…ただ、深夜テンションで書く内容ではなかったなーと、今になって正直思わなくもありません…。
ある晩の事、黒髪の少女は夢を見ていた。
“他人と他人が見ている夢”を見せられていたのである。
二千年前の人間だった頃にも極希に起きていた現象で、外法を積み重ねて人の限界を超えて人の身を捨て魔族となり魔王となり、人間国家との戦争を続けながら悪徳魔族幹部を処刑しまくる恐怖政治を敷いてきた、世界の中での立ち位置をコロコロと激変させ続けてきた彼女の存在は定義が曖昧となってしまい、目覚めている間はともかく意識が停止する睡眠中での魂は通常の理から外れてしまいやすくなってしまっている。
その結果として、魔力の波長が酷似している者たちが、精神的にも肉体的にも距離が近しくなったときのみ集合無意識でも再会し合って、共有し合う同じ記憶を互いの視点から再現し合う姿を夢という形で垣間見たときに意識だけが招かれて、『他人の夢を覗き見する権利だけ』を許されてしまうことが昔から偶にあったのだ。
生まれ変わって最初に見た他人の夢は、小さな女の子が一人で泣いているシーンから始まっていた。
蹲って泣きじゃくっている彼女がいる場所は特殊な作りをしていて、鏡のように写した光景の全てを反射するように彼女の周囲全体を覆い尽くして狭い空間を形成している。
まるで彼女の姿しか彼女の視界には映らないようにする、只それだけの為に造らせたような異形の建造物の中で一人だけ泣き続けている金髪の少女。
内側にいる彼女だけを反射させ、彼女がいる建物の外の景色さえ映らなくした建物内では時の流れを確認する術さえ存在しておらず。
永久に終わる事なく、自分しかいないし見えもしない世界で泣き続けていくかに見えた室内の風景に、やがて小さな変化が訪れる。
鏡だけの壁で覆われていたような部屋の中で、鏡の壁を一枚を消し去って中へと入ってきて金髪の少女に笑いかけながら手を伸ばす、銀髪の幼い少女の姿が映し出される。
金髪の幼子は泣き止んで、銀髪の幼子はニッコリ笑い、二人は同時に伸ばした手と伸ばされた手を掴み合う。
そして、夢の崩壊が始まる。夢が終わって、目が覚めようとしているのだろう。
もしくは、夢を見ている当事者たちが今の場面までしか記憶していないのかもしれない。ただ片方だけが早く目覚めて夢を共有できなくなっただけかもしれない。
あるいは本当に、金髪と銀髪の少女たちにとって今の記憶は先の光景までで終わりを迎え、この後に続く光景は自分たちの中では『新たなる始まり』として定義されている切っ掛けの記憶に過ぎぬものなのかもしれなかったが・・・・・・どれも全ては架空のタラレバ話に過ぎぬ可能性。
所詮は他人同士の夢であり、他人の夢を覗き見していただけの観客だ。夢が覚めて劇が終わり朝がきた後には、夜に見た夢の一部など綺麗サッパリ忘れて思い出すのは同じように他人の夢に招かれる機会があった時のみ。
役に立たない、立たせられない能力で覗き見ていた夢が終わって、過去の思い出回想が終了し・・・・・・現実の夜明けが訪れる。
今日もまた、魔王学院に通う一日が始まりを迎える朝が来る――――。
「・・・・・・誕生日は何をあげたらいい?」
「・・・・・・・・・・・・はい?」
開口一番、ミーシャ・ネクロンから問われた質問に黒髪の少女はマヌケ面を浮かべて、そう返す事しかできなかった。
場所は魔王学院にある自分の教室、自分のクラス。いつも通りにミーシャと並んで座る定番の自由席。日時はサーシャとの決闘に勝って、彼女を仲間にする事ができた日の翌日だ。
登校した直後に席へと座ろうとした矢先にミーシャから「・・・聞いてもいい?」と問われ、「なにが?」という意味合いでの反問を返したところで前述した回答が返事として帰ってきたという次第。
ミーシャが口数の少ない少女で、ときおり主語が抜けて極端に言葉が短くなってしまう事があるのは理解していた黒髪の少女であったが、流石に今回ばかりは返答に困るしかない。
なんと言うか正直言って・・・・・・まったくワケガワカラナイ質問内容でしたよ・・・?としか答えようがない。
「・・・・・・えっとぉ・・・・・・誰の誕生日についての質問でしたので・・・?」
「サーシャ。明日・・・」
「・・・なる、ほど・・・・・・」
思わず肩をこけさせそうになるのを意思力で堪えて、黒髪の少女は曖昧な笑みで飾って微妙な心理と感想をミーシャの目からなんとか誤魔化そうと結構な努力をしてあげている。
家柄による差別が激しい魔王学院において、同じ家で生まれた姉妹同士とはいえ混血が着ている白服のミーシャと、黒服のサーシャの事情を知る者は多くないだろうし、『家の人が決めた事』として別々の色の制服を着ているのなら自分たちからクラスメイトに言うわけにもいくまい。
自主的に深く関わり合って知る事になってしまった自分が、相談相手として学院内では最も適切であるのは判る。――判るのだけれども・・・・・・。
「とはいえ、昨日の今日でしかない私に聞かれましてもねぇ・・・・・・」
と、内心で脂汗を浮かべて沈黙するより他に手が思いつかない。
大前提として自分と相手の金髪少女は一週間前に自己紹介され決闘挑まれ、昨日倒して仲間になってもらったばかりのインスタントな関係であり、相手の趣味趣向や好きなものについてはほぼ何も知らないに等しい浅すぎる関係でしかない。
「何をプレゼントされたら喜ぶと思うか?」という質問をする相手としては、これ以上なく不適任だと言わざるを得ない立場にあるし、仮に答えられて合ってた場合には最初から狙って接近してきたストーカーとして通報した方が良いのではないかと我が事ながら思ってしまう程度の関係性なのだ。解るわけが無い。
しかも、聞かれたのが今日で、明日が誕生日当日・・・・・・。
挙げ句の果てには、自分が生まれ変わってから生後一週間とちょっとで、この近郊生まれではない。
・・・・・・詰んでるとしか思えない立ち位置だった。絶対に聞く相手を間違ってるとしか黒髪の少女には思えない・・・・・・。
「むしろ、ミーシャさん自身が『なにを送ったら喜んでもらえるのかな?』って考えるプロセスの方が大事な気がしますかね。久しぶりに仲直りできた姉妹同士なら、物より気持ちの繋がりを強めることを優先した方が今後のためになると思われます。
相手との友好関係さえ維持し続けられたなら、一度や二度のプレゼント失敗ぐらい、いくらでも挽回できるものですからね」
「・・・なるほど、勉強になる」
「・・・・・・いや、そこまで真剣に受け取られてしまうと逆にコッチが気まずくなるのですが・・・」
誤魔化し目的も含めて長広舌使って一般論を口にしてみただけの黒髪少女としては、実に居心地の悪い状況を自ら作り上げてしまった自業自得の結末に頭を悩ませつつも、ミーシャは理屈ではなく感性で以て理解するタイプだったらしく、『姉が何をあげたら喜ぶか?』ではなくて『自分が姉に何をプレゼントしたいと思っているか?』に思考を即座に切り替えれたようで。
「・・・服がいい」と少しだけ俯きがちに小声で呟くように自分の思いを口にする。
たしかにサーシャは見た目が華やかだし、そういった分野には妹以上に気を配ってそうな印象がある。
ついでに言えば、妹とは逆に感情的でありながらも理屈っぽいところがあって、存外に常識論とか尊んでそうな姉の方のネクロンには奇をてらったプレゼントよりも王道なのが一番喜ばれそうな気がしなくもない。
「ふむ・・・お?」
「おはよ」
「・・・あ」
そうこうしている内に、ご本人自身も登校してきて到着されたようだった。
どこか素っ気ない口調で挨拶してきて、初めて声をかけてきたとき以上に興味なさそうな表情を取り繕いながら、“昨日までずっと座り続けてきた席”から黒髪の少女の隣まで席替えをしてから着席してくる、あからさますぎる態度に多少の苦笑を禁じ得ないものを感じさせられながらも『何も言わないでいるのは逆に意識しそうだな』と思い直して儀礼的にお約束の質問を一度だけ。
「サーシャさん、確かあなたの席はそこじゃなかったと思ったのですけどね?」
「どーせ空いてるんだし、班員同士で近くの席に固まってた方が楽でしょ?」
尤もらしい理由を語ってきて、ソレで終わり。儀式シュ~リョ~。
班対抗戦以外の場面ではメリット少なそう、とか。空いている席なら嫌われ者の自分の席の周りは大体空いている、とか。野暮なこと言ってわざわざ相手を不機嫌にさせたい理由も特にはない以上は藪を突いて決闘騒ぎを再開させたいとは思わない黒髪の少女でありましたとさ。
「そうそう。私の元班員もあなたの班に入りたがってるんだけど?」
「ああ・・・彼らですか。――それなら今朝、断っておきましたよ」
「ハァッ!? なんでよ!!」
ごく普通の口調で他意もなく、むしろ親切心から言ってあげただけのつもりでいたサーシャは予想外の返答に面食らい、思わず淑女らしくない大声を上げてしまう。
彼女の驚きようも尤もな話で、時期魔王候補を育成するための教育機関である魔王学院では その一方で『常に魔族のことを考えて己を顧みない魔王の思考や感情に近いこと』を時期魔王の後継者に相応しい者としての条件として課しているため、実力云々より先に試験を受けるための人数制限が定められているからである。
試験内容によっては五人以上の班員を、学年別対抗試験に至っては7人以上の人数を確保することができなければ試験を受ける資格そのものが与えられないことが校則によって定められているのだ。
現魔界の名門大貴族の家柄に生まれたサーシャとしては、個人として強いだけでは社会的に認められることは不可能であることを熟知しているため人員の不足は感情的にならざるを得ない大問題だった。
――が、所変われば品変わるものであるらしく。
「・・・なるほどね・・・。如何にもこの学校の創設者たちが決めてそうなルールだ・・・」
黒髪の少女はサーシャが感情的になって放った叫び声と説明と聞かされて、逆に面白そうに唇を歪めて皮肉そうで露悪的な微笑を浮かべてクツクツと忍び笑いを漏らすしかない。
もともと魔王学院では皇族優遇が制度としても不文律としても確立されており、平民との混血である生徒たちは一目で見分けが付くように白い制服の着用を義務づけている。
仮に一部の混血出身者が特異体質とかの理由で皇族よりも力が強く生まれて皇族たちが試験で勝てなかったとしても、人数制限を課しておきさえすれば頭数を揃えさせるのを妨害するだけで相手を『永遠の魔王候補』に留めておくことが合法的に可能になる・・・・・・そういう寸法な訳だ。
時期魔王を育成するための学院という触れ込みで、平民との混血児も生徒として迎え入れておきながら、実際に彼らが魔王になることは制度を組み合わせることで実質不可能になるよう最初から仕組まれているという訳である。
一見すると改革や法改正が合法的に可能なように見せかけておきながら、実際にその制度を適用することは不可能なルールを作り上げることによる合法的な現体制の支配永続を可能ならしめる。
悪質で、しかも危険な制度の悪用方法だ。
国と秩序の守護者である統治者自身が詭弁によって法を遵守する気のない自分自身を正当化しているようでは、いったい有力家臣たちの何割がマトモに法律など厳守しようと思ってくれていることやら。
「――まぁでも、彼らは採用しなかったのは正解だったようですね。今のあなたの話を聞いて余計に、そう確信できましたよ。ありがとうございます、サーシャさん」
「は、はぁぁぁッ!? 何言ってんのよアンタ! 私の話聞いてなかったの!?」
「ちゃんと聞いてましたって、落ち着いて下さい。今説明してあげますから」
どー、どー、と。牛をなだめるような仕草で赤い顔したサーシャを押しとどめ、ひとまずは席に座り直させることに成功した黒髪の少女。
とはいえ相手は全く納得したようには見えない視線で睨み返し続けており、ちょっとでも馬鹿げた返事をしようものなら直ぐさま噛みつき再開する気満々であることが明白すぎる興奮状態。
「まず大前提として、彼らはサーシャさんの配下たちであって、私の班員になりたかった者たちではありません。あなたが私の配下になったから、仕方なくあなたを追って私の元へと参加を希望しに来ただけのこと。・・・違いますか?」
「――っ。・・・そ、そうね・・・その点は完全には否定しないわ・・・」
それ故に敢えて大上段から入った説明内容に、仲間を馬鹿にされたと感じて怒りを露わにしていたサーシャは鼻白まされて少しばかり勢いを減退させられる。
「彼らが自分たちのリーダーとなってもらいたいと願っているのは、あくまでサーシャさんであって私ではありません。むしろ私をリーダーの座から追い落とし、あなたに復権してもらうため手を尽くすようになるんじゃないですかね?」
「まさか・・・そんな愚かな真似はしないでしょう。大体それならそれで私から彼らにキツく言い渡せば済む問題ということじゃないの。
私にリーダーになって欲しいんだから、私の言うことだったら聞かなければならないはずよ。違うかしら?」
「お甘い」
キッパリと黒髪の少女はサーシャ・ネクロンの『忠誠心と臣下たちに対する主君の幻想』を短い言葉で完全否定する。
「勘違いしないことですね、サーシャさん。彼らは彼らの意思で、あなたにこそリーダーになって欲しいと願った人たちだ。あなたこそが自分たちのリーダーに相応しいと自分たちの意思で決めた人たちなのですよ。
自分たちが勝手に期待を寄せているだけの対象でしかない貴女の意見など、彼らの忠誠心にとってはどーでもよろしい。・・・そういうものです。
いざという時になればなるほど、私を裏切り、あなたを新リーダーにするため背中から刺してこようと試みてきそうな獅子身中の虫を身内に抱え込む変態趣味は、少なくとも私には御座いません」
「・・・・・・」
「あなたがもし本気で魔王を――大多数の者たちの上に君臨する王の地位を目指すのなら、一つ覚えておいた方がいいでしょう。
“主を裏切らない忠誠心”と“忠誠の対象に不利益をもたらさないこと”とは全くの別物です。
往々にして悪意よりも、善意こそが最も性質の悪い破滅を招いてしまうもの・・・・・・その事実を心に刻み込んで忘れないようにして下さい。
大勢の家臣を率いていく人が、この基本を知ってないのでは先が思いやられますのでね?」
「・・・・・・ぐッ・・・」
出会った当初から続いてきた展開通りに、混血の白色制服を着た黒髪の少女が、皇族出身が着る名門の黒色制服纏ったサーシャ・ネクロンを完全論破したところで「ゴーン・・・、ゴーン・・・、」とチャイムが鳴り響き、授業開始前のホームルームが始まる時間がやってくる。
そして、授業を始めるために担任のエミリア先生がやってきて教壇に立つ。
「みなさん知っての通り、今年は暴虐の魔王がお目覚めになると言われる年です」
いつも通り、凜々しい表情と口調と正しい姿勢、如何にも躾けが厳しい名門階級出身者っぽい印象のあるエミリア先生は、いつも通りに伝統的権威主義者らしい表現を挨拶代わりに語り始める。
「そこで本日は、特別授業として“七魔公老”による大魔法教練をおこないます」
「シチマコウロー?」
「・・・あなた、そんなことも知らないの?」
初めて聞く名前を耳にして、不思議そうに小首をかしげる黒髪の少女。
そんな隣席に座る班長を、サーシャは呆れたような視線と馬鹿にした笑いで仕返ししてやりながら説明だけはキチンとしてくれた。
「さすが不適合者ね。いいわ、説明してあげる。
――二千年前、始祖は自らの血を使って七人の配下を生み出したわ。始祖の血を引く最初の魔王族を。その七人の配下を“七魔公老”って呼ぶのよ」
「ああ・・・あの七人の魔族たちですか。彼らならば覚えています」
黒髪の少女はサーシャの言葉に一先ずは頷きと納得を返しておく。
たしかに知識としては間違っていない。たしかに二千年前に魔王は自らの血を使って配下たちを生み出していたのは事実だ。
・・・単に、その配下を生み出した魔王が元人間の魔族に殺されて地位を簒奪されたというだけであり、生み出されたときに配下の数は7人ではなく『8人だった』というだけの誤差でしかなく、その失われた一人も魔王位簒奪の折に7人の兄弟たちを全員生きて寝返らせるためには必要だったから先代魔王が処刑するよう仕向けたというだけのこと。
『最も信頼篤い側近中の側近』が裏切ったことで、当時の魔王が記録さえも徹底的に焼き払ってしまったが為に今や誰の記憶にも記録にも残っていないだけなんだろうなーと、他人事のように思い返しながらサーシャから説明の続きを聞くと話に聞き流していく。
「この魔王学院も“七魔公老”が、次代の魔王の育成のために始めたんだから」
「へぇ・・・学院長みたいなものなんですねぇ」
感心半分、皮肉半分と言った口調で感想を述べた後、『残り半分の皮肉部分』もついでだから付け足して言っておくことを性格悪い黒髪少女は忘れることはめったにない。
「――要するに、あなたに黒色制服を着せて、白服のサーシャさんが大好きなお姉さんの誕生日プレゼントについて堂々と話すことのできない状況を作り上げた主犯たちということですね。いやはや、確かに魔族社会全体にとっては立派な御仁であるようで」
「・・・・・・ムッ」
「・・・・・・(///)」
尊敬していた対象と同時に身内の長を罵倒され、ムッとするサーシャと「・・・お姉ちゃんには知られたくなかったからアノスに聞いたのに~・・・!」という様な赤面ものの思いを暴露されて真っ赤になって俯いてしまったミーシャ。
そして相変わらず平然としている、面の皮が分厚い黒髪少女に対しても、
「アノス・ヴォルディゴードさん」
と、エミリア先生から事前注意する声が聞こえてくる。
「貴い身分の方を前にするのです、くれぐれも失礼のないように。――分かりましたね?」
両手を腰に当てながら両目をすがめ、太い釘を打ち込むための教師らしい定番セリフを吐きながら、明らかに本心では「絶対に大丈夫だと言われても、絶対に信用できないヤツ」とか思われてそうな態度と目付きで言われてしまったのでは、少女としても他に選択肢の選びようがない。
「分かりました。努力することをお約束いたしましょう」
――努力すること“だけ”は約束する。結果までは約束しない。
一見すると可能なように見せかけるだけで中身がなく、内実のない取り繕った偽善的な礼儀作法でもって応じ返して上げながら、サーシャとミーシャにこんな事するヤツは7人の内の誰で、今はどんな顔してるのかなー? ――気にくわなかったら殴って言うこと聞かせようと心に決めてしまいながら。
・・・・・・問題を起こす危険性が高い生徒であると承知していながら、事前に退室を命じる権限を持たされている役職のある人間が退室を命じずに同席を許可した上で問題児生徒が問題を起こしたとするならば、其れは生徒の問題であると同時に『問題が起きることを避けるため事前の努力を怠った責任者たちの無能怠惰』であり、危惧した危険性が現実のものとなってから問題児一人に罰しようとするのは責任逃れ、処罰逃れのための方便に過ぎない。
生徒も悪いし、教師も悪い。どちらか一方が悪ければ残る片方は悪くないなどという、勧善懲悪の子供向け童話じみたおとぎ話現象が現実で起こることなどほとんどない。
「コホン。―――七魔公老、アイビス・ネクロン様で御座います・・・」
斯くして、このような事情によって周囲から疑惑の視線で見つめるだけで誰からも何も言われず沈黙が教室を満たし『黙認した』という形が行動によって選ばれてしまうことになる。
静かなる沈黙と敬意に包まれた中で教室後ろの扉が開いて、二千年前と変わらず骸骨面をした魔術師系の大魔族が厳かな態度で歩く速度を維持したまま、ゆっくりゆっくりと教壇に向かって歩み続けてゆく。
そんな彼の視線からは白い制服を纏った背中と、黒い髪の後頭部しか見ることのできない少女の存在になど気づく素振りもなく、あるいは気づいた素振りも見せることなく。
ただゆっくり、ゆっくりと教壇へと機械じみて正確な歩幅を維持したまま、骸骨系らしい歩み方で進み続ける。
その背中に懐かしさを覚えながら黒髪の少女自身もゆっくりとした動作で立ち上がり、親しい友人であり古き時代の家臣の両方を兼ねた元側近に向かって声をかける。
二千年前に、始祖の先代魔王を共に殺して地位を奪いとった反逆者仲間の“共犯者”として。
二千年前に始祖の先代魔王が自らの血を別けて産みだした兄弟の一人を父親の手で処刑するよう謀略を仕掛けられ、悪辣な魔族幹部を合法的に殺しまくるための簒奪に協力するよう脅迫された被害者遺族と加害者として。
父親殺しに加担せざるを得なくされた大罪人の哀れな息子と、魔王殺しの大逆罪を犯して腐った魔界を改革させた主犯格の咎人始祖として。
現魔族となっていた女の子は、元人間らしく・・・・・・二千年ぶりに再会したばかりの知人に対しては、まずは名を呼び挨拶から初めてあげるのが筋というものだと思ったから。
「久しぶりですねぇ、アイビスさん。お元気そうで何より。
――相変わらず“悪趣味な魔法の研究”は続けてらっしゃるんですかァ~?」
嫌味ったらしい口調で、昔も今も変わることなく大嫌いなままの『ネクロン家の秘術』を罵倒する。
彼女たち二人にとっては二千年以上前の出会った時分から続いてきていた、古き懐かしい挨拶の毒舌を丁寧で優しく素直に親切心から言ってあげる。
遠慮はしないし、地位への配慮も身分差故の自制も一切することなく、する気もない。
何故なら今の自分は学生であり、ここは学校なのだから。
いつの世の、どこの学校でも教えていることを実践するためにも配慮などしては罰が当たるというものだろう。道徳教育の成果を否定すべきではない。
よく学校の先生たちは、教え子たちに言っているではないか。
『人に対して、嘘を吐いてはいけません』
・・・・・・とね―――。
つづく