――黒髪の少女が放った気安い口調の一言によって、彼女が所属するクラスメイトたちは緊張と恐怖に包まされた。
よりにもよって平民の混血風情が、七魔公老に馴れ馴れしい口調で話しかけ、あまつさえネクロン家の秘術を罵倒してのけたのである! ・・・生まれの身分差を絶対視する彼らとしては我が身を案じて恐怖するのも無理ない反応ではあったのだ・・・。
仮に不快になった相手が【連帯責任】としてクラス全員の除名処分を求めてきたとしても学園側が拒むことはまずないであろうし、彼らの親たちも自分たちを見捨ててアイビス・ネクロンの機嫌を直してもらえる道を選ぶだろう。
それ程までに始祖から直接、血を分け与えられた七魔公老という存在は高見にある者たち。どれほど始祖から受け継いできた血が濃くとも子孫は子孫。
始祖の息子とも呼ぶべき存在と、遠い子孫たちとでは立場が違う。違いすぎる。
「ア…ッ!? ―――申し訳ありませんアイビス様! 混血の白服とは言え、私の生徒が無知故に大変な御無礼を・・・・・・っ!!」
中でも、特に際だって顔色を青くしてヒステリック気味に謝罪の言葉を述べてきたのは、クラス内では最上位の地位にある担任のエミリア教諭である。
彼女のクラス担任という地位からすれば当然の反応だろう。混血の平民が勝手にやっただけの愚行だったとは言え、生徒は生徒。七魔公老に無礼を働いた生徒のクラス担任を務める彼女には順当通りに管理能力の有無が問われることになるのは地位に伴う義務でしかない。
仮にこれが平民相手であったなら、もしくは相手の爵位が自分の生家より少しだけ高いという程度の相手だった場合には【混血の平民が勝手にやったこと】と強弁することが皇族として認められていただろうが、今回ばかりは相手が悪い。
たとえ皇族の一員であっても、七魔公老が『黒』と言えば【黒】になり、『しろ』と言えば【言われたとおりに放逐すること】が正しい対応となるのが道理や法律よりも地位身分がものを言う階級制度というものだ。
「アノス・ヴォルディゴードは、ただちに除名処分に致しますので、どうかお許しを――」
【・・・よい】
エミリア先生から必死の謝罪――と言うよりも命乞い――を聞かされながら、だが頭を下げられている当の本人が返してきた返答は気のない口調で放った一言だけだった。
そのまま自分の目の前まで駆けてきて顔面蒼白になったままの美人教師には視線さえもくれぬまま、自分に話しかけてきた黒髪の少女の顔を真っ直ぐに・・・否、やや斜めから見返す形で能面のように動くはずのない二千年前と変わらぬ骸骨面の口元をゆっくりと動かしてくぐもった声を上げる。
【・・・“久しぶり”、と言ったな、黒髪の少女よ。そなたと我は以前にどこかで会っていたのか?】
「ええまぁ、二千年ほど前にちょっとだけね。覚えておられませんか~?」
【残念ながら我は二千年前の記憶を失っている・・・】
感情の揺らぎを感じさせることのない骸骨の顔で、感情の揺らぎを感じさせることのない平坦な口調と声音で紡ぎ出されるアイビス・ネクロンの声。
【覚えているのは我が主、暴虐の魔王のことのみだ】
「へぇ?」
それに対して、黒髪の少女の側も普段と変わらぬ薄い微笑みを浮かべたままの、楽しそうな気配以外は何一つ感じさせられない決して変わらぬ『楽』だけの声音。
お互いに『骸骨の仮面』と『微笑の仮面』を被り合いながらの、仮面舞踏会じみた腹の探り合いを交わしながら黒髪の少女は席を立ち、ごく普通の歩調と速度で七魔公老アイビス・ネクロンの元に気楽な歩き方で近づいていき、目の前まできて。
【そなたは始祖に縁のある者か――】
「ちょいっと」
ぴょんっと、軽く飛び跳ねると相手の額を人差し指で軽く押し、七魔公老の上半身を僅かに後ろへと傾けさせたのだった。
まるで親しい友人同士が久々の再会を祝してふざけ合っているかのように、同格の友人同士が悪ふざけをしてみただけのように、対等な身分の者同士が行い合う平凡なコミュニケーションの一環でしかない、他の学生同士がやったとしても問題視する者は多くないであろうごく普通の行動でしかないその仕草を黒髪の少女がアイビス・ネクロンにやった瞬間。
――――ザワッ!!??
「ちょ、ちょっとアンタっ!?」
「な、何してるんですか!? アノス・ヴォルディゴードぉッ!?」
一瞬にして、先ほどまで以上の恐慌と処罰への恐怖に包まれるクラス中の生徒達。
おそらく彼らはアイビス・ネクロンが黒髪の少女と同じ混血の平民であったなら同じ対応はしなかっただろうし、黒髪の少女も七魔公老の一員であったなら気にする方が可笑しいと感じていたのだろう。
そしてそれらの態度は、【黒髪の少女が七魔公老】で【アイビス・ネクロンが混血の平民】でしかなかった時には今と真逆の態度を取っていたことを示すものであり、彼らが相手の【血だけ】を見て、相手個人を尊敬の対象として見ていないという無礼を働いていることをも同時に意味するものであったのだが・・・・・・そのことに気づける者はクラス内はおろか全魔界中を見渡しても一体何人いることか。
だが、どちらにしろアイビス・ネクロンには関係のないことだった。
より正確に表現するなら、『今のアイビス・ネクロンには』関係のないことだった。
何故なら黒髪の少女の人差し指に額を小突かれた瞬間。――彼の魂と肉体は一時的な感覚の隔たりが生まれて、肉体は現代に残したまま魂だけが急速に過去へと引き戻されて二千年間の過ぎ去ってきた時を巡るタイムトラベルの旅を強制的に観光させられていたからである。
【・・・ッ。こ、コレは・・・一体・・・っ】
恐慌を来し、皆が一様に『自分の身と将来について』を心配しながらアイビス・ネクロンの様態を心身共に心配しながら注視している中で、当の本人だけは自分の身に起きている見たことも聞いたこともない現象に戸惑いの声を発さずにはいられなかった。
だがそれは、我が身を心配するあまりアイビス・ネクロンが下す判決だけを重視していた他の者たちにとって何ら価値ある言葉などでは全くないものであって、その言葉の続きばかりを不安と恐怖だけを胸に抱えながらひたすら待ち続け。
「・・・なるほど・・・ね」
と、何かに納得したような黒髪の少女の声が響いた直後。
「大変ご無礼を致しました、アイビス・ネクロン様。どうやら人違いだったようで御座います」
突然に足下へと跪いて罪を謝し、許しを請いはじめた黒髪の少女の豹変ぶりに虚を突かれて一瞬だけ恐怖も戸惑いも忘れて空白となる。
「勘違いとは言え、貴い身分の方に対してあってはならぬ非礼の数々。どうかお許し下さいませ。いえ、許して頂けぬのが当然のことと存じておりますが、全ては愚かで下賤な混血の平民である私一人が犯した愚行。どうか他のクラスメイトたちには累を及ぼさぬよう、私一人を処罰することでお怒りをお納め下さいますことを伏してお願い申し上げ奉ります」
普段からは想像もできないほど分際を弁えた卑屈な態度。それは身分卑しき平民として正しい対応ではあったものの、それでも尚許してやらなければならない義務や責任が七魔公老アイビスの側に生じるほどのものでは決してない。
一体どのような判決をアイビス様は黒髪の少女に下されるのか―――
【――許す】
厳かな口調でアイビスは、他の生徒達が待ち望んでいた判決を口にした。
【若き時分に間違いは付きものである。血気盛んな若者が一度の過ちを許されぬとあれば挑戦する意欲を削ぎ、学ぶ者達から学びの場を奪うことにも繋がろう。魔王学院を創設した者の一人として、我はそれを由とせぬ】
「偉大なる七魔公老の英断に感謝を。ありがとうございます」
打てば響くタイミングで、相手の言葉が終わると同時に黒髪の少女は許しの言葉を受け入れて感謝の言葉を返事としてアイビスに返す。
・・・それだけで、この一件は完全に決着が付いてしまうこととなった。
七魔公老が「許す」という決断を下した問題に、異論反論を口にする者たちは「七魔公老の決定に異を唱えることと同義」とされ、七魔公老よりも自分たちの方が正しく判断できると放言しているに等しい行為となってしまうからだった。
身分差による形式によって、そうなってしまう形が出来上がってしまったのだということを宮廷儀礼として教え込まれていたらしいクラス内の誰かが、他人には聞かれぬよう小声で舌打ちする音とともに呟き捨てる声が強化された聴覚に聞こえてくる。
「・・・チッ。お咎めなしなのか・・・」
チラリと軽く視線を向けた先に見えたのは、個体識別用の顔を確認するまでもなく黒色の制服を着た男子生徒の一人。
自らに迫っていた危険が去って行ったとわかった途端、今度は得られたかも知れない生意気な黒髪の少女の除名処分が下されなかったことが惜しく感じられてきたという辺りが、おそらくの発言理由だろう。
別段それを見ても、身勝手だと感じる気持ちは少女に湧いてくることもない。
誰だって現実の危機が迫っている時には『可能性上の危険性』を重く見るべきだと主張する。逆に少しでも安全になれば『現実にならなかった危険性よりも、得られるかも知れなかったメリットの可能性』の方に現実味を感じたがるようになるものだ。
人間だった頃から周囲の者たちは老若男女関係なく皆そうだった。
魔界に来て魔族と偽って生活するようになってからもそうだった。
魔族になった後も何一つとして変わらなかった。
違っていたのは只一つだけ、【それが心というものだから許してやれ】と言ってくれた友達が得られたことだけが唯一の違いでしかない。
彼以外はどうでもいいが、彼の言葉だけは彼女にとっても重要だ。
だから気にしないし、気にならない。友達の言葉と比べれば、友達以外の誰が何を言った言葉だろうとも彼女の鼓膜に届くだけで心に届くことは決してない。
そういう人格になってしまったのが今の自分なのだから、今の彼女にとっては本当にどうでもいい雑音としか彼らの言葉が耳に入ることはない。たぶん永久に・・・・・・。
「あ、貴女ねぇ・・・・・・っ」
――そして、付け加えるなら心配しすぎて肝を冷やしまくっていたらしいサーシャから、席に戻ってきた途端に聞こえてきた非難と苦情と様々な感情がない交ぜになった言葉にも、聞こえないフリして前だけ見たまま耳に入ってこなかったことにしてしまうことにする。
こちらの方の理由はまぁ・・・・・・暴虐の魔王にだって、罪悪感を感じる心ぐらいはあるのだということで納得してもらい、気づかないフリして無視したことも一緒に許してくれるとありがたい。
【本日は我がネクロン家の秘術、『融合魔法』について講義をおこなう】
そして、七魔公老様による有り難~い「初心者用融合魔法のバレてもいい初級講座」が始まりを迎える。
【融合魔法の利点は、魔力と魔力の融合にある。波長の違う別種の魔力を結合させることにより、元の魔力を十数倍に引き上げることができるのだ。これが初級融合魔法『ジェ・グム』だ】
アイビス・ネクロンが、相変わらず平坦な口調と棒読み口調ではじめたネクロン家お得意の秘伝魔法の講義は、文字通り『初級講座』でしかない代物だった。
それは当然のことでしかないので、今さら驚くことでもなければ怒るほどの事でもない。
名門家系が研究し続けてきた秘伝を他家の子息達に教えるからには、『教えてしまって問題ない範囲まで』しか教えてやることなどまず有り得ないのだから当然のことだ。
専門で研究し続けてきた者たちにとっては、何の意味も価値もなくなってしまった初心者時代の中古品だろうと、その分野でド素人でしかない者達にとっては教えてもらえるだけで有り難く思えるし、偉大な存在から何か教えを受けられること自体が自分たち独自で研究発表するよりも高尚なことだと思いたがるのも人と魔族で共通している『凡人臭さ』だったから、今さら彼女が思うところはなにもなかった。
要らなくなった物を欲しがる、目下の者たちに無償で提供して目上としての義務を果たしたことになり、損する者は誰もいない。
直截的に『めぐんでやるから感謝しろ』と言ってしまえば怒りを買おうが、言わないで教えてやるだけなら問題はない。『物は言いよう』が社会の鉄則。そういうものだと黒髪の少女は二千年前に割り切っていた。
「――ちょっと」
「・・・はい?」
一方、それらの事情によって『ヒマだな~』とか思いながら頬杖つきながらボンヤリし続けていたところ、横から不意打ち気味にサーシャ・ネクロンから小声で声を掛けられてしまって少しだけビックリさせられてしまった。
「折角アイビス様から話が聞けるまたとない機会なのよ? ノートに書くなり、記録水晶に保存するなりしなくていいの?」
「ああ・・・・・・なるほど」
黒髪の少女は相手からの気遣いに感謝の思いを返すためにも、中身のない納得の言葉と受け入れだけを口にして、結論としては今のまま何もしないことを続行し続ける旨を伝え、
「ご心配なく。聞かされた話の内容自体は覚えていますからね。こう見えて意外と記憶力はいい方なんですよ? 私ってね」
そう答える少女の言葉にも、一応だが嘘はない。
ただ話を聞かされた時と覚えている内容が、今この場で聞き流しているものよりずっと深いところまで迫った秘術の完成直後のレベルまで至っていたものだったことと。
聞き出す時に、命が惜しければ秘密を共有させろと脅して自白させたものだったところが、違いと言えば違いだけども、サーシャに聞かれた質問の中にそれらの是非を問うものは含まれていなかったので、質問への回答だけなら嘘は答えていないことになる。
聞かれてもいない部分を自分から教えないことは、嘘を吐いたとは言わないのだから別に良いのである。
それが二千年以上前から存在し続けている、大人の特権としての詭弁というものだった。
「“こう見えて意外と”って・・・自分で言ってれば世話ないわね。まぁ貴女らしいとは思うけど」
やや苦笑交じりに納得するサーシャ。・・・それを見て微妙に心が痛く感じてしまう辺りは、自分もまだまだ人間なのだと感じられ、それは良いことなのか悪いことなのか判断に物凄く迷わされて結構困りもするけれども…。
「そういう貴女の方は記録しなくてよろしいのですかね? ミーシャさんの方は先ほどから熱心に書き取りしておられるようですが?」
左隣に座っている、見るからに真面目そうな銀髪少女がノートを取っている姿を横目に見ながら、ノートどころかペンを握ることさえしないままで講師の話を聞き流している不良生徒二人なミーシャの姉と友人たちは、それぞれの表情と態度でこの状況に適合してみせるのみ。
「私はいいの。だってネクロン家の秘術だもの。私はミーシャと違って直系だし、とっくの昔にマスターしたわ」
「なるほど。ところで直系と言うことはサーシャさんは、アイビス様とも親しい間柄なので?」
「まさか」
軽く聞いた“風に装った質問”に対して、サーシャは軽い声で答えようとして途中から失敗し、
「七魔公老は雲の上の存在だわ。話をした事なんて一回しかないわよ」
何か思い詰めたような深刻な顔と、堅い口調で言い切ったサーシャの横顔を軽く一瞥してから「そうですか」とだけ言って再び前を見る黒髪の少女。
――だが、前を見てアイビス・ネクロンが話す姿を見てはいながら、聞いている話は全く別の人物が話してくれていた、全く別の魔法に関する思い出話。
その人物は確か、自分に向かってこんな話をしていたことがあったはずだった。
【根源を融合する魔法は長続きしない。魔法によって一人を二人に分離することは可能だが、いずれは一つに戻ってしまうのは避けられない。
――ならばいっそ、最初から一つに戻ることを前提として一つの根源を二つに別けて、別々の属性を付与させたらどうなるだろうか? 一つに戻った時に相反する二つの属性を同時に内包した二重存在を作り出すことができるかもしれない。
そうすれば一つに戻った時、被験者の魔力は本来のそれとは比較にならないほど強力なものなれることだろう。
それを可能にする技術さえ完成すれば、この戦争は終わる! 我々人間の勝利によって魔族は駆逐され、世界は私たち人間のものとなるだろう・・・! そのためならば多少の犠牲などものの数ではない! 魔法技術の進化に犠牲は付きものなのだ! 貴様ら生まれながらの天才共にはそれが解らない!
我々凡人の努力など、貴様ら天才どもには死ぬまで理解できて堪るものかぁぁぁぁぁッ!!!】
・・・・・・斯くて、魔族に勝つため魔族から盗み出した融合魔法の基礎理論を人間用に完成させようとした人間側の開発した技術が逆輸入されて今に至っている可能性もないことはない現在の魔界情勢。
つくづく、死ぬことなく二千年ぶりに復活してきた世界と人生というものは―――
「面白いものですねぇ・・・・・・本当に。退屈しなくて実によろしい」
小声でそう呟きながら、黒髪の少女は隣に座った少女達を見る。
全く異なる真逆の身体的特徴と属性と地位身分と家庭環境を与えられて育った同い年の二人の姉妹。
片方には直系として融合魔法をマスターするまで教えてもらい、残る片割れは『初級の』融合魔法を必死こいてノートに取らなければならない程度の熟練度しか身につけさせておらず、その割には魔力と魔法の腕そのものは皇族も顔負けレベル。
似ているのに随分と歪な姉妹達。
「ホント・・・・・・生きてると世の中って退屈しなくていいですよねー・・・。そこいら中に悪意ばっかりで私好み過ぎて、本当に大好きで愛しちゃいそうですよ・・・・・・本当の本気で・・・ね」
薄らと、少女らしく艶っぽい色合いを持つ唇を舌先で軽く「ペロリ」と舐める黒髪の少女。
その可憐な舌先で舐められたピンク色の唇は、光に反射されて色味が変わり、まるで真っ赤な血を吸う吸血鬼のように一瞬だけ、禍々しい朱色に染まって、そして戻る。
アイビス・ネクロンを講師として招かれた魔王学院の特別授業がもうじき終わる・・・・・・。
つづく
注:今話のラストで描かれてる内容はオリジナル設定の部分です。
融合魔法はネクロン家に元々あって、それを使いこなすために【最初から寿命が短い人間同士を掛け合わせて最強兵器】を造ろうとした人間の魔導士がいたという感じの設定。
当然ながら本人は、黒髪の少女にブッ殺されてる訳ですが術そのものは自分がいなくなった後に誰かからネクロン家に伝わってしまっていて、勇者は逆に魔界の事情を知らなかったから最初からあったものだと思い込んでしまったとかの、そんなオリ設定による展開です。物語には特に影響ありません。