するならそれでもいい。だからと言って俺がお前の抱えてる問題を解決するため介入するのを邪魔する権利は、お前にはないはずだ」
「これは私の問題よ。部外者が勝手に介入しないでちょうだい」
「違うぞ雪ノ下。お前は勘違いをしている。
俺がお前の問題をどう思おうと、それは俺の問題であってお前の問題じゃない。
俺自身が抱えた問題を解消するためお前の問題に介入し、お前がどう思うかがお前にとっての問題のはずだ。違うか?」
「・・・だからそれが詭弁だとさっきから言ってーー」
「それがどうかしたのか? 赤の他人が他人事に口を差し挟む理由なんかそんなもんだろうに。
詭弁で介入してきたのを正当化して言い訳して何もかも責任押しつけて勝手に去っていく。それが“友達”じゃない赤の他人がお前にしてきたことだ。それの色違いが現れただけだとでも解釈しておけば済む話なんじゃないのか?」
「・・・・・・」
「だから俺はお前の問題に俺自身の問題として介入する。邪魔はさせない。部外者の介入は許さない。
俺一人が直面している問題には俺一人しか存在してない。お前の問題にお前一人しか存在しないのと同じようにだ」
「・・・・・・・・・」
「悩めよ雪ノ下。自分の問題として俺の介入について考えてみろ。そうすりゃ、今よりかは俺のことを知ったお前になれると思うぜ」
「・・・・・・・・・驚いたわ。見た目は良いけど、根暗で引き籠もりがちなだけの女の子だなと思っていたのに、あなたって意外に厚かましくて傲慢な性格をしていたのね」
視線だけで人を殺せそうな冷たい瞳。彼女の弱さを知る前の俺が怖くて仕方がなかったのと同じだけの感情を映した瞳に睨まれても、今の俺には微塵の影響も与えられることはなかった。
前の強い彼女を知ってる今の俺には、今の彼女の視線の意味が“負け惜しみ”に過ぎないことを分かってしまうから。
「傲慢で何が悪い。行動理由に詭弁を用いる事の何が悪いんだ? 変えられない状況を前に「変われ変われ」と幾らほざいたところで負け犬の遠吠えにしかならない。
なら、自分が変わることなく状況だけを変えるため口実として利用することの何が悪い? どこが悪い? なにがどう間違っているとお前は主張する?」
「・・・・・・それじゃあ悩みは解決しないし、誰も救われないじゃない」
蚊の鳴き声のような、雪ノ下が発したあの時と同じ言葉。
ああ、確かに正しいと思える言葉だ。言葉自体は間違っていない。言葉だけなら非常に正しい。雪ノ下のことを何も知らない頃の俺が納得しかけたのも理解できる。
ーーけどな。
「・・・それじゃあ他人の悩みを解決できるだけで、お前自身が永遠に救われないままじゃねぇか」
「・・・!!!!」
そうだ。今の俺は、未来の雪ノ下を知っている。雪ノ下の家庭の事情を、雪ノ下の歪みの原因を、雪ノ下の全てではなくても抱えている問題ぐらいは把握している。全部じゃないけど知ってる範囲はすべて知ってる。覚えているんだ。
なら、雪ノ下の本当の望みはなんなのかは自ずと想像がつく。
「雪ノ下。直ぐにとは言わない。問題が解決した後で・・・なんて急かす気もない。だから考えておいてくれ」
「・・・友達になる件について?」
「俺自身の事についてだ」
再び唖然となって黙り込む雪ノ下。
今日は生まれ変わって再会してから数年分の雪ノ下百面相を見れて楽しかったな。お代は救ってやるだけでチャラにしとこうと思えるぐらいに。
「今のお前が俺と友達になりたくないならそれでもいいんだ。でも、俺のことを何も知らないまま「友達になんかなりたくない奴」ってレッテル張られて決めつけられるのはゴメンだ。俺の願いを拒絶するなら、ちゃんと俺自身について知ってからにして欲しい。
その上で断られたら、もしかしたらだけど頑固な俺も考え直してくれるかもしれないぞ?」
前世とは似てもにつかない小町顔の俺が浮かべる、前世と同じに素敵な笑顔。
それを見て雪ノ下は、何かを諦めるように嘆息する。
「・・・・・・・・・諦めると明言してはもらえないのね・・・」
その言葉を聞いた瞬間、俺は生まれ変わってから今までの人生で最高レベルの素敵すぎるドン引き笑顔を満面に浮かべながら、人生初の勝利宣告を世界に向かって高らかに歌い上げてやった。
「これは俺の抱いた願いだぜ? なんで友達でもないお前の願いで諦めたりしなくちゃならないんだ? そういう個人的なお願いはな、もっと仲良くなって友達とか誤解されるレベルになってから行わないと勝手に誤解されて終わる物なんだよ。ソースは俺」