廃墟の街に向かう途中、エルククゥが想定していた予測は半分当たって、半分外れていた。
ラドの親父については大部分が当たりで、誰からも見捨てられた貧乏人どもを救ってやるため、国の息がかかった大病院の大先生という地位を捨てて野に下った真性の善人であり、酒浸りになった理由も救えなかった命と『救った命が自ら死を選ぶ現実』を直視し続ける日々から一時的にでも目を逸らす必要があったため。
酒場で毎日飲んだくれているのも、いつ何時どこからの依頼が来ても指先が万全の状態で動かせるようにするためであり、分かりやすい目印として自分がいる場所を依頼者たちに周知させておくためである。
彼の善性に関してエルククゥの予測は大方が当たっており、『予測を上回る人の良さ』だけが予測の一部をいい意味で裏切ってくれていただけだった。
だが、彼と敵対する元強盗の現モンスター・リーランドについては、完全に的外れな予測をしてしまっていたと断言できる。
彼は実のところ、ラドの親父を恨んでなどいない。むしろ感謝しているぐらいだ。
彼が自分を見捨ててくれたからこそ、あの方に拾われて今の自分はこれほどの力を手に入れられている・・・。下手に救われてしまっていたら弱っちい人間のままだった可能性に思いを致せば恨む気持ちなど湧き出るはずもないというものだ。
では何故、彼は今ラドの親父を復讐目的で殺しに来ているのか?
――簡単だ。力を与えられて、強くなったから。それだけが理由の全てである。
今の彼はチンケな銀行強盗などではない、大富豪だった。
金なら欲しい時に欲しいだけ奪ってしまって良く、あの時と同じで警察が邪魔するなら皆殺しにして悠々と酒場に凱旋することが出来る。
『力という名の絶対的な資産』を与えてもらったのが今の彼、警察に追われたら逃げるしかなかったチンケな元強盗リーランド様なのだ。今さら殺す人間を選り好みしてやる理由などいささかも持ち合わせてやる義務はない。
にも関わらず彼が、かつての人間時代に因縁のあった相手ラドを復讐目的という名目で襲った理由は、拾ってくれたお方から『事を表沙汰にしないよう』命令されていたからが一つと、もう一つはラドのように人の命を救うために私財をなげうつ善人な医者は『自分が救えなかった命』を直視させられたときに激しく顔を歪めていい表情になることを“加害者側から見た実体験”で理解していたから見たくなった。ただそれだけの理由である。
要するに彼は、人間で居続けようとも辞めようとも、性根の腐りきった社会のゴミでしかなかったのだ。
社会的に見下される立場にある人々の、弱みにつけ込んで馬鹿にして愉悦を得る。そういう類いの人間性の持ち主なままだったのだ。
そのことが実物を一目見て、言葉を聞き、話を盗み聞いていたエルククゥにははっきりと理解することができていた。
――だからこそ、そういう相手が言われたくない言葉というヤツが、ポンポンポンポン湧き出す泉に様に思いついては口から垂れ流され続けても枯れることがない。
「その人には用があるのです。あなたの下らない復讐ゴッコで無駄な時間をかけさせられては迷惑です。大人しく連れて行かせてもらえませんか?
そうしたら特別に見逃してあげますよ? 弱っちいあなたが尻尾を巻いて逃げ去るのを見送るぐらいの猶予時間は施してあげましょう。感謝しなさい。警察から逃げる途中で怪我させられて死にかけるようなマヌケすぎる三流強盗の成れの果てさん」
「て、テメェ・・・っ!!」
「粋がるなよ、ザコ。他人にすがってバケモノにならなければ復讐もできない三下風情が生き長らえた命まで無駄に捨てますか。
だったら、もういい。死になさい。あなたが他人を殺す権利を私は認めてあげません。
下らないあなたを拾った、下らないあなたの飼い主さんを地獄の底で歓待するため先に逝って待ってなさい。バ~カ」
モンスター化して赤ら顔に変色したリーランドの顔色が、さらに赤みを増して醜さを増す歪ませ方をする。
彼は人間だった頃から、社会的に弱い立場にある人たちを見下してバカにしながら生きてきた。
だが一方で、自分たちもまた社会的に見れば見下される立場にある底辺でしかないのだという事実を常に意識させられてきてもいたのである。
当然だ。だからこそ彼らは自分たちより下の地位にある者を見下してバカにすることで、ちっぽけな自尊心を満足させてきたのだから、気付いていないはずがない。
そして、こういうタイプの人間は『自分より下だと見下している相手から“侮蔑されること”』に慣れがない。強者が弱者に見せる上から目線での優越を含んだ視線で見上げてくる者がいると癇癪を堪えることが出来なくなる者が意外なほど多い。
もし仮にリーランドが本当の意味で大富豪になっていたのなら、エルククゥの言葉を『負け犬の庶民が吠えている』と笑い飛ばせたかもしれないが、所詮は飼い主の言われるがまま我慢を強いられコソコソ復讐ゴッコで鬱憤晴らすことしか許されていない飼い犬の身では望むべくもない夢物語でしかないのが彼の現実だったから・・・・・・。
「――ハッ、いいだろう・・・。ちょうど力試しをしたかったところだ。お前から始末してやるよ!!」
そう叫んで、いつでも殺せる無力で弱っちいラドの親父から、少しは歯ごたえのありそうなエルククゥへと標的を変更して剣を振り上げ襲いかかる!
――さぁ、狩りの始まりだ! この場における狩人は俺様一人だけ! 残りは全て俺の獲物だ! 弱ぇヤツは強い奴の慈悲にすがらねぇと生きていけない事実を思い知りやがれ!!
自分の矮躯など一刀両断できてしまいそうな、大振りの大剣を振り上げて襲いかかってくるリーランドを、茫洋とした黒瞳で眺めながらエルククゥは思っていた。
(・・・アホなんですかね? この人って・・・。お人好しすぎるにも程があるでしょうが・・・)
――と。
廃墟の街について、ラドとリーランドの話し合い中に鉢合わせする羽目になったエルククゥにとって、今最も警戒しなければならなかったのは『ラドの親父が人質に取られる危険性』だった。
それどころか、利き腕を損傷したり、頭に怪我を負うなどの治療に差し障りが出るような傷はぜったいに負わせるわけにはいかない。出来ることなら戦闘に巻き込むこと自体、回避すべき面倒事でしかなかったのである。
当然だろう。殺すよりも、救う方が優先事項として上なのは当たり前のことなのだから。
リーランドを見逃したせいで誰かが彼に殺される可能性は、傷ついたリーザを救うために急ぐより元強盗のモンスターを殺す方が重要だとする理由にはならん。
当初に立案した作戦だと、不意打ちで奇襲してラドの親父さんだけを奪取した後、即座に転進して全力逃走。一目散にインディゴスまで逃げ帰ってリーザを治療してもらい、後のことは治療が終わって彼女の安全が確定してから改めて考える。・・・と言うものだった。
それを変更したのは、単に遅れて到着してしまったが故にラドと自分との距離が、リーランドのそれより遙かに遠くて、遮蔽物のない一直線道路の最奥に誘拐対象が追い込まれた状態で出会ってしまったから。それだけだった。
下手に隠れて接近して、気付かれたら意図を読まれかねない上に、敵の獲物がデカくて長いからラドの親父さんが逃げ切れる保証もない以上、仕方なしに姿をさらして具体的な目的告げずに『ソイツを寄越せ。そうすれば見逃してやる』と、どっかの組織の悪党っぽく演じることで人質としての価値が生まれないよう小細工してみたのだけど・・・。
(変なところで食いついてきましたね・・・。なにか私、気に障ること言ってしまったんでしょうか? 分かり易くて安っぽい挑発セリフしか言った覚えないんですけども・・・)
単に、救出対象から敵の目を少しでもコチラに引くことが出来たら嬉しいな、と言う程度の気持ちで言ってみただけの子供じみた挑発台詞。
それが思わぬ効果を発揮してしまい、目標から遠ざかるどころか自分を目標に変更してくれたのである。思わず感謝せずにはいられない。
お礼代わりに接吻してあげたい。死のベーゼで、だけれども。
「あの方に与えてもらった力で、ナマス切りにしてやるよ! バラバラになりやがれ!」
怒号と共に斬りかかってくるリーランドだったが、大言するだけの力は持っていた。
とにかく攻撃力が高く、鎧と一体化しているらしい肉体は防御力も人間離れしている。
小さな体と低い腕力を、槍の長さと手数で補うエルククゥにとって相性のいい相手では決してない。
おまけに前回のアルフレッドと違って、体力を消耗しているのは走ってきた自分の方であり、相手が焦ってミスを連発しはじめるまで悠長に待ってやる余裕は、体力的にも時間的にもない。
――とは言え、だからこそリーランドは強敵だ、とは限らないのが実戦の機微というものなのだけれども。
「うおらぁっ! ずおりゃあ! どうしたどうした!? 大口叩いといて防ぐだけで手一杯か糞虫ガキがぁぁっ!!」
「・・・・・・」
敵の攻撃をいなしながら、エルククゥは冷静に相手の強さを見定めていく。
元が人間の犯罪者でしかないリーランドは、相手を威嚇する必要から獲物を振りかざす動作が大きく、見せつけるように緩慢な動きになる癖がついていた。
モンスター化した後で強制するため、多少の訓練は受けさせられた痕跡はあるが、所詮は必要になってから必要分だけ訓練させて、モンスターの攻撃力・防御力・体力を付与させてやったところで付け焼き刃程度にしかなっていない。
「ハハハハ!! どうしたんだクソガキ? 手も足も出ねぇのか? もう少し本気を出してくれてもいいんだぜ?」
「では、お言葉に甘えて少しだけ。――本当の訓練というものを施してあげましょう」
「!?」
言うと同時に『オーソドックスな攻め方と速度による攻撃』をやめ、実戦と訓練で鍛え上げた技と速度を上乗せさせた『実戦向きの応用スタイル』へと戦い方を変更させる。
この『静』から『動』への急激な変化に、手加減して使っていた『教本通りの遅い動き』に順応させられてしまっていたリーランドは対応することが出来なかった。
「わっ!? たっ!? うおっ!?」
「握りが甘い。無駄な動きが多い。力みすぎる。相手の次の動きまでしか読めていない。三手先を読んで攻防を組み立てる基本がまるでなっていません」
「うおっ!? はっ!? へっ!? こなくそっ!!」
「膂力と耐久力は素晴らしい。ですが、身体能力に頼りすぎていて基礎がまるでできていません。経験も少なすぎます。まるでなっちゃいません。
子供が刃物を持って『俺は強い強い』と喚いているようなものです。素手でかすらせることも出来ない相手に、多少リーチが長くなったぐらいで勝てるとお思いですか? 一撃必殺の腕力なんて、当てられる技量がなければ下手な鉄砲にさえならないのですよ?」
「う、わ、うわわわわっ!?」
腹、胸、顔と次々狙いが変わるエルククゥの攻撃に対処が追いつかないままドンドン追い込まれていき、体勢を崩され、体中が傷だらけになっていく。
どうにかしなければならないと分かってはいても、事態を打開する技も経験も彼には存在していない。
「そ、そんな!? 俺はモンスターにしてもらって人間を超えたはずだ! そのはずなんだ! なのにどうしてこんな・・・あり得ないぃぃぃっ!?」
――土台の想定が甘すぎたんですよ、ド素人。
エルククゥは心の中で率直に、そう酷評する。
リーランドは力に依存しすぎてしまい、力の制御方法をろくに学ばぬまま初陣に出向いてしまった。
単に生まれついての体質から来る身体能力だけ底上げしても、中身が伴っていなければ宝の持ち腐れにしかならない事実を、彼を改造したバカは知らないと見える。
所詮、数字としての強さなど武器でしかないのだ。どれほど高性能化しようとも、使い手がヘボならナマクラにしかなりようがない。獲物に合わせて使い手も強くならなければ結局は上がった数字に振り回されるだけで終わる。
体を動かすのは、脳であり心なのだ。
どれほど身体を強化して心を弄くり回そうとも、身体を動かす心が飼い主の意のままに動くしかない木偶では話にならない。
それが武の本領というものなのだから。
「終わりですね。死になさい」
「くぅっ!?」
焦りが更に防御を窮屈にしてしまい、止めとして放たれた突きと見せかけて軽く薙ぎ払っただけの一撃により獲物を天高く掬い上げられ宙に舞わされてしまう。
振り上げられ、振り下ろされてくる槍の穂先に視界を占領されながら、それでもリーランドのプライドは『ただ逃げるだけの負け犬』になることを許さない。
「くそっ! 覚えてやがれ!」
捨て台詞を残し、アルフレッドが使っていたものより高速化したテレポートの術で、いずこかへと逃亡していく。
「・・・・・・」
しばらく構えを維持したまま警戒していたのだが、第二陣が来る気配もなく。
結局はリーランド個人が、つまらない理由で、しょうもない殺人ゴッコをやりに来ただけで自分が抱え込んだ一件には関係なさそうだなと結論づけても大丈夫そうだった。
「あなたがラドさんですね。お怪我はなさそうですが、大丈夫でしたか?」
安全を確認してからラドに話しかけ、相手も余計な動きをせぬままエルククゥの戦いにゲタを預けていた戦闘中のときと同じように、信頼しきった瞳と声音で彼女を見つめ返す。
「どうやら、お前に命を助けられたようだな」
「お互い様です。助けて欲しい命がありますので、一緒に来て下さい。金は言い値で払いますから」
「命の恩人の頼みを断るわけにもいくまい。患者のいる場所の住所を教えな。俺はそれを聞いた相手の事情だけは死んでも他人に漏らさねぇし、救うことに決めてんだ」
頑固一徹。自分の決めた流儀を押し通す職人肌の医者であることを短い会話の中で示したラドに、エルククゥもまた好意的な微笑みを向ける。
「では、ご一緒しましょう。またさっきみたいなチンピラに襲われては助けに行くのが面倒くさそうですからね」
「違いない」
はっはっは、と朗らかに笑って三十以上も年下の少女と並んで歩き出す、本道を外れることで医師としての正道を貫き続ける道を選んだ闇医者ラド。
ある意味で似たもの同士な二人は揃ってインディゴスの街に到着すると、ほぼ同時にシュウのアパートの自室に帰ってきた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・(;゚ロ゚)」
「・・・おい、ちょっと待て。俺は医者だ。身体とか病は治せるが、人間関係と痴情のもつれは門外漢だぞ。
なんだって、こんな危ない状態になってる若い娘たちがいる中で治療しなくちゃならなくなってんだよ!?」
「い、いや、そう言うわけではなかったんですけどね・・・? とりあえず治療だけでもお願いします。報酬は言い値の倍支払いますから・・・。
ぶっちゃけ私一人だと私が死にそうです。主な死因は胃痛で。ホントの本当に」
「・・・お前、あんだけ強ぇのに、なんでそんな羽目になってんだよ・・・?」
「・・・・・・」
「まあいい。とりあえず俺は治療をはじめるぜ。こんな修羅場から早く帰るためにな!!」
「・・・・・・よろしくお願いします、ラド先生・・・(; ;)ホロホロ」
つづく
謝罪文:
主人公そのものを変えちゃってる作品ですので今更言うまでもないかと思っていたのですが、念のために説明と謝罪をさせておいていただきます。
今作には原作で曖昧になってる部分や、提示されていない部分について独自解釈やオリジナル設定が多く盛り込まれています。(あと、現時点で作者が知らない部分もです)
ラドの経歴や、リーランドの犯行動機などは完全に作者オリジナルのものですので、そのつもりでお読みくださいませ。