試作品集   作:ひきがやもとまち

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少しずつ書き進めて、今さっき完成した『伝勇伝』の人殺せるバージョンを更新です。


伝説の勇者を否定する伝説 5章

 

 代々ローランド帝国王の護衛を任されてきた大貴族、エリス家。

 最強と称される剣士を生み出し続ける名家であり、あくまで王の護衛を任務として表舞台には決して立たず、戦争に参加しなかったことから一般にはあまり武名があまり知られていない神秘的な一族。

 

 名の通った貴族たちの間ではエリス家の道場に通うことが一種のステータスになっているほどで、身分の高い貴族の師弟たちが『箔付け』のため剣を学びに来る場所として、邸内には巨大な道場まで構えている。

 

 この家に出入りすることが出来るのは一部の者たちだけ。

 すさまじく身分の高い貴族たちだけが入ることを許された、石造りの荘厳な場所。

 

 そんな大貴族中の大貴族が住まう本邸内にある中庭で、ローランド帝国王と妾腹の子である三流貴族シオン・アスタールは、国家乗っ取り計画の片棒を担いでもらうための相談事をエリス家の姉妹と話し合っていた。

 

 

「ふむ。とりあえずは、そいつらの居場所だけでも掴むため、私たちに調査をやれと言うのだな?」

「ああ。できるか?」

 

 シオンは自分の素性をぼやかして相手に伝え、何人かいる兄たちの命を狙われていることを説明し、それら自分の命を付け狙う者達が誰なのかだけでも見極めたいと、自分がエリス家を尋ねてフェリスに助力を求めた事情を端折りながらも何とか整合性を保って説明し終えることに成功した。

 

 なぜなら彼女たちがエリス家だったからだ。王の護衛を代々し続けてきた名家中の名家の令嬢たちなのである。

 そんな相手に自分の素性と真の目的を――ローランド王の息子の一人で、今の支配体制を崩壊させ、国を乗っ取ろうと企んでいる野心家であり反逆者でもあるという事実を、完全に伝えて協力を仰ぐには抵抗がありすぎる相手だったのだから。

 

「ん。難しいな。第一情報が少なすぎる。変態秘密主義のシオンは、自分の父親に当たる高名な貴族とやらの名前さえ私たちに明かそうとはしないのだからな。

 闇雲に居場所を探れと言われても、不可能でしかない。――そこで明日から、お前に監視をつける」

「監視?」

「そうだ。お前の周りで不審な動きをしている奴の跡をつけさせるためにな。

 監視役はイリスだ。お前は明日からイリスに監視され続ける。朝も昼も夜もトイレも風呂もベッドの中も」

 

 そう言って、シオンの窮地を救ってくれた命の恩人であり、美しすぎるが無表情な美人剣士フェリス・エリスは、自分の手を引いて付いてきていた幼い妹の少女イリス・エリスの、姉に似て美人に育つ将来の姿しか想像しようのない美貌の頭に片手を乗せる。

 

「・・・・・・ふむ。これはイリスにとっても、いい勉強になりそうだな。いかに男が野獣なのかを理解するために・・・。

 そして、男に絶望したイリスは永遠に私の奴隷として・・・・・・ふふふ」

「奴隷って一番よい子のことなんだよね姉様? イリス知ってるよ。イリス、姉様の奴隷だもんね!」

 

 その美しすぎる妹も、かわいらしい声と口調と微妙に可愛くない恐ろしい内容の言葉を口にしながら、シオンとしては苦笑するしかない。

 

「じゃあ、とりあえずそれでやってみようか」

 

 そう言って、計画を始めさせただけが彼の対応だった。

 『こんな小さな子に手伝わせるのは危ない』という類いの反問や疑問を呈そうとは微塵も思うことはないままに。

 

 なぜなら既に『言った後』が今であり、『見た目に騙されれば死ぬだけ』という現実の実力差を、身を以て思い知らされた直後なのも今のシオンだったのだから。

 

 そして帰り際に思う。

 

 ――やはり、この家の人間たちは一人残らずバケモノ揃いだと。

 

 昨夜に言われたとおり、だんごを持ってフェリスの元を訪れたとき、最初に通された道場で出会った穏やかそうな美青年でフェリスの兄でもあるらしい『ルシル・エリス』も、人間のものとは思えないほどの殺気を放ち、殺気が消えた瞬間には嘘であったかのように穏やかで何もない、ずっと変わらぬ優しげな微笑だけを残したまま――自分を殺す寸前までいった男だった。

 もしあの時フェリスが兄の邪魔をしてくれなければ、確実に殺されていただろうと今でも冷や汗がでるほどだ。

 

 そんな彼らの家をシオンが訪ねたのは、『彼女たちの力』を彼自身が欲したからだった。

 兄たちや父と違って、今の自分には何もない。

 野心に気づかれて全力で叩かれたら、今はまだ対抗する術がシオンにはない。

 

 生まれながらに、この国で二番目に大きな力を持った兄たちと違って、王が戯れに見初めただけでしかない『小汚い犬の子供』の自分には、彼らを叩き潰して腐った国を変える力が、今はまだ足りていないのだ。

 

 だが昨晩、自分を助けてくれた彼女の――フェリス・エリスとエリス家の力があれば、アレだけの力が手に入るなら出来ることは大きく変わる。

 政治力。軍事力。綺麗なことも汚いことも全てひっくるめて、もっと、もっと、もっと――ッ!

 

 その為には、あのルシル・エリスのような悪魔さえ、使いこなす必要が自分にはあるのだ。

 あの人間のものとは到底思えない、獣の殺気でさえ生温い、だが吹けば霧散して消えてしまいそうなほどの静けさを同時に宿した、悪魔の殺気を持つ男の力さえも――

 

 

「・・・・・・ああ、そうか。そこがアイツと違うのか」

 

 そして不意にシオンは納得して足を止めた。

 自分の親しい人間に、あの化け物と同じような殺気を、間接的にとはいえ感じさせられた翌日だったからこそ思った比較対象。

 静けさなど全くなく、殺意と怒りと不愉快さを隠す必要すら感じたこともなさそうな、獣よりも魔獣と呼んだ方が正しそうな魔的な殺気を発する少年。

 

 ローランドの黒い死神、ラグナ・ミュート。

 彼が昨晩、刺客たちに放っていた殺気も到底人間のものとは呼べないほどの獣じみた、もしくは悪魔じみた鬼気迫るものがあったが――ルシルとは致命的に違うものであったことがバケモノたち二人と直接出会った者としてハッキリ伝わってきたからだ。

 

 それ故に、ルシルとラグナが戦えば、確実に死ぬのはラグナの方だということも理解できる。

 ルシルに近い殺気を持ちながらも、ルシルより弱いラグナにさえ自分は勝てない。もし戦えば殺されるのは自分だけだと、自分自身で心の底から思い知らされたばかりだからである。

 

「・・・・・・やはり俺の進むべき方向は、戦闘ではないという事なんだろうな。

 直接的な強さでアイツらに勝てるようになれるとは到底思えないし、もっと総合的な強さを求めなければダメか。

 ま、最初から分かってたことだからいいけどな・・・・・・」

 

 そう呟き捨てながらも、一応は王立軍事特殊学院で全科目トップの成績をキープし続けるため自分なりに努力してきた自負のあるシオンとしては多少の残念さぐらいは感じざるを得ない。

 やはり男として、『最強』という言葉と存在に憧れを抱かずにはいられないものなのだ。

 

 だが自分の目指す夢のためなら、その想いは捨てられる。より大きな力を得るためなら、それを得られる力をこそ欲してみせる。

 

 ――やってやる。面白いじゃないか。

 

 そう思い、我知らず笑顔を浮かべながら、深い闇に包まれたエリス家の邸宅を出て行く彼の背中を、笑みと共に見送っていた闇を凝縮した暗く優しい美青年の視線に気づくことなく――。

 

 シオン・アスタールとフェリス・エリスとの初邂逅は、こうして幕を閉じ、二人の共犯関係が新たに幕を開けることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 ――その日から一ヶ月ほどが経過した、ある日の午後。

 

「ねぇラグナ。最近さ、シオンの顔色悪いと思わない?」

「あァ? 知らねぇよ、んなモン。俺の顔色よりはマシなんじゃねぇーか、多分だがな」

「・・・いやまぁ、アンタより顔色悪かったら問答無用で病院につれてってるから聞く意味ないんだけど――って言うか今は、そんな当たり前なことはどうでも良くて。

 とにかく顔色が悪いのよシオンの。なにか悩み事でもあるのかしら?」

「悩みがあるからって、他人の俺らが立ち入る問題じゃねェ――だりィ・・・。くだらねぇ一般的形式論マジかったりぃ・・・」

「って、やっぱりそっちが本音かい! 一瞬でもラグナがまともなこと言えたと思って、否定されてたのに喜んじゃってた私がバカでした!?

 あと、せめて最後の「だろ」ぐらいは「ダリィ」に変えず普通に言え!」

 

 そんな会話を、ラグナとキファが班ごとに学院側から与えられている集会部屋の中で交わし合っていた。

 そこは総勢6人の班メンバー全員が入ると満員になってしまうような狭い部屋で、実際に6人全員が集まっている今は満員状態になってしまっている最中だった。

 要するに、

 

「っつーか、んなもん俺に聞いてどうすんだよ。本人に聞け、本人に。目の前にいんだから聞きゃいいだろうが、赤の他人の俺に聞くより手っ取り早ぇし確実なんだから聞けよ」

「う、ぐ・・・それもまぁ、そうなんだけどぉ・・・・・・」

 

 ラグナから冷静にジト目でツッコまれて、途端に旗色が悪くなって勢いが衰えるキファ。

 そうなのだ。今この場にはラグナたちが属するシオン率いる班のメンバー全員が集まっている。

 総勢6人のメンバー全員が、である。その中には当然リーダーのシオンも混じっており、二人が騒いでいる会話内容を目の前で聞かされる位置に座っていたりする訳なのだが。

 

「なるほど。僕は今、そんなに顔色が悪く見えているってことかな? それこそラグナの顔色と比べられてしまう程に」

 

 二人だけの会話で話題のタネに使われてしまっている当人として、苦笑しながら自分を囲むように席に着いている他の班メンバーたちに意見を聞いてみたところ、全員から躊躇いなく一斉に頷きを返されてしまった。

 

「どうしたんだよシオン。ほんとうになにか悩み事でもあんなら力を貸すぜ?」

 

 仲間の一人であり男子生徒のタイルが、最初に肯定する声を上げ。

 

「我々が協力することで解決できる問題なら、相談してもらえた方がこちらとしても気疲れしなくて済むのだがな」

 

 続いてトニーが淡泊かつ合理的に、それでも内容的には心配している意思を伝え。

 

「そうですよぉ。悩みって恋じゃないんですか? 恋ですか? 恋でしょ?」

 

 そして最後に紅一点のファルだけが、心配しているのか賛成しているのか、ただ己の趣味を満たしたいだけで生きているのか判然としない返事を、目を輝かせながら言ってくるのを聞かされながら、シオンは彼らの方にだけ返事をして、ラグナたちの方は目の前にいる者同士で無視し合い。

 

「いや最近、少し寝不足だっただけだよ。ここ一ヶ月ほど、あんまり寝れてなくてな・・・・・・でもそれももう終わるみたいだし、ラグナが煩ってるほどの不眠症じゃないから心配するほどのことではないよ」

 

 と、友人を引き合いに出すことで、誰からも否定しようのない根拠として周囲からの反論を完全シャットアウトするため利用させてもらうことにする。

 

 実際問題シオンが、身体に悪そうな顔色になるほど寝不足になっていたのは理由があり、エリス家を訪れてフェリスとイリスという人の形をした美しすぎるバケモノたちの助力を得られることを約束してもらった例の日から、今日までずっと夜になると護衛役として派遣されてきたイリスの相手をせねばならなくなって、自分の部屋で一人になって眠れるのが夜明け前の数時間分だけという状況が一ヶ月ほど続いていることが原因だった。

 

 最初はキツすぎる生活スタイルだったが、人間の身体というのは慣れるもので、今では日常生活を送る上での負担などは感じることなく、少ない睡眠時間だけでやりくりすることが可能な肉体となっていた。

 

 だが、やはり慣れて平気になったつもりではいたが、体には悪い生活スタイルだったということなのだろう。仲間たちの目に映るレベルで身体に支障が出てしまっていたようだ。

 

(――だが、今日は久しぶりにゆっくりと眠れそうだ・・・)

 

 フェリスたちがシオンの周りを監視し始めてから一ヶ月が過ぎた昨日の夜のことだ。

 深夜遅くにシオンを尾行していた不審人物をイリヤが発見し、フェリスと協力して黒幕と接触しにいくところを押さえるため監視を強めていた。

 彼女たちは敢えて監視に気づかせ警戒させ、黒幕の元へ報告しに行きたくとも、接触する危険性を考慮すれば出るに出られぬ焦慮を相手に強要する心理戦を仕掛けていた。そう長い時間かからずボロを出すのは確実だろう。

 

「なるほど。つまりシオンは・・・・・・恋人ができたんでしょ!? 恋人ができたんですね! いやぁん♡ だから毎日寝不足になってるなんて、シオンのエッチ~♡♡」

 

 ・・・・・・だというのに何故この紅一点メガネ少女は、こういう解釈ができてしまえるのだろうか?

 何をどう聞いたら先程までの返答を、そんなブっ飛び解釈の末に恋愛話へと飛躍して信じ込めるのか、男であるシオンには一生涯思考回路が不明そうなファルの感想だったのだが・・・、

 

「なんだとぉ!? マジかよシオン! 俺たちに黙って抜け駆けするなんざ・・・! どうするよトニー!?」

「許すわけにはいかないな。我ら生まれは違えど、死ぬ所が同じでなければ仲間ではない。裏切り者には死の鉄槌を!!」

 

 しかし、どうやらシオン以外の男たちには一定数の支持層がいる解釈の仕方ではあったらしい。

 トニーが額に青筋を浮かべながら席を立って、拳を「ボギリ」と鳴らすのを聞かされながら、モテない男の嫉妬というものの恐ろしさを見せつけられつつ、

 

「あはは。違うよ。いろいろ事情があってな。でも、心配かけたみたいだね。そんなに顔色悪いとは思ってなかったけど、ちょっと顔洗ってきた方がいいみたいだ」

 

 そう言って、なにやら変な方向に誤解されて仲間割れの危機に直面しそうだったので、適当に言い訳して部屋の外へ出てすぐの水場へと向かって歩き出すシオン。

 

 部屋を出て、仲間たちに背中を向けて見えなくなった、その瞬間。

 

「・・・・・・ここからだ。逃がしはしない。ようやく尻尾を捕まえたのだから・・・」

 

 一人呟きながらシオンの目が鋭く細められ、その瞳には野望と憎悪、そして確信とが宿って怪しい色のカクテルを作りだし、口元には柔らかくて危険な笑みを浮かべ直す。

 

「俺がここから上っていく。その為には目の前に立ち塞がる奴らは、誰であっても叩き潰してやる。そして――」

 

 野望と憎悪と、そして強い確信を込めた笑みを浮かべながら、そこまで言い切ったシオンだったが・・・・・・ふと、そこで思考を一度止める。

 

「だ、だいたいラグナは他人に気を遣わなすぎなのよ! 相手の顔色を見ていろいろ考えれるようにならないと、女の子に気を遣ってあげることも出来ないんだからね!?」

「はぁ・・・・・・ダリ。首絞められて抵抗しなけりゃ窒息で眠れるかと思ったが、やっぱ腕力低すぎてダメか・・・・・・めんどくせ、ダリぃ・・・・・・」

「殺す! この男、今日こそ殺してやるわ――――って、痛ぁぁぁぁっい!?」

 

 思考を止めて振り向いた先では、上半身を机に突っ伏しながら、普通の健康体な人間であれば死にかけているとしか思えない声で愚痴っているラグナが、額に青筋を立てて首を絞めあげていたキファの努力を無駄にさせ、思い切り殴りつけた痛みで自爆して、馬乗りになっていた姿勢から飛び上がって身を離し、涙目でピョンピョン跳ね回っている彼女の姿が視界に映っていた。

 

「いいぞ、やれやれー」

「ラグナを気絶させるため全力で殴るんだキファ! ――自爆して痛がる姿がカワイイぜ♪」

「キャーッ♡ キャーッ♡♡ 攻めてるのに責められてるキファの強気ヘタレ受け、キャ~ン♪♪」

「あんた達、私を応援してるフリして、実は無様な姿を見たがってるだけなんじゃないの!?」

 

 ようやく仲間たちから自分への評価と感想に気づかされ、涙を浮かべて反論するキファ。

 だが、その反応すらいつもの行動の延長線上にあるパターンでしかなく、いつの間にか班のメンバーたちまで彼らを囲んでヤンヤヤンヤと騒ぎ立てている始末。

 

 シオンは、そんな仲間たちを眺めて目を細めていた。

 そこには、ゆったりとした時間が流れていて、陰謀や、罠や、殺意や、憎悪なんて言葉は介在しない。少なくとも彼には介在している部分は見いだせなかった。

 

 戦争もなく、死もなく・・・・・・平和だった。

 拍子抜けするほどに、ひどく平凡な日常。

 

 最近その光景を見ているとき、シオンはふと思うことがある。

 自分の野望や復讐は、実はとんでもなく無意味なことなのではないのか・・・・・・と。

 

 自分を虐げてきた親や兄たちに復讐して、王になってやるという夢。

 それは沢山の人間を犠牲として要求する、血の色をした夢。屍の山の向こうに良き国が待っている優しい悪夢。

 

 ・・・・・・そんな夢は、本当に必要なのだろうか?

 ここにはもう、自分が求め続けた夢の全てが揃っているのではないだろうか?

 仲間たちと笑って、喧嘩して、また仲直りして―――それ以上に何を望むものがある?

 

「俺が目指す場所は・・・・・・」

 

 ――もう自分は、到着することが出来ているように思う。

 今が平和なら、今の平和が続いてくれるなら・・・・・・兄たちへの復讐も、自分が王になって国を変えることも必要ない。

 ・・・・・・仲間たちを見つめていると、シオンは心からそう思える。

 

 

 だが――だが、その夢は。

 シオンが感じた、今ここにある優しい世界は・・・・・・

 

 

 『幻想』以外の何者でもない。

 

 

 当たり前のことだ。

 今この場にいる、「優しい者たちだけの空間」を基準として国全体を語った評価に、意味などあるわけがない。

 現実にシオンの兄たちは、妾腹の息子で王位継承のライバルともなり得ぬ弟を殺すためなら、一緒にいただけのラグナまで巻き込んで殺してもよいとし、周辺民家をも吹き飛ばす大規模破壊をおこなっても構わないと切り捨てたばかりなのだ。

 

 彼らの心の平安を守るためなら、邪魔な者は殺して良く、邪魔な者を殺すためなら無関係な者を巻き込むのも良い。

 ・・・そんな世界の、そんな社会の、そんな国の、どこが優しい? どこに平和がある?

 

 

 所詮は心身共に疲れ切っていたシオンが抱いた、一時の気の迷いでしかない幻想だったのが、その光景だった。

 見たいと思ったから視えた気がした。欲しいと願ったから手に入っている気になった。

 欲しいと願った平和な世界が、やりたくない戦乱と犠牲を引き起こさないと手に入らないのが現実の世界だったから、そんな世界が現実だと思いたくなかっただけのこと。

 

 現実逃避だ。それ以外の何者でもあり得ない。最初から分かり切っている。

 あるいは、現実逃避なればこそ、今この時に感じていたいと本能的にシオンは思ったのかもしれない。

 彼は心の中で、本能的に気づいていたのかもしれない。

 

 ――明日から自分は、この場所へ戻ってくることが出来ない道へ進み出すことを。

 ――今日が自分が感じられる、最後の優しい世界になることを。

 ――今この時までが、優しいだけの自分でいることを許してくれる期限であることを。

 

 彼は・・・・・・押しつけられた運命から与えられた、最後の慈悲によって感じていたから・・・・・・だから、そんな夢を最後に抱くことが出来たのかもしれなかった。

 

 

 だが、夢は夢だ。夢は覚める。

 優しくても、優しくなくても、夢はいつか必ず覚めて、現実へと帰還させられる。

 そして、一度でも追放された夢の世界に帰ってくることは、二度と許されることは無い・・・・・・それが、現実。

 

 

「し、シオンさん!? た、大変だ! 大変なことが起こっちまった!?」

 

 突然、部屋の扉が壊されるように開け放たれ、別の班にいるシオンが勧誘した仲間たち数人が駆け込んでくる。

 その全員が血相を変えて慌てふためき、尋常ではない事態が到来したことを表情だけで全員に伝わり、ラグナを除く騒いでいたメンバーたちも黙り込んで彼らを見る。

 

「落ち着け、ロル。いったい何があった?」

 

 そんな中で只一人だけ、冷静な態度のままシオンが走ってきた仲間へと歩み寄り、興奮している相手を落ち着かせるように静かな声音で質すが・・・・・・相手の方は要領を得ない。

 

「ど、どうしようシオンさん!? やばい! やばいよ!?」

「俺たち、し、しし死ぬかもしれない! やばい!やばい!やばいやばいやばいッ!?」

「なんでだ!? 一体なんでこんなことに!? ああ、神様ぁぁーッ!!」

 

 皆がひどく動揺したままで、「やばいやばい」と連呼するばかりで意味のある情報を全く発しようとしないのである。

 コレでは状況がつかめず、不安ばかりを増大するだけでしかない。

 

「静まれッ!!」

「――ッ!?」

 

 埒があかないと見たシオンが怒鳴り声で一喝し、ビクッとなった相手たちが怯えたように黙り込む。

 恐怖心で混乱して正常な判断力を失っている相手を沈静化させるには、より以上の恐怖を感じさせて血の気を引かせてしまうのが一番手っ取り早いからだ。

 

 何が起きているかは分からないが、危機的状況になりつつある情報を掴んだからこそ慌てていることだけは、今までの話から明らかなのだ彼らだ。

 

 だが、『到来しつつある危機的状況』より先に『目の前にいる相手』が恐怖で上回っている状態とあっては、先のことを心配して慌てふためく余裕は失われるしか無いのだから・・・。

 

 ショック療法であり、後遺症もないではないが、この際はやむを得なかった。

 

「じゃあ、ロルだけ話せ。他の奴らは黙ってろ。一体どうした? 事情はどうなっている?」

 

 ひとまずは表面的にだけでも落ち着かせた相手に対して、畳み掛けるように矢継ぎ早に、一方で聞いている内容は一つだけに絞って問いを投げかけるシオン・アスタール。

 普段は好青年然とした優しげな口調とは違う、ラグナに対するときなどに見せる命令形が混じった本来の口調。

 恐怖に加えて、普段とのギャップ差で混乱する相手に、余計なことまで気にする意識を取り戻される前に聞くべき情報を聞き出す必要があると判断した彼の交渉術。

 

 その術に引っかかり、ロルというらしい相手の青年は震える口調で、問われた質問に関する答えだけをシオンに伝えた。

 

 それはシオンが『率いる者』として見せた最初の威厳が成功した事実を表すものだったが、それによって得られた成果は最悪と言っていい内容のもの。

 

 ロルは怯えた表情と口調で、こう語ったのである。

 

 

 

「いやあの・・・・・・隣国のエスタブールが、ローランドの領土を侵したんです。

 また、戦争になる・・・戦争・・・戦争に・・・・・・ど、どどうしましょう? シオンさん・・・。

 お、おお俺たち、兵隊としてせせ、戦場にいかなきゃいけなくなる・・・・・・。

 戦場にいって、人を殺したり、とか・・・・・・殺されたりとか・・・・・・しなくちゃいけなくな、って・・・・・・アアアアッ!? い、イヤだぁぁぁぁッ!! 死にたくねぇよォォォォッ!?」

 

 

 

つづく


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